『大和物語』031段~040段

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031段 夏の夜の夢

 同じ右京の大夫[源宗于]が、監の命婦におくった和歌。

よそながら 思ひしよりも
  夏の夜の 見はてぬ夢ぞ
    はかなかりける
          源宗于 (後撰集)

[他人事として考えていたときよりも
   みじかい夏の夜の 見つくしていない夢こそ
     はかないものに思われます]

[段単独では、恋の和歌にしか響かないが、30段32段の昇進に関する沈んだ和歌に挟み込むことによって、まるで監の命婦に対して、また昇進が叶わなかったことを嘆くような場景の意義を、二重に持たせている。すると、30段での宇多天皇へのアピールが、31段ではかない夢へ果て、さらに32段の懇願の和歌へ移行するという作者の思惑が、素直に見えてくる。]

032段 もりすぎぬらむ

 亭子の院[宇多天皇]に、右京の大夫(かみ)[源宗于]が、(出世を願って)詠んで奉った和歌。

あはれてふ 人もあるべく
   むさし野の 草とだにこそ
  生ふべかりけれ
          源宗于 (続後撰集 監の命婦の和歌として)

[(古今集の「紫の一本ゆゑに武蔵野の
   草はみながらあはれとぞ見る」という歌にあるように)
    「哀れ(いとしい)」といって
   情けを掛けてくれる人があるように
     せめて、武蔵野の草くらいにでも
    生まれてくればよかったものを]

[恋歌を、出世の懇願の和歌に転用したものか。「草とだに」は「せめて草として」くらいで、「こそ」も強調なので、「せめても武蔵野の草としてこそ」という意味。つまり、自らはただの草の立場であるが、せめて武蔵野の草であれば、目を掛けて貰える可能性があるのにということ。]

さらに、

しぐれのみ
  降る山里の 木のしたは
    をる人からや もりすぎぬらむ
          源宗于

[時雨ばかり
   降る山里の 木の下は
  あるいは そこに居る人自身のせいなのでしょうか
    それとも枝を折る人のせいなのでしょうか
      雨が枝から漏れ落ちて来ます]

[「時雨のみふる」には「降る」と共に「泣きながら時を経(ふ)る」の意味が、「をる人からや」には「枝を折る人のせいで」「そこに居(を)る人のせいで」の意味が掛け合わされ、「もりすぎぬらむ」は「時雨のせいで雨が木の下に漏れる」の意図に、「自らが昇進から漏れて過ごしている」の意図を掛け合わせている。]

とも詠んだが、帝は気に掛けては下さらなかった。帝はこれを読んだ時、「なんのことだかさっぱり分らない」といって、僧都(そうず)の君[僧都は僧の官職で、上から僧正・僧都・律師がある]にお見せになったと聞かされて、「和歌を詠んだ甲斐がなかった」と右京の大夫は語っていた。

033段 ときはながらに

 かつて凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)が、宇多法皇に(出世を願って)詠んで奉った和歌。

立ち寄らむ
  木のもともなき つたの身は
    ときはながらに 秋ぞかなしき
          凡河内躬恒

[自らを支えるべき
   立木さえもない 蔦(つた)のようなこの身は
     ずっと常緑のままで迎える 秋こそ悲しいものです]

[「つた」には「拙い」の意味を掛ける。常緑のままなので秋が悲しいというのは、身分による服の色が、いつまでも変わらず、色づかないことを嘆いたもの。具体的な官位を当てはめる意見もある。]

034段 色ぞとは思ほへずとも

 右京の大夫(かみ)[源宗于]のもとに、ある女がおくった和歌。

色ぞとは
  思ほへずとも この花は
    時につけつゝ 思ひいでなむ

[華のある色だとは 思えないかも知れませんが
   この花を 時折はご覧になって
     わたしのことを思い出してください]

035段 大内山

 堤の中納言[藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)(877-933)]が、宮中の使いとして、大内山(御室山のこと)にいる宇多法皇のもとに参上すると、なんとなく心細そうにしていらっしゃるので、しみじみとした同情が湧いてきた。高いところであれば、雲は下の方から、沢山立ち上ってくるように見えたので、このように詠んだ。

白雲の
  こゝのへに立つ 峰なれば
    大内山と いふにぞありける
          藤原兼輔 (新勅撰集)

[(まるで宮中の例えでもあるかのように)
   白雲が
     九重にも立つような 峰であるからこそ
       この山を大内山と
     言うには違いありません]

036段 くれ竹のよよのみやこ

 伊勢国に、前の斎宮[宇多天皇皇女である柔子内親王(じゅうし・よしこないしんのう)]が居られた時に、堤の中納言[藤原兼輔]が、宮中の使いとして訪れた時に。

くれ竹の
  よゝのみやこと 聞くからに
    君はちとせの うたがひもなし
          藤原兼輔 (新勅撰集)

[この地は
   呉竹の節々のように 代々栄える都と言われますから
  あなたの千年たっても変わらないであろう栄えは
    疑いもありません]

 返歌は知らない。ただ、この斎宮のいらっしゃった場所は、多気(たけ)の地にあり、「たけのみやこ」と言われていたものである。

037段 花もこそあれ

 出雲の守(いずものかみ)が、兄弟のひとりは昇進して、殿上(てんじょう)[天皇の生活する清涼殿への昇殿]を許されたのに、自分はそのような立場になれなかった時、詠んだ和歌。

かく咲ける
  花もこそあれ わがために
    おなじ春とや いふべかりける

[同種の木であるはずなのに
    一方ではこのように咲き誇る花もあるのに……
   (出雲の国守である)わたしにとって
  これをおなじ春であると
    言うことが出来るのだろうか]

[「はらからひとり」が「春からひとり」とたわむれたのなら、「いづも」の名称も出雲の守を口実に、「出づる」「萌ゆ」などとたわむれただけなのかな、という邪推も生まれてしまうような小品。]

038段 とふ人あらば

 先の帝清和天皇(せいわてんのう)(850-880)の五の皇子[貞平親王]の娘は、一条の君[47段の一条の君と同一人物か?]と呼ばれて、京極の御息所[藤原時平の娘褒子(ほうし)]のもとに使えていたが、良くない事情があって退出されて、壱岐(いき)の守(かみ)の妻として、都を去る時に詠まれた和歌。

たまさかに とふ人あらば
  わたの原 嘆きほにあげて
    いぬとこたへよ

[もしまれに 私のことを尋ねる人があったなら
    海原を まるで嘆きを帆のように高く上げながら
   みやこを去ったと答えてください]

[すぐに古今集の「わくらばにとふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答えよ」(962番在原行平)の和歌が思い起こされたであろうもの。]

039段 ほどをも待たぬ朝顔は

 伊勢の守である源衆望(みなもとのもろみち)の娘を、源正明(みなもとのただあきら)と結婚させた時に、そこに仕えていたいた少女を源宗于(みなもとのむねゆき)(?-940)が呼び寄せて、一夜を語り明かして、翌朝におくった和歌。

おく露の
  ほどをも待たぬ あさがほは
 見ずぞなか/\ あるべかりける
          源宗于 (新勅撰集)

[露が置かれる
   あいださえ待たずに しぼんでしまう朝顔は
  見ない方がかえって 良かったように思われるのですが……]

[わたしにはどうしても見ないわけにはいかなかったような意図?]

040段 ほたる

 桂の皇女[孚子内親王(ふしないしんのう)]のもとに、式部卿の宮[敦慶親王(あつよししんのう)]が通っていた頃、式部卿の宮に使えていた少女が、密かに宮を思っていたのを、宮は気づかなかった。

 螢の飛び交う夜、「あれを捕らえてきて」とおっしゃると、少女用の着物の袖に蛍を捕まえてきて、包んでお見せになる時に、少女がおくった和歌。

つゝめども 隠れぬものは
   夏虫の 身よりあまれる
  思ひなりけり
          少女 (後撰集)

[包み込んでも 隠しきれないものは
   この夏の虫の 身からあふれ出るような
     思いなのではないかしら]

2017/11/10
2018/10/18 改訂

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