竹取物語その8

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三年ばかりたちて

 かやうにて、帝とかくや姫と、御心(みこころ)を互(たがひ)に慰(なぐ)さめ給ふほどに、三年(みとせ)ばかりありて、その年の春の初めより、かくや姫、月の面白う[趣深く]出(い)でたるを見て、常よりも物思ふさまなり。ある人の、
月の顔見るは、忌(い)むこと」
と制(せい)しけれども、ともすれば、人ま[人の間、つまり人の居ないとき]にも月を見ては、いみじく泣き給ふ。

 七月十五日(ふみづきもち)の月に出で給ひて、せちに[せつに]物思へる気色なり。近く使はるる人々、竹取の翁に告げていはく、
「かくや姫、例(れい)も月を哀(あはれ)がり給へども、今日このごろとなりては、かくや姫の様、ただごとにも侍らざりし。いみじく[大変、非常に]思(おぼ)し嘆くことかくや姫にあるべし。よくよく見たてまつらせ給へ」
と言ふを聞きて、翁のかくや姫に言ふやう、
「なんでふ[どのような]心地すれば、かく物を思ひたるさまにて、姫は月を見給ふぞ。うましき世に[愉しい世の中であるというのに]
と言ふ。かくや姫、
月を見れば、世間(せけん)心細く哀れに侍る。なでふ物をか嘆(なげ)き侍るべき[何で物事を嘆いたりするでしょうか]
と言ふ。

解説

・月の顔を見るのは、不吉なことだという迷信があった。

・七月十五日(ふみづきもち)の月は初秋の満月である。

 かぐや姫のある所に到りて見れば、なほもの思へる気色なり。これを見て、あが仏、何事思ひ給ふぞ、思すらむこと、何事ぞ、と言へば、思ふこともなし、ものなむ心細く覚ゆる、と言へば、翁、月な見給ひそ、これを見給へばもの思す気色はあるぞ、と言へば、いかでか月を見ではあらむ、とて、なほ月出づれば、出でゐつつ嘆き思へり。夕闇には、ものを思はぬ気色なり。月のほどになりぬれば、なほ時々は、うち嘆き、泣きなどす。これを、使ふ者ども、なほ、もの思すことあるべし、とささやけど、親をはじめて、何事とも知らず。  

2009/03/04

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