松尾芭蕉「鹿島紀行」の朗読

(朗読) [Topへ]

鹿島紀行(鹿島詣)の朗読

注意書

・原文に句読点、カギ括弧、段落などは存在しないので、これらは便宜上のものに過ぎません。

・テキストのうち、[緑色]は意味の説明、青文字は本文ではなく、意味を読み取りやすく補った言葉。

・朗読、テキスト共に岩波文庫「芭蕉紀行文集」にもとづく。原文の記入は現代正統とされる歴史的仮名遣いに修正。

鹿島紀行  松尾芭蕉

 らく[=洛、つまり京都]の貞室(ていしつ)[安原貞室(1610-1673)。貞門派(ていもんは)で知られる松永貞徳(ていとく)の門人]、須磨(すま)のうら[在原行平、光源氏らの流された須磨は、一ノ谷の合戦の地でもある]の月、見にゆきて、

「松陰(まつかげ)や月は三五(さんご)や中納言」

[(解説)この句、「月は三五や」の意味は「三×五=十五夜」の言葉遊びを込めつつ、「中納言」つまり在原行平(ありわらのゆきひら)の松陰に月を眺めるところを詠む。白楽天の「三五夜中新月(の)色、二千里外故人(の)心」を踏まえるので「三五や中」の「中」が「中納言」の「中」と掛けられている。その他、「や」が二つあるところもユニークなれども、情よりも理屈に訴えるところすこぶる大である。]

といひけむ。狂夫(きやうふ)[風雅に心を奪われた者の意]のむかしもなつかしきまゝに、このあき[貞享四年八月(1687年)の秋]、かしま[鹿島神宮のある茨城県鹿島市]の山の月見んとおもひたつ事あり。

 ともなふ人ふたり。浪客(らうかく)の士[浪人、無仕官の武士]ひとり。すなわち河合曾良(かわいそら)なり。ひとりは流れる水、行く雲をさすらう水雲(すゐうん)の僧。すなわち宗波(そうは)なり。僧は、からすのごとくなる墨のころもに、三衣(さんね)の袋[ここでは宗の首からさげる頭陀袋(ずだぶくろ)くらいの意味]をえりにうちかけ、釈迦(しゃか)の修業を終えて出山(しゆつざん)の姿をうつした尊像(そんざう)をづし[「厨子」仏像や経典などを入れる両開きの扉を持つ仏具]にあがめ入(いれ)テうしろに背負(せおひ)、[手偏+主]丈(しゆじやう)[禅僧などが使用する行脚(あんぎゃ)用の杖]ひきならして、無門の関(くわん)もさはるものなく、あめつちに独歩していでぬ。[禅問答の「大道に門など無く、千差それぞれに路(みち)が有るばかりだ。此のみちの関を透得(とうとく)さえすれば、乾坤(けんこん)、すなわちだいちを独歩できよう」(原文は漢字のみ)にもとづく]

 いまひとりは、わたくしこと芭蕉である。僧にもあらず、俗にもあらず。鳥鼠(てうそ)[「鳥鼠」で「蝙蝠」の異名だが、ここでは「鳥」と「ネズミ」の間に名を「こうもり」の、という言葉遊びを兼ねる]の間(かん)に名をかうぶりの、とりなきしまにもわたりぬべく、門(もん)よりふねにのりて、行徳(ぎやうとく)[千葉県市川市行徳]といふところにいたる。



 ふねをあがれば、馬にものらず、ほそはぎのちからをためさんと、かちよりぞゆく。甲斐のくによりある人の得させたる、檜(ひのき)もてつくれる笠(かさ)を、おの/\いたゞきよそひて、やはた[=八幡、千葉県市川市八幡町]といふ里をすぐれば、かまがい[=鎌谷]の原といふ所、ひろき野あり。それはまるで秦甸(しんでん)[中国、秦の王都周辺の広々とした地]の一千里とかや。めもはるかにみわたさるゝ。

 つくば山[=筑波山、茨城県]むかふに高く、男体、女体の二峯ならびたてり。これを見て思い出されるのは、かのもろこし[=中国]に、「双劔(さうけん)のみねあり」ときこえしは廬山(ろざん)の一隅也。

ゆきは不レ申(まうさず)先(まづ)むらさきのつくばかな

[雪を抱く姿が美しいのはここでは申さず。まずはむらさきの霞がかった筑波山を申すのみ。]

筑波山を詠(ながめ)めしは、我(わが)門人嵐雪(らんせつ)が句也(くなり)。すべてこの山は、やまとたけるの尊(みこと)の言葉をつたへて、連歌する人のはじめにも名付(なづけ)たり。[ヤマトタケルの歌に御火焚きの翁が唄い継いだ古事記の逸話に基づく]和歌なくば、あるべからず。句なくば、すぐべからず。まことに、愛すべき山のすがたなりけらし。

 萩(はぎ)は錦(にしき)を地にしけらんやう[敷いたかのよう]にて、かつてためなか[橘為仲(たちばなのためなか)]ゞ長櫃(ながびつ)に折入(をりいれ)て、みやこのつとにもたせけるも[鴨長明の「無名抄」にある逸話]、風流にくからず。きちかう[=桔梗]・をみなへし・かるかや[稲科の多年草]・尾花[=ススキ]、みだれあひて、さをしか[=小牡鹿]のつまこひわたる[牝鹿を乞うて鳴く]、いとあはれ也(なり)。野の駒(こま)、ところえがほにむれありく、またあはれなり。



 日既(すで)に暮(くれ)かゝるほどに、利根川(とねがは)のほとり、ふさ[千葉県我孫子市布佐]といふ所につく。此(この)川にて、鮭の網代(あじろ)[秋に産卵の為に上り来る鮭を捕らえる網代]といふものをたくみて、武江(ぶかう)[武蔵国江戸]の市(いち)にひさぐも[売る、商う]の有(あり)。よひのほど、其(その)漁家(ぎよか)に入(いり)てやすらふ。よるのやどなまぐさし。月くまなくはれけるまゝに、夜舟さしくだして、かしまにいたる。



 かしまに至れば、ひるより、あめしきりにふりて、月見るべくもあらず。ふもとに、根本寺(こんぽんじ)のさきの和尚(をしやう)[仏頂和尚(ぶっちょうおしょう)のこと。芭蕉に禅の精神を授けた人物とされる]、今は世をのがれて、此所(このところ)におはしけるといふを聞(きき)て、尋入(たづねいり)てふしぬ。すこぶる人をして深省(しんせい)を發(はつ)せしむ[杜甫の詩の引用。人に深い悟りの境地を抱かせる]、と吟(ぎん)じけむ。しばらく、清浄(しやうじやう/せいじやう)の心をうるにゝたり。

 しばし居寐たるに、あかつきのそら、いさゝかはれけるを、和尚起(おこ)し驚(おどろか)シ侍(はべ)れば、人々起出(おきいで)ぬ。月のひかり、雨の音、たヾあはれなるけしきのみむね[=胸]にみちて、いふべきことの葉もなし[=句を詠むことさえ出来ない]。はる/”\と月みにきたるものを、句も詠まれぬかひなきこそ、ほゐなき[期待はずれな]わざなれ。かの何がしの女[清少納言のこと]すら、郭公(ほととぎす)の歌得(え)よまでかへりわづらひしも、我(わが)ためには、よき荷憺(かたん)の人[荷担してくれる人、つまり味方]ならむかし。

をり/\にかはらぬ空の月かげも
     ちヾのながめは雲のまに/\  和尚

月はやし梢(こずゑ)は雨を持(もち)ながら  桃青

[雨上がりの雲が行き過ぎる時、まるで月の走っているように感じられることだ。雨雫がまだしたたっている梢の向こうに。]

寺に寝てまこと顔なる月見哉  同

[寺にあっての月見なれば、日頃とは心持ちも異なり、あらたまった宗教的な顔つきで月見をしていたことであるよ。]

雨に寝て竹起(おき)かへるつきみかな  曾良

[雨と諦めて眠ってしまったものを、まるで雫にしだれていた竹の、雨上がりに起き返るように起き上がり、眺めて居る月見であることよ。]

月さびし堂の軒端(のきば)の雨しづく  宗波

   神前[鹿島神宮の神前]
此(この)松の実ばえせし代や神の秋  桃青

[神前の境内に生えるこの立派な松、この松のまだ芽を吹いたかなた昔は、あるいは神代の秋であったのだろうか。]

ぬぐはヾや石のおましの苔(こけ)の露  宗波

[ぬぐい取りたいものだなあ。神の御座(おまし)になったというこの石の苔を湿らす露ならば。]

膝折(ひざをる)ルやかしこまり鳴(なく)鹿の聲(こゑ)  曾良

[神の前では膝を折っているのだろうか。鹿の声さえかしこまった声に響いてくる。]

   田家(でんか)[田舎の家]
かりかけし田づらのつるや里の秋  桃青

夜田(よた)かりに我やとはれん里の月  宗波

[里の名月に会えるならば、夜の田を刈るためにわたしも借り出されてみたいものだ。]

賎(しづ)の子やいねすりかけて月をみる  桃青

[貧しい百姓の子が、月あかりを便りに籾すりをしかけて、その月あかりに手を休めて、つい月見をしていることだ。]

いもの葉や月待(つきまつ)里の焼(やけ)ばたけ  桃青

[名月の取り合わせである里芋の葉さえも、月を待っているようにさえ思えてくるものだ、この里の焼け畑では。]

   野
もゝひきや一花摺(ひとはなずり)の萩ごろも  ソラ

[萩野を行けば、まるで履いているももひきが、一花摺に染めたように萩色の衣になってしまうようだ。]

はなの秋草に喰(くひ)あく野馬哉  仝[=同]

萩原(はぎはら)や一よはやどせ山のいぬ  桃青

[山の犬や狼どもよ、一夜くらいはこの萩原に降りて宿を取るがいい。(そうしたらお前等にも、風流の情が芽生えるかもしれないのだから。)]

   帰路自準(じじゅん)の家にに宿(しゆく)ス
塒(ねぐら)せよわらほす宿の友すヾめ  主人

[どうかここをねぐらに宿を取って欲しい。藁を干すような粗末な宿ではあるけれど、まるで藁で巣作りをしたところに、友のすずめらが休み訪れるように。]

  あきをこめたるくねの指杉(さしすぎ)  客

[生垣(くね)の挿し木の杉にも、秋は宿っていることだ。]

 月見んと汐引(しほひき)のぼる船とめて  曾良

[月を見ようとして、綱を引きつつ流れを遡ってゆく船を止めて、乗りこめば。]



       貞亨(じやうきやう)丁卯(ひのとう)仲秋末五日

       [貞享四年八月二十五日]

              (終わり)

2012/4/5

[上層へ] [Topへ]