八代集その七 千載和歌集 短詩

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はじめての八代集その七 千載和歌集 (せんざいわかしゅう) 短詩

 和歌の表現は、今日では古語と呼ばれるような、当時の語り口に寄り添います。そうであればこそ、その三十一字(みそひともじ)との親和性は、今日の散文構造では、思いもよらないくらい、しっくりと来るものでもあったのですが……
 現代の日本語が、幾分か肥大した冗長にあることは避けられませんが、それもまたわたしたちの、あたりきの表現には過ぎないものであるならば……

 私たちは、ちょっと柔軟にした、短詩くらいでもって、和歌を現代語にパラフレーズした方が、あるいは詩興も生きるのかも知れません。そう思えばこそ、今回は三十一字に当てはめずに、ルーズな詩型でお送りします。千載集の和歌の紹介を……

春歌上 巻第一

    「堀川院御時百首の歌奉りけるとき、
         残雪をよめる」
道絶ゆと いとひしものを
   山里に 消ゆるは惜しき
  去年(こぞ)の雪かな
          大江匡房(おおえのまさふさ) 千載集4

道が絶えると 厭わしく思っていたような
  山里もいつしか 消えるのが惜しまれるような
 去年の雪の名残なのです

    「題知らず」
春の夜は
  のきばの梅を もる月の
    ひかりもかをる こゝちこそすれ
          藤原俊成(としなり) 千載集24

春の夜は
  軒端の梅から 漏れる月の
 ひかりさえそのかおりに
   包まれるような気がします

    「百首の歌めしけるとき、
       梅の歌とてよませ給うける」
春の夜は
  吹き舞ふ風の うつり香を
    木ごとに梅と
  思ひけるかな
          崇徳院(すとくいん)御製 千載集25

春の夜は
  吹いては舞うような 風のうつすかおりに
 すべてが梅の花であるような
    錯覚にさえとらわれたのでした

    「百首の歌めしけるとき、
       春の歌とてよませ給うける」
あさゆふに
   花待つほどは おもひ寝(ね)の
 夢のうちにぞ 咲きはじめける
          崇徳院御製 千載集41

朝にも 夕べにも
   花を待つあいだは 焦がれて眠る
 夢のなかから まず咲き始めたものでした

    「百首の歌めしけるとき、
       春の歌とてよませ給うける」
いづかたに
  花咲きぬらむと 思ふより
 よもの山辺に 散るこゝろかな
          待賢門院堀川(たいけんもんいんのほりかわ) 千載集42

どちらに
  花は咲いただろうと 思へばもう
 あちらこちらの山のあたりに
    こころは散り迷うばかりです

春歌下 巻第二

    「花の歌とてよめる」
ひと枝は
  折りてかへらむ 山ざくら
 風にのみやは 散らしはつべき
          源有房(みなもとのありふさ) 千載集94

ひと枝くらい
  折って帰ろうか 山ざくら
 ただ風にばかり
   散らされたのではたまらないから

    「やよひのつごもりに、よみ侍(はべ)りける」
ながむれば
   思ひやるべき かたぞなき
 春をかぎりの ゆふぐれの空
          式子内親王(しょくしないしんのう) 千載集124

眺めていると
   思いの向かうべき あてさえありません
  春の終わりの 夕暮れの空には……

夏歌 巻第三

    「暮見卯花といへる心をよみ侍りける」
夕月夜(ゆふづくよ)
   ほのめく影も 卯の花の
 咲けるわたりは/垣根は さやけかりけり
          藤原実房(さねふさ) 千載集140

夕月の宵
  ほのかな影さえ 卯の花の
 咲いているあたりは あきらかなのです

    「堀河院御時、百首の歌たてまつりける時、
      照射(ともし)の心をよみ侍りける」
さつき闇
   さやまの嶺に ともす火は
 雲のたえまの 星かとぞ見る
          藤原顕季(あきすえ) 千載集193

梅雨の闇の夜
  狭山の峰に ともすかがり火は
 雲の絶え間から
   星がきらめいたように思われ……

    「題知らず」
あはれにも
  みさをに燃ゆる ほたるかな
    声立てつべき
  このよと思ふに
          源俊頼(としより) 千載集202

あわれにも
  黙って燃えるような ほたるなのです
 声をあげて 泣いてしまいそうな
  この夜だとは 思うのですけど……

    「題知らず」
あさりせし
  水のみさびに とぢられて
    ひしの浮き葉に
  かはづなくなり
          源俊頼 千載集203

あさりまわった
  水垢にすっかり 閉ざされて
 菱(ひし)の浮き葉で
   かえるが鳴いています

    「雨後月明といへる心をよめる」
ゆふ立の
  まだ晴やらぬ くもまより
    おなじ空とも 見えぬ月かな
          俊恵法師(しゅんえほうし) 千載集217

夕立の
  まだ晴れきっていない 雲の合間から
    おなじ空とは 思えない月のひかりです

秋歌上 巻第四

    「海辺月といへる心をよめる」
ながめやる
  こゝろの果てぞ なかりける
    あかしの沖に
  澄める月かげ
          俊恵法師 千載集291

眺めわたす
  こころは尽きることもありません
 明石の沖に
   澄みわたる月のひかりよ

    「ひさしく住まず侍りけるところに、
       秋の頃、まかりてよみ侍りける」
時しもあれ
  秋ふるさとに 来てみれば
    庭は野辺とも
  なりにけるかな
          藤原公任 千載集269

よりによって
  秋のふるさとに来てしまったら
 庭はまるで野原のように
   ただ荒れ果てているばかり……

    「題知らず」
なにとなく
   ものぞかなしき 菅原(すがはら)や
  ふしみの里の 秋の夕ぐれ
          源俊頼 千載集260

なんとなく
   ものがなしいもの 菅原です
  伏見の里の 秋の夕ぐれ……

    「堀河院御時、百首歌奉りける時よめる」
こがらしの
   雲吹きはらふ 高嶺(たかね)より
  さえても月の 澄みのぼるかな
          源俊頼 千載集276

木枯らしの
  雲を吹き払う 高き峰から
 冴え渡る月が のぼってくるのです

    「月の歌三十首、よませ侍りける時、よみ侍りける」
秋の月
 高嶺(たかね)の雲の あなたにて
  晴れゆく空の 暮るゝ待ちけり
          藤原忠通(ただみち) 千載集275

秋の月は
  高嶺の雲の 向こうから
    晴れてゆく空の 暮れるのを待っています

    「題知らず」
山の端(は)に
   ますみのかゞみ かけたりと
 見ゆるは月の いでるなりけり
          藤原基俊(もととし) 千載集287

山の端(はし)に
  澄みわたった鏡を 掛けたのかと
    思えば月は のぼってくるのです

秋歌下 巻第五

    「堀河院御時、百首の歌奉りける時よめる」
山ざとは さびしかりけり
   木枯らしの 吹くゆふぐれの
 ひぐらしのこゑ
          藤原仲実(なかざね) 千載集303

山里は さびしいものです
   木枯らしの 吹く夕暮れに
 ひぐらしの声が……

    「きりぎりすの近く鳴きけるを、よませ給うける」
秋深く なりにけらしな
  きり/”\す 床(ゆか)のあたりに
 こゑ聞こゆなり
          花山院(かざんいん) 千載集332

秋も深くなってきました。
  きりぎりすの声は 床のあたりから
 ひそかに聞こえて来るのです。

    「堀川院御時、百首の歌奉りける時よめる」
杣(そま)かたに
   道やまどへる さを鹿の
 妻どふ声の しげくもあるかな
          藤原公実(きんざね) 千載集308

杣山のあたりに
 (心ばかりではありません)
    道さえさ迷うような 牡鹿(おじか)の
  妻を求める鳴き声が しきりに響いて来るのです

    「夜泊鹿といへる心をよめる」
夜をこめて
   明石の瀬戸(せと)を 漕ぎいづれば
 はるかに送る さを鹿のこゑ
          俊恵法師 千載集314

夜の深いうちに
   明石の海峡へ 漕ぎ出せば
 はるかな嘆きみたいに
    わたしを送る 牡鹿の声が
  さみしく響きわたるばかりです

    「題知らず」
草も木も
  秋のすゑ葉は 見えゆくに
    月こそ色は\も かはらざりけれ
          式子内親王(しょくしないしんのう) 千載集325

草も木も
  秋のゆく末の 葉は染まりゆくのに
 月ばかりは色も変わらず
   どこまでも澄みわたるのでした

    「百首の歌めしける時、
      九月尽の心をよませ給うける」
もみぢ葉の
  散りゆく方を たづぬれば
    秋もあらしの 声のみぞする
          崇徳院(すとくいん) 千載集381

もみじの葉の
  散ってゆく方を 訪ねてゆけば
    秋も今は 嵐の声ばかり 響いてくるようです

    「百首の歌奉りける時、九月尽の心をよめる」
今宵まで
  秋は限れと 定めける
 神代(かみよ)もさらに うらめしきかな
          花園左大臣家の小大進(こだいしん) 千載集386

今宵までで
  秋は終わりだと 定めたという
 神々の世さえ 恨めしく思われるのです

冬歌 (巻第六)

    「題知らず」
霜さえて
  枯れゆく小野(をの)の 岡(をか)べなる
    ならのひろ葉に
  しぐれ降るなり
          藤原基俊(もととし) 千載集401

霜は冴え渡り
  枯れてゆく小さな野の岡には
    ただ楢の色づいた葉に
  しぐれが降り注ぐよ

    「百首の歌めしける時、よませ給うける」
なには潟(がた)
  入り江をめぐる あし鴨(がも)の
 たま藻(も)の床(とこ)に 浮き寝すらしも
          藤原顕輔(あきすけ) 千載集433

難波潟(なにわがた)の
   入り江を巡り暮らしている 蘆鴨(あしがも)は
  玉なすような藻を 寝床(ねどこ)にして
    浮き寝をしているのだろうか

    「雪の歌とてよみ侍りける」
跡も絶え
  しほりも雪に うづもれて
 かへる山路に まよひぬるかな
          藤原実房(さねふさ) 千載集458

足跡も消えて
  道しるべさえ雪に 埋もれてしまい
    帰ろうとした山路に
  迷ってしまったものだなあ

    「醍醐の清滝のやしろに、
       歌合し侍りける時よめる」
ふる雪に
   軒ばの竹も うづもれて
 友こそなけれ 冬の山ざと
          よみ人知らず 千載集462

降る雪に
  軒端の竹まで 埋もれてしまい
 友さえ訪れない 冬の山里よ


    「年の暮のこころをよめる」
あはれにも
   暮れゆく年の 日かずかな
 かへらむことは 夜の間とおもふに
          相模(さがみ) 千載集471

しみじみと思うことは
   暮れゆく年の 残された日数について……
 はじめにもどることは
   年明けの夜のあいだには
     過ぎないのですけれど……

離別歌 巻第七

[朗読2]

    「遠き所へまかりける人の、まうで来て暁帰りけるに、
       九月尽くる日、虫の音もあはれなりければ詠める」
鳴きよはる
  まがきの虫も とめがたき
 秋のわかれや かなしかるらむ
          紫式部 千載集478

鳴き弱る
  垣根の虫たちも 留められない
 秋の別れが 哀しくて泣くのでしょうか

羇旅歌(きりょのうた) 巻第八

    「百首の歌めしける時、
       旅の歌とてよませ給うける」
さゝの葉を
  夕露ながら 折りしけば
    玉ちる旅の
  草枕かな
          郁芳門院安芸(いくほうもんいんのあき) 千載集514

笹の葉を 夕露のままに
  折り取って 敷き詰めたなら
    玉つゆこぼれて なみだと散るような
  そんな旅の 草枕なのかな

    「尾張国に知るよしありて、しばしば侍りける頃、
       人のもとより、都のことは忘れぬるか、
      といひて侍りければ、つかはしける」
月見れば
  まづみやこゝそ 恋しけれ
 待つらむと思ふ 人はなけれど
          道因法師(どういんほうし) 千載集521

月を見れば
  まずはみやこのことが 恋しくなります
    待ってくれているような
  人はないのですけれど

哀傷歌(あいしょうか) 巻第九

    「花の盛りに藤原為頼など共にて、
      石蔵(いはくら)にまかれりけるを、
     中将宣方(のぶかた)朝臣、などかかくと侍らざりけむ。
    後の旅には必ず侍らむと聞こえけるを、
     その年、中将も為頼もみまかりける。
      またの年かの花をみて、
       大納言公任のもとにつかはしける」
春来れば
  散りにし花も 咲きにけり
 あはれ別れの かゝらましかば
          具平親王(ともひらしんのう) 千載集545

春が巡り来れば
  かつては散った花さえも また豊かに咲くのです
 もし亡き人との別れが そのようなものであったなら……

    「返し」
行きかへる
  春やあはれと 思ふらむ
 ちぎりし人の またも逢はねば
          藤原公任 千載集546

去ればまた戻ってくる
  春の方こそ 哀れと思うのでしょうか
 また逢おうと約束を交わした
    人と会えなくなることを……

    「後一条院、四月に隠れさせ給ひける年の九月に、
    中宮また隠れ給ひにける。四十九日のすゑつかた、
   宮の上東門院に渡り給ひける日、
     人々別れを惜しみけるによみ侍りける」
かなしさに
  そへても物の かなしきは
    わかれのうちの わかれなりけり
          小弁命帰(こべんのみょうぶ) 千載集561

かなしさに
  添えてなおさら かなしいものは
    別れの済まないうちの
  新たな別れなのです

    「あひ知れりける女、身まかりける時、月を見てよめる」
もろともに
   ありあけの月を 見しものを
  いかなる闇に 君まよふらむ
          藤原有信(ありのぶ) 千載集576

ふたりで一緒に
  夜明けの月を 眺めこともありました
   (今はもう 月明かりのしたにあなたはいません)
  いったいどのような 黄泉(よみ)の闇のなかを
     あなたはさ迷っているのでしょうか

    「大炊御門(おほひのみかど)の右大臣身まかりてのち、
   かのしるし置きて侍りける、私記どもの侍りけるを見て、
    よみ侍りける」
をしへおく
   その言の葉を 見るたびに
 また問ふかたの なきぞかなしき
          徳大寺実定(とくだいじさねさだ) 千載集590

教え残してくれた
   あなたの言葉を 眺めるたびに
 もう尋ねることの 出来ないのが悲しい

    「西住法師身まかりける時、
      をはり正念なりけるよし聞きて、
    円位法師のもとにつかはしける」
乱れずと
  をはり聞くこそ うれしけれ
 さてもわかれは なぐさまねども
          寂然法師 千載集604

    「返し」
この世にて
   また逢ふまじき かなしさに
 すゝめし人ぞ こゝろみだれし
          円位法師(えんいほうし) 千載集605

この世では
   もう逢えない 悲しみに
  臨終に仏を願うことを
     すすめたわたしの方が
    こころを取り乱してしまったのです

賀歌 巻第十

    「摂政右大臣に侍りける時、百首の歌よませ侍りけるに、
      祝の歌五首がうちに、よみ侍りける」
もゝちたび
  うら島が子は かへるとも
 はこやの山は ときはなるべし
          藤原俊成(としなり) 千載集626

百も千も
  浦島の子が 竜宮城から戻ろうとも
 仙人のおさめるはこやの山は
    常に変わることはありません

恋歌一から五 巻第十一から十五

    「百首の歌よみ給ひける時、恋の歌」
はかなしや
  まくら定めぬ うたゝ寝に
    ほのかに迷ふ 夢のかよひ路
          式子内親王(しょくしないしんのう) 千載集677

はかないものですね
   まくらの向きさえ定めずに
  いつしかうたた寝をしてしまいました
     ぼんやりとした夢の通い路をさ迷うみたいに
    あなたにたどりつけないでいるのです

    「月前恋といへるこゝろを」
なみだをも
  偲ぶるころの わが袖に
 あやなく月の やどりぬるかな
          よみ人知らず 千載集824

なみださえ
  忍んでいる頃の わたしの袖に
 ねえどうして、月は
    いつしか宿っているのでしょう

    「右大臣に侍りける時、百首の歌人々によませ侍りける時、
      後朝(きぬぎぬ)の歌とてよみ侍りける」
帰りつる
 なごりの空を ながむれば
  なぐさめがたき ありあけの空
          九条兼実(くじょうかねざね) 千載集838

帰ってしまった
  名残惜しさに 空を眺めれば
    なぐさめにもならないような
  夜明けの空が広がるばかり……

    「恋の歌とてよめる」
ひと夜とて
  よがれし床の さむしろに
 やがても塵(ちり)の 積もりぬるかな
          二条院讃岐(にじょういんのさぬき) 千載集880

今宵ひと夜は、と言って
  あなたはわたしを抱きしめたけれど……
    本当にひと夜で離れてしまった、その寝床には
  いつしか塵が積もっているようです
わたしが眠れないでいるばかりに……

    「絶久恋といへる心をよめる」
人知れず
   結びそめてし わか草の
 花のさかりも 過ぎやしぬらむ
          藤原隆信(たかのぶ) 千載集888

人に知られず
  つぼみを結び始めていた 若草の
 花の盛りさえ もう過ぎてしまったろうか

    「題知らず」
恨(うら)むべき
  こゝろばかりは あるものを
    なきになしても
  訪はぬ君かな
          和泉式部 千載集958

恨めしい
  こころばかりが 残されています
    それを無いものとしたからといって
  あなたが訪れることはないのでしょう

雑歌上 巻第十六

    「題知らず」
もの思はぬ
   人もや今宵(こよひ) 眺むらむ
  寝られぬまゝに 月を見るかな
          赤染衛門(あかぞめえもん) 千載集984

悩みのないような
   人たちも今宵は 眺めるのでしょうか
  眠ることも出来ないで
    わたしは月を見ています

    「故郷月をよめる」
ふるさとの
   いた井の清水 み草ゐて
 月さへすまず なりにけるかな
          俊恵法師 千載集1011

ふるさとの
   板井戸の清水も 水草に覆われて
 月影さえもうつらないように
    なってしまうなんて……

    「京極前太政大臣、布引の滝見はべりける時、よみ侍りける」
水の色の
  たゞしら雲と 見ゆるかな
 誰(たれ)さらしけむ
   布引(ぬのびき)の滝
          源顕房(あきふさ) 千載集1037

水の色さえ
  まるで白雲のように 見えるのです
 いったい誰が さらしたのでしょう
   布引の滝を 白い布のように……

雑歌中 巻第十七

    「春の頃、あはたにまかりて詠める」
うき世をば
   峰(みね)のかすみや へだつらむ
  なほやま里は 住みよかりけり
          藤原公任 千載集1059

憂いのある世のなかを
   峰のかすみが 隔ててくれるのだろうか
 (さみしいこともあるけれど、それでもやはり)
    山里は住みよいところですね

    「堀河院御時、百首の歌奉りける時、山家の心をよめる」
山ざとの
   柴(しば)をり/\に 立つけぶり
 人まれなりと 空に知るかな
          二条太皇大后宮 肥後(ひご) 千載集1092

やまざとでは
  柴を折りながら 折りながら
    立ちのぼるのは かまどのけむり
  のぼる数さえ少ないものですから
    住む人さえもまれなのだと
      空のけむりから知られます

    「花の歌、あまたよみ侍りける時」
ほとけには
   さくらの花を たてまつれ
 わが後の世を 人とぶらはゞ
          円位法師(西行法師) 千載集1067

ほとけには
  さくらの花を 捧げて欲しい
    わたしの亡くなったあとを
  もし祈ってくれるのならば

    「百首の歌奉りける時、無常の心をよめる」
いとひても
  なほしのばるゝ わが身かな
    ふたゝび来べき
  この世ならねば
          藤原季通(すえみち) 千載集1129

いとわしいと思っても
  それでも惜しまれるような いのちなのです
 ふたたびおとずれる
   この世ではないのですから

    「太宰大弐重家入道みまかりてのち、
      山寺懐旧といへる心をよめる」
はつせ山
   いりあひの鐘を 聞くたびに
  むかしの遠く なるぞ悲しき
          藤原有家(ありいえ) 千載集1154

はつせ山の
  日の入りの鐘を 聞くたびに
 むかしが遠く なるのが悲しい

雑歌下 巻第十八

   「花のもとに、寄り臥して、詠みはべりける」
あやしくも
   花のあたりに 臥せるかな
 折らば咎むる 人やあるとて
          道命法師 千載集1180

    「花の下に寄って臥せりながら詠むには」
あやしげに
   花のあたりに 臥せっているのだ
  折れば咎める 人もあるだろうと思って

釈教歌(しゃっきょううた) 巻第十九

    「維摩経十喩[ゆいまきょうじゅうゆ]、
      この身は水の泡の如しといへる心をよみ侍りける」
こゝに消え
  かしこに結ぶ 水の泡の
    うき世に巡る 身にこそありけれ
          藤原公任 千載集1202

こちらに消えて
  あちらに生まれる 水の泡の
 浮くような世のなかを
   めぐるいのちというもの……

    「雪の朝(あした)聞法といへる心をよめる」
朝まだき
  みのりの庭に 降る雪は
 空より花の 散るかとぞ見る
          中原清重(なかはらのきよしげ) 千載集1248

朝もはやく
  御法(みのり)の庭へ 降る雪は
 まるで空から教えの花びらが
   散るようにすら思われるのでした

神祇歌(じんぎうた) 巻第二十

    「百首の歌めしける時、神祇歌とてよませ給うける」
天(あめ)のした のどけかれとや
  さかき葉を みかさの山に
    さしはじめけむ
          藤原清輔(きよすけ) 千載集1260

天の下が
  のどかにありますようにと願って
    (この山にいらっしゃいます神は)
   榊葉(さかきば)をみかさの山に
     挿し始めたのでしょうか

           (をはり)

2014/12/05 掲載+朗読

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