(ウィキペディアより部分引用)
東北砕石工場の嘱託を務めていた賢治が壁材のセールスに上京して再び病に倒れ、花巻の実家に戻って闘病中だった1931年秋に使用していた黒い手帳に鉛筆で記されていたものである。冒頭部のページ上部に青鉛筆で「11.3.」の書き込みがあることから、同年11月3日に執筆したと推定されている。
()内の読みと「、」は時乃志憐の加えたもの。また、「蔭の」正しくは異なる漢字が使用されている。本文中の「ヒドリ」には「日照」説の他に「日取り(日雇)」説もある。ただし、次の一文「寒さの時は」と併置されているので、彼の詩的センスからすると、夏の暑さのイメージに対して、次の文句が表現されたと考えられるので、「日照」かと思われる。
また最後の、色の違うひと言は、あくまでも朗読上意味のつながるように、私が即席に加えたものに過ぎない。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ、夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋(イカ)ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ、玄米四合ト
味噌ト、少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲ、カンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシ、ワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ、病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニ、ツカレタ母アレバ
行ッテ、ソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ、死ニサウナ人アレバ
行ッテ、コハガラナクテモイヽトイヒ
北ニ、ケンクヮヤ、ソショウガアレバ
ツマラナイカラ、ヤメロトイヒ
ヒドリノトキハ、ナミダヲナガシ
サムサノナツハ、オロオロアルキ
ミンナニ、デクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩(なむむへんぎょうぼさつ)
南無上行菩薩(なむじょうぎょうぼさつ)
南無多宝如来(なむたほうにょらい)
南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)
南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)
南無浄行菩薩(なむじょうぎょうぼさつ)
南無安立行菩薩(なむあんりゅうぎょうぼさつ)
[スベテニウへノオコナヒヲチカフ]
2018/02/13