小倉百人一首の朗読 九

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八十一

ほととぎす鳴きつる方(かた)をながむれば
ただ有明の月ぞ残れる
    後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)

・ほととぎすまさに鳴いた方角を眺めれば、その姿は見えずに、ただ有明の月だけが残っていることだ。

  ほととぎす鳴きますほうを眺めれば
  ただ有明の月は残るよ

八十二

思いわびさても命はあるものを
憂(う)きに堪えぬは涙なりけり
    道因法師(どういんほうし)

・恋する相手へのつれなさを嘆きつつもそれでも命は堪えずに長らえているものを、かえって辛くて堪えられないのは涙のほうなのです。

  わずらいのつのる命をながらえて
  堪えられない涙なのです

八十三

世の中よ道こそなけれ思ひ入(い)る
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
    皇太后宮大夫俊成
    (こうたいごうのだいぶしゅんぜい)

・世の中というものは、憂いを逃れる道などないのだ。思いのあまりに入ってきた山の奥にさえも、悲しげな鹿が鳴いているのだから。(それはきっと、山の奥にさえも、憂いがあるためなのだろうから)

  世に憂い道などなくて逃れ入る
  山の奥にも鹿の鳴き声

八十四

長らへばまたこのごろやしのばれむ
憂しと見し世ぞ今は恋しき
    藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん)

・長く生きていれば、この頃のつらさも懐かしく思い返されるのだろうか。あの頃つらいと見た世の中が、今は恋しくも思われるように。

  長らえばこの今さえも偲ばれよう
  憂いに見た世も懐かしいほどに

八十五

よもすがら物思ふころは明けやらぬ
閨(ねや)のひまさへつれなかりけり
    俊恵法師(しゅんえほうし)

・一晩じゅう恋煩いに物を思うこの頃は、明けてくれない夜の閨(寝室)のひま(すき間)さえ(光も差し込まずに)冷淡に思えてくるのです。

  夜な夜なの思うばかりは明けもせず
  寝床のすき間もつれなくあります

八十六

嘆(なげ)けとて月やは物を思(おも)はする
かこち顔(がほ)なるわが涙かな
    西行法師(さいぎょうほうし)

・嘆けといって、月こそが私に物思いをさせるのであろうか。いや、そうではない。月であるような顔をして、(しかし本当は恋の苦しみのために)、流れる涙であることよ。

・月を前にした恋歌として詠まれたもの。

  嘆けとは月こそわたしに思わすか
  誤魔化してみてもこの涙かな

八十七

村雨(むらさめ)の露もまだひぬ槇(まき)の葉に
霧たちのぼる秋の夕暮
    寂蓮法師(じゃくれんほうし)

・村雨(秋のにわか雨)の露もまだ乾かない槇(杉・槇・檜などの総称だそうだ)の葉のあたりまで、霧の立ちのぼってくる秋の夕暮であることだ。

  村雨の露まだ濡れる槇の葉に
  霧たちのぼる秋の夕暮

八十八

難波江(なにはえ)の蘆(あし)のかりねのひとよゆゑ
みをつくしてや恋ひわたるべき
    皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)

・難波(大阪市)の入り江にはえる蘆(あし)の刈ったあとの「ひとよ(一節)」ほどのほんの短さで、旅の仮寝の一夜の契りを結んでしまったがために、まるでその難波の入り江の澪標が、ひたむきにその使命を果たそうとするように、わたしも身を尽くして、(あなたを)恋し続けることになるのでしょうか。

・「難波江の蘆の」までが「刈り根」にかかる序詞。さらに「かりね」には「仮寝(旅の宿の眠り)」が掛詞として込められつつ、「仮寝の一夜ゆゑ」を導き、さらに続く「ひとよ」に「一節」と「一夜」の意味が掛詞として込められる。「みをつくしてや」には「澪標(みおつくし・船の航路を告げるクイ)」と「身を尽くし」を掛詞にてつなぐ。すると、上のような二重性を持った歌になる。

・さらに「あし」「かりね」「ひとよ」「みをつくし」「わたる」が難波江の縁語として使用されているという、想像を絶する技巧的な歌だが、この和歌が優れているのはその技巧性ではなく、技巧性を悟らせないほどの自然を装っているところにある。

(やって報われないことはしないがよろしい)

八十九

玉の緒(を)よ絶えなば絶えねながらへば
忍ぶることの弱りもぞする
    式子内親王(しょくしないしんのう)

・玉の緒、すなわちいのちよ、絶えるのならば絶えるがいい。このまま生きながらえたなら、思いを秘めて忍んでいるこころすら、弱くなってついおもてに現れてしまうに違いないから。

・「絶え」「ながらへ」「弱り」が「緒(糸・紐など長いもの)」の縁語。「玉の緒」とは「装飾の玉を連ねている緒」の意味で、ネックレスの紐みたいな意味だが、これを例えて、魂をつなぎとめるもの、のような意味で使用されている。

  玉の緒よ絶えてしまえよさもなくば
  忍ぶこころさえ押さえきれずに

九十

見せばやな雄島(をじま)のあまの袖だにも
濡れにぞ濡れし色はかはらず
    殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)

・(この袖を)見せたいものです。(宮城県松島の島の一つである)雄島の海人(つまり漁師)の袖でさえ、濡れに濡れたその袖にさえ、(泣きはらすがあまりについに血の涙を流したかのようなわたしの袖のように)、色が変わったところは見ること出来ないでしょうよ。

  見せようか雄島の海人(あま)の袖さえも
  濡れてこれほど色は変わらず

2010/2/26

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