竹取物語その5

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大伴の御行の大納言は

 大伴の御行の大納言(おおとものみゆきのだいなごん)は、我が家に仕えるありとある人召(め)し集めてのたまはく、
「竜(たつ)の頸(くび)に五色(ごしき)[黄・青・赤・白・黒]の光ある玉あなり[玉があるそうだ]。それ取りて手に入れ、我にたてまつらむ人には、何でも願(ねが)はむことを叶(かな)へむ」
とのたまふ。男(おのこ)ども、仰せのことをうけたまわりて申(まお)[読み方「もー」]さく、
「仰せのことは、いとも尊(たうと)し[大変ありがたいことです]。ただし、この玉[=宝玉]と申すものは、ただでさえ、たはやすくえ取らじを、いはむや竜の頸の玉をいかが取らむ」
と申しあへり。大納言のたまふ、
「てん(天)の使(つかひ)[古事記の[天馳使(あまはせづかひ)]の用法と関係あるのか?]といはむ者は、命を捨てても、おのが君の仰せたるごとをば、叶へむとこそ思ふべけれ。[思うべきである]この国になき、天竺(てんじく)、唐土(もろこし)の遠くにある物にもあらず。この国の海山より、竜は降(お)り、昇(のぼ)るものなり。いかに思ひてか、汝(なんぢ)ら、取り難(かた)きものと申すべき。」


 男(おのこ)ども申すやう、
「さらばいかがはせむ。かたなきこと[みっともない、醜いこと]なれども、仰せごとに従(したが)ひて、求めにまからむ」
と申すに、大納言、見笑ひて、
「汝らが、君[大納言自身]の使(つかひ)として、武芸の誉れありと名を流しつ[名を知らしめる]そのお前達が、君(きみ)の仰せごとをば、いかがは背くべき[どうして背くことが出来ようか]
とのたまひて、竜の頸の玉取りにとて、配下どもを館より出(いだ)したて給ふ。この人々の道々困らぬほどの糧(かて)、食ひ物に、殿(との)の内(うち)に保管される多くの絹、綿、銭など、ある限り取り出(い)でて、出発した配下どもに添(そ)へて遣(つか)はす。
「この人々ども帰るまで、精進(いもゐ)して、すなわち精進潔斎 (しょうじんけっさい) して飲食を慎み身を清めつつ、我はをらむ。この玉取りえでは[取れなければ]、家に帰り来(く)な」
とのたまはせけり。

解説

・「大納言(だいなごん)」
→政治の最高機関として律令制で制定された太政官(だいじょうかん)の役職のひとつ。長官(かみ)にあたる左大臣・右大臣・内大臣に次ぐ、次官(すけ)の役職で、したがっていちどきに複数人存在する。

・「かたなきこと」は多くの写本では「かたきこと」で「見つけるのが困難なこと」の意味になっているが、そっちの方が意味が通りやすい。

おのおの、仰せ承りて

 おのおの、仰せ承(うけたまわ)りて、まかり出でぬ。
「竜(たつ)の頸の玉取り得ずは、帰り来な」
とのたまへば、使いども半ば困惑気味に、いづちいづちも[いずこ、いづこへとも]、足の向きたらむ方(かた)へ往(い)なむず。[行こうとする]
「かかる好きことを大納言はし給ふこと」
とそしりあへり。そしりつつも、大納言の給(たま)はせたる物、使いらはおのおの分けつつ取る。その後で、或(ある・あるい)は己(おの)が家に籠りゐ、或(ある・あるい)は己(おの)が行かまほしき所へ往(い)ぬ。
「親、君と申すとも、かくつきなきこと[ふさわしくないこと、ご無体なこと]を仰せ給ふこと」
と、こと行(ゆ)かぬ[満足出来ない・納得ゆかぬ]ものゆゑ、大納言をそしりあひたり。


 その頃、大納言はといえば、「かくや姫を正妻に据へむには、例(れい)の様(やう)な今の状態は見にくし[見苦しい]
とのたまひて、うるはしき屋(や)[整った屋敷]を作り給ひて、漆(うるし)を塗りその上に修飾の蒔絵(まきゑ)してこれをもって壁(かべ)し給ひて、屋(や)の上には糸を染めて、それによって彩りも色々に屋根を葺(ふ)かせて、部屋の内々(うちうち)のしつらひには、言ふべくもあらぬ綾織物(あやおりもの)に絵を描(か)きて、部屋の周(まは)りに張りたり。もとの妻(め)どもに対しては、かくや姫をかならず妻に迎えて逢(あ)はむ設(まうけ)[準備]して、みな暇を出してしまい、一人明かし暮らし給ふ。

解説

・「いづちいづちも」はあるいは「いづちもいづちも」。

・「もとの妻(め)どもに、かくや姫をかならず逢(あ)はむ設(まうけ)して、一人明かし暮らし給ふ。」この文は脱落ではなく、文章省略法の一種かと思われる。妻を離縁させとの言葉を使わしたくないので、一人で暮らしだしてしまったから翻って推察できるようになっている。そんなにハードな省略ではない。現代文にしてみると、非常に分かり易いはずだ。
→「もとの妻たちに、かくや姫をかならず妻とするための準備を済ませて、一人で暮らしていらっしゃる。」
→こうして書いてみると、一種の愉快を誘うための省略の可能性があるようだ。行き過ぎた婉曲表現を装ったおかしみという遣り口である。全体に大伴の大納言の章は、こっけいにあふれているために、このような文章を持ち出したというのが、近いところではないだろうか。

遣はしし人は

 遣(つか)はしし人は、大納言が夜昼(よるひる)待ち給ふに、年越ゆるまで音さたもせず。心もとながりて[心配して]、いと忍びて、ただ雑用を仰せつけるための舎人(とねり)二人(ふたり)、召次(めしつぎ)[大納言である彼は直接船乗りと話しをせず、取り次ぎ役を置いたのである]としてやつれ給ひて、難波(なには)の辺(へん)にまで遙々おはしまして、問ひ給ふことは、
「大伴の大納言殿(どの)の人や、船に乗りて、竜(たつ)殺して、そが頸(くび)の玉取れるとや聞くがいかがか?
と問はるるに、舟人(ふなびと)答へていはく、
「あやしきこと[不思議な、妙なこと]かな」と笑ひて、
「さる竜の玉を取りに行くようなわざする舟もなし」と答ふるに、
「をぢなき[臆病な or 知識の乏しい]ことする舟人にもあるかな。え知らで、かく言ふ」
と思(おぼ)して、
「わが弓の力はすごいのだ、竜あらばふと殺して、すぐにでも頸の玉は取りてむ。我より遅く来る配下の奴ばらを待たじ」
とのたまひて、舟に乗りて、海ごとに歩(あり)き給ふに、いと遠くて、筑紫(つくし)の方(かた)の海にまで漕ぎ出で給ひぬ。

解説

・「遅く来る奴ばらを待たじ」とあるが、年を越しても来ないほど待ち過ごした部下どもに対して、港に姿なき以上は「さては謀りたるか」とも思わずに、自分より遅れていると捉え、さらにそのままそれでは私が、と船出してしまうあたり、この御人は相当にずっこけキャラとして描かれている。これは事成しうる前にかくや姫のための屋敷をこしらえて、自分の妻どもを追いだしてしまう様子にもよく現れているが、どうも翻って読んでみると、この章の始めの部分の配下の者どもの口調には、「やれやれまた始まった」というような調子を見て取ることが出来るようだ。

いかがしけむ

 いかがしけむ[どうしたのだろう]不意に早き風吹きて、世界の海ことごとく暗がりて、舟を吹きもて歩(あり)く。いづれの方(かた)に向かうとも知らず、舟を転覆させ海中(うみなか)にまかり入りぬべくありさまで吹き廻(まは)して、波は舟にうちかけつつ、巻き入れ、神[=雷神、鳴神(なるかみ)]は落ちかかる。かかるに、大納言心惑ひて、
「まだかかる→(と他の写本にあり)

「侘びしき[自らの思い通りにならず切ない]め見す。いかならむとする[どうなってしまうのだろう]
とのたまふ。楫取[船頭]答へて申す。
「ここら[数量の多いことをしめす、つまり幾年もといった意味]舟に乗りてまかり歩くに、まだかく侘びしきめを見ず。もし御舟(みふね)、海の底に転覆して入(い)らずば、そのかわりに神落ちかかりぬべし。もし万が一にも、幸いに神の助けあらば、一命を取り留めたとしても南海(なんかい)[大ざっぱに九州より南、多く大陸側へ向かう海の方角か]まで吹かれおはしぬべし。[左の一文無い写本あり]うたてある[いやだ。どうしようもない。]主(ぬし)の御許(みもと)に仕うまつりて、すずろなる[思いがけない]死にをすべかめるかな」
と楫取泣く。


 大納言、これを聞きてのたまはく、
「船に乗りては、楫取(かぢとり)の申すことをこそ、高き山と頼め。そう言うではないか。何故死になど、かく頼もしげなく申すぞ」
揺られ酔い船べりに青反吐(あをへど)をつきてのたまふ。楫取、答へて申す。
私は神ならねば、このような状態で何わざをかして仕うまつらむ。風吹き、浪烈(なみはげ)しけれども、それに加えて神さへ頂(いただき)に落ちかかるやうなるは、あなた様が竜を殺さむと求め給ひ候へばあるなり。疾風(はやて)も龍(りゅう)の吹かするなり。お願いだからはや、神に祈り給へ」
と言ふ。
轟き渡る雷にしゃがみ込むばかりの大納言
「よきことなり」
とて、天に向かって懇願するには
「楫取の御神(おほんかみ・おんかみ)。聞こしめせ。しばし雷の音(をと)無(な)く。我の心幼なく[思慮・分別が浅い]、竜(たつ)を殺さむと思ひけり。どうか許して欲しい、今より後(のち)は、毛の末(すゑ)一筋をだに、竜を取ろうとして動かしたてまつらじ」
と言(こと)を放ちて、立ち居(ゐ)を繰り返して祈り、泣く泣く呼ばひ給ふこと千度(ちたび)ばかり、申し給ふけにやあらむ[このように申したからであろうか]、やうやう神鳴りやみぬ。

解説

・「高き山と頼め」は当時の常用語のようだ。

・「音(をと)なく」は「音を立てずに」か、あるいは間違いか?

少し光りて

 天の雲の裂け目のようやく少し光りて、風はなほ疾(はや)く吹く。楫取のいはく、
「これは、竜のしわざにこそあるなれ。この吹く風は、良き方(よきかた)の風なり。悪(あ)しき方の風にはあらず。竜があなたへの態度を良き方に思いきて許すがゆえに吹くなり」
と言へども、大納言は血眼となってわなわな震え、これを聞き入れ給はず。


 その風、三四日(みかよか)吹きて、舟を吹き返し岸に寄せたり。浜を見れば、播磨(はりま)の明石(あかし)の浜なりけり[意外にも~であった]。大納言、
「南海の浜に吹き寄せられたるにやあらむ」
嘆きて、ようやくひと息つき、その場に伏し給へり。


 船にある従者の男(をのこ)ども、国の役所に告げたれども、国の司(つかさ)まうで来て見舞いとぶらふにも、大納言のえ起き上がり給はで、已然として船底(ふなそこ)に伏し給へり。しかたがないので、松原(まつばら)に御筵(みむしろ)敷きて、船よりおろしたてまつる。その時にぞ、
「南海にあらざりけり」
大納言も思ひて、からうじて起き上がり給へる姿を見れば、風の病いと重き人にて、腹いとふくれ、ただれたようなこなたかなたの目には、李(すもも)を二つ付けたるやうなり。これを見たてまつりてぞ、国の司もほほ笑みたる。

解説

・「風いと重き」は現在のいうところの風邪とは少し違うらしい。

国に仰せ給ひて

 大納言苦しみながらも国に仰せ給ひて、手輿(たごし)[多数で運ぶ輿]作らせ給ひて、によふによふ[うめく、うなる]担(にな)はれ給ひて、ようやく家に入り給ひぬるを、いかで聞きけむ、例の遣(つか)はしし男(をのこ)どもひょっこりと参りて申すやう、
「竜の頸(くび)の玉を、え取らざりしかばなむ、長き間殿(との)へもえ参らざりし。されど今『玉の取り難(がた)きを知り給へればなむ、勘当あらじ』との主の言葉有りと聞きて参りつる」
と申す。大納言、起きゐてのたまはく、
「汝(なんぢ)ら、よく竜の玉を持て来ずなりぬ。我は知ったのだがあの竜は鳴神(なるかみ)の類(るい)[雷の同類]にこそありけれ。それが玉取らむとて、そこらの人々の命までも害せられなむとしけり。まして竜を捕へましかば、またこともなく[こともなげに、簡単に]、我はこの命を害せられなまし。お前達よく捕へずなりにけり。かくや姫てふ大盗人(おほぬすびと)の奴(やつ)が、人殺さむとするために仕組んだ罠なりけり。かくや姫の家のあたりだに、今は通(とを)らじ。お前ら、男(おのこ)どもも姫の家のあたりをな歩(あり)きそ」
とて、さらに家に少し残りたりける褒賞の物どもは、竜の玉を取らぬ者どもにことごとく給(た)びつ。


 これを聞きて、離れ給ひし元(もと)の奥方の上(うへ)は、憎しみに嘲笑を込め腹を切りて笑ひ給ふ。
あな嬉し、かくや姫のために糸を葺かせ作りし屋(や)は、鳶(とび)、烏(からす)の巣にされるために、みな喰(く)ひもて往(い)にけり。」
[上の一文、会話のカッコにしない方が自然かもしれないが、カッコにするとそれはそれで面白い]
世界の人の言ひけるは、
「大伴の大納言は、竜の頸の玉や取りておはしたる。」
「いな、さもあらず。竜の玉の代わりに、御眼(みまなこ)二つに、李(すもも)のやうなる玉をぞ添(そ)へていましたる」
と言ひければ、
皆腹を抱えて笑う。その中に笑い苦しみて「堪へがた」という言う者あり。さらに「食べがた」と言う者ありて、皆ますます笑う。これによりて、
「あな食べがた」
と言ひけるよりぞ、世に合はぬことをば、
「あな堪へがた」
と言ひ始めける。

解説

・「手輿」は腰のあたりで皆で支えて持つもので、肩で支えるのは「輦(れん)」と呼ぶのだそうだ。

・ひじょうに興味深いことに、大伴の御行の大納言がかくや姫を恐れて、人を殺そうとしていたと述べる文は、これだけだと生粋の武人が女に恐れをいだく滑稽をのみ記しているようであるが、その実、次の中納言石上麻呂足の死として現実になるのである。さらにそれを踏まえて、後に帝が「多くの人殺してける心ぞかし」と感想を述べるという流れになっていく。またかくや姫自身が、「死」を何度も口にするなど死というテーマがかくや姫の消え去ることに重なり色を濃くしていく後半への、さりげない布石がここに打たれていると言える。
・ここで大納言の物語を、滑稽の一面のみから捉えてはならない。この猪突猛進型の武人は、事実もっともかくや姫のために死に直面した人物であること、さらに怨霊がまことしやかに信じられ、雷が鳴神(なるかみ)と考えられていた当時の社会状況を考えれば、大納言が船の中で悲鳴のような叫び声を上げるのは、彼ほどの武人であっても避けられないことであり、その避けられないところのリアリティーと滑稽が結び合って、この大納言の章の全体の滑稽調を、リアリスティックなものにしているからである。この船の中の雷の恐ろしさを実感できない時、彼が「かくや姫てふ大盗人」と罵る言葉を履かざるを得ない真理状況を理解は出来ないし、それが理解できなければ、この場面の滑稽性は完全には理解できない、といったところか。
・また死にもっとも近かったはずの大納言が無事に戻り、おそらく当人も周囲も死にいたるほどの危機などどこにもないと思っていたはずの、「燕の子安貝」子供を安んじて産み落とせるお守りのごときこの貝が、中納言の命を奪うというのも、独特のアイロニーを感じさせ、人の生死のありきたりの不思議を、リアルに表現していると見ることが出来る。

2009/01/24

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