竹取物語、テキストについて

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朗読テキストについての落書

 現在のテキストの基本となっている完全な写本としては、安土桃山時代の天正20年(1592年)の奥付(書籍の筆者や成立年代などを記したもの)のある「武藤本」と呼ばれるものが最古だとされている。

 それ以外に、吉田幸一(よしだこういち)(1909-)という人の蔵書(天理大学所蔵)に奥付のない写本が残されていて、こちらの方が16世紀中頃以降、若干早い段階の写本ではないかという説もあるので、講談社学術文庫の「竹取物語」(上坂信男)のものは、角川ソフィアなどと異なり、吉田本を採用している。

 どちらが、正統でどちらが古いかは私には分かるすべもない。ただ下のような例、他にも多々あるが、「かくて翁」としたり、叙述的な文の切れなど、角川ソフィアのものの方が、後世に体裁を整えたように私には思われるのと、前後正統などを無視した場合、講談社のものの方が優れているので、そちらを朗読することにした。

[角川ソフィア]
「節を隔ててよごとに黄金(こがね)ある竹を見つくること重なりぬ。かくて翁やうやうゆたかになりゆく。この児(ちご)養ふほどに、すくすくと大きになりまさる。」

[講談社]
「節を隔ててよごとに黄金ある竹を見つくること重なりぬ。翁やうやうゆたかになりゆき、この児養ふほどに、すくすくと大きになりまさる。」

他の重要なリサーチ的部分、覚書

 世の中に多かる人をだに、少しもかたちよしと聞きては、得[or見]まほしうする人どもなりければ、かくや姫を見まほ[この部分吉田本には無し。講談社の文庫本者による別本による補い]しうて物も食はず、思ひつつ、かの家に行(ゆ)きて、たたずみ歩(あり)き[たたずんで過ごすの意味]けれど、そのかひあるべくもあらず。

[角川ソフィアp37]
「人の心ざし等しかんなり」とあるのは、あるいは「ら」が脱字しているだけのような気がするのだが。

2010/5/28

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