『大和物語』十一段~二十段

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大和物語 十一段~二十段

十一

 今は亡き源清蔭(みなもとのきよかげ)が、藤原忠房(ふじわらのただふさ)(?-929)の娘のもとに通っていたのを、醍醐天皇の皇女に心変わりしてからも、娘との間には子供もあり、語らいは絶えず、おなじところに住んでいた。

 あるとき「住吉の松でもないけれど久しく間が空いてしまいました」と源清蔭が和歌を贈ると、「そんな長い時間でもないのに、住吉の松は(別の人を待つの松に)生え替わってしまったのでしょうか」と返答があった。

住の江の 松ならなくに
  ひさしくも 君と寝ぬ夜の
    なりにけるかな
          源清蔭 (拾遺集)

ひさしくも おもほえねども
   住の江の 松やふたゝび
      生ひかはるらむ
          藤原忠房の娘 (拾遺集)

十二

 その源清蔭は、醍醐天皇の皇女と結ばれたが、それは宇多院が結婚の仲介をしたのである。しかし、はじめの頃は、しのんでは夜な夜な通いながら、こんな和歌を詠んだものである。

あくといへば
   しづこゝろなき 春の夜を
  夢とや君を 夜(よる)のみは見む
          源清蔭 (新古今)

十三

 藤原千兼(ちかぬ)の妻に、「としこ」という人があった。子供に恵まれ暮らしていたが、「としこ」が亡くなってしまったので、千兼が悲しんでいると、「としこ」の知人であった「一条の君」の従者に会ったので、

思ひきや
   すぎにし人の かなしきに
  君さへつらく ならむものとは
          藤原千兼

と、弔問にも来ない「一条の君」への和歌をゆだねた。すると返しに、

なき人を
  君が聞かくに かけじとて
    泣く/\しのぶ ほどな恨みそ
          一条の君

つまり、死んだ人のことを、あれこれと聞かせないように、逢わないで我慢しているのですと返事があった。

十四

 「おほつぶね」という幼名の女性が、陽成院(ようぜいいん)の元へ送られたが、院が顔を見せてくれないので詠んだ和歌。

あらたまの 年は経ねども
   猿沢(さるさは)の 池の玉藻は みつべかりけり
          おほつぶね

十五

 また陽成院は、「若狭(わかさ)の御(ご)」という女性と一夜を共にしたが、ふたたびお召しがないので、女性が詠んだ和歌。

かずならぬ
  身におく夜の しら玉は
    ひかり見えさす ものにぞありける
          若狭の御 (後撰集)

十六

 陽成院に仕える「すけの御(ご)」と呼ばれる女性が、「まま父の少将」という少将と交わした和歌。

春の野は はるけながらも
   忘れ草 生ふるは見ゆる
 ものにぞありける
          すけの御

春の野に
  生ひじとぞおもふ 忘れ草
    つらきこゝろの 種しなければ
          まま父の少将

十七

 「出羽(いでは)の御(ご)」とよばれる女性のもとに、「まま父の少将」が通っていたが、別れてから女性が、ススキに文を付けて送ってきたので、

秋風に なびく尾花は
  むかし見し たもとに似てぞ
    恋しかりける
          まま父の少将

と言ってやれば、女の返し、

たもとゝも しのばざらまし
 秋風に なびく尾花の
  おどろかさずは
          出羽の御

十八

 いまは亡き式部卿の宮。つまり、宇多天皇の息子である敦慶親王(あつよししんのう)が、「二条の御息所(みやすどころ)」とよばれる女性のもとに通わなくなってしまったので、次の年の正月七日に、女性が若菜を差し上げながら詠んだ和歌。

ふるさとゝ
  荒れにし宿の 草の葉も
 君がためとぞの まづはつみける
          二条の御息所

十九

 秋の頃。おなじ女性が、おなじ式部卿の宮に、しばらく来ないので送った和歌と、宮からの返し。

世に経れど
   恋もせぬ身の 夕されば
 すゞろにものゝ 悲しきやなぞ
          二条の御息所

夕ぐれに もの思ふ時は
   かんな月
  われもしぐれに おとらざりけり
          敦慶親王(あつよししんのう)

二十

 やはり、その式部卿の宮を、「桂の皇女(かつらのみこ)」とよばれる女性が、恋い慕ったが、おいでにならないので、「月の桂というものがありますが、私がもし月の桂の皇女であったなら」という思いを込めて、月のすばらしい夜におくった和歌。

ひさかたの
   空なる月の 身なりせば
  ゆくとも見えで 君は見てまし

2017/11/08

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