八代集その十三 古今和歌集 前編

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はじめての八代集その十三 古今和歌集 前編

  さて、いよいよ、振り出しに戻りましょう。
 初めの三つの勅撰和歌集を『三代集(さんだいしゅう)』と呼んで区別する事は、十二世紀頃に起こってきたようですが、この三勅撰集とそれから『万葉集』は、いつしか、歌人たちから特別なものとして捉えられるようになりました。
 ちなみに、『三代集』とは醍醐天皇・村上天皇・花山天皇(上皇)の三代にあまれた勅撰和歌集であることを意味します。これらの集のうちで、なかでもあらゆる歌人から、聖書のようにあがめられた集こそ、『新古今和歌集』の名称の母体となった初の勅撰集、すなはち『古今和歌集(こきんわかしゅう)』に他なりません。

 わたしたちはこれから、
  その和歌を眺めてゆくわけですが……
 なぜこれほど『古今和歌集』を後に回したかと言いますと、前にも述べましたが、これまで眺めてきた和歌のようには、今日の詩のように、さらりと捉えにくい傾向があるからです。
 もっとも、その味わいを一度覚えてしまえば、魅力も湧いてくるのですが、初めのうちは、まるで頓智や屁理屈を聞かされているような気分にさせられたり、本当に詩情があるのだろうか、疑問を抱くような和歌も多く、あるいは足を踏み入れることすら、止めてしまわないかと心配したからです。

 ともかくわたしたちは、これまで『八代集』の和歌に接してきた訳ですし、いくつかの技法も覚えたものですから、そろそろ『古今和歌集』の和歌に触れてみるのも、悪くはありません。
 もちろん、分かりやすいものを選んで紹介していきますが、今までとはちょっと違うな、そんな印象を持たれるかもしれません。それこそ、この『古今和歌集』の特徴であり、実は存在意義でもある訳ですが……
 ともかく、足を踏み込んでみましょうか。

 どうでもよいことですが、
     「コキンと 五千の 秀逸ノック」
      (古今集  後撰集 拾遺集)
という野球の五千本ノックに見立てた謎の「三代集」暗記術を教え込まれたのも、今となっては悲しい思い出です。もう少し、品のある暗記法には出来なかったものでしょうか……

春歌上 巻第一

    「春のはじめの歌」
春きぬと 人はいへども
   うぐひすの なかぬかぎりは
  あらじとぞおもふ
          壬生忠岑(みぶのただみね) 古今集11

春が来たと みんな言うけれど
   うぐいすの声を 聞かない限りは
  わたしは 春なんてないと思っている

 和歌の前に 「 」 で記したのは、もちろん詞書(ことばがき)の部分ですが、これからは、時折はつけてみようかと思います。

  さて、すでにつまずいた方もいるでしょうか。
 うぐいすの声こそが、春の到来を告げるのは良いにしても、「みんなは春と言うけれど、わたしはうぐいすの声が来ないうちは、春とは思わない」なんて、くどくどしく説明を加えるべきことだろうか。「うぐいすの声もしません。春はまだかな」くらいで十分ではないか。そんな疑問は、特にはじめのうちは、よく湧いて来るものです。
 『古今和歌集』の和歌には、ちょっと立ち止まって、解釈が必要な場合が多いのです。もちろん、理知的な和歌にも優れたものと、ただの屁理屈に過ぎないものとがあり、優れたものには詩情がこもるものですが、馴れないうちは、詠み手と心情を共有することが、ちょっと出来にくいのも事実です。
 ともかく、この和歌の解説をすすめてみましょうか。

 「春の初め」とわざわざ詞書に断っているのは、これは「暦の上で春へと変わった」という事を意味しています。今日でもカレンダーが三月になると、寒くてやりきれないのに、みんな「春が来た」とか「春なのに寒い」とか、たちまちカレンダーに合せてものを考え、会話を繰り広げてしまう。そういう癖がついてしまっている。そう、本当の春はなんであるか、考えることすらなく……

 それを指して、
   「春が来たと、みんなは言うけれど」
と述べているのです。つまり本当の春とは、暖かさの到来であり、草花の芽生えであり、春を告げる鳥たちの訪れにこそあって、便宜上の暦によるものではないのではないか。私たちがカレンダーをめくる前から、四季はあった。つまりは、人々のそう感じる気候こそが、「春」や「夏」の実体なのであって、暦が四季を生み出している訳ではないのに……

 そのような思いが詠み手にはあって、それで、
    「うぐいすの鳴かない限りは、
       わたしは春だとは思いません」
そう宣言しているわけです。
 ここまで解釈をすすめてから、なんども唱えてみると、
    「暦という理屈をではなく、
       わたしは情緒をこそ大切にするのだ」
という詠み手の思いが、
 少しずつ、伝わってくるのではないでしょうか。
  すなわちそれが、この和歌の詩情です。

もゝちどり
   さへづる春は ものごとに
 あらたまれども われぞ古(ふ)りゆく
          よみ人知らず 古今集28

さまざまな鳥たちの
   さえずりわたる春は あらゆるものが
  新しくなるけれど……
     わたしだけは古びてゆくようです

 『万葉集』のなかに、
    「冬が終わり春が来れば、
      年は新たになるが、人は古くなる」
という内容の格言的な和歌[万葉集巻十 1884番]がありますが、それを個人的な歎息(たんそく)へ改めたような印象です。
    「ものごとに改まれども」
というのはちょっと理屈っぽい気もしますが、むしろ「暦などが初めからくり返すのに」、という人間社会的なニュアンスを強くして、「自然界だけでなく、人々の営みも改まるように思われるのだけれど」、として捉えてみたらよいかと思います。ああ、それなのに、それなのに……
「わたしばかりはその度に、年老いて行くばかり」
  そう詠んでいる訳です。
 実際は誰もがひとしく歳をかさねるものですが、それが自分ひとりばかり衰えてゆくように感じるくらい、歳をかさねた人の和歌として、真実味がこもっています。「ももちどり」というのを、世のなかの人々の見立てであると解釈してみたら、老いの侘びしさがちょっと伝わるかもしれません。

    「月夜に梅の花を折りて、
      と人のいひければ、『折る』とて詠める」
月夜には
   それとも見えず うめの花
  香をたづねてぞ 知るべかりける
          凡河内躬恒(おうしこうちのみつね) 古今集40

      「月明かりのまばゆい夜、
        梅の花を折ってわたしにくださいませんか、
       とある人が手紙をよこすので、
      『折る』といって詠む」

月明かりであたりはまるで銀世界、
  きらきらしていて白梅の花なんて、
    見分けがつきません。
  ただかおりが漂ってくるので、
    そのあたりにあることが分かったのです。

 月明かりのために、白梅が見えないなんて、なんて安っぽい嘘をつくのだろう。あなたは糾弾なさるでしょうか。たしかに空想的な印象ですが、けれども……
 あるいはそれはあなたの、
  経験不足に由来するものなのかもしれません。

 照らすべき照明もない自然のなかで、満ちた月のひかりが差し込めるような夜に、あたりの景観を眺めたとき、地上の色彩というものが、どれほどかき消されてしまうか。それを頭ではなく、実体験として捉えたことがなければ、なるほどこの和歌は、虚偽のようにしか聞こえてこないかもしれません。
 けれど皆さまも、せめて、満月の煌々(こうこう)と輝く深夜にでも、静まりかえった街並みを見おろしていただけたら、そのくらいの体験でもう、この和歌の持つニュアンスの、ひとかけらくらいは、感じ取ることが出来るかと思います。

 あれほどバラエティーに富んでいたはずの、家々の屋根はすっかり色彩を失って、まるですべてが白銀のようにきらきらと、月のひかりに照らされている。すべての輪郭は明らかで、しかもそれは黒いシルエットなどではないのだけれど、その色彩ばかりはどうしても、見分けることが出来ないのでした。

 そのような経験が、わたしたちよりもずっと、
   身近に感じられた頃の和歌であると考えてみてください。

 この和歌も、梅の木がどこにあるのか、分からないのではありません。梅の木は月に照らされて、あまりにもハッキリと見えるのですが、どうしたことでしょうか、あれほど美しく咲いていたはずの白梅が、どんなに目をこらしても浮かんでこないのです。ただ、梅の木の輪郭だけが、どこまでいってもあきらかで、昼には咲き誇っていたはずの花の色彩が、きつねに化かされたみたいに、コンと消えてなくなってしまっている。ただかおりがしてくるので、そこに梅の花が咲いているのだと知れるばかりだ。そう詠んでいるのです。

 実はわたしも月夜を歩いていて、梅の香りがしてくるのに驚いて、どれほど目をこらしても花は分からなくって、外灯の近くまで行って、しばらく木の枝を眺めていたら、目の前まで近づいてようやく、咲いている梅を発見したことがあるくらいです。ですから、もし、当時の和歌が嘘っぽく思われることがあったとしても、あるいはそれはわたしたちの、経験不足には過ぎないものかも知れません……

 けれども、ちょっとした虚偽もあります。
    「香りをたずねて、
       ようやく折ることが出来ました」
というのは、庭の梅の場所など明確なものですから、ちょっとしたデフォルメには違いありません。実はこの虚構の部分にこそ、詠み手の思いが込められているのです。つまり、

 この和歌は、おそらくは折り取った梅に添えられて、相手に送られたものと思われます。ところで、さくらと違って梅の花は、眺めもすばらしいものですが、なによりも「かおり」を楽しむ花として、春の風物詩となっているようです。そうであるならば、相手が梅の花を欲したのも、盛りを眺めるよりもまず、その香りを楽しみたかったのではないか。

 それを推し量ったからこそ、詠み手はわざわざ、
    「この梅は、かおりをたよりに折った梅ですよ」
と贈ることにより、「このすばらしいかおりを楽しんでください」というニュアンスを、贈答歌(ぞうとうか)に込めたかったのではないか。つまりこの和歌は、相手への「かおりのプレゼント」に添えられたもの、として捉えると、たちまち共鳴を覚えるような、詩情が広がってくるのではないでしょうか。

見る人も
   なきやまざとの さくら花
 ほかの散りなむ のちぞ咲かまし
          伊勢 古今集68

見る人さえいないような
    山里に遅れて咲いているさくらの花よ
  他の花がすべて散り終えるまで待って
      その後で咲いたならよかったのに……

 結句の「まし」は、
  事実と異なることを希望して、
   [校訂者注:これを反実仮想・はんじつかそう)という]
    「もしそうであったらなあ」
といった表現になりますから、ここでは、
    「後になってから咲いたら良かったのになあ」
という内容になります。

 それでは、事実はどうであったかといえば、他の花の盛りに合せるように咲いてしまって、なおさら誰にも眺められなかったという、日陰者の山桜になってしまった……
 もちろん山里の桜が、人に見られたいなどとは思いませんから、この和歌には、わすれざくらに共感を覚える、わたくしの心情が込められているということになります。つまりこの和歌には、

 わたしのほかに見る人もないような山桜よ
   もしほかの花のさかりが過ぎてから咲いたなら
     ここに眺めに来る人もいたかもしれない。
   そうすればお前も、皆に認めてもらえたし、
     わたしも、ひとりぼっちでなくて済んだのだけれど……

 そんな、詠み手の人恋しさが、
   静かににじみでて来るようです。

春歌下 巻第二

[朗読2]

春がすみ
   たなびく山の さくら花
 うつろはんとや 色かはりゆく
          よみ人知らず 古今集69

春がすみの
   たなびく山には さくらの花が
 まるでつかの間のさかりを過ぎて
   その姿を変えようとしているかのように
       かすみの濃淡のたなびくのにまかせて
     色を変えていくように思われます

 大切なのは四句目の「うつろはんとや」の読み取り方です。
「うつろう」は移り変わることですから、桜の花が次の状態へと変化したということです。ここでは咲いている桜を詠んでいるのですから、それは「散りゆく」ことに他なりません。それを上の句の「春がすみ」と掛け合わせて、まるで深く立ちこめた霞が、風にたなびいては途切れがちになるような、色彩の不統一として色あせてしまうような、そんな印象が詠み込まれているわけです。

[ワンポイントコラム]
 実際のところ、一斉に花開き、花の散った後に若葉に染まりゆくソメイヨシノとは異なり、吉野山などのヤマザクラの品種は、赤い葉と共に花を咲かせ、次第にその葉が優位になりながら花は散りゆき、さらにはその葉が緑色に変わってゆくというものですから、色彩の変化に対する印象も、ソメイヨシノとは少しく異なります。けれども皆さまは、とりあえず身近な桜の印象で読み取っても、差し支えないかと思います。

 もしこの程度で過ぎ去ってしまえば、「移ろう」ものである「花」と「霞」を取り合わせたものなのか、散る花をかすみと見たてたものなのか、あるいは霞が花を移ろわせるように思えたのか、いずれにせよ、ちょっと幻想的なイメージを描いたような印象で、それはそれで詩興はこもるものですが、はたしていかがでしょうか?

  大切なのは、
   四句目の「うつろはんとや」の読み取り方です。
  しかも「うつろう」の方ではありません。「とや」の方です。
 この言葉は疑問を表わしています。つまり「うつろおうとしてだろうか」と、詠み手の疑問を呈示している訳です。この和歌を、空想的な絵画くらいに眺め過ごしてしまえば、気にもとめないかもしれませんが、もしこれを、現実の風景を前に詠んだものとして、改めて考察をしてみると、ちょっと不可思議な気分にさせられます。

 つまり、もし実際に桜を眺めていたとすれば、
     「移り変わろうとしてだろうか、
       色が変わってゆきます」
などと、散るのを詠むのは不自然ではないか。結句で明確に、
     「色が変わってゆきます」
とまとめている以上、移り変わろうとしている事は明白で、
     「散った状態へと移行するためだろうか、
       花が散って色が変わってゆきます」
 つまり必要のないことを、四句目はくどくどしくも説明していることになってしまいます。それだけではありません。詠み手が眺めている間に、色が変わって見えるほど、桜の花というものは、かすみに合わせて色を変えてゆくものでもありませんから、「色が変わってゆく」というまとめからして、心象スケッチみたいな、見立てに過ぎないような印象です。

 なるほどこの和歌は、実景を詠むよりも、空想のなかに描かれた風景画に、美意識を抱いて作られた、つまりは屏風絵などに添えられるのに相応しいものとして、人工的に作られたものに過ぎないのか。それならそれで、心に響くものではあるし、詩興もこもるのだから、現実の歌としては不自然だとしても、気にするものでもないな……

 残念でした。
  それは、あなたの読みとり方が甘すぎるのです。
   詠み手の真意を、和歌そのものから取ろうせず、
  中途半端に投げ出したような結論です。

   先ほどもう、
    答えは出ていたのです。
   あなたは先ほど、

    「移り変わろうとしてだろうか、
      色が変わってゆきます」
などと、散るのを詠むのは不自然ではないか。結句で明確に、
    「色が変わってゆきます」
とまとめているのだから。

 そう考えて、途中までは実景を詠んだものとして、詠み手に感情移入を試みて、それを読み解こうとしていました。そうであるならば、そのまま続ければよかったのです。

 もうおわかりでしょう。
  結論はきわめて簡単です。
 この和歌は「花の散る頃」を詠んだものではないのです。
そうではなくて、実際にはまだ花の散る直前、つまりは咲き誇っている桜を眺めながら、、
    「この花も間もなく、
       うつろってしまうのだろうか」
 そんな惜別(せきべつ)[別れを惜しむこと]を胸に詠まれた和歌なのです。あらためて、上の句から眺めましょう。たちまち春霞に生命力が宿り、臨場感を持ってたなびいてきます。

    「もう花も散るのだろうか」
 そんな名残惜しさに山を眺めていると、そこには春がすみがたなびいています。霞が風にうつろうと、まるで桜の色合いが、霞の濃淡に色彩を変えていくように感じられ、それがまるで、花のさかりがうつろうように思われたものですから、
    「移り変わろうとしてだろうか」
それで、色が変わってゆくのだろうかと、さくら花に対して疑問を呈している訳です。一方で、霞のたなびくのに合わせて、実際の色彩は変化していますから、すなわち、
    「色が変わってゆきます」
とまとめられているのです。

 なんの事はありません。
    「詠まれた言葉の内容が正確である」
つまり、現実であるというところから、階段をのぼってゆきさえすれば、すべてのイメージがしっくり来るような、詠み手の思いへと、たどり着くことが出来るのです。
    「空想に任せた屏風絵のための和歌に過ぎない」
なんてほざいて過ぎ去るより、どれほど豊かな情景が、散りゆく花の名残をすら込めて、心に広がってくることでしょうか。それだからこそこの和歌は、「春歌下」の初めに置かれているくらいです。

 次の和歌は、これほどデリカシーは持っていません。
  もっと単純明解ですが、そこにもまた、魅力はこもるものです。

    「雲林院にて、
      さくらの花の散りけるを見てよめる」
さくら散る
    花のところは 春ながら
  雪ぞふりつゝ 消えがてにする
          承均法師(そうく/ぞうくほうし) 古今集75

さくらの散っている
    花のところばかりは 春であるのに
  まるで雪が降りつのって
      消えられないでいるようです

「がてに」というのは、
 「~しにくくて」「~出来ないで」
といった意味なので、下の句は
    「雪が降りつのって、
       消えることが出来ないでいるよ」
という意味になります。この和歌はまず、
 二句と三句を消してみると、構図が分かりやすいでしょう。

さくらが散ります。
  まるで雪こそしきりに降りながら、
    地に落ちてもすぐにとけないで、薄く積もるみたいです。

 これによって、しきりに降りつのる花びらと、それが大地に淡く積もるさまを表現しているのです。もちろんこれだけでは、『古今集』に取り上げるほどの価値もありませんが、
    「花のところは 春ながら」
と織り込まれることにより、ありがちの表現に、豊かな表情が加えられることになりました。それは一つには、
    「花だけは春のようでありながら、
       まるでなごり雪が降って、
      それが解けずにいるような寒さです」
 まるで戻り寒さの気候変化が、詠み手の肌感覚として伝わってくるということですが、さらに大切なことは、首をあげて眺めれば、桜は咲き誇っていて、
    「ああ春なのだなあ」
と実感できるのに、一方では、雪に見たてた花は、はら/\はら/\散りながら、はかなくも地表に積もってゆくばかり。花のさかりを過ぎて、次のシーズンへと移り変わってしまうような気配がします。つまりは、
    「花のところは 春ながら」
というひと言によって、この和歌の見立ての中心は、
     「春と冬」「桜と雪」
というありきたりの対比を逃れて、もう少し繊細な、
     「咲き誇る花と、
        散りゆく花の対比」
へと移ることになるのです。

 そこに、もどり寒さの実感が加えられ、つまりは着想や理屈よりも、詠み手の心情とその場の臨場感こそが、クローズアップされているからこそ、いっけん安っぽい比喩に身を委ねたような和歌ではあるものの、なかなかに、侮りがたい和歌になっているのです。

[時間軸で述べれば、咲く前の過去である冬が雪によって、さくら満開の春が「花のところは」に込められて、同時にはらはらと降る花びらには、次のシーズンへと向かう、未来がゆだねられているという訳です。]

 さて次第に長い春になってきました。
  次の和歌は、まず現代文による詞書を加えてから……

「互いに知られた間柄の人が、尋ねて来ては帰った後で、
   さくらの花に差して、相手に贈った和歌」

ひと目見し
   君もやくると さくらばな
 けふは待ちみて 散らば散らなむ
          紀貫之 古今集78

ひと目見ただけの
  あなたも来るだろうかと さくらの花を
    今日は待ちながら見ています
 それでも来なければもう
   散るなら散れと思いながら

 「ひと目見し」というのは、詞書にあるように、友人が尋ねてきてくれたのを踏まえていますが、和歌としては、ただ「ひと目」見ただけのあこがれの人を、待ちわびるような恋歌として記されています。ここでひと目見たのだから、また会えるかも知れないと思って、期待しながら桜の花を眺めているというシチュエーションです。

 花のさかりは短いものですから、散らないで欲しいと祈るのが普通であるのに、相手を待ちわびる思いが強すぎるため、桜のシーズンでさえも、あまりにも長く感じらた。それでもはや、今日だけは待つけれど、それでも来なければ、いっそ桜の花など散ってしまえばいい。愛しい相手には、八つ当たりが出来ないものですから、誇らしげに咲いている桜のほうへ、いらだちをぶつけたことになります。
 ところで結句ですが、
  おなじ『古今集』の少し前の和歌に、

さくらばな
   散らば散らなむ 散らずとて
      ふるさと人の 来てもみなくに
          惟喬親王(これたかのみこ) 古今集74

さくらの花よ
  散るなら散ってしまえ 散らないからといって
    ふるさとの人は 来て眺めてはくれないのだから

というものがあります。
 この和歌における「散らば散らなむ」に続く部分、
    「たとえ散らなくても、
   ふるさとの人は見には来ないのだ」
という内容を指すのか、あるいは他にも「散らば散らなむ」に続くような和歌が、あったのかは知りませんが、紀貫之の、
    「けふは待ちみて
       散らば散らなむ」
という取りまとめには、「散らなかったからといって~である」というような和歌を参照させるために、わざとフレーズを引用したような気配がこもります。つまりは参照すべき和歌がないと、ちょっと唐突なくらいの取りまとめになってしまうからですが、ここではその参照歌を、惟喬親王のものとしておくことにしましょう。つまりは、
    「散るなら散ってしまえ、
       散らなくてもあなたは来ないのだから」
そんな思いが、参照されるべき和歌の力を借りて、余韻となって残されるようなやり口です。それでは、次は栄えある……かどうかは知りませんが、『古今集』の百番目の和歌。

待つ人も
   来ぬものゆゑに うぐひすの
 なきつる花を 折りてけるかな
          よみ人知らず 古今集100

待っている人が
 来ないものだから
   (待ちわびていたウグイスの声さえ
     いまは物憂いくらいです)
  ウグイスの鳴いている花を
   ポキンと折ってしまいましたよ

 さきほどの紀貫之とちょっと似たイメージです。待ちわびているうちには、花さえ厭わしくなってくる、ウグイスの声さえ我慢できなくなってくる。ただし紀貫之の表現には、
    「今日だけ待つけど、あとは散るなら散っちまえ」
と、こらえきれないいらだちが込められていて、
 つまりは感情的であるのに対して、この和歌の叙し方は、

待つ人の 来ないのを理由に
  ウグイスの 鳴いている花を
    ポキンと折ってしまいましたよ

 待ちわびるような焦燥(しょうそう)や、期待のようなものは、ほとんど見あたりません。待つ人が来ないからといって、ウグイスの鳴いている木に、八つ当たりする印象もありません。もとより、うぐいすが鳴かないようにするなら、木ごとに切り倒さなければ意味がありませんから、この表現自体が、ちょっとした虚偽とたわむれているようです。

 実はそれがこの和歌の魅力で、
  チャーミングな遊び心にあふれているのです。
 先ほどの紀貫之の和歌は、待ちわびる思いが真実であるがゆえに秀歌だったのですが、こちらの和歌は、もっとゆとりのある、たわむれの挨拶のようなところにおもむきがあるのです。つまりは、たまたま折り取った花の枝を、友人や恋人に贈るときに添える言葉として、

あなたがあまり来られないものですから
  ウグイスの鳴いている花の枝を
 こうして折り取ってしまいましたよ

 相手に対する、切羽詰まった心情がこもるわけではなく、軽やかなあいさつに、遊び心を織り込んだような印象です。ちなみに、おなじ『古今集』の「誹諧歌(はいかいか)」というあそび歌のなかには、

うめの花
   見にこそ来つれ うぐひすの
 ひとく/\と いとひしもをる
          よみ人知らず 古今集1101

せっかく梅の花を見に来たのに
   ウグイスが「人が来た、人が来た」といいながら
  わたしを嫌がるように鳴いていやがる

という和歌が収められていますが、鶯が「ひとく(人来)」と鳴くという概念が、当時には存在していたらしいのです。そうであるならば、この「折りてけるかな」の和歌も、待つ人が来ないのにウグイスが「人が来た、人が来た」と嘘ばかりつくので、それを咎めて鳴いている花を折ってしまった。そんな滑稽な解釈も成り立ちます。
 ちなみに、誹諧歌というのは、そうした言葉あそびや、滑稽なシチュエーションを集めたような和歌なのですが、それについてはまた後で眺めることにしましょう。

     「家に藤の花咲けりけるを、
       人の立ちとまりて見けるを詠める」
わが宿に
  咲ける藤なみ たちかへり
    過ぎがてにのみ
  人の見るらむ
          凡河内躬恒 古今集120

わたしの家に
  咲ける藤はまるで波のように
    風に吹かれては立ち返っています。
  立ち止まっては振り返り、
    素通りすることも叶わずに、
      人々は眺めているようです。

「親馬鹿」ではありませんが、
  我が家の藤があまりにも見事すぎるので、
     「みんな立ち止まって眺めていくんですよ」
と自慢しまくっているような印象ですが、
 自慢の対象が植物であればこそ、
  聞かされる方も嫌みには響かずに、
     「やれやれ、まったく己惚れていらっしゃる」
と好感を持って受け止められるのではないでしょうか。むしろ、豊かな藤波(ふじなみ)の光景が浮かんできて、共に喜びたくなるような和歌に仕上がっています。

 藤波が寄せては戻るさまと、人々が立ち止まっては振り返るさまを、まとめて三句目の「立ち返る」に委ねたため、風が吹いて藤波が立ち寄せる刹那に、はっとなって人々が振り向いたような、動的な場面描写となっています。もしこれが、

わが宿の
  庭に藤波 咲きにけり

であったなら、あまりにもつまらない、俳句で言えば月並調(つきなみちょう)の、我が家の藤自慢へと落ちぶれることを考えれば、三句目の「立ちかへり」の効果が、和歌を豊かな詩情へと導いていることを悟ることが出来るでしょう。

よしの川
   岸のやまぶき 吹くかぜに
  そこの影さへ うつろひにけり
          紀貫之 古今集124

吉野川
  岸の山吹も 吹きゆく風に
    水底に写る影さえも
  移り変わってしまったようです

 山吹の咲き誇る頃、この岸を訪れては、吉野川の水面(みなも)を眺めると、まるで水のなかにもう一つの世界があって、「逆さの国」の底へと向かって、山吹の花が広がっている。不思議な感覚にとらわれては、なんども現実の山吹と、水面の山吹を見比べているうちに、どちらが本当の世界だか分からなくなってくる。

 おそらくはこのような感覚を持たない人には、ただの理屈にしか響かないのかもしれません。詰まるところは、過去も現代も関係なく、その人の詩興の豊かさ(もっと単純に述べればお散歩能力とでも申しましょうか)に還元されてしまう訳ですが、幼い頃からそのような感性を研ぎ澄ませていなければ、これくらいのイメージさえも、肌感覚としては捉えられずに、知性だけの解釈へと落ちぶれてしまうのは避けられません。
 当時の人の和歌を詠むときに、現代人よりどれほど、そのような肌感覚を身につけていたかを推し量らなければ、こころを悟らずに意味だけを読み取ってしまい、安易な虚構に嫌気がさしてしまうことも多いでしょう。わたしたちの肌感覚が、おそらくはどの時代の人々よりも[鈍感の二乗]であることだけは、常にわきまえて置いた方がよいかと思うのですが……
 それはそれとしてそれながら……

 そんな不思議な感覚で眺めた、
  川底へと広がるもうひとつの世界。
 しばらくすると、岸の山吹は吹き抜ける風に散らされて、すっかり移ろってしまった。それで、花のさかりに眺めた、水底の「逆さま世界」を思い出して、あるいは映し出されたものならば、花のさかりをそのままに留めているかと、あわい期待を胸に眺めてみると、そこはやはり現実世界の鏡像(きょうぞう)には過ぎなくて、写しだされた山吹の影さえも、すっかり移ろってしまっていた。
「底の影さへ」という表現には、まず岸の山吹の移ろっているのにがっかりし、さらに水底の影を見てがっかりしたような、残念の連鎖反応が込められているようです。光と影とを両方惜しむからこそ、和歌全体の惜しむ気持ちも、深みをますような印象です。

 さらに、この歌を豊かにしているのは、結句の「うつろひにけり」です。この言葉には、「前の状態から移り変わってしまった」ようなイメージが込められていますが、単純に「散りにけり」と置いただけでは、木の状態が変化したことを説明しているに過ぎません。けれども、
    「以前の状態から移ってしまった」
という表現には、望まれるべき以前の状態こそが理想であったような、以前の状態にあこがれるようなイメージが、自然と込められますから、
    「咲き誇っていた理想の世界」
からの惜別(せきべつ)の念が、おのずから醸(かも)し出されて来るのです。「うつろひにけり」という言葉が、惜しむ気持ちを内包したものとして使用されがちなのは、そのためです。

 結論を述べるなら、詠み手は山吹の花ざかりが過ぎ去ったのにがっかりし、あるいは水底の幻想世界なら、理想の状態をうつし留めているかと、あわい期待を胸に岸辺へと近寄ったのですが、やはりそこも現実世界の鏡像には過ぎなくて、若葉のゆたかな山吹が、なみ/\と水をたゝえながら、うつし出されるばかりなのでした。

 以上で春歌を離れますが、古今集に見られる傾向。現実をありのままに描写したり、浮かんだ心情をストレートに語るのではなく、それを着想や表現によって捉え直して、あらためて和歌にするような傾向は、なんとなく理解出来た方もあるかと思われます。
 またよく分からなくても、複雑なものに思われた『新古今集』の和歌でさえ、今となってはかえって、和歌を捉えるために、これほどの考察を必要としなかったような、印象を持たれた方はいるかもしれません。
 それこそが、『古今集』の傾向であり、
  同時に魅力でもあるのですが……

 けれども皆さまもまた、
  一度解釈を付けて捉えてしまえば、
   これまでの和歌のように、
  次第にこゝろに馴染んでくる。
   そう思われた方も、多いのではないでしょうか。
    そろそろ、夏歌へと参りましょう。

夏歌 巻第三

[朗読3]

  「卯月に咲ける桜を見てよめる」
あはれてふ
   ことをあまたに やらじとや
 春におくれて ひとり咲くらむ
          紀利貞(きのとしさだ) 古今集136

「あはれ」という
   言葉を他のさくらに 渡したくないものだから
  わざと春に遅れて ひとりで咲いているのであろうか

 桜を眺めては、
    「ああ、あはれだなあ」
つまり「趣深いなあ」と感じ入る人々の思い。それを独占したいがために、この桜はわざと春に遅れて、一人で咲いているのだろうか。そう詠んでいるのです。もちろん、それほどこの遅れ咲きの桜は美しい、という心情が横たわっているのですが、
    「哀れさをひとりじめする」
という擬人法。それをダイレクトに記さず、
    「哀れさを感じるこころを、
       他の桜には与えまいと思って」
と間接的に表現したところ。さらには、
    「あはれさを あまたの花に やらじとや」
とでも記すのが、和歌の区切りとしては定石(じょうせき)であるものを、詩型の区切りと、文脈の区切りをはぐらかすような、
     「あはれてふことを あまたにやらじとや」
という叙し方。
 感じたこころに基づいて構築された和歌ですが、なかなか理知的に組み立てられているようです。それでいて、思いにまでさかのぼってしまえば、すらすらと内容が伝わってくる。たちまち、遅桜に感興を覚える、作者の心情へとたどり着ける訳です。。。

     「音羽山(おとはやま)を越えける時に、
       時鳥(ほとゝぎす)の鳴くを聞きてよめる」
おとは山 けさ越えくれば
   ほとゝぎす こづゑはるかに
  いまぞ鳴くなる
          紀友則(きのとものり) 古今集142

音羽山を 今朝越えてくれば
   ホトトギスは 梢のはるか向こうで
 今こそ 鳴いているよ

 音羽山(おとわやま)は琵琶湖の西南にある、関所で知られた逢坂山の、すぐ北側にある山で、歌枕(うたまくら)として、しばしば和歌に詠まれています。山を越えてきたのは、逢坂の関(おうさかのせき)と呼ばれる関所を通過するためで、当時の人なら、すぐに察知できたことでしょう。それをあえて「逢坂山」と記さずに「音羽山」としたのは、この和歌が「ホトトギス」を詠んでいるために他なりません。すなわち「鳥の音」「鳥の羽」のイメージが、山の名称に込められていますから、ホトトギスの鳴き声、すなわち音を感じるには、格好の歌枕だからです。

 ちなみに、歌枕とそれにまつわるイメージで最も多いのは、「逢坂山」なら「逢う」であるから「出会いと別れの山」であるというような、言葉そのものに内包されるイメージを、そのまま生かしたものです。(そのような言葉の意味から固有の名称が来ている例も多いくらいですから)なぜならそれは、唱えられた時に、たちまち耳で理解できるものだからです。和歌が声に出されるべき生きた詩であるからこそ、意味を持っていると言えるでしょう。それにしても……

 このような実景を詠んだような和歌にさえ、理知的な楽しみを込めたくなる。『古今集』時代の歌人たち(広くは、八代集の時代すべてに当てはまる傾向ではありますが……)には、このような寄り所が、さらに和歌の価値を高めるように思われたのかも知れません。ちなみに「今こそ鳴いている」というのは、それが今年はじめて聞いた声、つまり「初音(はつね)」であったからに他なりません。
 音羽山を越えながら、始めて聞いたホトトギスの声を聞いたとすれば、それをわざわざ和歌にしたのは、久しぶりのみやこへ戻って知人たちに、初音を知らせるようなイメージが込められている。そんなよろこびが、おそらくは当時の歌人たちには、自然と感じられたのではないでしょうか。「越えゆく」ならば立ち去る様相ですが、「越え来る」ならば、みやこへ戻る印象で、そのようなイメージは、鉄道における「のぼり・くだり」となって現在にまで残されている、と言えるかも知れません。

 さて、この紀友則(きのとものり)という人。古今和歌集の代表歌人にして、名前だけは誰でも知っている、紀貫之(きのつらゆき)(860~870年代生まれ - 945年頃没)。彼の従兄弟にあたる人物です。やはり古今和歌集を中心に多くの秀歌を残し、それどころか紀貫之と共に、この『古今和歌集』の編纂にも関わっているのですが、完成前にお亡くなりてしまいました。それについては、「恋歌」の始まる前に、改めて眺めようかと思います。いつも初めに成り立ちを解説したのでは、わたしのコンテンツも、マンネリズムに包まれてしまいますから……

ほとゝぎす
   鳴くこゑ聞けば わかれにし
 ふるさとさへぞ 恋しかりける
          よみ人知らず 古今集146

ほととぎすの
   鳴く声を聞いていると 別れてしまった
 ふるさとさえも 恋しくなります

  やはりホトトギスの和歌。
 古今集の『よみ人知らず』には、撰者たちの活躍したよりも以前の和歌、すなわち『万葉集』寄りのものが多く収められ、人々が語り次いできたような、俗謡的な語りくちのものもあります。つまり『よみ人知らず』の和歌は、撰者たちの技巧的な和歌に対して、素朴な分かりやすい和歌が多く、「古今」という名称から分かるように、撰者たちはその対比をこそ、この撰集のうちに込めたかったものと思われます。
 ですからこの和歌には、わたしたちに捉え難いことなどなにもない、きわめて素直な思いが、ストレートに記されているばかりです。

 つまりは、ホトトギスの声を聞いていると、その声を聞き慣れていたふるさと、別れを告げた故郷(こきょう)のことが、なんだか恋しく思い出されてきた。ただ、それだけのことなのです。ふるさとが恋しければ、そこの住人も恋しいのはもちろんですが、だからといって、なにかを暗示するまでもなく、語りのままの和歌になっています。
 もし言葉尻をとらえて、「さへぞ」とあるからには「古里」ばかりでなく、そこの誰かを暗示しているに違いない。などと邪推を加えれば、かえって興を削ぐのではないでしょうか。この和歌においては、そのような暗示は詩興に花を添えるものではありません。ここではただ、
    「古里のことさえも」
思い出されるとすれば、十分に詩情が生きますから、さらに理屈めいた翻訳を加えれば、いくら『古今集』の時代とはいえ、蛇に描き込まれた「四つ足」のような解釈になってしまうでしょう。
 ここでふたゝび、
  紀友則の「ホトゝギス」をひとつ。

さみだれに
  もの思ひおれば ほとゝぎす
    夜ぶかく鳴きて いづちゆくらむ
          紀友則 古今集153

五月雨(さみだれ)の降る夜に
   もの思いに耽っていると ホトトギスが
 夜の深くに鳴き渡って……
    あれは、どこへゆくのだろうか?

 前の友則の和歌も、「音羽山」に音が響くくらいのもので、ありのままの表現には過ぎませんが、ここでもリアルな描写に優っています。五月雨(さみだれ)とは、陰暦五月の雨ですから、六月から七月にかけて降る、「梅雨の長雨」を指すわけで……止まない雨と、覆い続ける雲のせいで、なおさら閉ざされたような憂うつに耽(ふけ)って、夜更けまで眠れないでいるのです。すると不意に、こんな雨の中、ホトトギスが、夜の奥底から響いてきて、はっとさせられると、もうその声は、遠ざかって消えてしまった。いったいこんな真夜中に、どこへ向かうのであろうか。

 なにかを求めて、闇を越えていったホトトギスのイメージが、詠み手の「もの思い」を、誰かのもとへ向かいたいような印象へと、移し換えているようにも思えます。たとえばこれを、「恋わずらい」などとする解釈も、それほど離れたものではありません。

 しかし、この和歌の情景はむしろ、恋の比喩などよりも、人間の精神世界の持つ、不偏的な闇の部分へと向けられているような、心象スケッチの印象さえしてきます。当時の居住空間は、外界との境界も心もとないくらい、明かりにさえ乏しいものですから、降り止むことのない雨の響きを、闇をこらすようにして延々と、眠れもせずに聞きながら、もの思いに沈んでいるシチュエーション。そこには、こらえきれない絶望さえ、静かに、にじみ出て来るようです。すると、それを打ち破るように、不意に夜更けの底から、ホトトギスの声が響いては、闇のかなたへと消えてゆく。そんな日常を逸脱した、暗い幻想性が込められているような気配です。そのために、
    「どこへゆくのであろうか」
という結句もまた、
    「だれかのもとへと向かうのであろうか」
という、現実的な思いよりも、
    「闇から表れて、闇へと帰るのだろうか」
どこかに吸い込まれていくような、不安感をあおっているようで、作者の意図はともかく、この和歌はまるで、現代人の持つ不安を描いた、闇の心象絵画のような印象なのです。
    「どこへ向かってゆくのであろうか」
   それは心の闇のなかへです。
  そんなイメージさえ、
   感じられないでもありません。

 ちなみにこの紀友則という人、不思議なことに、鳥の登場する和歌になると、たちまち優れた作品を生みなす人で、『拾遺集』に収められた、「友まどはせる千鳥」などは、霊感にとらわれているとしか、表現のしようがありません。

 さて『古今集』の夏は極端に短く、また極端に『杜鵑(ほととぎす)』ばかりを並べるものですから、最後まで『不如帰(ほととぎす)』(いろいろな漢字表記があるので、遊んでいるだけです)で押し通すことにしましょうか。

    「寛平御時、きさいの宮の歌合の歌」
暮るゝかと
  見れば明けぬる 夏の夜を
    あかずとやなく やまほとゝぎす
          壬生忠岑(みぶのただみね) 古今集157

暮れるかと見ていれば
   すぐに明けてしまうような夏の夜を
      「まだ飽きたりないよ」「まだ飽きたりないよ」
   と鳴いているような 山の子規(ほととぎす)よ

 「飽かずとや鳴く」は「夏の夜が短くて、飽きたらないと言って鳴く」と捉えられますが、一方でこれを「明かずとや鳴く」と捉えれば、
     「まだ明けないぞ」「まだ明けないぞ」
といって鳴いている、という解釈も成り立ちます。

 実はこの和歌の前後には、
    『寛平御時后宮歌合
      (かんぴょうのおんとき きさいのみやうたあわせ)』
という歌合(うたあわせ)での和歌が並べられていますが、そのような場所で、はなから両解釈の成り立つような和歌を、ちょっとおもしろおかしく提出して、注目を集めるために詠まれたような、明快な愉快さにあふれています。それだからこそ、ひとりでそっと口ずさむより、もしメロディーでもあったら、みんなで歌いたくなるような、キャンプファイヤーの夜めいた喜びにあふれているのです。

 さて「歌合(うたあわせ)」というのは、左右に別れて歌の優劣を競い合うものですが、この歌合は889年に開催され、記録に残された最初期のもののひとつです。この頃から盛んに催されるようになりますから、つまり八代集の時代は、「歌合(うたあわせ)の時代」とも言える訳で……初心者向けに定義するならば、その後の時代は、「連歌の時代」とでも呼ばれることでしょう。
 そろそろ秋へと移ります。

[つかの間コラム]
 今日まで和歌が残されている最古の歌合わせは、在民部卿家歌合(ざいみんぶきょうけうたあわせ)と呼ばれるもので、これは『伊勢物語(いせものがたり)』の主人公ともされることのある、在原業平(ありわらのなりひら)(825-880)……ではなく、そのお兄さんの、在原行平(ありわらのゆきひら)(818-893)が、民部卿の地位にあった時、884年(あるいは883年?)から887年の間に、彼の邸宅で開催されたものです。お題は「ほとゝぎす」と「恋」でわずか十二番、つまり左右合わせて二十四首には過ぎませんが、どちらが勝利したかの判(はん)も記されていて、すでに歌合というものが、形式を整えて、おそらくはあちこちで開催されていたことを伺(うかが)わせます。
 寛平御時后宮歌合(かんぴょうのおんとききさいのみやうたあわせ)は、その次に、現在まで記録の残された歌合で、お題は「春夏秋冬+恋」という、勅撰和歌集の二つの柱を、それぞれ二十番づつ競わせ、合計で百番。左右合わせて二百首で行われたものです。

秋歌上 巻第四

[朗読4]

 八代集全体の特徴かもしれませんが、特に『古今集』に顕著なのは、夏と冬に対して春と秋の和歌がきわめて膨大であること。同時に優れた和歌も、春と秋にぎっしり詰まっていることでしょうか。すこし足早にすすめなければ、四季の部ですら迷よい子になってしまいそうです。

秋風の 吹きにし日より
   ひさかたの あまの河原に
  立たぬ日はなし
          よみ人知らず 古今集173

秋の風が
  吹き始めた日から
    ひさかたのと讃えられる
      天の河原に
    立たない日はありません

 この和歌を導入にして、しばらく「七夕(たなばた)」の和歌が並びます。陰暦では一月から三月が春、四月から六月が夏ですから、七月七日はもう秋に入っていて、七日も過ぎてからのことです。
 秋に入って、天の川が空を渡る(新暦八月初め頃は、夏の大三角を貫く銀河が、実に見やすい位置に流れますから)宵にもなれば、わずかな涼しさのこもる風が吹いて来るものだから、一年に一度の逢瀬(おうせ)[特に恋する男女が、ひそかに会うこと]が待ちきれなくて、天の川の河原に立ちながら眺めているという趣向です。

 立つには布を裁つ(たつ)ようなイメージも込められて、「織り姫」の立場で詠んでいるように思われますが、男性の皆さまは、彦星が船出のタイミングを見計らっていると眺めてもかまいません。
 ただ、七夕の日を待ちわびる詠み手が、天上の二人の思いと一体になって、つかの間の出会いを期待するように感じられたなら、この和歌はおもしろく詠まれる訳です。

 そろそろ、述べる必要もないかとも思いますが、「ひさかたの」は「天(あま)」にかかる枕詞(まくらことば)です。やはり『古今集』におさめられた、おそらくはもっとも現代に知られた和歌のひとつ。

ひさかたの
   ひかりのどけき 春の日に
  しづこゝろなく 花の散るらむ
          紀友則(きのとものり) 古今集84

によって、聞き慣れた人も多いかと思います。この「ひさかたの」は「光」に掛かる枕詞というより、「ひさかたの天」の比喩のように使用されているようですが、もしこの和歌を知らない人があったなら、せっかくの機会ですから、ぜひここで覚えておくことをおすすめします。
 さて、話を秋の初めに戻しましょう。
  もうひとつ、よみ人知らずの七夕の歌。

あまのがは
   もみぢを橋に 渡せばや
 たなばたつめの 秋をしも待つ
          よみ人知らず 古今集175

天の河原にも
  もみぢの葉が散り落ちて
     それがひと夜限りの橋となって
    あの人を渡らせてくれたら……
  織り姫はそんな思いで
    秋を待っているのでしょうか

 秋となれば、やがては紅葉が川を流れ、あるいは織物みたいに、その上を渡れそうにも見えるけれど、天の川に散るもみじ葉もまた、見えない橋をつくって、その上を彦星が渡って来るのを、織り姫は待っているのでしょうか。
 地上の紅葉はまだですが、あるいは天上のもみじは、七夕の頃には色づくようなイメージが、当時はあったのでしょうか。いずれ、伝承物語を詠みなしたような和歌で、あまり現実的考察で水を差したら、興ざめを引き起こすような印象です。

  このような詩は、空想に委ねて楽しむこと……
 それは、氾濫する安っぽい空想物語に、どっぷり浸かっているような現代人にこそ、もっとも相応しい方針なのではないでしょうか。もちろんその上で、その由来を探れば探るほど、新たな魅力に包まれてくるのは、これまで見たとおりですが……
 だからといって、始めに読み解いたくらいでも、ゆたかな詩的共感を得られるからこそ、この和歌は現代においても価値を持つ、優れた詩だと言えるでしょう。

わがために
  来る秋にしも あらなくに
    虫の音きけば まづぞかなしき
          よみ人知らず 古今集186

わたしのために
  来る秋という訳でも ないのですが……
    虫の鳴き声をきけば
  まずはわたしのこころから
    悲しくさせられるように思います

 先ほどの和歌と比べると、ずいぶん理屈っぽい表現です。
    「虫の鳴き声が響いてくると、
       まずはその声にかなしくさせられます」
くらいならば、ストレートな思いも伝わってくるのですが……

上の句で、
    「わたしのために来る秋ではないのですが」
と理屈めいた定義をしたために、下の句もまた、
    「虫の音を聞けば、他の人ではなくて、
       まずはわたしから、かなしくさせられてゆくのです」
というニュアンスへと変化して、ちょっと詠み流すと、
    「なんてクドクドしい説明を加えるのだろう」
と、ちょっと興ざめを引き起こしそうなくらいですが……
   でも、ちょっと待ってください。

 別にこの詠み手は、多くの人のなかで、わたしが悲しみの第一号である、なぜならわたしこそがデリケートな魂の持ち主であるのだから。そんな大言壮語(たいげんそうご)を吐いて、自己を中心に太陽を回している訳ではありません。ただ、

 わたしのために来る秋ではないはずなのに、わたしの方では、それがまるでわたしひとりに訪れたもののように、悲しくてなりません。だって、あたりを見回しても、悲しみに沈んでいるのは、わたしひとりであるように思われるものだから……

つまりは、
    「虫の音を聞いていると、
       わたしを悲しませるためだけに、
         まずはわたしのこころのうちに、
       秋は訪れたように思われます」
そのような思いが上の句の、
    「わたしのために来る秋では無いはずなのに
       どうしてわたしの心ばかり悲しくさせるのです」
そんな、小さなやり切れなさへと繋がってゆくのです。
 ですから、むしろ、

わたしのために
   来る秋などでは あって欲しくないのに
  虫の音が鳴きだしたとたん
     まずはわたしひとりだけが
        かなしみにとらわれてしまうようです

  そんな思いが、背後に流れているようです。
 つまりは、「わたしのために来る秋ではないはずなのに」と置くことによって、「虫の音を聞けば悲しくなります」というありきたりの感慨が、「自分ひとりだけが悲しみに捕われているように感じられてならない」という切実なものへと変化している訳で……
 そのような心情を、そのままには語らずに、理知的な表現に仕立て直すのが、これまでにも見てきたような、古今和歌集の傾向のひとつでありありますが、ここまで詠み解いてから、何度も唱えていると、この和歌もまた、次第にほのかな味わいが、感じられてくるから不思議です。

 なにが不思議ですか?
  その言葉の捉え方に応じて
   ニュアンスさえ変わってしまうような
  詩のあり方そのものが
    解釈しきれない不思議です。

さ夜なかと
   夜はふけぬらし
  雁がねの 聞こゆる空に
 月わたる見ゆ
          よみ人知らず 古今集192


      [もとの和歌]
   さ夜なかと 夜はふけぬらし
      雁がねの きこゆる空ゆ
         月わたる見ゆ
             柿本人麻呂歌集 万葉集1701

小夜なかと呼ばれるくらいに
  夜も更けたようですね
    雁の鳴き声の 聞こえる空には
  月の渡るのが見えています

     「ああもう夜も更けたのだな」
    そうつぶやいて、
   雁の鳴く空に月の渡りを眺める。
 その場で詠みなしたような即興性と、語りかける素朴な表現こそが、『万葉集』の魅力のひとつです。『古今和歌集』の編纂方針は、『万葉集』はすでにあるので、そこからの和歌は収めないというものでしたが、(これは、『万葉集』も勅撰和歌集であるとみなしていた為かと思われます)、『万葉集』といっても、諸本により歌数も異なるものですから、『古今集』にまじり込んだものもあるのです。もとより『万葉集』の頃まで、さかのぼれるような古歌は、積極的に採用されている訳で……
 後の勅撰集が、いにしへの和歌と現在の和歌の調和をめざすような方針は、すべて『古今和歌集』の伝統にしたがったものです。その『古今和歌集』にいたっては、仮名序(かなじょ)と呼ばれる序文ですでに、六歌仙時代(ろっかせんじだい)の過去の歌と、今日の歌の対比を述べながら、どちらの歌人たちも取り上げ、和歌のバラエティーを楽しんでいる。それで名称からして、
    「古歌と今歌の和歌集」
と呼ばれている訳です。
 もしすべてが紀貫之であったなら、いくら彼が役者であったにしても、一人芝居に嫌気が差してくるに違いありません。ここにあげられたような素朴な和歌は、屈託のない壮大さのようなものがありますから、撰集を読み継いでいても、心がリフレッシュされるような、爽快(そうかい)を覚えるものです。

秋の野に 道もまどひぬ
   まつ虫の
  こゑするかたに 宿や借らまし
          よみ人知らず 古今集201

秋の野に 道さえ迷ってしまった
  日も暮れて 虫がしきりに鳴いているな
    あれは「まつ虫」だから もしかしたらわたしを
  待ってくれているかもしれない
    そっちへ尋ねていって
      宿が借りられたらよいけれど

 「まし」には、定かでない事に対する希望が込められていますから、「宿を借りられたらなあ」という願いの裏に、わずかに「借りられるだろうか」という心配も籠もっています。深まりゆく夕ぐれの気配は、「宿や借らまし」ばかりではなく、わざわざ「道も迷ひぬ」と表現しているところから、
    「日も暮れて道も迷ってしまった」
という印象が濃厚で、虫たちも鳴きだしていますから、十分に情景は浮かんでくるように思われます。しかもまつ虫の声、つまりは耳を便りにして宿のありかを求めようというのは、和歌などを詠んでいる場合ではない、危機的な状況かもしれません。
 それは暗がりで、視覚情報さえ役に立たなくなり、さらには、まつ虫に尋ねてみるくらいしか、なんの方途もつかないくらい、家の明かりすら見あたらない、迷子であることを暗示しているからです。むしろ、絶体絶命の恐怖にとらわれるべき、心臓凍結の瞬間ですが……

 ところが この和歌を詠んでいると、
   どうしても そうは感じられません。
  なんだか のほほんとしています。
    むしろ 何の危機感も感じられない。

秋の野に 道もまどひぬ
   まつ虫の
  こゑするかたに 宿や借らまし

 それはそうです。本当に危機的な人が、
    「まつ虫の待つという、声を便りにして、
        宿でも借りてみるか」
なんて洒落とたわむれたりする訳がありません。
  まるで口笛でも吹きながら、さ迷っているようなお気楽で、
 それではこの人は、本当は迷ってなどいなかったのか……

 おそらくは、迷子を危機的状況、宿のないことを破滅と捉えたから、おかしな事になったのです。つまりは、野宿をたしなむ人と、野宿を怖れる人との違いです。草を床にして、身の安全を確保しながら眠れる人と、外灯のともされた公園でさえ、野良犬の影に怯える人との違いです。食料を調達できる人と、コンビニの閉店に呆然とする人との違いです。

 旅慣れたこの人にとっては、おそらく宿がなければ、まだこの時期であれば、草を枕にして、夜を明かせばいいだけのこと。それくらいのゆとりがあったから、まつむしの声さえも、楽しむだけのゆとりが十分にあり、それがたわむれた和歌となって、散歩歌でも口ずさむみたいにして、湧いてきたには違いありません。

 ですから 迷子になったのも本当です。
   宿がないのも本当です。
  けれども 松虫とたわむれている心情もまた、
    詠み手の そのままの感情なのです。

   ……とまあ、
    わたしもどれほど信じて、
   こんなことを記しているのやら知れませんが……
  まあ、ちょっとした頭の体操です。
 こんな、おおらかな叙し方から、迷子の際に詠まれたものか、いつもの帰宅道に、迷子を気取って口ずさんだものなのか、そんなこと分かりっこありません。いずれ危機感もなく、宿を探しているようなのどかさが、この和歌の魅力かと思われます。
 あなたも夕暮に虫の声が聞こえたら、
  ためしに、迷子を気取って口ずさんでみてください。
   メロディーでも付けてみると、なおさらおもしろい。
  きっとお気に入りの和歌になることと思います。
 それはさておき……
   すっかり、立ち止まってしまいました。
    そろそろ次へと参りましょうか。

ひぐらしの
  鳴きつるなへに 日はくれぬと
 おもふは山の 影にぞありける
          よみ人知らず 古今集204

ひぐらしの
  鳴くのに合せて 日は暮れたのだろうか
 そう思ったのは山の 影に入ったからなのでした

 分かりにくいところは、二句目の「鳴きつるなへに」の「なへに」ですが、これはむしろ『万葉集』時代に好まれたような表現で、二つの事象が一緒になって、「~するのにしたがって」とか「~するのと一緒に」といったニュアンスです。「蜩(ひぐらし)」は、日の出・日の入りの頃さかんに鳴く蝉で、他の蝉より盛りが遅く、初秋を思わせる風物詩ですから、あまり知らない人や、前回検索をサボった人は、まずはその音声を、チェックしてみることをおすすめします。

 そんな、秋を思わせる蝉が鳴いている夕暮に、
  ふとあたりが暗くなった。それに合せて、
   急に風が肌寒く感じられて、つい、
    「ああ、日の落ちるのもはやくなったなあ」
そんな感慨に囚われて、あたりを見渡せば、
 まだ影になっていない部分には、
  夕日が差して煌(きら)めいている。
   「なるほど自分が影に入っただけだったのか」
  と気がついたというのです。

 この和歌はちょっとおもしろいかと思われます。
  なにが面白いか……
 浅はかな人が詠むほど、浅はかに聞こえて来るという、
  「浅はかチェッカー」みたいな、和歌になっているからです。

 つまり詠み流してしまえば、
    「日暮れかと思ったら山影でした」
と言っているのに過ぎないものですから、ゆたかな心情から生まれた言葉であるというよりも、まるで頓智でも聞かされているような、安っぽい落書きのように感じられてしまうのです。あるいは、
    「日が沈んだのに夕暮ではない西の空はな~んだ?」
      「答えは山の陰でした~」
なんてなぞなぞに、付き合わされた気分にすらなりかねません。

 実はこれは、
  わたしの第一印象に過ぎないのですが……
   けれども、よく噛みしめているうちに、
  そうではないことが分かってきます。
 優れた詩というものは、言葉のひとつ/\に深い思い、言い換えれば詩文上の必然性が込められていて、それはいつの時代にも変わることはありません。この和歌もまた、言葉を紐解くことによって、おのずからその味わいが、見えてくるかと思います。

 まず冒頭の「ひぐらしの鳴いているのに合せて」というのは、この和歌が情緒的な語りであることから、ただの説明ではありません。「踏切が鳴るのに合わせて」と言っているのと同じで、詠み手の注意が「遮断機が降りる」のでもなく、「足止めを食らう」ことでもなく、まさにその音声、つまり「ひぐらしの鳴いている声」そのものに向けられていることを表わしている。つまり解説ではなく、心情に寄り添った表現なのです。
 しかも「なへに」というひと言によって、詠み手が継続的にひぐらしの声に耳を傾けていたことが明らかにされています。すると「日が暮れたと思ったのは」という三句目以下と結びついてきます。

 「思ふは」とは、頭で「考えたら」の意味ではありません。
   そのように感じたことを表わしています。
 もちろん、西日を眺めていたら、日暮れと山影を錯覚することはありませんから、「ひぐらしの声に合わせて日が暮れたように感じた」とは、太陽の運行を観察するのでもなく、あたりの状況を確認しながら眺めているのでもなく、ただひぐらしの声を聞きながら、その声に心を奪われるなり、ちょっとした物思いにとらわれるなりして、自分の世界に引きこもっていたことを表わしています。するとまた「なへに」が生きてきます。

 つまり、実際には日暮れよりも前であるのに、
   「ひぐらしの声が聞こえながら、
      それに合せるように日が暮れてゆく」
ような感慨に、あたりを確認することなく、(つまり太陽が山の端に入ったのか、地平線に沈んだのかを確認することなく、)とらわれていたと云(い)うのですから、まるで日没になってから感じるような、ちょっとした肌寒さ、風や大気の気配を、詠み手ははやくも感じ取っていた訳です。つまりは秋の訪れて、風のつめたさに、入り日の早まったような気持ちがした。
「なへに」つまり継続的にそのように感じていたものですから、ようやくあたりが暗くなったとき、日が暮れるのも早くなったものだと、秋の寂寞(せきばく)のようなものに打たれて、あたりを見渡すと、自分の感慨が錯覚に過ぎなくて、太陽はまだ、山影に隠れたに過ぎなかったのです。つまり心情の方が、より深く秋を感じてしまっていた。

 これだけのシチュエーションが、言葉自体には込められていて、それはよく噛みしめれば、次第ににじみ出て来るものですから、それに気がついたとき、この和歌はもはや、太陽が消えたから、日没かと思い込んだ、というような浅はかな頓智とは捉えられず、

「次第に夕暮れてゆくような感覚に、ひぐらしの声を聞きながら、とらわれ続けていた詠み手が、あたりが暗くなったのを日暮かと錯覚して、ふとあたりを見渡したら、太陽はまだ山影に隠れたに過ぎなくて、あたりはまだ西日を残していた」

 そんな、秋へと移り変わるような、ちょっとさみし気な印象を、みずからの「秋のもの思い」のイメージさえわずかに込めながら、みごとに描き出した和歌になっているのです。ここまで読み解いてから、また口に唱えてみると、単なる屁理屈としては聞こえずに、ゆたかな情景が、こころに広がっては来ないでしょうか。もし、そうであるならば……

 この和歌は、ゆたかな詩情を宿していると言えるでしょうし、もちろん、なんの感慨も浮かんでこないなら、それはあなたの感受性が乏しいのか、あるいはこの和歌が、詩でもなんでもない、ただの着想品評会のオブジェには過ぎないということにもなる訳です。

 はたしてあなたは、どのように感じたでしょうか。ちなみにこの和歌、『古今集』では「よみ人知らず」ですが、いくつかの集では猿丸大夫(さるまる/さるまろのたいふ)の作品とされています。

     「是貞(これさだ)の皇子の家の歌合の歌」
山ざとは
  秋こそことに わびしけれ
 鹿の鳴くねに 目を覚ましつゝ
          壬生忠岑 古今集214

山里は
   秋こそことさら 侘びしいものですね
  鹿の鳴く声に 目を覚ましては……
     (そのたびにそう思わされるのです)

 結句の「つつ」は、現代なら「ずっと目を覚ましたまま」上の句のように思うよ、と捉えがちですが、古語の場合、
    「目を覚まし、また目を覚まし」
おなじ所作をくり返すような表現として捉えるのが一般的です。ですから鹿の声に起こされると、そのたびに、上の句のような気持ちにさせられる。そう読み取るのがよいでしょう。

 ところでこの壬生忠岑(みぶのただみね)という人。夏の和歌にも登場しましたが、この人もまた紀貫之や、紀友則と共に、『古今和歌集』の撰者だった人物です。撰者は全部で四人ですから、残りはあと一人。実はすでに登場している歌人ですが、また後ほど紹介してみることにしましょう。

    「是貞の皇子の家の歌合によめる」
秋の野に
   おくしら露は 玉なれや
 つらぬきかくる 蜘蛛の糸すじ
          文屋朝康(ふんやのあさやす) 古今集225

秋の野に
  置かれた白露は まるで宝石みたいだ
 それをつらぬき通しているのは 蜘蛛の糸すじ

 真っ白な真珠を necklace にでもしたようなイメージを、朝露のしずくが蜘蛛の巣に玉なすものに委ねると、今日では分かりやすいでしょうか。それが朝日を浴びて、きらきら瞬いている華麗さに、すべての露が宝玉のような錯覚にとらわれたのです。

 ひとつ前の和歌もそうでしたが、この和歌もまた、
   『是貞親王家歌合(これさだしんのうけのうたあわせ)』
         (893年以前の秋)

で詠まれたものでした。実は前に紹介した『寛平御時后宮歌合』も、この歌合も、宇多天皇(うだてんのう)(867-931)(在位887-897)の母である班子女王(はんしじょおう)の住まいで催された歌合であり、この時期の和歌の隆盛には、宇多天皇が大きく関わっていたことは間違いありません。さらに、宇多天皇の子であり、次の天皇である醍醐天皇(だいごてんのう)(885-930)(在位897-930)の時、ついにこの『古今和歌集』は誕生を迎えることになるのです。

ひとりのみ
   ながむるよりは をみなへし
 わが住む宿に 植ゑてみましを
          壬生忠岑 古今集236

ひとりだけで
   眺めているくらいなら 女郎花(おみなえし)
  わたしのすむ家に 植えてみたいものだけど……

「女郎花(おみなえし)」は、女性の比喩にされることがきわめて多い花です。ここでも「ひとりだけで眺めるよりは」という表現は、ひそかに相手を眺める片思いのイメージを内包し、それなら我が家に植えて、常に眺めていたい。つまりは、自分のものとしたいという内容です。最後の「みましを」というのは、
     「見たいのだけれども、
       それもかなわないものか」
と、叶えられない希望を表わすようなニュアンスです。

 また壬生忠岑の登場ですが、『古今和歌集』は他の勅撰集と比べて、撰者四人の和歌がきわめて多いのが特徴ですから、採用される機会も、おのずから多くなるわけです。

里はあれて
   人は古(ふ)りにし 宿なれや
  庭もまがきも 秋の野良(のら)なる
          僧正遍昭(そうじょうへんじょう) 古今集248

荒れ果てて
   住む人も年老いた 家だからでしょうか
  庭も垣根も まるで秋の野原のようになっています

 「里はあれて」というのは、古里全体が荒れ果てているのではなく、自らの古里の屋敷を見たてて、手入れが行き届いていないさまを、「里はあれて」と言ったことが、二句目以下の内容から推察できます。住む人さえ年老いた屋敷であればこそ、手入れが不十分なばかりでなく、すべてが枯れかけの姿をさらしていて、庭も垣根も、秋の野原のようになってしまっている。そんな内容ですが、実はこの和歌には、長い詞書がつけられています。要約すると、

「光孝天皇が即位前に、布留の滝(ふるのたき)を見に行く道すがら、遍昭の母親の家に立ち寄ると、庭は秋の野原に見たてられて、さまざまな草花が植えてあるので、語らいのさなかに遍昭が詠んで送った」

  その時の和歌ということになります。
 ここまで長い詞書がついていると、もう物語に和歌が添えられたような印象さえ受けますが、このような歌物語の形式は、『万葉集』時代にまでさかのぼることが出来ます。それはさておき……

 もうおわかりでしょうか。実際には屋敷は整備され、庭さえも人工的に秋の野原に見たてられた立派なもので、誇らしいくらいの母の家だったのです。
 それを謙遜(けんそんして)、わざと、「荒れた秋の野に過ぎません」と述べている。おそらくは光孝天皇に、屋敷をあまり誉められての返答なのでしょう。もとより荒れたあばら屋などに、皇太子が泊まったりはしませんから、立派な屋敷であることは、思えば、はなから明らかなのでした。
 そもそも、この遍昭という僧は、世俗での名を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)と言って、桓武天皇の孫にあたる名門貴族。皇太子は泊まるべきところへ、泊まっただけなのです。

 このような謙譲(けんじょう)の心は、和歌の贈答歌にもよく見られますが、そのもっとも素朴な心情としては、さんざん人に誉められたときに、
     「別に大したことじゃないよ」
と答えるばかりでなく、実際に「大したことじゃないのに」という気持ちが湧いてくるという、不思議な心理状態から出発しているようですが、大和の民によく見られる傾向ではあります。謙譲語だの尊敬語などと言われると、さもややこしい事のように思われて、嫌気がさしたりもするものですが、その発祥には案外、素朴な心理状態が横たわってもいるものです。

秋歌下 巻第五

[朗読5]

霧たちて 雁(かり)ぞ鳴くなる
  かた岡の あしたの原は
    もみぢしぬらむ
          よみ人知らず 古今集252

霧が立ちのぼって 雁が鳴いている
  片岡の 朝の野原は
    すでに紅葉をしているだろうか

「片岡のあしたの原」というのは、おそらく「あしたの原」まで含めての地名で、奈良県北葛城郡あたりにあったと考えられているようです。その「あしたの原」に、朝(あした)のうちに来てみれば、という意味を掛け合わていますが、霧が立ちのぼって視界は閉ざされ、ただ雉の声が聞こえているばかり。はたして霧が晴れたとき、野原はすでに紅葉をしているのだろうか。そんな内容になっています。視覚が霧に閉ざされているなかに、雁の声が聴覚に訴えて来るところに、この和歌の生命力が込められています。

あきかぜの
   吹きにし日より おとは山
 嶺のこづゑも 色づきにけり
          紀貫之 古今集256

秋風が
  吹き始めた日から 音羽山の
 嶺のこずえも 色づいて来ました

 さすが紀貫之です。
  ある時は技巧を尽くすかとみれば、ある時は感情を表出させ、そうかと思えばこのような、即興的な叙情性も詠みこなしてみせるのです。何の難しいところもありません。ただ、わざわざ「秋風が吹き始めた日から」と断っている点が、ちょっと理屈っぽく響くかも知れませんが、これもまた、
    「秋風が吹いたから梢が色づいてきた」
自然観察として解釈せず、詠み手の思いを察して、

「音羽山の峰の梢があれほど色づいて見えるのは、秋風が吹き始めてから、日ごとに少しづつ、風に染められてゆくからに違いない。なぜなら秋の風は、たしかに夏の風とは、色彩が違うものなのだから」

 そんな、秋の気配に対する心情を歌ったものだと悟るとき、一見理屈っぽく述べたそのことによって、かえってデリケートな描写をしているという、『古今和歌集』的な歌い方を、感じることが出来るでしょう。

誰(た)がための
   錦(にしき)なればか 秋霧の
 さほの山べを たち隠すらむ
          紀友則 古今集265

誰のための
   錦だというので 秋霧は
 佐保山の山辺を 立ち隠しているのだろうか

 これもまた古今集らしい、
  紅葉(もみぢ)の捉え方です。
 さまざまな色の糸を駆使して模様を描くような織物のことを「錦(にしき)」と呼びますが、秋の紅葉を錦にたとえることは、和歌では定番の表現です。ここでも、そのイメージを利用してる訳ですが……
 もちろん、ただ「紅葉は錦のようだ」と詠んだのでは、どこにでもある陳腐な表現へと落ちぶれてしまいます。そこで秋霧に隠されて、見えない紅葉を詠み込んでみせました。構図としては先に見た、
    「あしたの原はもみぢしぬらむ」
の和歌と同様ですが、先ほどの和歌が「霧たちて雁ぞなくなる」と写実的な印象を詠んだのに対して、この和歌は、擬人法を駆使して、
    「秋霧が佐保山の紅葉を隠している」
      「それは、誰のための錦だと思ってのことなのか」
と表現しています。もとよりそんな大きな錦を必要とするものは、神以外にありませんから、必然的にこの和歌は空想のスケールを大きくして、
     「神々のための錦を見せまいとして、
        秋霧が紅葉を覆い隠してしまった」
と受け取られる。これによって、どれほど美しい紅葉であろうかということが、間接的に讃えられているのです。

 しかも、秋の女神である竜田姫(たつたひめ)に対して、春の女神を佐保姫(さほひめ・さおひめ)と呼びますが、その佐保姫のいます山こそ、この佐保山に他なりません。するとたちまち、春に霞を着こなすべき佐保姫(さほひめ)が、こともあろうに秋の錦を身にまとうという、特別な晴れ姿のイメージが湧いてきますから、舞台で披露するまで隠すために、秋霧がその姿を、包み込んでいるような、壮大な芝居のようにすら思えてくる。

 ただ山が霧に覆われているのを、紅葉を隠すものとし、さらには紅葉を錦に見立て、それを着こなすものを佐保山とすることによって、春の女神が紅葉の錦を着こなすという、特別な晴れ着のイメージへと昇華させる。これによって、すべては、神々が自然という舞台で繰り広げた、お芝居であるかのような壮大なイメージへと転化される。もちろんこれは空想には過ぎませんが、その空想の壮大さが実際の「霧が山を覆う情景」に対して陳腐にならず、しかも心情として釣り合うほどの虚構性となったとき、その実景に立ち会いながら眺めても、聞き劣りしないどころか、かえってその実景を深く感じられるような、ゆたかな詩情を宿すのです。

[おまけのコラム]
 つまり、ある感興を覚えたとき、それを見たままに、感じたままに詩情へと至らしめるのが、写実主義や写生主義であるとするならば、その実景に劣らないほどの虚構を描き出すのが、空想主義であるといえるでしょう。そうしてこれが対立概念ではなく、それぞれのやり方に、めざすべき高みがあると信じ、晩年に至るまで実践していたのが、正岡子規に他なりません。
      つくしこは うま人なれや
        紅に 染めたる梅を 絹傘にせる
 ツクシを貴人に見立て、その頭のところを、絹傘に見立てたのも空想ですし、その色彩を「紅に染めた梅」としたのも、虚構の見立てに過ぎませんが、実際のツクシを眺めた時に唱えたくなるような、詩情を宿しているのではないでしょうか。けれども彼の精神は、あまたの俗物によって貶められてしまったようです。

 このようにして、理性で読み解いたものが、すべて心情へと返されるからこそ、詩情が生まれてくるということにもなります。これこそ、『古今和歌集』の優れた和歌の特色のひとつであり、いくら理知的に詠みなしても、もしそれが、最終的に心情へとかえされないならば、それは着想品評会のいびつな貝殻みたいにして、貝塚へと放り込むしか、なんの方途もつかないものには違いありません。

 ……また長くなってしまいました。秋を代表する花と言えば、「女郎花」と共に「菊」を忘れてはなりません。その菊の和歌を三つほど。

    「菊の花のもとにて、
      人の人待てるかたをよめる」
花見つゝ
  人まつときは しろたへの
 袖かとのみぞ あやまたれける
          紀友則 古今集274

花を見ながら
  人を待っている時には
    白妙の袖であるかのように
  間違われてしまったものです

  また紀友則です。
 この和歌は、詞書のシチュエーションを詠み取らないと、不明瞭なことになります。つまり目の前の菊が白いからといって、やってくる人の袖が、白妙のように思われるだろうか。ちょっと空想的な作り事にしても、安っぽい見立てではないか。そんな印象が浮かんでくるからです。

 ですからわざわざ、詞書で断っているのです。
  これは、待っている人が詠んだ和歌ではありません。
 菊の花のあたりで、ある人が誰かを待っている、その待っている人を眺めて詠んだ、第三者の和歌なのです。それだから……

あの白菊のなかのひと影が
  花を見ながら 誰かを待っているあいだは
    白妙の袖を着ているように思われたのだけれど
 待ち人が訪れて、嬉しさに袖を振り上げたとたん
   白妙の袖ではなかったことに気づかされました

 近くの白菊を見ているために、遠くから来る人の袖が白妙に思えたというのは、あり得ないことではありませんが、引っかかる処が無いわけでもありません。なにより、待ち人は動いて来るうえに、その相手を待っているものですから、すぐに視線を移してしまいますから、実際の色彩が先に立ちます。すると聞き手は、ちょっと安っぽい虚偽に感じてしまうばかりではなく、それを正当化するために、「わざと待ち人の方を見なかったのだろうか」など、言葉の外にあることを、永遠に考え続けなければならないような、悪循環にも陥るわけです。

 それに対して、遠景で誰かを待っている人は、白菊に埋没して動きませんから、その静止していた人物が、お目当ての人が来たので、うれしくて動き出した瞬間、それまで白妙に隠されていた静止画に、あざやかな色彩が蝶のように舞ったような印象は、きわめてゆたかな詩情を宿すばかりでなく、実際の光景を描写したものとしてもナチュラルです。

 この和歌は、第三者の視点のまま、二人の行動を眺めているところがユニークな構成になっていますが、そのために「詞書」が効率的に利用される一方で、詞書がないと把握しにくい和歌にもなっているのです。
 和歌にも、それ自体で完結しているものもあれば、詞書きとペアになってこそ作品としての価値のこもるもの、あるいは添えられた屏風絵などがあってこそ、優れた感興を得られるものなど様々です。贈答歌には、片方だけでは意味の不明瞭なものもありますし………つまりは閉ざされた三十一字の芸術性などというたわごとにはこだわらず、もっとも感動できる状態こそが、作品の姿であると捉えてくださったらよいのです。
 結論。
  この和歌は、詞書を添えてひとつの作品です。

    「おほさはの池のかたに
       菊うゑたるをよめる」
ひともとゝ
   おもひし花を おほさはの
  池の底にも 誰(たれ)か植ゑけむ
          紀友則 古今集275

一本であると
   思われた花を 大沢の
  池の底へと 誰が植えたのでしょう

  紀友則のひとり舞台になってきました。
 大沢の池というのは、京都府京都市右京区にある大沢池のことで、そのほとりに咲いている菊をそのまま誉めるのではなく、あまり美しい菊なので近づいて眺めたら、池の水面(みなも)にその影が映っているのに気がついた。嬉しくなって、
    「池の底にも、菊が植えられていたとは」
と詠んで見せたのです。
    「菊の花は一本である」
と思った上の句と、池を眺めた下の句の間には時間差があり、詠み手が菊へと近づいていったことが知られますから、なおさら、美しい菊に引かれる心情が伝わってくる。そのうえで下の句へと至りますから、もう一本の菊を発見したよろこびが、わずか三十一文字(みそひともじ)の和歌にあって、クライマックスを形成するような広がりを見せるのです。つまりは、
  「池のほとりに一本の菊を見つけた」
    ⇒「それに引かれて近寄った」
     ⇒「池を眺めてもう一本の菊を見つけた」
その瞬間のよろこびを和歌にしていることが、
 和歌自体から読み取れますから、
  ドラマチックに思えるのです。つまり
    「ひともとゝおもひし花を」
という説明を加えることによって、理屈に勝る和歌を生みなしているのではなく、逆にドラマチックなよろこびの語りかけを詠みなしている。しかも「池の底に見つけたよ」ではなく、
    「池の底にいったい誰が植えたのでしょう」
と表現しますから、地上とは異なる水底の世界の不思議を、人ならざる者にゆだねたような印象さえ籠もります。
 このように着想をストレートには表現せず、巧みな表現のうちに再構築するような構図こそ、『古今和歌集』の特色のひとつですが……
 いとこの紀貫之の場合はどうでしょうか。

    「世の中のはかなきことを
       思ひけるをりに
         菊の花を見てよめる」
秋の菊
  にほふかぎりは かざしてむ
 花より先と 知らぬわが身を
          紀貫之 古今集276

秋の菊を
  匂っているあいだは かざしていたいな
 花より先に消えるかも知れないとは
    思ってもいないこの身に

 ここでも、もし、
    「花より先かもしれないこの身に」
とすれば分かりやすい表現になりますが、そうではなくて、
    「花より先であるとさえ、知らないこの身に」
と表現したところに、詠み手の思いが込められていると見てよいでしょう。もしこれが、他人に対しての和歌であるならば、
    「花より先であることさえ、考えないあなたよ」
 花に浮かれる相手に、現実を知らしめるような、ありがちのシチュエーションとなります。しかし、自分に向けられたものである以上、知らない自分に対して、知っている自分が教えるような、不思議な状態が生まれてくる。実は、そのような不思議な状態こそ、詠み手の思いそのものであるのです。

 それはつまり、
    「頭ではそうと知りながら、
    身体はどうしてもそう思えない」
でいる自分というもの。あるいは人間というもの。わたしだけはつい大丈夫だと安心してしまう、生物の本質的な感覚について述べている訳です。それなら、なぜそのような思いが湧いてきたかというと、詞書にあるように、
     「世の中のはかなきことを思ひけるをり」
であったからです。

 亡くなった人たちもまた、死んでしまうことなど、思いもせずにいたものを、ある日突然、はかなくも消えてしまった。それなら自分自身も、いつ消えてしまうかも分からないのだけれど、そう頭では理解しながら、かつての亡くなった人たちと同様、自らの健全な身体というものは、どうしても花より先に死んでしまうとは、感じることが出来ないでいる。

 そんな複雑な気持ちが、
    「花より先と知らぬわが身を」
には込められているのです。

 ただし、その悲壮がこの和歌の本体ではありません。
  この和歌の中心は上の句にあり、そんなわたしの命ではありますが、せめて長寿を祝う菊の花の香っている間は、それを身につけてお守りにしようよ。といって、菊に長寿を願うような和歌になっているのです。

  どうでしょう。
 ダイレクトに記さずに、含みのある表現にゆだねるからこそ、明日をも知れぬ命について考えること。それを受け取れないみずからの感覚。同じように感じながら死んでいった知人たち。だからこそ、せめて菊に長寿をお祈りしたいという、花を愛でながらのちょっと喜ばしいような祈願。そのような複雑な心情が、複雑な心情のままに伝わってはこないでしょうか。
 間接的な表現は、なにも煮え切らなさや、まどろっこしさに寄与しているのではありません。なぜはっきり伝えられなかったのか、推し量るところから、詠み手の心理が見えてくる。あるいは明示されなかったために、さまざまに推測されるべき含みが生まれてくる。そうしたものが余韻となって、和歌を味わい深いものにしているのが、『古今和歌集』の魅力の一つなのかも知れません。

[そうした魅力を「今歌」に置くとしたら、もうひとつの魅力は、「古歌」に見られる即興的な、あるいは明解な、分かりやすい和歌にあると言えるかも知れません。この勅撰和歌集は、はなから、どちらのスタイルにも価値があると認めた上で、その両方を掲載しつつ、「仮名序(かなじょ)」に見られるように、新しいスタイルを讃えてもいるのです。]

冬歌 巻第六

[朗読6]

 「夏歌」が短いなかに、ホトトギスばかり並べていたように、「冬歌」も短いうちに、雪ばかりが降りつのるようです。そんな雪の歌を二つほど。

夕されば
   ころも手寒し み吉野の
 吉野の山に み雪ふるらし
          よみ人知らず 古今集317

夕方になると
   袖のあたりが寒いよ 聖なる吉野と
  讃えられる吉野の山には 雪が降っていることだろう

 撰者の和歌が、情緒を理知的に編み込むような、間接表現に巧みであるとするならば、『古今和歌集』のもうひとつの魅力は、「よみ人知らず」の和歌を中心に並べられた、素朴で率直な表現に籠(こ)もるでしょう。この和歌も、何の難しいところもありません。
    「夕方になったので、袖のあたりが寒いよ。
       吉野のあたりは、もう雪が降っているのだろうな」
そう詠んだばかりです。ただ簡単な叙述のうちにも、詠み手が寒さから吉野の雪を推し量っている。それによって聖なる山に降る雪を、ちょっと讃えている。そんな間接表現のうちに、先ほどの和歌に似通ったところが、やはりあるように思えます。
 今度は撰者の和歌。

雪ふれば
  冬ごもりせる 草も木も
 春に知られぬ 花ぞ咲きける
          紀貫之 古今集323

雪が降れば
   冬ごもりしている 草にも木にも
 春には知られることのない 花が咲いているのです

 ここでもまた、
    「春には知られることのない花」
という間接表現が際立ちますが、一方で二句目の「冬ごもりせる」が利いています。これにより草も木も、もとよりわたくしさえも、
    「雪の降る寒さに震えるような」
閉じこもる冬のイメージが与えられ、それが、
    「冷たい雪の花が咲いているのだから」
と、下の句で確認される仕組みになっているからです。

 しかも間接的に、
   「春には知られることのない花」
と表現したことによって、雪に彩られる幻想性と共に、あたたかい春を待ちわびるわたくし、さらには草や木の思いさえ、しみじみとあふれてくる。
 つまりは冬と春とを対比させつつ、現在の寒さを詠んだからこそ、待ちわびる思いも伝わってくるのであって、なにも、ちょっとした化粧をほどこすために、言葉を飾っている訳ではありません。むしろ和歌の本質に関わるような表現になっている。そこに着目して欲しいと思います。

 短い冬はもうお仕舞い。
  最後にひとつ、裏の思いなどなにもない、
   ちょっと遊びを込めながら大胆に詠み流して、
  年月の過ぎるような和歌をどうぞ。

    「としのはてによめる」
きのふと言ひ
  けふと暮らして 明日香川(あすかゞは)
    ながれてはやき 月日なりけり
          春道列樹(はるみちのつらき) 古今集341

昨日と言いながら
   今日と暮らせば もう明日か
  明日香川のように
     流れてはやいものは
       月日であることよ

 もっと簡単に言うなら、この和歌の着想は、
    「昨日、今日、明日、
      明日香川のように、はやい月日であること」
ということで、それを上の句で、
    「昨日と言い、今日と暮らして、もう明日か」
みたいなリズム遊びに楽しみながら、三句目は例の掛詞(かけことば)を利用して、「明日香川」へと掛け合わせ、下の句の取りまとめ、
    「流れの速い月日であることよ」
へとよどみなく流し去る。まるでこの和歌の叙し方そのものが、早く過ぎる時の流れを暗示しているかのような気配です。しかも、
    「光陰矢の如し」
などと言われても、なんの情緒も湧いてきませんが、
    「昨日、今日、明日」
と、日常の肌感覚に近い表現をされると、時の早さに対する、詠み手の実感が伝わって来ます。それが河の流れに喩えられますから、
    「そうそう、確かにその通りなんだよなあ」
そう共感させられるところが、格言とはまったく違う、詩としての生命力であるといえましょう。詞書につけられた、
   「年の果に詠める」
というぶっきらぼうな呈示も、
  淀みなく和歌へと流れ去るようで効果的です。

 このような、活動的で、なんの屈託もない、きびきびとした愉快な和歌が、後の世になるとほとんどなくなってしまう。体裁ばかりはご立派にして、静的なオブジェが、活力を失ったスナップ写真のように陳列するとき、和歌の時代は終焉を迎えることになるでしょう。けれどもそれは、『八代集』の出来事ではないようです。

賀歌 巻第七

 詞書きから、本康親王(もとやすのみこ)の七十歳の祝賀に、屏風に詠み込んだ和歌だということが分かります。

春くれば
  宿にまづ咲く うめの花
    君が千歳(ちとせ)の かざしとぞ見る
          紀貫之 古今集352

春がくれば
  屋敷にまず咲く 梅の花を
 あなたの長寿を祝う かんざしとして眺めます

 長寿を祝う梅を「花かんざし」に身につけて、あなたが末長くすこやかでありますように。さすが紀貫之、祝賀の時はダイレクトに攻めてきます。「かんざしと思って眺める」という態度が、間接的な表現ではありますが、伝わる和歌の内容としては、おめでたいばかりで裏がありません。祝賀はそれでよいのです。

[おまけ]
 ちなみに直接「かざしにぞ差す」などすれば、人工的な祝賀歌の気配が濃厚ですが、「かざしとぞ見る」ですと、ただ梅を眺めたときにあなたのことを思った、というような日常的な情感へと溶け込ますことが出来ますから、かえって詠み手の心情が、祝賀の為にわざわざこしらえたものではなく、自然に湧いてきたように感じられる。「かんざしと思って眺める」という間接表現(「これはあなたのかんざしである」と直接には言っていない)によって、かえってその思いが深いものであるように感じさせることに成功しているようです。そうして間接的に相手を讃えたような含みが、余韻となって残るという仕組みです。

離別歌 巻第八

すがる鳴く
   秋のはぎ原 あさ立ちて
 たびゆく人を いつとか待たむ
          よみ人知らず 古今集366

すがるが鳴いている
   秋の萩原を 朝に立って
  旅へと向かう人を
    いつまで待てばよいのでしょうか

 かつて『万葉集』の頃は、「上の句」や「下の句」の全体にわたるセンテンスが、慣用句のように使い回されたような表現が沢山あり、この和歌の下の句、
     「旅ゆく人を いつとか待たむ」
というのも、しばしば『万葉集』に見られる表現です。
 おそらくこの和歌は、万葉集に近いような、いしにへの作品かと思われ、素朴でその場に語られたような内容には、分かりにくい処はありません。ただ困るのが、「すがる鳴く」という言葉です。なにしろ「すがる」には、「ジガバチ」と「鹿」という、まったく異なる意味が存在するのですから……
 これは、おそらくは、万葉集時代には「蜂の羽音」として詠まれていたものが、いつしか忘れ去られ、万葉集の読み取りが盛んになる平安時代には、「鹿」ではないかと類推せられて、鹿として和歌に詠まれるようになってしまった。というのが真相らしいのですが、なにしろややこしい話です。
 つまり、この和歌における「すがる」は、秋萩を飛び交っているジガバチのか細い響きを、鳴いていると表現して、さびしさを強調してみたのではないかと思われます。
 今日私たちが古典を苦労して読み解くようなことを、平安時代の歌人たちも行っていた。そう思うと、なんだかちょっと、親近感が湧いてはこないでしょうか。

    「山にのぼりて、帰へりまうできて、
      人々別れけるついでによめる」
わかれをば
  山のさくらに まかさてむ
    とめむとめじは 花のまに/\
          幽仙法師(ゆうせんほうし) 古今集393

別れ言葉は
  山のさくらに 任せようか
    引き留めようか 引き留めまいか
  それは花のなせるままに……

 山に登って帰ってきて、人々が別れる時に詠んだものです。今日なら「さよならはつらいものです」と和歌に詠みそうなところですが、
    「あなた方を引き留めるかどうかは、
       咲きほこる桜に任せようと思うよ」
と詠むことによって、
    「せっかく、花のシーズンですから、
       もうしばらく滞在していきませんか」
という希望を委ねたものです。こんなシャレた表現で引き留められたら、誰しも留まりたくなるのではないでしょうか。

しひてゆく
  人をとゞめむ さくら花
 いづれを道と まどふまで散れ
          よみ人知らず 古今集403

どうしても行ってしまう
   あの人を留めたいから さくらの花よ
  どこが道であるか 分からないほど散ってくれ

 先ほどは、咲き誇る桜によって引き留めようとしましたが、こちらは散る花びらで、道を覆い隠して欲しいという内容です。「強(し)ひて」というのは、「無理をおして」くらいの意味ですが、
     「どうか行かないでください」
 そう歎くわたしを置き去りに、
  立ち去ってしまう人の背中を眺めながら、
     「さくらの花よ、お願いです、
       道を隠してください」
とすがるような思いが込められているようです。

羇旅歌 巻第九

 羇旅歌には「あまの原ふりさけみれば」を初め、名歌が並んでいますが、ここではきわめて分かりやすい和歌をひとつだけ。

    「甲斐の国へまかりけるとき、道にてよめる」
夜をさむみ
  おくはつ霜を はらひつゝ
 草のまくらに あまたゝび寝ぬ
          凡河内躬恒 古今集416

夜が寒いので
   付いた初霜を 払いながら
 草を枕にして 何度も眠り直したよ

 「初霜」というのは、はじめて降る霜のことですから、ちょっと想像力を豊かにすると、おもしろい情景も浮かんできます。
 あるいは詠み手は、それまでの気候から、ちょっと油断して軽装で、あるいはジャケットを忘れて、旅に出てしまったのでしょうか。それがある晩、急に寒さがつのってきて、ついには初霜さえ付き始めた。「あまたたび」というのは「数多く」の意味ですから、ちょっと眠り直すくらいにしては大げさな表現です。そうであればこそ、よっぽど寒くて、寒くて、霜を払いながら、惨めに草を枕にして、「さぶい、さっぶい」と嘆きながら、眠りきれない人物の、本人ばかりは悲劇のヒーローでありながら、よそ目にはちょっと滑稽なピエロぶりさえも、浮かんでくるようです。
 結句の「あまたたび寝ぬ」には、「旅寝(たびね)」すなわち旅先の眠りの意味が掛け合わされていますが、上の句で「初霜」と述べてしまったものですから、旅寝を何日も繰り返すという意味としては破綻しています。そのため、詩情に働きかけない、今日に言うところの「駄洒落の掛詞」となってしまいました。まるで、あまり寒いために、思いついた和歌すらもヤケを起こして、下手な駄洒落へと陥ってしまったような……
 あるいはそこまで計算されて、
  この和歌は詠まれたのでしょうか。
    「これがほんとの、あまた旅寝むか。
      なんちてな。へくしょん」
なんてくしゃみをしながら、凍えそうに震えている情景は、寒さに対する真実性と、状況の滑稽さ、つまりシリアスとコメディのハルモニア(調和)の上に成り立っているようです。

 ところでこの凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)という人、以前にも和歌で登場しましたが、この人こそ、紀貫之、紀友則、壬生忠岑と並ぶ、『古今和歌集』の四人目の撰者です。彼らが醍醐天皇(だいごてんのう)のもとに編纂した勅撰和歌集こそ、『八代集』の開始を告げるものとなるわけですが、それについては恋歌の前に、もう一度軽く眺めて見ることにしましょう。

物名(もののな) 巻第十

 『古今和歌集』だけに見られるユニークな傾向は、「四季」に始まる前半の最後に、一巻まるごと「物名(もののな)」と呼ばれる、言葉遊びの和歌を、きまじめな態度で選出している点にあります。
 この物名というのは、和歌の中に、和歌の意味とは関わりの無い言葉を、それと悟られないような形で織り込むことで、もっとも多用されるのは、通常の文脈の区切りとは異なる区切りで、言葉を隠し込むやり口です。
 たとえば、
    「忘るほど、時すぎ去れば」
という表現のなかに、「ほど、時す」つまり「ホトトギス」が込められている。しかもそのホトトギスは、和歌の内容とはなんの関わりもない。というような遊びですが、当時は和歌を書きしるす際に、濁点は加えませんでしたから、濁音と清音は区別されず「ほどときす」も「ほととぎす」も、おなじ表現と見なされました。
 これは掛詞(かけことば)とは違って、その言葉を詠み込むところに主眼があって、和歌の意味とはなんの関係もない、完全な言葉遊びであることに、その特徴があります。(しかし、なかには、それを乗り越えて、和歌の意味に働きかけるものも、まま見られます。)また、語りのうちに察知するよりも、目で文字を読むことによって、見つけ出しては楽しむような効果があるようです。
 そんな物名を一つ。

    「りうたむの花」
わが宿の
   花踏みしだく 鳥討たむ
 野は無ければや こゝにしも来る
          紀友則 古今集442

わが宿の
  花を踏み荒らしている 鳥を討つのだ
 野が無いからといって ここにまで来るのだろう

    「と(りうたむ、のはな)ければや」
と「竜胆(りゅうたん)の花」が詠み込まれています。これはリンドウのことですから、もとの和歌との関連性もあるようですが、必然性がある訳ではありません。物名の面白いところは、通常の和歌ならば絶対に詠まれないような「鳥を討つ」などという俗な表現が、平気でなされたり、言葉を織り込もうと躍起になるあまり、本来の和歌がしどろもどろになったりするところで、あるいはこのような和歌は、なにかの余興として、行われでもしたのでしょうか。最初から冗談と思って眺めると、なかなか楽しくも読まれるものです。
 それにしても紀友則、こんな冗談の和歌でも鳥のことを詠んでいます。あるいは羽ばたく鳥に思いを委ねるような、生粋のロマンチストだったのかもしれませんね。

  もう少し凝った和歌を一つ。
 これは折句(おりく)と呼ばれる技法で、五七五七七のそれぞれの頭の文字をつなぎ合わせると、言葉になっているという遊びです。次のは、それぞれの頭の文字に、「をみなへし」と織り込まれています。

をぐら山
 みね立ちならし
  なく鹿の
   へにけむ秋を
    しる人ぞなき
          紀貫之 古今集439

小倉山の 嶺を踏みならすように
   鳴いている鹿の 過ごしてきた秋を
  知る人などだれもいないよ

 やれやれ、凝ったことを和歌を破綻させずに、詩情すら込めて詠みなす巧みは誰かと思えば、紀貫之、またあなたでしたか。おかげで古今和歌集の前編が、下手な和歌で終わらないで済みましたよ。
 それでは次回は、後編をお贈りしたいと思います。
  さようなら。

           (をはり)

2014/06/11
2014/08/16改訂
2015/02/05再改訂+朗読

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