小倉百人一首の朗読 七

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六十一

いにしへの奈良の都の八重桜(やへざくら)
けふ九重(ここのへ)ににほひぬるかな
    伊勢大輔(いせのたいふ)

・いにしえの奈良の都でに咲いていたという(珍しい)八重桜が、今日この九重と称えられる宮中で、色美しく咲いていることよ。

  いにしえの奈良の都の八重桜
  今日のみやこに香り来ました

六十二

夜(よ)をこめて鳥の空音(そらね)ははかるとも
よに逢坂(あふさか)の関はゆるさじ
    清少納言(せいしょうなごん)

・夜のまだこもるうちに鶏の鳴き真似で騙そうとしても、(それで函谷関・かんこくかんの関所を開いたという中国の故事がありますが、それにしてもあなたの私の関係にしたって)、決して、人々が通過を願い出る逢坂の関所、そこを通ることは許しませんよ。

・「逢坂の関」は滋賀県と京都府との境の逢坂山にあった関所。もちろん二人の「逢う」が掛けられている。

  夜の関を鳥の空音で開こうと
  しても逢坂の関は許さず
  (あう、理屈になってしまった)

六十三

今はただ思ひ絶えなむとばかりを
人づてならでいふよしもがな
    左京大夫道雅(さきょうのだいふみちまさ)

・今となっては、ただ思いを断念したということだけでも、人づてではなく、言うだけの手立てがあって欲しいものなのに。

  今はもう思いの絶えたことのみを
  人づてでなく伝えられたら

六十四

朝ぼらけ宇治(うぢ)の川霧(かはぎり)たえだえに
あらはれわたる瀬々(せぜ)の網代木(あじろぎ)
    権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)

・(冬の)夜が白々と明ける頃、宇治の川の川霧も途絶え途絶えになり始め、その絶え間から表れてくる川瀬の網代木(竹や木で魚を捕るための網代を設置している杭のこと。冬の情景)。

  あまり意味がないのでそのまま

六十五

恨みわびほさぬ袖だにあるものを
恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
    相模(さがみ)

・薄情な心を恨み、涙に乾かぬ(うちに朽ちていってしまうであろう)袖さえあるものを、この恋の浮き名のために朽ちてしまうであろう、わたしの名声こそ、まことに惜しいものであることよ。

  恨色(うらみいろ)なみだの袖の悲しみよ
  恋に朽ちゆくいのち惜しむよ

六十六

もろともにあはれと思へ山桜(やまざくら)
花よりほかに知る人もなし
    大僧正行尊(だいそうじょうぎょうそん)

・私が思うように、懐かしいと思っておくれ山桜。お前より他に、私を知る人など居ないであろうから。

  答えては憐れと思え山桜
  花より他に知るものもなく

六十七

春の夜(よ)の夢ばかりなる手枕(たまくら)に
かひなく立たむ名こそ惜しけれ
    周防内侍(すおうのないし)

・短い春の夜の夢のようなあなたの(共寝をしましょうと冗談に差しだした、腕の)手枕に、つまらなく立ってしまうであろう浮き名こそ、口惜しく思うばかりです。

・「かひなく」に腕(かひな)を掛詞にしてある。手枕は腕枕。彼女が「枕が欲しい」と言ったときに、大納言忠家が「はいここに枕が」と冗談に手を差しだしたときの歌だとか。

  春の夜の夢見さなかの手枕の
  覚めて浮き名も恋もはばたく

六十八

心にもあらでうき世にながらへば
恋しかるべき夜半の月かな
    三条院(さんじょうのいん)

・(いっそ消えてしまいたいという)心にも反して辛いこの世にとどまったならば、(いつかはきっと)恋しくなることもあるだろう、この夜半の月も。

  世に憂い心ならずもとどまれば

  いつかは月も恋しくなろうか

六十九

嵐吹く三室(みむろ)の山のもみぢ葉は
竜田(たつた)の川の錦(にしき)なりけり
    能因法師(のういんほうし)

・吹き下ろしの風が吹いてくる三室の山(奈良県生駒郡の神奈備山)のもみじの葉は、竜田川(三室の山の東を流れる)を流れて、その様子はまるで錦(五色の糸で模様を織った織物)のようであるなあ。

  吹き下ろす三室の山のもみじ葉は
  竜田の川さえ錦としました

七十

さびしさに宿(やど)をたち出でてながむれば
いづくも同じ秋の夕暮
    良暹法師(りょうぜんほうし)

・淋しいので、我が家をたち出でて見渡してみれば、どこも同じような淋しい秋の夕暮れであることよ。(寂たり寞たり、寂寥居士。といった心境か。)

  さびしさに家を逃れて眺めれば
  いずこも同じ秋の夕暮

2010/2/3

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