夏の記臆 (中原中也)

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夏の記臆

温泉町のほの暗い町を、
僕は歩いてゐた、ひどく俯[うつむ]いて。
三味線の音や、女達の声や、
走馬燈(まはりどうろ)が目に残つてゐる。

其処[そこ]は直ぐそばに海もあるので、
夏の賑ひは甚だしいものだつた。
銃器を掃除したボロギレの親しさを、
汚れた襟[えり]に吹く、風の印象を受けた。

闇の夜は、海辺(ばた)に出て、重油のやうな思ひをしてゐた。
太つちよの、船頭の女房は、かねぶん[四字傍点付]のやうな声をしてゐた。
最初の晩は町中歩いて、歯ブラッシを買つて、
宿に帰つた。――暗い電気の下で寝た。

         (一九三三・八・二一)

2010/1/10

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