小倉百人一首 001番~010番

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001番 あきのたの

秋の田のかりほの庵(いほ)のとまをあらみ
  わがころもでは露にぬれつゝ
          天智天皇(てんちてんのう)(626-672)

 秋の田にある、穂を刈るための仮の小屋の、苫(茅などを編んで屋根を葺くむしろみたいなもの)さえ荒れ果てて、漏れ来る露に濡れるように、わたしの着物の袖さえ、なみだの露に濡れるばかりです。

[現代語版パラフレーズ]
  秋の田の刈り穂の庵の戸も荒れて
    わたしの袖は露に濡れます

・「とまをあらみ」は「~を+形容詞の語尾にみ」で「~が~なので」の形なので「苫が荒れているので」となる。「濡れつつ」の「つつ」は反復、継続の接続助詞。

・万葉集の「秋田刈る仮庵をつくり我がおれば衣手寒く露ぞ置きにける」という貧農風の歌を元歌に生まれたもので、天智天皇の作ではない可能性のあるものの、大和の礎(いしずえ)を築いた天智天皇が、荒れ果てた仮の庵を見て、その惨状になみだを流すような歌として捉えられたものである。

・「かりほ」は「仮庵(かりいお)」と「刈り穂(かりほ)」を掛けているので、現代語の発音で「かりほ」とも「かりお」とも読めるようだ。一般的には「かりほ」で読まれている。そうして続く「庵(いほ)」の方が、現代語の発音では「いお」になる。あらためて二句目はどうかと言えば、この歌は、開始部分からイメージを順次収斂させてゆくものであるから、二句目は「穂」の意味の方が強い。従って「かりほ」と読むのが相応しいと思われる。

・対象が「秋」→「田」→「刈る穂」→「仮の庵」→「その苫」→「自らの衣」と自らへ向けて大なるスケールで収斂していく最後には、なみだを掛けた「露」へと至るというコンセプトは、天智天皇に相応しい壮大な構想を持っていると言える。

002番 はるすぎて

春過ぎて
  夏来にけらし しろたへの
    衣ほすてふ 天の香具山(あまのかぐやま)
          持統天皇(じとうてんのう)(645-703)新古今集175

[春が過ぎて
   夏が来たようです 白妙の
  衣を干すという 天の香具山に]

[現代語パラフレーズ]
  春は過ぎ 夏は来ました
    しろたえの 衣干します 天の香具山

・「来にけらし」は「来にけるらし」で、「に」が完了の助動詞。「けるらし」で過去の推量を現すが、「来たのであろうか」の意味合いが「来た」のを知っていて詠まれているために、「ああ来たのだなあ」といった咏嘆を含む表現へと置き換えられている。「ほすてふ」は「ほすといふ」の省略形。「てふ」の「ちょー」読みは後世の口調の変化を踏まえたものだが、違和感が強いので「てう」読みでも良いかと。

・「天香具山」は奈良県橿原市に有り、かつての都である藤原京の東に位置している。畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)と合わせて大和三山(やまとさんざん)。

・「白妙」には咲き乱れる「卯の花」の様子を掛けているという見立てもある。神事に使用するような白妙の衣を干すという「天香具山」に卯の花が咲いて、まるで干しているように思われるのだから、夏は来たのだなあという解釈である。

・元歌、『万葉集』では「はるすぎて、なつきたるらし、しろたへの、ころもほしたり、あめのかぐやま」であったものが、『新古今和歌集』で改編されて掲載されたもの。

・持統天皇は天智天皇の娘にあたる。百人一首の最後の二人、後鳥羽院と順徳院も親子の関係で、開始部分の理想的・空想的な過去の天皇像から、現実の今日の天皇へと至るまでの和歌のアンソロジーを、その中に織り込むという構成になっている。

003番 あしびきの

あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
  ながながし夜をひとりかも寝む
          柿本人麿(かきのもとのひとまろ)(c660-c720)

 「あしびきの」は山に掛かる枕詞(まくらことば)。当時は「あしひきの」と読まれたようだ。雉子科である尾の長い山鳥、その長く垂れ下がっている尾のような、長々しい秋の夜を、(恋人にも会えず)たったひとりで寝るのであろうか。

[現代語パラフレーズ]
  あしびきの山鳥の尾のしだれゆく尾の
    ながながしい夜をひとり寝るなんて……

・「あしびきの」は山を歩くに足を引きずるの意とか、神話と関係しているとか、山裾の横引くような姿とか諸説有り。山鳥は夜になると雄と雌が峯を隔てて寝るという伝承があり、それを踏まえているが、直接的には「山鳥の長いしっぽのような、そのしだれた尾っぽのような長々しい夜」と、長い夜を導くための修飾を上の句は果たしている。このような比喩的に導く部分を、序詞(じょことば)という。他にも、「の」を四回も使用して上の句の流暢を留めているため、「長々しい」様子を言葉の調子に込めることにさえ成功している。夜が長々しいのは秋なので、季節は秋となる。

・「かも寝む」の「か」は疑問の係り助詞、「も」は咏嘆の係り助詞。「寝む」は推量の助動詞。よって「ああ、一人で寝るのかなあ。寝るのであろうなあ」といった意味になる。

・作者の柿本人麻呂は、平安時代には四番の山部赤人と共に和歌の神さまのように讃えられていた。ただしこの歌はもともと『万葉集』に作者不詳として掲載されたものが原形となっていて、柿本人麻呂が詠んだものではないようだ。

田子の浦にうち出(い)でて見れば白妙(しろたへ)の
富士の高嶺(たかね)に雪は降りつつ
    山部赤人(やまべのあかひと)

 見晴らしのよい田子の浦、広がる浦にうち出て眺めれば、白妙のような真っ白な富士の高峰に、雪は降り続いているのです。

・田子の浦は、現在は静岡県富士市の海岸だが当時の歌枕としては違う場所を指すようだ。静岡県清水区蒲原町(かんばら)にある吹上の浜あたりを指すと考えられ、富士を望む景勝地(けいしょうち)として知られていた。

・「うち出でて」は展望の聞くような広いところに進み出ての意味。「降りつつ」の「つつ」が反復、継続の接続助詞で、「降りながら」という意味になる。

・もと歌の収められた万葉集では、
「たごのうらゆ、うちいでてみれば、ましろにぞ、ふじのたかねに、ゆきはふりける」
であり、「ゆ」は経由を表し、「降りける」は「すでに降っていたなあ」と過去を再認識するほどの意味なので、「田子の浦を経由して、見晴らしのよいところに出て眺めれば、ああ真っ白だなあ、富士の高嶺に、雪が降り積もっているよ」くらいの意味となる。これに対して、「雪は降りつつ」の状況は、現在降っているという継続を表すので、快晴の富士の高嶺にあっぱれ雪が被さっているような、おめでた写真の典型ではなく、もっとアンニュイな、富士には笠雲が掛かって、一方には高嶺の白雪も見られるような、そんな情景を表したものと思われる。それにつられて、田子の浦にうち出でたる時の天候すら、青天の真昼のおめでたさから離れて、富士が見えないほどではないけれど、ちょっと雲がちな様相に思われて来るから不思議だ。つまりは藤原定家によって、デリケートな情景に改変されているといえる。

  田子の浦に逃れて見えれば白妙(しろたへ)の
  富士の高嶺(たかね)に雪は降りながら……

奥山に紅葉(もみぢ)踏み分け鳴く鹿の
声(こゑ)聞く時ぞ秋は悲しき
    猿丸大夫(さるまるたいふ)

・人里離れた山奥に、紅葉を踏み分けながら鳴くのは鹿の声。妻をしたって泣くというその鹿の声を聞く時こそ、秋はとりわけ悲しいものに思われてくるのです。(あるいはそれは私の人恋しさでもあるのでしょうか、とまでは読み過ぎか。)

  奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の
  声を聞くこそ秋の悲しみ

かささぎの渡せる橋に置く霜の
白きを見れば夜(よ)ぞ更けにける
    中納言家持(ちゅうなごんやかもち)

・七夕の晩にかささぎが翼を連ねて二人を巡り合わせるという天空の橋、そこにさえもはや霜が置かれる冬の真っ白な様子を見れば、ああ、夜もずいぶん更けてきたことだなあ。

・宮中を天上と見立て、深夜の宮中の橋の所に霜のさすのを読んだという説もある。

  かささぎの渡しの橋に置く霜の
  白さを見ては夜は更けゆく

天の原(あまのはら)ふりさけ見れば春日(かすが)なる
三笠(みかさ)の山に出でし月かも
    阿倍仲麿(あべのなかまろ)

・大空をかなたまで見晴らせば、遠きふるさとの(奈良市の)春日にある三笠の山にも、このような月が昇っていたことだなあ。(僕ちんニッポンに帰りたい。遣唐使全然いけてない!とは読まない)

  天の原見上げてみれば春日さえ
  三笠の山に昇る月かも

わが庵(いほ)は都のたつみしかぞ住む
世をうぢ山と人はいふなり
    喜撰法師(きせんほうし)

・私の隠棲する庵(いおり)は、都のたつみ(東南の方向)にあって、このようにして住んでいるのである。それなのに、この世を憂(う)しとして厭世した宇治の山であるなんて、人々は言っていることよ。

・私は「憂し」とも思っていないのに、という説以外に、「私も憂しと思って住む」という説もある。「うぢ山」が「憂し」と「宇治」の掛詞に、一説では淋しい山に「しかぞ(然り、くらいの意味)」と「鹿」を掛けたという話もちらほらと。

  我が庵(いおり)都のたつみしかと住む
  世を宇治山と人は言います

花の色は移りにけりないたづらに
わが身世(みよ)にふるながめせし間に
    小野小町

・桜の花の色さえ、すっかり移り変わってしまいました。むなしく私の住む世に降る春の長雨のあいだに。そうして、私のみずみずしい美しさも、むなしく自分にふりかかる恋愛ごとに眺めて(思い悩んで)いるあいだに、すっかり移り変わってしまったのです。(もう台無しだわ。とは言っていない。)

・「花の色」に自分の容姿を掛け合わせて、「ふる」には「降る」と「経る」を、「ながめ」には「長雨」と「眺め(物思いにふける)」を掛けているんだそうだ。

現代語にしようがない。

これやこの行くも帰るも別れては
知るも知らぬも逢坂の関(あふさかのせき)
    蝉丸(せみまる)

・これがあの、東国へ行く人も帰る人もここで別れては、知人もまだ知らぬ人もここで出会うという、逢坂の関(京から東国へ向かう最初の関)なのだ。

十分現代でも意味が通じる。

2010/1/13

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