『大和物語』百五十一段~百六十段

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大和物語 百五十一段~百六十段

百五十一段

 前段と同じ奈良の天皇[奈良時代のある天皇]が、竜田川の紅葉が見事なのを眺めている時、柿本人麻呂が、

たつた川
   もみぢ葉流る 神なびの
  みむろの山に しぐれ降るらし
          柿本人麻呂 (古今集、拾遺集)

と詠めば、奈良の天皇が、

たつた川
   もみぢみだれて 流るめり
 わたらば錦 なかや絶えなむ

百五十二段 『いはで思ふ』

 同じ奈良の天皇は、狩が好きだったので、東北の磐手(いわて)から贈られた鷹を、狩用の手鷹(てたか)として飼い慣して、「いわて」と呼んでいた。

 これを、鷹狩りの経験のある大納言に預けたところ、どうしたことか、鷹を取り逃がしてしまった。狂乱の体で探し回るが、見つからない、数日過ぎて誤魔化しきれないので、ついに天皇に申し上げると、なんの返事もない。

 もう一度言うが返事がない。自分が自分でないような恐怖に震えながら、「鷹がいなくなってしまったのです。どうしたら良いか、おっしゃってください」と繰り返すと、奈良の天皇はただ、

いはで思ふぞ 言ふにまされる

[言わずに思っていることは、口にして言うのに増さっている。に「いはで」つまり鷹の磐手の事を思うことは、という意味を掛けたもの。何の言葉も発しないこと、それが俺の答えだ。という意図で、「指示を下さい」と言う部下に、「言うことは何も無い」と上司が答えたようなもので、現代なら首切りか左遷の言葉かもしれず。]

とだけ言って、他にはなにも答えなかった。あまりにも深く、残念に思われたからだろう。世間の人は、これにあれこれと上の句を加えて、和歌にしたが、実際は下の句だけを詠んだのだった。

百五十三段 『藤袴(ふじばかま)』

 奈良の天皇[ここでは平城天皇(へいぜいてんのう)を指す]が在位していた頃は、嵯峨天皇(さがてんのう)(786-842)はまだ皇太子あったが、あるとき平城天皇に、

みな人の
   その香にめづる ふぢばかま
 君のみためと 手折(たを)りたる今日
          嵯峨天皇

 平城天皇の返し、

折る人の
   心にかよふ ふぢばかま
 むべ色ことに にほひたりけり
          平城天皇 (続後拾遺集)

百五十四段 『ふゆつけ鳥』

 大和の国に住んでいた娘で、たいそうきれいな人に、都から来た男がちらと見て、あまり美しいので、盗み出して抱きかかえて、馬に乗せて逃げた。女はひどく恐ろしいと思った。日が暮れると、竜田山のあたりに宿を借り、泥よけを敷物の代わりに敷いて、無理やり抱いたので、女は恐怖に襲われたのだった。

 むなしさに囚われて、男がなにを言っても返事もしないで泣いているので、男が、

たがみそぎ
  ゆふつけ鳥か からころも
    たつたの山に をりはへて泣く
          (古今集)

と言うと、女は、

たつた川
  岩根をさして ゆく水の
    ゆくへも知らぬ わがごとや泣く

と詠んで、自殺してしまった。男はすさんだ気持ちに囚われて、女を抱きかかえて泣いたという。

百五十五段 『山の井の水』

 むかし、大納言が美しい娘を持っていた。帝の嫁にと思っていたところ、大納言のもとで働く内舎人(うどねり)の一人だった男が、この娘に惚れて、恋にやつれて病気のようになってしまった。

 とうとう「どうしても言いたいことが」と娘を呼び出して、「どうしたのでしょう」と出向いてきたところを、用意していた馬に乗せて、抱きかかえて奪い去ってしまった。

 そのまま、安積山[福島県浅香郡にある]まで逃げ延びて、住まいをつくって、女を住まわせて年月を暮したが、とうとう身ごもってしまった。

 そこで、男のいない間に、山の井戸に写った自分の姿を眺めると、かつての姿とも思われない、恐ろしげな姿だったので、女は恥ずかしさにさいなまれ、

安積山
  影さへ見ゆる 山の井の
    あさくは人を 思ふものかは
          (万葉集)

と読んで死んでしまった。帰ってきた男は、途方に暮れて、この和歌を見て、和歌の思いを胸に、女のそばで死んだという。遠い昔話である。

百五十六段 『姥捨(おばすて)』

 信濃の国更科(さらしな)[長野県更級郡]に男が住んでいた。若いうちに親が死んだので、叔母が親のようにしてくれていたが、彼の妻には憂鬱なものに思われて、腰が曲がっているのを憎らしく思い、悪口を言うので、男も昔のようには叔母を慕わなくなっていた。

 たいへん年老いて、折れ曲がっているのを、憎たらしく思って、早く死ねば良いと思って、悪口を言いながら、「持って行って深い山にでも捨ててよ」と夫を責めるので、とうとう夫もそれしかないと思うようになってしまった。

 月明かりの夜、「おばさん、お寺で法会があるから見せましょう」と呼び出すので、喜んで背負われていくと、麓から山へ登って、高い峰の降りてこれない処に置いて、男は逃げ帰ってしまった。叔母が呼び止めたが、返事もせずに家に帰ってくると、妻が腹を立てている時は、自分も腹を立ててしまったが、長年親のように育ててくれたので、非常に悲しみが湧いてきた。

 この山の頂から、月も限りなく赤々と登っているのを眺めて、一晩中寝ることも出来ず、悲しみにふけっていれば、このように和歌を詠んだ。

わがこゝろ
  なぐさめかねつ さらしなや
 をばすて山に 照る月を見て
          (古今集)

と詠んで、また出かけて、叔母を連れて戻ってきたのである。それ以来、この山を姥捨山と言う。「なぐさめがたし」という時、姥捨山が引き合いに出されるのは、このためである。

百五十七段 『馬槽(うまぶね)』

 下野国[栃木県あたり]に男と女が住んでいた。長年住んでいる間に、男は、新しい妻を設けて、心も移り変わり、二人の住んでいた家にあったものを、新しい妻の処へすべて持ち去ってしまう。女はつらい気持ちで、そのままにまかせていた。ゴミほどのものも残さずに持ち去って、残りは馬槽(うまぶね)[馬の餌入れ、まぐさ入れ]だけになってしまったのを、男の従者である「まかじ」という名の童が取りに来たので、「お前ももうここには来ないだろうね」と尋ねると、「主人がいなくてもきっと来ますよ」と答えるので、「主人に伝えて、手紙じゃ詠まないから、口で直に」と言って、

舟もいぬ
  まかぢも見えじ 今日よりは
    うき世の中を いかでわたらむ

と伝えると、従者は男に伝える。ほどなく、持ち去った物をそっくり運び返して、もとのように、それ以来他の女に浮気することも無く、もとの女と暮したという。

百五十八段 『鹿鳴く声』

 大和の国に男と女が住んでいた。長い年月を共に暮していたのだが、どうしたことか、新しい女を作ってしまった。さらに、二人の住まいに連れてきて、壁を隔てて隣に住まわせ、自分の方には決して来ない。

 元の女はつらいと思ったが、口に出しては妬まずにいた。秋の夜長に、目を覚まして聞くと、鹿が鳴いている。黙って聞いていると、壁の向こうから男が、「聞いていますか、西のお隣さん」と言うので、「何がよ」と答えると、「鹿の鳴いているのを聞きましたか」と言うので、「聞いてます」と答える。「どんな風に聞いているの」の言ってくるので、女の答えるには、

我もしか
   なきてぞ人に 恋ひられし
 今こそよそに 声をのみ聞け
          (新古今集)

と和歌で返すと、男の情が戻って、新しい女を送り返して、元のように二人で暮したという。

百五十九段

 染殿の内侍(そめどののないし)と呼ばれた女性がいた。それに源能有(みなもとのよしあり)(845-897)[文徳天皇の第一皇子だが、母の身分により臣籍降下]が、時々通っていた。器用な女性だったので、衣服の仕立てを頼んだりしていたが、ある時、模様の多くある絹織物を多く持って行くと、女が「雲と鶴の柄にしましょうか」と尋ねる。

 しかし男は答えないので、「仕えることも出来ませんよ。ちゃんと命じてくださらないと」と女が言うと、源能有は、

雲鳥の
  あやの色をも おもほえず
    人をあひ見で 年の経ぬれば
          源能有 (続後拾遺集)

と答えたという。

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