地球大進化1(坊ちゃん風味)

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説明

 NHKの地球大進化シリーズが非常に良い番組だったので、そのレポートを坊ちゃん風にお送りしてみます。したがって番組を見ていないと意味が分かりません。有用ですからぜひDVDを一家に一本は手元に置いて、自らの知性とお子様への教育を兼ねて下さい。ついでに、食事中テレビを付けっぱなしで民放ドラマを垂れ流して会話もない家族は、子供を豚にする行為ですから、今すぐ止めましょう。

第1回「生命の星、大衝突からの始まりーそして荒ぶる父へ」

 生まれた時からの役者根性で子供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かしたことがある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から顔を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら仮面の真似をしても、そこから飛び降りることは出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使いに負ぶさって帰ってきた時、おやじが大きな眼をして仮面のくせに腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに演じて見せますと答えた。中学の卒業アルバムでは当時流行っていた時代劇の恰好で薄氷の張ったプールに飛び込んで、その写真の横に役者魂とでっかく書き込んで遣った。高校を卒業した時にはとうとう劇団の門を叩くと、お茶持ちの脇役から順にのし上がって見せた。檜舞台にも上がった、女役にもなった、その内テレビにも出始めた。働きづめに働いて気が付いたら還暦も遙か過ぎて齢67才を迎えちまった。俺は冷静に考えた。大抵自分の生涯は消化したが、何かが足りない。これは足りないはずだ、自分を顧(かえり)みる機会が来ていない。腕を組んで思案していると、テレビ局から誘いがあって地球誕生から生命の由来を辿るナビゲーターを遣らないか、と云われたから、後先考えずにいの一番に引き受けちまった。今考えるとこれも役者根性が祟ったのである。
 俺はさっそく打ち合わせに出向いた。挨拶にスーツ姿の黒縁眼鏡が、どうぞどうぞと慇懃(いんぎん)に勧めるから熟考(じゅっこう)せずに後を追うと、部屋を抜けた刹那にばたんがちゃりと音がする。しまった騙されたと慌てて取っ手を握ったが、右に回しても左に回しても押しても引いても動じない。「出せ出せ。冗談はよせよせ。」自分でも情けない素っ頓狂な声を出しちまった。「ナビゲーターが進化の内容を知らなくっちゃあ、番組が空っぽになってしまいます。ひとつそこで勉強をしてください。」黒縁は気取った声で笑いながら挨拶をしたが、どうやら俺は書籍に囲まれた資料室に封じ込められたようだ。活字ばかりの本が重り合ってのし掛かってくる。俺は何が嫌だといって活字と睨めくらをするほど苦手なものはない。小学生の時は先生に背中を向けたまま授業を済ましちまったぐらいだ。こんな分厚い資料を前にして、熟読して覚え込む器量はない。これじゃあ急性盲腸で病院に担ぎ込まれた方がなんぼかましだ。俳優三昧のやくざ者にはこなせる仕事ではない。思えば自分の履歴なんか振り返えらなければよかった。地球誕生だの生物進化などが俺に出来るものかと、早々に逃げ出す方策を練っていると、窓のガラス窓が開けっ放しだ。走り寄って覗いてみると、飛んで着地できない距離じゃない。俺を頼ってくれた放送局には済まないが、俺をこんな世知辛い活字部屋に投げ入れるのはもっと済まない。見張りが無いのを確認していの一番に飛び込んだ。しかし懸命に砂浜に逃げ伸びて放送局から離れようとするが、年齢で体が云うことを聞かない上に砂が足をすくうものだから、繰り出す割りに前に進まない。後ろの方で「待て待て」と声がしたかと思ったら、背後からマイク持ちが追ッ掛けてくる、カメラ小僧も走り寄る、演出家が横から迫ってくる。とうとう年寄りの俺は、人と機材で周囲を押さえ込まれてしまった。おおかた最初から俺を罠に陥れて、不意を捕らえて収録を開始する腹だったに違いない。不人情な奴らだ。

 VTRが回れば俺も俳優だ、役をこなせないで逃げ出したと馬鹿にされては俳優の名折れだ。こうなりゃ意地にでも番組を全うして、高らかに弁じてやるから覚悟しろ。こう思ったから居直ってカメラに自己紹介をしたら、いきなり事の起こりは46億年前と収録が始まったのには恐れ入った。俺はこれでも67年生きて随分世間に長居した積もりでいたが、46億年じゃあ尺度が違う。67年を1000万倍したってまだ6億7千万年だと思うと、役者の脳みそじゃ掴み取れない歳月だ。さすがの俺も呆然として先が続かない。困って足の下を見ると、なんだか棒きれがわざとらしく置いてある。俺は素敵に考えた。こいつを鉛筆替わりに砂浜を紙に見立てて進化カレンダーを作ってやろう。46億年の流れを1年12ヶ月にして封じ込めたら、俺の頭脳だって理論整然とするに違いない。視聴者にも面目が立つ。さすがの還暦越えだけあって、12ヶ月ならもうすでに67回経験しているから、迷うこともあるまい。そう思ったから「天佑、天佑」と叫んで、棒きれで奮発して10メートルばかり引っ張ってやった。1月1日が地球の誕生日で、12月31日が終わる刹那に現代に通じるという趣向だ。見たか、年寄りだってこんな時は豪快なものだろう。だんだん愉快になってきたから、完成したカレンダーの大晦日に立つと、静かに1月に向けて闊歩してみた。すると奴さん得意なCG映像の演出か、その時分地表に誕生した生物が次に次にと俺の前に映し出されるには驚いた。面白い。少しつま先を進める間に、見慣れぬ原始人がサルになったかと思ったら、2,3歩足を踏み出すと早くも恐竜が顔を出した。まだ12月半ばを歩いているのに大変な後退振りだ。不安になったから、おそるおそる小さく踏み出したら、ついに恐竜は平べったいハ虫類みたようになって、声をあげる間もなく水ぶくれした白い生命体が現われた。「こいつは栄養失調じゃありませんか。」あまり虚弱そうなので心配になって、向こうに控える演出家に聞いてみたら、「そうじゃありません、その生き物はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、青く膨れるんです」と教えてくれた。うらなりとは何のことだか分からないが、分からなくても困らないことだから、黙って頷いておいた。電卓を借りて時期を導き出したら、俺の直接の先祖ホモサピエンスが現われるのは12月30日の11時37分で、俺の生涯67年はわずか1秒の半分しかなかった。これじゃあうだつが上がらないもの仕方がない。

 46億年に逆上せて呆然と海風を受けて立っていると、それじゃあ今日は46億年前に地球が誕生してから、生命が現われるあたりを進行しようじゃないか、ほほほほとさっきの演出家が云い出した。実はこいつは演出家ではなく、俺の失言を見張る教授なんだそうだ。大学で論文でも書いていればよいのを寒い冬の海まで繰り出してご苦労なこった。しかもこの寒いのにフランネルのシャツしか着ていない。いくらか厚い地には相違なくっても寒いには極っている。教授だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があったものだ。しかも「赤シャツに 染めた紅葉(もみじ)の 模様かな」と座右の銘の替わりか不明瞭な俳句で自己紹介をするから、非常に返答に困った。
 こうして腹を括って仕事を始めなくっちゃいけなくなった。俺は学校嫌いのテスト嫌いの読書嫌いの風来坊だが、幸い役者を仕事として今日までどうにか活躍してきた。国民総じて涙を誘うほどの手際は無いにしろ、どうにか大根とは言われず今日を迎えた。知らぬことを了解済みのごとく述べ立てるくらい訳はない。台詞だってカメラの後ろに記してあるから、困ることはない。これを風に吹かしては見、また風に吹かしては見て滔々としていれば、誰も無知な男とは思うまい。思えば阿漕な職業に手を染めたものだ。

 事の起こりは46億年前。地球は質量にして今日の1/10ほどの坊やで、太陽から火星までの狭い空間を似たような小惑星が20個以上も危なっかしく回っていた。大気は今よりうんと厚い。しかも日光も大方大気の粒子に拡散されて、波長の長い間延びした赤色だけがかろうじて地表に届くから、風呂場に浮かんだ赤手ぬぐいみたように年中夕焼け小焼に染まっていた。ただし地表と云うのは名目で、実は大地なんてほとんどありゃしない。寄せては返す母なる海が、どこまで行っても続いていたと思えば間違いない。こんな惑星が全部で20も群がって、重力のバランスを所狭しと干渉しあいながら、辛うじて均衡を保っていたのだから大変だ。最初の1千年間は何とか無事に済ましたが、ある時惑星同士が統制を失って、太陽が止めるのも聞かず隊を乱すから、ついには互いに乱闘を引き起こして大変な騒ぎになった。一つが体当たりして質量のバランスが崩れると、他の惑星も互いに殴り合いを初めて収拾が付かなくなった。「よせよせ、けんかはよせよせ。」と必至に叫ぶのもお構いなしで、太陽近くの兄弟達は水、金、地、火星を残してみんな結合消滅しちまった。フランネルの赤シャツによると、水星は1,2個、金星は8個ほどの惑星が固まって、我らが地球は目出度く10回ほどの小惑星が結合して成りましたが、火星だけは遠くから傍観者を決め込み衝突を回避したそうだ。ついでだから云っておくと、今日夕暮れに兎美味しと登ってくるあの満月は、最後の10回目の衝突のさいに飛び散った破片が、地球の周りをぐるぐる浮遊しながら再度丸くなったもんだが、奴さんあんまりに質量が小さいんで早々に体力を使い果たして、今では内部熱すら無くなっちまった。人間でも何でも、それなりの質量が無くっちゃあ到底胆力は続かない。これは赤く膨れっつらの荒涼たる火星を見ても分かる。やっこさん当時は大分はぶりがよろしく、海はおろか大気まで地表にはべらせて、「芸者、芸者。」と叫びながらステッキを持ってきて、「踏み破る千山万岳の煙」と第4軌道の真ん中で隠し芸を演じるほどのだったが、なまじ質量が足りないばかりに、紀伊の国を済まして、かっぽれを済まして、棚の達磨さんを踊りきる頃には、ついには大気も海もない丸裸の越中ふんどし一つになって、シュロ箒を小脇に抱い込んで、日新談判破裂して、と軌道をぐるぐると練り歩きだしたのには驚いた。胆力が尽きて正気を失ったに違いない。そこに行くと10個の団子が融合して美味しく太った我らが地球は大したものだ。見事に海と大気をつなぎ止め、10億年も立たないうちに、微生物まで育ててみせるとは爽快だ。赤シャツが得意げに説明するところによると今回は38億年前がキーワードらしい。「グリーンランドにイスア地方という、国土の80%以上を年が年中氷河に覆われた寒いところがある。君は知らないだろうが、ここには地球最古の岩石地帯が広がるんだが、調べてみると38億年前の岩石まで眠っていることが明らかになった。それだけでも大変に奇絶なんだが、そこで、この岩石を顕微鏡にすくって倍率を高めていくと、すこぶる重要な発見があった。さあ、君も見てみたまえ。」俺が我慢して顕微鏡を覗き込むとなんだか黒い小さな粒のようなものが控えている。気になるから「これがどうしました。」と尋ねると、待ってましたとばかりにほほほほと笑いやがる。いけ好かない野郎だ。いったいこの男は気味の悪いように女のような笑い方をする。相手の反応など伺っていないで、話したいことがあるなら一息(ひといき)に話すがいい。「さあ、この炭素の粒が問題なのです。僕も知っているある研究者によると、黒い粒となって映し出された小さな炭素の姿は、地球上で最も早く生まれた生命体の材料として、当時使用されていたことも無いとは限らん。しかもここにある岩石は当時水深数百メートルに沈んでいたのですから、1ミリの百分の1以下の生命体が、水中を漂っていたかもしれないというのです。だから私が調査するまでもなく、43億年前にすでに生命があったことはだんだんと分ってくるです。」

 生命が誕生したのは嬉しいが、図体が膨らんだために災難まで背負い込むことになった。中でも小惑星どもが義勇軍を結成して重力任せに次々と体当たりして来た時には驚いた。地球の方は「これは乱暴だ、狼藉である。理非を弁じないで腕力に訴えるのは無法だ。」と慌ててお帰りを願ったが、到底話の通じる相手じゃない。「無法で沢山だ」と後先考えずに大気圏に飛び込んで来てはぽかりぽかりと打ち付けた。大きさも沢庵石とは分けが違う。200km以上の巨大拳骨を10~20回、頃合いを見計らって300km以上を3~11回、これでも食らえと渾身の力を込めて400km以上の巨大な奴を8回近く食らわしたから、地球もさすがに眼がちかちかして動く気力も失ってしまった。だらしがない、直径12700kmもある大の男がしっかりしろと思うかも知れん。しかし鉄砲玉を見てみろ、なまじ小さくったって破壊力が無いとは限らない。証拠を話して聞かせるから、大いに謹聴するがいい。
 昔アリゾナ州でダニエル・バリンガーという資本家が鉄とニッケル採取を目当てにクレーターを購入したことがある。奴さん大いに奮発して10億円掛けて25年も掘り続けに掘ったが何も出てこない。出てこないのが当然だ、村がすっぽり入りそうな直径1.2kmのクレーターは、ほんの数10メートルの隕石がぶつかったに過ぎないのである。バリンガー氏、この事実を聞くやいなや、心の臓が発作を引き起こして火葬場送りとなったので、今日ではバリンガークレーターと呼ばれている。こんな小さい隕石でさえこの有様だ。これが1万倍に膨れあがって400kmほどの小惑星が地表に墜落してみろ、今日様に済まないどころか、明日様にも明後日様にも、どこまで行ったってただでは済まないに決まっている。どんな禍いが降りかかるか説明してやるから温和しく聞くがいい。

 良い心持ちで日の光を受けて起きあがると、外の方から大変だ、大変だと聞こえてくる。あんまりうるさいんで、窓ガラスをがらりと開けると、みんな空を指差して絶叫している。慌てて部屋を飛び出すと、見たこともない巨大な丸いものが僅かずつ大きくなってくる。テレビでは真っ青な顔をしたアナウンサーが、本州を飲み込む大きさの隕石が、突然地球に攻撃を仕掛けて来たのだと、泣きながら訴えて、もはや最後の晩餐には間に合いますまい、と締め括った。驚いてもう一度円盤を見上げると、不気味に膨らむ風船のように音もなく膨脹を続けている。実は時速72000kmでまっしぐらに地球に向かって来るのだが、あまりに大きすぎてゆっくり見えるのだと、学生が通りの向こうで平然と言い放った。せめて最後に酒を一杯、俺は慌てて冷蔵庫に走り出した。

 例えばこんな災害が、日本の南1500kmの太平洋にいきなり遣って来た。海面に到着するやいなや轟音が轟く。地球全体はナマズのように震え上がり、震度計は振り切れて機材ごと天上にぶち当たった。もちろん津波が遣って来る。もっとも海が寄せてくるんじゃない、厚さ10㎞もの地殻が丸ごと捲れ上がって、そのまま地殻津波となって地表を引き剥がしながら寄せて来るのだからお仕舞いだ。列島は哀れ捲れ上がって日本人もろとも無くなっちまった。衝突で飛び散った破片は大気圏を突き抜けて舞い上がる。これが一斉に隕石となって地表に降り注ぎ、直径4000kmにも達するクレーターの縁には7000メートルの高さに山脈が出来上がる。これじゃあ駄目だ。役者魂ぐらいでは到底堪えられるものじゃない。俺が慌てて反対側の海深くに逃がれようとしていると、赤シャツがほほほほと小賢しい笑い声を上げた。「君、ここにある6ミリのアルミ玉をピストルの20倍の速度で水槽に当てたことがありますか。」と云うから、「そんな場合じゃありません。速く逃げなくっちゃ剣呑です。」と云い返すと、「それじゃあ、この実験のもたらす結果の意味はまだよく分らないですね。ちと伝授しましょう。」と、この一大事に暢気な声を出す。教授だけに平常心の徳化でも見せつける積もりか知らないが、そんなやせ我慢はよした方がよかろう。しかしシャツより度胸のない男だと思われるのはしゃくに障るから、つい「ええ、お願いします。」と云って内心大いに後悔した。これも全く役者魂が祟ったのである。「こうしてね、毎秒6kmのスピードで玉が水面に付いた時分に、高速カメラで捕らえて呼吸をはかるんです。ぶつかるとすぐ水蒸気が答える。」ほら来た、と赤シャツが映像をこま送りにすると、水槽の水が狭い風呂場を掻き回したように暴れる直前に、接触面から水蒸気が大量に立ち上っているのが映し出された。
「運動エネルギーのほとんどが熱に変換されて、沸騰する間もなく水は気体になった。これよりもっと膨大な衝撃が加わったら、隕石だって気体になるに違いありません。それも400kmもの質量がことごとく衝撃エネルギーに変換されて、温度は太陽表面に匹敵する4000度から6000度に跳ね上がるのですから、1500度で蒸発し始める岩石もたちまち沸点を超えました。さあ、ここからが大変です。この岩石蒸気が灼熱の気流となって1000億メガトンも沸き上がると、風速300メートルで1日の内に地球裏側まで駆け抜けるのですから、世界は灼熱の地獄となった。君、この岩石蒸気に覆われた状態が1年間も続くとしたらどうしますか。海もわずか1ヶ月で蒸発し、海底に干上がった塩まで沸騰してしまうのです。ですから、たとい自分だけ生き延びようとして深海に逃れても、やっぱりひどい目に逢うでしょう。」
 赤シャツはどうだ降参したろうと大得意になって締め括ったが、さすがに反論する気力も失せた。こんなものは母なる地球でも何でもない、180度の天麩羅でさえ俺は蕎麦に乗せて4杯が精一杯だ、4000度の地球の天麩羅とはこりゃなんだ。冗談なら一緒に笑ってもいい、しかしこれではせっかく生れた微生物だって皆殺しだ。今度の事件は全く小惑星が、生命の誕生を妬んで、微生物を根絶やしにする為の策略なんだろと俺が云ったら、赤シャツは全くそうに違いありません、でも生命はその手は食わない。ほほほほ、と笑った。それじゃあ、生き延びたんですねと俺が聞くと、「以前は巨大隕石が降り注ぐたびに、隕石の策に乗ぜられて生命は死滅したと思われていましたが、最近ではそうは考えない。生命というものは中々活力のあるもので、そうシャボン玉のように淡泊には死なないものですからね。」
「淡泊に行かなければ、どんな風に行くんです。」
「さあ君はそう何でも人に聞くから、学習意欲に乏しいと云うんですね。」
「どうせ学習意欲は乏しいはずです。履歴書にもかいときましたが役者だけですから。」
「では、これだけのことを云っておきましょう。アメリカのニューメキシコ州に2億5千年前の海が干上がった塩湖(えんこ)があります。これを放射性廃棄物の埋め立て施設にしようじゃないかと岩塩を地下1000メートルほど堀抜いたことがある。廃棄物を放り込んで置きさえすれば、岩塩には膨脹する性質がふんだんにあるから、廃棄物はことごとく封じ込められて、周辺に対して被害を及ぼさないようになると考えたのです。ところが驚く事に、地下深い岩塩にはすでに先客が封じ込められていました。どうです君、想像が付きますか。」
 どうせ答えられないと見くびってわざわざ俺に振るんだな、忌々しい、よくもそんな卑怯な真似が出来るものだ。俺は隠すところはない、「これは全く分りません。」と答えて済ましていたら、収録の一同が一斉に笑い出した。つまらん奴等だ。貴様等これ程自分の知らないのを公に分りませんと断言できるか、出来ないから笑うんだろう。
「さっそくお教えしましょう。」
 赤シャツは大得意の勘五郎である。
「実は岩塩に結晶化された先客は海そのものだったのです。海水が凍結もせず岩塩の中に保たれるとは、君はにわかに信じられないかもしれない。しかし2億5千年前の海はそのまま眠っていたばかりではない、当時の微生物が活動を休止したまま封をされて、学者が執拗に栄養を与えたところ、再び蘇って快活に泳ぎ出すに至った。」
 大型ストーブの照らし出す机に置かれたテレビカメラ付きの顕微鏡を覗くと、小さな粒子が所狭しと密集して震えるように泳ぎ回っている。こいつはと驚いて顔を上げた途端に小僧がカンペを挙げるから、すっかり慌てて裏返った声で「微生物、死とも生とも付かぬ第3の道を模索せり。時間を止めてはたまた冬眠か。」とすこぶる素っ頓狂な声を張り上げてしまった。こうなっちゃあ役者もお仕舞いだ。気を取り直すと、次の台詞はたちまち熟知するがごとく朗々として弁じて形勢を立て直す。
 「皆さん、しかし40億年前の巨大隕石では、海底の塩までが溶けて蒸発したのをお忘れか。我々のタンパク質はどうしたって百数十度の温度を境に損なわれる。この難しい難題に立ち向かうべくこのVTRをみて頂こう。」

 実は隕石衝突が40億年前にあったことすら初耳だが、知らぬ振りして述べ立てていると、手慣れた放映陣が次のVTRを映し出した。画面には、学者隊がメタンガスに怯え用心しながら地中深くに潜っていく姿が現われた。運悪くメタンガスに遭遇しようものなら小さな火花一つでカメラもろとも爆発しないとも限らない。怯えながら金鉱を掘り抜いた3000メートルの地下に到達すると、地下道に染み出た水分に白や赤い漂着物がねっとり群がっている。「居た居た」と学者が練り取って顕微鏡で懸命に覗いてから、「こいつは大変だ」とわざとらしく驚いて見せた。「微生物であります。全くもって微生物でありますす。ここは3kmの地下で岩石に閉ざされて密封されていたというのに。これは地表生物と全く別の生き物です。掘っている間に紛れ込んだのではありません。おやこれは驚いた、なぜ酸素呼吸や光合成の為の不必要な遺伝子があるのでしょうか。どうやらこの生命体は、遙か昔に地表付近から3000メートル地下に進出したに違いない。私は確信します。更に下った1000メートル下にもやはり生物が存在していることでしょう。ああ皆さん、遂に生命が岩石蒸気の猛火を生き延びた理由が明らかになりました。あの頃地球は岩石蒸気で溶岩のような地表が一面に広がり2000度に煮えたぎっていた。この恐ろしい地表高温は1年に1メートルの速さで地下に進行します。一方地球内部は中心に行くほど熱くなるが、内部温度がタンパク質に苛酷な50度以上になるまでにはかなりの距離を降りなければならない。この断面図をご覧なさい、高熱の炎症が治まり地表の温度が下がり始める直前の地球断面ですが、地表近くを覆う高温部分と地球内部から沸き上がる高温部分の間に、見事に50度以下のベルトラインが形成されています。これだ、これだ、これがあれば生きながらえますよ。」
 感極まった学者達が喜び勇んでVTRを終えると、不意に女の笑い声が聞こえてきた。何だろうと思って顔を上げると、砂浜の向こうからえらい奴がやってきた。色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人と、ジャージを着込んだだらしないマネージャーが、並んでマイクの方に近づいてくる。俺は美人の形容などが出来る男でないから何にも云えないが全く美人に相違ない。何だか水晶の珠(たま)を香水で暖めて、掌へ握ってみた様な心持ちがする。俺は、や、来たなと思う途端に、赤シャツは我を忘れて着飾った方を狼狽気味に眺めている。美人はマイクの前に立つと国家演説の模範のような口調でナレーションを読み上げた。
 「隕石衝突から1年後。遂に岩石蒸気が消えました。気温が下がり始めると、さらに1000年後、ついに蒸発して大気に滞っていた水分が、熱帯集中豪雨の情熱を持って2000年間の長き渡って断続的に降り注ぎ、海は元の深さを取り戻したのです。その頃です、海底では地中深くに潜った微生物の一部が、再び新たな冒険者となって、海中に泳ぎ出していくことでしょう。」
 さていよいよ俺の番だと思うと、今日の最後だから自然と力も入ってくる。台詞が変だが知ったことではない。
 「潜ったのか、潜ったと云うのか!」
 随分可笑しな演出だが、今度はナビゲーターを演じる俺の言葉を受けて美人のナレーションが答えてきやがった。
 「ええ、潜ったの。海底よりも更に奥深くから沸け出でて、海高く水中に向かって泳ぎ始めたの。なんて素敵な生命の力なのでしょう。」
 「3000メートルの地中から、生きようとする見事なエネルギーが漲って、見たまえ遂に水中に漕ぎ出したのだ。これでもう安心だ。これでもう安らかだ。美しきは生命力、ブラボー微生物。活力満ちた凛々しい君に乾杯だ。」
 こんな演出があって堪るかと思ったが、俺はもうやけになってきたから激しく手を叩いて拍手を送っていると、
「これでもまだ母なる地球と云えて?」
とナレーションがにっこりほほえむから、
「いいえ、お嬢さん。荒ぶる父でございます。」
と答えて番組を締め括った。思えば人類も20万年前ホモ=サピエンスがアフリカに誕生して以来、5万年前にはアジアに、さらにベーリング海を越えて1万年前には南米先端に、そして3000年前には舟をこぎ出してアジアからメラネシア、ポリネシアに、1000年前にハワイやイースター島にまで進出して遂に地球上を覆い尽くした。このやんちゃなバイタリティーには荒ぶる父の猛威を生き抜いた微生物の魂が宿っているのだ。見ろ、我々は月の上にまで足を踏み出したじゃないか。まいったまいった。

2005/2/9
掲載2005/08/30

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