八代集その十九 拾遺和歌集 前編

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はじめての八代集その十九 拾遺和歌集 前編

 さて、いよいよ八代集の紹介も最後になりました。
  『拾遺和歌集』の紹介が最後になったのには、二つの理由があります。
 ひとつは単に、分かりやすい和歌からの導入を試みようとすると、『金葉集』『詞花集』あたりから開始するのが、もっとも導きやすかったために、そこから『新古今集』まで進みつつ、『三代集』に回帰するという方針が採られたという点があります。もう一つの理由は、もっと単純で、この『拾遺集』こそが、『八代集』の白眉(はくび)[同類のなかでもっとも優れているもの]であるように、わたしには思われてならないからであります。

 なるほど、『新古今集』も捨てがたいものではありますが、例えば「恋歌」において、まるでドラマが進行していくような錯覚さえ覚えるような面白さ、一方では「雑歌」の多様性、さらには四季の和歌の芸術性、そうかと思えば「物名(もののな)」のような遊びが軒を連ねたりと、詩集全体の均衡と不均衡の不思議な融合が、個々の和歌の生命力によって保たれながら、まるで小宇宙のような多様性を宿しているのが、この『拾遺集』なのです。
 そうしてこの『拾遺集』には、かつて何度もスルメ歌として紹介した、この時代の和歌の巧み、藤原公任(ふじわらのきんとう)(966-1041)が大きく関わっていますが、一方では花山院(かざんいん)(968-1008)の影響力も大きいもので、さながらシスティーナ礼拝堂の火花でも散らすみたいにして、彼らのうちから生まれてきたものこそ、『拾遺集』であるようにさえ思われるくらいです。

 その成立は、後に概要を辿ることとして、いつものように、「春歌」から始めることにいたしましょう。けれども、皆さまも、これまでの経験を蓄積して、いつの間にか、以前よりはずっと、かつての和歌をつかみ取れるようになってきたのではないでしょうか。今までの経験を頼りに、紹介された和歌を読み解くことも、ある程度は出来るかも知れません。わたしもこれまでのように、くどくどしい説明は加えませんから、皆さまは何度もその和歌を口で唱えて、味わいをつかみ取って欲しいと思います。これまでの経験から、少しづつ見えてくるものがきっとあるでしょう。

春 巻第一

『拾遺集』の四季に上下はありません。
  春はただ一巻の春に過ぎないのです。
 その代わり、後に『雑春』として、純粋な春とは異なる和歌を、取りまとめてみせる方針が、他の集に対してユニークな、『拾遺集』の構成の違いになっています。

 それでは次々に紹介していきますから、皆さまはそれぞれ立ち止まって、最低三回くらいは、騙されたと思って、もとの和歌と、わたしのつたない現代語の落書きとを、繰り返し口に出しながら、唱えてみてください。おそらくは、そのような行為だけが、あなたがたを和歌に近づける、一番の方針かと思うからです。
 もちろん、わたしの現代語訳を唱えることに、すぐれた価値はありませんが……ただ内容を推し量りながら、もとの和歌を唱えるための、手助けくらいにはなるようです。

  どうです。
 少しづつ、見えては来ませんか。
  梅の花の、美しく咲き誇る庭には、
   待ちわびる、来客が訪れたようです。

わが宿の
  うめの立ち枝や 見えつらむ
    おもひのほかに
  君が来ませる
          平兼盛(かねもり) 拾遺集15

わたしの家に 咲き誇る
  梅の立ち枝(えだ)が 見えたのでしょうか
    思いがけなくも
  あなたがやってくるなんて

 なるほど、こう詠まれると、
    「大して親しくもないのに、
       梅が咲いているから来たのだろう」
なんて皮肉を言われたとは感じません。むしろ、
    「まさか、あなたが来てくれるなんて、
       梅の花が咲いていて、本当によかった」
と訪問を感謝されたような気がしてくるから、不思議なものです。それも結局は、咲き誇る花の魔力なのでしょうか。そうであるならば……

花見には 群れてゆけども
  青柳(あをやぎ)の
 糸のもとには
    来る人もなし
          よみ人知らず 拾遺集35

花を見るためには
   人々は集まって出かけますけれど……
  青柳の 糸のような葉のもとには
     訪れる人さえありません

 芽吹く新緑のさわやかさも、魅力にあふれたものには違いありませんが、なるほど、人のこころを惑わすセイレーンのような、花の魔力はないようです。それでも詠み手ひとりは、青柳に対して、花見のような愛情を注いでいるようで……
 そんなデリカシーが伝わってくるからこそ、風に吹かれる青柳のすがすがしさまで、わたしたちに届けられるような詩になっているのです。

吹く風に
  あらそひかねて あしびきの
    山のさくらは ほころびにけり
          よみ人知らず 拾遺集39

吹いてくる春風には
  さからうすべもなくて あしびきの
    山のさくらのつぼみも
  開いて花のひとさかり

「ほころびる」というのは、縫い目がほどけるみたいに、花のつぼみが開いてくる様子ですから、これは開花を捉えたような和歌になっています。したがってまだ満開の前なのですが、現代語訳では和歌の願望を兼ねて、花ざかりにまとめてみました。
 ところで、桜を眺めていると、不思議なわくわくとした気持ちにさせられるのは、なにも花が、はかないからというだけではありません。すべてをよみがえらせる春が、おめかしをして登場したような、このはなのさくや姫みたいな、よろこびに包まれるからには違いないのです。

春はなほ
   われにて知りぬ 花ざかり
  こゝろのどけき 人はあらじな
          壬生忠岑(みぶのただみね) 拾遺集43

春になれば やはり
   自分の気持から 分かってしまうのです
  花のさかりに 浮かれもせずに
     こころのどかで
        いられる人などないということを……

 あるいは、きまじめな自分でさえも浮かれてしまうのだから、おだやかでいられる人などありません。そんなユーモアさえも、わずかに込められいるのかもしれません。あるいはそうではなくて、沈んだ気持ちのわたしでさえも、うきうきしてくると読んでも構いませんし、すっかり年老いた老人が、それにも関わらず、そわそわすると捉えてもよいでしょう。もちろん純粋に、わたしからまず分かってしまうくらいでも構わない。「われにて知りぬ」という表現には、なかなかの含みと、解釈の幅があるようです。それだからこそ、おもしろく詠まれる訳です。
 さて、こゝろを惑わせる花であればこそ、散るのを惜しむこゝろさえ、まるで「春の日の夕暮」に照らされたみたいに、桜色に染まるようにさえ、思われて来るものです。

さくら色に
   わが身はふかく なりぬらむ
 こゝろに染みて 花をおしめば
          よみ人知らず 拾遺集53

いつしか さくらの色に
  わたしの姿は すっかり染まるでしょう
 心に染み渡るような
   花を惜しむ気持ちがあふれたならば……

 あるいはこれは、
  心象スケッチなどではなく、
   桜色の衣服を身にまとった時に、
  シチュエーションにゆだねて、
 詠まれたものかもしれません。

 さて、それほど惜しまれるのも花ですが、人に知られず散る花もあります。たとえば、里も荒れ果て、人も住まなくなった家に、咲き乱れる桜を眺める時には……

あさぢ原
  ぬしなき宿の さくら花
    こゝろやすくや
  風に散るらむ
          恵慶法師(えぎょうほうし) 拾遺集62

浅茅に覆われた野原
  あるじをなくした家の 桜の花であればこそ
    人に惜しまれる憂いもなくて
  なんの未練もなく
    風に乱れて散ってゆくのだろうか

 このように、勝手気ままに、舞い踊るような喜びさえ見せながら、散る花もあるのです。「こころやすく」に込められた思いは、寂れた家や浅茅の原と対比され、むしろ軽やかな印象をわたしたちに与えてくれるのも、季節が春であればこそ。朽ちた屋敷と、盛りを過ぎた花の取り合わせが、よどんだ陰を作らないのは、これから若葉のシーズンを迎える桜のよろこびというもの、この四句目の効果が、見事に生きているからに他なりません。

 そうして春も深まり、
   桜の花も散る頃には、
     やがては山吹の花が、
   夏の近づく気配を告げるでしょう。

春深み
  井手の川波 立ち返へり
 見てこそゆかめ やまぶきの花
          源順(みなもとのしたごう) 拾遺集68

春も深まってきた
   井手の川は 波が立ち返るように流れている
  春の名残を惜しむみたいに
     わたしも立ち止まっては、返り見るように
   眺めてゆこうか この山吹の花を

 山吹を、立ち返って眺めるばかりではありません。
  川波もまた立ち返り、わたしも春に立ち返っては、しばらくはその余韻に浸っていたい。様々な思いを込めた「立ち返へり」なです。このひと言が、和歌の中心軸として三句目に置かれているあたり、さすが『後撰集』を編纂した「梨壺の五人」のなかでも、学問担当であった源順ならではの発想です。

 さて、この和歌には登場しませんでしたが、井手と言えば「山吹」とならんで詠まれるものに「蛙(かはづ)」があります。「梅とうぐいす」ほどではないにせよ、「山吹と蛙」の取り合わせも、和歌に馴れてくると、たまには出くわす表現には違いありません。しかし、次のように詠まれると、清新なイメージも湧いてくるのではないでしょうか。

さはみづに かはづ鳴くなり
   やまぶきの うつろふ影や
  そこに見ゆらむ
          よみ人知らず 拾遺集71

沢の水に 蛙が鳴いています
  それは山吹の 散りゆく影が
 水底に 映し出されるので
   山吹を惜しんで
    鳴いているのでしょうか

 二句切れで、蛙の鳴く事実を述べ、三句からは対象を山吹に移しつつ、ただありのままに、現在の状況を呈示するような方針は、一方では万葉集の精神に立ち返るようでありながら、もう一方では、蛙の声と山吹の影を取り合わせた聴覚から視覚への変化、蛙の姿を眺めようとしてのぞき込んだ水面世界が、視覚の反対側、すなわち頭の上の山吹の咲き誇るさまへと、反転して広がるような印象など、きめ細かい情景をもとにした、芭蕉ら、誹諧的精神の由来のようにすら感じられるとき、やがては
    「水には蛙が鳴いている
       のぞき込めば、山吹の散る影が見える」
 まるで、写生の精神をもとにした、
  正岡子規の世界にまで、
   つながるようには思えないでしょうか。
  それはさておき……

 蛙が散るのを惜しめば、
   人が惜しむのはもちろんのこと。
 けれども、思いとは裏腹に、
   ひとつの残らず散りゆくのが、
     花の定めでもあります。
       もう夏も近いようです。

わが宿の
  八重(やえ)やま吹は ひと重(へ)だに
 散りのこらなむ 春のかたみに
          よみ人知らず 拾遺集72

わたしの家の
   八重の山吹よ せめて一重くらいは
 散り残ってはくれないか 春のかたみとして

夏 巻第二

 春の終わりを惜しむ心は、
   夏の初めにもかかることでしょう。

花の色に
  染めしたもとの 惜しければ
 ころもかへ憂き けふにもあるかな
          源重之(しげゆき) 拾遺集81

さくら色に
   染まったこの袂が 惜しいものですから
 衣替えをするのさえ ちょっともの憂いような
    そんな夏のはじめの今日なのです

 夏に入れば、衣替えをすべきところを、春色の服が惜しくて、引き出しにしまえない心境です。ちょっと暑いのに、お気にのコーデが捨てきれなくて、ロングを身にまとうような気持ちでしょうか。
  けれどもそれも束の間のこと……
 やがては卯の花や、藤の花にこゝろ引かれて、
   薄手の白いシャツにも憧れる、
     さわやかな季節の到来です。

山がつの
   垣根に咲ける 卯の花は
 たが白妙(しろたへ)の ころも掛けしか
          よみ人知らず 拾遺集93

山に暮らす者どもの
   垣根に咲いている 卯の花は
  いったい誰が白妙の
    衣(ころも)なんか、掛けたものであろうか

 貧しく粗野なものとされる「山がつ」どもの住まいに、どうしてこんな白妙の衣を掛けるような高貴な女性が、場違いにも訪れたものであろうか。たわいもないようなからかいをしながら、これほど一面の白妙の衣を掛けたものがあるとすれば、それは女神には違いないのだ。そんな神秘性と、軽やかな雄大さを、のほほんとした情景になだめたような和歌になっています。
 リリシズムが先に立つから、軽やかな冗談めかした口調にさえ、ほほえむより前に聞きいってしまうような、詩情があふれてくる。そんな和歌だと言えるでしょう。そうしていよいよ、夏の鳥が鳴き始めます。

この里に
  いかなる人か 家ゐして
 山ほとゝぎす
   たえず聞くらむ
          紀貫之 拾遺集107

このような山里に
  いったいどのような人が 家にいながら
  ほととぎすの鳴く声を
    絶えず聞いているのだろうか

 このような山里に暮らしている。
  そう思えば哀れではある。
   けれどもホトゝギスのシーズンならばこそ、
  その声を聞いていられるのはうらやましくもある。
 ちょっと訪れて、午後のコーヒーでも飲みながら、そこの主人と、ホトゝギスを聞きながら、田舎暮らしの訳をでも、尋ねてみたいような……

 それでちょっと立ち止まって、
  家のなかを眺めているような印象です。

 しかし、そんな山里も、
  やがては暑さにかられて、
   日陰を求めてさ迷うような、
    本格的な夏がやってきます。

夏山の 影をしげみや
   たまぼこの
 道ゆき人も 立ちとまるらむ
          紀貫之 拾遺集130

夏山の
  木陰となって 茂っているものだから
    たまぼこの
  道を行く人さえも
    立ち止まっては 休んでゆくのでしょう

「たまぼこの」という、中心に置かれた枕詞が「道」に掛かることにより、写実を背景にまわらせ、物語性を高める効果を果たしています。それによって、ちょっと特別な道をゆく、ちょっと特別な人が立ち止まって、休んでいるような印象が生まれてくるのが、この和歌の魅力でしょうか。
 それにしても、あまり草木が茂っては、立ち入ることすら困難になります。「陰暦」の夏の終わりといえば、今日であれば夏の盛り、もっとも暑い時期にもあたる訳で……

おほあらきの
   森のした草 しげりあひて
 深くも夏の なりにけるかな
          壬生忠岑 拾遺集136

老いの喩(たと)えにも 詠まれるような
   大荒木の森も 今では下草さえ茂りあって
  すっかり夏も
      深まって来たものだなあ

 生命の盛りのもっとも深いところを過ぎれば、やがては秋の到来が、過ぎゆくものの悲しみへといざなうのでしょうか。老いに関連して詠まれることの多い歌枕「大荒木」は、その場所が定かではありませんが、老いゆく秋へのターニングポイントの意味を込めて、あるいは選び出されたものかもしれません。そろそろ、夏も終わりです。

秋 巻第三

[朗読2]

荻(をぎ)の葉の
  そよぐ音こそ 秋風の
 人に知らるゝ はじめなりけれ
          紀貫之 拾遺集139

荻の葉の
  さわさわとした響きこそ
 秋風に変わったのだと
   人に知らせる はじめなのです

 荻はススキのお友達ですが、秋の初めですから、まだ青々としています。とても秋を予感させるような葉ではありません。そんな夏真っ盛りみたいな荻の葉であるのに、ただその触れあう響きが、湿気のないカラリとした響きのように思われた。あるいはそれは、大気の気配から錯覚されただけかもしれませんが、これまでとは違うような風の気配が、荻の葉からわずかに感じられた時、
    「ああ、秋風になったのだな」
と感じたというのです。
  ……同じ頃でしょうか、
 朝には「あさがほの花」が咲いているようです。

君来ずは 誰に見せまし
   わが宿の 垣根に咲ける
  あさがほの花
          よみ人知らず 拾遺集155

あなたが来てくれないなら
  いったい誰に見せましょうか
    (いいえ、誰にも見せません、見せません)
  わたしの家の 垣根に咲いている
     あさがおの花よ……

「あさがほ」を現在の「朝顔」として捉えるならば、この和歌は恋人に、泊まりに来て一緒に朝顔を見ませんか、そう誘っていることにもなるでしょうか、
    「あなたに来て欲しい」
   間接表現の影には、
    そんなニュアンスが見え隠れしているようです。
  朝顔がほほえむ頃なら、
   そろそろお月見のシーズンでしょうか。

こゝにだに
   ひかりさやけき 秋の月
 雲のうへさへ おもひやらるれ
          藤原経臣(つねおみ) 拾遺集175

ここから見るのでさえ
   光さやかに澄みわたる 秋の月を
 雲の上から眺めたら どれほどすばらしいものだろう

 これは宴の時に、「雲の上」つまり天皇の御前で眺められたら、月もどれほどすばらしいだろうと詠まれたものですが、かといって純粋に、「雲の上から月を眺めたら、遮るものなどなにもなくて、どれほど澄みわたるだろう」と読み解いても、なんの不都合もないばかりか、大いに興が乗るような作品です。
 一方、次のものは、
  純粋に雲を詠んでいます。

よもすがら
  見てをあかさむ 秋の月
    こよひの空に 雲なからなむ
          平兼盛(かねもり) 拾遺集177

一晩中
  眺めては夜を明かそうか 秋の月を
    どうか今宵は空に 雲がかかりませんように

 一晩中眺めるほどであれば、
  とびきりのお月見には違いありません。
   そんな仲秋の名月も過ぎれば、
  次第に草葉も色づいてくる頃。

神なびの
   三室の山を けふ見れば
 下草かけて 色づきにけり
          曾禰好忠(そねのよしただ) 拾遺集188

神のおわします
   三室の山を 今日眺めると
  木々の葉だけでなく
    下に生えた草までも
   いつしか、色づいているのでした

 「神なびの」は神聖なる山を讃える枕詞で、「三室山」に掛かります。今日は木々ばかりでなく、下草まで色づいているのを発見したというのです。日ごとに深まりゆく紅葉の情景も、ついに末まで辿り着いたような印象でしょうか……
 ……そろそろ冬へまいりましょう。

冬 巻第四

霜おかぬ
  袖さへさゆる 冬の夜に
 鴨のうは毛を おもひこそやれ
          藤原公任 拾遺集230

霜の降りていない
 袖でさえ、冴えるように冷たい
  そんな冬の夜であればこそ
   霜の降りた鴨(かも)のうわ毛を
  思いやったりもするのです

 これほど寒い夜なら、霜の降りたように見える鴨の上毛は、どれほど冷たく、凍えそうになっているのだろう。そんな和歌です。もとより、鴨が寒そうに見えるのは、相手に確認を取ったわけではなく、自分が寒さに震えるものですから、きっと鴨も凍えそうなのだろうと、勝手に類推しているに過ぎません。
「思いこそやれ」というのは、
  語りにすら近い表現ですが、
   さすが動物愛護運動の立役者?
  藤原公任ですね。

 もっとも、意地の悪い味方も出来ます。
  それは、こんな袖さえ冷え込む冬の夜であれば、
   鴨の上毛が欲しいなあ、と考えてしまうような……
  そんな解釈です。
 さすが密猟毛皮売買人の立役者?
  藤原公任ですね。

降るほども
  はかなく見ゆる あは雪の
 うらやましくも うち溶くるかな
          藤原元輔(もとすけ) 拾遺集244

降っているあいだから
  はかなく見えるような 淡雪の
 すぐにうち解けてしまうのが
   なんだかうらやましく思えるのです……

 親密になった女性が、疎遠になったのに対して、淡雪は降っているうちから、すぐに打ち解けてくれるものだから、うらやましいと詠んだものです。「古るほども」つまりなじみになってからも、はかない恋心を保つような淡雪は、なるほど、うらやましいくらいに、睦まじいものかもしれませんね。

 さて、こうして『拾遺集』の四季を眺めてきた訳ですが、今のあなたがたには、それよど捉えられないものも無いのではないでしょうか。続いては「賀歌」を眺めて見ましょう。

賀 巻第五

老ひぬれば
   おなじことこそ せられけれ
 君は千世(ちよ)ませ 君は千世ませ
          源順 拾遺集271

年老いれば
   おなじことばかり してしまうものですが
  あなたが千世(ちよ)に栄えますように
     あなたが千世に栄えますように
 ただそれだけを、くり返し、お願いしております

 この和歌は、後に憤慨断食に死んでしまう藤原誠信(さねのぶ)という人の、元服(げんぷく)のお祝いに詠まれたものです。上の句で、「年寄りというものはおなじことばかり言うものですが」と言い訳しておきながら、下の句で「君は千世ませ」を二度くり返すユーモアは、おなじことを聞き直す老人のコントみたいで、ちょっと滑稽でありつつも、同時に相手への祝福を二重に祈るような、祝賀の気持ちにあふれています。逆をかえせば、下の句における、和歌としては失策になりかねない、単調な繰り返しを正当化するためにこそ、上の句は存在しているのであって、たとえばこれを、

年を取れば、また同じような祝い事をすることになるが、
  貴方は、千代もの長い間生きながらえて下さいますよう。
        新日本古典文学大系7 拾遺和歌集より

などと訳するのは、和歌の詩としての生命力を奪い去って、意味不明瞭な酔っぱらいのたわごとへと貶めるような、悪意に満ちたものと言わなければなりません。「千代もの長い間生きながらえて下さい」などという日本語も、あまりにもたどたどしく、酒をもられた千鳥のもつれるようで、高卒以上のものであれば、語り得ないような失態です。どうして「千代に生きながらえて下さい」ではないのでしょうか。「千代」が長い間を差すものであるのは、高校生の知識くらいでも当然で、それを「千代もの長い間」などと説明を加えるのは、文脈構成に粗野の目立つような、中学生くらいの落書きには過ぎません。

 このような訳を、平然と乗せる書籍が、ちまたにあふれて、ことごとく和歌から、その生命力を奪い去っているようです。さながら伝統を破壊するためにこそ、これらの翻訳は、互いに臭気を放っているのでしょうか。それとも、これらの執筆者たちは、祖国の伝統を破壊するために、戦勝国から送り込まれた、デストロイヤーかなにかでもあるのでしょうか?
 参考のために述べてみましたが、
  執筆をするのさえ、
   悲しくなるような、憂うつです……

 ところで、「年寄りというものはおなじことばかり言うものですが」という表現には、同じことばかり何度も言ってしまうものであるという意味の他に、人と同じような、慣習的表現ばかり繰り返すものですが、というニュアンスも込められているかもしれません。いずれにせよ、「年を取ったら、また同じようなお祝いをすることになるが」というような、下の句の内容の、蛇足にすらなっていない、まったく不明瞭な蒙昧(もうまい)を述べたものでないことだけは、確かだと言えるでしょう。

ひと節(ふし)に
  千代をこめたる 杖なれば
 つくともつきじ 君がよはひは
          大中臣頼基(おおなかとみのよりもと) 拾遺集276

ひと節(ふし・よ)ごとに
  千代を込めたような 竹の杖ですから
 どれほどついても 尽きることはないでしょう
    あなたの寿命は

  竹の長いのを、長寿にたとえているのです。
 ひと節につき、千年を込めた竹の杖ですから、どれほど突いて歩いても、突くという行為が尽きることはありません。竹の杖が突いても尽きないように、それを突いているあなたも尽きないでしょう。

「突く」と「尽く」という、簡単な語呂合わせには過ぎませんが、それが駄洒落に陥っていないのは、どちらが真とも分からないような、つまりはどちらをとっても祝賀の籠もるような、その詠まれ方によるのです。特に「つくともつきじ」には、
    「杖をついても尽きない」丈夫さと、
       「尽きるとも尽きない」その長さを、
重ね合わせたような竹の魅力で、
 長寿を言祝(ことほ)いでいるような気配がします。

  ところで、駄洒落というものは、
   ただ意味が重ね合わさっているから、
  駄洒落なのではありません。
 重ね合された意味が、コメディーに陥るから駄洒落なのです。
それが豊かな詩情に作用するなら、それは駄洒落とは呼ばれません。
 そんなことすら分からないような、
  俗物の解説が、LEDのきらめくこの頃なので、
   ちょっと説明を加えてみました。

 ちなみにこの詠み手、伊勢神宮の祭主であり、例の「梨壺の五人」の一人、大中臣能宣のお父さんにあたります。ちょっと無骨な表現で、繊細なものではありませんが、祝賀には相応しいような和歌になっています。

別 巻第六

 どれほど愛していても、露にさえあてずに可愛がっても、いつしか別れは訪れます。あるいはそれは、我が子の旅立ちの時なのでしょうか。

露にだに
   当てじとおもひし 人しもぞ
 しぐれ降るころ 旅にゆきける
          壬生忠見(みぶのただみ) 拾遺集310

露にさえ
  あてないようにと
    大切に思っていたその人が
  しぐれの降る頃
     旅へと向かうのでした

 壬生忠見は、あの『古今集』の撰者の一人、壬生忠岑(みぶのただみね)の息子です。有名な歌合(うたあわせ)である、「天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)」において、平兼盛(たいらのかねもり)に敗れ去った逸話でも知られていますが、あるいはこれは、自分の子どもが家を離れる際に、詠まれた和歌なのでしょうか。

 さて別れには、餞別(せんべつ)がつきものです。次の和歌は、「馬のはなむけ」つまり旅に出る人へ、扇(おうぎ)を贈るときに、添えられた和歌です。

わかれ路を
   へだつる雲の ためにこそ
 あふぎの風を
    やらまほしけれ
          大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ) 拾遺集311

私たちのわかれ路を
  隔てる雲を 払うためにこそ
    このおうぎの風を
  はなむけに贈りたいのです

 もとより雲が晴れたからといって、ふたりの距離は縮まりません。それでも隔てる雲だけでも、打ち払いたいと思うのが、見送る人の心なのかも知れませんね。けれども、そんな手を振って、別れた後には……

あづま路の
   草葉を分けむ 人よりも
 送るゝ袖ぞ まづは露けき
       女蔵人(にょくろうど)参河(みかわ) 拾遺集323

東国へ向かう東路(あずまぢ)の
   草葉を分け進む人よりも
  それを見送ったわたしの袖こそ
     まずはなみだの露に濡れるでしょう

 もちろん、見送る人がなみだをする頃には、
   旅人もやはりなみだをするものです……
     けれども……
   お互いの涙は、どうしても、
     相手には伝わらないのでした。

旅人の
 露はらふべき から衣(ころも)
  まだきも袖の
   濡れにけるかな
     三条太皇太后宮(さんじょうのたいこうたいごうぐう) 拾遺集326

旅先で
 露を払うべき 衣であるはずなのに
  もうすでに袖が
   なみだで濡れているのです

 なるほど、実際は旅立つ前の和歌のようですが、ここではひとつ前の和歌に対して、別れて間もない、旅人の思いとしておきましょう。夜露を払うはずの衣が、すでに別れた悲しみから、涙で濡れている。そんな和歌になっています。
 ちなみにこの和歌、先ほど登場した壬生忠見の「家集(かしゅう)」に見られるので、もしかしたら、忠見の作品かもしれません。この『拾遺集』に収められた作者名『三条太皇太后宮』は、冷泉天皇(れいぜいてんのう)の后にあたる人物ですから、今日なら「ゴーストライター」とでも申しましょうか、彼女のために代作を行った可能性は、十分にありそうです。

遅れゐて
  わが恋ひをれば しら雲の
 たなびく山を けふや越ゆらむ
          よみ人知らず 拾遺集335

遅れるように取り残されて
  わたしは恋しく、旅ゆく人を思います。
    あの遠くに見える白雲の、
  たなびいている山のあたりをあの人は、
    今日あたり、越えているのでしょうか……

 もと歌は、『万葉集』の類歌(るいか)[類似した表現の和歌]のようですが、残された人が、旅人のゆくえを案じるような、素朴な和歌になっています。ちなみにこの和歌、『金葉集』にも収められていますが、『勅撰和歌集』で和歌が重複する例は、まま見られることで、それがわざとなのか、単なる見落としなのか、ちょっとした言葉の違いから、別の和歌として取り上げられたものなのか、見分けるのは容易ではありません。もっとも今は、見分けられないでも困りませんから、私たちは旅人の行く末を見守ることにいたしましょう。

君をのみ
  恋ひつゝ旅の 草まくら
    露しげからぬ あかつきぞなき
          よみ人知らず 拾遺集346

あなたのことばかり
  恋しく思いながら 旅の草を枕にして
    (あの頃は となりにあなたが眠っていましたっけ)
  なみだと露に しっとりと濡れることのない
     そんな夜明けを 迎えることなどないのです……

 前に、東国へ向かう人へ「送るゝ袖ぞ まづは露けき」と詠んだ、見送り人の露は、なみだの喩(たと)えでしたが、こちらの露は、涙と実際の露と、その両方に濡れているようです。草を枕に夜明けを迎えながら、眠れないでひとり、かつては隣に寝ていた、あなたのことを思います。
 それは同時に、故郷への思ひ、すなはち、旅愁(りょしゅう)と呼ばれるものには違いありません。けれどもはや、そんな心情は相手には伝わらなくて、白雲のかなた向こう、旅人が涙に濡れる頃、取り残された待ち人は、月に思いを委ねることでしょう。

はるかなる
  旅の空にも おくれねば
 うらやましきは 秋の夜の月
          平兼盛 拾遺集347

はるかかなたの
  旅の空にも 遅れずについてゆくような……
    うらやましくも 眺めてしまうのです
  そんな 秋の夜の月を……
    (旅するあなたは いまあの月の
       照るしたあたりに いるのでしょうか)

    そんな思いが、
      風のこだまみたいに、
        旅人のもとに届くときには、
     旅ゆく人の旅愁も、
       どれほど募るか分かりません。

波のうへに
  見えし小島の 島がくれ
    ゆく空もなし
  君にわかれて
          金岡(かなおか) 拾遺集352

波の上に
  見えている小島さえ 別の島に隠されるように
    あなたのおもかげは すっかり隠されてしまいました
  わたしの思いは ゆくべき空すらありません
    あなたに分かれてからは……
      (ただあなたのもとに戻りたいばかりです)

『万葉集』にもとずいた、波間に口ずさむ、素朴なつぶやきのような和歌です。上の句の「島隠れ」には、船旅の気配が漂います。それが同系色の空へとフォーカスをうつしながら、まるであてもない雲みたいにして、さ迷うようなまとめ方をしているあたり、その情景の広がりが、雄大な質朴(しつぼく)さを宿していて、臨場感にまさります。こういうのを、佳作(かさく)と呼ぶのかも知れませんね。

 さて、物語めいた、この旅人と待ち人と……
  二人の関係はどうなってゆくのか、
 ちょっと興味のあるところですが、残念ながら『拾遺集』には、「再開」は収められてはいませんので、そろそろこの巻を、離れることにいたしましょう。

 ところでお気づきのことと思われますが、「四季」でもすでにそうでしたが、『拾遺集』では和歌同士がまるで、シューベルトの連作歌曲(Liederkreis)のように、時間や景物の関連性を綿密にしながら、丁度ここにあげたように、まるで物語の進行のような結合を見せることがままあります。
 それがこの『拾遺集』の特徴の一つでありますが、なかでも、もっとも驚異的なのは「恋歌」で、そこにはもはや、配列を整えただけのアンソロジーとはまるで違う、まるで積極的に物語を生みなすために、あまたの和歌を自由自在に操って、ストーリーを織りなすような価値観が、備わっているように思われるくらいです。
 配列そのものから、文学的な感銘を受けるような、おもわず歎息(たんそく)するようなきめ細やかさは、『新古今和歌集』ですら遠く及びません。ただ『拾遺集』ばかりが際立っていて、始めてそれを見い出した時には、軽やかな衝撃を覚えたくらいですが……
 その衝撃は、最後に「恋歌」で眺めることにして、
   まずは次の巻へと参りましょう。

物名 巻第七

[朗読3]

 藤原公任が秀歌を選び出した『拾遺抄(しゅういしょう)』を母体にして、花山院(かざんいん)が主体となって、様々な和歌を織り込むかたちで成立した『拾遺和歌集』は、異なる二つの精神が、相反するメロディーで二重奏を奏でるような、ひと筋ならない魅力を備えることになりました。
「巻第七」に独立して置かれたあそび歌、すなわち「物名(もののな)」もまた、藤原公任の『拾遺抄』にはほとんど収められず、歌集に愉快なバラエティーを加えるものとして、藤原輔相(すけみ)の作品を中心に、『拾遺集』において始めてまとめられたものなのです。
 遊びならではの露骨な下手歌から、芸術性のこもるほどの巧みまで織り込んだのは、あるいはやんちゃな花山院の仰せなのでしょうか。そのうち、すぐれたものを、いくつか紹介してみることにいたしましょう。

草も葉も
  みなみどりなる ふか芹(ぜり)は
 洗ふ根のみや 白く見ゆらむ
          藤原輔相(すけみ) 拾遺集384

草も葉も
  すべてが緑である 深芹(ふかぜり)は
 ただ洗う根っこだけが 白く見えるようだね

 この和歌は、物名の傑作として知られたものです。
  深芹の緑色に染まる様子が、自然のままに呈示され、それが下の句で採取されて洗う時になると、白く際立って見える根っことの対比が、和歌にはちょっと露骨に過ぎる「草も葉もみな緑である」という解説と相まって、後世の誹諧味(はいかいみ)を帯びているようにさえ思われます。なかなか、それ自体でも、面白みのあるような和歌になっているのですが、そのなかにまるで関係のない、
    「あらふねのみやしろ(荒船の御社)」
という歌枕(といっても知られたものはこの和歌くらいか)が織り込まれているのです。
 皆さまもちょっと立ち止まって探してみて下さい。なるほど、見つけてみれば、きわめて分かりやすい場所にありますが、本来の和歌の意味が強すぎて、たとえ気づいてからでも、和歌として唱えてみると、「物名」を詠み込んだようには感じられません。それだからこそ、すぐれた和歌とは言えませんが、決して単なる、頓智の落書には陥っていないようです。

 次のものは、詠み込まれた題目はつまりませんが、和歌としてちょっとユニークで、そうして深芹のものよりも、すぐれた体裁をまとっています。

神(かむ)なびの
  三室の岸や 崩(くづ)るらむ
    たつたの川の
  水のにごれる
          高向草春(たかむこのくさはる) 拾遺集389

聖なる神のおわします
  三室山の岸が 崩れたのであろうか
    流れくる竜田川の
  水が濁っているのは

 物名としては、二句目に「むろの木」を織り込んだだけの、取るに足らない和歌ですが、
    「岸が崩れたのだろうか、川が濁るのは」
と、上流の事件を壮大に記したところ、さらにそれが「神名備の三室の岸」であるという、ちょっとしたドラマチックな展開が、和歌としてはあまり使用されない「崩るらむ」などという俗な表現と重なって、誹諧連歌の時代へといざなうような気配がいたします。たとえば次のように……

  やしろに出向く 道のとだえて

神なびの 三室の岸や 崩るらむ

  たつたの川の 水やにごれる

今ン節は 紅の錦も 売りに来ず

雑上 巻第八

おほ空を ながめぞ暮らす
   ふく風の 音はすれども
 目にし\も見えねば
          凡河内躬恒 拾遺集450

大空を
  眺めながら 暮らしているよ
    吹く風の 音はするけれど
  目には見えないから

 そのまま、殺風景なため息と詠み取っても詩興がこもりますが、
    「ある人からの、風の頼りはあるけれど、
         姿はちっとも見せてくれないので、
       わたしは大空ばかり眺めています」
と解釈すると、人情味にまさるように思われます。お好みの方を採用下さい。そのような解釈の幅こそが、和歌をはじめとする、詩の楽しみなのですから。それを踏みにじって、
    「かくかく、しかじかであることは、
      詠み手の疑いなき思いである」
などとお説教ばかりするから、
 興ざめばかり引き起こすのです。
  もっともそのような弊害は、
   平安時代からあったようですが。

 さて『万葉集』時代の和歌には、壮大にして破天荒にものした(詠んだ)、つまりは『拾遺集』時代の歌人などが、決して詠まないような表現もありますが、そのような和歌の魅力というものも、ちゃんと理解されていたようです。もっとも、次にあげるような和歌は、藤原公任の『拾遺抄』に収められたものではありません。統一美としての調和を乱すものですから、公任卿なら採用する気にはなれなかったはずです。これは『拾遺抄』が『拾遺集』になる際に取り込まれた、多くの『万葉集』と、その時代の和歌のひとつには違いありませんが、これによって『拾遺集』は万華鏡のような魅力を獲得することになりました。あるいはそれこそ、やんちゃな花山院の功績なのでしょうか。

空の海に
   雲の波たち 月の舟
 星の林に 漕ぎかくる見ゆ
          柿本人麻呂 拾遺集488

 空という海に、雲の波が立つように見えるのは、もとより月が明るいからに他なりません。あるいは「いわし雲」のような雲でしょうか。そこを月が出たり隠れたりするのが、白波を流れゆく舟のように思われたというのです。なるほど、薄雲のすり抜ける速度の速いとき、月がまるで流されてゆくような錯覚は、わたしたちにもお馴染みの感覚です。ただ下の句で、星を林に見たてたのが、ファインプレーと言えばファインプレー、わたしたちのイメージからすれば、異質と言えば異質とも取れますが、あるいは薄雲の絶妙なバランスのうえには、そのような見え方もするものでしょうか。ちょっとした虚構もまた、魅力の一つには違いありません。
 ところで、見上げれば「空、雲、月、星」
  見晴らせば「海、波、舟」
 さらには「林」まで織り込んだような、大胆不敵な比喩は、デリケートな八代集の時代には、なかなか詠みこなせないような着想でした。感性が繊細に過ぎて、憧れつつも踏み出せない、ボクシングの世界みたいな……
 それだからこそ、
  採用もされたのでしょう。

 念のために加えておくならば、満天の星明かりというものは、世界でもっとも夜空を穢してはばからない国家、現在の日本のそれとは、まったく異なるものであるということだけは、考慮に入れて置いた方がよいかもしれません。
 そのような星明かりのもと、どのくらいの月齢ならば、星の林をゆくように見えるのか。あるいは舟の例えであるからには、弓張りの月くらいであったのか。想像力を膨らませてみるのも、おもしろいかも知れませんね。

植ゑてみる
  草葉ぞ 世をば 知らせける
 おきては消ゆる けさの朝露
          中務(なかつかさ) 拾遺集500

植えては眺めている
   草の葉こそ この世のなかを 教えてくれます
 置かれたと思えば もう消えてしまうような
    今朝の朝露に過ぎないのだと……

 ただ草葉を眺めるのではありません。
  自ら植えて眺めているところに、
 まるでこの世の無常を、噛みしめようとして、
わざわざ草葉を植えたかのような、

 詠み手の、悲しい積極性のようなもの……
  それがさりげなく、込められているような気配がします。

 そろそろお気づきかと思いますが、「おきては」には、「置かれては消える露」という意味と、「今朝起きればもう消えてしまう」という意味が掛け合わされています。ただし、この和歌の表現上の肝は二句目にあります。「草葉ぞ」と「世をば」が、それぞれ「初句」と「三句」に分かれて掛かるため、淀みのある言い直しのようなリズムが生まれて来るからです。それがまるで、詠み手が朝露を見ながら、思いを噛みしめるようなニュアンスとなって、見事に表現されているのですが、何度もくり返し詠んでいるうちには、そのような気持ちも捉えられることでしょう。その時あなたは、きっと以前よりずっと『八代集』の近くにいるのです。
 いずれにせよ、繊細な心情を宿した作品で、さすが藤原公任にも高く評価された、伊勢の娘である中務(なかつかさ)の作品であると言えます。

 もっとも、実はこの和歌、
  「小大君(こおおきみ)」の家集に収められているため、
    あるいは、小大君の作品かもしれませんが……

雑下 巻第九

    「春と秋とは、いづれかまされる」
そんな問いかけに始まる『拾遺集』の「雑下」ですが、これからしばらく、いずれが優るかの論争を、藤原伊衡(ふじわらのこれひら)が和歌で問いかけ、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)が和歌で答えるという、きわめてユニークな連作和歌へと発展していきます。
 このような連作和歌のあり方も、和歌をドラマチックに配する『拾遺集』の精神からもたらされたものかもしれませんが、『八代集』全体のなかでも、きわめてユニークな一部分を形成しているようです。今回は、そんな二人の問答から、最後のところだけを、お送りしてみることにしましょう。

    「また問ふ」
夜昼の
  数は三十(みそぢ)に あまらぬを
    など長月(ながつき)と
  いひはじめけむ
          藤原伊衡(これひら) 拾遺集522

夜と昼の
  数は三十を超えることは ないというのに
    どうして九月のことを
  長月などと呼び始めたのだろうか

    「答ふ」
秋ふかみ
  恋ひする人の あかしかね
 夜を長月と いふにやあるらむ
          凡河内躬恒 拾遺集523

秋も深まって
  夜も長くなってきますから
    恋する人は ますます恋人を思って
  なかなか明けない夜長を
    穏やかに過ごすことも出来ずに……
      夜を長くする月と
   言ったのではないでしょうか

 さらにこの「雑下」には、『古今集』で眺めた旋頭歌(せどうか)が収められ、五七調を繰り返す長歌(ながうた)(『古今和歌集』において「短歌」と呼ばれたもの)まで収められていますが、ここでは割愛。
 巻第十へと、移りたいと思います。

神楽歌(かぐらうた) 巻第十

 神事において、舞踏や雅楽と共に歌われる「神楽歌」に、一巻が割かれているのも、『拾遺集』の特徴と言えるでしょう。ここでもまた、公任卿の『拾遺抄』には、ほとんど収められていない和歌が取り入れられ、『拾遺集』を独自のものとしているようです。そんな「神楽歌」から、最後ものをお送りしながら、そろそろ前半を締めくくりましょうか。
 わたしたちの旅も、
  そろそろ終わりに近づいているようです……

めづらしき
  けふの春日(かすが)の 八乙女(やをとめ)を
    神もうれしと
  しのばざらめや
          藤原忠房(ただふさ) 拾遺集620

珍しくも喜ばしい
   今日の春日神社での 八人の巫女の舞を
  神もよろこばしい気持ちで
     賛美しないわけはありません

 「ざらめや」
というのは、「~しないことがあるだろうか」という反語的な表現です。宇多法皇が春日神社に参詣したおりに、献上された二十首の冒頭を飾るものですが、それが『拾遺集』の神楽歌の、最後を飾る和歌として採用されているのです。ただひたすら、おめでたいような、なんの屈託もない和歌で、賀歌にも通じるような精神は、それ自体尊いものです。姑息な小細工に生きる今の世にあっては、なおさら尊いもののように思われます。
 「神楽歌」の秀歌であると言えるでしょう。

           (をはり)

2014/06/25
2014/09/14改訂
2015/03/27再改訂+朗読

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