八代集その二十一 拾遺和歌集 恋歌

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はじめての八代集その二十一 拾遺和歌集 恋歌

 『八代集』の紹介の終わりに、『拾遺集』の恋歌から、幾つかの和歌を選び出して、恋物語として紹介しようと思います。他の勅撰和歌集でも、それぞれに紡ぎ出せないことはないのですが、アンソロジーを順に読んでいるうちに、おのずから物語に引き込まれてしまうような錯覚は、ただこの『拾遺集』をおいて他はありませんでした。

恋一 巻第十一

 誰という訳でもないけれど、恋への憧ればかりが膨らんで、見たこともない恋人のおもかげさえ、夢に浮かんでは消えてゆく。そんな期待に胸を膨らませる女性がひとり、和歌に思いをゆだねているのでした。

みぬ人の
  恋しきやなぞ おぼつかな
 誰(たれ)とか知らむ 夢にみゆとも
          よみ人知らず 拾遺集629

見たこともない人が
  恋しいなんて気持ち……
    ぼんやりとしていて……
 誰かさえ分かりません。
   夢で逢えたとしても。

 けれども恋心はいつも、
  身近な親しさと隣り合わせ。
 その頃、彼女の友人のうちに、彼女へ思いを寄せる男性がありました。彼もまた、和歌に思いを託して、報われない日々を過ごしているようです。

みなそこに
   おふるたま藻(も)の うちなびき
 こゝろをよせて 恋ふる頃かな
          柿本人麻呂 拾遺集640

水の底に
  揺れている、玉なす藻の
    ひそかになびくみたいに
  あなたに心を寄せて
    恋しく思うような、この頃です

  やがて、恋心が通じ始めたのでしょうか。
 何気ない日頃の冗談さえも、相手の思いが気になるような、さりげない仕草さえも、魅力にあふれたような、そんな不思議な感覚にとらわれて、いつもとおなじ別れさえ、素っ気なくあしらわれたような悲しみを感じたとき、いつしか彼女は、彼に恋をしていたようです。
 今までなんでもなかったはずの、相手のひと言、ひと言が、自分を喜ばせたり悲しませたりするあいだ、こころの底でうずくもの。今では彼女は、何をしていても、彼のことばかりを考えているのでした。そうして、うわさ話でしか聞いたことのなかった恋心というものが、どのようなものであったのか、彼女は始めて知ったのです。

音にのみ 聞きつる恋を
   人しれず つれなき人に
  ならひぬるかな
          よみ人知らず 拾遺集641

うわさにばかり
  聞いていた恋というものを
    人に知られることもなく いつしか
 つれなくするあの人に
   はじめて教えられたのでした

 その頃、男の方は、もともと彼女のことばかり考えていましたから、あまり相手の姿が浮かんでくるので、のどかな春の日さえも、昼が延びるのが恨めしいくらい、毎日が苦しくてたまりません。

恋つゝも けふはくらしつ
  かすみ立つ あすの春日(はるひ)を
 いかでくらさむ
          柿本人麻呂 拾遺集695

恋しさにさいなまれながら
  今日はようやく過ごしました
    かすみのように思いの立ちのぼる
 明日また長い春の一日を
   どうやって暮らしたらよいでしょう

 そうして男は、ついに決意します。
  自らの思いを和歌に委ねて、
手紙にのせて贈ったのでした。

かすみして
  あなたの影を 恋ごゝろ
    花咲くころを 眺められたら
          時乃旅人 即興歌

 彼女の頬が、ぱっとあからみました。
  片恋(かたこい)が、手を取り合うみたい、
   つがいの鳥の季節です。
  さっそく、手紙を返したのでした。

     「返歌」
咲き染まる
  恥じらいつゝも 春風に
 さゝやいてみる 君の名前を
          時乃旅人 即興歌

恋二 巻第十二

 やがて二人は結ばれますが、
  いつも一緒にはいられません。
 時は平安の世の中です。女のもとへ、男は通ってゆかなければなりません。女は待つものであり、男は気まぐれなもの。女はじらすものであり、男は翻弄されるもの。さまざまなイメージが、慣習のうちから沸き上がってくるようです。
 けれども、男は単純なものですから、逢う前には、幸せにひたる瞬間のことばかりを思うもの。さっそく、今宵の逢瀬(おうせ)のことを、和歌にしたゝめて、相手に伝えてみるせるのです。

いつしかと
   暮を待つまの おほ空は
 くもるさへこそ うれしかりけれ
          よみ人知らず 拾遺集722

あなたに逢いたくて
  はやくはやくと 暮れるのを待ちながら
    眺めている大空は……
 雲が広がるのさえ
    日が暮れたような 錯覚にとわられて
      うれしくなってしまうものです

 女性のリアリズム。それは、
  侘びしさへの恐怖なのでしょうか。
 女性の方はどうしても、単純にはしゃいではいられません。逢う前からもう、別れた後の寂しさばかりが浮かんでしまい、こんな脳天気な、恋人からの和歌に対しても、

あかつきの
  わかれの道を おもはずは
 暮れゆく空は うれしからまし
          よみ人知らず 拾遺集726

うす暗くなりゆく 宵の気配が
  夜あけ頃の ふたりの別れぎわを
   予感させることが なかったなら……
 暮れてゆくこの空は
   あなたに逢えるよろこびで
     こゝろから うれしくなれるでしょうに……

 ずっとそばにはいられない悲しみを、
  返歌ににじませてしまったものでした。
   未来のもやにひそかにひそむ、
    とらえきれない不安のようなもの……

 そうなのです。
  幸せの歳月は、長くは続きませんでした。
 しばらくは、逢瀬を重ねていた二人でしたが、やがては朝廷からの命が下り、男は赴任先へと向かいます。別れを告げた恋人は、みやこを離れてゆくのでした。そうして女は残されて、あれほど一緒に見ようと約束をした七夕を、ひとりで恨めしそうに眺めているようです。

思ひきや
  わが待つひとは よそながら
 たなばたつめの 逢ふを見むとは
          よみ人知らず 拾遺集771

思いもしませんでした
  わたしの待つ人は どこか遠くにあって
    ひとりで七夕の二人が
  逢う夜を眺めることになるなんて

 ふと見上げれば、銀河はまばゆい光の帯となって、わし座のアルタイルあたりから漕ぎ出した舟が一艘(いっそう)、こと座へ渡ってゆくように思われました。なんだか、眺めているうちに、ぼうっとにじむみたいに、小さな流れは瞳からあふれ出して、いつしか頬さえ伝うのでした。
 彼女はなみだを袖に拭うと、和歌を手紙に委ねて、旅先の相手へと贈るために、しきりに筆を走らせているようでした。その時です、天の川を斜めに駆けける隼のようにして、まるで光の矢を放った流星(よばいぼし)が、たしかに二つ星をつなぐみたいにきらめいたのですが、手紙に夢中になる彼女には、どうしてもそれは気づかないのでした。

恋三 巻第十三

 手紙を渡された男の方はというと、まだ旅先の珍しさに夢中です。恋人との別れさえまだ、あまり気にもとめていない様子で、悲しみの込められた手紙にさえも、冗談で返すようなゆとりがあるのでした。

あしひきの
   山よりいづる 月待つと
  人にはいひて 君をこそ待て
          柿本人麻呂 拾遺集782

「あしびきの」と
  讃えられるようなあの山から
    あらわれる月を待っていると
  人には言っておきながら
    あなたを待っているのです

[注意
枕詞「足引の」について。万葉集の頃は「あしひきの」と清音だったものが、平安時代になると、次第に「あしびきの」と濁音で詠まれるようになっていったようです。]

 旅先の月などを眺めながら、軽い調子で、君を待っているなどとたわむれるものですから、手紙を返された女性の方は、自分の心情との差にびっくりします。あるいはあの人は、わたしのことなど、考えてもいないのではないか。それでこんな冗談に、たわむれてみせるのではないか、と心配になるのでした。

こよひ君
  いかなる里の 月をみて
 みやこに誰(たれ)を おもひいづらむ
          中宮内侍(ちゅうぐうのないし)
          /馬内侍(うまのないし) 拾遺集792

今宵あなたは
   いったいどこの里の 月を眺めながら
 みやこの誰のことを 思い出しているのでしょう

  「いったいどこの月を眺めて、
     みやこの誰を思い出して、からかっているのよ
    それって本当にわたしのことなの」
不安とも、すねているようにも取れる和歌が送られてきた時、ようやく男も気づきます。大切な相手が、遠い距離を隔てた人となってしまって、かつて隣でほほえんだ時みたいには、気安く冗談さえ掛け合えないくらいの、離ればなれになっていることに……
 するとたちまち、彼女と暮らした幸せの日々が思い起こされて、自分もまた悲しみがこみ上げて来るのでした。思えばみやこを離れて、どれほどの月日が流れたことでしょう。ようやく、旅愁(りょしゅう)というものの侘びしさが、男の心にもあふれてきた様子です。

秋の野の
  草葉もわけぬ わが袖の
 露けくのみも なりまさるかな
          よみ人知らず 拾遺集832

秋の野の
  草葉を分けたわけでもないのに
    わたしの袖は
  しだいに露に濡れたように
    なっていくのはなぜでしょう

 いつしか男もまた、
  みやこの彼女を思い出しながら、
 旅先で、男泣きに泣いているのでした。

恋四 巻第十四

 しばらくは、恋歌の贈答などで気を紛らわせていた二人ですが、男も赴任先に落ち着き、次第に歳月が流れると、互いのこころは、相手への信頼よりも、揺れるような不安でいっぱいになります。触れ合って確かめられないということが、遠く離れた相手の気持ちを、これほど信じきれないような、不安へと駆り立てるということに、二人とも打ちのめされてしまうのでした。

はるかなる
  ほどにもかよふ こゝろかな
    さりとて人の
  知らぬものゆへ
          伊勢 拾遺集908

はるかかなたまで
  たどり着けるような
    わたしの思いなのに
  それなのにあの人の
知らないものであるならば……

   「これほどあなたを思っているのに
      あなたにはきっと、
     それさえ分かってくれない……」
   女は不安を歎きます。

あふことは
  夢のうちにも うれしくて
    寝覚めの恋ぞ
  わびしかりける
          よみ人知らず 拾遺集921

あなたと逢えることは
  夢のなかでも うれしくてたまらないけれど……
 目が覚めてからの恋しさばかり
    わびしく残されてしまうのです

 夢にたわむれても、起きればひとりという殺風景な現実に、男は打ちのめされてしまいます。触れられない影にすがりつくような、ぬくもりのないさみしさが、気持ちを確かめられない不安と混ざり合って、たがいのこころに広がってゆくような……

 あるいは、そんな、こころの隙間に忍び込むように、見知らぬ誰かの影が、そっと差して来たのでしょうか。それは私も分かりません。けれどもいつの日か、あれほどかたく結ばれたふたりの絆に、わずかなすきま風が吹きつけて、歳月という名の風化現象に、亀裂でも深めるみたいにして、いつしかふたりの仲は、修復しようのない、破局を迎えることになったようです。まるで、ふたりの和歌ばかりを、形見のように残しながら……

恋五 巻第十五

 それからはるかな時は流れ、男も女も別の相手と結婚し、子供も出来て、教育にのめり込んだり、出世や我が家の安泰に奔走し、つまりは、世間の荒波に飲まれてはあくせくし、あくせくするうちに歳月を過ごし、いつしか老いを迎えた頃、ふたりは、かりそめの再開を果たしました。

 その時、女性の詠んだ和歌が、かつての恋を推し量っただけの、束の間のたわむれに過ぎなかったのか、あるいはこころに秘め続けた、誠の思いであったのか、それは誰にも分かりません。

黒かみに
  しろ髪まじり おふるまで
 かゝる恋には いまだあはざるに
          坂上郎女(さかのうえのいらつめ) 拾遺集966

黒髪にいつしか
   白い髪がまじり 老いてゆくまで
 これほどの恋には
    決して逢うことはありませんでした

   「ただ、あなたとの恋だけが、
      わたしのいのちのすべてだったのです」
 この恋物語の終焉をもって、わたしの『八代集』の紹介も、終わりとしたいと思います。長らくのお付き合い、まことにありがとうございました。皆さまが少しでも和歌に関心を持たれることを、切に願っております。さようなら。

           (をはり)

2014/07/02
2014/09/21改訂
2015/04/28朗読

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