『大和物語』五十一段~六十段

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大和物語 五十一段~六十段

五十一

 四十九段の続き。斎院から、宇多天皇に、

おなじえを
   わきてしもおく 秋なれば
 光もつらく おもほゆるかな
          斎院

天皇の返歌。

花の色を
  見ても知りなむ はつ霜の
 こゝろわきては おかじとぞ思ふ
          宇多天皇

五十二

 これも天皇の返歌。

わたつみの
   ふかきこゝろは おきながら
 うらみられぬる ものにぞありける
          宇多天皇 (拾遺集)

五十三

 陽成院に仕えていた、坂上遠道(さかのうえのとおみち)が、やはり院に仕えていた女性が、逢ってくれなかった時に、

秋の野を
  わくらむ鹿も わがごとや
    しげきさはりに 音(ね)をばなくらむ

五十四

 源宗于(みなもとのむねゆき)の三男が、博打をして、親にも兄弟にも憎まれたので、足の向くままに落ち延びて、親しかった友に詠んだ和歌。

しをりして ゆく旅なれど
  かりそめの いのち知らねば
    かへりしもせじ

五十五

 ある男が、恋する女を残して余所の国に行ったので、いつ戻ってくるかと待っていると、男は死んだというので、女の詠んだ和歌。

いま来むと
   いひて別れし 人なれば
 かぎりと聞けど なほぞ待たるゝ
          (続後拾遺集)

五十六

 平兼盛(たいらのかねもり)が、「兵衛の君(ひょうえのきみ)」という女性のところに通っていた頃。しばらく離れていて、また行った時に、

夕されば 道も見えねど
  ふるさとは もと来し駒に
    まかせてぞゆく
          平兼盛 (後撰集)

女の返し。

駒にこそ まかせたりけれ
  はかなくも こゝろの来ると
    思ひけるかな
          兵衛の君 (後撰集)

五十七

 平中興(たいらのなかき)が、娘を大層かわいがっていたが、亡くなってしまったので、今では娘も、余所の国に心細く住んでいるのを、可哀想に思った平兼盛が、

をちこちの
  ひと目まれなる 山里に
    家ゐせむとは 思ひきや君
          平兼盛 (後撰集)

とおくれば、女性は泣き濡れて、返歌もおくれなかった。

五十八 『黒塚』

 平兼盛が、陸奥国(みちのくに)にあったとき、源重之(みなもとのしげゆき)が、黒塚(くろづか)[福島県安達郡安達ヶ原]というところに住んでいたので、彼の娘たちに、

みちのくの
  安達が原の 黒塚に
    鬼こもれりと 聞くはまことか
          平兼盛 (拾遺集)

と詠んだりして、娘の一人を嫁に欲しいと願い出たが、重之は時期が来たらと言うので、

花ざかり すぎもやすると
   かはづなく
  井手の山吹 うしろめたしも
          平兼盛

と娘さんを気に病む和歌を残しながら、兼盛は都へと戻るのだった。その黒塚といえば、「名取の御湯(なとりのみゆ)」という温泉を、

大空の
  空のかよひ路 見てしか
    とりのみゆ
けば あとはかもなし
          恒忠(つねただ)の君の妻(め)

と詠んだ女性が、その黒塚のあるじであったが、これに対して平兼盛が、

しほがまの
  浦にはあまや 絶えにけむ
    などすなどりの 見ゆる時なき
          平兼盛

と、同じように言葉を隠して、和歌を詠んだこともあった。

 さて、兼盛が心をかけていた娘のことだが、別の男と一緒に都にのぼってきたときに、そうとは知らず兼盛が、「なんで都に来たのに知らせてくれないのです」と尋ねると、かつて兼盛が詠んだ「井手の山吹うしろめたしも」の和歌を、お土産ですとよこしたので、ようやくフラれたことを知って、

年を経て
  ぬれわたりつる ころも手を
 今日のなみだに くちやしぬらむ
          平重盛

と和歌をおくったのだった。

五十九

 世の中がいやになって、筑紫(つくし)へ下った人が、かつての女のもとに、

忘るやと いでゝこしかど
  いづくにも うさはゝなれぬ
    ものにぞありける

六十

 後に在原業平の息子、在原滋春(ありわらのしげはる)の妻となる、「五条の御」と呼ばれる女性が、男のところに、自分の姿を書いて、そこに炎を描いて、煙を盛んに描いた絵に、和歌を添えて送りつけた。

君を思ひ
  なま/\し身を 焼く時は
    けぶりおほかる ものにぞありける

2017/11/12

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