松尾芭蕉「更科紀行」の朗読

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更科紀行の朗読

注意書

・原文に句読点、カギ括弧、段落などは存在しないので、これらは便宜上のものに過ぎません。

・テキストのうち、[緑色]は意味の説明、青文字は本文ではなく、意味を読み取りやすく補った言葉。

・朗読、テキスト共に岩波文庫「芭蕉紀行文集」にもとづく。原文の記入は現代正統とされる歴史的仮名遣いに修正。

更科紀行  松尾芭蕉

 さらしなの里[長野県更級郡あたり]、をばすて山[冠着山(かむりきやま)の事]の月見ん事、しきりにすゝむる秋風の心に吹(ふき)さわぎて、我とともに風雲の情をくるはすもの又ひとり。越人(えつじん)[越智越人(おちえつじん)(1656-1739)越後生まれの名古屋の染物屋]と云(いふ)。共に出かけようとすれば、木曽路(きそぢ)は山深く、道さがしく[=険(けわ)しく]、旅寐の事も心もとなしと、荷兮子(かけいし)[山本荷兮(1648-1716)、名古屋の医者]みずからの奴僕(ぬぼく)をして我らと共に送らす。これら旅の者、おの/\心ざし尽(つく)すといへども、駅旅[えきたび?、えきりょ?、あるいは「羈旅(きりょ)」の間違いか?]の事心得ぬさまにて、共におぼつかなく、ものごとのしどろに[秩序なく乱れた様子]あとさきなるも、それはそれでかえってなか/\にをかしき事のみ多し。

 何/\といふ所にて、六十斗(むそぢばかり)の道心の僧、おもしろげもをかしげもあらず、たゞむつ/\と旅をしたるが、腰たわむまで重々しげに物おひ、息はせはしく、足はきざむやうに歩み来れるを、ともなひける人[越人、荷兮子の奴僕ら]のあはれがりて、おの/\肩にかけたるもの共(ども)、かの僧のおひねもの[背負っている物]とひとつにからみて、我らの馬に付(つけ)て、それから我をその上にのす。高山奇峰、頭(かしら)の上におほひ重(かさな)りて、左りは大河[木曽川の事]ながれ、岸下(がんか)の千尋(せんじん)[谷の非常に深いこと]のおもひをなし、尺地(せきち)[わずかな土地]もたひらかならざれば、我の乗る鞍(くら)のうへ静かならず。只(ただ)あやふき煩(わづらひ)のみやむ時なし。

 棧(かけ)はし・寐覚(ねざめ)など過(すぎ)て、猿がばゞ・たち峠などは四十八曲(まが)リ[長野県四十八曲峠]とかや、九折(つゞらをり)[山道のはなはだ曲がりくねっている事]重(かさな)りて、雲路(くもぢ)にたどる心地せらる。歩行(かち)より行(ゆく)ものさへ、眼(め)くるめき、たましひしぼみて、足さだまらざりけるに、かのつれたる奴僕(ぬぼく)、いともおそるゝけしき見えず、みずからの乗る馬のうへにて只(ただ)ねぶりにねぶりて、馬より落ぬべき事あまたゝびなりけるを、我はあとより見あげて、あやふきと思う事かぎりなし。仏の御心(みこゝろ)に衆生(しゆじやう)のうき世を見給(みたま)ふもかゝる事のように見えるにやと、無常迅速(むじやうじんそく)[万物が流転して止まないこと。人の世が次々と移り変わること]のいそがはしさも、かえって我(わが)身にかへり見られてあれこれ煩悶するに、あはの鳴戸(なると)[淡路島と四国の東北との間の海峡]は波風もなかりけり。

 夜は草の枕を求(もとめ)て、昼のうち思ひまうけたるけしき、むすび捨(すて)たる発句(ほつく)など、矢立(やたて)[携帯用の筆と墨]取出(とりいで)て、灯(ともしび)の下(もと)にめをとぢ、頭(かしら)たゝきてうめき伏せば、その様子を眺めて居たかの道心の坊、わたしのそのような仕種は、旅懐(りよくわい)の心うくて[心づらさに]物おもひするにやと推量し、我をなぐさめんとす。彼のわかき時おがみめぐりたる地、あみだのたふときなぐさめのはなし数をつくし、おのがあやし[霊妙である、常とは異なる]とおもひし事共(ことども)はなしつゞくるぞ、風情(ふぜい)のさはり[さまたげ]となりて、句の一つも何を云出(いひいづ)る事もせず。とてもまぎれたる[目立たなくなる、しのび隠れる]月影の、かべの破れより木の間(このま)がくれにさし入(いり)て、引板(ひた)の音[鳴子の音のこと]、しかおふ声、所/\にきこえける。まことにかなしき秋の心、爰(ここ)に尽(つく)せり。

「いでや、月のあるじに酒振(ふる)まはん」
といへば、さかづき持出(もちいで)たり。よのつねに有るよりも一めぐりもおほきい様に見えて、ふつゝかなる[無風流な]蒔絵をしたり。都の人はかゝるものは風情なしとて、手にもふれざりけるに、かえっておもひもかけぬ興に入(いり)て、せい碗玉卮[(せいわんぎょくし)正しくはすべて漢字。青い玉の碗と玉のさかずき]の心地せらるもいまこの瞬間の所がらからなり。

あの中に蒔絵(まきゑ)書(かき)たし宿の月

[宿の無風流な蒔絵の盃さえも趣深く感じられる月ならば、いっそあの月をさかずきと見立てて蒔絵を書いてみたいものだ。そのような発想も、今宵かぎりはあながちに無風流とは思えないことだよ。]

棧(かけはし)やいのちをからむつたかづら

[人のいのちがけに渡り行く木曾の桟(かけはし)ならばこそ、つたかづらも必死にしがみついて居るようだ。]

棧(かけはし)や先(まづ)おもひいづ馬むかへ

[この木曾の桟を眺めるにつけても、駒を宮中に捧げる「駒迎え」の逢った頃は、どのようにしてここを渡ったのであろうかと、まず思い浮かばれることであるよ。]

雰(きり)晴て棧(かけはし)はめもふさがれず  越人

[霧が晴れれば桟は眼も塞がれることなく見え渡るが、見え渡ってみれば猶更にこの難所の桟の恐ろしさが身に染みることだよ。]

  姨捨山(をばすてやま)
俤(おもかげ)や姨(をば)ひとりなく月の友

[姨捨の山に捨てられ泣く姨のおもかげをのみ友と月見も]

いざよひもまださらしなの郡哉(こほりかな)

[名月を見終えた翌日の十六夜(いざよい)さえも、まだ去らずに更科(さらしな)の郡(こおり)に居ることだ。また月を見たいがために。]

さらしなや三(み)よさの月見雲もなし  越人

[(上の句に答えて)つい更科を去らずに十七夜まで眺めてしまった。三夜の月見の間、雲もなくて結構だ。]

ひよろ/\と尚(なほ)露けしやをみなへし

[ひょろひょろほっそりと咲いていればこそ、なおさら露をまとった艶やかな姿に見えるなあ、女郎花は。]

身にしみて大根からし秋の風

[木曽路を旅すれば、木曾名物のからみ大根の辛さも、それから秋の風も身に染みるなあ。]

木曽のとち浮世の人の土産かな

[秋なれば橡(とち)の実、この木曾の橡を、浮き世に待っている人たちへの土産としようか。]

送られつ別(わかれ)ッ果(はて)は木曽の秋

[見送りの人々に送られ、別れた旅の初まりも、長い道のりを隔てて、ようやくその果に木曾の秋に出逢う心持ちがする。(この句、自筆草稿では「おくられつおくりつはては」となっている。「別ッ果は」は乙州編のものに基づく)]

  善光寺
月影や四門四宗(しもんししゆう)も只一(ただひと)ツ

[無宗派を掲げ四つの門を善光寺よ、四門四宗に別れて教義を争う仏教も、その根本はこの月影が一つであるように一つであるのだと掲げておくれよ。]

吹とばす石はあさまの野分哉(のわきかな)

[軽石を吹き飛ばして吹いてくる荒くれの野分、ああこれはまさしく、噴火に於いては石を吹き飛ばすというあの浅間山の野分ではないか。]

              (終わり)

2012/4/9

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