八代集その十六 後撰和歌集 前編

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はじめての八代集その十六 後撰和歌集 前編

  迫り来る菅原道真の怨霊に立ち向かう五人の勇者たち。
 彼らは村上天皇を長官に仰ぎ、和歌の選定をする役職にあったが、みやこに魑魅魍魎(ちみもうりょう)が現れるや否や、五色の仮面を身にまとう、正義の戦士となったのである。人呼んで村上戦隊「梨壺(なしつぼ)の五人」。今日のヒーローものが、始めて日本に誕生した瞬間であった……

 まさか、そんな訳はありませんが、951年、村上天皇(むらかみてんのう)(926-967)の命により宮中の「梨壺(なしつぼ)」と呼ばれる場所に、撰和歌所が設置され、詠み方が分からなくなりかけていた『万葉集』の万葉仮名の解読と、新しい勅撰和歌集の選定が行われることとなりました。撰ばれたのは、
清少納言のお父っつぁんこと
    清原元輔(きよはらのもとすけ)(908-990)
天才的学者肌で万葉解読の立役者か?
    源順(みなもとのしたごう)(911-983)
勅撰和歌集に百首以上を収める男こと
    大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)(921-991)
あまりにも大きすぎた父上、紀貫之の子
    紀時文(きのときぶみ)(922?-996?)
やはり歌人の坂上是則(これのり)の子
    坂上望城(さかのうえのもちき)(?-980)
の五人。ただし『後撰集』の完成の経緯は、記録上乏しく、未完成であるという説すらあるくらい。とりあえず、960年より少し前の完成かという説が、無難な落ちどころとして、比較的有力視されているくらいのようです。

 撰者の和歌を採用することを目的にしたような『古今集』に対して、この『後撰集』の著しい特徴は、撰者の和歌はまったく採用せず、選別することに徹している点にあると言えるかも知れません。そのコンセプトは、あるいは村上天皇からの命令だったのでしょうか。ここにあげられた歌人達は、後の勅撰集などに顔を覗かせることになるのでした。

 さて、歌合や屏風歌のような、晴れ舞台の和歌ではなく、日常的な贈答歌、あるいは詞書に逸話を紹介しては和歌で締めくくるような、歌物語の傾向が、『後撰集』では顕著ですが、そういうことは後々眺めることとして、まずは春歌から開始することにいたしましょう。
 今回は趣向を変えてお贈りいたします。

春歌上 巻第一

 今日は立春。春へと移り変われば、若菜詰みの季節です。荻(おぎ)の野原は、去年焼かれたままですが、誰かと一緒に、若菜を捜しに出かけてみたいような思いにもかられます。もし、あなたが和歌を詠むとしたら、どのように詠むでしょうか。あるいは、

春が来た
   誰かと摘みたい 若菜です
 荻の野原は 焼けていますが
          何某唄伊(なにがしうたい)

などと、和歌めいた言葉が浮かんでくればしめたもの、あなたは半分、この世界に足を踏み入れているようです。そうでなくても、ちょっとした遊びですから、とりあえず先にあげた着想で、五七五七七をまとめてみて下さい。それから、次の和歌と、自分のものを比べてみるのが愉快です。

けふよりは
  荻の焼け原 かき分けて
    若菜摘みにと
  誰(たれ)をさそはむ
          兼盛王(平兼盛) 後撰集3

今日からは
  荻の焼け野原を かき分けて
    若菜を摘みにいきましょうと
  誰を誘ってみようか

 何です?
  自分の方がよっぽどうまい?
 なるほど、そう思ったら、そう思ったでよいのです。
ただ時々で良いですから、
     「はたしてその認識は正しいのか」
と自分を批判して眺めてみて下さい。ついでに私の意見も参照してみてください。さまざまな角度から批判する精神だけが、あなたの和歌を向上させることでしょう。

 何です?
  和歌など詠みたいとは思わない?
 なるほど、それなら、それで構いません。
けれどもせっかく鑑賞する気があるのでしたら、
 もう一歩進めて、時々で良いですから、
     「はたして自分ならどう詠むのであろうか」
とちょっとした遊びも試みてください。ただそれくらいのいたずらから、もとの和歌のすばらしさを、軽やかに悟れるようにもなるのです。

 さて、平兼盛の和歌と、何某唄伊を比べてまず注目されるのは、平兼盛の場合は「春が来た」と直接述べることなく、若菜摘みに誰を誘おうという早春の和歌を呈示して、ただ「今日よりは」と開始することによって、「春の立つ日」すなわち「立春」であることを悟らせていることです。
     「春が来た。誰を誘おう」
では事実の説明が濃厚ですが、
     「今日からは、誰を誘おう」
というと、ようやく訪れた今日を、よろこびに表現した印象が強くなり、直接「春が来た」と宣言するよりも、詠み手の情緒が広がるように思われます。さらに何某唄伊の場合は、
     「荻の野原は焼けていますが」
と、下の句でも説明書の様相が濃いですが、兼盛の場合は、
     「荻の焼け原かき分けて」
荻の原の焼けている状況は、上の句のうちに軽くまとめてしまい、変わりに「その原をかき分けて」と、ここでも若菜を摘む喜びを、動作によって表わしています。行為が詠まれることによって、ただ着想を説明したものではなく、自らの思いをその場で述べているような臨場感が、いちじるしく増大します。そうしてその増大の先に、もっとも伝えたい内容である、下の句の、
     「若菜摘みにと誰をさそはむ」
という希望が詠み込まれ、若菜を誰かと一緒に摘みたい思いが、春の喜びと一緒になって、沸き上がるように広がってきます。一方、何某唄伊の場合は、もっとも伝えたい思いは、すでに上の句で、
     「誰かと摘みたい若菜です」
と述べてしまっていますから、なおさら状況を説明した下の句が、蛇足のように響くのです。このような下手な和歌は、どこにでも転がっているもので、たとえば、

我が家の
   犬はいづこに ゆきぬらむ
  今宵も思ひ いでて眠れる
          島木赤彦  「柿蔭集」

わたしの家の犬はどこにいったのだろう
  今宵も思い出して眠った

 なんだか馬鹿にされたような気分です。
  そもそも常人(じょうじん/つねひと)の感性なら、犬を思って眠れなかったならまだ詩興も湧くものを、思い出してそのまま眠ったのでは、何のために四句までを記してきたのかさっぱり分かりません。初めから書くまでもないようなことを、話の下手なおしゃべり中年に付き合わされて、無理矢理聞かされているような気分です。
 しかし、それは置いておいて……

 着想というのは、もっとも取るに足らないものだと言えるでしょう。それは文字通り、誰にでも思いつくことが出来るからです。もしそれをメモ書きしただけなら、人口の数だけ、一分一秒ごとに何十万、何百万というくだらない「五七五七七」がはき出され、はき出され、それこそ塵芥(ちりあくた)の価値もなく、紙という貴重な資源を無駄に消費するばかりです。あるいは、それを逃れようとして、仮想空間にたれ流したところで、何の得るところがあるでしょう。不要なノイズには過ぎませんから、検索者にとって迷惑なばかりです。

 そうして「犬やいずこ」の和歌は、ただ着想を、しかも、誰が浮かべても差し支えないほどの着想を、ただ思いついたままに、小学生の日記くらいの拙さで、
    「僕の飼っていた犬がどこにいったかと、
       今夜も、思い出して眠りました」
と記しただけなのです。ただの説明書きに終始しているので、犬を心配する心はみじんも見られず、倒置法さえ、何の作用ももたらさず、
    「なんでこんなくだらないことを、
       紙面を無駄にして書き残したのだろう」
と驚き呆れるような、あるいは馬鹿にされたような気分になる。

 それだけならまだしも、日常的散文として、やり過ごすことも出来るのですが、きわめて無意味なことに、下の句は、
    「今宵も思い 出して眠った」
などと、何の効果もない、偶発的な様相の濃い、切れを生じさせています。(韻文の区切りには、おのずからもっとも弱い切れが生じます。)別に頓智で言い訳をしなくても構いません。素直に、
    「今宵も思い 出して眠った」
のどこが詩的表現なのか、中学生の素直さでもって、感じてみてくださったらよいでしょう。(表現の発展途上にある小学生なら、あるいは詩的に感じることもあるでしょうか……)わたしにはなんだか、馬鹿にされたような気持ちがしてなりません。これが例えば、
    「どこかへ走り 出したくなるけど」
ならば、心情の躊躇が切れと絡み合うので、
 まだしもそこに意義が生まれますが、ただ説明的な文章を、
    「わたしは走り 出して疲れた」
としても、そこには、三十一字と五七五七七の都合により、たまたま分割されたにような印象ばかりが、興ざめを引き起こしますから、読まされる方は、窮屈に押し込めたつたない文章を、眺めさせられるような気分になるのです。

 さらには「思ひ出でて眠れる」という表現自体、あやしげな気配がこもりますが、それはともかくとして、ここでは、着想を説明しただけのつたない文章と、思いを伝えるために切磋琢磨した平兼盛の表現と、どこが違うのかだけを、何度も唱えながら、「ああなるほど」と思うくらいまで、のんびり比べてみたらよいかと思います。
 着想をそのまま記すだけなら、一日に何十も何百も、誰にでも詠めてしまうというという馬鹿らしさ。一方では磨き上げた表現のすばらしさが、伝わっては来ないでしょうか。(もっともこの場合、平兼盛が優れているのではなく、比べられた短歌が、劣っているに過ぎませんが……なんなら、ちょっと試してみるとよいでしょう。朝起きた。顔を洗った。洗濯物を干した。小鳥が鳴いていた。端末をいじってみた。その時のことを短い散文にしてから、三十一字にかえてみるのです。本当に呆れるくらいに、いくらでも生産されてしまうには違いありません。)

[もちろん、皆さまが始めて和歌に触れようとしたなら、その第一歩こそもっとも尊ぶべき方法で、ともかくも思いついたことを三十一字にしてみるのが良いのです。作品の価値ということは、ずっと先に控えていることですから、躊躇するには及びません。落書をくり返すうちに、次第に良いものと、悪いものの区別がついてきます。みずからの言葉でなにか特別な思いを、伝えられそうな気がしてきます。それがすなわち、第二段階というもので、そうなるまでのあまたの習作が、否定されるわけではありません。ただその習作は、その人のプロフィールに過ぎなくて、残されるべき美的基準を有しているか、それはまた別の問題となります。そうして、わたしがここで取り上げているのは、まさに作品の価値についてなのですから、あなたが思いついたままを落書するのに、怖れるものなど何もないことを、わたしは老婆心からここに加えておきます。(とは言っても、残念ながらわたくしは老婆ではありませんが……)]

  初めからつまらないものを眺めてしまいました。
   なんだか心持ちがすぐれません。
  気を取り直して、次の和歌へと参りましょうか。
 次のシチュエーションは、うぐいすの声が聞こえてくるので、どのあたりだろうと探し求めていると、いつしか花の下にたどり着いた。この情景をまた、何某唄伊さんに詠んでもらいましょうか。

うぐいすの
  声に誘われて いつの間に
 花のもとへと わたしは来ました
          何某唄伊

 なるほど、先ほどの反省でしょうか、花のもとへたどり着いたという取りまとめは、クライマックスを形成していて、決して蛇足にはなっていません。けれども三句目の「いつの間に」、これは必要な言葉でしょうか、空間を字数に埋めたような気配が濃厚です。それでなければならない表現にまで達していません。それでは、後撰集の和歌を眺めて見ましょう。

うぐひすの
    鳴きつる声に さそはれて
  花のもとにぞ
     われは来にける
          よみ人知らず 後撰集35

うぐいすの
   鳴いたその声に 誘われるように
  花のもとにこそ
      わたしは来たのです

「花のもとにぞ」の「ぞ」は強調を込めて、「まさに花のもとに」くらいのニュアンスですが、何某唄伊さんの表現とおなじ構図になっています。唄伊さんの向上心のたまものか、それともこの和歌がきわめて率直に表現されているために、初心者の表現とかぶったのか、それは分かりませんが……

 ただし、そこにいたる過程には、やはり違いが見られます。何某さんの和歌は「うぐいすの声に誘われて」と、二句目で状況を呈示してしまっているために、三句目に空白が出来てしまい、「いつの間に」のような無駄なひと言を挿入する結果となりました。もしこれが「いつの間に」ではなくても、「さ迷えば」にしろ「尋ねれば」にしろ、必要不可欠な表現と言うよりは、空いた三句目を埋めたような印象からは逃れられません。一方後撰集のものは、
     「うぐいすの鳴いた声に誘われて」
と二句目の内容を引き延ばすことによって、下の句へといたる上の句のピークである三句目に、効果的に「誘われて」を呈示することに成功しています。二句目の「鳴いた声」というのは、一見無駄な説明のようにも思われますが、ずっと鳴いている声ではなく、声がし終わったのでそちらの方へ向かうとまた声がして、またそちらの方へ向かうと鳴き終えて。そんなうぐいすの声の合間を、よく捉えているようです。際だったファインプレーはありませんが、唄伊さんの「いつの間に」よりは上等です。そうして、心情のピークとしては、三句目と結句にまとめられた、「誘われて来ました」という簡単な表現で、その内容を他の部分が説明するという、構図が整っているからこそ、何某さんの和歌のような、ちょっと散漫な印象は感じられず、心地よく響いて来るのです。

 それでは次の着想です。
  今は梅の花の季節です。あなたには「この梅の花が咲き誇る頃には、かならず連絡するから」と約束した友人があります。その人の家の梅も、今ごろは盛りであろうと思われるのですが、ちっとも連絡が来ないのです。そんなシチュエーションを和歌にしてみましょう。

梅の花
  咲き誇るような 季節です
 あの人からの 連絡はなし
          何某唄伊

 来ない人への思いを下の句にまとめたのは良いですが、また上の句がただの説明書きに陥ってしまいました。そもそも、「梅の花が咲き誇る頃に、かならず消息を伝える」という着想があるにも関わらず、「盛りになったのに便りがない」という状況が、生かしきれていません。ただ梅の季節になりました。あの人から連絡は来ません。それだけのことなのです。(ついでに、結句も「連絡はなくて」など余韻を残した方が、現代文の詩文としては、魅力的に響きます。)
 それでは後撰集の和歌はどうでしょう。

うめの花
   いまはさかりに なりぬらむ
 たのめし人の おとづれもせぬ
          朱雀院兵部卿皇子 後撰集38
            (すざくいんのひょうぶきょうのみこ)

梅の花は
  今はもう盛りに なっただろうに
 頼みに思う人の 連絡さえ訪れません

 「なりぬらむ」の「らむ」は推量ですから、上の句は知人の家の梅の花も、今は盛りを迎えただろうと、周囲の梅の花の状況などから推し量っていることになります。下の句では、約束を期待しているの相手からの、連絡さえないことが記されています。「たのめし人」つまり「頼みに思う人」と加えたことによって、上の句の単なる推量には、
    「盛りを迎えているだろうに、それにも関わらず」
というニュアンスが強調され、そこから自然に、
     「花の盛りの頃に連絡をするよ」
などの約束があったことが、和歌自体からつかみ取れる。あるいはつかみ取れないまでも、期待させる何かがあったことは推測される。それゆえ、詠み手の恨めしいような、それでも待ち続けているような心が、リアルに伝わってくるのです。
 一方、何某さんの場合は、偶然梅の花の咲いている頃に、あの人からの連絡を待っているだけで、肝心の約束を待ちわびる心が見えてこない。着想を再現しきれていないのです。

 ところでこの和歌の作者は、宇多天皇の息子である敦固親王(あつたかしんのう)ではないかともされていますが、今は気にせず先に参りましょう。

春歌中 巻第二

[朗読2]

 さて質に対して、量の肥大が著しい『後撰集』では、春の歌が三部にも分かれています。残念ながら、分けるほどの秀歌が並んでいるとは言い切れませんが、取るべき和歌がないわけでもありません。
 たとえば、満開になるのを確認することを、毎日楽しみにしていた桜花ですが、満開になったことを、うっかり人に告げられてしまい、

咲き咲かず
   我にな告げそ さくら花
  人づてにやは 聞かむとおもひし
          大将御息所(たいしょうのみやすんどころ) 後撰集61

咲いているか咲いていないか
   私にどうか告げないで欲しい
  さくら花のことを
     人づてに聞くなんて 思いもしませんでした

  勘のいい人なら気づいたかも知れません。
   わたしが先に挙げたシチュエーションと、
  わずかに和歌の内容が食い違っています。
 実はこの和歌は、もはや眺めにゆけないところ(詞書きから院の御所であることが分かります)の桜が、見事に咲いていることを聞かされて、かつては自らも眺めた花盛りを、人づてに聞かされるような境遇が思いやられて、
    「咲いたか咲いていないかなど、
       私に知らせないでください」
と歎いているような和歌なのです。ただ、
    「咲いているかどうか教えないでよ、
       自分で気づいて驚きたいのだから」
という状況にもあう着想だったので、
 わざと違った情景を呈示してみました。

春歌下 巻第三

 荒れた屋敷に住んでいる女性が、あれこれ物思いに沈みながら、庭にあるすみれの花を摘んで、誰かに和歌を贈るとします。これだけではなんですから、荒れた屋敷というのは、恋人が来なくなった屋敷のことで、和歌を贈る相手は、疎遠になった恋人というシチュエーションで、和歌を詠んでみましょう。

もういちど
    すみれの花を ふたりして
  眺めて見たい 吹きすさぶ風
          何某唄伊

 なるほど、ストレートな情緒に身を委ねるように見せながら、最後の「吹きすさぶ風」には荒れた庭先の、あるいはこころの侘びしさを、込めようとした形跡が見られます。けれども、詩のバランスというものは難しいもので、四句まで即興的に語りかけるような叙し方をしたなら、もはやそのままの口調で、

もういちど
    すみれの花を ふたりして
  眺めて見たい 風に吹かれて

 もはや「荒れた」という構想を捨ててしまった方が、はるかに詩情にまさります。もちろん、シチュエーションを込めなければならない理由はどこにもありませんから、それはそれで良いのですが、題詠(だいえい)といって、主題を与えられてそれに従うことは、当時の歌合などによく見られたやり方です。ここでも、
    「シチュエーションに添う和歌を詠んでみる」
という試みをしていますので、この和歌は残念ながら、赤点ぎりぎりくらいになるでしょうか。それでは、後撰集の和歌を見てみましょう。

わが宿に
   すみれの花の おほかれば
 来宿る人や あると待つかな
          よみ人知らず 後撰集89

わたしの家には
   すみれの花が 多く咲いているので
  来てはそのまま泊ってゆく人が
     あるかもしれないと思って待っています

 唄伊さんはなるほど現代人らしく、直接「あなたとすみれが見たい」と表現していますが、こちらの方は、
    「誰か泊まってゆく人も、
       あるかと思って待っています」
   という間接表現の中に、
     「誰でもありません、
        それはあなたのことです」
という思いを委ねています。唄伊さんのとは違って、家で待っていることが分かりますし、すみれの花を眺めに来て、泊ってくれる人を待つというのは、桜の花見のような、誰でもよいから、話し相手が欲しいような印象ではなく、もっと特別な相手を待っているような印象がこもります。(それ以前に、疎遠になった恋人に贈られたというシチュエーションですから、「あなた」に語りかけているのはむしろ明白なのですが、それだからこそ、和歌としては含みを持たせた表現をしています。)
 一方で、すみればかりが多いという表現に、はたして庭のバランスが悪いとか、荒れた庭であるというイメージが浮かぶものなのか、それはわたしにも分かりませんが、いずれにせよ、様々な状況が総合されて、
    「この家であなたを待っています」
という詠み手の思いを、補強しているのは確かです。

 あれた屋敷かどうかは知れませんが、家で待っていることが確かである分、こちらの和歌の方がシチュエーションには叶っていると言えるでしょう。しかも恋人に対して、「来て泊っていってください」と述べている訳ですから、何某さんのちょっとした恋心とは違って、相手と結ばれたいという思いは、実はよほど切実に込められているのです。
 ただそうしたことは、直接にさらけ出さず、間接表現に含みを持たせることによって、待ちわびる思いというものが、少しづつにじみ出て来るような、余韻のある和歌になっている。さすが、『勅撰和歌集』に採用されるだけのことはあるようです。

 ただし、あるいは唄伊さんの改編された詩の方が、よほど心に訴えるように感じる人もいるかも知れません。あるいは、そのように感じる人の方が多いかも知れません。なぜなら私たちは現代人であり、現代人の感覚の方が、はるかに親しいものですから、間接的に思いを委ねたり、さまざまな状況によって暗示するような語りよりも、率直な表現に引かれるのは当然のことです。それならそれで、ちっとも構わないのです。

 ただ、それとは別の感性や、価値観も存在して、ちょっとそれに寄り添ってみれば、その内側には、すばらしい詩情が流れているということは、覚えておいて損はないかと思います。それはすなわち、あなたの感覚が、同時代の空気に束縛されずに、より自由になったという証(あかし)でもあるのですから。

 歴史を学ぶ真の意味も、実は同時代からの束縛を逃れて、自由になることにあるのだ、といったらあなたは驚くでしょうか。けれどもそれこそ真実です。学問のための歴史なんて、未来へ向けてどれほど価値のあるものやら、はなはだ心もとないくらいです。現在が過去の累積から成り立っているのは事実ですが、累積された過去から、未来が開かれるのではなく、累積された過去にもとづく現在から、未来は導き出されるものに過ぎないからです。
 ただ、価値観の多様性を学ぶことによって、自らのアイデンティティや伝統を確認するだけではなく、今という同一規格品とは異なる、別の視点が生まれて来る。新たな思想が生まれてくる。未来を見つめる視野が開けてくる。そうでなければ畢竟人類の滅亡と共に消えてなくなる歴史など、いったい何の意味があると言うのでしょうか。

 いつもながらに話がそれました。
  この落書は、ちょっとしたデフォルメです。
   プロパガンダがこもる気配がします。
  ここらでちょっと、コマーシャル。
   コーヒータイムにいたしませんか。

ノートには
   気分てんかん ひと休み
 あい/\傘した 恋のらくがき

 そろそろ話を戻しましょう。
  もう少し簡単な「お題」はいかがでしょうか。
   花は毎年変わらずに咲くのに、
  それを眺める恋人の心は移り変わってしまう。
 そんな和歌を詠んでみましょう。

花にそっと
  尋ねてみました あの人の
 こころは本当に 去年のままなの?
          何某唄伊

 なるほど、唄伊さんはどうやら、いにしえの和歌を下手に真似するよりも、かえって今風の詩として詠むことを選択したようです。かつての和歌を詠み取るうちに、古語でもなんでもない、字引から引き抜いたような捏造言語をこしらえて、せっかくの現代語(あるいは、同時代の当たり前の表現)によりもたらされる感性を、台無しにしているような失態を、唄伊さんはくり返さずに済みそうです。

[表現の不一致が悲しい結末を迎えているものとしては、せっかくの着想を、それらしいばかりのいびつな三十一字へ、つまりナチュラルな自分の表現から乖離したものへと、変換させてしまっているために、詩情がないがしろにされている寺山修司の作品などが、その典型と言えるでしょうか。(もとより、着想の段階でつまづいている方々は、語るにも及びません。)
 彼の作品の多くは、短歌の形式を捨てて、同時代の表現で短詩として読んだ方が、はるかに優れているようなもので、例えば、
   マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし
     身捨つるほどの 祖国はありや
といった短歌がありますが、詠み手が霧のなかで、
     「身捨つるほどの 祖国はありや」
という表現では考えも、感じも、語りもしなかったであろうことを、短歌であるからという理由で、そのように記したような印象ばかりが鼻につきます。特に彼の場合は、自分の感性をそのまま語りかけるようなポエムには、優れたものがあるのですから、このような着想もまた、
    マッチを擦ると
      つかのま海には 霧が深かった
     すべてが隠されるようで
       身を捨てるほどの祖国があるのか
      そんな考えが 浮かんでは消えてゆくのだった
などと執筆すればよかったのです。少なくとも、その形式を使用して、いびつな形に貶める必然性が、どこにも存在しないような短歌になってしまっています。それに対して、例えば石川啄木のものは、表現の不一致は見られませんから、短歌の形式が生きていますが、話が逸れますのでこれくらいで……]

 それでは『後撰集』における元良親王(もとよししんのう)は、
どのように詠まれたでしょうか。

花の色は
  むかしながらに 見し人の
    こゝろのみこそ
  うつろひにけれ
          元良皇子(もとよしのみこ) 後撰集102

花の色は
  むかしのままであるのに 共に見た人の
    こころだけがどうして
  移り変わってしまったのでしょうか

 なるほど、唄伊さんもがんばってはいますが、力量が違うようです。「去年のままなの」などと安易に暦に推し量れば、対比も一年くらいが精いっぱいになってしまいますが、
     「花の色はむかしのままであるのに」
と来られたら、もう数十年、数百年、永遠に変わらないような花の色と、あの人の心変わりとを比較した様相ですから、スケールがまるで違います。
 また元良皇子のものは、「花にそっと尋ねてみました」などという安っぽい間接擬人法(花が答えてくれるものとして語りかけたもの)など使用せず、ほとんど哲学的な格言みたいに、事実を冷徹に述べ立てている。突き放したところに、静かなあきらめのような心情が宿り、安易な主観に身を委ねた唄伊さんの和歌とは、なかなか風格が違うようです。
 けれども唄伊さんは、めげることはないのです。あなたはあなたなりに、少しずつ成長しているではありませんか。それにしても……

 いくらなんでも、
  「何某唄伊」ではかわいそうな気がしてきました。
  上の名前も考えてあげようかしら……

 さりとてまずは次の和歌。
  「松の枝に掛かる藤の花」
というのも、中々に「梅と鶯」のような、和歌ではおきまりの配置なのですが、そんな藤の花が松に掛かっていて、それが池の水面に映し出されていると考えてみてください。はたして、どのような和歌が生まれるでしょうか。

鏡みたい
  松に寄り添う 藤波の
 揺れては過ぎます あめんぼうかも
          山吹唄伊(やまぶきうたい)

 そろそろ山吹の咲く季節だからといって、安易なネーミングではありますが、山吹唄伊(やまぶきうたい)となりました。おめでとうございます。名称を与えられた途端、唄伊さんも詩情がこみ上げてきたように思われます。直接的に水面を記さずに、「鏡みたい」と委ねる間接表現、「藤波」の「波」をたよりに、視点を水面へといざなって、「あめんぼうかも」とフォーカスを移しつつ、水面に映し出された「松に寄り添う藤波」であったことを悟らせる方法など、これまでの何某さんとは、同一人物とは思えないような飛翔ぶりです。若い頃というのは、思いも寄らないような覚醒(かくせい)を遂げるもので、それが感性のしわ枯れた老人ども(なかにはそれをワビサビと勘違いしているやからもおりますが)の、あこがれでさえあるのですが……
 ただ残念なことに、推し量れはするものの、「鏡みたい」はあまりにも唐突で、いくら読み返しても、理屈の力を借りなければ、なかなか水面の印象が生まれてこないのが難点です。そうして色々なものが込められすぎて、ピントが定まっていません。

みな底の
   色さへ深き 松が枝(え)に
  千歳(ちとせ)をかねて 咲けるふじ波
          よみ人知らず 後撰集124

水底に映し出された
   色さえも深みを帯びた 松の枝に
  千年を重ね合わせるように 咲いている藤波よ

 どうも驚きます。
  せっかくの山吹さんの向上心も、
   にわか仕込みには過ぎませんでした。
    「水の底に映し出された色でさえも深みを帯びた」
という間接表現によって、水面と実景の対比が呼び起こされ、その色彩の違いに驚いたことのある人なら誰でも、実際の松の色の深さへと、おのずから関心が向けられてしまう。
 しかも「鏡みたい」などという、懸命に類推して、ようやく悟れるような着想ではなく、知らない間に情景が浮かんでくる。もとの松の鮮明な印象まで湧き起こって来るのは、それが安易な空想によるものではなく、リアリズムに描いているからに他なりません。
 つまり上の句では、現代人であるはずの唄伊さんの方が、よほど安易な空想主義者で、『後撰集』の詠み手の方が、はるかに写実的な描写によって、人々の心を引きつけるすべを知っていた、ということになります。

 ところが面白いことに、山吹さんの和歌は下の句では、
    「揺れては過ぎますあめんぼうかも」
と現実を写し取って、それなりの効果を収めたというのに、後撰集の和歌は、上の句の写実主義を放棄して、
    「千歳をかねて咲けるふじ波」
という、空想を織り込んで、千年もの生命を保つような壮大な印象を与えつつ、まとわりつく藤波を讃えているから驚きです。
    「かさなるように咲いている藤波」
ではただの描写に過ぎませんが、これによってこの和歌には、
    「万代(よろずよ)と讃えられる松に、
      さらに千代(ちよ)を重ね合わせる藤波」
という、人知を越えたような神秘性(人にはかなわないような長寿)が混入し、和歌に象徴主義を織り込みながら、全体のフォームは写実でぶれていません。

 実写と空想のブレンドの見事さにおいて、ほとんど職人技のようにも思われるこの和歌が、「よみ人知らず」の和歌であるというあたり、勅撰和歌集のふところの深さを感じさせます。まだまだ、山吹唄伊さんのたゆまぬ努力では、凌駕(りょうが)できないような領域であるようです。

夏歌 巻第四

[朗読3]

 山吹さんにはちょっとお休みして頂いて、
  夏は軽(かろ)く過ぎ去ります。まづは伊勢の和歌から。

木隠(こがく)れて
   さつき待つとも ほとゝぎす
 羽根ならはしに 枝うつりせよ
          伊勢 後撰集159

まだ木に隠れて
  五月(さつき)を待っているとしても ほととぎすよ
    飛び立っては すぐ鳴けるように
  羽根を馴らして 枝から枝へと移っているがよい

 時鳥の声を期待しているのは、私たち人間であり、鳥の知ったことではありません。それを無頓着に人の思いに寄り添わせることが、擬人法(ぎじんほう)のトリックです。そのトリックはなにも誰かを欺くためではなく、ようするに、詠み手の心情の深さを伝えたいがために、対象物が人の姿を借りたものに他なりません。ですから、詩で多用されるのも、もっともなことかと思われます。

 そんな訳ですから、時鳥にしてみれば、木に隠れている訳でも、暦(こよみ)としての五月(さつき)を待っている訳でもありません。ただその頃になると、みやこの人たちが、その声を聞きたくてしかたがないものだから、
    「木に隠れて五月を待っている」
  と出てこない理由を推測してみたり、
    「すぐに鳴けるように、隠れている間にも、
       飛行の練習をして欲しい」
  あるいはまた、
    「鳴かないまでも、ちょっとでいいから、
      枝を移って、姿を見せて欲しい」
  とホトトギスの気配を求めたりしてしまう。
   すべては詠み手の、
     「ホトトギスの声が聞きたい」
  という思いばかりが伝わってくるのです。

 これが今の私たちに共感出来るならば、この和歌はすばらしい和歌ということになるでしょう。もっともホトトギスを待ちわびないからといって、桜や、名月などを待ちわびる思いから類推するくらいでも、心情は伝わってくるのではないでしょうか。

 それにしても、結句の「枝うつりせよ」という命令口調には、ちょっとした愉快を感じます。聞きいれてくれる宛(あて)のないものに対して、強い願望を込めますから、ようするに詠み手の思いばかりが、あふれてくるからです。
 そのあたりのニュアンスを噛みしめながら、何度も口に出してみてくださったら、くだらない先入観から、この種の和歌を毛嫌いするよりも、これまで知らなかった擬人法の魅力というものが、つかみ取れるような気がするのですが……

旅寝(たびね)して
   妻恋ひすらし ほとゝぎす
  かむなび山に さ夜ふけて鳴く
          よみ人知らず 後撰集187

旅先に寝ようとして
  妻を恋慕っているようだね ホトトギスが
 神の住まう山に 夜も更けて鳴いているよ

  これもコテコテの擬人法です。
 真夜中に鳴いた時鳥の声が、旅の途中で、妻を恋慕っているように聞こえるのは、とりもなおさず、詠み手がそのように思っているからに他なりません。けれども……

 真夜中、不意に森の中に響く鳥の声。
  あるいは場違いな蝉の声。
 人を驚かす野犬に怯えるような状況に、遭遇したことのない人が、いくら推し量っても、詠み手のこころはダイレクトには伝わらず、頭のうちで類推するしかすべはない。人のイマジネーションの豊かさにわたしは期待する一方で、リアルな現場に遭遇したことのない人間が、いくら空想を奮い立たせても、詠み手にシンクロすることなど叶わないようなあきらめが、わたしの心のなかにわだかまりみたいにして、静かにくすぶっているようです。
 たとえば、狼に襲われたときの恐怖は、私には分りようもないのだし、不意に武士が刀を持って現れて、命のやり取りをするような社会には、私は存在していないのだし……
 さ夜ふけて山に響きわたるようなホトゝギスの声など、聞いたことのないわたくしに、この和歌を説明する資格があるのやらないのやら、なんだか心もとないくらいです。

つねもなき
   夏の草葉に 置く露を
  いのちとたのむ 蝉のはかなさ
          よみ人知らず 後撰集193

すぐに消えてしまうような
   夏の草葉に 置かれた露を
 いのちの頼みとするような
    蝉のはかなさよ

  これもやはり擬人法です。
 別に蝉にしてみれば、夏草の露にすがって、はかない命をまっとうしてる悲しみもないのですが、その鳴き声をけなげに思ったり、短い命を哀れんだりしてしまうのは、私たち自身の心理の反映に過ぎないのですから、自然の方からしてみれば、あきれるくらいの誤認です。けれどもその誤認のうちに、人の思いを類推するとき、詩興が生まれてくるのも事実です。それにしても……

 この和歌における、『万葉集』じみた素朴な表現と、『古今集』にふさわしい、きめ細かい情緒性の融合は、今日にもすんなり受け入れられるような、魅力的な詩のように思われるのですけれども……

 これくらいの、さらりとした味わいの和歌を、あまり取り上げる人が見あたらないのも、かえって不思議なくらいです。なるほど、あまりにもあたりきの表現に過ぎて、拾う人もいない路傍の石ころに、勾玉(まがたま)はひそんでいるものなのでしょうか。それはともかく……

    「カムチャッカの若者」
   みたいな子供だましの落書は、
  あまりにも嫌らしくはないでしょうか。
 わたしはむしろ悪意のようなものをすら、子どもの頃は感じたものです。まして「震災の歌」やらなにやら、詩としては軍国主義の愛唱歌と同一で、なんのデリカシーさえありません。大衆心理が軍国主義へと傾くか、あるいは偽善の精神へと傾くか、ただそれだけの違いではないですか。羞恥心の欠落。わたしは常に、それを感じるのですけれども……

 そうであればこそ、そのような不愉快の混在しない、ここにあるような和歌こそが、尊いように思われるばかりです。ここには蝉の命を推し量るばかりで、それを偽善や独善によって押し売りするような嫌みは見られませんから……

 夏の和歌をもうひとつだけ、
  もっと、壮大な空想を詠んでも、
 こんな和歌なら、屈託もなく愉快です。

あまの川 水まさるらし
   夏の夜は ながるゝ月の
  よどむ間もなし
          よみ人知らず 後撰集210

天の川の
  水かさが 増しているようです
    夏の夜は 流れる月の
  淀む気配すらありません

「水かさが増しているようだ」というのは、もちろん夏の天の川の、ゆたかな煌めきに他なりません。それは、銀河系中心方面へ向かう星粒の増大が、光る河の流れのようなすばらしさで、夜空をよこぎる帯のことで、現在の私たちには、山にでも登らなければ、なかなか見いだせないくらいのものですが……なぜなら、現在の日本人くらい、夜空を穢している民族も、あまり存在しないくらいですから……

 それはさておき、短く明けてしまう夏の夜には、月さえためらう事なく、西へと流されて行ってしまうように感じられるのを、銀河の水かさが増したせいだろうかと推し量っている。ただそれだけの和歌になっています。

 例えばこれを、月が肥えていたら、銀河の水量は細るはずだから、この月はまだ痩せた状態にあり、早く沈んでしまうのももっともだ、などと読み取っても、あるいは「水まさるらし」というのは、実際には豊かに見えない、満月の銀河を、推測したものに違いない、などと解釈を加えても、牽強付会(けんきょうふかい)[本来なら理屈に合っていないことを、自分の都合の良いように、強引に理屈をこじつけること]へとおちいるでしょう。この和歌は、写生の和歌ではないからです。そうではなくて……

 もっと漠然と、月の流れを感じるような瞬間に、この時期は銀河が豊かに流れるものだから、あるいはその水で押し流されているのだろうか、と詠んだものに過ぎません。
 かといって実際に夜空を眺めて、たとえ現代において天の川がほとんど見えなくても、わずかな星が、光を連ねるのが精いっぱいだとしても、その詩興が伝わってくるのは、わたしたちがこの時期の銀河が豊かであることも、夏の夜がはやく明けることも、知っているからに他なりません。
 そうして、星や月に対する感興さえ湧いたなら、その内容は思考に対してではなく、心情へ作用するようになりますから、詠み手の思いを、感じ取ることが出来るばかりか、実際の星や月を眺めている時でも、その精神が落ちぶれることはないのです。

秋歌上 巻第五

 春歌を上中下に分けた以上は、秋も上中下に分けなければならない。このような『後撰集』の態度から、当時の歌人たちが、春と秋をこそ和歌のシーズンと捉えていたことを、推し量るのも乙(おつ)なものです。また山吹唄伊さんに、復活してもらいましょうか。

 まずは七夕の和歌を一つ。
     「悲しい別れと思えば、
       七夕のことなど考えられません」
そんな着想です。しばらく悩んでいた唄伊さんですが、下の句を、
     「悲しい別れと思われるものですから」
と締めくくればよいことに気づきました。そこで、

七夕の ひと夜の夢も 見たくない
  悲しい別れと 思われるから

 七夕のことなど、夢にさえ見たくありません。悲しい別れのことが思われるものですから。そんな和歌になっているようです。けれどもなんだか、思いついたことをそのまま記したまでで、和歌として残すほどの、結晶化を果たしていないことに気づきました。それでしばらく悩んでから、

夢さえも
   知らずにいれば たなばたの
 悲しいわかれも 見なくてすむのに

 着想からはちょっと離れて、「夢でさえ見たくない」という主題に変更することにしました。それでも十分範疇(はんちゅう)にはあると思われますので、ここでは咎めずに、「もう少し考えて見たらどうか」と勧(すす)めつつ、いったん送り返します。すると唄伊さん、自分の構想が、必ずしも明確に表現されていない、ぼんやりした状態にあることに、ようやく気がついたようです。そこで、

夢にさえ
   見ないものなら たなばたの
 悲しいわかれも 知らずにすむのに

と、最終稿にまとめました。採用に足るもののように思われるものですから、こうして記載することにしましょう。これに対して、後撰集の和歌はどうでしょうか。

天の川
  渡らむ空も おもほえず
    たえぬわかれと
  おもふものから
          よみ人知らず 後撰集226

天の川の
  渡るだろう空のことさえ 思いたくありません
    その後におとづれる別れが
      絶えることなど決してないのだ
   そう考えてしまうものですから

     「悲しい別れを知らずに済むのなら」
と、感情をダイレクトに表現した唄伊さんの和歌と、
     「別れが絶えることはない、
         そう思ってしまうから」
と間接的に表現した後撰集の和歌は、なるほど現代人と、かつての歌人たちの感性の違いを表わしているようでもありますが、もっと本質的な違いがあります。それは唄伊さんの下の句は、ただ自分の情緒を述べることに専念したものです。なぜなら、七夕のふたりの思いとすれば、「夢」など見なくても、「悲しいわかれ」は、常に現実として横たわりますから、「知らずにすむ」とは置けません。そうであるからこそ、
     「あの人のことを夢に見なければ」
七夕のような悲しい別れを、経験せずに済むのにという、まだ思いを遂げられていない相手に対する、和歌のように響いて来る訳です。

 それに対して「よみ人知らず」さんのものは、
   半ば織り姫と彦星の思いに委ねて、
     「また分かれなければならないと、
        考えてしまうのが辛いのです」
と表現していて、そのため上の句の、
     「天の川を渡るであろう、
        空のことさえ考えられません」
もまた、半分は自分の気持ちでありながら、同時に織り姫が、一年に一度の逢瀬を迎えようとする頃、あまりにも恋心が高まって、取り乱して、
     「分かれることを考えると、
        逢うことさえも辛くなります」
そんな悲しみに捕われて、詠んだ和歌にもなっているのです。

 より正確に述べるなら、そんな織り姫の複雑な恋心を、織り姫の気持ちのまま和歌にすることによって、同時に私の思いへと返している。それで聞き手には、詠み手の感情ばかりが伝わってくる唄伊さんのものとは違って、地上のわたしの思いと、天上の織り姫の思いが、二重唱のように重ね合わされながら、はるかな空へと思いをはせる、深みのある和歌になっているのです。
 さらに「たえぬわかれ」という表現に、永遠に続く「わかれ」という宿命を、織り込むことにより、「考えたくない」という心情を、切実なものへと昇華させているようです。

 こうして、『後撰集』のものは、着想に込められた心情を、三十一字の結晶化することに成功していますから、にわか仕込みの山吹さんの和歌とは、やはり風格が違うようです。ただし唄伊さんの和歌も、無意味な説明で締めくくってしまったような結句を、ちょっと改編して、

夢さえも
   見ないものなら たなばたの
 なみだも知らず 朝を迎えて

くらいにしておけば、これはこれで和歌としての体裁をまっとうするかもしれませんが……今度は作りすぎの嫌いがあるようです。

 次の和歌は、
    「秋の夕ぐれ。
      風が吹いてくると、
       鳴いている虫の声さえ、
     乱れるように思われます」
という着想です。「鳴いている虫」は「きりぎりす」で代弁するのが、和歌の基本でありますから、ここでも「きりぎりす」と詠み込んで貰いましょう。唄伊さんは、いいことを思いつきました。
 まずはじめは、着想をそのままに、

夕ぐれに
   秋風が吹けば きりぎりす
 声さえみだれて 聞こえて来ました

と和歌にしてしまってから、不要なものは取り除き、修辞(しゅうじ)を加えていったらどうかというのです。まず全体構成から考えてみますと、もっとも述べたいことは、下の句にあるのですから、そのままにしておいて、上の句で重要なのは、下の句に対応する「秋の風が吹いてくれば」にある訳ですから、

秋風の
  吹きすさびます 夕まぐれ

と考えてみたところ、
     「あれ、主語がなくなっちゃった。
        なんだかぎゅうぎゅうで、
      うまくまとまらないなあ」
なんてぼやくので、わたしは答案である後撰集の和歌をもとに、

「重要かと思われるところに言葉を割いて、周辺的な言葉は切り詰めればいいんだよ。ここでは『夕まぐれ』なんて締めくくる必要はない。「秋の夕風」でもよいし、「宵」くらいでも構わないから。それより主題としての「キリギリス」は外せないのだし、それに対して重要なのは、風が吹いてくるから、ということじゃないかな」

とヒントを与えます。すると翌日、

秋の宵
  風に怯えて きりぎりす
    みだれた声は 草の下から

 さらに送り返して、
  「なんだか下の句が説明に過ぎなくて、
    着想を記しただけのように聞こえるね」
  と質問すると、しばらく思い悩んだ後で、

秋の宵
  風に怯えて きりぎりす
    みだれて響く 草のした声

という答案を提出しました。
  今回は、これが最終稿となりそうです。
 なんだかちょっと、かつての和歌に引きずられて、現代語の表現としては、こなれていないようですが……けれども、風に怯えるように「草の下」から聞こえて来ると気づいたのは、なかなかどうしてあなどれません。それでは後撰集の和歌はどうでしょうか。

あき風の
   吹きくる宵は きり/”\す
 草の根ごとに こゑみだれけり
          「よみ人知らず」か? 後撰集257

秋風の
  吹いて来る宵は きりぎりすも
 草の根ごとに 乱れた声で鳴いています

唄伊さんの、
    「秋の宵の風に怯えて」
では、ただの状況の説明ですが、
    「秋風が吹いてくる宵は」
だと、「吹いてくる」という表現に、現在を語りかけた印象が籠もりますから、その場に詠まれたような臨場感を高めます。それは下の句の、
    「みだれて響いている草のしたの声」
という状況説明と、
    「草の根ごとに声が乱れています」
と語りかけるような臨場感の違いにも、そっくり当てはまります。つまり唄伊さんのは、ノートの上に作られた説明書、つまりは人工的な印象が強く、一方で後撰集のものは、そのようなシチュエーションに遭遇して、思わず発せられた言葉のように感じられる。その分、ずっと心に響いてくるのです。
 なぜなら、詠み手と聞き手の共鳴作用によって、始めて詩興は湧いてくるものですから、相手がなにかを感じた、その瞬間の思いが伝わる方が、受け手も強くこころを動かされるからです。

 さらに加えるなら、ただ「草のした」だと、草陰あたりにしか響きませんが、「草の根」のあたりと表現したことにより、本当に風から隠れて縮こまっている印象が、強くこころに焼き付けられます。つまり唄伊さんのは、ようやく着想を記したスケッチのような印象で、いくらでも言葉を変えられそうですが、『後撰集』のものは、もはや言葉を換えようのない、詩へと結晶化していると言えるでしょう。

 ちなみにこの和歌、紀貫之の作品とするものがあるようですが、後撰集の和歌で名称が記されている場合、その該当作品だけの作者名であるとも聞きます。ここでは、一つ前に紀貫之の名称があるばかりで、この和歌にはなにも記されていないのですが、はたして他の資料から、これが紀貫之の作品であることが確認されているのでしょうか。わたしにはちょっと分かりませんでしたが……『貫之集』には存在しないようです。
 ここでは「よみ人知らず」の和歌として取っておきましょう。
  ほかの「よみ人知らず」の和歌と似た、素朴な和歌ですので。

秋歌中 巻第六

[朗読4]

  さて、皆さんはそろそろお気づきでしょうか。
 なるほど、山吹唄伊さんの習作よりは、さすが詩として申し分のない和歌が並んでいますが、同時に『古今集』の和歌を眺めていた頃に比べると、驚くほど単純な、分かりやすい和歌が並んでいるという事に……
 複雑な間接表現や、修辞などによって、受け取るまでに時間を要した『古今集』と比べると、まるで八代集で一番始めに眺めた、『金葉集』の頃の分かりやすい和歌が、帰ってきたように思われはしないでしょうか。

 実は『後撰集』の和歌には、良くも悪くも、着想をそのままに記しただけの、悪く言えば、誰にでも詠めそうな和歌が目白押しです。たとえば、

花だにも まだ咲かなくに
  うぐひすの 鳴くひと声を
    春と思はむ
          よみ人知らず 後撰集36

花さえも まだ咲いていないのに
 うぐいすの 鳴いたひと声を
  春と思うよ

 これくらいの感慨は、嫌みのない素朴さがあり、好感が持てますが、さりとて唄伊さんにも、おなじくらいの和歌は詠めるのではないでしょうか。あるいはまた、

いつの間に かすみ立つらむ
   春日野の 雪だにとけぬ
  色と見しまに
          よみ人知らず 後撰集15

いつの間に かすみは立ったのでしょう。
   春日野の 雪さえとけない、
 おなじ色と思っていたのに。

「いつの間に」などという散漫な表現は、むしろ唄伊さんの和歌にこそ、見られるような傾向ではないしょうか。かすみと「春日野の雪」の色も、心情から生まれたよろこびとは受け取れない、宿題の提出課題のような印象で、類型的な表現には過ぎません。

[ただし、この和歌の、
   もっとも悪いところは、
  結句の「色と見しまに」です]

 このような特徴は、『古今集』には屏風歌や歌合などの「晴(はれ)の和歌」が多く収められているのに対し、『後撰集』では贈答歌(ぞうとうか)や、日頃の思いをさりげなく詠んだ「褻(け)の和歌」、つまり日常的な和歌が多く収められているのが原因であると説明されたりしますが、むしろそのような和歌ばかりを採用してしまう所に、その時代の精神を見るべきかもしれません。
 そこには格調高く、言葉を飾った『古今集』に対する、むしろちょっとした嫌悪感。日常から乖離したような虚飾性に対する反感が、『後撰集』の時代にはあったのかもしれませんが……
 それは同時に、安いものを安く記すことこそ、「心を表した」ことにもなり、すなわち美徳であるように感じてしまう、今日風に言えば、小市民的傾向も作用しているように思われます。あるいは、当時であれば「小貴族的傾向」でしょうか。

 つまり『後撰集』には、今日のわたしたちにも、ちょっとした思いつきで生まれてしまうくらいの、着想をそのままに記したような、中途半端な詩興に身をゆだねたような……後世にまで残すべきものなのか、首をかしげたくなるような和歌も、多く収められているということですが……
 けれどもまた、一方では、かえって『古今集』よりも、私たちの感性で捉えやすい、率直な和歌が多くあるということでもある訳です。

 もちろん、共感すべき詩情を備えているものであれば、「よみ人知らず」の和歌であっても、他の誰かに詠めそうな体裁であっても、詩としての価値を有することは、これまでに眺めてきた和歌のおもしろさからも、十分に理解出来るかと思います。
 今はそんな和歌を、
   『秋歌中』からいくつか拾い出してみましょう。

花見にと 出(い)でにしものを
   秋の野の 霧に迷ひて
  けふは暮らしつ
          紀貫之 後撰集272

花見にと かつては出かけたものなのに
  秋の野原の 霧に迷いながら
 今日はおなじ場所に過ごしています

  なるほど、花見に出かけた野も今は秋。
 ただそれだけの和歌ですが、『万葉集』時代に好まれた二句切りで、春の回想をすませ、「霧に迷いながら」という、その回想との印象の違い。さらには、「今日は暮らしています」と、即興的に詠んだような取りまとめ。詩興は十分に伝わってくるのではないでしょうか。

袖にうつる
  月のひかりは 秋ごとに
    今宵かはらぬ
  影と見えつゝ
          よみ人知らず 後撰集319

袖に映し出される
   月の光は 秋が来るたびに
 今宵も変わらない 影と見えながら……

  月の光は変わらないのに、
   わたしの境遇は変わってしまう。
  そんな和歌です。
 簡単に見える和歌ですが、「袖にうつる」という表現を、ただ照らしているとか、露に濡れたようなイメージではなく、「今はなみだのために」月の光が映っていると解釈すると、結句の「見えつつ」が生きてきます。
 つまり、月の光は今宵もまた、毎年の秋のように(三句目「秋ごとに」)美しく照っているけれど、袖を濡らして泣いているわたしの心は、すっかり変わってしまった(四句目の「かはらぬ」に対応します)ように思われる。そんな解釈になります。

月かげは
   おなじ光の 秋の夜を
  分きて見ゆるは こゝろなりけり
          よみ人知らず 後撰集324

照らし出す月は
   おなじ光であるはずの 秋の夜を
 いつもとは分けて 見てしまうのは
    こころのせいなのです

 この詩はそのまま、
  思いに到着することが出来るでしょう。
 初めの二句は、「月の光はおなじである」と詠んでいる訳ですが、わざわざ「おなじ」と述べたのは、比較する対象が、「昨日の月」と「今日の月」にある訳ではなく、もっとも月を見たくなる満月同士を、比較したものであるからに他なりません。それは三句目で明らかになります。
 すなわち「秋の夜を」、つまりこの和歌は、他の季節の満月に対して、仲秋の名月を讃えた和歌になっている訳です。それで下の句に掛かります。

満月というものは、いつも変わらない光であるのに、
  この秋の夜の月ばかりを、
    特別なものとして眺めてしまうのは、
  わたしたちのこころのせいなのだなあ。

というのが答案になります。
 これを例えば、中学生の日記帳くらいにして、

満月は いつもとおなじ 秋の夜を
   すばらしく思う わたしのこころさ

などと、主観にまかせるよりも、あらためて思い当たったような、余韻がこもります。それ以上に大切なことは、直情に詠んだものは、永遠(とわ)にわたくしの感慨に過ぎませんが、
    「分けて見てしまうのは心というもの」
と、ちょっと客体に記すことによって、和歌が個人の感慨を離れて、万人の思いへと昇華されている。そのために、
    「だったらどうだっていうのさ、
   あなたの思いなんて、ちっとも聞きたくもないよ」
なんて気持ちにならないで済むわけです。
 もっとも、そんなチープなエゴが総出演で、
  自選まで交えて、パレードを繰り広げているような、
   グロテスクな雑誌もありますが……

 もちろん、これはあくまでも、例の二つを比べた場合で、客体が主体にまさるという意味ではありません。どちらにも優れた叙し方があり、それをまっとうしなければ、俗に陥るというだけのこと。つまりこの場合、「すばらしく思うわたしのこころさ」なんていう、現代語の和歌が下手過ぎた、ということになるでしょうか。

をみなへし 花のさかりに
   秋風の 吹くゆふぐれを
  誰(たれ)にかたらむ
          よみ人知らず 後撰集341

おみなえしの 花の盛りに
  秋風が 吹いてくる夕ぐれを
 誰に語ればよいのだろう

 たわいもないリリシズムとたわむれて、おみなえしの美しく咲いている盛りに、冷たい秋風が吹いてくる夕ぐれの、やがては花を枯らしてしまうようなさみしさを、誰に語ったらよいのだろう。そう読み解いただけでも愉快です。
 そのうえ、和歌ではお馴染みの表現、「秋の風」が「飽きの風」を暗示することを、ほとんど同時に悟れるようになると、たちまち「をみなへし」が女性を暗示し、
    「恋の盛りに吹く飽きの風を、
       誰に語ったらよいのでしょうか」
という、悩みの姿さえ浮かんでくる。
 この二つのイメージが、二重唱でも奏でるみたいに、どちらも真であるように思われるならば、この詩は成功していると言えるでしょう。

 ちなみに「秋風」による「飽き風」の暗示は、決して、下手な駄洒落などではありません。冷たい秋風のよそよそしさが、さながら恋人のこころが離れて、思いの枯れてゆくような、吹きすさぶもののように思われる。そんな情緒が、重ね合されているからです。
 それが更けゆく秋と共鳴するからこそ、捉え方に慣れてさえくれば、まるで二重唱を奏でているように、聞こえて来るのです。
 もっとも、この種の着想がうまくこなれずに、駄洒落に終始しているような駄歌もまた、『後撰集』にはしばしば収められていることを、わたしは白状しなければなりませんが……
 幸いにしてこの和歌は、
  そのような弊害に、陥らずに済んでいるようです。

秋歌下 巻第七

 単純な着想を語るように詠みなせば、受け取りやすく、率直な思いが伝わってきます。けれどもその着想や思いが中途半端であると、たちまちそれを悟られて、安っぽい落書きへと転落します。
 複雑な着想を修辞に凝らして詠みなせば、受け取るのにちょっとした読解が必要になります、けれども隠された思いが、余韻となって響きわたることもあるのです。かといって技巧に陥ると、言葉をこねまわしたような嫌みばかりが目に付きます。

 どちらが優れているのか。それはもとより、個別の和歌ごとに判断するしかありません。おなじ「露が葉を染める」という内容を詠んでも、

秋の野に
   いかなる露の 置きつめば
  千々(ちぢ)の草葉の 色かはるらむ
          よみ人知らず

秋の野原に
  どのような露を 敷き詰めたなら
 すべての草葉の 色は変わるのでしょうか

と詠むならば、あるいは素朴な感性を持った、
  情報を餌のように食いあさるばかりの、
 ブロイラーではない少年があったなら、
    「ああ、そうだね。
      こんなだだっ広い野原を、
       全部染める露なんて、
      僕、想像もつかないや」
と素直に喜ぶかも知れないような、
  着想を詠んだことになりますが……
 けれども、別の着想におもむきながら、

遅く 疾(と)く
   色づく山の もみぢ葉は
  遅れ 先だつ
    露や 置くらむ
          在原元方(ありわらのもとかた) 後撰集381

遅く あるいは早く
  色づいてゆく山の 紅葉の色の変化は
 遅れたり 先だったりしながら
    露が 置かれるせいなのでしょうか

 先ほどの和歌が、
    「野原いっぱい置かれた露」
という空間の広がりを詠んだのに対して、ここでは時間的に、
    「遅れたり、先に立ったりしながら、
       露が置かれるために」
タイムラグが生じるみたいに、草木はもみじ色に変わっていく。
 それで色が、あれほど異なっているのだ。
  そう詠んでいることになります。さらには、
    「遅く 疾く」
      「遅れ 先だつ」
という言葉のリズム遊びも、きわめて効果的です。
 それでいてどちらの和歌が、
  一方的に優れている訳でもありません。

もみじ色に 思いを染めて イヤリング
  あなたのくれた なみだの露かも
          山吹唄伊

 これに対して、唄伊さんのは、完全な虚構に身を委ねて、
     「まるでもみじ色みたいなイヤリングは、
        あなたのくれたプレゼントだけれど……
       今では思い出ばかりに染められて、
          なみだの露のように思われます」
 離(か)れゆく頃の色彩と、露に見立てた涙の形とを、共にイヤリングのうちに込めたところに、なかなかの見どころがあるようです。ただ結句の、「なみだの露かも」というのは、古典を習ったために、かえってむかしの和歌の表現に、束縛されてしまったような印象も無きにしもあらず。
 ここでは、わずかなもので、詩情を台無しにするものではありませんが、この種の弊害は、初学に付きまとうのが宿命のようです。たとえば、

花すべて
  こぼしたあとの 青空の
 水は目高を 飼ひたさうなり
          馬場あき子 「ふゆがほの家」

     「花をすべてこぼした後の、青空の(ような)水」
 あまりにもコテコテの、「なり」などの古文には相応しくない、現代文の構文(こうぶん)です。それでいながら、最後だけ、取って付けたような古語が、まるで「たんこぶ」のように加わることによって、いかなる時代の日本人も決して使用しなかった、いびつな「日本語もどき」へと陥ってしまっている。
 生きた言葉の渦から、新しいものを生みなすのではなく、どこの社会からも遊離した、化石をちりばめたような捏造言語を、干からびた感性でもってこねまわすような傾向は、実際は作者が詩人として、きわめて稚拙な段階にあることを露呈しているに過ぎません。
 ただし、山吹さんのはただ、「なみだの露」という表現が、ちょっと自分のものとなっていないくらいのもので、現代文でも通用する表現ですから、「飼ひたさうなり」と比べるのは、ちょっとかわいそうかもしれませんね。失礼致しました。
 お詫びもかねて、
   今回の和歌は、
  まあよろしいとしておきましょうか。

 ちなみに「目高」の歌は、
    「こぼした後の水は、目高を飼いたそうです」
と詠めば、まだしもよかったものを、
    「青空の水は」
などという、たとえ「青空のような水は」と解釈を加えるにも、二句までの状況から乖離しているために、一度立ち止まらなければならないような着想を加えたために、そこだけ、詠み手が継ぎ接ぎを加えたような、こなれない表現へと陥ってしまいました。
 気づいてしまった着想をどうにか込めようとして、詠み手があくせくしている姿ばかりが広がるような、興ざめを引き起こしている点にも、初学の傾向が感じられますので、山吹さんは、そのあたりも反面教師としたらよいかと思われます。

 さて、山吹さんのを含めて、ここに紹介した「露」の和歌は、着想を分かりやすくまとめて嫌みがありませんが、もし、和歌の「心(こころ)」ということについて考えると、詠み手の深い情緒に、引き込まれてしまうほどの魅力があるとは言えないようです。こちらから寄り添ってみれば、なかなかに詩興も湧いてくるよ。そんな、ところでしょうか。
 『後撰集』の和歌の傾向は、この程度の和歌がきわめて多いことで、さらに『恋歌』以降になりますと、後世に残すほどでもない(とわたしには思われるような)和歌が目白押しです。そのあたりが、学者ふぜいがどう言い訳をつけても、『八代集』のなかではきわめて傷の多い、『後撰集』の魅力の乏しさではあるのですが……
 もちろん、心に訴えるような和歌も、
  ないわけではありません。

秋風に
  さそわれ渡る かりがねは
 雲ゐはるかに けふぞ聞こゆる
          よみ人知らず 後撰集355

秋風に
  さそわれるように渡る 雁の鳴き声は
 雲のはるか向こうから 今日こそ聞こえてきます

「渡り鳥である雁が、なにを基準にしてやってくるのかは分かりません。けれども、肌ざむい風が吹き抜け、秋の侘びしさを感じた今日こそまさに、雲のはるかかなたから、雁の鳴き声が聞こえてきたのです。その声はまるで、秋風に誘われているように、わたくしには思われてなりませんでした。」

 ようするに、詠み手が秋らしい感覚に囚われたその日に、雁たちもやってきたので、互いの思いが共鳴するような錯覚にとらわれた。そんな和歌になっています。先に紹介した「露ともみじ」の和歌が、ちょっとした着想をうまくまとめたくらいのものだったのに対して、
    「誘われるように渡る」
      「雲のはるか向こうから今日こそ」
といった表現が、捉えた瞬間のイメージ、すなわち臨場感を高め、その情景のなかで詠まれたような印象が、私たち、聞き手の心にまで湧いてくるならば、技巧をこらしたものでは無いとはいえ、この和歌は秀歌であると言えるでしょう。

[朗読5]

 もちろん、この和歌以外にも、見どころは沢山あります。(ただし見る必要のないところも同じくらいあって、全体の密度が薄いということですが……)たとえば、ちょっとした言葉のリズムとたわむれた和歌などは、先ほどの「遅く、疾く」にも見られましたが、他にも、

山風の
  吹きのまに/\ もみぢ葉は
    このもかのもに 散りぬべらなり
          よみ人知らず 後撰集406

「このもかのも」というのは、「こちら面(おもて)あちら面(おもて)」くらいの意味で、つまりは「こちら側、あちら側」くらいの表現ですが、この和歌の面白さは、「吹きのまにまに」という二字の繰り返しの後に、「このも かのも」という三字の繰り返しを加えつつ、ちょっとしたリズム遊びと、たわむれたことに終始するようです。
  それさえなければただ、
    「山風の吹いている間に、
       もみじ葉はあちこちに散るようだ」
という、あたりきの着想を、落書きしたものになってしまいますが、リズムの面白さがあるものだから、着想がユニークなものとして生きてくるのです。そこに詩興が籠もります。
 この種の遊びですら、紀貫之の手に掛かると、
  もっと生き生きとしてきますから、
   それを眺めてみましょうか。

あしびきの
  山のやまもり もる山も
    もみぢせさする 秋は来にけり
          紀貫之 後撰集384

 「山守(やまもり)」
というのは、牛丼の大盛りのことではありません。それは山を守る者の意味ですが、猟師や木こりが勝手に守るようなものではなく、むしろ国家公務員が、聖なる山を守るような、朝廷の役人のイメージが強い言葉だったようです。それが資源のためか、あるいは墓所でもあるのかは知れませんが、ともかく、

 あしびきのと讃えられるような、山を守っている山守の、守っている山ならば、人の進入さえ拒否するものなのに、さすがに山を紅葉させる、秋の到来だけは、阻止することが出来なかったよ。

 それで秋が来てしまいました、と詠んでいるのです。
  現代語の意味を聞かされると、
   過剰な説明を述べたようにも聞こえますが、実際は、
     「やまのやまもり もるやまも」
と「やま」を三回繰り返すうちに、「もり」「もる」という類似表現の連続。あるいは別の味方をすれば、「や」「ま」「も」がそれぞれ三回くり返されるような、際だった言葉のリズム遊びの傾向が、和歌の意味よりもはるかに優位に、わたしたちの愉快をくすぐるものですから、この和歌はおもしろく聞かれるのです。

 さらにここでは、例の枕詞(まくらことば)が生きています。つまりは、「あしびきの」とわざわざ言祝(ことほ)ぐべき山を、守っているほどの山守であると、上の句では、山守のちからを讃えるように思わせながら、下の句では、
     「そんな山守になどお構いなく、
        葉を色づかせる秋は来ました」
と今度は、「あしびきの山」であるから、山の勢力が強くて、山守などに紅葉を阻止することなど出来ないよ。と本来の山に掛かるイメージに「あしびきの」を返している。そんなきめ細かい洒落が、冒頭の「あしびきの」にはあるようです。

 ただし、先ほど述べましたように、この和歌の圧倒的な魅力は、言葉のリズムの愉快さにあり、それを感じたいのであれば、あなたもこれを、早口言葉の一種だと思って、連続三回、つっかえずに言い切ってみてくださればよいかと思います。そのうちなんだか、躍起(やっき)になって、とうとううまく言えた瞬間の心地よさ。それこそ、この和歌の最大の魅力です。

 ところで紀貫之の和歌は、『後撰集』においても輝いていますから、もう二つほど紹介しながら、冬へと移ることにいたしましょう。ちょっと理知的な説明的傾向のうちに、リリシズムを込めるような彼の特質が、お分かりいただけるかもしれません。

竜田川(たつたがは)
   秋にしなれば 山近み
 ながるゝ水も もみぢしにけり
          紀貫之 後撰集414

竜田川
  秋ともなれば 山に近いので
    ながれる水さえ もみじしています

「近み」というのは、「近いので」という表現です。「竜田川」は紅葉の名所としても、しばしば和歌に詠まれる歌枕(うたまくら)ですが、手抜きがてらに、ウィキペディアからの部分引用でもしておきましょうか。

「奈良県生駒市の生駒山(いこまやま、標高642m)東麓を源として南流、流域に生駒谷、平群谷(へぐりだに)を形成している。生駒郡斑鳩町(いかるがちょう)で大和川に合流する。」

 木々が水面(みなも)に映し出されて、水底(みなそこ)に紅葉しているように見えたのか。それとも散らされた紅葉が流れゆくのを、川さえ色づいたと詠んだのか。あるいはその両方か。
 皆さまの想像にお任せしようと思います。

ひぐらしの
   こゑもいとなく 聞こゆるは
 秋ゆふぐれに なればなりけり
          紀貫之 後撰集420

ひぐらしの
   声も絶え間なく 聞こえて来るのは
  秋の夕ぐれに なったからです

「いとなく」というのは、「暇(いとま)無し」のことで、つまりは蜩(ひぐらし)が、「休み無く、絶え間なく」鳴いていることを表しています。これもちょっと詠むと、当たり前の事を、説明過剰に述べているように思われますが、かならずしもそうではありません。

  まず上の句では「声もいとなく」の表現が大切です。
 ひぐらしの一斉に鳴く声というのは、ちょっとセイレーンの唄みたいな、異界の笛の音みたいな、不思議な空間に包まれたような、心に突き刺さるような響きをするものです。そのひぐらしの声がしきりに響いてくるのは、秋の夕ぐれになったからだなあ。とこれだけなら、その場に起こるべき認識を、当たり前に記したに過ぎません。

 しかし下の句の「秋ゆふぐれに」という表現には、おのずから「秋が次第に暮れてゆく」つまり「秋が深まってゆく」というイメージが重ね合わされます。さらに「いとなく」という表現から、ただしきりに鳴いているばかりでなく、休むこともなく、必死に鳴いているような印象が生まれてきますから、それがひぐらしのサイレンみたいな響きと結びついて、

ひぐらしが不思議な響きで、
  必死に歎くような声を上げているのは、
    次第に秋が暮れてゆくのに、
   怯えてでも、いるのでしょうか。
      もうすぐ、いのちの尽きることを感じながら……

そんなニュアンスが生まれて来るのです。もちろんこれを、
    「枯れゆくいのちに怯えるみたいに、
        ひぐらしが秋の夕暮に、
       必死に鳴いています」
などと説明されたら、なんだか、詠み手の着想自慢でも聞かされているみたいで、興ざめするにも程がありますが、逆に、
    「ひぐらしがしきりに鳴いている、秋の夕ぐれ」
という情景を、ありのままに記したような裏側に込めるから、聞き手がその裏側に気づいた時、推し量ったものが余韻のようにして、後味となって残るのです。それでいながら表側はどこまでも、現実を写し取っただけのように詠まれているものですから、つまりは、当たり前のことを説明しただけのような、明晰な和歌であるのにも関わらず、そっと余情(よじょう)というものが、どこかに込められているような……
 それだからこそ紀貫之なのです。
  といったら、ちょっと誉めすぎでしょうか?

 ところで、この貫之の理知的な傾向は、きわめてストレートな表現をもくろむ場合があり、かえって現代的な感性に馴染むような和歌さえ見られます。例えば、「春歌下」の次の和歌などは、

ひさしかれ
   あだに散るなと さくら花
 瓶(かめ)に差せれど うつろひにけり
          紀貫之 拾遺集82

ひさしくあれ
   むなしく散るなと さくらの花を
  瓶に差したのに 散ってしまいました

 なるほど「うつろひにけり」は婉曲表現かも知れませんが、
  ちょっと残酷なくらいのぶっきらぼうさがこもります。
   正岡子規のものに、

瓶にさす
  藤の花ぶさ みじかければ
    たゝみの上に とゞかざりけり
          正岡子規(まさおかしき) 「墨汁一滴」より

というものがありますが、「藤の花が畳に届かなかった」とぶっきらぼうに閉ざしたために、藤の花ぶさが本当は切られず、ゆたかに咲き誇りたかったものなのか、あるいはもとの木に咲き誇る姿を、詠み手が眺めたかったのか、なんだか掴みきれないけれど、かすかな憐れみのようなものが、無愛想な短歌の底に、かすかな余韻として残されてしまうような……
 そんな効果と、ちょっと似たところがあるでしょうか。

[ちなみに、この二つの和歌を比べてみると、正岡子規という人の、言葉には心情を込めずに、事実をありのままに記しているように見えながら、その影に、深い心情を宿しているような、たぐいまれなる特殊性が、見えてくるかも知れませんね。]

冬歌 巻第八

 ようやく冬の歌です。まさか『後撰集』でこれほど膨大なコンテンツが生まれるとは、開始するまでは思いもしませんでした。冬の和歌ではまた、山吹唄伊さんに登場して貰いながら、『後撰集』の前半を閉ざそうかと思います。はたして唄伊さんの上達はいかほどでしょうか。
 けれども、最初の相手は……
  ……どうやら、八歳の女の子のようであります。
   ともかく着想を呈示しましょう。

「陰暦十月、つまり神無月(かみなづき)、
    しぐれの降る夕ぐれ……
   親の帰ってくるのを、待ちわびて詠んだ和歌」

 さて、『後撰集』には、幼い子供のものさえ収めているあたり、『八代集』のふところの深さを感じますが、まずは山吹唄伊さんの方から、詠んで貰うことに致しましょう。

神無月
  しぐれにくれる 夕ぐれに
 母さんの影を 待ちわびるかも

 とりあえず、着想をそのまま記してから、プロポーションを整えるつもりのようです。もちろん現代に生きる唄伊さんが、自らの思いを記すものですから、今さら「神無月」などは使いたくはありません。さっそく詠みなすには、

十月の
  雨は降ります ながながと
    あなたを待てば
  宵の傘して

 どうも驚きました。
  山吹さんも日に日に成長しているようです。
 初めの頃のつたない落書きとは、ずいぶん内容が異なっています。一方では「ながながと」した雨に「長く待ちわびる」思いを込めるような和歌の伝統もふまえ、さらには、
     「宵の傘を差しながら、
        あなたを待っていれば……」
という現代文の素直な表現を、倒置法を交えながら、
     「あなたを待てば……
        宵の傘をして……」
と二重の余白みたいに余韻を残す方針は、なかなか取るべきものがあるようです。一方、本来は長雨というよりは、にわか雨を意味する「しぐれ」ですが、その表現をばっさりと切り捨てて、「十月の雨」に委ねた点も、お題からは少し逸れますが、思いに寄り添ったような表現になっています。ただ、ちょっと引っかかるのはやはり「ながながと」のような、かつての和歌を意識しすぎたような表現で、あるいは現代語であるならば、

十月の
  雨は降ります いつまでも
    あなたを待てば
  宵の傘して

と、自然な語り口調へ移してしまった方が、詩情にまさるかも知れません。過去の表現の安易な借用は、かえってセンテンスの統一性に、マイナスに作用する場合が多いからです。もちろんそれを乗り越えた表現も可能ではありますが、それには過去の遺産が、完全に自らの言葉として、消化されている必要があるでしょう。
 山吹さんはとりあえず、自分の使っている言葉から、和歌に精通していったらよいと思います。そのうち、過去の表現もまた、自然に取り込まれてゆくには違いありません。

 それにしても、あちらで山吹さんが、首をひねってわたしを恨めしそうに眺めますので、もうちょっとだけ言葉について、説明をすることにいたしましょう。すべて分からなくても結構ですから、まあ参考くらいに聞いているがよい。もとより、わたしの述べることが、絶対ということでもないのですから……

 おおよそ社会という、広範な砂に馴らされていない言葉というものは、詩情とは対極に存在する、「言葉の泥遊び」のようなものに過ぎません。わたしたちが流行歌の歌詞を聴いているとき、その表現がどれほどユニークであっても、ちょっと乱れた言葉を使用しても、それほど不自然に感じないのは、まさに現代語の感覚の中で、社会一般の人に認められるように書かれた、歌われるための詩であるからに他なりません。現在の語り言葉そのものが、その正当性を保証しているのであって、字引や文法がそれを保証しているわけではないのです。
 反対に、そこから外れた謎サークルに引きこもって、いつの時代ともつかないような言語を、個別勝手にこね回しても、どろどろした異物が捏造されるばかりです。そのなかでも、もっともいびつなものは、現代文とも、古文ともつかない、つまりは日本語ですらない、己言語(おのれげんご)の新設で、しかもその謎表現ですら、その場限り、個別勝手で、言語としての統一性がないものだから、どこまでいってもこなれた表現にはいたらないという不始末です。例えば次の短歌を眺めて見ましょう。

鍵穴に
  鍵を充たしめ やはらかく
    夜の指うごく だれも見てゐぬ
          小島ゆかり 『希望』

鍵穴に 鍵を充(み)たして
   やわらかく 夜の指は動くよ
  誰も見ていない

 「鍵穴に鍵を充たす」という表現からして、ありきたりの日常感覚に基づいて詩情を込めるという精神からは、想像も付かないような、嫌らしい表現です。ためしに自らが鍵を開けるときか、誰かが鍵を開けるときにささやいた言葉として浮かべてみてください。
    「鍵穴に鍵を充たしてドアを開けました」
いったいどのようなシチュエーションで、このような表現が詩情を駆り立てるというのでしょうか。しいて言うならば、恋人同士のたわむれで、
    「鍵穴に鍵を充たしてドアを開けちゃった」
とわざと変な表現を試みて、二人で笑いあうような状況でしょうか。(ただしそれだと、謎の古語もどきが、かえって詩情を破綻させますが……)ちょっとでも真面目な精神で言われようものなら、
    「なんでそんなそぐわない表現を、
      わざとらしくするのだろう」
と興ざめを引き起こしそうな言葉です。より正確に言うならば、厚化粧が過ぎて、着飾った表現を求めるうちに、おめかしした感性をひけらかしたい欲求ばかりが満ちあふれ、
    「着想を生みなしてしまったわたくし」
として鍵穴に充満するような、そんな嫌みにあふれているようです。
    「やわらかく夜の指がうごく」
という表現も、恋人同士のシチュエーションならともかく、自分が鍵を開ける動作(「だれも見てゐぬ」)としては、鍵を開ける瞬間の当たり前の感覚を逸脱していて、つまりはわたくしのきわだった表現を追い求める余りに、生みなされたような気配が濃厚です。
 ようするに、わたしたちの日常感覚に寄り添った表現ではないのです。かといって、それを乗り越えようとした表現でもありません。ただ表現をもてあそびたいような欲求、それをひけらかしたくてしかたがないような印象が濃厚ですが、それはさておき……

 このようなこってりとした、
  圧倒的な現代文の落書きを、
   よりによって、
  「充しめ」「見てゐぬ」
などと、部分部分に古語を加えているために、この落書きはもはや、一つのまとまった日本語として通用しなくなっているのです。まるでダンボールの張りぼてのような感覚ですが、詩情の欠けらもなく、ただ言葉をもてあそんだような、品性の欠けらもない会話を聞かされる時の不愉快ばかりが、聞き手に伝わってくる。あるいはそれこそが、この短歌の目的なのかもしれませんが……

 わたしはやはり、詩は心を穢すためにあるとは信じたくはありません。心地よい共鳴作用が起こり、愉快な共感が得られるからこそ、詩には価値があるものと信じます。不快感を与えるのが目的ならば、そもそも詩にする必要すらないのではないでしょうか。

 そのような訳で、唄伊さんは、日常的な表現のうちから、自由に詩を生みなせるようになることを、まずは目標にして欲しいと思います。同時に、それさえろくに出来ないうちから、現在は使用していない旧仮名遣いを使用してみたり、現代文の並びのままで、古語にもなっていない「なり」や「けり」を差し込んで、言葉を破壊するような、『言語破壊活動』とは、関わらないことを望むばかり……

 もっとも普通の感性さえ持っていれば、そのような遊びを、したいとすら思わないでしょうから、あなたにそのような心配は、いらないものかもしれませんが。まあ参考のためにお話ししました。
 あなたの健全な発達を願いながら……

P.S.
 もちろん古語や、歴史的仮名遣いが悪いということはありません。例えば、
     我が友は クリームコロッケ 揚げており
        なんてったって 新婚家庭
             俵万智(たわらまち)
などは、「我が友は」「揚げており」と古めかしい表現をすることによって、クリームコロッケに奮闘する友だちを、優しくからかったような印象を与えることに成功しています。そもそも『八代集』の時代にも、万葉集の古い表現を織り込んだような和歌が、しばしば詠まれているくらいですから。ただ、自らが語ったり、すらすらと記したり出来ないような表現をもてあそぶと、惨めな失策におちいることだけは、付け加えて起きましょうか。

 閑話休題。
  便利な言葉です。
 すっかり話が逸れましたが、ようやくあなたの和歌に対する、『後撰集』の八歳の女の子の和歌を眺めて見ましょう。

        「親の、他にまかりて、
       遅く帰りければ、使はしける」
かみなづき
   しぐれ降るにも 暮るゝ日を
  君待つほどは ながしとぞおもふ
          人の娘の八つなりける 後撰集461

神無月
  時雨が降るなかに 暮れてゆく日だけど
 あなたを待つあいだは ながいと思うよ

 なるほど、時雨も降って日も短くなったはずなのに、あなたを待っているあいだは長く感じられるという表現には、八歳とは思えないキレがあるようです。「しぐれ降るにも」という二句目の言葉にも、こだわりが感じられます。しぐれは通り雨のように、パラパラと降っては止んでしまう。その短い間にも、もう神無月の夕暮は早くも暮れてゆく。上の句で「短い時間」の印象を刻んだ上で、下の句の、
    「あなたを待つあいだは、
       それさえ長く感じられます」
という取りまとめですから、待ちわびる思いが、強く印象づけられるという仕掛けになっていて、早くも和歌の本質を捉えているような気配がします。けれども同時に、下の句の取りまとめは、つたなくもそのままに過ぎて、子供の和歌ですから当然ではありますが、稚拙なところが表れてもいるようです。さすがに今回は、和歌としては山吹さんの方が上等かもしれません。

 けれども、子どもの率直な表現というのは、ありのままの魅力を感じさせることがあり、それは「よみ人知らず」の和歌の素朴さが、素朴のうちにも洗練されているのとは違い、感情と直結したような拙さが、あふれる想いとなって、伝わってくるような魅力なので、その語りが拙いほどに、つい取り上げたくなることがあるものです。
 おそらくこの和歌が『後撰集』に織り込まれた理由も、政治的な配慮などよりも、純粋に撰者たちの感性にふれたからだと、今はそう考えておくことにしましょうか……

 さて、山吹さんの成長も見られました。
   おさな子の和歌も眺められましたから、
  前半はこれでめでたし、めでたしといたしましょう。
 最後に「よみ人知らず」の、質朴(しつぼく)な魅力をお送りしながら、『後撰集』を折り返すことにいたします。それでは山吹唄伊さん、これでお別れになりますが、さらなる精進を期待しています。さよなら。

松の葉に
   かゝれる雪の それをこそ
 冬の花とは 言ふべかりけれ
          よみ人知らず 後撰集492

松の葉に
  降りかかっている雪の その様子をこそ
   (まるでさくらが春の花であるのに対するように)
  冬の花とこそ 言いたくなるように思われます

           (をはり)

2014/06/22
2014/09/01改訂
2015/02/28再改訂+朗読

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