『大和物語』041段~050段(現代語訳)

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041段 世ははかなきを

 源大納言(げんだいなごん)[陽成天皇第一皇子の源清蔭。藤原千兼と義兄弟の関係にある]のもとに、としこ[藤原千兼の妻]はつねに参上していた。部屋を設けて住むときもあった。趣深い人で、大納言とはあらゆることを語り合うような仲だった。

 特にすることもないような日には、この大納言、としこ、それから、としこの娘のうち姉に当たる方は、あやつこといった。母に似て、趣深い人だった。また大納言のもとに、よぶこという人がいた。この人もしみじみとした情の分る、たいへん趣深い人だった。

 この四人が集まって、あらゆることを話し合っては、世の中のはかないこと、世間のしみじみとした話を言い合っていたが、そんな時大納言が詠まれた和歌。

いひつゝも 世はゝかなきを
   かたみには あはれといかで
 君に見えまし
          源清蔭 (新勅撰集)

[こうして語り合っていても
   世の中ははかないものだというのなら
  お互いには しみじみとしたおもむきが分ると
     どうやって見ることが出来るというのだろうか]

と詠まれれば、誰も彼も、もう返歌は出来なくなって、近くに寄り添って声を上げて泣くのだった。世にもまれなるような人たちでこそはあった。

042段 なにを種にて心生ひけむ

 ゑしう[藤原為国の子である恵秀か?]という法師が、ある女性に、加持祈祷などを行う御験者(おほんげんざ)として使えていたとき、とやかく世間でうわさが立ったので、このように詠んだ。

里はいふ
  山にはさはぐ 白雲の
    空にはかなき 身とやなりなむ

[里では人々がうわさを言う
   山ではそのことでひと騒ぎになっている
     今は白雲のように
  空をただようような 身にこそなってしまおうか]

そう詠んだ。また、相手の女性に詠んで贈るには、

あさぼらけ
  わが身は庭の しもながら
    なにを種にて こゝろ生ひけむ

[夜の明ける頃の
   わたしはまるで庭の霜のような
     下に控えるべき存在でありながら
  いったいなにを種として
    あなたへの恋心が芽生えてしまったのか]

043段 あなかしがましなぞや世の中

 そのゑしう大徳[徳のある高僧]が、僧坊にしていた所の前に、切掛(きりかけ)[板塀の一種]を作らせた。その時、大工の出した削りくずに書き付けた。

まがきする
  飛騨のたくみの たつき音の
    あなかしがまし なぞや世の中

[籬(まがき)を作る
   飛騨の大工らの立てる 斧の音のように
     ああ騒がしいことだ なんでか世の中というものは]

と和歌を残して、「修行をしに深い山奥へいってしまおう」と言って、そこを立ち去るのだった。しばらくして、「どこへ行ったのか」[女性の感慨で無く、「どこへ向かおうか」という大徳の独白とも取れる]と思って、(おそらくは)先の女性が「深い山に籠もっているというのはどこですか」と言われた時に、

なにばかり 深くもあらず
  世のつねの 比叡(ひえ)を外山(とやま)と
    見るばかりなり

[なにほどの 深くもありません
   普通一般に 修行の山とされる比叡山を
     外の山として見るあたりです]

と答えてみせた。横川[滋賀県大津市。奥比叡にあたり、東塔・西塔と並ぶ三塔のひとつ]というところに居るのだった。

044段 たれか着ざらむぬれ衣

 そのゑしう法師に、ある人[先の女とも、別の誰かとも捉えられる]が、「比叡山に僧職を得て入られる日はいつですか」と訊ねれば、

のぼりゆく
  山の雲居の 遠ければ
 日もちかくなる ものにぞありける

[こうして登ってゆく
   修行の山の雲は はるか彼方にあるものだから
  登るにしたがって 太陽へと近づくように
    比叡にのぼるべき日も 次第に近くなるというものです]

[この和歌、単に「日が近づいた」の修飾として上句があるのではなく、少しずつ近づいてはいるものの、まだ修行半ばであるという意味ではないだろうか。結句の「ものにぞありける」という言い方は、「もうすぐです」とは異なる煮え切らなさが感じられる。]

と答えた。先に述べたような、自らの出世にとって良くないことが、修行途中である上に重なってしまったので、

のがるとも
  誰か着ざらむ ぬれごろも
    あめの下にし 住まむかぎりは

[逃れたとしても
   誰が着ないで済むだろうか 濡れた着物を
     雨が降る下で 生活するならば
  それと同じように
   世間を逃れても どうして着ないで済むだろうか
     濡れ衣という名の着物を
       この世の中に 生きている限りは]

[42段の和歌の「白雲」には無実の意味が込められているともされ、おなじ42段の女性への和歌などを加えて考えると、恋心は持ったものの、僧としての一線は踏み外さなかったが、うわさだけは立ち上ったくらいの所だろうか。]

と和歌を詠むのだった。

045段 心は闇にあらねども

 堤(つつみ)の中納言[藤原兼輔]が、醍醐天皇の13番目の皇子の母にあたる御息所(みやすんどころ)[兼輔の娘である藤原桑子のこと]を、入内(じゅだい)させたはじめ頃は、天皇は娘をどう思っているだろうかと、非常に心配されていた。それで、天皇に詠んで贈った和歌。

ひとの親の
   こゝろは闇に あらねども
  子を思ふ道に まどひぬるかな
         藤原兼輔 (後撰集)

[人の親というもの
   こころに闇を抱えては いなくても
  子を思ううちには 闇へと迷い込むものなのです]

 先の天皇である醍醐天皇は、たいへん心を動かされた。返歌もあったけれど、それは人々に伝えられていない。

046段 いそのかみにて

 平中(へいちゅう)[平定文(たいらのさだふん)(871-923)]が、閑院の御(かんいんのご)[未詳]との仲がしばらく絶えてから、しばらくしてから逢った。その後、詠んで贈るには、

うちとけて 君は寝つらむ
   われはしも 露のおきゐて
 恋にあかしつ
          平定文

[霜が溶けるようにくつろいで
   あなたは寝ているのでしょう
     わたしは霜露の置かれる中を
  起きながら恋にさいなまれています]

 女性の返し、

白露の
  おきふし誰を 恋ひつらむ
    われは聞きおはず いそのかみにて
          閑院の御

[白露が置かれるなかを
   起きては伏して 誰を恋い慕っているのでしょう
     私のことを言っているとは思えません
  うちとけて寝るどころか 古い女とされて
    なみだが降っているような有様ですから]

[「聞きおふ」は「自分の事と思って聞く」の意味。もとの平中の逸話はともかく、大和物語の作者の採用には、上の現代語訳とは少し違ったニュアンスが感じられるが、今は過ぎゆく]

047段 深き紅葉の色を見ましや

 、陽成院の妻のひとりである一条の君[38段と同一人物か?]が、

おく山に
  こゝろを入れて たづねずは
    深きもみぢの 色を見ましや

[(ただ遠く眺めるだけでなく)
   山の奥へと 一途な思いで訪ねて行かなければ
     深く色づいた紅葉の
   色彩を見ることが出来るでしょうか]

048段 わたる春日の影なれや

 前の帝[宇多天皇か清和天皇か定まらず]の時、刑部の君(ぎょうぶのきみ)と呼ばれていた更衣(こうい)[天皇の妻のうち、女御より下]が、里に下がられたまま、長らく参上しないので、天皇が遣わした和歌。

大空を
  わたる春日の 影なれや
    よそにのみして のどけかるらむ
          宇多天皇 or 清和天皇 (新古今集)

[大空を
   わたる春の日の太陽なのだろうか
  余所から眺めるばかりで
    のどかそうにしているようですね]

049段 たれか折らまし我が宿の菊

 そのおなじ帝[宇多天皇か清和天皇]が、斎院(さいいん)[京都賀茂神社に使える未婚の皇女。ちなみに斎宮(さいぐう)は伊勢神宮で別]になっていた自らの娘のもとに、菊の贈り物と一緒に、

ゆきて見ぬ
   人のためにと 思はずは
 誰か折らまし わが宿の菊
          宇多天皇 or 清和天皇 (続古今集)

[出向いてこの菊を見ることの出来ないであろうお前
   そうして、こちらから出向くことも叶わないお前のために
  そう思わなかったら
    誰が折って贈ったりするだろうか
      この家(宮中)のお前もよく知っているはずの菊の花を]

と詠めば、斎院からの返し、

わが宿に
   色をりとむる 君なくは
 よそにもきくの 花を見ましや
          斎院

[わたしの家に
   美しい色のままに折り取ってくださるあなたがなければ
     よその話として聞くばかりで
  どうして、そちら(宮中)の菊の花を
    見ることが叶うでしょうか
      (いいえ叶いません、叶いません
         ですからありがとうとお伝えします)]

050段 木高き峰にゐるものは

 かいせん(かいせう)法師[27段、28段に出]が、(修行のために)山[おそらく比叡山か]に登ったとき、

雲ならで
  木高(こだか)き峰に ゐるものは
 憂き世をそむく わが身なりけり
          かいせん (新拾遺集)

[雲でもないのに
   木の高くそびえるような峰に 居るものは
  憂いに満ちた人の世から目を背けた
    このわたしの姿であった]

2017/11/11
2018/10/20 改訂

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