『大和物語』三十一段~四十段

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大和物語 三十一段~四十段

三十一

 同じ源宗于(むねゆき)が、監の命婦におくった和歌。

よそながら 思ひしよりも
  夏の夜の 見はてぬ夢ぞ
    はかなかりける
          源宗于 (後撰集)

三十二

 亭子の院(宇多天皇)に、源宗于が、出世を願って詠んで奉った和歌。

あはれてふ 人もあるべく
   むさし野の 草とだにこそ
  生ふべかりけれ
          源宗于 (続後撰集)

さらに、

しぐれのみ
  降る山里の 木のしたは
    をる人からや もりすぎぬらむ
          源宗于

ともあったが、顧みてはくださらなかった。「院は、これは何の意味だと、近くの高僧に尋ねたそうで、和歌を詠んだ甲斐がありませんでした」と、後に語るのだった。[](もっとも本当に意味が分らないはずもないのだけれど)

三十三

 こちらは、かつて凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)が、宇多法皇に出世を願って、

立ち寄らむ
  木のもともなき つたの身は
    ときはながらに 秋ぞかなしき
          凡河内躬恒

三十四

 源宗于のもとに、ある女がおくった和歌。

色ぞとは
  思ほへずとも この花は
    時につけつゝ 思ひいでなむ

三十五

 堤の中納言こと、藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)(877-933)が、大内山(御室山のこと)にいる宇多法皇のもとに使いに参ると、雲が下からのぼるほど高いところで、法皇が心細そうにされているので。

白雲の
  こゝのへに立つ 峰なれば
    大内山と いふにぞありける
          藤原兼輔 (新勅撰集)

三十六

 柔子内親王(じゅうし・よしこないしんのう)が、伊勢国に斎宮(さいぐう)としていらっしゃった時に、堤の中納言(藤原兼輔)が命を受けて参上した時の和歌。

くれ竹の
  よゝのみやこと 聞くからに
    君はちとせの うたがひもなし
          藤原兼輔 (新勅撰集)

三十七

 出雲の守(いずものかみ)が、兄弟のひとりが昇進して、帝のもとに昇ることを許されて、自分はそれが許されなかったので詠んだ和歌。

かく咲ける
  花もこそあれ わがために
    おなじ春とや いふべかりける

三十八

 清和天皇(せいわてんのう)(850-880)の五の皇子(みこ)の娘は、一条の君と呼ばれて、藤原時平の娘に使えていたが、良くない事情で下がられて、壱岐(いき)の守(かみ)の妻として、都を去られて詠まれた和歌。

たまさかに とふ人あらば
  わたの原 嘆きほにあげて
    いぬとこたへよ

三十九

 源衆望(みなもとのもろみち)の娘が、源正明(みなもとのただあきら)と結婚した時に、そこにいた少女を源宗于(みなもとのむねゆき)(?-940)が呼び寄せて、一夜を共にして、翌朝におくった和歌。

おく露の
  ほどをも待たぬ あさがほは
 見ずぞなか/\ あるべかりける
          源宗于 (新勅撰集)

四十

 桂の皇女(孚子内親王・ふしないしんのう)のもとに式部卿の宮(敦慶親王・あつよししんのう)が通っていた頃、式部卿の宮に使えていた少女が、密かに宮を思っていたのを、宮は気づかなかった。

 宮が少女に、飛び交う蛍を捕らえてきてと命じると、捕まえた蛍と共に、少女がおくった和歌。

つゝめども 隠れぬものは
   夏虫の 身よりあまれる
  思ひなりけり
          少女 (後撰集)

2017/11/10

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