竹取物語その1

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今は昔

 いまはむかし、竹とりの翁(たけとりのおきな)といふものありけり。野山にまじりて竹をとりつつ、この竹を万(よろづ)の事につかひけり。翁の名をば、さるきのみやつこ[讃岐造(さぬきのみやつこ)の意味か]となむ言ひける。ある時、その竹の中に、もと光る竹なむ、ひと筋ありけり。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸(さんすん)ばかりなる人、いとうつくしうて[かわいらしく]居(ゐ)たり。翁言ふやう、
「我、朝ごと、夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。我が子になり給(たま)ふべき人なめり[に違いない]
とて手に入(いれ)て、家へ持ちてきぬ。妻(め)の女(をうな)[=媼(をうな)、おばあさんの意味]に預けて養(やしな)はす。うつくしき事限りなし。いと幼なければ、籠(こ)に入れて養ふ。

解説

・異常出生譚の話しという。

・讃岐造(さぬきのみやつこ)とはもともとヤマト政権の与えた役職名であるから、この竹を取る翁というのは、あくまでも中央のトップクラスの貴族からみて低い地位という意味で、決してその辺の名も無き爺さんを指したのではないと考えられる。竹を管理する下級地方官僚という見方もあるとか?一方では、ただの名前に過ぎないという見方も出来る。

・「いと幼ければ」は姫ではなく、竹取の翁の精神的状態を指すという説有り。常ならぬ人を、籠(かご)などに入れて養ってしまったことを、幼しと表したとする。「幼し」はもともと、認知の未熟さを現すのだとか。いささか屁理屈っぽくも思われる。

・バリエーションとして、中世のストーリー変更によって、竹林のうぐいすの生んだ卵から生まれたとか、帝の妃となったとかいう話しがあるそうだ。

・「子になり給(たま)ふべき人」だから「籠(こ)に入れて養ふ」という洒落らしい。

竹取の翁竹を取るに

 竹取の翁がこれまでどおり竹を取るに、この子を見つけてより後(のち)に竹取るに、節(ふし)々の分かれ目を隔てて、よ毎(よごと)[竹の空洞ごと]に金(こがね)ある竹を見つくることかさなりぬ。翁、やう/\[だんだん]豊かになりゆき、このちご養ふほどに、すく/\と大きになりまさる。三月(みつき)ばかりになるほどに、よき程[ほどよい年齢]なる人になりぬれば、成人式として髪あげ[長髪を結い束ねる]などさうして[占い取り決めて・あるいは手配して]髪あげせさせ、裳(も)[服の上から付ける下半身マント?スカートの半分のようなもの]着す。その子を丁(ちょう)[几帳(きちょう)or 帳台(ちょうだい)]のうちよりも出(いだ)さず、いつき養ふ[大切に養う]


 このちごのかたちの、けそう[はっきりした、人目に付く様子]なること世にまたとなく、屋(や)のうちは暗き所もなく光満ちたり。翁、心地悪(ここちあ)しくこころ苦しき時も、この子を見れば苦しきこともやみぬ。腹立(はらた)たしきことも慰さみたり。


 翁、竹を取ること久しくなりぬ。しだいに「勢(いきほ)ひ猛(まう)の者」[勢力の盛んな者]になりにけり。この子、いと大(おほ)きになりぬれば、姫の名を、「みむろといむべのあきた」[三室戸斎部のあきた、祭司を司る斎部に属するアキタという神官。漢字なら秋田か?]を呼びて付けさす。あきた、なよ竹[なよなよとした竹]のかくや姫[あるいは、かぐや姫、光り輝く姫の意味]と付けつ。

 このほど、三日(みか)のうちあげ[手を打ち挙げて、後の「うたげ」はその短縮形]をしてあそぶ。万(よろづ)のあそび[管弦など]をぞしける。をとこはうけ嫌はず、呼び集(つど)へて、いとかしこく遊ぶ。

解説

・富める翁の話しは、賤者到富譚(せんじゃちふたん)という。

・姫の成長と竹の成長の早さと掛け合わされる。

・かくや姫が三月で適齢期になるのは、今日風に見れば、小説よりも劇に最適化された方針である。とはいえ、女性の成人の儀式は、当時12,13歳ぐらいであるから、まだこれからいよいよ女性へ変貌を遂げようという時期である。

・あきた(あるいは秋田か)が三室戸の斎部の者であるから、やはり翁も多少の地位を持った人物に思える。

世界の男

 世界のをのこ、身分の貴(あて)なるも賤(いや)しきも、
「いかでこのかくや姫を、得てしがな、見てしがな [得たいものだ、見たいものだ]
と、噂の便りを音に聞き、かくや姫への想い愛(め)でてこころ惑(まど)ふ。そのあたりの垣(かき)にも、家(いへ)の戸にも、居(を)る人だにたはやすく[住んでいる人でさえ容易くは]見るまじきものを、夜(よる)は安(やす)きいも寝ず[安らかに眠ることも出来ず]月のない闇の夜(よ)に出でても穴をくじり[垣などに隙間をこじ開けて]、あるひは来た者同士で見惑(みまど)ひあへり。さる時よりなん、
「よばひ」[「呼ばふ」の名詞化。「夜這ひ」の字は後の当て字]
とは言ひける。


 人の物ともせぬような所にまで惑(まど)ひありけれども、なにの験(しるし)[効果]あるべくも見えず。家の人どもに、物をだに[ひと言くらいは]言はんとて、言ひかくれども[言い掛けてはみても]家の人どもは事ともせず。あたりを離れぬ君(きん・きみ)だち[公達、ここでは高位の貴族たち]、夜をあかし日をくらす多かり。をろかなるくらいの情熱しか持たない人は、「ようなき有さまは、よしなかりけり」[用のない、つまり無用な有様では、縁などないだろう]とて、来ずなりにけり。


 その中になほ言ひけるは、色好(いろごの)み[男女の情愛に通じた人の意味で悪い意味ではない]といはるるかぎり五人(いつたり)、思ひやむ事なく、夜昼来(よひるき)けり。その名ども、
  石作の皇子
     (いしつくりのみこ)、
  車持の皇子
     (くらもちのみこ)、
  右大臣安陪御主人
     (うだいじんあべのみむらじ)、
  大納言大伴の御行
     (だいなごんおほとものみゆき)、
  中納言石上の麻呂足
     (ちゅうなごんいそのかみのまろたり)、
  この人々なりけり。


 世の中に多(おほ)かる女の人をだに、少し顔のかたちよしと聞きては、得(え)まほしう[底本は次の[B]へ飛ぶ、次の言葉はなし]する人どもなりければ、かくや姫を見まほしう[B]て物も食はず、ただかくや姫を思ひつつ、かの家に行きて、たたずみありききけれど[たたずんで過ごすの意味]その甲斐(かひ)あるべくもあらず。懸想の文(ふみ)を書きてやれどもかくや姫は返事(かへりこと)もせず。侘びしさを侘歌(わびうた)など書きておこすれど、どうせ甲斐なし[成果なし]と思へど、霜月(しもつき)・師走(しはす)の降り凍(こほ)り、水無月(みなつき)の照りはたたく[日が照り雷が鳴り響く]にも、障(さわ)らず[ものともせず]来たり。


 この人々、ある時は竹取の翁を呼び出でて、
「娘を我にたべ[下さい]
と伏し拝(をが)み、手をすりのたまへど、
「己(をの)がなさぬ子にして竹より授かりし子なれば、わたしひとりの心にも従はずなむある」
と言ひて月日(つきひ)過ぐす。かかればこの人々、家に帰りて物を思ひ、祈りをし、願(ぐわん)を立つ。思ひやむべくもあらず。
「さりとも[つれなくても]、つひに生涯のあいだ逢はせざらむやは[逢わないことがあるだろうか]
と思ひて、頼みをかけたり。あながちに[強いて、必要以上に、強引に]心ざしを見えありく[見せ歩いている]

解説

・「世界」について。仏教で「三世(さんぜ)」とは過去世・現在世・未来世を現し、東西南北上下の空間を「六界」と呼び、あわせて世界である。ちなみに三世十方(さんぜじっぽう)とは、現在・過去・未来+東・西・南・北・東北・東南・西南・西北・上・下=時空のすべてを指す。

・「心ざし」あるいは[志]は、「心に決め目ざすこと」と共に、「人への気持ち」「相手を思う気持ち」の意味があり、この好意の「心ざし」は、再三登場する言葉でもある。

・最後の「見えありく」は「見せて月日を送る」の意味らしい。「歩く(ありく)」には歳月過ごすの意味もあるとか。

これを見つけて

 これを見つけて、翁、かくや姫に言ふやう、
「我が子の、仏(ほとけ)の変化(へんげ)の人[仏が生まれ変わったような人]と申しながら、ここら[こんな]おほきさま[多くの心遣いといった意味]にて養ひたてまつる心さし[(=志)気持ち]、おろかならず[おろそかなものではない]そうであればこそ養った翁の申さむことは、聞き給ひてむや」
と言へば、かくや姫、
「なに事(ごと)をか。?翁ののたまはむことは、うけ給はらざらむ。自分自身が変化(へんげ)のものにてこうしてこの家に侍(はべ)りけむ身とも知らず、今までただ翁を親とこそ思ひたてまつれ」
と言ふ。翁、
「嬉しくも、のたまふものかな」
と言ふ。
「翁、もはや七十(ななそぢ)にあまりぬ。我が余命、今日(けふ)とも明日(あす)とも知らず。だからよく聞きなさい。この世の人は、男(をとこ)は女(をんな)に逢ふことをす。女は男に逢ふことをす。その後子を産み育ててなむ、一族の門(かど)広くもなりはべる。いかで、さることなくてはおはせむ[そのようなことをしないで居られようか]。」
 かくや姫の言はく、
「なんでふ。さることか、し侍らむ」
[なんで私が、そのようなことをしなくちゃなんないのよ]
と言へば、
「変化(へんげ)の人といふとも、こうして女の身持ち給へり。翁のあらむ限りは、かうても、いますかりなむかし[ともかくも、(今のように)いらっしゃることが出来るでしょうが]しかし求婚をしてくださるこの人々の、年を経(へ)てお通いくださり、かうのみいましつつのたまふことを[今のように想いを寄せながらおっしゃることを]結婚を思ひ定めて、一人/\に逢ひたてまつり給ひね」
と言へば、かくや姫途方に暮れつつもいはく、

私の姿などよくもあらぬかたちを。彼らの深き心も知らで[知らないのに]。あだ心つきなば[もし仮初めのこころが尽きたら]、のち口惜(くや)しきこともあるべきと、不安に思ふばかりなり。世のかしこき[身分の高い]人なりとも、深き心ざしを知らないでは、逢ひがたし[逢うことは出来ない]となむ思ふ」
と言ふ。


 翁いはく、
わたしの思ひのごとくものたまふかな。そもそも、いかやうなる心ざしあらむ人にか、逢はむと思(おぼ)す[お考えになるのです]。かばかり[これほど]心ざし愚(をろ)かならぬ人々にこそあめれ[人々ではありませんか]。」
かくや姫のいはく、
「なにばかりの[どれほどの]深きをか見むとまでは言はむ。いささか[ほんのわずか]のことなり。人の心ざし等(ひと)しからんなり[等しいものだといいます]。いかでか、中に劣り勝りは知らむ[どうして、その優劣が分かるでしょう]わたしはただ五人(いつたり)の人のなかに、ゆかしき物[「ゆかし」で「~したい」といった意味から「望みの物」]を見せ給へらむに[見せてくれる人に]、御心ざし(みこころざし・おほんこころざし)もそれによって勝(まさ)りたりとて、その者に嫁いで仕(つか)うまつらむ。と、その求婚してくる人々に申し給へ」
と言ふ。翁は喜んで、
「よきことなり」
とうけつ。

解説

・物語内部の時間軸、年齢ははなはだ怪しきものにて、恐らくは更けても五十代ほどを、わざと七十と述べたという説もある。

・かくや姫の「何でそんなことしなくては」は、月に戻る人であるからではなく、若い娘の感情としての言葉を表現したように思われる。

・「御心ざし」もともと「みこころ」などで天皇への敬意を表していたのが、さらに「大御(おおみ)」という壮大な尊敬がブームとなって、それが「おほん」となったので、源氏物語の頃には「御」は「おほん」と読むのが普通になったそうである。竹取物語をどのように読むのかは、わたしには不明である。

日暮るるほど

 日暮るるほど、例(れい)のごとく求婚者たちは集まりぬ。あるひは笛を吹き、あるひは歌をうたひ、あるひは節を付けて唱歌(しやうが)をし、あるひはうそぶき[口笛を吹く、空とぼける]、扇(あふぎ)を鳴らして拍子を取るなどするに、翁出でていはく。


「かたじけなく[恐れ多いことにも]、きたなげなる所に年月(としつき)を経ても変わらずに、ものし[行く・来る]給ふこと。極まりたり。かしこまりたり。[もったいない想いが極まります。かしこまるような想いです]
と申す。さらに続けて、
むすめに『翁のいのち、今日明日(けふあす)とも知らぬを、かく愛の言葉をのたまふ君だち(きんだち・きみだち)にも、よく思ひ定めていずれかの妻として仕うまつれ』とわたしが申すもことわり[もっとも]なり。されどあなたがたのいづれも劣り勝りおはしまさねば、娘の悩みにくれることもまたことわりなりようやく『御心ざしのほどは見ゆべし。仕うまつらむことは、それをなむ定むべき』と娘が言へば、これよきことなり。それさえ定めたならば人の御恨(みうらみ)みもあるまじ。」
と言ふ。


 五人(いつたり)の人々も、
「よきことなり」
と言へば、翁、一度かくや姫の控える奥に入りて言ふ。
かくや姫の答えて、石作(いしつくり)の皇子には、
「仏の石の鉢(ほとけのいしのはち)といふ物あり。それを取りてわたしに給へ」と言ふ。
車持(くらもち)の皇子には、
「東の海に蓬莱(ほうらい)といふ山あるなり。それに白銀(しろかね)を根とし、黄金(こがね)を茎(くき)とし、白き玉を実(み)として立てる木あり。それ一枝(ひとえだ)折りて給はらむ」
と言ふ。いま一人には、
「唐土(もろこし)にある、火鼠の皮衣(ひねずみのかはぎぬ)を給へ」
大伴の大納言には、
竜(たつ)の頸(くび)に、五色(いついろ)に光る玉あり。それを取りて給へ」
石上(いそのかみ)の中納言には、
「燕(つばくらめ)の持(も)たる子安の貝(こやすのかい)、ひとつ取りて給へ」
と言ふ。


 翁目を丸くして、
どれもこれも、持ち帰り難(かた)きことどもにこそあめれ[「あるめれ」つまり「あるようだ」の短縮]。この国にある物にもあらず。かく難(かた)きことをば、いかにして五人に申さむ」
と言ふ。かくや姫、
「なにか難(かた)からむ」
と言へば、翁、
「とまれかくまれ、申さむ」
[ともあれかくもあれ申さん]
とて出でて、
「かくなむ。聞こゆるやうに見給へ」
[このような話しです。聞いたように了解して下さい]
と言へば、皇子たち・上達部(かんだちめ)[=公卿]聞きて、
「おいらかに、あたりよりだに、な歩きそ、とやはのたまはぬ」
[何故おおらかに、この辺りすら歩かないで欲しい、とおっしゃらないのか]
と言ひて、みな帰りぬ。

解説

・結婚話に対して「なんでふ、さることかし侍らむ」といったり、「なにか難(かた)からむ」といって無理難題を押しつけたりすること、その若い女性風の仕草、言動は、月に戻るからというおとぎ話の装いを取り除いて眺めると、非常にリアリスティックな表現となる。

2008/12/31
2012/4/26再朗読

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