むかし、男[=在原業平とする]、初冠(うひかうぶり)[元服して冠を付ける]して、奈良の京(きやう)、春日(かすが)の里に、しるよし[ゆかりの所領 or ゆかりの知人]ゝて、鷹狩に去(い)にけり。その里に、いとなまめいたる女はらから[姉妹]住みけり。この男、かいま見てけり。
思ほえず、ふるさとに、彼女たちがいとはしたなくて[たいそう不釣り合いな様子で]ありければ、心地(ここち)まどひにけり。男の、着たりける狩衣(かりぎぬ)[狩や日常生活の軽装着物]の裾(すそ)を切りて、歌を書きてやる。
その男、『しのぶ摺(ず)り』の狩衣をなむ、着たりける。
春日野の
若むらさきの すりごろも
しのぶの乱れ かぎり知られず
[春日野に咲く、若い紫草(むらさき)で染めた摺り衣(すりごろも)。その「しのぶ摺り」の編み目の乱れが、限りなく衣を覆うように、わたしもまた、あなたを見つけて、限りもなくこころ乱れています。]
となむ、追ひつきて[諸本「老いつきて」とするものあり「大人めかして」の意]言ひやりける。
ついで[事の成り行きが]、おもしろきことゝもや、思ひけむ。
陸奥の
しのぶもぢずり たれゆゑに
みだれ染めにし われならなくに
[陸奥の名産である「しのぶ摺り」は誰かのために、「乱れた模様」に染められている訳でもありません。わたしも誰かのために、しのぶ思いに、こころが乱れ始めてしまったという訳ではないのですが……
(ただあなたのことが、
なんとなく気に掛かり始めているのです……)]
[『古今集』の恋四(724)にある河原左大臣の和歌で、『百人一首』にも取られている有名な和歌]
といふ、歌の心ばへなり。
むかし人(びと)は、
かくいちはやき、
みやびをなむしける。
[「いちはやき」は「性急な、激しい」といった意味、「雅(みやび)」は「風雅、風流」「気品とおもむきのある」といった意味。「あなたが気になりだしたのです」くらいの元歌を、「しのぶの乱れ限り知られず」と詠んだところから、「いちはやき」と言っている。]
むかし、男ありけり。
奈良の京(きやう)は離れ、
この平安京は、人の家、まだ定まらざりける時に、西の京に女ありけり。
[桓武天皇が794年に平安京に遷都したばかりの頃で、人々の家も十分に定まっていない頃。特に東に比べて開発の整わなかった西京に住んでいた女。という設定]
その女、世人(よひと)にはまされりけり。その人、かたち[容貌、見た目の美しさ]よりは、心なむ、まさりたりける。ひとりのみも、あらざりけらし[一人という訳ではなく、男がいたようだ]。それをかの昔男ことまめ男[主人公の「昔男」、「こころざしのマメな男」というよりは、「愛に掛けてはまめに働く例の色男」とからかう印象]、うち物語(ものがた)らひて[女と共に語り合って、当然床も共にして]、かへり来て、いかゞ思ひけむ、時は三月(やよひ)のついたち、雨そほふる[読み「そおふる」。今日の「そぼ降る」で、しとしと降るの意]にやりける。
起きもせず
寝もせで 夜をあかしては
春のものとて ながめ暮らしつ
[起きるともなく、寝るともなく、夜を明かしては、春のものだなあと感じながら、朝の長雨を眺め暮らしています。夕べあなたと、ぬくもりを確かめ合いながら、起きるともなく、眠るわけでもなく、夜を明かしてたことを、春めく恋だと思いながら……]
[『古今和歌集』恋歌三(616)に在原業平の和歌として掲載。そちらでは、まだ共寝などできない頃の設定になっている。]
むかし、男ありけり。
懸想(けそう)じける女のもとに、
ひじき藻(も)といふものをやるとて、
[「懸想ず」で「恋い慕う、思いを掛ける」、「ひじき藻」は、今日の褐藻類ホンダワラ科ホンダワラ属の海藻「ひじき」のこと。和歌の贈答をするような雅な男女が、次に示す和歌のように、ひなびた状況へおちいるとしても、思いさえあるならば。そんな意味を込めて、恋愛にふさわしくない海草を送りつけたもの。こんな海草を取って暮らすような世界でも、あなたは恋を全う出来ますか。という、風流を蹴飛ばした、熱情的な意味を暗示する。]
思ひあらば
むぐらの宿に 寝もしなむ
ひじきものには
袖をしつゝも
[思いさえあるならば、雑草の覆い繁るようなあばら屋に、寝ることだってしましょう。このひじき藻みたいな、みすぼらしい敷物に、袖をおさめるとしても、あなたが隣に寝てくれているのであれば……]
二条(にでう)の后(きさき)の、
まだ、みかどにも仕うまつりたまはで、
ただ人にて、おはしましける時のことなり。
[「二条后」は藤原長良(ながら)の娘、高子(たかいこ)(842-910)。866年、清和天皇の女御となり、貞明親王つまり陽成天皇(ようぜいてんのう)の母となる。その後、877年に中宮。882年に皇太后。宇多天皇が即位していた896年に東大寺の座主善祐との密通の疑いで、皇太后を廃される。(没後復位)『古今和歌集』(4)に、
雪のうちに 春はきにけり
うぐひすの こほれるなみだ
いまやとくらむ
の一首が取られている。
彼女がまだ清和天皇のもとに仕えず、女御になっていなかった頃の話。]
むかし、東(ひむがし)の五条(ごでう)に、大后(おほきさい)の宮[仁明(にんみょう)天皇の后にして、文武天皇の母]おはしましける。西の対(たい)に、住む人ありけり。
[大后宮の屋敷の西側の対に住んでいる人があった。と説明して、「高子」を暗示している。]
それを、本意(ほい)[読み方「ほんい」高子が女御となるのが決まっていたので本命ではない、くらいのニュアンスか]にはあらで、こゝろざし深かりける人[=昔男]、ゆき訪(とぶら)ひけるを、正月(むつき)の十日ばかりのほどに、二条后がほかに隠れにけり。ありどころは聞けど、人のいき通ふべき所にもあらざりければ[宮中など自由に行けない所]、なほ憂しと思ひつゝなむありける。
またの年の正月(むつき)に、梅の花ざかりに、去年(こぞ)を恋ひて五条の西の対にいきて、立ちて見、ゐて見、見れど、もう恋人はいないものだから、去年に似るべくもあらず。うち泣きて、あばらなる板敷(いたじき)に、月の傾くまで臥(ふ)せりて、去年を思ひ出でゝよめる。
月やあらぬ
春やむかしの 春ならぬ
わが身ひとつは もとの身にして
[月よ、お前はあの頃の月ではないのか。春よ、お前はあの頃の春ではないのか。わたしの姿かたちは、あの頃となにも変わらないのに、ただそれを感じる、わたしのこころだけが、うつり変わってしまったように。]
[冒頭の「月やあらぬ」は、「月やむかしの月ならぬ」の省略と解くべきか。「や」の用法は、疑問や反語などと議論されているよう。おそらく、はじめに下の句があって、わたしの姿かたちはあの頃のままであるのに、見えないこころうちがすっかり変わってしまったように、月よ、春よ、お前たちもまた、姿ばかりはあの頃のままなのに、見えないこころうちがすっかり変わってしまっているのか。それが反映されて、わたしの見えないこころうちが、すっかり変わってしまったのだろうか。とループするかと思われる。そしてそのループに包み込まれるように、あの人がいなくなったので、わたしのこころも、あるいは月よ、春よ、お前たちのこころも、こんなに変わってしまったのか。という思いが守られている。]
と詠みて、
夜のほの/”\と明くるに、
泣く/\帰りにけり。
むかし、男ありけり。
東(ひむがし)の五条わたり[高子の住む屋敷]に、いと忍びて行きけり。みそかなる所[隠れて通うような所]なれば、門よりもえ入らで、童べの踏みあけたる、ついひぢ[土塀]の崩れより通ひけり。
人しげくもあらねど[通行人の多いわけでもないが]、たび重なりければ、屋敷のあるじ聞きつけて、そのかよひ路に、夜ごとに人をすゑて守らせければ、行けども、え逢はで帰りけり。さて、よめる。
人しれぬ
わがかよひ路の 関守は
よひ/\ごとに うちも寝なゝむ
[人に知られない、ただ私が通うためだけの道に、どうして関守がいるのか。それも宵の来るたびに、わずかでも眠ってくれたなら、通り抜けられそうなものを、ただ私だけのために、まったく眠らずに晩をしているなんて。]
とよめりければ、昔男いといたう心病みけり。
[それを聞いてようやく]あるじ許してけり。在原業平が二条の后に忍びて参りけるを、世のきこえありければ、藤原国経(くにつね)、基経(もとつね)ら兄(せうと)たちの守らせたまひけるとぞ。
むかし、男ありけり。
女のえ得まじかりける[=高子]を、年を経て呼ばひわたりける[求婚しつづける]を、からうじて[ようやく、やっとのことで]盗みいでゝ、いと暗きに来けり。
芥川(あくたがは)といふ川を、率(ゐ)て行きければ、外にも出ないような高貴な女性であるので、草の上に置きたりける露を、
「かれはなにぞ」
となむ男に問ひける。
ゆく先多く、夜もふけにければ、人を食らう鬼ある所とも知らで、神鳴りさへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵(くら)に、女をば、奥に押し入れて、男は、弓、やなぐひ[矢を入れて携帯するための背負いもの]を負ひて、戸口にをり。
はや、夜も明けなむ[明けて欲しい]と、思ひつゝゐたりけるに、鬼が現れて女を、はやひと口に食ひてけり。女は「あなや」と言ひけれど、神鳴る騒ぎに、男はえ聞かざりけり。
やう/\、夜も明けゆくに、
見れば、率(ゐ)てこし女もなし。
足ずりをして泣けども かひなし。
しらたまか
なにぞと人の 問ひし時
つゆとこたへて 消えなましものを
[白玉か、それとも何でしょうか、そうあの人が問いかけたとき、それは露ですと答えて、露のように一緒に消えてしまえばよかったものを、あなたは露のように消え去って、私一人がこうして残されてしまうなんて……]
[『古今和歌集』より後に編纂された紀貫之の私撰『新撰和歌集』に収められている。『新古今和歌集』(851)にも、五句を「けなましものを」として入る。]
これは、二条の后[=高子]の、いとこの女御(にようご)[藤原良房の娘。文武天皇の女御。清和天皇の母]の御もとに、仕うまつるやうにて居(ゐ)たまひけるを、高子のかたちの、いとめでたくおはしましければ、業平は盗みて、負ひて出でたりけるを、御兄(おほむせうと)である、堀川の大臣(おとど)[藤原基経]、太郎国経の大納言[藤原国経]、まだ下臈(げらふ)[官位の低いもの]にて、内裏(うち)に参りたまふに、いみじう泣く人あるを聞きつけて、事のあらましを知って、駆け落ちの後を追って、とゞめて、取りかへしたまうてけり。
それを、かく鬼とはいふなりけり。
まだいと若うて、
二条の后(きさき)の、
ただの人におはしましける時とや。
むかし、男ありけり。
京にありわびて[「京にあるのが辛くて」「京にある気力がなくなって」]、東(あづま)にいきけるに、伊勢、尾張のあはひ[あいだ、合間]の海づらを行くに、波のいと白くたつを見て、
いとゞしく
すぎゆくかたの 恋しきに
うらやましくも かへる波かな
[ますます、過ぎ去った過去の思い出のある、過ぎ去ったみやこが恋しく思われるのに、うやらましいものですね、波は寄せれば帰ってゆくのだから。]
[『後撰集』(1352)にあり]
となむ、よめりける。
むかし、男ありけり。
京や、住み憂(う)かりけむ。東(あづま)のかたにゆきて、住み所もとむとて、ともとする人、ひとりふたりしてゆきけり。
信濃(しなの)の国、
浅間(あさま)の獄に、
煙(けぶり)の立つを見て、
信濃なる
浅間の獄に 立つけぶり
をちこち人の 見やはとがめぬ
[信濃にある浅間山に立ちのぼるけむりを、遠く近くをゆく人が見ては怪しむのだろう]
[この和歌、『新古今集』(903)にあり。在原業平の東下りは「東海道」を下るものなので、「東山道」ルートの和歌であるこれは、通り道に眺められず、ちとそぐわないとも言う]
むかし、男ありけり。
その男、身をえうなきものに[自らを必要のないものに]思ひなして、京にはあらじ。東(あづま)の方に、住むべき国もとめにとてゆきけり。もとより、ともとする人、ひとりふたりしていきけり。道知れる人もなくて、まどひいきけり。
三河(みかは)の国、八橋(やつはし)といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手(くもで)[蜘蛛の足のように四方八方に枝分かれしている]なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。
その沢のほとりの、木のかげにおりゐて、乾飯(かれいひ)[携帯用の干した飯]食ひけり。その沢にカキツバタ、いとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、
「かきつばた、といふ五文字(いつもじ)を、
句のかみにすゑて、旅のこゝろをよめ」
と言ひければ、よめる。
からごろも
きつゝなれにし
つましあれば
はる/”\きぬる
たびをしぞ思ふ
[唐風の着物である「唐衣(からごろも)」を、着ながら馴れていくように、慣れ親しんだ妻があるものだから、彼女とわかれてはるばると来た、この旅のことが(かなしく)思われてなりません]
[この和歌『古今集』(410)にあり。
と詠めりければ、みな人、乾飯(かれいひ)のうえに涙落として、ほとびにけり[水分を含んでふやけること]。
ゆき/\て、駿河(するが)の国にいたりぬ。
宇津(うつ)の山[静岡県岡部町と静岡市の境]にいたりて眺めれば、わがこれから入らむとする道は、いと暗う細きに、蔦(つた)かへでは茂り、もの心細く、すゞろなるめを見る[あてもなくさ迷うような目にあう]ことゝ思ふに、修行者(すぎやうざ)会ひたり。
「かゝる道は、いかでかいまする」
[このような道は、どうやって行くのですか]
と言ふを、見れば見し人なりけり。
京に、その人の御もと[御がつくから高貴なる恋人へ向けての手紙だそうだ]にとて、文(ふみ)書きてつく。
駿河なる
宇津の山べの うつゝにも
ゆめにも人に あはぬなりけり
[駿河の宇津の山べに来てみれば、この場所は実際に人に会えるようなところではありませんでした。せめて夢でくらいはと思うのでしたが、夢のうちであなたに会うことさえ、叶いませんでした。]
[この和歌『新古今集』(904)にあり。見知った修行者に会ってから、うつつに人に会わないと詠むのは、みやこを落ちた私たちも、かつてを知っているその修行者も、みやこ人を人とするならば、人でなしには過ぎないという、ニュアンスを込めたかったものか。]
富士の山を見れば、
五月(さつき)のつごもり[末日、みそか]に、
雪いと白う降れり。
時しらぬ やまは富士のね
いつとてか
鹿の子まだらに 雪のふるらむ
[季節を知らない山、それは富士山の嶺(みね)か。今をいつだと思って、鹿の子のまだら模様に、雪が降っているであろうか。]
[この和歌『古今集』(411)にあり。
その山は、こゝ[=京のみやこ]にたとへば、比叡の山を、二十(はたち)ばかり重ねあげたらむほどして、なりは塩尻(しほじり)[塩精製のために作る砂山]のやうになむありける。
なほゆき/\て、
武蔵の国と、下つ総(しもつふさ)の国とのなかに、
いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。
その河のほとりに群れゐて、思ひやれば、「かぎりなく遠くも来にけるかな」とお互いにわびあへるに、隅田川の渡し守、
「はや舟に乗れ、日も暮れぬ」
と言ふに、乗りて渡らむとするに……
みな人、ものわびしくて、京に思ふ人、なきにしもあらず。
さるをりしも、白き鳥の、嘴(はし)と脚(あし)と赤き、鴫(しぎ)の大きさなる、水のうへに遊びつゝ、魚(いを)を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず、渡し守に問ひければ、
「これなむ都鳥(みやこどり)」
と言ふを聞きて、
名にしおはゞ
いざこと問はむ みやこどり
わがおもふ人は ありや なしやと
と詠めりければ、
舟こぞりて泣きにけり。
むかし、男、
武蔵の国まで、まどひ歩(あり)きけり。
さて、その国にある女を、よばひけり[その国の女性に求婚した]。父は、ことなる人にあはせむ[結婚させよう]と言ひけるを、母なむ、あてなる人[高貴な身分の人、つまり昔男]に心つけたりける。父はなほ人[「なおびと」普通の身分の人]にて、母なむ藤原[藤原の姓には格があった]なりける。さてなむ[それで]、あてなる人にと思ひける。
この、むこがね[婿にしようと思っている人]に、母が和歌を詠みておこせたりける[遣らせた]。すむ所なむ、入間の郡(いるまのこほり)、みよし野の里なりける。
みよし野の
たのむの雁も ひたぶるに
君がゝたにぞ よると鳴くなる
[み吉野の田の面(たのも/たのむ)の雁が、引板(ひた)を振ると驚いて、向こうに寄せては鳴いているように、まるであなたを「頼む」ばかりの雁のように、わたしの娘もひたぶるに、つまり一途に、あなたの方に寄りたいと泣いています]
むこがね、返し、
わがゝたに
よると鳴くなる みよし野の
たのむの雁を いつか忘れむ
[わたしの方へ、こころを寄せて鳴いているような、み吉野の、田の面にいる雁のことを、いつ忘れるというのでしょうか。いいえ、きっと忘れはしません。]
となむ。
かの昔男は、人の国にても、
なほ、かゝることなむ、やまざりける。
むかし、男、東(あづま)へゆきけるに、
友だちどもに、道より言ひおこせける。
わするなよ
ほどは雲居(くもゐ)に なりぬとも
空ゆく月の めぐりあふまで
[忘れないでよ。身の上は雲のかなたに離れても、空をゆく月のようにいつかめぐり逢うまで。]
[この和歌『拾遺集』(410)に、橘忠幹(たちばなのただもと)の作としてあり。そちらは女性への和歌になっている。
[雲居には宮中の意味も込められるため、あるいは殿上人の地位を得て、わたしとは「ほど」(地位)が変わってしまったけれど、空ゆく月のめぐり来て、わたしを照らし出すときまでは、忘れないでおくれよ、といったニュアンスを込めたものか。]
むかし、男ありけり。
人のむすめを盗みて、武蔵野へ率(ゐ)てゆくほどに、盗人(ぬすびと)なりければ、国の守(かみ)にからめられにけり。
[盗賊だった訳ではなく、娘を奪うように駆け落ちしたので、訴えられて、捕縛されたという内容]
捕縛される時、男は、女をば、草むらのなかに置きて、ひとりで逃げにけり。道を追って来る人、
「この野は、盗人あなり[発音「あんなり」]」
とて、あぶり出そうとして、火つけむとす。女わびて、
武蔵野は
けふはな焼きそ わか草の
つまもこもれり われもこもれり
[武蔵野は、今日は焼かないでください。若草のような妻(ここでは恋人の男を指す)もこもっていますし、わたしもこもっているのですから。]
[この和歌『古今集』(17)にあり。ただし初句は「春日野は」
とよみけるを聞きて、国の守の役人どもは、
現れた女をば取りて、
男をも見つけ出して、
ともに率(ゐ)ていにけり。
むかし、武蔵に住むなる男、
かつて暮らした京なる女のもとに、
「聞こゆれば恥づかし、
聞こえねば苦し」
[申し上げれば恥ずべきことですが、
申し上げなければこころ苦しいものです]
と書きて、うはがき[書状の表面、手紙の宛名]に、「むさしあぶみ」[鐙は乗馬の際に足を踏み掛ける馬具。武蔵の国の特産品]と書きておこせてのち[「遣(おこ)す」は、送ってよこすの意味]、音もせずなりにければ、京より、女、
[男が「聞こゆ」(言うの謙譲語)としるしたのは、相手が高貴な女性であるというより前に、武蔵で女が出来たので、へつらった表現をしたもの。武蔵鐙は足を反対の両側に踏み掛けるものであるから、二股を暗示したという説あり。サトイモ科の同名の草花の名もある。]
むさしあぶみ
さすがにかけて 頼むには
とはぬもつらし とふもうるさし
[武蔵鐙をつなぎ止めるための金具である刺鉄(さすが)に、 「むかし逢う身には過ぎませんが、さすがにつなぎ止められる思いもあるものですから」という意味を掛け合わせて、頼みとするこころがあるものですから、あなたの暗示した手紙の詳細を、問い質(ただ)さないのは辛いのですが、同時にそのようなことを、聞きただすことはわずらわしくてなりません。]
[注意:「むさしあふみ」に「むかしあふみ」が掛け合わされているというのは、意味を分りやすくするために、わたしが仮に定義したものに過ぎません。]
とあるを見てなむ、
男はたへがたき心地しける。
問へばいふ
問はねばうらむ むさしあぶみ
かかるをりにや 人は死ぬらむ
[便りをすれば「うるさし」なんて言うし、便りをしなければ「つらし」なんて恨まれるし、武蔵鐙のように思いを二つに掛けてしまったような場合にこそ、死ぬような苦しみにさいなまれるのでしょうか。]
[下の句が真心のこもらないような、ちょっと投げやりの感じなので、むしろ、「まるでちぐはぐな武蔵鐙に足を掛けてしまったみたい。このような時にこそ、まるで落馬するようにして、人は生活から転げ落ちて、死んでしまうものでしょうか。」なんて読みたくなる。]
むかし、男、陸奥(みち)の国にすゞろ[あてもなく、目的もなく]にゆきいたりにけり。そこなる女、京(きやう)の人はめづらかにやおぼえけむ、せちに思へる心なむありける。
さて、かの女、
なか/\に 恋に死なずは
桑子にぞ なるべかりける
玉の緒ばかり
[なまじっか恋に死んだりせずに、蚕(かいこ)になってまゆの中で、むつまじい夫婦になりたいものです。玉の緒にたとえられるような、みじかいあいだだけでも……]
[「玉の緒」は玉を貫いた細紐、またはその首飾りそのものを指す。そこから、「短いもの」のたとえ。さらには「魂の緒」の意味を込めて、「いのち」のたとえ。ここでは、蚕(かいこ)などを持ち出したのはもちろんのこと、みやこの歌人であれば「恋に死ぬ」と詠みそうなところ、実直に「死ぬよりは夫婦となりたい」と思いを述べる日常生活的な感覚、さらには最後に取って付けたような「玉の緒ばかり」が和歌の下手さをアピールすることによって、次のひと言へとつながっていく。]
[この和歌『万葉集』(3100/3086)に、
なかなかに 人とあらずは
桑子(くはこ)にも ならましものを
玉の緒ばかり
を改編したものか。]
歌さへぞ、ひなびたりける[田舎じみていたのでした]。
さすがに、あはれとや思ひけむ、いきて寝(ね)にけり。
夜ぶかく出でにければ、女、
夜も明けば
きつにはめなで くたかけの
まだきに鳴きて せなをやりつる
[夜が明けたら、水にぶち込んでやるわ、鳥の野郎ったら、早いうちから泣きだして、夫を追い出してしまうなんて。]
[「きつにはめなで」には「きつ(水槽)に投げ入れる」と「きつねに食わせる」の説があるようだ。「くたかけ」はここでは、鳥をののしっていう言葉だが、後には雅語として使用されるようになっていく。いずれにせよ、恋人を起こして帰らせた鳥を、「あの野郎殺してやる」と歌った、とんでもない和歌で、それが、まるで驚いた男が、みやこへ逃げ帰るような、次の文脈へとつながっていく。]
といへるに、
男、やがて京へなむまかるとて、
栗原(くりはら)の
あねはの松の 人ならば
みやこのつとに いざといはましを
[やはり東国の、栗原の姉歯の松のようなすばらしいものが、もし人であったなら、まるで今日への土産物みたいにして、「さあおいで」と誘いたくもなるけれど……
(おなじように、その土地に根を下ろしているものでも、
お前に「さあおいで」とは言ったりはしないよ)]
[「姉歯の松」は、デジタル大辞林より引用すれば、
「宮城県栗原市金成姉歯(かんなりあねは)にあった松。小野小町の姉または松浦佐用姫(まつらさよひめ)の姉の墓上に植えた五葉松という。[歌枕]]」
とあり、すばらしい松としてその地に知られたもの。つまりはお前に気品があったら、みやこにおいでと言うのだけれど、その和歌じゃあ……というニュアンス。]
[『古今集』(1090)に
をぐろ崎
みつの小島の ひとならば
みやことのつとに いざといはましを
とあるものから取られたか。]
といへりければ、
女は何を勘違いしてか、
よろこぼひて、
「思ひけらし」とぞ言ひをりける。
[女は和歌の意味を、自分を慕って送ってくれたものと思い込んでよろこんでいる。おそらく自分が「姉歯の松」にたとえられたものと信じ切った様子。]
むかし、陸奥(みち)の国にて、なでふことなき[なんと言うことはない]人の妻(め)に、例の男のかよひけるに、あやしう、さやうにて[「そのようにして」つまりそのような境遇に]あるべき女ともあらず見えければ、
しのぶ山
しのびてかよふ 道もがな
人のこゝろの おくも見るべく
[しのぶ山(福島県にあったとされる山)を、
こっそりと行くような、しのび通う道があったらよいのですが……
人のこころの秘められた奥を見るための道が……]
女、かぎりなくめでたし[すばらしい]と思へど、
さるさがなき[品性のない]えびす心を実際に見ては、男はいかゞせんは。
むかし、紀有常(きのありつね)[(815-877)娘が在原業平の妻、妹が惟喬親王と伊勢斎宮恬子(やすこ)の母]といふ人ありけり。
三代(みよ)のみかどに仕うまつりて、時にあひけれど[時流に乗って栄えたこと]、のちは、世かはり、時うつりにければ、落ちぶれて、世の常の人のごとにもあらず。
人がらは、心うつくしく、あてはか[高貴な、上品な]なることを好みて、こと人にも似ず。貧しく経ても、なほ、むかしよかりし時の心ながら、生きて行くための、世の常のことも知らず。
年ごろ、あひ馴れたる妻(め)、やう/\床はなれて、つひに尼(あま)になりて、姉のさきだちて、なりたる所へゆくを、男、まことにむつましきことこそなかりけれ、今はこれでお別れですとゆくを、いとあはれと思ひれど、貧しければ、餞別(せんべつ)をするわざもなかりけり。
思ひわびて、ねむごろに、
あひ語らひける友だちのもとに、
「かう/\、いまはとてまかるを、
何事も、いさゝかなることもえせで、つかはすこと」
と書きて、奥に、
手を折りて
あひ見しことを かぞふれば
十(とを)といひつゝ 四つはへにけり
[指を折りながら
互いに見つめ合った歳月を数えれば
十と言いながら、それを四回は繰り返すほどでした]
かの友だち、これを見て、
いとあはれと思ひて、餞別のために着物だけでなく、
夜の物までおくりてよめる。
年だにも
十とて四つは 経にけるを
いくたび君を たのみ来ぬらむ
[年月でさえ、十と数えることを四つは経るほどのあいだ、なんどあなたを、頼みに思って来たことでしょう]
かく、友だちのいひやりたりければ、うれしくて、
これやこの
あまのはごろも むべしこそ
君がみけしと たてまつりけれ
[これはなんとまあ、天の羽衣のような、尼への羽衣は、まったくもって、あなたが身につけた高貴なものを、くださったものには違いありません]
これだけではよろこびにたへで、また一首おくるには、
秋やくる
つゆやまがふと 思ふまで
あるはなみだの
ふるにぞありける
[秋がきたのでしょうか、それで露に乱れるのでしょうか。と思うくらいに、あるのはうれし涙の、降り注ぐことなのです]
[『新古今集』(1498)に紀有常の和歌としてあり]
年ごろ、おとづれざりける人の、
さくらのさかりに、見に来たりければ、あるじ、
あだなりと
名にこそ立てれ さくらばな
年にまれなる 人も待ちけり
[はかなく移りやすいものとして、名を立てるほどのさくらの花ですから、年のうちにすらまれにしか来ないようなあなたも、あるいはさくらばなに逢うために、訪れはしないだろうかと思って待っていました]
かへし、
けふ来ずは
あすは雪とぞ 降りなまし
消えずはありとも 花と見ましや
[今日来なかったなら、明日には雪のように散ってしまうことでしょう。花びらが消えずに残っていたからといって、だれが花と思って見ることでしょうか。だから花のさかりに訪れたのです。]
[贈答歌として『古今集』(62)(63)にあり]
むかし、なま心ある女ありけり。
男、近うありけり。
女、歌よむ人なりければ、こゝろみむとて、
菊の花のうつろへるを折りて、男のもとへやる。
くれなゐに
にほふはいづら しら雪の
えだもとをゝに 降るかとも見ゆ
[くれないのあでやかな気配を感じられるのはどのあたりかしら。この白菊はまるで、白雪が、枝もたわむくらい、振ったようにも見えのですが……]
男、歌の裏の意味を、しらずよみに、よみける。
くれなゐに
にほふがうへの 白菊は
折りける人の 袖かとも見ゆ
[保留。あるいは、紅色のうえに白菊が来るのは、かさねの色目の裏地の白が、菊を折り取ったものだから、まるで表地のように見えたことを指すか。あるいは中着がおもてに見えたのか。「白菊」というかさねと関わるものか。それで、裏のこころが見えていますよとからかったものか。リサーチままならず。二三の書籍も、サイトも、みなお茶をにごしたものばかりで、解説の意味なし。不快なり。]
[贈答歌として『古今集』(784)(785)にあり。詞書きには、在原業平が紀有常のむすめと住んでいたことが記されている。]
[(自己用の参照にすぎず)
・「移菊(うつろいぎく)」とは、襲(かさね)の色目の名。表は紫,裏は白・青または黄。男女ともに秋に用いる。
・かさねの色には、十二単の袿(うちき)の主に五衣(いつつぎぬ)の組み合わせの色の配色の総称の意味も、袿の一枚・一着 (領) の表地と裏地の混色名の意味もあるらしい。
(どちらも他者からの引用改変文章なるべし)]
[・「なま心」は「なまはんかな雅のこころ」くらいの意味。未熟なところのある風雅のこころ。
・女性の和歌は、「移菊(うつろいぎく)」といって白菊が次第に紫づいてくるのを踏まえて、それを「くれない色に染まっているのはどこかしら」、おもてからは真っ白に見えるのですがと詠んだもの。
・「知らず読み」は女の和歌が、裏に色めいた男がいるというけれど、どこにいるのかしらと詠んだのに対して、ただ和歌のおもての意味だけを取って返したもの。と解釈されるが、もう少し意味がこめられているようにも思われる。]
むかし、男、宮仕へしける女のかたに、御達(ごたち)[ご婦人たちの意だが、ここでは身分の高い特定の女性]なりける人をあひ知りたりける。[「互いに知る」つまり情を通じ合う]ほどもなく離(か)れにけり。
おなじところなれば、女の目には男が見ゆるものから[「ものから」は「ものなのに」「ものであるのに」]、男は、相手の女が、あるものかとも思ひたらず。女、思いあまって和歌を詠むには、
天雲の
よそにも人の なりゆくか
さすがに目には 見ゆるものから
[空の雲の遠ざかるように、あの人は(あなたは)なってしまったものですね。そうであるのに、わたしの目には映ってしまうものですから……(かなしみにとらわれてしまうのです)]
と詠めりければ、男、返し、
天雲の
よそにのみして ふることは
わがゐる山の 風早(はや)みなり
[空の雲が遠くにばかり過ごしているのは、わたしのいる山の風がはやくて、雲が近づけないからなんですよ。]
と詠めりけるは、また別の男ある人となむ、人々はいひける。
[男が、わたしの慕うはずの山に、寄り添っていられないのは、風がはやいせいだと返歌をしたので、人々は、女性に他の男がいるのだとうわさし合ったという話]
むかし、男、
大和にある女を見て、よばひて逢ひにけり。
さて、ほど経て、宮仕へする人なりければ、帰りくる道に、三月(やよひ)ばかりに、かへでのもみぢの、いとおもしろきを折りて、女のもとに、道よりいひやる。
君がため
手折(たを)れる枝は 春ながら
かくこそ秋の もみぢしにけれ
[あなたのために、折り取ったかえでの枝は、春だというのに、こんなに秋のもみじに色づいてしまいましたよ]
とてやりたりければ、返りごとは、
京に来(き)つきてなむ、もて来たりける。
いつのまに
うつろふ色の つきぬらむ
君が里には 春なかるらし
[いつのまにか、移り変わる色がついてしまったのでしょう。あなたの里には、春がなかったのでしょうか。]
[男の方は、ようやく帰れるよろこびと、女にあえるよろこびで、春に色づいたかえでの葉に、風流を感じて、「あなたのために折り取ったら、すっかり思いに染まってしまいましたよ」と詠んだのだが、女の方は、ながらく逢えない不安と悲しみから、脳天気な和歌に、秋の気配(飽きの気配)をさえ詠み取ってしまい、「どうせ飽きばっかりのこころだから、そんな和歌を送ってきたんでしょう」とわざと男が今日につくまでじらしてから、送りつけたという趣旨。]
2016/03/17