藤原定家 「詠歌大概」 原文と朗読

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詠歌大概 (えいがのたいがい) 藤原定家

朗読者注

・藤原定家の曾孫(ひまご)にあたる、冷泉為秀(れいぜいためひで)(?-1372)の自筆本に、定家の自筆本を書写した旨のある『詠歌大概』は、もともと真名(つまり漢文)で書かれていた歌論部分を、後に仮名にした異本も存在する。1221年の承久の乱以後に執筆されたとし、藤平春男氏の解説(小学館、日本古典文学全集87)によると、
「まず『近代秀歌』の原型本から改撰本への改訂が行われ、次いで『詠歌大概』が成った、という順序が肯定できると思われる。」
とある。和歌の例である『秀歌体大略』は、1215年に定家が八代集から選び出した秀歌集である『定家八代抄』からさらに選抜したもの。

・漢文の書下しは、『日本古典文学全集87』と、幾つかのサイトを参照にしつつ、朗読しやすきを取るなり。

詠歌大概 本文

 情(こころ)は新しきをもつて先(さき)となす。

 ――人のいまだ詠まざる心を求め、これを詠む。

詞(ことば)は旧(ふる)きをもつて用ゐるべし。

 ――詞(ことば)は『三代集』の、先達(せんだつ)[その道の先輩、先学の者]の用ゐるところを出ずべからず。しかれども『新古今』の古人(こじん)の歌は、おなじくこれを用ゐるべし。

歌の風体(ふうてい)は、堪能(かんのう)[深くその道に達して上手なこと]の先達の秀歌に効(なら)ふべし。

 ――時代の古今(こゝん)・遠近(ゑんきん)によって和歌を論ぜず、よろしき歌を見て、その体(てい)に効(なら)ふべし。

 近代の人の詠み出づるところの心(こころ)・詞(ことば)は、一句たりといへども、謹(つつし)んでこれを用ゐることなく除き棄(す)つるべし。

 ――近頃の和歌、七八十以来の人の、歌詠み出づるところの詞(ことば)は、ゆめ/\取りて用ふべからず。

 古人の歌においては、多くの場合はその同じ詞をもつてこれを詠ず。これすでに流例(りうれい)[古くからの習わし、慣例]たり。

 たゞし、古歌を取り、新しき歌を詠ずることは、和歌の五句(いつく)のうち、いずれかの三句(みつく)におよぶもの、すこぶる過分にして新しき歌としての珍(めずら)しげもなし。二句(ふたく)のうへせめて三四字までなれば、これを免(ゆる)すべきか

 なほこれを案ずるに、おなじ内容の事をもつて古歌の詞を詠ずるは、すこぶる念なきか。

 ――例へば花をもつて花を詠み、月をもつて月を詠むなど。

 四季の歌をもつて恋・雑(ざふ)の歌を詠み、恋・雑の歌をもつて四季の歌を詠む。かくのごとき時ならば、古歌を取るも難無きか。

「あしびきの山ほとゝぎす」
「みよし野のよし野の山」
「ひさかたの月のかつら」
「ほとゝぎす鳴くや五月(さつき)」
「たまほこの道ゆき人」

かくの如き事はすべて、取ること何度といへども、これを憚(はゞか)らず。

「年のうちに春はきにけり」
「月やあらぬ春やむかし」
「桜散る木(こ)のした風」
「ほの/”\と明石(あかし)の浦」

かくの如き類(たぐひ)は、二句(ふたく)といへども、更(さら)にこれを詠むべからず。

 常に、古歌の景気(けいき)[情景性、視覚的効果といったもの]を観念して、心を染むるべし。殊(こと)に見習ふべきものは、「古今」「伊勢物語」「後撰(ごせん)」「拾遺(しふゐ)」それから「三十六人集のうち、殊(こと)に上手の歌」を、心に懸(か)くるべし。

 ――柿本人麿(ひとまろ)、貫之、壬生忠岑(たゞみね)、伊勢、小野小町らの類(たぐひ)なり。

 和歌の先達(せんだつ)の歌そのものにあらずといへども、時節の景気、世間の盛衰、物の由(よし)などを知らんがため、『白氏文集(はくしもんじふ)』の第一・第二の帙(ちつ)[書物を包む覆いのこと、ここでは一巻、二巻の意味]は、常に握翫(あくゞわん)[=愛好]すべし。

 ――深く和歌の心に通ずるがゆゑ

 和歌に師匠なし。たゞ旧(ふる)き歌をもつて師となす。心を古風に染め、詞(ことば)を先達(せんだつ)に習ふ者、誰(た)れ人かこれを詠ぜざらんや。

秀歌体大略(しうかのていのたいりやく)

 耄昧(もうまい)[知識が十分でなく、道理に暗いこと]の覚悟にしたがひて、これを書き連ねたり。古今[古い歌と新しい歌の意味]あひ交(まじ)はり、狼藉(らうぜき)[理不尽を他に犯すこと]極まりなきものか。

[続く和歌例、今は略す、朗読を聞くべし]

2013/6/12作成

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