万葉集あるいは短歌の作り方 没原稿

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万葉集あるいは短歌の作り方 没原稿

 2016年4月。
  はじめて『万葉集』を読破。秀歌の紹介だけなら、疾うに終わっていたものを、やさしい和歌からの紹介を始めてしまい、「はじめての万葉集」だけでも、4月を使い切る。さらに「ふたたびの万葉集」の草稿で5月の前半を使い切る。おまけにちょっとした手引きであったはずの、当コンテンツの脱線と拡大。『万葉集』とは関係のない、詩型に関する細々とした考察で時を潰し、完成すると、5月が終了しているという不始末を迎える。

 その馬鹿馬鹿しくも、過ごしてしまった、果てなき脱線の見せしめに、運良く残された、いくつかの草稿を、ここに留めおくだけのこと。これも何かの、思い出くらいにはなるであろうものを。(2016/05/29 記す)

「句切れ」 その一

 まずは、「その四」で、一番はじめに記されたものの、くどくどしくて、最後に「おまけ」として掲載。それも邪魔となり、捨てられたもの。

切れについて

 切れとは、文章の切れ目のことです。
  切れ目とは、一つの意味のまとまりと、別の一つの意味のまとまりの、境界線のことで、文章が長くなれば、自然と発生せざるを得ません。現に今記した説明文にも、句読点(くとうてん)、
     句点(くてん) ⇒[。]
     読点(とうてん)⇒[、]

が沢山使用されていたでしょう。これがすべて文章の切れ目に相当します。この説明文の冒頭を見てください。はじめの「切れとは」という表現は、「切れを定義します」というひとつの意味のまとまりです。次の「文章の切れ目のことです」は、先ほどの意味のまとまりを受けて、「定義された」内容を示す、ひとつのまとまりです。それぞれの中心となる意義が異なるものですから、そこに切れ目が生じるのは、わたしたちが言葉をある程度のブロックごとに、まとまった意味として捉えているからにすぎません。ですから、
     「桜の花は咲きましたが寒い日が続きます」
と語られると、前半の「桜の花」について語った部分と、後半の「寒い日」について語った部分に、どうしても、勝手に切れが生じてしまう。切れの根本的な意味は、意識して文脈を分かつことにあるのではなく、ある程度長い文脈を語ると、自然に切れ目が生じてしまうと言う、ただそれだけの事なのです。しかも程度の問題に過ぎませんから、先ほどの文章も、大きくは二つに切れますが、同時に、
     「桜の花は、咲きましたが」
     「寒い日が、続きます」
それぞれのブロックが主語と述語に意味を分かちますから、自然と弱い切れが生じてしまう。これは嫌でも生じてしまうのです。ただ「桜の花」「寒い日」の文脈を分かつほど強いものでないために、今のようにあえて読点[、]を加えなくても、不自然ではありません。それに対して、
     「桜の花は咲きましたが寒い日が続きます」
については、ある程度の切れが生じているヶ所と、文章の終わりには、句読点を付けるのが、私たちの文章生活にルールとして存在しているものですから、
     「桜の花は咲きましたが、寒い日が続きます。」
と表現された方が、自然に感じる。ただそれだけのことなのです。

 そこで短歌のお話しです。

[1]
 三十一字はなるほど物語を語るには短い文章ですが、一つの意味のまとまりを述べるには、長すぎる文章です。したがって嫌でも、どこかに文脈の途切れは発生します。

[2]
 [五七五七七]という詩型から、文章は五つのブロックに分けられます。実際に作ったり読んだりしているとお分かりかと思いますが、わたしたちは短歌という詩型に接している時は、自然にこのブロックを五つのブロックとして把握しながら読んでしまいます。実はそれだけで、通常の文章を読むときよりは、きわめて弱い切れが、ブロックごとに生じているのです。それでわざと文脈の途切れを、ブロックの途切れと別のところに置くと、ユニークな表現効果が得られる。それはわたしたちが、様式化された詩型のなかで、それぞれのブロックを分けて考えてしまうからに他なりません。
 ですから、わざと字余りにしたり、部分的に破格(はかく)[詩の形式を破ること]にしても、詩型として把握してしまう効果をわきまえていると、短歌であることを保ったまま、ユニークな表現も出来ます。一方でその意識もなく、ただ形式から逃れると、それは短歌ではなく、単なる短詩ということになる訳です。

[3]
 また日本語の文章において、一つの意味のまとまりを述べるには、三十一字というのはむしろ冗長なくらいで、したがってただ中心となる思いを、たとえば「あなたが好き」であるという事実だけを、三十一字続けると、非常に間延びしたことになります。代わりに、その思いを伝えるために、「夜も眠れずに」「ひとりで携帯を眺めて」など、思いそのものでは無いこと、思いを述べるための状況を提示してやると、まとまりの良い、したがって相手に伝わりやすい、自らの心情にもしっくりいくような表現になります。ところがそれは状況であって、思いそのものではありませんから、[状況][思い]の文脈には、強いか弱いかは別として、おのずから切れが生じます。

[4]
 そのようなこともあり、短歌では、そのパターンに当てはめれば、比較的無難に様式化された詩型として、表現をまっとうできるような、表現の傾向が生まれてきました。たとえば、
     [前半二句か三句で状況を述べて]
          ⇒[後半の心情にまとめる]
     [初めの二句と、次の二句を対置、あるいは併置して]
          ⇒[結句にまとめる]
     [冒頭に心情を述べ]
          ⇒[残りでその解説をする]
これは一例で、いろいろな表現方法がありますが、それは実際の短歌に接しながら、眺めていけばいいとして……
 このような定型を使用すると自ずから、それぞれの意義の境目で、切れが生じるのは当然かと思われます。

[5]
 後で「倒置法」のところで見ますが、言いたいことを始めに述べるなどして、冷静な時に説明的に語るのとは、文脈を入れ替えて表現するような場合は、自ずから入れ替えた(実際は入れ替えた分けではありませんが)部分で、強い切れを生じます。

 なんだか馬鹿馬鹿しいので、終わりにします。こんな切れの派生などを定義して、いったいなんの意味があるのでしょうか。特に『万葉集』の場合は、一説には片言問答や、旋頭歌から由来するのではという意見もありますが、いずれにせよ二句目か、三句目で切れを生じるのが普通です。ただ学校などで『万葉集』では二句切れが優位で、次第に『古今和歌集』の三句切れに移っていったなどと教えるのは止めて欲しいと思います。これだと何も知らない相手に『万葉集』時代の作詩は「二句切れ」を意識して行っていたような印象しか抱かせません。実際に『万葉集』を眺めれば分かると思いますが、最初期から「二句切れ」と「三句切れ」の両方に価値を認めて、状況に応じて詠み分けているのが分かると思います。共に表現方法として認められていたものが、後の世に一方に傾いたのであって、「二句切れ」という価値観が、「三句切れ」という価値観に移り変ったのではまったくありません。

[おまけ]
 切れを見つけることに価値があるなら、「切れ」をお宝発見すること目的があるのではなく、文脈の途切れを見分けさせるために存在するものです。なぜ文脈が途切れるのかを悟らせず、ただ「です」やら「かな」やらが参上したから切れますような教育は止めにしてください。また短歌には切れが必要などと、適当なことを言うのも止めてください。切れが必要なのではなく、様式に相応しい表現方法があって、それをマスターしていけば、おのずと切れが生じてくるのです。その結果としての切れが必要だと、はじめに解くのは、相手を成長させるための教育になっていません。和歌を作るものが和歌を作るものへのアドバイスをする、当時の歌学書とは違うのですから。

「句切れ」 その二

 執筆しながら探るような、内容の不明瞭と、とりとめもない肥大のため、上の「句切れ」の代わりに「その四」の「句切れについて」のところに、入れかけていたものを、除去して破棄。「その五」の「内容による構造化」との絡みで、混迷を加えていたらしいが、おかげで「内容による構造化」がまとまった側面もあるか。おそらくもっとも時間を浪費した部分。

句切れについて

 文章でも会話でも、意味上の区切りから、句読点や息継ぎが発生します。それを「切れ」と呼ぶことにします。「そう思って、帰ってきました」のように、ちょっとした文脈の分け目に過ぎないものから、「~しました。それから~。」のように、二つの文章に分かれているものまで、切れの程度は様々です。

 また短歌の特性上、[五七五七七]のそれぞれの句の境目にも「切れ」が生じます。私たちは通常、形式上の「切れ」に、文章の「切れ」を合せて、様式的な短歌にしていますが、わざと文章の「切れ」をずらして、形式から逸れたような印象を持たせることも、しばしば行われます。
     「また雨が 降る古傷は 銃痕の」
の上句の「雨が降る」のような効果です。(「はぐらかし」とでも呼びましょうか。)しかし、その場合でも句ごとの切れは保たれるのが普通ですから、短歌は弱い五つの切れからなっていると捉えることも可能です。

 この文章と短歌の切れのうち、特に強いものを、短歌の句切れ(くぎれ)と呼びます。初心者向けには、句点すなわち「。」が付けられるところを区切れと紹介することもありますが、それは文章が二つに分かれている場合、もっとも強い切れを感じるからに他なりません。

 たとえば、
     「青空に 鳥は飛びたち 雲に入り
       鳴き声だけが 響き渡るよ」
という短歌は、最後にしか句点、
 すなわち「。」を付けることが出来ませんが、
     「青空に 鳥は飛びたつ 雲に入り
       鳴き声だけが 響き渡るよ」
なら、ひと文字違うだけですが、二句目の後ろにも句点「。」が入りますから、二句で切れると云うことになります。それなら何故、ひと文字違うだけで、内容もほとんど変わらないのに、急に「ぶち切れ」なさるのかと言うと、それは私たちが、文章の途切れを、話の区切りとして、認識してしまうからに過ぎません。

 この種の句切れで、短歌に特徴的なのは、
  文脈を倒置したときに、生まれてくる句切れです。
   たとえば先ほどの文章を、
      「鳴き声だけが 響き渡るよ
     青空に 小鳥は飛びたち 雲に入り」
もともと「響き渡るよ」で文章が終わりますから、その後には切れが生じます。それで二句で切れる。すなわち「二句切れ」と言います。一方で最後の「雲に入り」というのは、通常なら文章を終わらせるものではありませんが、詩型が終了してしまいましたから、断絶して途切れます。すると、私たちの文脈を把握する際の傾向から、「雲に入り」が冒頭に回帰するようには感じられず、むしろ別のことを続けようとしたのに、断絶してしまった印象となって残される。すると何を伝えようとしたのか、推し量るような余韻が残され、それが詩情に大きく作用するために、このような倒置法はしばしば利用され、定番の修辞法になっています。(倒置については後でまた眺めましょう。)

 ところで、定型詩がそれ自身を閉ざす切れは、絶対的なものですから、どんな表現の半ばでも、そこで文章は終了します。ただそれが終了したように響かないと、うまく仕込めば余韻を生み出したり、失敗すれば、よほどへたくそな歌に思われたりすることになります。この詩型自体の切れは、当然のことなので、あえて「結句切れ」などと呼んだりはしません。それで句点が最後にしか付かないような表現は「句切れなし」、初句の後に途切れれば「初句切れ」、二句の後に途切れれば「二句切れ」のように表現します。

 ところが、句ごとの「切れ」と、特に切れている印象のある「句切れ」は、二種類あるのではなく、段階的な切れの強度の特に高いものを、「句切れ」と呼んでいるに過ぎません。二つの文章になるものは、そのもっとも明確なもので、たとえば「山が眠っていた。山が眠っていたよ。」と同じ内容を繰り返しただけでも、明確に二つに分かつくらいの強制力がありますが、それより弱い状態でも、前後の強く切れているような感覚、すなわち「句切れ」は起ります。

内容による句切れ

 たとえば、文章が連続的でも、
   [昨日の夢の話]⇒[今の心境]
   [情景描写]⇒[心理描写]
など、前後の内容が大きく異なる場合には、強めの句切れが生じる可能性は高くなります。あるいは[AはBであり][CはDであった]のように、二つの類似の文脈を対置する場合にも、その前後に強めの句切れが生じる可能性は高くなります。けれどもこの、内容のブロックというのは、表現方法によって、いくらでも[句切れ]を操ることが可能で、たとえば、

青空は 雲を浮かべる
  海原に 船はたゆたう
    浜の眺めよ

とすれば、二句と四句で句切れが発生して、
 短歌は三つのブロックに分かれますが、
  もしこれを、

青空は 流れる雲の
  船浮かぶ 大海原を
    じっと眺めて

とすると、先ほどの句切れよりは、はるかに一つの文章の印象がまさってくる。ただ内容として、[空の事]⇒[海の事]⇒[自らの事]という変遷があるため、先ほどの[句切れ]はぼやかされてはいるけれど、存在はしていますが、特に四句目などは、[四句切れ]とは呼べないくらい、結句と文脈を共にしてしまっています。

 なぜこのようなことを詳細に語ったかと言いますと、これから形式の説明をしますが、形式というのは半分は内容に基づいていますが、半分は表現の問題になります。そうして説明の便宜上、[句切れ]という言葉を使用して、形式を説明してしまいますが、実際はたとえば[情景]⇒[心情]という変遷を、明確な[句切れ]を持って移し替えることも出来ますし、わざと連続的に、明確な[句切れ]を持たせないように、短歌を描き出すことも出来ます。ですから、これから[句切れ]をもって説明する内容は、ただ便宜上のもので、実際は
  (断絶)

その五の冒頭

 初稿版の「その五」の冒頭を元に、今の冒頭が作られた、その初稿版が運良く残っていたので、ここに留めておくことにする。

短歌の作り方その五 冒頭

 中学生の頃に落書きした歌の歌詞を、大人になってから眺めたら、恥ずかしくてたまらなくなった。という経験を持っている人もいるかも知れませんが、それは思いが大人になった自分に劣るのではありません。むしろ、ありったけの思いを、中学生の使用する日常の語りで、そのまま描き出しているのが、大人になってからの自分は、もっと表現力も豊かで、しかも思いをダイレクトに伝えるようなことは、しなくなっているものですから、なんだか恥ずかしく感じられてしまうのです。

 また、同じ中学生同士であると仮定しても、当人が傑作だと思い込んだ程には、まわりの友だちは感動してくれないと言うことがあります。(かえってそれが普通かもしれません。)これは自らが主観にゆだねた表現というものが、その主観を共有していないものにとっては、そのまま「うれしい」や「かなしい」と表現しただけでは伝わらず、まるで、泣くべき状況もなくて突然泣き出したり、よく分からないうちに怒り出されたり、つまり感情を表現すべきシチュエーションが、第三者から見て備わっていないために、共感できないからに他なりません。それで勝手に盛り上がって、勝手にしおれたような、なんだか分からないや。という事にもなるのです。

 つまり、日常生活で、一緒に試合に勝ったり、一緒に美味しいものを食べたり、おなじ駄洒落で笑い合っている、そのままを描いたのでは、当人達には情緒も伝わり、内容も理解できるものですが、それを第三者が読むとなると、何らかの共鳴を引き起こすための、手続きが必要になってくる。先ほどの中学生が、自らの詩を傑作だと思い込んだのは、(当たり前の事ではありますが、)主観を自分自身と共有しているからに過ぎず、逆に友だちが引いたのは、主観を共有していない。すなわち第三者の立場にあるからに他なりません。実はこの時、友だちは、あなたが誰かの詩を読む時と同じように、あなたと切り離された一つの作品として、あなたの作品を眺めていたことになります。そうしてあなた自身も、逆に友だちの書いた一大傑作に、あきれかえった経験があるのなら……

 そのあきれかえった経験に、理由を付ければもう批評です。それが中学生の友だち同士でもありきたりに起こると言うことは、何も批判の精神を勉強するまでもなく、当人のもとを離れた言葉の羅列を、つじつまが合っているとか、意味が分からないとか、うまい表現だとか、へたくそだとか、感じてしまうということで、批判というのも結局は、その延長線上の出来事には過ぎないものです。そうであるならば……

 その時すでにあなたは、その言葉を「ひとつの作品として」あれこれ判断しているということになります。ただそれを、自らが主観で描いた落書を見るときには、自らの主観に依存してしまって、第三者の立場で眺めることが出来ないでいる。もちろん表現のつたなさもありますが、大人になった自分が、過去の作品を見て、主観にゆだねて書いたもののようで、恥ずかしくなるのは、自分がその主観と離れたせいもありますが、同時にいつの間にか、自分の批評の基準が向上して、かつての自分の言葉くらい、優劣を付けられるくらいに成長したと見ることも出来るのです。

  ただし、別の見方も出来ます。
 つまりは、大人になった自分が、あの頃の自分のようには、主観をあふれさせることが出来なくなった。それで思いを共有できなくなったという見解です。簡単に言えば、心が死んじゃったくらいのものですが、そこまで行かなくても、大した深い思いもないのに、体裁ばかりを取り繕って、それらしいものを生みなしても、今度は共感すべき主観が乏しくて、相手が言葉をこね回した、着想や頓知ばかりが目についてしまい、感動すべき作品としては、どうしても認められなくなります。(謎サークルのお宝品評会を覗けば、そんな骨董品が陳列していると思います。)

 概して、幼いうちは主観を美徳として、修辞をいつわりの表現と感じる傾向があり(これは一種のモラルです)、またそういう人の方が、それらしい立派な作品をこしらえて、褒められているような、卒のない人よりは、後々優れた作品を残す可能性は、はるかに高いと思われます。(正直に白状しますと、そういう卒のない人たちが、わたしは嫌いなだけですが。)

 つまりは、表現すべき思いと、それを第三者に伝えるべき表現力が自らのなかで結びつかないと、どうしても優れた作品は表現し難い(出来ない訳ではありません)ものですが、中学生くらいですと、なかなかその二つが結びつかず、したがって他の人が読むと、しばしば、情緒は同レベルであるはずの友人たちですら、共感できないという事にもなる訳です。

 そこで、これまでは思ったことを、なるべく素直に書いて見ようと言うことを目標にして、(ただし第二段階としてちょっとした修辞法の紹介も加えて、)説明を加えてきましたが、ここからは、伝えたい思いはそのままに、より第三者が読んでも、作品として共感できるように、言葉を整える、あるいは詩としての体裁を整えることについて、解説を加えようかと思います。

 これもまた、書籍など購入致して、
  お勉強するようなものではありません。
 ただ、自分が他人の詩を読んでいる時に感じたこと、考えたこと。例えば、自分はどう感じたか、作者は何を考えたのか、それはどれくらい伝わったのか、伝わったのはなぜか、伝わらなかったものは何か、それはなぜか、さらにはもっと伝えるためには、どのような表現をすれば好かったのか。つまりは、批判の目を持つことで、それを高めていけば、(初めのうちは自分の作品だけを、特別なものとしてしまいがちですが、)やがて自然に、自分の作品に対しても、第三者の目で眺められるように、少しずつなっていく。だから、沢山落書きして、他の人の書いたものも沢山読んでみる。特に優れた作品として知られているものは、多くの人の信任を得ているのですから、(もちろんそれを、優れたものだと納得する必要はありません、けなしてやるつもりでも構わない、)取りあえず、読んでみることをお勧めします。

その七 歳時記の説明

 「その七」の「歳時記」の説明に記してあったが、「これまでの慣習に従うのがすばらしい」という言葉に、自分を納得させられずに、つまりは嘘くさくなって抹消。

歳時記についての途中

 ですから、一月、二月のかわりに、「むつき」「きさらぎ」などの表現をする場合も、あえて旧暦を使用する必要はありません。明治維新の後に、多くの旧暦で行われていた行事が、新暦での施行へ移されました。月の名称なども、それに準じます。(これはすでに変えられてしまったものですから、今更なんと言ってもしかたがありません。)

 季節感にそぐわないから、「歳時記」における、春夏秋冬の期間を変更すべきと言う主張もありますが、そもそも季節感という概念からして、私たちのなかでは変化します。かつて秋という言葉で捉えていたものを、私たちは夏と捉えるかも知れませんし、私たちが春と捉えているものを、将来は冬と捉えるかも知れません。またある人にとっては、八月迄が夏に思えるでしょうし、別の人にとっては、十月の第一週までかも知れません。北海道の人と、沖縄の人とでは、季節感だって違います。

 それなら、現在の「春夏秋冬」の範囲に合わせればいいという意見もありますが、すると今度は、暑中見舞いや残暑見舞いの時期を改めなければならなかったり、これまでに作られた俳句との整合性がとれなくなります。せっかく継続的なルールとして過去の鑑賞にも、現在の創作にも使えるものを、不自由にするのも改悪めいたいたずらです。

 さらに言葉面だけを捉えて、八月の暑さに「残暑」という表現は似合わないと叫ぶ人もありますが、あまりにもメディア漬けした日本人は、むしろ毎日天気予報で流される、八月の暑さをこそ「残暑」という名称で感じ取っているのではないでしょうか。つまり秋という概念自体が変化してゆくなら、「今現在の感覚」などという不確かなもので、安易にルールを変更するのは、きわめて危うい行為であり、なれの果てには、「歳時記」というものが、意味をなさなくなってしまうには違いありません。

 ですから、俳句の季語としての「春夏秋冬」は、これまでの慣習に則るのが、もっともすばらしい方針かと思われます。後から説明しますとおり、これによって私たちの創作が、妨げられることもありませんから、便宜上の分類は、既存のルールを、引き継いだ方が良いかと思われます。

その他

 やはり「その七」で、「や、かな、けり」のいつもと違う煮え切らない態度に、お叱りの手紙が届いて、考えを改めるという、愉快な内容があったが、ついいつものくせで、不要ファイルを消したところ、もはやリカバリーできなかった。一番面白かったのに、残念だという、それだけの話です。

2016/05/29

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