夏目漱石、三四郎12

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夏目漱石、三四郎12

越年(おつねん・えつねん)

・年を越して新年を迎えること。年越し。

ゆかしく→ゆかしい

・品があって引きつけられる。おくゆかしい。
・昔を思い起こさせるようす。
・近付いて直接に知りたい。

懐手(ふところで)

・和服を着る時に、袖に手を通さずふところに入れておくこと。抜き入れ手。(冬の季語になっている)
・転じて、自分では何もせずにいること。

下足(げそく)

・脱いだ履き物のこと。

斡旋(あっせん)

・間に入って両者を取り持つこと。

テアトロン以下

・ギリシア語で
テアトロン(観客席)、オルケストラ(合唱団の場所)、スケーネ(楽屋、舞台)、プロスケニオン(舞台)

蘇我入鹿(そがのいるか)(?-645)

・642年、皇極天皇(こうぎょくてんのう)即位に会わせて父の蘇我蝦夷(そがのえみし)に変わって政権の重要人物にのし上がった。翌43年には父親より大臣(おおおみ)の称号を継承し、その直後に聖徳太子の息子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)を自殺に追い込み、古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)を次期天皇に擁立しようとした。開明的な政策を目論んだともされるが、645年に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)、中臣鎌足(なかとみのかまたり)らによる乙巳(いっし)の変が勃発。飛鳥板蓋宮の大極殿において皇極天皇の目の前で殺害されてしまった。
・この三四郎が見ている劇は杉谷代水台本の「大極殿」と考えられるので、この乙巳(いっし)の変を扱ったものだろう。

一挙一動(いっきょいちどう)

・一つ一つの動作。「一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)」も同意。

ハムレット

・ウィリアム・シェイクスピアの四大悲劇の一つ。元々はスカンジナビア半島にあった伝説に由来する。デンマークの歴史家兼詩人サクソ・グラマティクスが「デンマーク物語」の中で取り上げたのち、ストーリーが継承発展されながら、シェイクスピアの「ハムレット」が登場する。その内容は、国王であった自分の親父の死が、現在の国王の殺害であると思索したハムレットが、狂気を装いながら復讐を遂げるんだが、周りに多大な迷惑を掛けた上に自分も死んでしまうと云う、はた迷惑な主人公劇の代表作品になっている。(・・・一般的解釈じゃないかな、こりゃ。)

節奏(せっそう)

・音楽における、節。しらべ。リズム。フレーズ感など。

能弁(のうべん)

・弁舌(べんぜつ)、つまり話し方がうまくて、よく喋ること。
→(反対語)訥弁(とつべん)。

流暢(りゅうちょう)

・話や文章などが、すらすらと流れ、よどみがないこと。

尼寺へ行け

・ハムレットが恋人のオフィリアに向かって狂気を装いつつも、女性への不信を込めて「本当に純潔など主張するなら尼寺にでも行くのだな」みたようなことをわめき散らすと、ハムレットが狂気に落ち入ったと思いこんだオフィリアは、自分の父親をハムレットに殺された結果、自分の方が先行して狂人になって、ハムレットより先に死んでしまうと云うストーリーが続いていく。しかし当のハムレットははたしてどこから精神が破綻していくのか、初めから病んでいるのか、最後までまっとうなんだか、実のところよく分からんのです。

八百屋お七(やおやおしち)

・1682年に江戸で大火災が起こった。後に天和の大火(てんなのたいか)と呼ばれるものである。この時の火事の時寺に逃れた時に、その寺にいた生田庄之助と恋仲になってしまったお七が、再開を願って翌年放火未遂事件を起こして、わずか16歳にして火刑によってこの世を去った。いわばたちの悪い自業自得なのだが、これを井原西鶴が「好色五人女」に掲載したために、後々歌舞伎や浄瑠璃で大活躍する話になった。だからお七よ、お前は無駄死にではなかったのだ。

風馬牛(ふうばぎゅう)

・中国、春秋戦国の世に斉という国あり。王の桓公が楚の国を攻めようとした時、楚の成王は使者を送り、
「君は北海に居り、我は南海に居り、風する(発情する)馬や牛でさえも駆け寄れないほどに離れているのに、何が楽しくてこっちさ来るのさ!」(とは書いてないが)と質問したという故事による。
・互いに無関係である。また、そういう態度を取ること。

僕の関係した女

・「君なんぞ近寄ったことのない種類の女」とか、医科の学生だというようなありがちの嘘、病気の時にどうのこうの、嫌になって与次郎が逃げ出す所など、そっち系の女との情愛話として描かれていると思われる。

頓服(とんぷく)

・一度だけ飲んで済ませる薬のこと。
・また一包みの薬をその時に全部飲みきること。

敏捷(びんしょう)

・すばしっこいこと。すばやいこと。

美禰子さん

・よし子は、この三四郎との会話で、この言葉を6回も使用している。ここの場面は第5章のよし子が絵を描いている場面で、三四郎が美禰子のことばかり聞いている部分に対応している。前の部分はよし子が、三四郎の美禰子への感心に気が付いて、同時に「目の前の女性である私の前でこんちきしょうめ」という年頃の女性にありそうな感情を持ったのに対して、この部分では三四郎の事実上の失恋を十分理解したよし子が、同情に復讐を加えつつも持ち前の性格の良さで薄めていたわりの飲み物にブレンドしたような複雑な感情を見せる部分である。詳細はいつか記してみる。

忽然(こつぜん)

・にわか。突然。

吾妻コート(あずまこーと)

・当時流行していた和服用の女性コート。

われは我が~

・旧約聖書の詩篇第51篇にある3行目の言葉。この51篇はダヴィデ(在位紀元前1000年-紀元前961年頃とされる)がユダヤの王となった後、ウリヤの妻であるバトシェバを妻としたいがために、夫を戦場に送り殺して、バトシェバを自分のものとしたことに対して、預言者ナタンがその罪を咎める。それでついに悔い改めて祈りを捧げた詩篇である。幾つかある「悔い改めの詩篇」と呼ばれるものの代表。
・その元の意味がどの程度この美禰子の言葉に含まれるのか「三四郎」という物語りに含み得るのかは、考察を要する問題である。安易に突き進むと、返って作者も原作も無視した妄想にも落ち入りかねないからである。



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