『大和物語』071段~080段(現代語訳)

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071段 風待つほどの山桜

 式部卿の宮[宇多天皇第四皇子の敦慶親王(あつよししんのう)]が亡くなったのは、如月(きさらぎ)[旧暦二月]の終わり、桜のさかりであったので、堤の中納言[(藤原兼輔・かねすけ)]が詠むには、

咲きにほひ
   風まつほどの 山ざくら
 人の世よりは ひさしかりけり
          藤原兼輔 (新勅撰集)

[咲き誇ってはいても
     散らせる風を待つほどの山桜ですが
    人の世の一生のはかなさに比べたら
      今は長く感じられるように思われます]

三条の右大臣[藤原定方(さだかた)]の返歌、

春々の
  花は散るとも 咲きぬべし
    またあひがたき 人の世ぞ憂き
          藤原定方 (続古今集)

[春がくるたびに
     花は散ったとしても また咲きますが
       ふたたび逢うことが叶わない
     人の命こそ悲しいものですね]

072段 昔ながらの鏡

 その式部卿の宮が生きていた頃、亭子院(ていじのいん)[宇多天皇の譲位後の住居]に住んでいた。この宮のもとに平兼盛(たいらのかねもり)が参上し、召されて話などをしていたのだった。宮が亡くなられてから、その院を眺めると、しみじみとした想いに囚われるので、平兼盛が和歌を詠むには、

池はなほ
   むかしながらの かゞみにて
 影見し君が なきぞかなしき
          平兼盛

[池は今も
     昔のままの 鏡のようなのに
    姿を眺めていたあなたが
       もう居ないことが悲しい]

073段 待つとてさへも

 地方の国守として赴任する人に、堤の中納言(藤原兼輔)が「馬のはなむけ」[餞別の贈り物]を用意して待っていたが、日が暮れるまで来ないので、詠んでやる。

別るべき こともあるものを
  ひねもすに 待つとてさへも
    嘆きつるかな
          藤原兼輔

[別れることがあって嘆かわしいのに
   一日中その別れるべきことを待つことまで
     嘆かなければならないとはね]

と和歌にあったので、相手は慌てふためいてやってきた。

074段 待ち遠にのみ見ゆる花かな

 おなじ堤の中納言が、屋敷の正殿(せいでん)のすこし遠いあたりに立っていた桜を、近くに移し替えたところ、枯れそうに見えるので、

宿近く
  うつして植ゑし かひもなく
    まちどほにのみ 見ゆる花かな
          藤原兼輔

[家の近くに
   移して植えた 甲斐もなく
     ずっと待たされるようにばかり
   見えるような桜です]

[もとは梅の花であり結句も「匂ふ花」であったものを、71段との関連で桜に変更したかとされる。]

075段 越の白山

 おなじ堤の中納言が、蔵人所(くろうどどころ)に務める人が、加賀の国守として赴任する際に、別れを惜しむ夜に詠んだ和歌。

君がゆく
  越のしら山 知らずとも
    ゆきのまに/\ あとはたづねむ
          藤原兼輔 (古今集)

[あなたが向かう
     越(こし)の白山は 知らなくても
    ゆくのにまかせて 雪の間に
       あなたの後を追っていきたい]

076段 涙の川に入る千鳥

 桂の皇女[宇多天皇皇女の孚子内親王(ふし・さねこないしんのう)]のところに、源嘉種(みなもとのよしたね)が来ているのを、母の御息所[宇多天皇の妻の一人、十世王女]が聞きつけて、扉を閉ざさせてしまったので、源嘉種は一晩中辛い思いで外に立っていて、ようやく帰るときに、門の隙間から投げ入れた和歌。

今宵こそ
  なみだの川に いる千鳥
    なきてかへると 君は知らずや
          源嘉種

[今宵という今宵は
   悲しみのなみだの 川に入った千鳥が
     鳴きながら帰るのを
   あなたは知らないのでしょうか]

[川に浮かぶだけでなく、入水のイメージがあるか?]

077段 君は君にと今宵しもゆく

 これも桂の皇女源嘉種が、

ながき夜を
   あかしの浦に 焼く塩の
 けぶりは空に 立ちやのぼらぬ
          源嘉種

[長い夜を
   明かしながら 明石の浦で焼く塩のような
  焦がれるような想いに身を焼く煙は
    きっと空に立ち上ることでしょう]

 このようにして、ひそかに逢っている頃に、桂の皇女は宇多院の十五夜の宴に、「いらっしゃい」と呼ばれたので、参上しようという時に、それでは逢うことも出来なくなるので、源嘉種が「せめて今宵は行かないで欲しい」と留めた。けれども、院のお呼びなので留まることは出来ないで、桂の皇女は急いで出向いてしまったので、源嘉種が、

竹取(たかとり)が
  よゝに泣きつゝ とゞめけむ
 君は君にと 今宵しもゆく
          源嘉種

[竹取物語で
   竹取翁が夜ごとに泣きながら 留めたという
  姫君は大君のような宇多院のもとへと
    今宵こそ立ち去ってしまうのだろうか]

[20段もそうだが「桂の皇女」の「かつら」が月を導くことから、ここでは『竹取物語』のエピソードに委ねた和歌が置かれている。十五夜に院に呼ばれた皇女をかぐや姫に見立ててている。だとすればあるいは、76段の和歌は『竹取物語』の最後の天皇の「あふことも涙に浮かぶ我が身には」の和歌が、この段の「あかしの浦に焼く塩」の和歌には、富士山の煙が、委ねられているのかも知れない。]

078段 まどふ心と聞くからに

 監の命婦(げんのみょうぶ)が、元旦の儀式に出られた時に、弾正の親王(だんじょうのみこ)[陽成天皇皇子の元平親王か?]が一目惚れして、手紙を送ったので、その返しに、

うちつけに
   まどふこゝろと 聞くからに
  なぐさめやすく おぼほゆるかな
          監の命婦 (新千載集)

[すぐさまに
    戸惑いを覚えたような 心だったと聞きますから
   その心を穏やかに落ち着けさせるのも
      さぞかしたやすいことでしょうね]

親王の返歌は今は忘れてしまった。

079段 こりずまの浦

 これも弾正の親王に、監の命婦(げんのみょうぶ)が、

こりずまの
  浦にかづかむ うきみるは
    浪さわがしく ありこそはせめ
          監の命婦

[須磨の浦に
   水を被っている 浮き海松(みる)の海藻は
     波が騒がしいことでしょうが
  懲りない浦とかいうところで
    被るであろう 憂いを見るという名の海藻なら
      さぞかし噂の浪も 騒がしいことでしょうね]

[「こりずま」には「懲りない」の意味と「須磨」の地名が、「うきみる」には岩を離れ漂っている海松(みる)という海藻と、「憂きを見る」の意味が掛詞。「潜(かづ)く」は水を被った状態。「浦」「潜く」「浮き海松」「波」は縁語。恋になれた女性が、若い男の一目惚れをたしなめるようなトーンの78段とペアになっていて、やはりたしなめるようなトーンが感じられることから、むしろ何度も手紙なんか寄こしてると、フラれて憂き見る上に、うわさが立ちますよ、とたしなめているように感じられる。]

080段 昔ながらの花は散れども

 宇多院で花が咲き誇る頃、南院(なんいん)の君達(きんだち)[光孝天皇第一皇子である是忠親王の息子たち。源宗于もその一人]や人々が集まって、歌会などをした。その時、右京の大夫宗于(むねゆき)[源宗于]が、

来てみれど こゝろもゆかず
  ふるさとの むかしながらの
    花は散れども
          源宗于

[来て眺めても
   心が和歌の言葉に向かいません
     ふるさとの 昔と同じように
  花は散ってはいるのですが]

[内容から宇多天皇死後の和歌とエピソードとされる]

他の人の和歌もあったようである。

2017/11/20
2018/11/02 改訂

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