松尾芭蕉「嵯峨日記」の朗読

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嵯峨日記(さがにっき)の朗読

注意書

・原文に句読点、カギ括弧、段落などは存在しないので、これらは便宜上のものに過ぎません。

・テキストのうち、[緑色]は意味の説明、青文字は本文ではなく、意味を読み取りやすく補った言葉。

・朗読、テキスト共に岩波文庫「芭蕉紀行文集」にもとづく。原文の記入は現代正統とされる歴史的仮名遣いに修正。

嵯峨日記(さがにっき)  松尾芭蕉

 元禄四[1691年]辛未(しんび)[十二支と十干(じっかん)を組み合わせた干支(えと・かんし)の第八番目]卯月(うづき)[陰暦四月]十八日、嵯峨にあそびて去来(きよらい)[門弟。向井氏。医者の息子。長崎の生まれにして京に住む。武士として仕官していたこともある。落柿舍は彼の別邸]ガ落柿舍(らくししや)に到(いたる)。凡兆(ぼんてう)[門弟。野沢氏。金沢出身とされる京の医者]共ニ来りて、暮に及(および)て京ニ帰る。予は猶暫(なほしばらく)とゝむべき由(よし)にて、障子つゞくり[「繕る(つづくる)」ほころびなどを縫い合わせる、つくろう]、葎引(むぐらひき)かなぐり[「むぐら」はヤエムグラなどの雑草を総称して言う。「かなぐる」は、荒々しく引きむしる意味。激しい動作を指すこともある]、舍中の片隅一間(ひとま)なる処伏処(ふしど)[=臥所(ふしど)、寝どころのこと]ト定ム。机一、硯(すずり)、文庫、白氏集(はくししふ)[白居易の詩文集]・本朝一人一首[天智天皇から江戸時代へ至る漢詩アンソロジー]・世継(よつぎ)物語・源氏物語・土佐日記・松葉集(しようえふしふ)[諸国の名所和歌を編纂したもの]を置(おく)。并 (ならびに)、唐(から)の蒔絵(まきえ)書(かき)たる五重(いつへ)の器(うつは)にさまざまの菓子ヲ盛(もり)、名酒一壺(いつこ)盃(さかづき)を添(そへ)たり。夜るの衾(ふすま)、調菜(てふさい)[=副食物、おかず]の物共(ものども)、京b(より)[正しくは「b」ではない、似たような記号]持来りて乏しからず。我(われ)、貧賤をわすれてC閑ニ楽(せいかんにたのしむ)。

十九日

 午半(うまなかば)[ちょうど真昼頃]、臨川寺(りんせんじ)[京都市右京区にある臨済宗天龍寺派の寺院]ニ詣(けいす)。大井川前に流て、嵐山右ニ高く、松の尾里(をのさと)につゞけり。虚空藏(こきうぞう)[智福山法輪寺。虚空蔵菩薩を本尊とする]に詣(もうづ)ル人往(ゆき)かひ多し。松尾の竹の中に小督屋敷(こがうやしき)[高倉天皇の愛妃で、娘を天皇の妃とした平清盛の怒りに触れた小督(こごう)の隠棲した屋敷]と云有。都(すべ)て上下(かみしも)の嵯峨ニ小督の屋敷と目されるところ三所有、いづれか慥(たしか)ならむ。彼(かの)仲国[源仲国は高倉天皇の命を受け小督のもとを訪れた]ガ駒をとめたる処とて、駒留の橋と云(いふ)いわれがあるが、此(この)あたりに屋敷が侍れば、暫是(しばらくこれ)によるべきにや[この小督屋敷こそが本物であるという考えに従おうか]。墓ハ三間屋(さんげんや)[三軒茶屋、渡月橋 ( とげつきょう )の近くにあった]の隣(となり)、藪(やぶ)の内にあり。しるしニ桜を植たり[これを小督桜という]。かしこくも錦繍綾羅(きんしょうりょうら)[宮中の豪奢な衣装の形容]の上に起臥(おきふし)して、終(つひに)藪中(そうちゅう)の塵(ちり)あくたとなれり。まるで中国の昭君村(せうくんそん)の柳、普女廟(ふぢよべう) の花の昔もおもひやらる。

うきふしや竹の子となる人の果

[憂うべきは世の営みか、天皇の寵愛を受けながらも隠棲を強いられて、遂には屋敷を残して竹の子となってしまった小督(こごう)のなれの果てとは。(季語)竹の子−夏]

[「憂き節(うきふし)」は「憂うべきこと」「辛いこと」「哀しいこと」といった意味で、竹の節と掛け合わせて使われる歌詞(うたことば)。]

嵐山藪の茂りや風の筋

[嵐山に風が吹けば、竹藪の茂りのばさばさとなびいて、まるで風の筋が見えるように思われる。(季語)茂−夏]

 斜日(しやじつ)に及(および)て落舍ニ帰ル。凡兆、京より来(きたる)。去来、京ニ帰る。宵b(より)伏(ふす)。

甘日(はつか)

 北嵯峨の祭見むと、羽紅尼(うこうに)[凡兆の妻である「とめ」のこと。この時、尼となっていた]来ル。

去来京より来ル。途中の吟とて語る。

つかみあふ子共の長(たけ)や麦畠

[つかみ合う子供の声がする。激しく麦が揺れている。子らは小さくて、麦はずいぶん成長して、その二つの丈が同じものだから、騒がしい声の中に、麦がざわめいているように思われた。(季語)麦畠(麦の穂)−夏]

 落柿舍は昔のあるじの作れるまゝにして、処々頽破(たいは)ス。中/\に作(つくり)みがゝれたる昔のさまより、今のあはれなるさまこそ心とゞまれ。彫(ほりもの)せし梁 (うつばり)[柱の上に渡す骨組みの横木]、畫(ゑがけ)ル壁も風に破れ、雨にぬれて、奇石怪松(きせきくわいしよう)[変わった形をした石や、枝振りの風変わりな松]も葎(むぐら)の下にかくれたるニ、竹縁(ちくえん)の前に袖(ゆず)の木一(ひと)もと、花のかおり芳(かんば)しけれは、

袖(ゆ)の花や昔しのばん料理の間

[ああ、柚の花の香りが漂って来る。古びたこの落柿舍も、かつて富豪の建てて住んだ頃には、料理の間には華やかな料理が並べられて、このようなかおりの中で華麗なる食事を楽しんだのであろうか。(季語)柚の花−夏]

ほとゝきす大竹藪をもる月夜

[ほととぎすの鳴いている大竹藪は暗がりから、月の明かりがもれ込んでいる。(季語)ほとゝぎす−夏]

  尼羽紅
又やこん覆盆子(いちご)あからめさがの山

[また来ましょう。いちごを赤らめた嵯峨の山に、いちごを狩りに。(季語)覆盆子−夏]

 去来兄[向井元端(むかいげんたん)(1649-1704)]の室(しつ)[=妻]より、菓子・調菜(てうさい)[精進料理などの副食物]の物なと送らる。
 今宵は羽紅夫婦をとゞめて、蚊屋(かや)一はりに上下(かみしも)五人舉(こぞ)リ伏(ふし)たれば、夜もいねがたうて、夜半過よりおの/\起出(おきいで)て、昼の菓子・盃なと取出(とりいで)て、曉ちかきまてはなし明(あか)ス。去年(こぞ)の夏、凡兆が宅に伏したるに、二畳の蚊屋に四國の人[伊賀の芭蕉、肥前の去来、尾張の丈草、加賀の凡兆の四人]伏(ふし)たり。「おもふ事よつにして夢もまた四種(くさ)」と書捨たる事共(ことども)など、云出(いひいだ)してわらひぬ。明(あく)れは羽紅・凡兆、京に帰る。去来、猶(なほ)とどまる。

廿一日

 昨夜いねざりければ、心むつかしく[気分が優れず]、空のけしきもきのふに似ズ、朝より打曇(うちくも)り、雨折/\音信(おとづる)れば、終日(ひねもす)ねぶり伏(ふし)たり。暮ニ及(および)て、去来京ニ帰る。今宵は人もなく、昼伏たれば、夜も寝られぬまゝに、幻住庵(げんぢゆうあん)[1690年になって、芭蕉が四ヵ月くらい滞在していた滋賀県大津市にある庵]にて書捨たる反古(ほうご)を尋出(たづねいだ)して清書。

廿二日
 朝の間(ま)雨降。けふは人もなく、さびしきまゝにむだ書してあそぶ。其(その)ことば、
「喪(も)に居る者は悲(かなしみ)をあるじとし、酒を飮ものは楽(たのしみ)あるじとす。」[荘子による]
「さびしさなくばうからまし」
[西行の山家集「とふ人も思ひ絶えたる山里のさびしさなくば住み憂からまし」]
と西上人(さいしやうにん)のよみ侍るは、さびしさをあるじとするなるべし。又よめる

山里にこは又誰をよふこ鳥

  独(ひとり)すまむとおもひしものを
    [同じく山家集より]

 独(ひとり)住むほどおもしろきはなし。長嘯隠士(ちやうせういんし)[戦国武将で足守藩(あしもりはん)の二代目当主ともなった木下勝俊(きのしたかつとし)(1569-1649)のこと。歌人として長嘯子(ちょうしょうし)と名乗り、一時はキリシタンでもあった。『挙白集』という歌集がある]の曰(いはく)、
「客は半日の閑を得れば、あるじは半日の閑をうしなふ」
と。素堂(そだう)[芭蕉の友人である俳人の山口素堂]、此(この)言葉を常にあはれぶ。予も又

うき我をさひしからせよかんこどり

[憂いにふさぎ込んでいるわたしを、どうかその鳴き声でさびしさ一杯にして欲しい。独り閑居するときのよろこびは、ただ寂しさのなかにこそあるのだから。(季語)かんこどり−夏]

とは、ある寺に独(ひとり)居て云(いひ)し句なり。

暮方(くれがた)、去来より消息ス。

 乙州(おとくに)[河合乙州(1657-1720)近江(おうみ)の生まれ。姉である河合智月の嫁ぎ先であった問屋兼伝馬役の川井家で、姉の養子となって家を継ぐ。後に『笈の小文』を編纂]ガ武江(ぶかう)[武蔵国の江戸を指す]より帰り侍るとて、旧友・門人の消息(せうそこ)共(ども)あまた届(とどく)。其内(そのうち)曲水(きょくすい)[=菅沼曲翠(すがぬまきょくすい)。近江国の膳所の藩士であり、芭蕉の信頼も厚かった。後に藩の不正をただした後に自刃]状ニ、予ガ住捨し芭蕉庵の旧(ふる)き跡(あと)尋て、宗波(そうは)[芭蕉庵付近に住んでいた隠遁の僧。『鹿島詣』の旅に随行している]に逢由(あうよし)。

昔誰(たが)小鍋洗(あらひ)しすみれ艸(ぐさ)

[(曲水作)かつて誰がここで小鍋を洗いながら生活をしたというのだろう。こうしてただすみれ草ばかりが咲いているよ。(季語)すみれ−春]

又いふ、
 「我か住所(すむところ)、弓杖(ゆんづゑ)二長(ふたたけ)[弓の長さ二つ分の意味。一長(ひとたけ)普通七尺五寸、一尺おおよそ三〇センチくらい]計(ばかり)にして楓(かえで)一本(ひともと)より外(ほか)はき色を見ず」
と書(かき)て、

若楓茶色になるも一盛(ひとさかり)

[かえでと云えば紅葉(もみじ)、秋に色ずく姿こそが盛とされているが、これより茂りゆく若かえでの茶色づきたるところを見つけると、このみずみずしい若楓の時期も、楓のひと盛であるように思えてくることだ。(季語)若楓−夏]

  嵐雪(らんせつ)が文(ふみ)ニ
狗脊(ぜんまい)の塵にえらるゝ蕨哉(わらびかな)

[(嵐雪作)季節の調菜を楽しもうと蕨(わらび)を取ってきたところ、紫塵などと詠まれることもある蕨の中に、塵ほどの狗脊(ぜんまい)の姿も見られ、この若菜の取り合わせが興あるものに思われたものである。(季語)蕨、狗脊−春]

出替(でがは)りや稚(おさな)ごゝろに物哀(ものあはれ)

[(嵐雪作)出替わりになると年季奉公を終えた奉公人がふっといなくなるので、おさない者の心にも、もののあわれが感じられるものだ。(季語)出替−春]

[出替(でがわり)は年季奉公であった奉公人たちの交代日にあたり、それぞれ年季を終えた者たちが去っては、また遣ってくる日である。春の三月五日と秋の九月五日にあたるが、俳諧では断りのない場合は、通常春を季として詠むものである。]

其外(そのほか)の文共(ふみども)、哀なる事、なつかしき事のみ多し。

廿三日

手をうてば木魂(こだま)に明(あく)る夏の月

[二十三日の月なれば昇り来るのも遅く、ようやく待ち月に巡り逢って柏手を打って讃えていると、その木魂のうちにもう空が開け始めて来るような、そんな夏の月にさえ思われたものだ。(季語)夏の月−夏]

竹(の子)や稚(おさなき)時の絵のすさみ

[竹の子の生まれたてのような幼い頃には、あそびごとに竹の子を拙く描いたもだったなあ。(季語)竹の子−夏]

[「すさみ」は「慰みごと」「遊びごと」といった意味。猿蓑では「絵のすさび」として掲載。「竹の子」の部分は「竹」のみ記載されて「の子」が脱落。]

一日(ひとひ)/\麦あからみて啼雲雀

[初夏の大気のなかで、一日一日色づいていくように見える麦は、まるで春鳥である雲雀がしきりになみだを流すその色に染まって、あからんでいくように思われて来るよ。(季語)麦あからみて−夏]

[「麦の穂や泪(なみだ)に染て啼雲雀」とあるを修正して記入]

能なしの寝(ねむ)たし我をぎやう/\し

[才能もなくってだらだら眠りたいだけのわたしを、そんなにぎょうぎょうしく罵るんじゃない、眠れないじゃないか、このヨシキリめ。(季語)ぎやうぎやうし−夏]

  題落柿舍  凡兆
豆植(まめうう)る畑も木部屋(きべや)も名所哉

[(去来の別荘にして、芭蕉の滞在する落柿舎を訪れて)豆を植える畑にも、薪などを入れておく木部屋も、どれもこれも由緒のある名所の趣がするね、この落柿舎は。(季語)豆植る−夏]

暮に及て去来京b(より)来ル。
膳所(ぜぜ)昌房(しやうぼう)[磯田昌房、膳所(滋賀県大津市)における比較的新入りの蕉門]ヨリ消息(せうそこ)。
大津、尚白(しやうはく)[江佐尚白(えさしょうはく)。千那と共に長年の膳所の門弟だが、後に句集『忘梅』の序文を巡る確執からか芭蕉と乖離する]ヨリ消息有。
凡兆来ル。堅田(かただ)本福寺[その住職であった三上千那のもとを訪れたという意味]訪(おとづれ)テ其(夜)[脱落を補ったもの]泊(とまる)。
凡兆京に帰ル。

廿五日

千那(せんな)、大津ニ帰(かへる)。
史邦(ふみくに)[尾張出身の蕉門。尾張犬山藩に医師として仕えていたこともある]・丈艸(ぢやうそう)[彼ももと尾張犬山藩の藩士だったが、致仕して弟に家督を譲り蕉門となり禅僧じみた生活を行う]被訪(とはる)。

  題落柿舍  丈艸
深對峨峯伴鳥魚
 (ふかくがほうにたいして、ていぎよをともなふ)
就荒喜似野人居
 (くわうにつくのよろこびは、やじんのきよににたり)
枝頭今欠赤[虫+し]卵
 (しとういまかく、せききうのらん)
葉分頭堪學書
 (せいえふだいをわかちて、しよをまなぶにたへたり)

[(略意)深く嵯峨の峯に対峙して鳥や魚と共にあるような落柿舎。荒涼たる秋には野人の住みかのように思われるだろう。しかし今だ柿の実はならずして、柿の若葉ごとに筆書きして、書を学ぶに相応しい様子である。(……でいいのかな。)]

  尋小督墳(こがうのつかをたづぬ)  同
強攪怨情出深宮
 (しひてゑんじやうをみだして、しんきゆうをいづ)
一輪秋月野村風
 (いちりんのしうげつ、やそんのかぜ)
昔年僅得求琴韻
 (せきねんわづかに、きんいんをもとめえたり)
何処孤墳竹樹中
 (いづくにかこふん、ちくじゆのうち)

[小督が怨情(えんじょう)を乱しつつ朝廷から追い出されるようにこの館に隠棲したこの館に、秋月が差し野村の風が吹く頃、かつてかすかな琴の響きを探し求めて、仲国が訪れたという昔物語。いまはその小督の知られぬ塚さえも、竹樹のいずこにあるかさへ分からない。(……でいいのかな。)]

芽出(めだ)しより二葉(ふたは)に茂る柿の實(さね) 史邦

[芽を出すとまずは二葉に別れて、生まれて初めての茂りを見せるものだ、柿の種というものは。(季語)芽出し、茂−夏]

  途中吟
杜宇(ほととぎす)啼(なく)や榎(えのき)も梅桜  丈艸

[ほととぎすの鳴き声にはっと見あげれば、榎木はまるで梅や桜に劣らないような見事さで青葉を誇っているのだった。(季語)杜宇−夏]

  黄山谷(くわうざんこく)之感句
杜門求[正しくは別の漢字]句陳無已 對客揮毫奏少游
 (もんをとぢてくをもとむちんむき
   きやくにたいしてふでをふるふしんせういう)

[門を閉じては句作を求めたという陳無已、訪れた客に乞われて詩作にいそしむ奏少游(どちらも宋代の詩人である)]

 乙州(おとくに)来りて武江の咄(はなし)。并(ならびに)燭五分(しよくごぶ)俳諧[蝋燭が五分に燃え尽きるまでにつくる俳諧連歌のこと]一卷、其内(そのうち)ニ、

  半俗の膏薬入(かうやくいれ)は懐(ふところ)に
臼井の峠馬そかしこき  其角

  腰の簣(あじか)に狂(くる)はする月
野分より流人(るにん)に渡ス小屋一(ひとつ)  同

宇津の山女に夜着(よぎ)を借て寝る
  僞(いつはり)せめてゆるす精進(しやうじん)

 申ノ時計(さるのときばかり)ヨリ風雨雷霆(らいてい)、雹(ひよう)降ル。雹ノ大イサ[=大きさ]三分匆有(さんふんもんめあり)。龍(たつ)空を過る時雹降(ひようふる)。

大ナル、カラモヽノゴトク、少キハ柴栗(しばぐり)ノゴトシ。

廿六日

芽出しより二葉(ふたは)に茂るの柿の實(さね)  史邦
  畠の塵(ちり)にかゝる卯の花  蕉
蝸牛(かたつむり)頼母(たのも)しげなき角振て  去
  人の汲間(くむま)を釣瓶(つるべ)待也  丈
有明に三度飛脚の行哉(ゆくや)らん   乙

廿七日

 人不来(ひときたらず)、終日得閑(かんをえたり)。

廿八日

 夢に杜國(とこく)か事をいひ出して、涕泣(ていきふ)して覚(さ)ム。

 心神(しんしん)[こころ、精神の意]相交(あひまじはる)時は夢をなす。陰尽(いんつき)テ火を夢見(ゆめみ)、陽衰(やうおとろへ)テ水を夢ミル。飛鳥(ひてう)髮をふくむ時は飛るを夢見、帯を敷寝(しとね)にする時は蛇(へび)を夢見るといへり。睡枕記(すゐちんき)・槐安國(くわいあんこく)・荘周夢蝶(さうしうのむてふ)、皆其理(みなそのことわり)有テ妙をつくさず。我夢は聖人君子の夢にあらず。終日忘想散乱の気、夜陰夢(やいんのゆめ)又(また)しかり。誠に此(この)のものを夢見ること、謂所(いはゆる)念夢也(ねんむなり)[六夢のうちの思夢、もの思いによって見る夢のこと]。我に志深く、伊陽(いやう)[生まれ故郷の伊賀のこと]旧里(ふるさと)迄(まで)したひ来りて、夜は床を同じう起臥(おきふし)、行脚(あんぎや)の労(らう)をともにたすけて、百日が程[貞享五年(1688年)の二月から五月初め、「笈の小文」の旅の間のこと]かげのごとくにともなふ。ある時は悲しび、其志(そのこころざし)我(わが)心裏(しんり)に染(しみ)て、忘るゝ事なければなるべし。覚(さめ)て又(また)袂(たもと)をしぼる。

廿九日

一人一首、奧州高舘(たかだち)ノ詩ヲ見ル。

晦日(みそか)

 高舘聳天(たかだちてんにそびえて)星似胄(ほしかぶとににたり)、衣川通海(ころもがはうみにつうじて)月如弓(つきゆみのごとし)。其地風景(そのちふうけい)聊以不叶(いささかもつてかなはず)。古人(こじん)とイへ共(ども)、不至其地時(そのちにいたらざるとき)は不叶其景(そのけいかなはず)。

朔(ついたち)

江州(がうしう)平田、明昌寺(めいしやうじ)[滋賀県彦根市にある浄土真宗の寺、明照寺]李由(りゆう)[門弟の李由は明照寺の十四代目の住職であった]被問(とはる)。

尚白(しやうはく)・千那(せんな)消息有(せうそこあり)。

竹ノ子や喰残(くひのこ)されし後の露  李由

頃日(このごろ)の肌着身に付(つく)卯月哉  尚白

   遣 岐(けんき)[意味は不明]
またれつる五月(さつき)もちかし聟粽(むこちまき)  同

二日

 曾良(そら)来リテよし野ゝ花を尋(たづね)て、熊野に詣(まうで)侍(はべ)るよし。

 武江旧友・門人のはなし、彼是(かれこれ)取(とり)まぜて談ズ。

くまの路や分(わけ)つゝ入(いれ)ば夏の海  曾良

大峯やよしのゝ奧を花の果(はて)

 夕陽(せきやう)にかゝりて、大井川に舟をうかべて、嵐山にそうて戸難瀬(となせ)をのぼる。雨降り出(いで)て、暮ニ及(および)て帰る。

一 三日

 昨夜の雨降つゞきて、終日終夜やまず。猶其(なほその)武江の事共問語(ことどもとひかたる)。既(すで)に夜明(よあく)。

一 四日

 宵に寝ざりける草臥(くたびれ)に終日臥(ふす)。昼b(より)雨降止ム。

 明日は落柿舍を出(いで)んと名残をしかりければ、奧・口の一間(ひとま)/\を見廻りて、

五月雨(さみだれ)や色帋(しきし)へぎたる壁の跡

              (終わり)

2012/

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