療養日誌・千葉寺雑記

(朗読ファイル) [Topへ]

[題なし]

丘の上サあがつて、丘の上サあがつて、
 千葉の街サ見たば、千葉の街サ見たばヨ、
県庁の屋根の上に、県庁の屋根の上にヨ、
 緑のお碗が一つ、ふせてあつた。
そのお碗にヨ、その緑のお碗に、
 雨サ降つたば、雨サ降つたばヨ、
つやがー出る、つやがー出る

道修山夜曲

星の降るよな夜(よる)でした
松の林のその中に、
僕は蹲[しゃが]んでをりました。

星の明りに照らされて、
折しも通るあの汽車は
今夜何処[ど]までゆくのやら。

松には今夜風もなく、
土はジツトリ湿つてる。
遠く近くの笹の葉も、 しづもりかへつてゐるばかり。

星の降るよな夜でした、
松の林のその中に
僕は蹲[しゃが]んでをりました。


(一九三七・二・二)

[短歌五首]

ゆふべゆふべ我が家恋しくおもゆなり
 草葉ゆすりて木枯の吹く

小田の水沈む夕陽にきららめく
 きららめきつゝ沈みゆくなり

沈みゆく夕陽いとしも海の果て
 かゞやきまさり沈みゆくかも

町々は夕陽を浴びて金(きん)の色
 きさらぎ二月冷たい金なり

母君よ涙のごひて見給へな
 われはもはやも病ひ癒えたり

泣くな心

私は十七で都会の中に出て来た。
私は何も出来ないわけではなかつた。
しかし私に出来るたつた一つの仕事は、
あまり低俗向ではなかつた。

誰しも後戻りしようと願ふ者はあるまい、
そこで運を天に任せて、益々[ますます]自分で出来るだけのことをした。
さうして十数年の歳月が過ぎた。
母はたゞ独りで郷[くに]で気を揉んでゐた。

私はそれを気の毒だと思つた。
しかしそれをどうすることも出来なかつた。
私自身もそれで気を揉む時もあつた。
そのために友達を会つてても急に気がその方に移ることもあつた。

そのうちどうもあいつはくさいと思はれた時もあつた。
あとでは何時[いつ]でも諒解[りょうかい]して貰へたが。
しかしそのうち気を揉むことは遂に私のくせとなつた。
由来憂鬱[ゆううつ]な男となつた。

由来褒められるとしても作品ばかり。
人間はどうも交際[つきあ]ひにくいと思はれたことも偶[たま]にはあつた。
それは誤解だとばかり私は弁解之[べんかいこれ]つとめた。
さうして猶更[なおさら]嫌はれる場合もあつた。

さうかうするうちに子供を亡くした。
私はかにかくにがつかりとした。
その挙句が此度[こんど]の神経衰弱、
何とも面目ないことでございます。

今もう治療奏効[そうこう]して大体何もかも分り、
さてこそ今度はほがらかに本業に立返りたいと思つても、
余後の養生のためなのか、
まだ退院のお許しが出ず、

日々訓練作業で心身の鍛練[たんれん]をしてをれど、
もともと実生活人のための訓練作業なれば、
まがりまりにも詩人である小生には、
えてしてひよつとこ踊りの材料となるばかり。

それ芸術といふものは、謂[い]はば人が働く時にはそれを眺め、
人が休む時になつてはじめて仕事のはじまるもの、
人が働く時にその働く真似をしてゐたのでは、
とんだ喜劇にしかなりはせぬ、しかしながら、

これも何かの約束かと、
出来る限りは努めてもをれど、
そんな具合に努めることは、
本業のためにはどんなものだか。

たつた少しの自分に出来ることを、
減らすことともなるではあるまいかと
時には杞憂[きゆう]も起るなれど、
院長に話すは恐縮であるし

万事は前世の約束なのかと、
老婆の言葉の味も味はひ、
かうして未だに患者生活、
「泣くな心よ、怖るな心」か。


[この後に追記あり。おっ母さんが私についていつも壮大にしすぎることを言明したるものなり。省略。]

雨が降るぞえ

――病棟挽歌

雨が、降るぞえ、雨が、降る。
今宵は、雨が、降るぞえ、な。
俺はかうして、病院に、
しがねえ、暮しをしては、ゐる。

雨が、降るぞえ、雨が、降る。
今宵は、雨が、降るぞえ、な。
たんたら、らららら、らららら、ら、
今宵は、雨が、降るぞえ、な。

人の、声さへ、もうしない、
まつくらくらの、冬の、宵。
隣りの、牛も、もう寝たか、
ちつとも、藁のさ、音もせぬ。

と、何号かの病室で、
硝子戸[がらすど]、開ける、音が、する。
空気を、換へると、いふぢやんか、
それとも、庭でも、見るぢやんか。

いや、そんなこと、分るけえ。
いづれ、侘[わび]しい、患者の、こと、
たゞ、気まぐれと、いはば気まぐれ、
庭でも、見ると、いはばいふまで。

たんたら、らららら、雨が、降る。
たんたら、らららら、雨が、降る。
牛も、寝たよな、病院の、宵、
たんたら、らららら、雨が、降る。


               (了)

2009/04/05

[上層へ] [Topへ]