松尾芭蕉「笈の小文」の朗読

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笈の小文(おいのこぶみ)の朗読

注意書

・原文に句読点、カギ括弧、段落などは存在しないので、これらは便宜上のものに過ぎません。

・テキストのうち、[緑色]は意味の説明、青文字は本文ではなく、意味を読み取りやすく補った言葉。

・朗読、テキスト共に岩波文庫「芭蕉紀行文集」にもとづく。原文の記入は現代正統とされる歴史的仮名遣いに修正。

笈の小文(おいのこぶみ)  松尾芭蕉

[朗読1]
 百骸九竅(ひやくがいきうけう)[百の骨と九つの穴、すなわち目鼻耳口+二孔の意味で人の肉体を指す]の中に物有(ものあり)。かりに名付て風羅坊(ふうらばう)[風に吹かれる羅(うすもの)のような坊、といった意味]といふ。誠にうすものゝ、かぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ[=芭蕉]狂句[ここでは俳諧連歌のこと]を好(このむ)こと久し。終(ついひ)に生涯のはかりごとゝなす。ある時は、倦(うん)で[嫌になって、飽きて]放擲(ほうてき)せん事を思ひ、ある時はすゝむで人にかたむ事をほこり、是非(ぜひ)[ものの善し悪し]胸中にたゝかうて、是(これ)が為に身安からず。しばらく身を立(たて)む事をねがへども、これが為にさへられ[さえぎられ]、暫(しばら)ク学(まなん)で愚(ぐ)を暁(さとら)ン事をおもへども、是が為に破られ、つひに無能無芸にして、只(ただ)此一筋に繋(つなが)る。西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、論語にあるように、其(その)貫道(くわんだう)する物は一(いつ)なり。しかも風雅[ここでは広く雅に関わる芸術くらいの意味。狭くは俳諧]におけるもの、造化(ざうくわ)[万物を創造化育(そうぞうかいく)するものの意味、万物の流転の働きを示す場合と、すべての創造主、あるいは自然そのものを指す場合もある]にしたがひて四時(しいじ)[春夏秋冬、あるいは月のいとなみの晦(かい)・朔(さく)・弦(げん)・望(ぼう)の事]を友とす。見る処、花にあらずといふ事なし。おもふ所、月にあらずといふ事なし。像(かたち)花にあらざる時は夷狄(いてき)[野蛮な民族といった意味]にひとし。心花にあらざる時は鳥獣(ちやうじう)に類ス。夷狄を出(いで)、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。

旅のはじめ

 神無月(かんなづき)[陰暦十月]の初(はじめ)、空定めなきけしき、身は風葉(ふうえふ)の行末なき心地して、

旅人と我(わが)名よばれん初しぐれ

[旅人と呼んで貰おうか、この初しぐれの中を出発するわたしを。(季語)初しぐれ−冬]

  又山茶花(さざんくわ)を宿/\にして

[以前の旅もそうであったように、再び山茶花を宿とも見立てて行こう。]

 岩城(いはき)の住、長太郎[井手氏。俳号は由之(ゆうし)、福島県小名浜の人で内藤家の家臣だった]と云ふもの、此脇を付て其角亭(きかくてい)[門弟其角の家は江戸の深川にあった]において関送(せきおく)リ[(もともとは逢坂の関まで見送るの意味)旅人を見送ること、送別]せんともてなす。

時は冬よしのをこめん旅のつと

[時は冬である。しかし旅のつと(みやげ)には春は花の吉野(の句)を込めようではないか。(季語)冬−冬]

 此句は露沾(ろせん)公[内藤義英(よしひで)(1655-1733)磐城(いわき)平藩主内藤義概(よしむね)、俳名風虎の子。藩主は継げず。俳諧を好む。水間沾徳(みずませんとく)など俳諧において活躍する家臣を育てもした]より下(くだ)し給(たま)はらせ侍(はべ)りけるを、はなむけの初(はじめ)として、旧友、親疎(しんそ)[親しい人と親しくない人]、門人等(ら)、あるは詩歌(しいか)文章をもて訪(とぶら)ひ、或(ある)は草鞋(わらぢ)の料(れう)[草鞋代、つまり餞別のこと]を包(つつみ)て志を見す。かの三月[読みは「みつき」の方が良いか?]の糧(かて)を集むるに力を入れず[「荘子」の中の「千里をゆくく者、三月(さんげつ)糧をあつむ」より]。紙布(かみこ)[紙製の保温性の高い衣服]・綿小(わたこ)[真綿の防寒着]などいふもの、帽子[頭巾]したうづ[下ぐつ。足袋(たび)]やうのもの、心/\に送りつどひて、霜雪(さうせつ)の寒苦(かんく)をいとふに心なし。あるは小船をうかべ、別墅(べつしよ)にまうけし[別荘で宴会の用意をし]、草庵に酒肴(さけさかな)携(たづさへ)へ来(きた)りて行衛(ゆくへ)を祝し、名残ををしみなどするこそ、ゆゑある人[高貴な人、名に覚えのある人]の首途(かどで)するにも似たりと、いと物めかしく[ひとかどの者であるかのように]覚えられけれ。

 抑(そもそも)、道の日記といふものは、紀氏(きし)[紀貫之の「土佐日記」]・長明[鴨長明の「東関紀行(とうかんきこう)」。今日、鴨長明執筆は否定されている]・阿仏(あぶつ)の尼[阿仏尼の「十六夜日記」]の、文(ぶん)をふるひ情(じやう)を尽してより、余(よ)[それ以外]は皆俤(おもかげ)似かよひて、其(その)糟粕(さうはく)を改(あらたむ)る事あたはず。まして浅智短才(せんちたんさい)の筆に及(およぶ)べくもあらず。

 其(その)日は雨降(ふり)、昼より晴て、そこに松有(あり)。かしこに何と云(いふ)川流れたりなどいふ事、たれ/\もいふべく覚侍(おぼえはべ)れども、黄奇蘇新(くわうきそしん)[中国、宋の詩人、黄山谷(こうさんこく)(黄庭堅・こうていけん)の奇抜さ、蘇東坡(そとうば)(蘇軾・そしょく)の新奇さを述べた言葉]のたぐひにあらずばわざわざそのような瑣事は云(いふ)事なかれ。されども其(その)所/\の風景心に残り、山館(さんくわん)・野亭(やてい)[山中や野中の宿のこと]のくるしき愁(うれひ)も、且(かつ)ははなしの種となり、風雲の便(たよ)りともおもひなして、わすれぬ所/\、跡(あと)や先やとその場その場に紙と筆を取りて書集(かきあつめ)侍(はべ)るぞ、猶(なほ)酔ル者の[りっしんべん+孟]語(まうご)[猛語=いきおいよく言う言葉、の意味か?、あるいは妄語=嘘めいた言葉の意味か?]にひとしく、いねる人の譫言(うはごと)するたぐひに見なして、人又亡聴(ぼうちやう)[=妄聴(ぼうちょう)でいい加減に聞き流すの意味か?]せよ。

名古屋、濃尾半島など

  鳴海(なるみ)にとまりて
星崎(ほしざき)の闇を見よとや啼千鳥(なくちどり)

[月もない夜に千鳥がしきりに頻りに鳴いているのは、星崎の名称だけに、月もない闇夜を見よと鳴いているのであろうか。(季語)千鳥−冬]

[今日云うところの愛媛県鳴海市(名古屋や熱海の近く)に、門人の酒屋、下里知足(そもさとちそく)を訪れそこに泊まった時の句。月の無いのを残念がる知足を慰めて。「星」と「闇」とは縁語にして、千鳥は闇を読む事が多い伝統にもとずく。]

 飛鳥井雅章(あすかゐまさあき)公[(1611-1679)江戸時代初期の公家、歌人。北村季吟は和歌に於ける彼の弟子である]の、此宿(このしゆく)にとまらせ給ひて、

「都も遠くなるみがた、はるけき海を中にへだてゝ」

[都も遠くなる鳴海の潟よ、はるかに海をへだてて、次の宿場(桑名)のある鳴海の潟よ。といった意味。省略された和歌のはじめの五は「うちひさす」である。]

と詠じ給ひけるを、自(みずから)かゝせたまひて、たまはりけるよしをあるじがかたるに、

京まではまだ半空(なかぞら)や雪の雲

[ここから京へ向かうまではまだ半ばであるに、中空には雪の雲が垂れ込めていることだ。(季語)雪の雲−冬]

 三川の國(くに)、保美(ほび)[愛知県田原市保美は渥美(あつみ)半島の先端の方。ちなみに先の岬が伊良湖岬(いらござき)]といふ処に、杜国(とこく)[坪井杜国。蕉門。名古屋の米商人で、空売の咎で渥美半島に追放された]がしのびて有(あり)けるをとぶらはむと、まづ越人(ゑつじん)[越智越人。蕉門。越後生まれの、名古屋の紺屋(こんや)(染物屋のこと)]に消息して、鳴海(なるみ)より跡(あと)ざまに二十五里尋(たづね)かへりて、其夜(そのよ)渥美半島の付け根の吉田[愛知県豊橋市]に泊る。

寒けれど二人寐る夜ぞ頼もしき

[このような寒さであるけれど、(越人と)二人で寝る旅の夜であるから心強いことである。(季語)寒けれど−冬]

 あまつ縄手(はなて)[渥美半島西岸のたんぼ道]、田の中に細道ありて、海より吹上(ふきあぐ)る風いと寒き所也(なり)。

冬の日や馬上に氷る影法師

[寒き風のなかを行く我は、冬の日の馬上に影法師さえも凍りついているありさまだ。(季語)冬の日、氷る−冬]

 保美村(ほびむら)より伊良古崎(いらござき)[渥美(あつみ)半島の先端部の岬、歌枕としても知られる]へ壱里斗(ばかり)も有(ある)べし。三河の國の地つゞきにて、伊勢とは海へだてたる所なれども、いかなる故(ゆへ)にか、万葉集には伊勢の名所の内に撰入(えらびいれ)られたり。此洲崎(すさき)[洲が長く差し出て崎となった場所]にて碁石(ごいし)[碁石貝、これを削って白の碁石を作った]を拾ふ。世にいらご白(じろ)といふとかや。骨山(ほねやま)[岬先端の小山]と云(いふ)は鷹を打(うつ)処なり。南の海のはてにて、鷹のはじめて渡る所といへり。いらご鷹など、歌にもよめりけりとおもへば、猶(なほ)あはれなる折(おり)ふし、

鷹一つ見付てうれしいらご崎

[鷹の歌われる歌枕としても知られる伊良湖岬で、鷹を一羽見つけたときの嬉しさよ。(季語)鷹−冬]

  熱田(あつた)[=熱田神宮]御修覆(みしゆふく)
磨(とぎ)なほす鏡も清し雪の花

[研ぎ直したばかりの鏡さえも清らかである。それはまるで雪を清らかな花に見立てて雪の花と呼ぶようなものだ。(俳諧的には雪の風景として詠むが宜しかれど、この句に関しては比喩の方強く感ぜらるゝは我のみか)]

[「野ざらし紀行」の時に荒廃した姿を眺めた熱田神宮も貞享三年(1686年)に修復を終えて、この年貞享四年には見違える姿となって芭蕉を喜ばせた。その修復後の熱田神宮を詠んだもの。]

 蓬左(ほうさ)[熱田神宮(蓬莱宮・ほうらいぎゅう)の左。つまり神宮西側の地域]の人〃にむかひとられて[次の句は美濃屋聴雪の亭に宿しての俳諧連歌、半歌仙の立句(たてく)、すなわち発句である]、しばらく休息する程

箱根こす人も有(ある)らし今朝の雪

[今朝は一面の雪だというのに、このような中にも箱根を越す人もはあるのだろうなあ。(季語)雪−冬]

  有人(あるひと)の会
ためつけて雪見にまかるかみこ哉

正装することも出来ず、せめてためつけて(きれいに整えて)雪見に出かけて来たのですよ。この紙衣(かみこ)を着て。(季語)雪見、かみこ−冬]

[ある人の会とは名古屋の昌碧会においてで、あるじへのあいさつを兼ねた句になっている。これを立句とする歌仙が残されている]

いざ行(ゆか)む雪見にころぶ所まで

[さあ行こうよ。雪を見に行こうよ。足のもつれてころぶところまでだって、さあさあ雪見に行こうよ。(名古屋は夕道亭(せきどうてい)での句)(季語)雪見−冬]

  ある人興行[名古屋、防川亭]
香を探る梅に蔵見る軒端(のきば)哉(かな)

[梅の香りがするのでどこであろうと探っていたら、つい蔵を見つけた。その蔵の軒端のあたりに梅があったのである。(この蔵は裕福な亭主を讃えたあいさつを兼ねている)(季語)香を探る梅−早梅、探梅は冬になる]

 此間(このかん)、美濃・大垣・岐阜の俳諧のすきものとぶらひ来りて、歌仙(かせん)、あるは一折(ひとをり)など[どちらも俳諧連歌の種類。歌仙は三十六句、一折はその半分の十八句よりなる]度〃(たびたび)に及(およぶ)。

伊賀より伊勢あたり

 師走(しはす)[陰暦十二月]十日余(あまり)、名ごやを出(いで)て、旧里(ふるさと)の伊賀に入(いら)んとす。

旅寝してみしやうき世の煤(すす)はらひ

[うき世では家中の埃を払う煤払い(陰暦十二月十三日、あるいはそれ以降に行う)の大掃除が行われているというのに、わたしはそれをうき世から離れた旅人として眺めていることだ。(季語)煤はらひ−冬]

「桑名よりくはで来ぬれば」[西行「桑名よりくはで来ればほし川の朝けは過て日ながにぞ思ふ」]と云(いふ)日永(ひなが)の里[三重県四日市市]より、馬かりて杖つき坂(つゑつきざか)上るほど、荷鞍(にぐら)うちかへりて馬より落(おち)ぬ。

歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬(らくば)哉(かな)

[徒歩ならば辛くて杖をつきながらでも無事に登れたものを、なまじ馬に乗ったものだから杖つき坂で落馬してよほど酷い目にあったものだ。(季語)杖つき坂−名所にて無季]

[杖突坂は、三重県四日市市から鈴鹿市の間にある坂で、ヤマトタケルの命が伊吹山の神の祟りにあってやつれ果て、よろよろと杖をついてようやく登ったといわれる坂で、その逸話を踏まえたもの。]

と物うさ[辛い、苦しい/嫌だ、気が進まない]のあまり云出(いひいで)侍(はべ)れ共(ども)、終(つひ)に季(き)ことばいらず。

旧里(ふるさと)や臍(ほぞ)の緒(を)に泣(なく)としの暮

[故郷へ戻れば今はほぞの緒に繋がれていたはずの母親もなく、ただ大切に保存されている自分と母親の形見であるほぞの緒を手にして、なみだをながすばかりである。長年生きてきたこの歳の暮に。(季語)としの暮−冬]

 宵のとし[大みそかの夜のこと]、空の名残をしまむと、酒のみ、夜ふかして、元日寐わすれたれば、

二日にもぬかりはせじな花の春

[元日一日はだらしなくしくじってしまったが、たとえ二日になろうとも、この二日こそはぬかったりはしないぞ、花の春を迎えて目覚めの朝を迎えることを。(季語)花の春−初春、元日]

  初春
春立(たち)てまだ九日(こゝのか)の野山哉(かな)

[立春を迎えてまだ九日の野山だなあ。(寒さの中にもどこか春の気配が感じられるようであるが、そうは言ってもまだまだ冬の気配が濃厚である)(季語)春立て−初春]

枯芝ややゝかげろふの一二寸

[冬の殺風景な枯れ芝の中にも、春のきざしの陽炎(かげろう)がほんの一二寸ばかりちろちろと見えているようだ。(そうは言ってもまだまだ寒いなあ。)(季語)かげろふ−春]

 伊賀の國、阿波(あは)の庄[三重県伊賀市]といふ所に、俊乗上人(しうんじようしやうにん)[重源(ちょうげん)(1121-1206)浄土宗の僧で東大寺を再興した人物]の旧跡有(あり)。護峰山(ごほうざん)新大仏寺(しんだいぶつじ)とかや云(いふ)。名ばかりは千歳(ちとせ)の形見(かたみ)となりて、伽藍(がらん)は破れて礎(いしずゑ)を残し、坊舎(ばうしや)は絶(はえ)て田畑と名の替(かは)り、丈六(じやうろく)[一丈六尺の意味。つまり十六尺、尺の統一は明治の後だが、取りあえず一尺約30.3cm]の尊像は苔(こけ)の緑(みどり)に埋(うづもれ)て、その尊像の御(み)ぐしのみ現前(げんぜん)[今目の前に]とをがまれさせ給ふに、聖人(しやうにん)の御影(みえい)はいまだ全(まつたく)おはしまし侍(はべ)るぞ、其代(そのよ)の名残うたがふ所なく、泪(なみだ)こぼるゝ計也(ばかりなり)。石の蓮台(れんだい)[蓮華の台座、仏像の座]、獅子(しし)の座[獅子の座るところから、仏の座るところの意味]などは、蓬(よもぎ)・葎(むぐら)の上に堆(うづたか)ク、双林(さうりん)[釈迦が入滅のさいに真っ白に転じたという沙羅双樹(さらそうじゅ)のことだが、これは熱帯樹なので、日本で間違えられて沙羅双樹とされてきた夏椿(なつつばき)のことと思われる]の枯(かれ)たる跡も、まのあたりにこそ覚えられけれ。

丈六にかげろふ高し石の上

[その石の上には、まるで丈六(約四,八メートル)の尊像のおもかげを忍ぶようにかげろうが立ちのぼっていて、その尊像の姿をこころのうちに描き取らせてくれるようだ。(季語)かげろふ−春]

さまざまの事おもひ出す桜哉(かな)

[そのままの意味だが、若い頃芭蕉が使えた藤堂良忠(とうどうよしただ)(俳号蝉吟)の子、良長(よしなが)(俳号探丸)主宰の花見の席での句なので、おそらく直接的に俳諧を志すきっかけとなった良忠を想い計っての句と思われる。]

  伊勢山田
何の木の花とはしらず匂哉

[(伊勢神宮の外宮に詣で、西行の「何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさの涙こぼるる」を受けて)何の木の花の香りかは分からないが、神々しくも思わせるような花の香りが漂って来ることだ。(季語)花−春]

裸にはまだ衣更着(きさらぎ)の嵐哉

[(増賀(ぞうが)上人が名利を捨てよとの顕現を受けて裸で下向した話を受けて)すべての名利を捨てられればとは思うけれども、今はまだ如月(きさらぎ)(陰暦二月)であるし、風は嵐のように吹いているし、着物はだまだ着ていたいものであるし……(季語)更衣着−春]

  菩提山(ぼだいさん)
此山(このやま)のかなしさ告よ野老掘(ところほり)

[いかなる故にて、伊勢の神宮寺である菩提山は、このように荒廃した姿を晒しているのか。野老掘よ、どうか教えて欲しい。(季語)野老掘−春]

[野老(ところ)は山野に自生するヤマノイモ科の蔓性多年草。根が山芋のように太るが、毒気がありあく抜きしないと食用とならない。根のひげ状のものを干して、正月の蓬莱飾りにも使用。花は夏であるが、野老掘は春の季語となっている。しかし、ここでは単に自然薯(じねんじょ)の意味で使用していると思われる。]

  龍尚舎(りゆうしやうしや)
物の名を先(まづ)とふ芦(あし)のわか葉哉

[伊勢神宮の神官でもあり学者としても知られる龍尚舎(俳号)よ、あなたにあったらまず、ここでは芦の若葉が何と呼ばれているか尋ねてみよう、なにしろ芦には様々な呼び名があるのだから。(季語)わか葉−春]

  網代民部(あじろみんぶ)雪堂(せつだう)に会(あふ)
梅の木に猶(なほ)やどり木や梅の花

[伊勢神宮の神官でもある雪堂(俳号)よ、あなたの父親の俳諧への熱意が、あなたに移って新しい花を咲かせるように、古い梅の木にやどりした新しい梅の枝から、すばらしい花が咲いていることだ。(季語)梅−春]

  草庵会(そうあんのくわい)
いも植(うゑ)て門(かど)は葎(むぐら)のわか葉哉

[草庵の会(大江寺にて開催)というに相応しく、あたりには芋を植えて、門には葎の若葉がすがすがしいものだ。(季語)若葉−春]

 神垣(かみがき)[神社のまわりの垣。三室山の枕詞でもある]のうちに梅一木(ひとき)もなし。いかに故有(ゆゑある)事にて梅無からんにやと、神司(かんづかさ)などに尋(たづね)侍れば、只(ただ)何とはなし、をのづから理由もなく梅一(ひと)もともなくて、子良の館(こらのたち)[物忌(ものいみ)の子等の館。伊勢神宮の巫女や神楽に奉仕する少女等の住む館の事]の後(うしろ)にのみ、一もと侍るよしをかたりつたふ

御子良子(おこらご)の一(ひと)もとゆかし梅の花

[梅を探り求めるに一つもみつからず、ようやく御子良子の館にのみ一もと咲いている梅の花であればこそ、なおさら心引かれるものであるよ、この梅の花は。(季語)梅の花−春]

神垣(かみがき)やおもひもかけずねはんぞう

[伊勢であれば神域であると思っていると、想いも掛けずに釈迦の入滅を供養する涅槃会にお馴染みの、涅槃像が奉られていたことである。(季語)涅槃像−春]

吉野へ

[朗読2]
 弥生(やよひ)[陰暦三月]半過(なかばすぐ)る程、そゞろに浮き立(たつ)心の中に描く桜の花の、我を道引(みちびく)枝折(しをり)[山道などで枝を折って戻りの道しるべなどにしたもの。書籍のいわゆる栞(しおり)はここから来ている]となりて、よしのゝ花におもひ立(たゝ)んとするに、かのいらご崎にてちぎり置し人[杜国(とこく)の事]の、いせ[=伊勢]にて出(いで)むかひ、ともに旅寐のあはれをも見、且(かつ)は我為(わがため)に童子(わらべ)となりて、道の便リにもならんと、自(みづから)万菊丸(まんぎくまる)と名をいふ。まことにわらべらしき名のさま、いと興有(あり)。いでや門出(かどで)のたはぶれ事せんと、笠のうちに落書(らくがき)ス。

  乾坤無住同行二人
    (けんこんむじゆうどうぎやうににん)
よし野にて桜見せうぞ檜の木(ひのき)笠

よし野にて我も見せうぞ檜の木笠  万菊丸

[前書きは「乾坤、すなわち天地に住むところ無く同行するもの二人」の意味で、巡礼などで笠に記す常套句。意味は、芭蕉が「吉野ではお前にも桜を見せてやろう」と檜の木笠に訴えると、万菊丸が「俺も見せてやるぜ」と答えたもの]

 旅の具多きは道ざはりなりと、物皆払捨(はらひすて)たれども、夜の料(れう)[寝るためのもの]にとかみこ壱(ひと)つ、合羽(かつぱ)やうの物、硯(すずり)、筆、かみ、薬等、昼笥(ひるげ)[昼食を入れる器。弁当箱]なんど物に包(つつみ)て、後(うしろ)に背負(せおひ)たれば、いとゞ[「ただでさえ〜なのに」]すねよわく力なき身の、跡(あと)ざまにひかふる[「控ふる」進まずにとどまる]やうにて、道猶(なほ)すゝまず、たゞ物うき事のみ多し。

草臥(くたびれ)て宿かる比(ころ)や藤の花

[「旅に疲れて宿を探し求めていると、豊かに咲いている藤の花を見つけたことである」あるいは、「夕暮れのおぼろな大気に溶け込むような藤の花を見かけて立ち止まれば、一日の旅の疲れも思われて、日足の伸びゆく春につけても、そろそろ宿を借りる頃になったものだなあ」と読むべきか。(季語)藤の花−春]

  初瀬(はつせ)
春の夜や籠(こも)リ人(ど)ゆかし堂の隅

[奈良県桜井市にある長谷寺(はせでら)において。(初瀬に拝めば恋が成就すると言われるが)寒さも弛み、艶なるものに慕わしい春の夜ならばこそ、(あるいはその恋の成就を祈願しているのであろうか)、この堂の隅に籠もっていのりを捧げる参籠者(さんろうしゃ)の姿もまた、慕わしいものに思われることだ。(季語)春の夜−春]

足駄(あしだ)はく僧も見えたり花の雨  万菊

[(おそらく上の句に答えて、春の初瀬に似つかわしいものとしては)草履ではなく下駄を履いている僧のちらと見えたものであるよ。さくらの花を湿らせる春の雨のなかに。(季語)花の雨−春]

  葛城山(かづらきやま)
猶みたし花に明行(あけゆく)神の顔

[葛城山の神、一言主(ひとことぬし)は、自らの醜さに恥じ入って夜にしか姿を見せないという。このような花の盛りに見とれて夜明けまでの時を過ごす神の姿を、美しい花のしたになおさら眺めてみたい気がするよ。(季語)花−春]

  三輪(みわ) 多武峯(たふのみね)
  臍峠(ほそたうげ)
      多武峯ヨリ龍門ヘ越道也
雲雀(ひばり)より空にやすらふ峠哉

[高く険しい細峠(ほそとうげ)に疲れた足を休めるとき、高く昇る雲雀の声が下から響いてきた。自分は雲雀よりもっと空で休んでいるのだなあ、この峠で。(季語)雲雀−春]

  龍門(りゆうもん)
龍門の花や上戸(じやうご)の土産(つと)にせん

[(奈良県吉野町にある龍門の瀧を見て)龍の通い口に咲くようなこの瀧の花を、その壮大なスケールに見合うほどの大酒飲みの土産にしたいものだ。(季語)花−春]

酒のみに語らんかゝる瀧の花

[(前の句に続いて)そうしてしぶきのかかる瀧の花の姿を、この龍門の花の姿を、酒飲みに語ってやるのだ。(季語)花−春]

[上二句、李白との関連が指摘され。それと共に花は桃の花であるという説もある。]

  西河(にしかう)
ほろ/\と山吹ちるか瀧の音

[(吉野川の急流である西河を見て)瀧の響きの中に山吹がほろほろと散っている。ほろほろは心の響きであるに過ぎないものを、なおかつ激しい瀧のみ響き渡る中にあって、ほろほろとして山吹の散りかかるのは不思議なものだ。(ちと読み遊び)(季語)山吹−春]

  蜻[虫+鳥]が滝(せいめいがたき)
布留(ふる)の滝は、布留の宮より二十五丁山の奥也。

[次の部分省略したが、「せいめいがたき」よりしばらく草稿下書き風の状態なり]

  桜
桜がりきどくや日ゝ(ひび)に五里六里

[桜狩りをするために日々に五里六里を歩き回るとは、なんとまあ自分は奇特(きとく・きどく)な奴なのだろう。(さくら馬鹿よ、まさにさくら馬鹿)(季語)桜がり−春]

日は花に暮てさびしやあすならう

[今日こそすべてと咲き誇る、花の美しさのうちに日は暮れて、明日こそは、明日こそは檜になろうとささやいて、変わらぬままのあすなろの木が、さびしそうに傍らにたたずんでいる。(季語)花−春]

扇にて酒くむかげやちる桜

[役者に興じ、扇を杯に見立てて酒をくむ真似をすれば、いよいよ桜の花は豊かに散っていることだ。(季語)ちる桜−春]

  苔清水(こけしみず)
春雨のこしたにつたふ清水哉

[(西行上人ゆかりの「とくとくの清水」を訪れて)春雨のしたたりて樹の下をつたって流れ着いたのだろうか、この清らかな水は。(季語)春雨−春]

 よしのゝ花に三日とゞまりて、曙(あけぼの)、黄昏(たそがれ)のけしきにむかひ、有明(ありあけ)の月の哀(あはれ)なるさまなど、心にせまり、胸にみちて、あるは摂章公(せつしやうこう)[九条良経(くじょうよしつね)(1169-1206)あるいは後京極良経(ごきょうごくよしつね)のこと]のながめにうばゝれ、西行の枝折(しをり)にまよひ[新古今集「吉野山こぞの枝折の道かへてまだ見ぬ方の花を尋ねむ」]、かの貞室(ていしつ)[安原貞室(1610-1673)貞門派の俳諧師]が「是は/\」[曠野(あらの)「これは/\とばかり花の吉野山」]と打なぐりたるを見るに、われいはん言葉もなくて、一句をも作れず、いたづらに口をとぢたる、いと口をし。おもひ立(たち)たる風流、いかめしく[おごそかである、立派である]侍れども、爰(ここ)に至りて無興(ぶきよう)[興の醒める、白けること]の事なり。

高野より和歌の浦

  高野(かうや)
ちゝはゝのしきりにこひし雉(きじ)の声

[(和歌山県伊都郡高野町にある真言宗の金剛峯寺にて)雉の声のするのを聞いていると、その鳴き声のうちに込められた思いか知れないが、父母のすがたがしきりに恋しく思われるようだ。(季語)雉−春]

[「玉葉集」にある行基(ぎょうき)の「山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」が高野山で読まれたことにちなむ。]

ちる花にたぶさはづかし奥の院  万菊

[たぶさ(髪を頭のうえに束ねた「もとどり」のこと)に桜の花の散りかかるとき、聖なる奥の院にあって俗人のままのこの姿が恥ずかしく思われたものだ。(季語)ちる花−春]

  和歌(わか)
行(ゆく)春にわかの浦にて追付(おひつき)たり

[(和歌山県和歌山市南部にある和歌の浦にて)高野山より西へと下るに従い、高野の遅き春は行き過ぎて、戻らぬような錯覚に捕らわれたものを、ここ和歌の浦に出でてみれば、いまだ春の気配を残している。これはまるで、海を越えて去りゆく春に、別れの際に追いついたようではないか。(季語)行春−春]

  きみ井寺

 跪(きびす)はやぶれて西行にひとしく、天龍(てんりゆう)の渡し[天竜の渡しで西行が舟順を間違えて打たれた逸話のこと]をおもひ、馬をかる時は、いきまきし聖(ひじり)の事[高野証空上人が馬から堀に落ちて馬子を罵った逸話]心に浮ぶ。山野海浜(さんやかいひん)の美景に造化(ざうくわ)の功を見、あるは無依(むえ)の道者[失着を捨てたる修業の僧]の跡をしたひ、風情(ふぜい)の人の実(まこと)をうかがふ。猶栖(なほすみか)を去りて、器物のねがひなし。空手(くうしゆ)なれば途中の愁(うれひ)もなし。寛歩(くわんぽ)駕(が)にかへ、晩食(ばんしよく)肉よりも甘し[穏やかに歩くことを以て駕籠には乗らず、遅く宿にする食事は肉を喰らうよりも美味しい]。とまるべき道にかぎり[=目的地]なく、立(たつ)べき朝(あした)に出発すべき時なし。只(ただ)一日のねがひ、二つのみ。こよひ能(よき)宿からん、草鞋(わらぢ)のわが足によろしきを求んと斗(ばかり)は、いさゝかのおもひなり。時〃気を転じ、日ゝに情をあらたむ。もしわづかに風雅ある人に出合たる、悦(よろこび)かぎりなし。日比(ひごろ)は古めかしく、かたくなゝりと悪(にく)み捨(すて)たる程の人も、辺土(へんど)の道づれに出逢ってかたりあひ、はにふ[埴(はに)と呼ばれる赤土のある土地のこと]・むぐら[ヤエムグラなどの雑草の総称]のうちにてあらためて見出(みいだ)したるなど、瓦石(ぐわせき)のうちに玉を拾ひ、泥中(でいちゆう)に金(こがね)を得たる心地して、物にも書付(かきつけ)、人にもかたらんとおもふぞ、又是(またこれ)旅のひとつなりかし。

  衣更(ころもがへ)
一つぬいで後(うしろ)に負(おひ)ぬ衣がへ

[更衣ともなれば夏服に替えるためにすることも多いはずなのに、いまは旅路にあるものだから、ただひとつ脱いでそれで更衣を済ませたものである。(季語)衣がへ−夏]

吉野出て布子(ぬのこ)売たし衣がへ  万菊

[背中に背負うとは言っても、綿の入った布子(ぬのこ)などは邪魔になるものだから、いまは風流の旅よりも、吉野を出て、これを売っちまいたいものだ。(季語)衣がへ−夏]

奈良

 灌仏(くわんぶつ)の日[陰暦四月八日は釈迦の誕生日として祝われるが、それを灌仏会(かんぶつえ)という。今日ではもっぱら新暦で行うか]は、奈良にて爰(ここ)かしこ詣(まうで)侍(はべ)るに、鹿(しか)の子を産(うむ)を見て、此(この)日において釈迦に合わせて生まれたということがをかしければ、

灌仏の日に生れあふ鹿の子(かのこ)哉(かな)

[なんとまあ灌仏の日に生まれ合わせる鹿の子とは。(季語)灌仏、鹿の子−夏]

 招提寺(せうだいじ)[奈良市五条町の唐招提寺のこと。鑑真が建立した、律宗(南都六宗のひとつ)の総本山]鑑真和尚(がんじんをしやう)[(688-763)唐に生まれ苦難の果てに日本入りを果たした僧]来朝の時、船中七十余度の難をしのぎたまひ、御目(おんめ)のうち塩風吹入(ふきいり)て、終(ついひ)に御目盲(めしい)させ給ふ尊像[今日御影堂に収められて五月六日の開山忌に開帳される鑑真和上像のこと]を拝して、

若葉して御めの雫(しづく)ぬぐはゞや

[鑑真和尚が日本で遂に見ることの出来なかった、この国の美しい若葉でもって、その像から流れ落ちるように思われるそのなみだを、ぬぐって差し上げたい。(季語)若葉−夏]

  旧友に奈良にてわかる
鹿の角先(まづ)一節(ひとふし)のわかれかな

[(伊賀上野の旧友、猿雖(えんすい)、卓袋(たくたい)、梅軒などと奈良にて会い、かつ別れるに際して)新しく生え伸びる鹿の角の、これからも別れ別れしていくであろうその枝分かれの、まずはひと節目の別れのように、私たちもいまは別れようではないか。(季語)全体−鹿の角別れ−夏]

[牡鹿の角の毎年落ちて、春に生え替わっては、夏に新しく伸びゆくその営みに、別れを重ね合わせたもの。]

  大坂(おほざか)にて、ある人のもとにて
杜若(かきつばた)語るも旅のひとつ哉

[(加賀の小杉一笑とは別人であるところの、もっとも古き俳諧仲間、大阪の保川一笑・いっしょうの許にて)伊勢物語に、在原業平が三河の八橋において「から衣きつゝなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」と詠んだという杜若。そのような想いを語り合うのも、また旅のひとつであるよ。(季語)杜若−夏]

須磨(すま)

  須磨
月はあれど留守(るす)のやう也(なり)須磨の夏

[源氏物語に限らず「秋こそあはれ」とされる須磨であればこそ、夏に訪れて月を眺めれば、あるじが留守であるように思われてならないものだ。(季語)夏]

月見ても物たらはずや須磨の夏

[ああ月を見ても、なにかが足りないような気持ちがするなあ、須磨の夏は。(季語)夏]

 卯月(うづき)[陰暦四月]中比(なかごろ)の空も朧(おぼろ)に残りて、はかなきみじか夜の月もいとゞ艶(えん)なるに、山はわかにくろみかゝりて、時鳥ほとゝぎす鳴出(なきい)づべきしのゝめ[東の空わずかにあからむほどの明け方]も、海の方よりしらみそめたるに、上野(うへの)[須磨寺付近の地を指す]とおぼしき所は、麦の穂浪(ほなみ)あからみあひて、漁人(あま)の軒ちかき芥子(けし)の花の、たえ/”\に見渡さる。

海士(あま)の顔先(まづ)見らるゝやけしの花

[留守のようだと思っていた須磨の浜だが、けしの花の中に海士(あま)の顔を見かけたとき、ふと「もののあはれ」に触れたような気がしたことだ。(季語)けしの花−夏]

 東須磨・西須磨・浜須磨と三所にわかれて、あながちに何わざするとも見えず。「藻塩(もしほ)たれつゝ」[古今集の「わくらばに問ふ人あらばすまの浦に藻塩たれつゝわぶと答へよ」(在原業平)とある歌を指す]など、歌にもきこえ侍るも、いまはかゝるわざ[藻塩焼きによる塩作り]するなども見えず。「きすご」[鱚(きす)のこと。ここではシロギスか]といふうをゝ網(あみ)して、真砂(まさご)の上にほしちらしけるを、からすの飛来(とびきた)てつかみ去ル。是(これ)をにくみて弓をもておどすぞ、海士(あま)のわざとも見えず。若(もし)かしたら、古戦場の名残をとゞめて[エンディングに向けて、次第に源平合戦へと想いを傾斜していく]、かゝる事をなすにやと、いとゞ罪ふかく、そうは思えども、一方では猶(なほ)むかしの恋しきまゝに、てつかいが峯[神戸市西方、一ノ谷を見おろす位置にあり、源義経はこの峯に至り、鵯越(ひよどりごえ)から一ノ谷へと奇襲を行ったとされる]にのぼらんとする。導(みちび)きする子のくるしがりて、とかくいひまぎらはすを、さま/”\にすかして、「麓の茶店にて、物くらはすべき」など云(いひ)て、わりなき体(てい)[分別がない様子]に見えたり。そうは言っても、かれは十六と云(いひ)けん里の童子(わらべ)[義経を鵯越へと案内したという熊王こと、鷲尾義久(わしおのよしひさ)のこと]よりは、四つばかりもおとうとなるべきを、数百丈の先達(せんだつ)として、羊腸険岨(やうちやうけんそ)[山道などが、羊の腸のように曲がりくねっていて、しかも険しいこと]の岩根(いはね)をはひのぼれば、すべり落(おち)ぬべき事あまたゝびなりけるを、つゝじ・根ざゝにとりつき、息をきらし、汗をひたして、漸(やう/\)雲門(うんもん)[雲の出入りするという門、高峯]に入(いる)こそ、心もとなき導師[つまり「わりなき体」の導きする子のこと]のちからなりけらし。

須磨のあまの矢先(やさき)に鳴か郭公(ほとゝぎす)

[干し魚を取りに来る鳥どもを威すと云っては弓矢をつがえる須磨の海士(あま)どもの、まるでいにしえの戦を留めたるかのような仕草。ほととぎすは、その弓矢の先に鳴いているのであろうか。(季語)郭公−夏]

ほとゝぎす消行方(きえゆくかた)や嶋一ツ

[ほととぎすの声の消えゆく方へはっとして目をやれば、遠くへ淡路島がぽかんと浮かんでいることだ。(季語)ほとゝぎす−夏]

須磨寺やふかぬ笛きく木下(こした)やみ

[かつて源平の古戦場にいのちを散らした平敦盛(たいらのあつもり)、彼の遺愛の笛を収めるこの須磨寺の木の下の暗がりで、その若き名手の笛の音を聞いたような錯覚に捕らわれた。(季語)木下やみ−夏]

  明石夜泊(あかしやはく)
蛸壺(たこつぼ)やはかなき夢を夏の月

[捕らえられた事も知らず蛸壺に安らかに眠り、夏の月の下ではかない夢を見ているのであろうか……(季語)夏の月−夏]

須磨の浦

 かゝる所の秋なりけり[このフレーズは『源氏物語』の『須磨』による]とかや。此(この)浦の実(まこと)は、秋をむねとするなるべし。かなしさ、さびしさ、いはむかたなく、秋なりせば、いさゝか心のはしをもいひ出(いづ)べき物をと思ふぞ。我(わが)心匠(しんしやう)[心の中に思い巡らすこと。ここでは詩を思い描くこと]の拙なきをしらぬに似たり。[秋であれば詩も生まれそうなのに、夏であるから句の生まれないと考えるのは、自らの才能の乏しさを誤魔化しているだけなのだろうか。といった意味になる]淡路嶋(あはぢしま)手に取るやうに見えて、すま・あかしの海右左にわかる。呉楚東南の詠[杜甫の『登岳陽楼(がくようろうにのぼる)』の詩に「呉楚東南にさけ、乾坤日夜浮かぶ」とあるもの]もかゝる所にや。物しれる人の見侍らば、さま/゛\の境(さかひ)にもおもひひなぞらふるべし。

 又後(またうしろ)の方(かた)に山を隔てゝ、田井の畑(たゐのはた)[神戸市須磨区多井畑]といふ所、松風(まつかぜ)・村雨(むらさめ)[在原業平の寵愛を受けたという海女の姉妹のこと]ふるさとゝいへり。尾上(おのえ)[山の高いところ、いただき、峯]つゞき、丹波路(たんばぢ)へかよふ道あり。鉢伏(はちぶせ)のぞき、逆落(さかおとし)[どちらも鉄枴が峯にあり、源義経が一ノ谷で平家を攻略したときの名所として知られる]など、おそろしき名のみ残(のこり)て、鐘懸松(かねかけまつ)[鉄枴が峯にあり、義経が陣鐘(じんがね)を掛けたととされる松]より見下(みおろす)に、一ノ谷内裏(だいり)やしき[義経が攻略したであろう平家の陣地を指す]、めの下に見ゆ。其代(そのよ)のみだれ、其時(そのとき)のさわぎ、さながら心にうかび、俤(おもかげ)につどひて、二位(にゐ)のあま君[平清盛の妻である平時子のこと]、皇子(みこ)[安徳天皇のこと]を抱奉(いだきたてまつ)り、女院(にようゐん)の御裳(おんもすそ)に御足(おんあし)もたれ、船やかたにまろび入らせ給ふ御(おん)有さま、内侍(ないし)・局(つぼね)・女嬬(によじゆ)・曹子(ざうし)[いずれも宮中の女官]のたぐひ、さま/゛\の御調度(おんてうど)もてあつかひ、琵琶・琴なんど、しとね[=敷物]・ふとんにくるみて船中に投入(なげいれ)、供御(くご)[(もとは天皇の)食事]はこぼれて、うろくづ[魚ども]の餌(え)となり、櫛笥(くしげ)はみだれて、あまの捨草(すてぐさ)[抜き捨てた草、無用なものの例え]となりつゝ、千歳(ちとせ)のかなしび此浦(このうら)にとゞまり、素波(しらなみ)の音にさへ、愁(うれひ)多く侍るぞや。

              (終わり)

2012/5/17

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