『大和物語』百二十一段~百三十段

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大和物語 百二十一段~百三十段

百二十一段

 「さねとうの少弐(しょうに)」と呼ばれた人の娘。その娘のもとに通っていた男が、

笛竹の
  ひと夜も君と 寝ぬ時は
    ちぐさの声に 音(ね)こそ泣かるれ

といえば女の返し。

ちゞの音は 言葉の吹きか
   笛竹の こちくの声も
  聞えこなくに

百二十二段

 藤原千兼(ふじわらのちかぬ)の妻である「としこ」が、志賀寺にお参りをした時、増基(ぞうき)[歌人で「いほぬし」という家集がある]という高僧と逢って、一夜を共にして、別れるとき、増基の方から、

あひ見ては
  別るゝことの なかりせば
    かつ/”\ものは 思はざらまし
          増基法師 (後撰集)

 としこの返し。

いかなれば
   かつ/”\ものを 思ふらむ
 名残もなくぞ われは悲しき
          としこ (新続古今集)

百二十三段

 おなじ増基法師が、誰に贈った和歌だか、

草の葉に
   かゝれる露の 身なればや
 こゝろ動くに 涙おつらむ
          増基法師

百二十四段

 藤原時平(ときひら)の妻である「本院の北の方」が、まだ藤原国経(くにつね)の妻であった頃、平中こと平定文(たいらのさだふん)が差し上げた和歌。

春の野に
  みどりにはへる さねかづら
    わが君ざねと 頼むいかにぞ
          平定文

 そのように和歌を交わして、ひと夜を共にすることがあった。その後、藤原時平(ときひら)の妻となって、世間でもてはやされていた頃、また平定文から。

ゆくすゑの 宿世(すくせ)も知らず
  わがむかし 契りしことは
    おもほゆや君
          平定文

 それに対する返歌も、前後の贈答歌も多くあったが、それは今は知れない。

百二十五段

 泉の大将こと藤原定国(さだくに)が、左大臣である藤原時平の屋敷に、余所で酒を呑んで酔ってから、訪れた。夜更けのことなので、どうしたのだと騒ぐと、定国のお供をしていた壬生忠岑(みぶのただみね)[古今集の撰者の一人]が、「かささぎの渡せる橋、と和歌に詠われる、天上の橋を渡ってきました」なんて、風流なことを言うので、二人を屋敷に上げて、宴を催したのだった。

 そんな、壬生忠岑には娘があって、幼い頃に嫁に欲しいといっていた男が、「そろそろ」と催促をした時に、

わが宿の
  ひとむらすゝき うらわかみ
    むすび時には まだしかりけり
          壬生忠岑

と、まだ娘が小さかったので、詠んだものだった。

百二十六段

 筑紫(つくし)地方に住んでいた「檜垣の御(ひがきのご)」という遊女は、物事に通じた人で、世間を達者に渡ってきたが、純友の乱の巻き添えを食って、家も焼け、家財も奪われ、惨めな生活に落ちぶれていた。

 追討に任じられた小野好古(おののよしふる)が、当地にいたであろう彼女を探すと、白髪の老婆が、水を汲んでは、みすぼらしい家に入っていく。それがその人だった。

 人をやって呼ばせても、羞恥心から出てこないで、ただ和歌で、

むばたまの わが黒髪は
   白川の みづはくむまで
     なにりけるかな
          (実作者は藤原興範か)(後撰集)

と返答があった。小野好古は、感じ入って着物を与えたという。

百二十七段

 その檜垣の御が、太宰府の大弐(だいに)の館で、秋の紅葉の和歌を所望されたとき、

鹿の音は
  いくらばかりの くれなゐぞ
    ふりいづるからに 山の染むらむ

百二十八段

 また檜垣の御に、歌好き達が集まって、わざとむずかしい上の句を持ち出して、下の句を詠ませようとした時に、

わたつみの
  なかにぞ立てる さを鹿は

に対して、

秋の山べや そこに見ゆらむ

と詠んだのだった。

百二十九段

 その檜垣の御かどうかは分らないが、筑紫にいた女が、京の男に、

人を待つ
  宿は暗くぞ なりにける
    契りし月の うちに見えねば
          (新後拾遺集 監の命婦の和歌として)

百三十段

 これも筑紫にいた女。

秋風の
  こゝろやつらき 花すゝき
 吹きくるかたを まづそむくらむ

2018/01/31

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