松尾芭蕉「野ざらし紀行」の朗読

(朗読) [Topへ]

野ざらし紀行(松尾芭蕉)朗読

注意書

・原文に句読点、カギ括弧、段落などは存在しないので、これらは便宜上のものに過ぎません。

・テキストのうち、[緑色]は意味の説明、青文字は本文ではなく、意味を読み取りやすく補った言葉。

旅のはじめ

 千里に旅立(たびだち)て、路粮(みちかて)をつゝまず、三更月下(さんかうげつか)無何(むか)に入(いる)[「長旅に向かい、道中の糧も用意せず、真夜中の月の下に理想郷である無何に入る」という意]「荘子」や「江湖風月集」にも云けむ。むかしの人の杖にすがりて、貞享(ぢやうきやう)甲子(「きのえね」あるいは「かっし」)秋八月[1684年の旧暦八月]わたしの江戸の住まい、芭蕉の植えられた江上(かうしやう)の破屋(はをく)をいづる程(ほど)、風の聲そゞろ寒気也(さむげなり)。

野ざらしを心に風のしむ身哉(みかな)

[野ざらしに風雨にさらされる髑髏(されこうべ)、そのような最後を迎えようとも、旅行くものであるというわたくしの思いにさえ、秋の風は寂寞みたいになって、こころ深くに染み込んでくることだ。(季語)しむ身→身にしむ−秋]

秋十(と)とせ却(かへつ)て江戸を指(さす)古郷(こきやう)

[ここに暮らして十年の秋を過ごしてみれば、これより向かう伊賀ではなく江戸の方が、まるでふる里のように思われて来るものだ。(季語)秋]

箱根の関

 箱根の関(せき)こゆる日は、雨降(あめふり)て、山皆雲にかくれたり。

雰(きり)しぐれ富士(ふじ)をみぬ日ぞ面白き

[霧のような時雨(しぐれ)のような雨の降る日の関越であればこそ、見えるべき富士さえ眺めることが出来なかった。しかし返って富士にこころ奪われていれば感じられないようなさまざまな風情さえ、感じられるようでおもむき深い。(季語)雰−秋]

 何某(なにがし)ちり[芭蕉の弟子である粕谷甚四郎(かすやじんしろう)、俳号千里(ちり)]と云けるは、此(この)たびみちのたすけとなりて、萬(よろづ)いたはり[すべてに世話を焼いて]、心(こころ)を盡(つく)し侍(はべ)る。常に莫逆(ばくげき)の交(まじはり)[莫逆とは「荘子」による心に逆らうことのない間柄、よって非常に親しい交わりのこと]ふかく、朋友信有哉(しんあるかな)此人(このひと)。

深川や芭蕉を富士に預行(あづけゆく)  ちり

[芭蕉の庵のある深川の地よ、彼の心がお前の方を向いていないからといって悪く思うなよ。彼の思いはこのわたしが、富士の方へと預けに行ってしまうのだ。(季語)芭蕉−秋]

富士川

 富士川(ふじがは)のほとりを行(ゆく)に、三(み)つ計(ばかり)なる捨子(すてご)の、哀気(あわれげ)に泣有(なくあり)。この川の早瀬にかけて[この川の急流であるように]あまりにも早く移り変わるうき世の波をしのぐにたへきれず、露計(つゆばかり)の命待(まつ)まと両親は捨置(すておき)けむ。小萩(こはぎ)がもとの秋の風、それに吹かれた小萩は、こよひやちるらん[今宵こそ散るのであろうか]、あすやしをれんと[明日こそ萎れてしまうのであろうかと]そう案じながらもせめて袂(たもと)より喰物(くひもの)なげてとほるに、

猿(さる)を聞人(きくひと)捨子に秋の風いかに

[子を亡くした猿の聲に涙を重ねて聞き、かつ歌い続けて来た詩人どもよ、捨て子に秋の風が吹き付けるこの現実を、いかに詠もうというのか。(季語)秋の風]

 いかにぞや、汝(なんぢ)ちゝに悪(にく)まれたるか、母にうとまれたるか。ちゝは汝を悪(にくむ)にあらじ、母は汝をうとむにあらじ。唯(ただ)これ天(てん)[天命、天の定め]にして、汝が天に定められた性(さが)のつたなき[運が悪いこと]をなけ。

大井川

 大井川(おほゐがは)越(こゆ)る日は、終日(ひねもす)雨降ければ、

秋の日の雨江戸に指をらん大井川  ちり

[この秋の日の雨を受けながら、江戸では知人たちが、大井川を越える旅の日にちを、指折って数えているであろうか(季語)秋の日]

   馬上吟(ばじやうのぎん)
道のべの木槿(むくげ)は馬にくはれけり

[道の辺に咲いているむくげは、わたしがなんの感慨を起こすまもなく、あれよという間に馬に喰われてしまったよ。(季語)木槿−秋]

[山口素堂の序に「山路きてのすみれ、道ばたのむくげこそ、此吟行の秀逸」とあり、許六が「談林を見破りて初めて正風体を見届け」と述べる秀作。]

 廿日(はつか)余(あまり)の月かすかに見えて、山の根際(ねぎは)いとくらきに、馬上に鞭(むち)をたれて数里、いまだ鶏鳴(けいめい)[にわとりの声]ならず。中国は晩唐の詩人杜牧(とぼく)が「早行(さうかう)」の詩の中に詠んだ残夢(ざんむ)、小夜(さよ)の中山[あるいは、「佐夜の中山」。静岡県掛川市佐夜鹿(かけがわしさよしか)に位置する峠にて、箱根峠や鈴鹿峠と並んで東海道の三大難所]に至りて忽(たちまち)驚く[はっと目覚めた]

馬に寝て残夢(ざんむ)月遠し茶のけぶり

[杜牧(とぼく)が「早行(さうかう)」の中に、「鞭を垂れ馬にまかせて行く、数里いまだ鶏鳴ならず。林のしたに残夢を帯びて、葉の飛ぶ時、たちまち驚く」と詠んだように、ついうとうとと旅中の馬上に眠ってしまい、はっと目覚めれば、その残夢も月も遠くにあり、朝茶のけむりが立っているのだった。(季語)月−秋]

伊勢

 松葉屋風瀑(ふうばく)[松葉七郎太夫。風瀑は俳号。伊勢神宮の年寄師職家、江戸で芭蕉の弟子となる。後に年寄師職家三代目となる]が伊勢に有(あり)けるを尋音信(たづねおとづれ)て、十日計(とをかばかり)足をとヾむ。その時のわたしの姿は、腰間(ようかん)に寸鐵(すんてつ)[腰の脇差しのこと]をおびず、襟(えり)に一嚢(いちなう)[首からかけたずだ袋、僧侶が経文やお布施などを入れるのに使う]をかけて、手に十八の珠(たま)[数珠のこと]を携(たづさ)ふ。その姿は僧に似てしかし俗世の塵有(ちりあり)。俗にゝてしかし仏僧のように髪なし。その姿を見て、我僧(われそう)にあらずといへども、伊勢の神官たちは浮屠(ふと)の属(ぞく)、すなわち神と異なるものを拝む仏僧にたぐへて、伊勢の内宮の神前に入事(いること)をゆるさず。

 仕方がない、しだいに夕暮(くれ)て、せめても伊勢の外宮(げくう)に詣侍(まうではべ)りけるに、一ノ華表(いちのとりゐ)の陰(かげ)ほのくらく、御燈(みあかし)處ゝ(ところどころ)に見えて、西行の歌うところの「また上(うへ)もなき峯(みね)の松風(まつかぜ)」という心持ち、身(み)にしむ計(ばかり)。ふかき心を起して、

みそか月なし千(ち)とせの杉を抱(だく)あらし

[西行が「深く入りて神路の奥を尋ぬれば、また上もなき峯の松風」と詠んだように、月もない三十日、伊勢の千歳の杉を眺めていれば、峯の松風とはこのようなものであろうか、まるで杉を抱くように、激しい風が吹き付けることであるよ(季語)月−秋]

西行谷

 西行谷(さいぎやうだに)の麓(ふもと)に流(ながれ)あり。をんなどもの芋(いも)あらふを見るに、

芋洗ふ女西行ならば歌よまむ

[雨宿りの宿を求め遊女に断られ「出家なら難しかろうが仮の宿りくらいなら」と詠んだ西行。そうして「その難しかろう出家をしたあなたなら仮の宿などにこころを留めなければと思いまして」と歌い返した宿の遊女。そのような逸話の残る西行であれば、あのような芋を洗う女にも歌を詠むことだろう。(そのような即興の卓越した歌のやり取りが、自分にも俳諧に於いて出来るだろうか、ということか?)(季語)芋(里芋)−秋]

 其日(そのひ)のかへさ[帰り、帰途]、ある茶店に立寄(たちより)けるに、「てふ」と云(いひ)けるをんな、あが名を入れてこれに發句(ほつく)せよと云て、白ききぬ出しけるに書付侍(かきつけはべ)る。

蘭(らん)の香(か)やてふの翅(つばさ)にたき物す

[(自分も西行のように即興で詠めるか事を試すに)蝶よ、もしお前のつばさに香の焚き物をするならば、名香の誉れ高い蘭のかおりが立ち込めることであろうよ。(季語)蘭−秋(蘭で秋のふじばかまを詠むという和歌の伝統にのっとるとか)もっとも蝶なら春]

 閑人[俗世間を離れ暇を楽しんでいる人。具体的には廬牧亭(ろぼくてい)という俳名を持つ人を訪れた。この人の詳細は不明]の茅舎[かや葺きの家]をとひて

蔦植(つたうゑ)て竹四五本(たけしごほん)のあらし哉(かな)

[紅葉の似合う蔦は這い渡り、竹を四五本植えたほどの庭に、あらしを聞くような閑居ですね。いいですねえ、この庵は。(季語)蔦−秋]

故郷の伊賀

 長月(ながつき)[陰暦九月]の初(はじめ)、古郷(こきやう)の伊賀国上野に帰りてみれば中国では母君の住まうという北堂の萱草(くわんさう)も霜枯果(しもがれは)て、今は跡だになし。そのように母もすでに亡くなってしまった。何事も昔に替(かは)りて、はらから[同胞。芭蕉にとって具体的には特に兄弟姉妹のこと]の鬢(びん)[髪の毛くらいでいい]白く、眉皺寄(まゆしわより)て、自分は只(ただ)「命有て」とのみ云(いひ)てそれ以上は言葉はなきに、このかみ[長男である松尾半左衛門のこと]の守袋(まもりぶくろ)をほどきて、母の白髪(しらが)をがめよ、まるで浦島(うらしま)の子が玉手箱を開いたら白髪になったように、汝(なんぢ)がまゆもやゝ老(おい)たりと、しばらく共になきて、

手にとらば消(きえ)んなみだぞあつき秋の霜

[手に取ったら消えてしまうだろうか、このような熱いなみだで、秋の霜のようにこの遺髪は。(季語)秋の霜]

当麻寺(たいまでら)

 大和(やまと)の国に行脚(あんぎや)して辿り着く、葛下(かつげ)の郡(こほり)[「葛城の下の郡」おおよそ奈良県北葛城郡あたりを指す]竹の内と云處(いふところ)は、彼(かの)ちりが旧里(ふるさと)なれば、日ごろとヾまりてしばらく足を休む。

わた弓や琵琶(びは)になぐさむ竹のおく

[綿糸を紡ぐ前に綿(わた)を打つための道具である「綿弓(わたゆみ)」よ、この竹の奥に静まる千里の故郷にあって、お前の響きはまるで琵琶の響きのようにこころに響いてくることだ。(季語)綿弓−秋]

 二上山(ふたかみやま)當麻寺(たいまでら)[中将姫(ちゅうじょうひめ)(伝説747-775)が一夜にして蓮糸で織り上げたという伝説を残す当麻曼荼羅(たいままんだら)でも知られる、真言宗・浄土宗並立の寺]に詣(まう)でゝ、庭上(ていしやう)の松をみるに、凡(およそ)千(ち)とせもへたるならむ。「大イサ牛をかくす」[『荘子』の中にある言葉。「大イサ」は「大きさ」のイ音便したもの。此の片仮名甚だ読み難し]共(とも)云(いふ)べけむ。かれ非常[その松は人の心を持たない、つまり非情である]といへども、仏縁にひかれて、斧斤(ふきん)の罪[『荘子』にある「斧で切り倒される罪」の意味]をまぬがれたるぞ、幸(さいはひ)にしてたつとし。

僧(そう)朝顔幾死(いくしに)にかへる法(のり)の松

[継母の虐待から悟りの道へと至った中将姫の最後を見取ったという来迎の松よ、お前のもとで僧たちもあるいは朝顔も、どれほど生死をくり返してきたことだろうか]

吉野(よしの)

 独(ひとり)よし野ゝおくにまでたどりけるに、まことに山ふかく、白雲(はくうん)峯(みね)に重(かさな)り、烟雨(えんう)[煙のような雨、霧雨(きりさめ)]谷を埋(うづ)ンで、山賎(やまがつ)[猟師や樵夫(きこり)などの山で生活する貧しい人々]の家處々(ところどころ)にちひさく、西に木を伐音(きるおと)東にひヾき、院々の鐘の聲(こゑ)は心の底にこたふ。むかしより身を隠し、あるいはみやこを逃れてこの山に入(いり)て世を忘(わすれ)たる人の、おほくは詩にのがれ、歌にかくる。いでや[さてさて]唐土(もろこし)の廬山(ろざん)[中国江西省北部の山で仏教の聖地にして、隠棲の場所としても知られる]といはむも、またむべならずや[もっともな事である]

   ある坊(ばう)に一夜(いちや)を借りて
碪打(きぬたうち)て我にきかせよや坊が妻(つま)

[参詣人たちの宿舎である坊のおかみよ、秋の寂しさをなおさら募らせるという砧、その響きのうちに布を作り上げるあの砧を、どうか聞かせておくれよ。かえって今は寂寞が懐かしいのだから。(季語)碪(きぬた)−秋]

西行の庵(いおり)

 西上人(さいしやうにん)の草の庵(いほり)の跡は、高野山の奥の院より右の方二町計(ばかり)わけ入(いる)ほど。柴人(しばびと)のかよふ道のみわづかに有(あり)て、さがしき谷[険しい谷]をへだてたる、いとたふとし。彼(かの)西行の庵の側にあったという「とく/\の清水」は、昔にかはらずとみえて、今もとく/\と雫落ける。

露とく/\心(こころ)みに浮世(うきよ)すゝがばや

[西行のこころのように今でもとくとくと雫を滴らせているこの清水、こころみにわたしに付いた浮き世の垢をすすいでみたいなあ。(季語)露−秋]

 若(もし)これ、扶桑(ふさう)[漢文にもとづくが、ここは日本の例え]かつて周王を諫めたという伯夷(はくい)あらば、必(かならず)口をすゝがん。もし是(これ)、天下を譲ろうと云われて慌てて逃れたというかの許由(きょゆう)に告(つげ)ば、耳をあらはむ。

不破の関(ふわのせき)へ

 山を昇(のぼ)り坂を下(くだ)るに、秋の日既(すでに)斜(ななめ)になれば、名ある所/\み残して、先後(まづご)醍醐帝(だいごてい)[後醍醐天皇(ごだいごてんのう)(1288-1339)。鎌倉幕府を倒幕するも、足利尊氏と確執在り、吉野に逃れ、以後南北朝時代へと至る]の御廟(ごべう)を拝(おが)む。

御廟年經(としへ)て忍(しのぶ)は何をしのぶ草(ぐさ)

[みやこを逃れて堪え忍んだという後醍醐天皇、今ではその御墓さえも年を経て古びてしまった。そこに侘びしく生える忍ぶ草よ、お前は今さら何を忍ぶというのか。(季語)しのぶ草−秋]

 やまとより山城(やましろ)を經(へ)て、近江路(あふみぢ)に入(いり)て美濃(みの)に至(いた)る。います・山中[共に今の関ヶ原町]を過(すぎ)て、いにしへ常盤(ときわ)の塚(つか)[源義朝(みなもとのよしとも)の妾(めかけ)、牛若丸こと源義経(よしつね)が東北に逃れてのち、都を逃れるもこの地で殺されたという伝説がある]有(あり)。伊勢の守武[荒木田守武(あらきだもりたけ)(1473-1549)伊勢神宮の神官にして、山崎宗鑑(やまざきそうかん)と共に俳諧の始祖(しそ)とされる]が云ける、「よし朝(とも)殿に似たる秋風」[『守武千句』内にある「月みてやときはの里へかゝるらん」に付けた「よしとも殿に似たる秋かぜ」]とは、いづれの所か似たりけん。我(われ)も又(また)守武を真似して発句するに

義朝の心に似たり秋の風

[あの月は夫を亡くして哀しみに沈む常盤の里へもかかるのだろう。そうして常盤は淋しく吹き抜ける秋風に、乱世に散った「よしとも殿」を忍ぶのだろう。そう守武は詠んだ。今はその常盤も石の塚となり、秋の風だけが義朝の心のままに吹き荒れていることだ。(季語)秋の風。(ちと虚飾気味)]

   不破(ふは)
秋風や薮(やぶ)も畠(はたけ)も不破の関

[義朝の心を残した秋の風、それは藤原良経が「人すまぬふはの関屋のいたびさしあれにし後はたゞ秋の風」と詠んだこの不破の関にも吹き付ける。その遺跡は秋風のなかに荒れ果てて、今では藪となり畠となったこの一体も、かつては人々を行き留め栄華を誇った関所なのだなあ。(季語)秋風や]

大垣

 大垣(おほがき)に泊りける夜は、木因(ぼくいん)[大垣の蕉門として芭蕉に教えを請う。代々続く舟問屋の主人である。以下、熱田までの旅を芭蕉に同行する。]が家(いへ)をあるじとす。旅の初め武蔵野(むさしの)を出(いづ)る時、野ざらしとなる覚悟を心におもひて旅立(たびだち)ければ、

しにもせぬ旅寝(たびね)の果(はて)よ秋の暮

[野ざらしにくたばりもせずに、死なずに旅を続けて遂にはこの地に辿り着いた。秋の終わりのこの夕暮れに。(季語)秋の暮]

   桑名本當寺[=本統寺]にて
冬牡丹(ふゆぼたん)千鳥よ雪のほとゝぎす

[夏の花とされる牡丹の冬に開く様を見るにつけても、夏の牡丹に相応しいほとゝぎすの鳴き声を、千鳥よ、お前は真似るでもなく、雪の中に見合った声と姿でこそ、似つかわしくも添い寄るのか。(季語)冬牡丹、雪、千鳥−冬]

[桑名別院本統寺は浄土真宗の寺で、芭蕉は時の住職であった俳名古益(こえき)らと句会を催した。その時の句。彼は北村季吟の門弟であり、共に旅をする芭蕉、木因と同門の関係にあった。]

 草の枕に寝あきて、まだほのぐらきうちに濱(はま)のかたに出(いで)て、

明(あけ)ぼのやしら魚(うを)しろきこと一寸(いつすん)

[曙の空の白み始めたる浜にあって、すべてが薄明かりの中に色彩を取り戻せないでいる中に、ほんの一寸ばかりの白魚の白さばかりが、かえってすべての色彩の中で、もっとも豊かなように思えることよ。(季語)しら魚−春]

[もともとは、上五が「雪薄し」として桑名で詠まれたものを、後に春の季語の中へと改変したもの。というより、「しら魚」を冬の季と見立てたものと考える方がよいだろう。]

熱田神宮(あつたじんぐう)

 社頭(しやとう)[神社の殿舎、その前]大イニ破れ、築地(ついぢ)[壁のこと]はたふれて草村(くさむら)[=草叢]にかくる。かしこに縄(なは)をはりて小社の跡をしるし[本殿の朽ちたるのみならず、小社は損なわれ跡のみを縄に囲むといった意味]、爰(ここ)に石をすゑて其神(そのかみ)のもともと据えられていた場所であるとと名のる。よもぎ、しのぶ、こゝろのまゝに生(おひ)たるぞ。中/\にめでたきよりもかえってこの荒れ果てた熱田神宮の姿の方が心とヾまりける。

しのぶさへ枯(かれ)て餅(もち)かふやどり哉(かな)

[しのぶ草さえ枯れ果てたかの境内であれば、かつてをしのぶ私の心さえ枯れ野のなかの侘びしさで、自分はしばらくのあいだ茶屋にやどりして、餅など喰いながらそれを慰めているばかりだ。(季語)枯て−冬]

名古屋より伊賀へ

 名護屋(なごや)に入(いる)道の程(ほど)風吟(ふうぎん)ス。

[ここ尾張名古屋では、越人(えつじん)・荷兮(かけい)・重五(じゅうご)・杜国(とこく)・野水(やすい)・羽笠(うりつ)らの俳人との出会いが、『冬の日』』『春の日』『阿羅野(あらの)』の編纂へと繋がっていく。以下の句はそれらの発句集に含まれるもの。]

狂句(きやうく)木枯の身は竹齋(ちくさい)に似たる哉

[狂歌を歌いながら滑稽な旅を続けたという物語の主人公竹齋、その生き方に焦がれる自分は、いわば狂句を歌いながら木枯らしのなかに旅を続ける竹齋のようなものか。]

草枕(くさまくら)犬も時雨(しぐる)ゝかよるのこゑ

[草を枕とするような旅寝の宿に降り止まぬ時雨(しぐれ)の音がする。夜も更けて犬の遠吠えが響いてくる。ああお前も時雨のなかに鳴いているのか。(季語)時雨−冬]

   雪見にありきて
市人(いちびと)よ此笠(このかさ)うらふ雪の傘

[さあ市に集まった皆さん。この笠をお売りしましょう。ただの笠じゃあないんだ、雪のついた笠なんだ。(季語)雪−冬]

   旅人をみる
馬をさへながむる雪の朝哉(あしたかな)

[雪の降り明けた朝、白銀いちめんの世界にあって、旅ゆく人の姿ばかりか、付きそう馬の姿さえも、まるで浮き絵のように鮮やかな印象を与えてくれることだ。(季語)雪−冬]

  海邊(うみべ)に日暮(ひくら)して
海くれて鴨(かも)のこゑほのかに白し

[日を暮らした海もすっかり暮れて、聞こえてくる鴨の声さえも、その海辺の光景のように、ほのかに白く残るばかりであるように思われる。(季語)鴨−冬]

 爰(ここ)にあっては草鞋(わらぢ)をとき、かしこに於いては杖を捨(すて)て、というように旅のあちらこちらで宿を取り、旅寝(たびね)ながらに年の暮(くれ)ければ、

年暮ぬ笠(かさ)きて草鞋(わらぢ)はきながら

[年の暮れてゆくことだ、旅半ばにして笠をかぶりまた草鞋を履いたままの姿で……。(季語)年暮ぬ−冬]

といひ/\[言いながらも]も、故郷である伊賀の山家(やまが)に戻って、そこで年を越(こし)て、貞享二年を迎え、

誰(た)が聟(むこ)ぞ歯朶(しだ)に餅(もち)おふうしの年

[誰の婿であろうか。ふるさとの懐かしい風習どおり、長寿を祝うウラジロ(=歯朶)付きの鏡餅を妻の家に贈るために、牛に載せてゆく(=餅負う)その後を、追い立てていく(=追う牛)あの者は。年の改まったこの丑の年に。(季語)歯朶−新年]

帰途

 奈良に出(いづ)る道のほど

春なれや名もなき山の薄霞(うすがすみ)

[ああ春だなあ。名も知られぬような山々にさえ、薄く霞がたなびいているこの気配。(季語)春、薄霞−春]

 二月堂(にぐわつだう)に籠(こも)りて

水(みず)とりや氷(こほり)の僧の沓(くつ)の音

[凍りつくような深夜の冷たさの中に、僧たちの水取りをする靴音ばかりが冷たく、けれども活力のあるように響き渡って聞こえてくることだ。(季語)水とり−春]

[奈良の東大寺の境内には二月堂がある。ここで陰暦二月一日から十四日間、国家安泰を願う修二会(しゅにえ)が行われるのだが、その七日と十二日の深夜に、僧たちによって若狭井(わかさい)という井戸から水を運び取る儀式が行われる。それを詠んだもの。]

 京にのぼりて、三井秋風(みつゐしうふう)[(1646−1717)京都の呉服店商人。現金掛値無し、反物の切り売りで1673年に江戸に越後屋(後の三越)を開業した三井高利(たかとし)の甥に当たる。放蕩の果てに後に破綻]が鳴瀧(なるたき)の山家(やまが)[彼の鳴瀧の別荘は文人サロンのようになっていた]をとふ。

   梅林
梅白し昨日(きの)ふや(つる)を盗(ぬすま)れし

[この庭に、ただ梅ばかりが白いというのはどうしたということでしょうか。北宋の林和靖(りんなせい)(林逋・りんぽ、967-1028)は梅を妻とし、鶴を子と見立てて閑居の庵を結んだと言います。それにも劣らないこの梅林に鶴の姿が見えないのは、昨日鶴を盗まれてしまったとでも言うのでしょうか。(季語)梅−春]

樫(かし)の木の花にかまはぬ姿かな

[たとえば花の咲き誇るなかにあっても、人々の感心のそれに向けられるなかにあっても、それには構わずに屹立(きつりつ)する樫の木の姿のようですね、この山荘に宿りするあなた(秋風)の姿は。(季語)花−春]

  伏見西岸寺(さいがんじ)
   任口上人(にんこうしょうにん)に逢(あふ)て
我がきぬにふしみの桃の雫(しづく)せよ

[まるで長寿の徳の高さのこぼれるあなたのように、桃の花よりしたたる雫がこぼれ落ちて欲しい、このわたしの着ている衣の上に。(季語)桃−春]

  大津に出(いづ)る道、山路をこえて
山路(やまぢ)来て何やらゆかしすみれ草

[山路をここまできてふと見れば、何とはなしにこころ引かれるすみれ草であることよ。(季語)すみれ−春]

  湖水の眺望
辛崎(からさき)の松は花より朧(おぼろ)にて

[歌枕としても名高い唐ア(滋賀県大津市唐崎)の松を琵琶湖より眺めれば、おぼろに見えるべき桜よりも、さらに一層おぼろに見えることだ。(季語)花、朧−春]

  水口(みなくち)にて、
   二十年を経て故人に逢ふ
命二つの中に生(いき)たる桜哉(かな)

[水口(滋賀県甲賀市水口町)に二十年を経て懐かしい人(芭蕉の弟子の服部土芳)に逢えば、折しも咲き誇る桜の花は、長き年月を生きながらえた二つのいのちの中にあるようだ。(季語)桜−春]

大顛(だいてん)和尚

 伊豆の國(くに)、蛭が小嶋(ひるがこじま)の桑門(さうもん)である門人の路通(ろつう)、これも去年(こぞ)の秋より行脚(あんぎや)しけるに、我が名を聞(きき)て、草の枕の道づれにもと、尾張の國まで跡をしたひ来(きた)りければ、

いざともに穂麦(ほむぎ)喰(くら)はん草枕

[さあ一緒に草を枕にして穂麦を食らいながら旅を続けようではないか。(季語)穂麦−夏]

 此(この)僧、予に告げていはく。圓覺寺(ゑんがくじ)の大顛(だいてん)和尚[俳諧を嗜み、芭蕉の門弟である其角(きかく)の参禅の師でもあった]、今年陸月(むつき)[「睦月」のこと。陰暦の一月]の初(はじめ)、せん化[「せんげ」正しくはすべて漢字書き。高僧の亡くなること]し玉(たま)ふよし。まことや、夢の心地せらるゝに、先(まづ)道より其角(きかく)が許(もと)へ申遣(まうしつかは)しける。

梅こひて卯花(うのはな)拝むなみだ哉(かな)

[梅の香をこい慕うように亡くなった和尚のことを想えば、今は盛りの卯の花を拝むようにして、なみだはとめどなく流れてくることであるよ。(季語)卯花−夏]

  杜国(とこく)に贈る
白(しら)げしにはねもぐ蝶の形見哉(かな)

[名古屋の米商人であったが空売の罪で渥美半島南端の保美(ほび)へ流罪となっていた坪井杜国(つぼいとこく)へ贈るに。この地を離れてはまた逢えなくなるあなたとの別れは、白げしの花から離れる蝶が、白げしを慕うあまりに、みずからの羽根を切り取って、形見として残していくような辛さがあるのです。(季語)白げし−夏]

旅の終わり

 二たび弟子の桐葉子(とうえふし)がもとに有て、今や東(あづま)に下(くだ)らんとするに、

牡丹蘂(しべ)ふかく分出(わけいづ)る蜂の名残哉(かな)

[あなたと別れるに臨んで、牡丹の蘂(しべ)深くに蜜を吸い遊び、今こそ分出てきた蜂が飛び立つときの、名残惜しさで一杯です。(季語)牡丹−夏]

 甲斐(かひ)の山中に立よりて、

行駒(ゆくこま)の麦に慰(なぐさ)むやどり哉(かな)

[駒の山地である甲斐に差し掛かり、我が行く駒もしばし麦を食らっては休らっている。そのようにわたしもくつろいで休んでいることだ。(季語)麦−夏]

 卯月(うづき)[陰暦四月]の末、旅を終えて我が庵(いほり)に帰りて、旅のつかれをはらすほどに、

夏衣(なつごろも)いまだ虱(しらみ)をとりつくさず

[野ざらしを覚悟の旅も無事に終えて、着ざらしの夏衣の虱さえ、とりつくすでもなくまるで旅路の、余韻を楽しむようにのつそつとしていることだ。(季語)夏衣−夏]

         (終わり)

2012/4/6

[上層へ] [Topへ]