万葉集はじめての短歌の作り方 その八

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朗読ファイル

歌物語など

[朗読ファイル その一]

 後に「歌物語(うたものがたり)」と呼ばれる、物語と和歌の融合物も、ルーツをたどれば『古事記(こじき)』の物語内での歌の使用や、『万葉集』の漢文付きの和歌に、源泉を求めることが出来そうです。『万葉集』では漢文、つまりこれが今の散文にあたりますが、漢文が初めに置かれ、その後ろに長歌と短歌、あるいは短歌だけなど、和歌が置かれるという作品が、少なからず収められています。

 ちょっとだけ紹介するなら、例えば巻第五には「松浦川(まつらがわ)に遊ぶ序」に始まる漢文と短歌があります。軽い紹介なので、現代語で始めてしまいますが、

 わたしは、たまたま松浦の県に行って、歩き回り、玉島川(たましまがわ)の淵(ふち)のあたりを見物していると、すぐに魚を捕っている娘たちに出会った。

のように開始して、娘たちとのやり取りを、漢文、つまり散文のまま説明し、最後に和歌を送ったと散文を終えてから、今度は短歌を並べます。すると娘さんも短歌で答え、さらに歌を詠み、つまりは短歌で応答が交わされる。きわめて物語的な内容になっています。

 そうかと思えば、高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)という歌人の長歌(ちょうか)などは、完全に物語を長歌にして歌っていて、最後に反歌を付け加えますから、まるで物語を語られた後に、短歌が詠まれているような気分にさせられる。

 あるいは、巻第十五には「遣新羅使(けんしらぎし)」が新羅へ向かうまでの、船上での使節団の和歌が、収められていますが、出港から順に詠まれる和歌には、漢文つまり散文で、「~に向かう」「~で逆風にあって」などの説明が加えられ、並べられた短歌のうちに、ストーリーが進行するような気配です。もし散文と短歌の比率が入れ替われば、紀貫之の『土佐日記(とさにっき)』も、目の前にあるような気がしてきます。

 もちろん、今回は散文の記し方まで、足を進めるつもりはありませんから、「歌物語」を作ろうとは、いくら私でも述べたりはしません。ただ後に好まれる、和歌や発句を織り込ながら進行する、物語や紀行文、あるいは日記と呼ばれる文学作品のルーツが、『万葉集』にあることを紹介して、終わりにしたいと思います。

 ただ、あなたがもし様々な詩に興味を持って、人が認めるかどうかは横に置いて、自分は詩人だと思えるようになったとします。その時は、私はあなたにこう言いたいのです。詩だけが言葉を表現する形式なのかと……

 そうして、次は散文にも、自らを表現するべき言葉の可能性が潜んでいて、あなたを待っているかも知れないということを、覚えて置いてくださったらと思います。そうして思いを散文で述べて、和歌にまとめるような随筆なり、今日の旅行を散文で記し、情景を和歌に描くような紀行文なり、あるいは歌物語なりを、一つでも二つでも、いつか生みなせたら、素敵なことだと期待しているばかりです。

 つまりはそれが、
  ここでわざわざ歌物語について、
   説明を加えた理由には違いありませんから。

つかの間の歌物語

 わたしはといえば、日頃から優れた短歌を目指しているのでもなかった。あてもなく思いついた落書きを、ポケットに差し込んだメモみたいに、適当に記しては忘れてしまい、コーヒーの苦味にほろ酔いながら、くだらないおしゃべりに興じるようなもので、だから心情の素直さなど思いもよらない、こんな落書きもしてしまうのだった。

七夕の
  磁極の波を 漕ぐ船は
    玉色碧き 水の惑星

 けれども、目の前の遙は不服そうだった。
     「まるで科学の教科書のにせ物みたい」
と笑うのである。初夏の風が玄関から吹き抜けたとき、
 彼女の長い髪がくすぐったそうになびいた。
  いけないわたしは、ついその不満な顔をもっと見たくなって、
     「じゃあ、これならいいだろ」
とひと筆書して、せっかくの買い物リストのメモを台無しにして、彼女の前に差し出した。

七夕の
  寄り添う磁場の まどろみは
 玉色碧き 水のいたずら

     「ちょっと夕飯のメモなんだからね」
 わたしの短歌にはお構いなしに、彼女は急にとんがった。日常の不満を述べるその表情に、わたしはぼんやり見とれていた。なにも無いありきたりの毎日が、コーヒーの香りとなって立ちのぼる時、幸せが揺らぐような、不思議な寂しさに囚われたから。けれども彼女は、不意にそのメモを裏返すと、そばに転がっていたボールペンで、さらさらと何かを書き記すのだった。

ひと歳を
   七夕にして つかの間を
 織りつむ君の 描くその星

     「知的な遊びって、このくらいじゃない」
 そう言って笑った時、あなたの笑顔が、
   なんだかヒマワリみたいにまぶしかった。
               (おわり)

定型散文詩

 一般に「自由詩(じゆうし)」と呼ばれる、私たちの使用する現代語を利用した「散文による定型詩」を詠む時にも、俳句や短歌をベースに置くと、何となく作るより構成の緊密な、あるいはユニークな表現が出来る場合があります。特に一度綿密に凝縮した俳句や短歌を、散文に解体すると、構成感を保ちながら、開かれたような詩情を解放します。

形式について

 日本語の詩の定型は、字数、あるいはモーラ数による韻律に基づくと定義しても、実際のところ、それらはきわめて人工的な表現で、実体として韻律、すなわちモーラ数の定型的連続によって、詩的文章が生み出されている訳ではありません。「序破急」という概念が、西洋の「四楽章形式」とはまったく異なるものであるのと同様で、なんでも同じように、定義すれば良いというものでもなさそうです。

 ここでは便宜上、わたしの身勝手によりながら、
   いくつかの散文定型を、参考に記しておこうかと思います。
     もちろん、実践のためのものに過ぎません。

[一文詩・一行詩]
……一文からなる散文詩。あるいは一行からなる散文詩。形式への依存に乏しい自由律俳句、自由律短歌の多くは、ただの一行詩と変わらないものである。短いものほど誰にでも詠める、存在価値に乏しいものになるのは避けられない。そのため時折あるのは効果的だが、特に短いものは、そればかり作っていると、自らの無能証明書を発行しているのと変わらなくなる。

[二行詩~]
……おおよそ同じくらいの長さの文章からなる、二行以上の詩。ある程度の行数があった方が、自由が利くので、「四行詩」からがもっとも一般的に使用される。

[複合~行詩]
……何行詩かのまとまりを、いくつか連ねるもの。最後に、より短い行数の詩が加えられて、まとめられることも多い。

[ソネットなど]
……外国の形式を借用したもの。韻を揃えたり、モーラ数を操って、人工的に韻律を真似る場合もあるが、擬似的なものに過ぎない。

[歌詞]
……音楽の様式に従うもの。

実際の作り方 その一

 たとえば俳句が一つあります。

畔(あぜ)を切る
  あら田の泥の薫りかな

 もう着想は、しっかりまとめられていますから、あとは散文にして、詳細を記したり、ルーズな語りにしたり、好きなように描けば良い訳です。ただ、せっかく俳句として完成していますから、あえて形式を散漫にするだけの、何らかの付加価値くらいは欲しいものです。それでたとえば、

     「四行詩」
切られた畔(あぜ)の注ぎから
  新しい泥の薫りがしてきます
    今宵は蛙(かわず)の合唱です
  待ち切れなくって散歩です

 二行目までは俳句の内容ですが、そこから空想を挟んで、自らの行為に発展させています。俳句の字数では、まとまらないような内容ですから、散文になった甲斐もあるようです。各行の最後に「ます」「です」「です」と韻を踏んでいるのも好印象です。このように行末に韻を合せることを、「脚韻(きゃくいん)」を踏むとか、揃えると言いますが、いずれ、四行詩になって俳句とは、異なる価値を得たようです。
 渡り合っていれば合格です。

その二

読みかけの
   書籍も飽きて ティータイム

 こんな、屈託のない、軽い俳句ならば、あえて内容をヒントくらいに捉えて、自由に紐解いても構いません。なにしろ表現される方は、散文の詩に過ぎませんから、何をやってもよいのです。自らの感性の赴くままです。それでも着想の、ヒントくらいにはなっていますから、つかの間の俳句にしたことも、意義は残されているようです。はじめから描くより全体を、見わたすように歌えます。

くだらない
  流行に乗るなんてらしくない
    書籍を投げ出して 気にした時計の
      針の残りを数える振りして
   タンザニアAAでも 挽いてやろうか
     あいつがベルを押す前に

その三

紙飛行機
   風より早く 追いかけて
 虹の彼方へ 天空の城

 短歌であれば、着想も豊富ですから、
  その気になれば、長文の詩も作れます。
   けれどもあまり引き延ばしても、
  さらばハイセイコーのようにはいきません。
   はじめは次くらいが、
    聞いている方も気楽です。

ほらごらん
  紙飛行機が風に乗ったよ
    何を追いかけていくのだろう
      どこまで追いかけられるだろう
    どこまで追いかけて行ったなら
  虹の彼方にあるという
    お空の城に行けるだろう

 短歌なんかにする時間を惜しんで、はじめから散文を詠んでも、おなじような気がするかもしれませんが、必ずしもそうではありません。やはり「虹の彼方へ」から「天空の城」へ飛翔するような想像力は、文字を無駄に出来ない短歌として、最大の効果を得るために、考え出されたもののように思えます。かえってだらだら描いたら、最後の一行に、たどり着けたか分かりません。

 それにしても、一度作品にしようとして、表現と構成を詰めていますから、逆にそこから解体するときは、なんの苦労も入りません。好きなところを取り出して、拡大させても良いですし、あるいは思いつくままに、内容と異なるところへ、持って行っても構わない。それでもやはり、はじめの短歌を参照にしたからこそ、次の着想は閃いたのですから、なんの無駄もないのです。
 さらに場合によっては、

     「坊やの飛行機」
ほらごらん
  紙飛行機が風に乗ったよ
    何を追いかけていくのだろう
      どこまで追いかけられるだろう
    どこまで追いかけて行ったなら
  虹の彼方にあるという
    お空の城に行けるだろう

     「反歌」
紙飛行機
   風より早く 追いかけて
 夢はどこまで 天空の城

 なんて遊んでみても良いわけです。
  あるいはまた、

その四

アルタイル
   竪琴を聞き 渡る夜は
 川原の底の 砂の輝き

くらいの短歌を詠んでから、

織り疲れて
  琴に休めた彼女の歌声は
    まるで川原の砂のきらめくみたいに
  細やかな瞬きとなって揺れるのでした

    ああ、その時です、その時です
      銀河第四次方面を横切って渡ってくる
        なつかしいあの人の笑顔が
      歌いを止めた瞳の奥までも
    はっきりと焼き付けられたのでした

「銀河鉄道の夜」みたいな気持ちになって、
  歌ってみるのも愉快です。
   もちろん出来上がったら、
    お題を付けて反転です。

     「天(あめ)の竪琴」
織り疲れて
  琴に休めた彼女の歌声は
    まるで川原の砂のきらめくみたいに
  細やかな瞬きとなって揺れるのでした

    ああ、その時です、その時です
      銀河第四次方面を横切って渡ってくる
        なつかしいあの人の笑顔が
      歌いを止めた瞳の奥までも
    はっきりと焼き付けられたのでした

     「反歌」
アルタイル
   竪琴を聞き 渡る夜は
 川原に揺らぐ 砂のきらめき

課題

 突然ですが、
  ここでお便りが届いたようです。
   さっそく確認してみます。
  近ごろ多い、苦情のメールのようです。

僕はすっかり騙されました。
 誰でも分かる短歌の作り方だからって、
  そそのかされて、短歌まで貸したげたのに、
   ちっともやさしいのは、はじめばっかり、
    枕が空を飛んで、比喩の統治法がどうしたのと、
   さっぱり分からないことばっかりです。

それでも実践ばかりが楽しくて、
 のこのこ付いてきたところ、
  近ごろは、短歌を止めましょうなんて、
   ますますなんのことやらです。
  楽しい実践も減る一方です。

僕の時間を返してください。
 昨日も宿題をサボって、先生にお仕置きです。
  作っていた短歌を見せたら、
   没収されて親が呼び出しです。
  僕の人生は滅茶苦茶です。
   責任取って実践です。

 なるほど、お叱りはもっともです。
  親には謝罪を致しましょう。
「その五」で終わっていれば、まとまりもよかったものを、短歌を離れて七十五日。お里のメールも絶え果てた。上級者への道程(どうてい)はまだまだありそうなのに、それを説明するでもなく、打ち切るだけの勇気もなく、だらだらと発展を続けるとは、なんという失態。なんという無能。ランドセルから盆栽まで、何が飛んできても、文句は言えないくらいですが……

 わたしは、短歌だけが詩のジャンルではないと言いました。しかし、短歌を突き詰めるなとは言っていません。むしろあらゆる詩の表現をするための、もっとも基本となる詩型として、あなたのポケットの短歌というものを、健やかに成長させて貰いたい。回り道のように見えるこの逸脱も、要するに返り戻って、短歌を深めるための、ワンステップには過ぎないのです。

 あなたが多くの詩のジャンルを、自ら詠んで、様々な詩型を使いこなせるようになったとき、自(おの)ずから短歌の特性や、傾向、うまく表現するためのコツなどが、知らぬ間に身についている筈です。わたしはそう、信じているのです。

 それだけのことを、丁寧な表現で、
  懸命に説明して送り返しましたら、
   彼からのメールはひと言です。

     「うん、分かったから、実践。」

 かつてこれほどの屈辱があったでしょうか。
  年端もゆかない子供から、鼻であしらわれるとは。
   私はここに宣言します。
  かつて無かった想像を絶する実践を、
    皆さまの前に宿題として与え、
      ことごとくひれ伏させて見せることを!

……でも、その前に。
   まずは、いつもの小課題です。

さび色した
  模型並べて 待つ居間を
    書斎の奥の 古き人形
          課題歌 時乃旅人

 これまで私が説明したように、
   この短歌をもとにして、散文で詩を作ってみましょう。
     もちろん行数にも、文字数にも一切制限はありません。
   なんなら、通常の文章を書くようにして、
 詩的散文にしても良いのです。
   わたしの短歌を反歌に使用しても良いですし、
     新しい反歌を描いてみるのも展開です。
      それではさっそく試しましょう。

つかの間コラム 伝統的和歌と近代短歌

[朗読ファイル その二]

 明治維新後も、伝統的な和歌社会のお師匠様たちを中心とした、流派的な短歌社会が引き継がれました。それを打破しようとした動きが、特に19世紀末からさかんになり、20世紀を迎える頃には、これまでとは詠まれ方も、あり方も違う、新しい短歌が生みなされたように思われた。それをもって、「近代短歌」と称します。

 したがって「近代短歌」とは、和歌と呼ばれた時代から続く、短歌の歴史における、同一線上の歴史区分には過ぎません。それを、貴族だけの狭い社会で詠まれた和歌とは、まるで違うジャンルのように掲げる、随分乱暴な人たちも、未だに絶えないようです。あるいは単に、おつむが足りないだけなのかも知れませんが。

 しかし、仏教や神事などの僧や神官社会にも和歌は根付いていましたし、新たな階層としての武士たちは、貴族社会の伝統を積極的に取り入れることで、次の時代、自らの文芸のいしずえを築いています。やがて町人たちは、積極的に連歌や和歌を学ぼうとしました。つまり和歌というものは、閉ざされたある階層だけが楽しんでいたもので、近代短歌とは違うという発想自体が、そもそも間の抜けた誤りです。

 それなら何が閉ざされていたのかというと、それは中世から続く、家元を中心とする流派というもので、それは社会全体の傾向には過ぎませんから、僧も武士も商人も町人も、彼らは貴族化した例外であり、和歌は貴族だけのものであり続けたと定義するのは、牽強付会(けんきょうふかい)[自分のいいように定義すること、こじつけること]かと思われます。

 つまり流派に閉ざされていたというのは、貴族社会に閉ざされていたことを意味しません。もはや明確に定義されるべき、貴族を中心とした文芸のありかたとは、社会そのものが変わってしまっているのです。それが貴族的精神を引き継いでいることと、貴族のものであるということは、まったく異なる話には過ぎません。

 そもそも貴族社会と庶民社会に、文芸や芸術における断層が比較的乏しいのが、日本の特徴なくらいなものですから、明治時代になって打破しようとしたものは、中世社会全体に根ざす、流派的な閉ざされた社会だったに過ぎません。

 つまり、流派的であるということは、貴族とは関わりなく、芸者でも、火消しでもなんでも、近代以前の社会は、流派的傾向が強かったということで、家元や座のようなものが守る社会というものは、継承的で伝統を引き継ぎがちになるのは避けられません。ですからそれを未だ脱ぎきれない、雅楽や歌舞伎などのジャンルが、閉ざされがちであり、当人たちが斬新だと思って始めたことが、他のジャンルから見たら、なんて古くさいことを今更頑張っているのだろう。と思われがちになるのは避けられません。

 それで特に、和歌における流派というものは、貴族の名門から派生していますし、その守り手としての階層にも、貴族層が含まれるのは事実です。しかしそれは、ジャンル的な特性であって、限られた階層に閉ざされていた訳ではありません。ただ和歌においては、ピーク時の和歌がすばらし過ぎましたから、何よりも懐古的にならざるを得ませんでした。それで過去の栄光に従って、その枠を守ることによって、優れた和歌を継承しようとする傾向が強く、新しい表現を求めない訳ではありませんでしたが、変化に乏しい類型的な作品が美徳とされ続けて、明治維新を迎えます。

 明治時代に打破しようとしたのは、そのように閉ざされ、かつ保存されてきた和歌社会であって、大きな目で見れば、過去の表現に囚われず、誰もが自分の言葉で自由に詠んで鑑賞できるものへと、表現方法を改める動きでした。これは、あるいは幕府が倒されなかったら、自助努力だけでは困難だったかもしれませんが、明治維新の新しい風を受けて、さまざまなジャンルの古いシステムが、市民全体のものへと切り替えられていった、その流れの中の、一出来事には過ぎません。

 それで、和歌という文芸は、大きく貴族社会を中心としたものから、家元などの流派を中心としたもの、そして私たち一般市民を中心としたものへと、歴史的に変遷して来た訳ですが、その切り替わる節目が、明治維新のような劇的な時代変化のうちに、西洋の知識がなだれ込んで、自らを新しい時代の旗手のように感じさせたとき、発句から俳句への変化も、和歌から近代短歌への変化も、必然であるように感じるのは当然です。

 またそのように、別のジャンルを打ち立てなければ、打ち破ることが出来ないほど、かつての影響力が、大きかったのだとも言えそうです。ですから、それを提唱し、あるいは形成してった、当時の人々の意識としては、それはまさに必然であったと言えるでしょう。

 しかし、もはやそれを歴史的事象として眺められる、二十一世紀の私たちが、その移り変わりを、長い和歌社会の中での、歴史的変遷に過ぎないと、認めることすら出来ず、相変わらず「過去を否定したところに、新しい近代短歌は存在している。それ以前とはまったく異なる、ネオ短歌である」などと思い込んでいるとしたら、その蒙昧の精神そのものが、あなたの考えの狭さを、その結果として、あなたの短歌の安っぽさを、保証しているようなものではないでしょうか。

 ところで、滑稽なことに、せっかく打破した過去のものが、打破した次の世代になると、たちまち流派のように分かれてしまい、しかも次第に閉ざされて、小っちゃな主義を主張し合いながら、幾つもの謎サークルを生みなしているという事実です。むしろ彼らの短歌こそ、近代化を図れなかった、過去からの負の遺産を、無意識のうちに引き継いでいるのではないでしょうか。ただ過去の技法を使わないとか、詠まれた内容が異なるとか、そんな浅はかなところだけを、違いと称しながら……

 それで、結論を述べれば、『万葉集』から続く過去の和歌、特に短歌の作品と伝統は、そのまま今日の私たちへとつながる、同じジャンルの歴史的推移に他なりません。歴史が移り変る時には、もちろん大きな変革が見られるかも知れませんが、それを元に、全く同じ様式の、それほど変りもしない詠まれ方をしている、短歌のあり方を、別のジャンルのように把握する、あまりにも矮小な精神は、優れた短歌を詠むのには、まったく相応しくないどころか、むしろ邪魔になるばかりですから、もしそんな事を信じている人がいたら、今すぐ止めましょう。というくらいの話です。

 昔のやり方だけを美徳とするのは、自由な表現を抑制することですが、昔のやり方を排除するのもまた、自由な表現を抑制することに他なりません。昔のやり方を参照にするのが面倒だからといって、それを別のものに分けてしまったら、せっかく蓄積されてきたノウハウを生かせません。それを踏み台にして、さらなる上を目指すことも、出来ませんから、いつまで経っても、過去のピークを越えることもなく、安いところを這い回るばかりです。
 つまりはそれが結論です。

短歌からの展開

 ようやくこれで終わりです。
   約束通りの課題です。
     これまでのまとめになりますから、
   やるべきことも遠大です。
 疲れるような気がしたら、
   あえてスルーも良いでしょう。

 さて、様々な詩を描くということまでマスターしました。最後の仕上げとして、いきなりですが、皆さまには詩集を一つ、作っていただくことにします。といっても、これまでノートに記した詩を利用しますから、恐れることはありません。生まれて初めての詩集が完成したら、あなたの自信も、大いに深まるだろうと思います。何も知らない初心者を、詩集にまで導く手引きは、なかなか探しても見つかりませんから、やっている方も遠大で、たどり着いた甲斐もあるようです。
 せめてそれくらいが、
   つかの間粋がる自画自賛です。

詩を選ぶ

 まずはノートのはじめから、短歌を選び出しましょう。この時もやはり、自分の思い入れは度外視して、第三者が詠んで優れたものか、なるべく客観的に眺めましょう。悩んだらすぐ、実際に口に出して唱えましょう。分かるまで何度も唱えましょう。

 ある時は唱えても、いいのか悪いのか、判断が付かないこともあります。まずは推敲できるか考えましょう。それでも駄目なら、気にせず寝てしまいましょう。翌日になってから眺めましょう。あるいは数日離れてからの方が、その詩の価値に気づく場合があります。それは半分は、主観を忘却することによるものらしいですが、反復され続けることによる、把握の強化もあるようです。思わぬ代替案が見つかって、よりよい詩になる事も多いのです。

 自分で採用に足ると思ったら、別の用紙に記入するなり、ノートに赤丸を付けるなり、テキストファイルを開くなり、好きな方法で抜き出しましょう。もう少しやる気のある人には、ノートの短歌を上から順番に、「○×△」などで記入して、特に秀逸だと思われる物には「◎」をして、それを採用するなどルールを決めて、細かく区分するのがお奨めです。

 ちなみに「万葉集」を読み解くのに私が利用した記入は、全部で十段階以上に分かれます。まだふた月は経っていないのに、随分昔のことのように思えます。すぐれた和歌だけを掲載するつもりが、随分不可思議な脱線をしたものです。この分では「八代集」の時と同様、秀歌にたどり着く前に、わたしの好奇心が尽きてしまいそうです。もう少しだけ、頑張ってみましょうか。

 選ぶ数に基準は設けませんが、余り少ないと詩集が貧弱になりますし、あまり多いと疲れてしまいますから、二十から三十くらいで良いと思います。もちろんもっと採用しても構いません。

抜出推敲

 採用が決まりましたら、それぞれを詩集に収める形に手直しします。今回は課題をかねていますので、ここでいくつかの条件を提出しておきます。次の通りに最終形へと整えましょう。

・すべて抜き出した時に、改めるべき点がないか、再推敲を行います。これは作詩してから時間が経っているものは、スキルの向上や、詠んでいたときの主観を忘れることによる、客観的な判断によって、ボロが見つかったり、新しいアイディアが生まれたりするものですから、詩集に収める前に、もう一度推敲すべき点があるか、よく確認する作業です。

・全部でなくてよいので、三分の一から四分の一くらいを目安に、「詞書(ことばがき)」を記してみましょう。簡単な状況説明から、ちょっと長めの経緯など。そうかと思えば「~を詠む」と、題目を記しただけのもの。なるべくバラエティー豊かに表現しましょう。またノートには日付が記してある筈なので、それをもとに、「後書」に日付を記入しておきましょう。作成日時が明確で、回顧(かいこ)するときに便利です。

・一つか二つ、特に思い入れが深かったり、複雑な状況で詠まれたもの。あるいはそうでなくても、短歌自体から、物語が作れそうなものを選び出して、「詞書」の代わりに散文の「物語(ものがたり)」を記して、最後をその短歌でまとめてみましょう。内容は「いつどこで誰がどうした」くらいの、短いものでも構いません。これがすなわち「歌物語(うたものがたり)」と呼ばれるものです。「物語」ではなく、あるいは「ノンフィクション」を描いてしまった人も多いかも知れません。それならそれで結構で、たとえば「短歌付きの紀行文」などは、そのような形式で描かれています。

・また「歌物語」や「歌紀行文」の場合、最後に短歌が来ないで、短歌の後さらに散文が続く場合もありますので、そのような描き方でも構いません。「~であると、わたしは詠んだのだったが、もはや聞いてくれる人は、どこにもいないのだった」のようなまとめ方でも、十分効果的なエンディングの演出になります。

・ついでに一つ二つくらい、
  「左注(さちゅう)」を付けてみましょう。
これは詩の後に置かれるものですが、詩と一緒に記す「後書」とは違って、詩と離れて、その詩を説明する記述です。詞書は短歌の題の意味も担いますから、そのように表だって記入したくないようなこと、たとえば、
     「注:この短歌はきれい事過ぎて当時の思いと違う」
     「覚書:あるいは四句は、改訂した方がよいか」
     「なんだかとっても眠いんだパトラッシュ」
など、短歌と直接絡めたくないような、
 雑事を記入しておけばよいのです。

・ひと組でよいので、連作を作りましょう。つまり比較的内容の似ているくらいでよいので、ひとまとめにして「秋の夕ぐれに詠む歌二首」などとまとめてみましょう。もちろん三首まとめても構いません。また、ある短歌に合せて新作を作って、連作にしてしまっても、もちろん構いません。

・ついでに加えて起きますと、実際の連作を作る場合には、同じ表現を使用したり、時間の経過を持ち込んだり、統一性と移行性のバランスをうまくすると、すぐれた連作になりやすいです。

分類と順番

 分類は、もっとも簡単な『四季』+『その他』で行いましょう。俳句と違って、季語は必要ありませんから、寒い季節を感じさせれば、冬に入れてしまって良いですし、どことなく夏めいていたら、夏に入れてしまって構いません。それらに分類できないものは、たとえば自分の選んだ短歌に、恋の歌が沢山あれば「恋」、老いの歌が沢山あれば「老」、学生であれば「学校」など、好きなように設けて構いません。あまり細かくすると、かえって不便ですので、あとはまとまらないものを、「雑歌」として収めます。

 決まりはありませんが、初めてですから、勅撰和歌集のオーソドックスなスタイルを真似て、はじめに四季を「春夏秋冬」の順で並べ、その後自らが作った分類を置いて、最後に「雑歌」をまとめるとスマートです。

 ただし「四季」が少ない人は、別に無理して「四季」を設けずに、代わりに多く分類できそうな所から、項目を設定して、カテゴライズしていけば良いでしょう。

 内部の順番も自由ですが、たとえば時系列を利用したり、詞書きや物語のものを、後ろに回したりなど、自らの意見に従って、何らかの法則を持ち込んでも良いと思います。また感性で並べても構いません。

 次に短歌以外の詩を、「他歌(ほかうた)」という「大見出し」のもとに、それぞれのジャンルごとに一首、あるいはそれ以上選び出しましょう。これらは一々「小見出し」に分けるのも、うるさい感じですので、詩の後書に「旋頭歌」「四行詩」などと記せば十分です。ただ「俳句」として何句も選んだような場合には、独立させた方が見やすいかもしれません。その辺りは、臨機応変です。
 それで、全体は次のように分類されます。

『詩集の題』⇒大見出し「短歌(たんか)」⇒「春夏秋冬」「恋など」「雑歌」
      ⇒大見出し「他歌(ほかうた)」⇒場合によって「俳句」「現代詩」など

 もし、仲間や家族と一緒にはじめた人は幸せです。単独の詩集ではなく、仲間の歌と自分の歌をそれぞれ選抜して、それを分類ごとにAさん、Bさん、の順番で並べても良いですし、ひと歌ごとに詠み手を入れ替えても構いません。また詠み手と関わりなく、歌の内容の連続性などを考慮に入れて並べると、一気に勅撰和歌集らしくなってきます。その場合、和歌ごとに後書に詠み手の名を記し、全体の詩集の名称には、選者として皆の名前を記しましょう。

 また、詩の前に散文による経緯などを記し、詩の後ろに謝辞やら解説を加えると、それこそ散文まで込めた、立派な詩集が完成することでしょう。

詩集名とペンネーム

 さて、いよいよ大詰めです。
  全体の内容に相応しい、詩集の名称を考えましょう。
   もちろん、はじめの一歩に過ぎませんから、
  「練習番号一」「はじめての歌」
 などでも良いですし、もはや傑作揃いに思えたら、
  「俺さまの歌」あるいは、
   「くたばれ旅人、遥だけ頑張れ」
なんて、当て付けの詩集にしても構いません。
  ありがちで、しかも効果的なものとしては、春の歌が多めなら、
    「春の歌 -桜の散るまでに」
なんて季節に委ねるのは、もっとも無難な方法です。

 まだ終わりではありません。
   次はペンネームです。
     もちろん本名でも良いですが、
   詩人を気取って、
 ペンネームを記してみるのも愉快です。

 詩集名と詠み手の名前が記入されたら、
   そこで終わりにせず、なるべくもう一度、
     全体に目を通して、まだ推敲すべき点が、
   残されていたら、叩きつぶします。
 それが終わったら、今の日付を、
   西暦から記して完成です。

 ところが、不思議なことに、
  一週間後に、あるいは一ヶ月後に見ると、
   自らの主観を忘れるせいでしょうか、
  思わぬ所に修正箇所が、
 沸いてくることもあるのです。
  そこで、取りあえず完成した詩集を、
   しばらく熟成させて、保存して、
    もう一度眺め直して、
     推敲を加えたら出版です。

      いえいえ、それはちょっと、
       早いような気もしますが、
        あるいは見知らぬ大詩人が、
         いないとも限りませんから。
          あなたは、あなたの信じる道を、
           歩んでくださったらと思います。

さらに可能な方は

 無理にはおすすめしませんが、
   可能な方は最後にその詩集を、
     自らの声で朗読なさることをお奨めします。
   自分が語るという行為は、どこまでも主観的ですが、
 たとえ自分の声でも、外から聞かされるとたちまち、第三者の描いた詩として、冷静な判断を下すことが出来ますから。作った時はとびっきりの表現だと思ったものが、ただ変な言い回しに過ぎないこともあります。朗読して、それを聞くという行為は、自己批評の鏡には違いありません。もしあなたが、そこまで完了したならば、おそらくあなたのスキルは、この落書きを初めて詠んだ時とは、比べものにならないくらい付いていると、わたしは信じて疑いません。けれども……

  とはいえ、詩の上達には時間が必要です。
 どれほど叩き込んでも、年数が経たないと、なかなかうまくなった実感は沸かないものですから、気長に短歌と付き合っていくことが、結局上達のための、一番の道しるべには違いありません。

 ですからあなたが、
  短歌を一過性の流行では終わりにせず、
 ほんの少しでも良いですから、いつまでも詠み続けて、せめて生きているあいだくらい、自らを律する詩として、かかげてくださったらと願うばかりです。それでは、長らくのお付合い、ご苦労様でした。これでお別れです。もし興味のある方は、引き続き「はじめての万葉集」で、本格的に「万葉集」へと、足を踏み入れてみるのも愉快です。
  それでは、
    酒が待っていますから、失礼。

うたかたの
  たゆたい消える つかの間を
    生まれてはまた うたかたの夢

    古き唄して いのる旅人
             時乃旅人

               (をはり)

2016/05/26
2016/06/04 改訂
2017/07/16 推敲+朗読

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