身過ぎ[みすぎ] (中原中也)

(朗読ファイル) [Topへ]

身過ぎ[みすぎ]

面白半分や、企略(たくらみ)で、
世の中は瀬戸物の音をたてては喜ぶ。
躁[はしゃ]ぎすぎたり、悄気[しょげ]すぎたり、
さても世の中は骨の折れることだ。

誰も彼もが不幸で、
ただ澄ましてゐるのと騒いでゐるのとの違ひだ。
その辛さ加減はおんなしで、
羨[うらや]みあふがものはないのだ。

さてそこで私は瞑想や籠居[ろうきょ]や信義を発明したが、
瞑想はいつでも続いてゐるものではなし、
籠居は空つぽだし、私は信義するのだが
相手の方が不信義で、やつぱりそれも駄目なんだ。

かくて無抵抗となり、ただ真実を愛し、
浮世のことを恐れなければよいのだが、
あだな女をまだ忘れ得ず、えェいつそ死なうかなぞと
思つたりする――それもふざけだ。辛い辛い。

言葉の意味

[身過ぎ]
・生活していくこと。生活の手段。

2009/03/28

[上層へ] [Topへ]