地球大進化2(坊ちゃん風味)

[Topへ]

説明

 夏目漱石の「坊ちゃん」風味のNHKドキュメント地球大進化レポートの2回目。

第2章、全球凍結

 「今から6億年前を見たまえ、我々の祖先が急に目に見えるようになって、各種器官が形成されて、まるで全球凍結があったようだね。」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全く全球凍結ですね。どうもこの急成長具合ったらありませんね。全球凍結に違い有りませんよ。」と心得顔である。全球凍結とは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙っていた。この野だというのは赤シャツの生徒の事だ。この野だは、どういう了見だか、赤シャツの研究室へ朝夕出入して、どこへでも随行して行く。まるで師弟じゃない。封建時代の主従みたようだ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、今日はどちらでげす、え?エディアカラ生物群?そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれでエディアカラ生物群の専攻ですと云った。こんなのがエディアカラ生物群ならエディアカラ生物群は遣りたくないもんだと心中に考えた。こんなのがはるばるニューヨークまで遠征して、セントラルパーク中のアメリカ人に今日はエディアカラ生物群でげすなどと自慢して回れば、なるほど日本人が馬鹿にされるのももっともだ。赤シャツは「それじゃあさっそく迷子石を探そうか。」といって、下手な英語で調査に乗り出す。「君も早速探したまえ」と言うから、岩はあまるほどあるが、氷河がありません。氷河がないことには迷子石は誕生しっこありません。と云ったら、君、氷河がなくっちゃ迷子石が探せないのは素人ですよ。その石はね、氷河に体を預けて1年間に数メートルの速さで押し流されて居たんだが、氷河が解けて地表についた時分に置き去りにされてしまった。つまり迷子石はかつて氷河があった証拠なんだね、と宣(のたま)った。俺は「あそこに見える岩が全部氷河で運ばれてきたなんて、そんな前代未聞な答えは大嫌いです。」と驚いたが、「君がそう思うのももっともだが。あれは2万年まえに最後の氷河によってニューヨークまで辿り着いたものに違いないです。現にこの土地の成分とはまるで作りが違うんだから危ない。ここから先には柔軟な頭でないと容易には進めませんよ。」と赤シャツが説教じみたことを云った。俺にはこの土地が氷河に覆われていたと信じるほど広い見識は無い、あんまり壮大なんで実は困っているのだと白状した。「君も台本ぐらいは読んで来ましたろう。地球大進化も2回目になっていよいよ佳境に至った。今日は地球全体がマイナス50度の極寒の気象条件によりすっぽり凍り付く全球凍結と、その後に巨大化するご先祖様のお話だったはずですね。」収録前にゴルフボールの表面に白いスプレーを塗りたくって、まるで全球凍結見たようだね、と俺に見せておきながらだったはずですねとは、よく言ったものだ。収録中でなかったら殴りつけてやるところだが、仕方がない「つまりセントラルパークが氷結するぐらい頭を柔軟にしておかないと剣呑だと云うのでしょう。」と大人しく下手に出ると、大先生おおいに得意がって「全く、ただの氷河だと思って貰っては困ると云うんです」と威張って見せた。
「いくら氷河期が寒いからって、凍らない範囲も広がっていれば怖くはありません。現に赤道付近ではかえって緑が溢れ出し生命が栄えたって話しじゃありませんか。」
「無論怖くはない、怖くはないが、それは2万年前の氷河だ。現に全球凍結では生命が絶滅の縁に追いやられたんだから、気を付けないと他の微生物に乗ぜられると云うんです」
 野だが大人しくなったなと気が付いて、ふり向いて見ると、アメリカ南部にあるオーキフェノーキー国立公園に向かうために、放映陣と打ち合わせをしている。野だが居ないんでよっぽど話しよくなった。
「乗ぜられるって、僕のご先祖様がだれに乗ぜられたんです」
「だれと指すと、その生物の名誉に関係するから云えない。また判然と証拠のない事だから云うとこっちの落度になる。とにかく、せっかく全球凍結を見るのだから、先祖が失敗しちゃ僕等も君を呼んだ甲斐がない。どうか気を付けてくれたまえ」
「気を付けろったって、今さら気の付けようはありません。ご先祖様が絶滅しなけりゃ好いんでしょう」
「無論生き延びれば好いんですが、自分だけ生き延びようとしても、生命環境を打ち壊す悪い奴があっちゃあ、やっぱりひどい目に逢うでしょう。世の中には磊落なように見えても、淡泊なように見えても、親切に地球温暖化の世話なんかしてくれても、めったに油断の出来ないのがありますから……。これをご覧なさい。赤道付近にある迷子石です。僕が旅行の時に取ってきた写真だ。この迷子石は6億年も前に取り残されたものだが、当時の地表だった至る所で見つかっているものだ。おい、野田君どうだい、この迷子石の写真は……」と大きな声を出して野だを呼んだ。なあるほどこりゃ壮絶ですね。地球全体が凍結してマイナス50度になったんだが、非道いですね、赤道に逃れた生物も凍り付くなんて、と自慢げにたたく。「本当だね、現在こんな事が起こったら、植物も尽き光合成も無くなって食物連鎖の結びめさえも断ち切られて、地上の生命は間もなく根絶やしにされてしまうだろうね。かといって海だって水深1000メートルまで氷に閉ざされちゃあ、光も届かず光合成プランクトンすら死滅して、やがて潮だけが漂う死の海になる。こんな状態が数百万年続いたら、どうしたって八方塞がりだというんですね。」すると野だが、「先生、そうなったら東京も1000メートル高く氷河が積もりますから。名物のタワーも深く潜ってさぞかしお寒いことでげすなあ。」と頓珍漢な事を付け加えた。

 野だ公が首を出したお陰で漸く赤シャツの攻撃が止んだのはよかったが、全球凍結がそんなに恐ろしいものだとは気が付かなかった。マイナス50度なんて役者の俺にも経験が無い。戦時中はよく乾布摩擦で体を鍛えていたが、息が白くなる時分でさえ摂氏0度が関の山だ。厚さが1000メートルの氷河とはそりゃ何だ、せっかく40億年の昔から勇み足で6億年前まで辿り着いたのに、あまりにも非道い仕打ちだ。どういうことなんだ、これじゃあ死んじまうじゃないか。赤シャツに尋ねるのもしゃくに障るので、俺は頼みの綱である進化カレンダーを駆使して全球凍結後の生物の状態を確認する事にした。先週の収録で砂に書いたカレンダーがあまり旨く行ったんで、12ヶ月グラフを定規サイズに直した携帯用進化カレンダーを特注で作っておいた。これをポケットから取り出してメモリーを進めると、すこぶる明確な映像が最新CGを駆使して浮かび上がる寸法だ。本日の題目である全球凍結の直前に動かすと、カレンダーはもう11月中旬まで迫っている。
 遂に全球凍結のCGが現われたから心を改めて先に進んだら、顕微鏡で漸く発見出来るほど小さかったご先祖様が、ずんっと云って急に大きくなりやがった。さらに驚くことに映し出された生物は、前回の放送で初めてご対面となった唐茄子のうらなり君じゃないか。おれとうらなり君とはどう云う宿世の因縁かしらないが、この生物の姿を見て以来どうしても忘れられない。全球凍結が開ければ、すぐ、うらなり君が眼に付く、砂浜のカレンダーを歩いていても、うらなり先生の様子が心に浮ぶ。当時の海中に潜って行くと、うらなり君が時々蒼い顔をして海底のあたりに膨れている。挨拶をするとぷにっと恐縮して泳ぎ回るから気の毒になる。全球凍結後のエディアカラ生物群の中でうらなり君ほど大人しい生物は居ない。なるほどうらなり君のような生物が誕生するくらいだ、地球全体が凍結したのは生命が進化するための一大試練だったに違いない。俺は愉快になってきたから「一帯どうして地球全体が氷河期になっちまったんですかね。」と赤シャツに聞いてみた。
 「それが君、生物同士の三角関係のもつれが根本の原因にあって、その結果として地球の方が寒冷化を被ったと云うから驚くじゃあないか。」
 「つまり荒ぶる父が悪いんじゃなく、生命の方で自分の首を締めたって云うんですか。」
 「ええ、全く今回の出来事は生命の営みの方が、自分から引き起こした悲劇に相違ありません。実は当時の海中では大きく3種類の微生物が互いに影響を及ぼして活動していたんだが、ある時生物同士のバランスが崩れてとんでもない事件を引き起こした。どうです、これについては今から向かうオーキフェノーキー国立公園でお話ししようじゃないか。」  俺はせっかくの好奇心がへし折られて迷惑千万だったが、何の権限もないんだからしょうがない。放送陣に連れられてそのなんとか国立公園に向かうことになってしまった。

 「漸くのこと付いた。恐ろしく広い湿地帯ですね、水平線の方は靄(もや)でかすみ色になった。いい景色だ。まるで水の楽園だ。おい、野田君どうだい、この国立公園の景色は……」と赤シャツは大きな声を出して野だを呼んだ。なあるほどこりゃ奇絶ですね。時間があるとダイビングをするんだが、惜しいですね、このままにしておくのはと野だは大いにたたく。「さあ、セントラルパークでの説明を続けようじゃないか。」と赤シャツが云うから、どうとでも勝手にするがいいと思ったが、うらなり君の事を思い出して「どうぞお願いします」と答えておいた。ボートが止ると赤シャツはどぼんと網と糸を抛り込んでいい加減に指の先で操り出した。「当時我々の遠い祖先である微生物は、葉緑素のない襟鞭毛虫(えりべんもうちゅう)見たような恰好をして海中に生息していたんだが、ここにはいろいろとしがらみがあって、日光を資本に光合成を行なっては酸素を排出する葉緑素を持った微生物達から、沢山の酸素を貰って活動を行っていた。ところが生物界もなかなか情実のあるものだから、海の中にはもう一つ別の微生物が存在していた。それを今から釣り上げようと云うんだが。」――そらきた、と先生急に糸をたぐり始めるから、何かかかったと思ったら何にもかからない、ヘドロが固まっていたばかりだ。いい気味だ。先生、残念な事をしましたね、今のはたしかに第3の微生物に違いなかったんですが、どうも先生のお手際でさえ逃げられちゃ、今日は油断ができませんよ。と野だは妙な事ばかり喋舌る。邪魔だから沈めてやろうかと思った。「いいえ野田君、これです。このヘドロが第3の微生物の固まりなのです。このヘドロから出てくる泡を採取するから君達も手伝い給え。」
 原色主義の水上に浮かぶ膨大な森林地帯を風が抜けると、太陽は斜めになって午後の日差しを投げかける。仕舞いには俺も参加し3人泥だらけになってヘドロから気体を分離させると、半時あまりしてビーカーの中に封じ込めた。「それじゃあ、これからこのビーカーの気体に火を付けてみようじゃないか。君その煙草用のライターを小さな気体の排出口にかざしてみたまえ。」と云うので、「そんなことわけありません。」と言ってストロー状の出口に火をかざすとどうも驚く、ライターが離れた後も炎だけが出口に食っ付いたまま何時までもゆらゆらと青く燃えていやがる。「これは台所のガスと同じメタンガスだね。実はこの泥の中に大量のメタン菌という微生物が居て、枯れ葉などの有機物を取り込んで、メタンガスを排出して、生計を立てていると云うじゃないか。」俺はせっかちだから先の話しが気になって仕方がない。つい「メタン菌が三角関係の張本人ですか」と聞いたら、野田の野郎が「せっかちでげすなあ。」と食らわした。「そうかもしれないですよ。メタン菌には二酸化炭素の20倍もの温室効果があるというので、当時まだ二酸化炭素も少なく寒冷であるはずの気候が、もっぱらメタンガスのお陰で温暖に保たれていたのです。つまりメタン菌の活動こそが、すべての生命活動の源だったことも無いとは限らん。そこで光合成生物も安心して酸素を排出していたんだが、実はメタンには酸素と化合して別の物質になる性質があったから、やっかいなことになりました。」
 「まさか、メタンと酸素とがことごとく結合して、地球の温室効果が無くなっちまった分けでもないでしょう。」
 「いいえ全くそれに違いない、そう進行するというのですよ。温暖化のお陰で光合成生物があまり沢山酸素を排出するものだから、遂にはメタンガスを減少させるまでに酸素が増加してしまったんですね。すると今度という今度は急激に寒冷化が進行して、生命には手の施しようが無くなってしまった。」
 すると野田が、「ちょうど歯どめがなくっちゃ自転車へ乗れないのと同程度ですからね、とうとう全球凍結と相成りやした。」と甚だ妙な間の手を入れた。なるほどこうして半ば生物の責任で地球全体が凍結したのは分ったが、その後に現われるうらなり君の方が遙かに気に掛かる。「それでどうやって生き延びて大成長を遂げるのです。」と聞くと、それにはVTRを見て貰った方が良さそうだと言うので、放映陣がすぐさまテープを再生した。

・氷河最大1000メートル、気温マイナス20度のアイスランドを、バイオベンチャー企業の微生物ハンターが、スノーモービルで走り回るVTRが開始すると、3日間も掛けて白い煙がもくもくと立ち上る氷河の裂け目に到着した。地球から吹き出す熱い蒸気によって、ここだけ氷が溶けて適温のお湯だまりが出来ている。ハンター達は温泉気取りで服を脱ぐと、一斉にその中に飛び込み良い湯だなと手拭いを頭に乗せる。じつはこの温泉周辺とお湯の中に、大量の微生物がいるのだと一人が云うと、もう一人が裸のまま足下のヘドロを握り出しカメラに向け、見たまえこの泥の中にも驚くほどの微生物が光合成生物を中心に賑わっているのだ、とコマーシャルをする。別の男がわざとらしく、なるほど嘗ての全球凍結の際にも地球内部の熱が吹き出すあたりに微生物が固まって生き延びたのに違いないと加えると、全くそうに違いない我々は偉大な生命に乾杯だと云って燗徳利を振り回して大声で歌い始めた。「危機を乗り越えご先祖は、光合成生物に負ぶさって、火山の裂け目に群がって、生き延びたのはあっぱれだ、援護の狼煙(のろし)も大地を揺るがす。生命擁護の大噴火、繰り替えされては空高く、噴き上げたるは炭酸か、はたまた焼けた溶岩か。海は凍結河もなく、行き場を無くしたCO2、大気に満ちて300倍、今日濃度を遙か超え、再び歯車切り替える。二酸化炭素がしでかした、遂に始まる温暖化、氷りを溶かして突き進む、全球凍結露と消え、地上に楽園帰る時、生命繁栄謳歌して、巨大化したるは見事なり。ちゃんちきりん、ちゃんちきりん、ちゃんちきりんぽうぱっぽんぽう。」最後は放送禁止の裸のままお湯から立ち上がって一斉にちっちゃな恐竜たちの練り歩く失態に驚き慌てて担当者が歌い狂う彼らを後にしてVTRを打ち切った。

 ぴーっと云ってテープがとまると、画面がシベリアを離れて、しばらくお待ち下さいを出した。画面はピンク色した背骨の無い生き物が海中でひしめいている。これは東京湾の映像だ。俺は恐竜ぐらいじゃへこたれ無いから、後は赤シャツ党に任せて、胴の間へ仰向けになって、さっきから大空を眺めていた。進化を見るよりこの方がよっぽど洒落ている。それにしても今の映像が急を凌ぐために前後不覚に映し出されたものなら、大した失態だ。こんな番組に参加する俺の評価にも影響しているから考え直さなくっちゃあならない。こんな事を考えていると、何だか二人がくすくす笑い出した。笑い声の間に何か云うが途切れ途切れでとんと要領を得ない。「え? どうだか……」「……全くです……知らないんですから……罪ですね」「まさか……」「ウミエラを……本当ですよ」
 おれは外の言葉には耳を傾けなかったが、ウミエラと云う野だの語を聴いた時は、思わずきっとなった。野だは何のためかウミエラと云う言葉だけことさら力を入れて、明瞭におれの耳にはいるようにして、そのあとをわざとぼかしてしまった。おれは動かないでやはり聞いていた。 「また例のコラーゲンが……」「そうかも知れない……」「チャルニオディクティス……ハハハハハ」「……形成して……」「エディアカラ生物群も?」
 言葉はかように途切れ途切れであるけれども、ウミエラだのエディアカラ生物群だのというところをもって推し測ってみると、何でも先ほどの続きについて内所話しをしているに相違ない。話すならもっと大きな声で話すがいい、また内所話をするくらいなら、おれなんか誘わなければいい。いけ好かない連中だ。
 船は静かな湿地帯を陸へ漕ぎ戻る。君メタン菌はあまり好きでないと見えますねと赤シャツが聞くから、ええ寝ていて空を見る方がいいですと答えて、吸いかけた巻烟草を海の中へたたき込んだら、ジュと音がしてモーターで掻き分けられた浪の上を揺られながら漾っていった。「全球凍結が過ぎたので生物も大いに喜んでいるから、奮発して解説してくれたまえ」と今度はメタン菌にはまるで縁故もない事を云い出した。「あんまり喜んでもいないでしょう」「いえ、お世辞じゃない。全く喜んでいるんです、ね、野田君」「喜んでるどころじゃない。大進化です」と野だはにやにやと笑った。こいつの云う事は一々癪に障るから妙だ。「しかし君注意しないと、ウミエラですよ」と赤シャツが云うから「どうせウミエラです。こうなりゃ放送中止は覚悟です」と云ってやった。実際おれは番組を降りるか、体たらくの差し込み映像を番組に繋げるか、どっちか一つにする了見でいた。
「そう云っちゃ、取りつきどころもないが――実は僕も教授として君のためを思うから云うんだから、わるく取っちゃ困る」「先生は全く君に好意を持ってるんですよ。僕も及ばずながら、同じエディアカラ生物群専攻だから、なるべく長く継続を願って、お互に力になろうと思って、これでも蔭ながら尽力しているんですよ」と野だが人間並の事を云った。野だのお世話になるくらいなら首を縊って死んじまわあ。  「それでね、ウミエラの映像は急場凌ぎに差し込まれたようにも見えるんだが、そこにはいろいろな事情があってね。君も腹の立つ事もあるだろうが、ここが我慢だと思って、辛防してくれたまえ。決して君のためにならないような事はしないから」
「いろいろの事情た、どんな事情です」
「それが少し込み入ってるんだが、まあだんだん分りますよ。僕が話さないでも自然と分って来るです、ね野田君」
「ええなかなか込み入ってますからね。一朝一夕にゃ到底分りません。しかしだんだん分ります、僕が話さないでも自然と分って来るです」と野だは赤シャツと同じような事を云う。
「そんな面倒な事情なら聞かなくてもいいんですが、あなたの方から話し出したから伺うんです」
「そりゃごもっともだ。こっちで口を切って、あとをつけないのは無責任ですね。それじゃこれだけの事を云っておきましょう。あなたは失礼ながら、まだナレーションをしたてで、ウミエラは始めての、経験である。ところがウミエラというものはなかなかコラーゲンのあるもので、生物巨大化のエディアカラ生物群に活躍した、海中の養分を濃し取って吸収するチャルニオディクティスの生き残りとも云われているほどですからね。」
「コラーゲンで形成されているとはどういうことです。半透明のゼリーのような物質で、健康の為にお肌にでも塗りつけましたか。」
「さあ君はそう率直だから、まだ進化論に乏しいと云うんですがね……良いですか、このコラーゲンというものは、網の目のような構造を持っていて、もし生命がこのコラーゲンを作り出せると、生命は非常に巨大化する。君だって、網の目が張り巡らされていれば隣人と手を取り合って大きな共同体を形成したいと思うでしょう。」
「それはどうか知りません。」
「すでに貴方を形作る細胞がそう思っているのだから間違ありません。細胞は青年活気に溢れるものであるから、コラーゲンを与えると活力が漲って、網を伝って隣人と緊密な関係を築き上げ、相互に大したネットワークを築いている間に、とうとう目に見えるほど巨大化して見せた。」
「まさか誕生してから35億年もたってから、いきなり思い立ってコラーゲンを作り出した分けでもないでしょう。もう11月過ぎです。」
「そこで全球凍結が大きな役割を果たしたというのです。さあ、次のVTRの準備が整いました。もう纏めですね。生命巨大化の謎はいよいよ明らかになった。さっそくテープを回したまえ。」赤シャツの呼びかけに答えてボートに積み込まれた機材ががちゃりと動き出すと再び目の前にCGを駆使した生命巨大化の儀式が浮かび上がった。ボートを操りながら半ば呆れた顔をして、図体のでかいアメリカ人がこの騒ぎを横目に流す。

・初め酸素なんて地球上には影も形も無かったが、ある時から光合成生物がけなげに形成を続けるんで、全球凍結前には今日の20分の1ほど大気中に紛れ込んだ。しかし光合成微生物が酸素を生産すればその分、酸素を使用する我々のご先祖も増殖するから、中々酸素濃度も一線を越えて増加しない。そんな最中に突然降って凍ったように地球全部が氷結して微生物達を地獄に追いやったかと思えば、一変して相次ぐ火山活動により充満した二酸化炭素が温暖化を引き起こし、気温はマイナス50度からぐんぐん昇って最後にはプラス50度まで達した。これには地球も熱い熱いと我慢できなくなって、氷の鎧を一斉に溶かし始めたから、とうとう最後には大変な事件に発展しちまった。氷は溶けて海を取り戻し、悉(ことごと)く波を揺らして本来の姿に立ち戻ったが、あまり日光が照りつけるものだから、早く気体となって熱さから逃れたい、逃れたいと必至になって、気温に蒸発させられた海水がぐんぐん昇って雨雲を育て上げ、ついに巨大な台風を幾つも誕生させるに至った。こうなったら諦めるより仕方がない、ハイパーハリケーンの巨大な渦は海嵐のように至る所に押し寄せて来る。中心気圧300hp、最大風速300メートル以上のでっかい面玉をぐりつかせた怪物が、高さ100メートルの高潮を海岸に向かって叩きつければ、今日のフロリダ半島をも通り抜ける巨大な津波が押し寄せて、海と知れず陸と知れず滅茶苦茶に掻き回した。これに驚いたのは全球凍結の時生物に接種されないまま眠っていた海底火山噴出付近に漂う豊富な栄養分達だ。ハリケーンが深海まで引っかき回しては「けんかだ、けんかだ!」と大騒ぎするので、堪え切れなくなった栄養分が一緒になっていやあ、はああと海の上層下層お構いなくもみくちゃにされて、ついには浅い海に栄養分が大量に吹き散らされた。そこを待ってましたとばかり「ぽかり、ぽかり」と飛びついたのは、放送禁止の憂き目を見た温泉の光合成生物とその愉快な仲間たちだ。奴さんこの栄養分を資本に日光を浴びて大いに増殖すると、酸素は素敵に生産され光合成生物の緑に染まった海が出来上がった。こうして酸素は今日と同じ20%の酸素濃度が確定したが、これを見て大喜びの我らのご先祖様も酸素のエネルギーを資源に大増殖を行うが、どんなに使用してもまだ酸素が余っている。実は酸素が余っているのは甚(はなは)だ好都合だった。この余剰酸素を使用してコラーゲンを編み出したご先祖は、ついに微生物同士が繋がり始めて目に見える大きさに成長したのだ。

 俺は恐れ入ったから。「なるほど、うらなり君はこんな壮大なドラマがあって誕生したのですか。」と尋ねると、赤シャツは「うらなり君を見たまえ、早くも我々の原型である脊髄と、目のような感覚器官を付けて、まるで御玉杓子見たようだね。ほほほほ。」と改心の笑いを飛ばした。そこへ野だが、「私もこれでアフリカに行った時、魚じみた唇のお化けが化石になった地球初の大型生物を見たことがあるでげす。」と加えると、
「それは30センチのプテリデニウムだね。海底に半分埋まるように生活を営んでいたそうじゃないか。僕はシベリアで、円盤がはは這いずり回ったようなヨルギアという生物の化石を見たことがあるんだが。」  と云うと、あなたの手腕でヨルギアなんですから、私なんぞがプテリデニウムなのは仕方がありません。当り前ですなと野だが答えている。赤シャツはボートの操縦士にこの湿地帯は何時出来たのか聞いていたが、「1億年前以内じゃ、キンベレラは難しいなあ。」と呟いた。奴さんキンベレラを見つけるつもりらしい。このキンベレラというのは今めくった大進化の台本によると、長い触手を伸ばして砂から養分を見つけ出す戦車みたような生き物らしいが、このような100種類ものエディアカラ生物群の中に、愛すべき我らがうらなり君が砂の上を泳ぎ回っている。ほんの体長6センチメートルだが、こいつこそが直接ほ乳類に通じる生命のルーツだと思うと愉快に思ったから、「転んでもただでは起きない、そういうこと。」と纏めに取り掛かった。こうなったら赤シャツだろうと野田公だろうと俺を止めることは出来ない。「試練を越える度に高みに達する我々の先祖は全球凍結によってバクテリアから離脱した。ありがとう全球凍結、君のお陰で俺は恋も出来る、鯛も釣れる、俺たちを俺たちにしてくれた荒ぶる父、地球の与える試練に愛情さえも沸き上がる。はっはっはっ、まいったまいった。」
 くそうこんな台本は誰が書き上げたのだと内心恐れ入ったが、構うものか俺は大笑いで最後のナレーションに繋ぐナビゲーターの役を演じきって見せた。ナレーションの声が聞こえると赤シャツ党が色めきだったが俺はそんなことには頓着していられない。
 「私達の骨を形作る有機物の90%がコラーゲンなのです。このコラーゲンの固まりにカルシウウが固着して初めて骨が生れるのです。そして私達の皮膚を形作る有機物の70%がコラーゲンなのです。角膜もコラーゲンが織り込まれた絨毯、血管もコラーゲンのくだ、こうして私達は身も心もすっかりコラーゲンなのですから、目に見える大きさになってからほんの6億年で、太陽の反対側から地球を眺めると、何てすばらしいことでしょう、生命の営みか街の明かりがペチカのように燃えているわ。」
 俺が「それぎりかい。」と質問をすると、ナレーションは「ええ。よくってよ。」と答えるから、なんだか不可解の内に今回の番組は終了となった。まいった、まいった。

2005/2/16
掲載2005/08/31

[上層へ] [Topへ]