新古今集のなかの万葉集 その二

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新古今集のなかの万葉集 その二

賀歌

はつ春の
   はつ子(ね)のけふの たまばゝき
 手に取るからに ゆらぐ玉の緒(を)
          よみ人しらず 新古今集708

新春を迎えて
  初子(はつね)である今日の 玉飾りをした箒(ほうき)は
    ちょっと手に触れただけで
  玉飾りがよろこばしく音を立てています

初春(はつはる)の
  初子(はつね)の今日の 玉箒(たまばゝき)
    手に取るからに ゆらく玉の緒
          大伴家持 万葉集20巻4493

「初子(はつね)の日」は、暦が変わって新年を迎えてから、初めての「子の日(ねのひ)」のことです。では「子の日」とは何かと言われると、私たちが「ねずみ年生まれ」とか「うし年生まれ」と言っているあの十二支(じゅうにし)が、年ではなく日日に割り振られている。十干(じっかん)と結びついた形で、「乙(つちのとう)」「甲(きのえね)」などとカレンダーによっては表示されているものの、「卯」「子」の部分が日付の十二支になります。つまりは、新年に入ってはじめて「子(ね)」になる日のことを「子の日(ねのひ)」と言う訳です。

 ちなみに「初午(はつうま)」の方は、一月のはじめの「午の日」ではなく、稲荷神社の主神である「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」(もともとは別の女神だったらしい)を祝う二月のはじめの「午の日」をさす。

 それで「子の日」もやはり中国の行事に基づいて、儀式を行ったもので、後には、若菜を摘んだり、小松引き(若い松を引き抜いて長寿を祝う)を行なう行事として定着したようです。「玉箒(たまばはき)」は、玉の飾りを付けたホウキのことですが、これは掃除のためではなく、行事用の飾りボウキのことです。誤解を恐れずに言うならば、門松や注連飾りと同じくらいに考えておけば良いでしょう。「ゆらく玉の緒」とあるのは、そのホウキの玉飾りが「揺れて音を発する」という意味になります。

 この短歌には長い詞書きが記されていて、臣下らが、子の日に天皇から「たまばゝき」を賜って宴会を開いたことが明らかになっています。そこで「自由に歌を詠め」と言われての作品ですが、実際は「自由歌を求められる」ことが決まってでもいたのでしょう。大伴家持が事前に準備しておいたものの、仕事のために出席出来なかった。それでお蔵入りになってしまった短歌であることが、後書に記されています。

 和歌の導入は[初春(年)]⇒[初子(月日)]⇒[今日(当日)]と、時間を定める方針で、大なるところから場所を定めていく方針と同様、定番のパターンではありますが、「初春」と「初子」の「はつ」の反復と、
     「[四字]の[三字]の[二字]の」
と次第に密になる「の」のくり返しと、時間設定の方針が結びつくことによって、言葉のリズム遊びが生きて来ますから、きわめて効果的です。

 このように言葉のリズムというものは、内容や構成と結びついてはじめて効果を持つもので、ただ、
     「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上」
とだらだら「の」を繰り返せば良いというものではありません。もちろんこれによっても明確に「リズムが生まれて」いますから、口調の面白さは存在しますが、十分に意義を伴っていないために、着想と構成よりもリズム遊びを優先させて生まれた作品のように感じられてしまう。そこに傷が残ります。

 念のために加えて置きますが、もはやここに至って、初歩的なヘタな短歌は引用しませんから、あくまでも一定レベル以上の作品の傷として、わたしは説明を加えているに過ぎません。

 このような周到な準備のもとに導いた「たまばはき」を、手に触れた瞬間、玉の鳴り響く音声へと昇華させますから、邪気を払う儀式を兼ねた、喜ばしい和歌になっています。そして、[時間軸]⇒[対象物]⇒[音声]へと移り変るプロットが、何となく情景を写し取ったような、ありきたりの短歌とは、どれほど隔たった優れた作品であるかを、何度も唱えてかみ締めてくださったらと思います。あるいは大伴家持の最後の方の作品は、万葉集時代の和歌の、ひとつの極みに至っているのかも知れませんね。

哀傷歌

     「奈良の御門をゝさめたてまつりけるを見て」
ひさかたの
   あめにしをるゝ 君ゆゑに
 月日(つきひ)もしらで 恋ひわたるらむ
          柿本人麻呂 新古今集849

(ひさかたの)
   天の道しるべだった あなたであるから
  雨に萎れるように わたしたちは
    月日もわすれて 慕い続けているようです

ひさかたの
   天知(あめし)らしぬる 君ゆゑに
  日月(ひつき)も知らず 恋ひわたるかも
          柿本人麻呂 万葉集2巻200

(ひさかたの)
   天を治めるために 昇っていかれたあなたのために
  月日もわすれて 私たちは慕い続けています

 万葉集の短歌は、天武天皇の息子である高市皇子(たけちのみこ)(654-696)が亡くなられたのに際して、柿本人麻呂が作った長大な長歌の後に置かれた、二つの反歌(ただしこの長歌では「短歌」と呼ばれています)のうちの一首です。天上を治めるために、地上を去られたあなたのために、月日をわすれて恋偲んでいるという、分かりやすい短歌ですが、漢文読解作業のうちに誤読があったのでしょうか、新古今集では「天にしをるる」と詠まれ、そのため「私たちが雨に萎れる」という意味と、「あなたが天に枝折(しお)りする」つまり道しるべとなる、という二つの意味を合せた、掛詞(かけことば)として解釈されています。

 それで作品の価値ですが、万葉集のものは格調高い長歌に相応しい、しかもより心情よりの表現をした二つ目の反歌に対して、どちらかという長歌よりの、様式的な短歌になっています。そのため今日なら、墓碑銘にでも刻み込みそうな、公的な格調を持っています。それに対して「新古今集」のものは、短歌だけで完結した、より複雑な心情を宿していると言えるでしょう。

羇旅歌

     『藤原の宮より奈良の宮に遷りたまひける時』
飛ぶ鳥の
  あすかの里を おきていなば
 君があたりは 見えずかもあらむ
          元明(げんめい)天皇 新古今集896

(飛ぶ鳥の)
    明日香の宮を 残して去ったなら
   あなたの住むあたりは 見えなくなってしまうでしょうか

飛ぶ鳥の
  明日香の里を 置きて去(い)なば
 君があたりは 見えずかもあらむ
          一書には元明天皇とも 万葉集1巻78

 万葉集の詞書きから、710年に藤原宮(ふじわらのみや)から寧楽宮(ならのみや)[=平城京]に移るときに、飛鳥の地を返り見て詠まれた和歌で、一書には元明天皇の御歌(みうた)であると注が振られています。そうであるならば、「君があたりは」というのは亡くなった夫、草壁皇子(くさかべのみこ)の墓を指すのではないかとも考えられています。天皇らしく、きわめて当たり前の感慨になっていますから、「飛ぶ鳥の」が明日香に掛かる枕詞であることくらいしか、説明の必要はなさそうです。トップの和歌は、このようなものが相応しいものです。

     『伊勢国にみゆきし給ひける時』
妹(いも)に恋ひ
   わかのまつ原 見わたせば
 しほひの潟(かた)に 鶴(たづ)鳴きわたる
          聖武天皇 新古今集897

妻を恋い慕いながら
 わたし(我が)があなたを待つ(松)
  そんな「わかの松原」を 見渡していると
   潮の引いた潟に 鶴が鳴きながら渡っていくよ

妹(いも)に恋ひ
    吾(あが)の松原(まつばら) 見渡せば
 潮干の潟に 鶴(たづ)鳴き渡る
          聖武天皇 万葉集6巻1030

 737年に疫病の大流行で、藤原四兄弟が無くなって以来、藤原氏の勢力は弱まりましたが、次の藤原氏を率いるべき藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)(?-740)(藤原宇合の長男)が、大宰府に左遷されたことを恨み、九州で挙兵。740年に「藤原広嗣の乱」が勃発します。結局は鎮圧されましたが、聖武天皇は平城京を逃れ、巡幸(じゅんこう)を重ねるという、さまよえる朝廷の時代を迎えることになります。これはその途中で詠まれた短歌。

 二句目の「あがの松原」という地名に「わたしが待つの原」を掛け合わせていますが、「妻が恋しくてわたしが待つ原」でそのまま意味が通じますから、逆にそこに地名を織り込んだようで、ヘタな駄洒落のようには鼻に付きません。むしろ「あがの松原」を見わたしているのだか、ただ「妻を待つどこかの松原」を見わたしているのだか、分からなくなるようなところにこそ魅力があって、ただ名所の浜を見渡しただけなら、ありきたりな下の句の情景が、恋のシチュエーションによってかえって高められる。つまり二句目は駄洒落ではなく、詩情のかなめになっている訳です。

     「もろこしにて詠み侍りける」
いざ子ども はや日の本へ
   おほともの み津のはま松
      まち恋ひぬらむ
          山上憶良 新古今集898

さあ皆のものよ はやく日本へ帰ろう
  大伴の 御津の浜松も
    恋しく待っているだろうから

     『大唐(だいたう)にありし時に国を思ひて作る歌』
いざ子ども 早く大和(やまと)へ
   大伴(おほとも)の 御津(みつ)の浜松
  待ち恋ひぬらむ
          山上憶良 万葉集1巻63

 山上憶良(やまのうえのおくら)(660頃?-733頃?)は第七次遣唐使として702年から704年まで、大陸に渡っていますが、その時国を思って作った歌であると、詞書きが記しています。国家の公的な港である、出航した大伴の御津の浜松が、私たちを待っているという内容ですが、「いざ子ども」と年少への挨拶ではじめたのは、あるいは四十代になっていた為と思われます。

 内容は明快です。ただ日本を離れたところで詠まれた和歌というものは、きわめて珍しいものですから、それだけでも希少価値が存在します。もちろん和歌自体も魅力的で、特に冒頭の「いざ子ども」という呼びかけが、全員率いて大和に帰るぞ、というような意思表明として、きわめて効果的です。あるいはその効果のためにこそ、実際はリーダーでも何でもないのですが、このように詠まれたものかも知れません。

天(あま)ざかる
  鄙(ひな)の長路(ながぢ)を こぎ来れば
    あかしの門(と)より やまと島見ゆ
          柿本人麻呂 新古今集899

(天ざかる)
   辺境からの長い帰路を 漕いでくれば
     明石の海峡から 懐かしい大和の島が見えて来るよ

天ざかる
  鄙の長路(ながち)ゆ 恋ひ来れば
    明石(あかし)の門(と)より 大和島見ゆ
          よみ人しらず 万葉集3巻255

「天ざかる」は鄙(ひな)[田舎や地方]に掛かる枕詞で、「長路ゆ」とある「ゆ」は経由を表わしますから、「長い帰路を通って」くらいの意味になります。この「ゆ」の用法は、平安時代には消滅していますから、新古今集の短歌では、「ゆ」の所が皆あらためられているのです。

 その描写はきわめて壮大で、「空を隔てた」ような枕詞で導かれる鄙は、まるで最果ての地の様相で、故郷への長い道のりを漕いでくると、明石の海峡から大和の島が見えたと締めくくります。もちろん大阪湾の向こうにあるのは島ではなく、山々を従えた陸には違いありませんが、まるで大陸から日本に帰ってきたような印象を持ち込むことに成功しています。

 それはもちろん、まだ島と形容されるくらい、遠くにようやく眺められた、故郷の光景を、見事に表現してもいるのです。そして最後の「見ゆ」は動詞の活用形に過ぎませんから、経由など関係ありませんが、万葉集のものは二句目の「ゆ」と響き合って、独特の効果を出しています。

 そして面白いことに、ここではかえって、新古今集の方が、質実剛健(しつじつごうけん)の気風を持って、三句目をただ「漕ぎ来れば」と実景描写に返しているのに対して、かえって万葉集の方は、「恋ひ来れば」と心情表現のかなめとして使用しています。これによって万葉集の方が、待ちわびてようやく帰り着いた心情表現においてはまさりますが、柿本人麻呂に相応しいような叙事的傾向は、新古今集の方が勝っています。あるいは質実剛健、叙事的であるべきとような、本人の知らないところで定められた柿本人麻呂像が、このように詠ませたのかも知れませんね。

笹の葉は
   み山もそよに 乱るなり
 われは妹おもふ わかれ来ぬれば
          柿本人麻呂 新古今集900

笹の葉が
  山をそよそよと鳴らして 乱れている
    わたしは妻のことを思う
  別れて来たものだから

笹の葉は
   み山もさやに さやげども
 我(あれ/われ)は妹思ふ 別れ来ぬれば
         柿本人麻呂 万葉集2巻133

 万葉集の「さやに」は、はっきりとの意味ですが、「さやさや」とした笹の響きを兼ねているようで、「さやぐ」は「そよぐ」と同じですから、「笹の葉は、山全体をはっきりとざわつくようにそよいでいる」という内容になります。この上の句が、すばらしい表現のように感じられるのは、ただの内容というよりも「ささ」「さやに」「さやげ」のような、口調のリズムと一体になった表現によってもたらされる、語りの快感と結びついているからで、例えば母音だけを取り出してみると、

aaoaa iaaoaai aaeoo
 aeaiooou aaeiuea

 上の句の「aao」「aai」「aao」「aai」「aae」という、たえず「aa」に帰ってくる口調の周期性が、無意識のうちに、心地よい特別なことを表現しているような気持ちに、わたしたちをさせるからには過ぎません。それはもちろん、優れた内容が伴ってこそのものであることは言うまでもありませんが。

 さらに三句目の後半から「o」が優位に働いて、より重く感じさせ、結句の心情の吐露では、完全に口調のリズムの快感は途絶え、生々しい詠み手の感覚へと返されるのが分かるかと思います。それに対して、新古今集のものはちょっと理屈オチといった傾向がまさりますが、もともとの原文の漢字が「乱友」と記されているので、このように解釈したものに過ぎません。ですから「みだるとも」などの説もあるようです。あるいは、私たちの詠んでいる万葉集は、長い熟成期間を通じて、寄りよい表現へと熟成されてきた、読みをしているのに過ぎないのでしょうか。

 もちろん、そこまで踏み込んだら、わたしの手に負えるものではありませんから、軽やかに逃げ去りましょう。ちなみにこの短歌、例の『定家十体(さだいえじってい)』で、幽玄体(ゆうげんてい)の短歌とされています。この幽玄(ゆうげん)という言葉は、言葉では言い尽くせないすばらしい余情の籠もるような作品をあらわす、ちょっと奥義(おうぎ)じみた和歌のスタイルとして、中世以降好んで使用される言葉になるのですが、藤原定家が万葉集のものを採用するということは、和歌のもっとも深い表現として、万葉集時代から継続するスタイルであったのだと、意識していたと言えるかも知れません。

     「帥の任果てゝ筑紫より上り侍りけるに」
こゝにありて 筑紫(つくし)やいづこ
   しら雲の たなびく山の
  西にあるらし
          大伴旅人 新古今集901

この奈良の都にもどって
  赴任先だった筑紫はどちらの方だろうか
    あの白雲のたなびいている山の
  はるか西にあるらしい

こゝにありて 筑紫やいづち
  白雲の たなびく山の
    方(かた)にしあるらし
          大伴旅人 万葉集4巻574

ここにあって 筑紫はどちらだろう
  白雲が たなびいている山の
    方角にあるだろうか

 万葉集のものは「ふたたび」の時に眺めました。大宰府から都に戻った旅人(たびと)が、かつての赴任先にいる沙弥満誓(しゃみまんぜい)に返した短歌です。新古今集で「西にあるらし」とあるのは、おそらく原文の漢字の
     「方(かた)西(にし)有(ある)良(ら)思(し)」
の取り間違いのようですが、
 もっともこの場合、
  西でも差し支えない気もします。

あさ霧に
  濡れにしころも 干さずして
 ひとりや君が 山路越ゆらむ
          よみ人しらず 新古今集902

朝霧に
  濡れた衣さえ 乾かさないで
    あなたはひとり 山路を行くのでしょうか

朝霧(あさぎり)に
  濡れにし衣(ころも) 干さずして
    ひとりか君が 山路越ゆらむ
          よみ人しらず 万葉集9巻1666

 旅ゆく夫を思う歌ですが、
   「万葉集はじめての短歌の作り方 その四」
  の序詞のところで眺めました。
 下の句のような類似の表現が多いのは、
  特定の和歌から派生したというよりも、
   皆に好まれた定番の表現だったからかと思われます。
    あるいはあの人も涙で濡れたままで、
     そんな心情も込められているのでしょうか。

しなが鳥(どり) ゐな野をゆけば
  ありま山 ゆふ霧たちぬ
    宿はなくして
          よみ人しらず 新古今集910

(しなが鳥) 猪名野を行くと
   有間山には 夕霧が立っている
     宿はみつからないのに

     「摂津(つのくに)にして作る」
しなが鳥(とり) 猪名野(ゐなの)を来れば
  有間山(ありまやま) 夕霧立ちぬ
    宿りはなくて
          よみ人しらず 万葉集7巻1140

     『一本に云ふ』
しなが鳥
  猪名の浦廻(うらみ)を 漕ぎ来れば
 夕霧立ちぬ 宿りはなくて
          よみ人しらず 万葉集7巻1140

「しなが鳥」は「鳰鳥(におどり)」と一緒で、カイツブリの事を差しますが、ここでは猪名野の「猪」に掛かる枕詞になっています。鳥としては、鴨より小さく、首のあたりが赤みのある毛の、琵琶湖でよく知られた留鳥(りゅうちょう)です。「猪名野」は兵庫県の猪名川(いながわ)が流れる平野部で、有間山は同じ兵庫県の有馬温泉(ありまおんせん)のあたりの山を指したとされますが、(小学館)はこの和歌では「六甲山」を指したのではないかと推察しています。

 短歌としては、自分が移動して場景を定めるタイプで、猪名野を来ると有間山に夕霧が立っているという設定です。動作と、夕霧が立ったという時間の変動が、詠まれた際の臨場感を高めます。その上で、この短歌の魅力は、結句の「宿りはなくて」にあると言えるでしょう。これによって詠み手が、これから野宿をしなければならないことが悟れますから、夕ぐれの霧の中でぽつねんとした、詠み手のわびしさと、濡れながら野宿をしなければならない現実とが、混ざり合ったような心情を描き出すことに成功しています。

 ただ、同時にこの動作と状況の設定は、必要最低限度のもので、三句目の有間山という地名に依存しますから、ちょっと様式的な、詠み手を誰にでも差し替えられる、民謡の歌詞のような傾向が籠もるのも事実です。それに対して別バージョンの方は、陸を海に変えると同時に、「猪名野を来れば有間山」という、最低限度の行動を表現して、特定の場所に場景をゆだねた元歌に対して、「湾を回って漕いで来れば」と場所よりも、行動の描写を細かくすることによって、さらに詠み手の状態が繊細に悟れますから、その時限りの詠み手のユニークな描写、すなわち個人的な詩的表現のように感じられるのではないでしょうか。

 けれども不思議なことに、海の方が危機感やわびしさよりも、かえって幻想性のようなものがまさってしまうのは、水に浮かんで水蒸気に包まれた舟という閉ざされた空間が、非日常的な美的感覚を、聞き手に起こさせるからかも知れませんね。元歌も素敵ですが、この別版の和歌は、かなりの秀歌かと思われます。

神風の
  伊勢のはま荻 折り伏せて
    旅寝やすらむ
  あらき浜辺(はまへ)に
          よみ人しらず 新古今集911

(神風の)
   伊勢の浜荻を 折っては敷いて
     あなたは旅寝をしているのでしょうか
   荒れた浜のあたりで

神風(かむかぜ)の
  伊勢の浜荻 折り伏せて
    旅寝やすらむ 荒き浜辺に
          碁檀越(ごのだんおち)の妻 万葉集4巻500

 葦(よし/あし)には耐塩性があり汽水域で群生することもあるので、「浜荻」というのは葦の事だともされますが、別に荻は海水に浸りながら群生する訳では無いので、浜辺の河口付近に生える「荻(おぎ)」を「浜荻」と詠んだとしても差し支えありません。(直接潮が掛からなければ生育できるくらいの耐塩性は有しているようです。)しかも、潮が満ちてこない荻の群生で旅寝をするなら、理屈としてもあっています。いかに神頼みといっても、潮が満ち来るあたりで、一か八かの旅寝を試みるようなことは、誰もしないでしょうから。

 そんな神を掲げる「神風の」は、伊勢神宮を祀る伊勢の地に相応しい枕詞になっています。「神風の」とあるのに、荒涼とした無秩序な場所にただひとり置き去りにされたような気配で、ちっとも守られた印象がないのは、それが荒ぶる神、人を翻弄する神風の側面を見せて、吹き付けて来るからです。このような人知を越えた、神の存在を織り込めた和歌であるからでしょう、例の『定家十体』において、拉鬼様(きらつのさま)の例としてあげられています。

 それで、この和歌の真の魅力は、このような場景を詠み手のものとして描き出すのではなく、さらにそれを妻が夫を思いはかった、空想上の光景へと移しかえている点にあると言えるでしょう。凝った作りになっていますが、それを感じさせないことが、秀歌の秘訣なのかも知れません。

恋歌

あしひきの
   山田もる庵に おく蚊火(かび)の
 した焦がれつゝ わが恋ふらくは
          柿本人麻呂 新古今集992

(あしひきの)
    山田を守る庵で 炊いた蚊除けの火が
  燃え上がらずに煙のくすぶるように
     こっそり焦がれながら
        わたしが恋をしているということは……

     『蚊火に寄せる恋』
あしひきの
   山田守る翁(をぢ)/翁が 置く蚊火(かひ)の
 下焦がれのみ 我(あ/わ)が恋ひをらく
          よみひと知らず 万葉集11巻 2649

「蚊火(かひ)」が本当に蚊を追い払うために焚かれた蚊遣り火(かやりび)であるかは不明です。他にも「鹿火」という表現があって、「鹿火屋(かびや/かひや)」などと使用されたりしますが、これは畑を動物に荒らされるのを防ぐために、焚く火になっています。

 キャンプの燃え上がらせるたき火ではなく、煙を出すための火なら「蚊遣り火」の方がふさわしいかも知れませんが、山田を守っているなら、「鹿火」の方がふさわしいかも知れません。いずれにせよ、そのくすぶる様子が、ひそかに熱いものを宿した、自らの恋に重ね合わされているという趣向です。

 万葉集のものは、まさに万葉集らしく、実際に山の田んぼを守っているお爺さんを、比喩のうちに登場させているのが、変にリアルですし、結句はク語法で「私が恋をしていること」と事実を言い切って終わります。

 それに対して新古今集は、たとえ比喩でも短歌の意義に無駄な登場人物は抹消して、「山田もる庵に」と置いて、語り手としての詠み手以外登場しない状況を生み出しています。これはきわめて本質的な違いで、万葉集のものだと上句は単なる比喩に過ぎませんから、まさに寄物陳思(きぶつちんし)の表現ですが、新古今集では実際に蚊火の前で、思いをくすぶらせても差し支えありませんから、上句が実際の場景との境界線の曖昧な比喩として、短歌の中で比喩と現実の断層が起きません。

 さらに結句を「わが恋ふらくは」、「わたしが恋をしているということは」と文の途中で切れるように変更しましたから、まさに現在思いに耽って、そのため言葉が途切れてしまったように感じさせることに成功しています。新古今集の短歌こそ、真の余情を宿した秀作と言えるでしょう。

いそのかみ
  布留(ふる)の早稲田(わさだ)の 穂には出でず
    こゝろのうちに
  恋ひやわたらむ
          柿本人麻呂 新古今集993

(いそのかみ)
  布留(ふる)の早刈の田の 穂のようにはすぐに現われず
    心のうちでそっと
  恋をつのらせていくだろう

いそのかみ
   布留の早稲田の 穂には出でず
 心のうちに 恋ふるこのころ
          抜気大首(ぬきけのおおびと) 万葉集9巻1768

 本体は「表に出さず、心のうちで恋しく思う」というものですが、三句目に掛かる比喩として、初めの二句が序詞の役割を果たしています。ちょっと序詞が様式的すぎて、せっかくの素直な心情を、蔑にしているように感じる人もあるかも知れません。かならずしもそれは間違いではありませんが、実はそれには理由が存在します。

 この短歌は、抜気大首が赴任先で、紐児(ひものこ)という妻を娶った際の喜びを表明した、三首の短歌のうちの二首目になっています。ですから、そもそも「心のうちでそっと恋する」というのは、片思いの相手に思い続けるのとは、まったくニュアンスが異なっていて、まだ結婚したばかりで、しかも知り合ったばかりなのでしょう、まだ恋しさを表には出さずに、心のうちにそっとかみ締めていると詠んでいるのです。

 それで、ずっと心のうちに秘めておくなら必要のない表現、「早稲田の穂」が生きて来ます。それは早稲のように我慢できないで、さっそく穂に現われたりはせずに、今は少しだけ、心のうちに恋しさをかみ締めていよう。だからこそ結句も「この頃」なのであって、裏の意図としては「次の頃」になって、早稲ではなく中稲(なかて)くらいになったら、表に出して恋渡ろうという気持ちを秘めた表現になっています。

 では冒頭の「石上布留(いそのかみふる)」とはなんでしょう。「石上」は「布留」に掛かる枕詞ですが、この場合は単により大きな地名「石上」にある「布留」という地を定めたまでで、その石上布留は奈良県天理市にある石上神宮(いそのかみじんぐう)のあたりを指している言葉です。ですから、伊勢と同じように、神聖な傾向のある表現で使用され、この場合もわざと様式的にして、自分の気持ちを抑えると同時に、神に誓いを立てるような印象を、持ち込んだものと思われます。

 そして三句目の、「これほど恋しさを募らせて、わたしは命も惜しくはない」という取りまとめへと移っていく。このように、単独で眺めた場合と、連作として眺めた場合で、作品の価値が異なってくるのは、これまでも何度も見てきた事象ですが、新古今集の方は、アンソロジーでありますし、前後関係は詞書きにすら記されませんから、今だけは穂に出でないという方針から、「恋ひやわたらむ」と「恋しさを秘めていくだろう」と、しばらくはその状態が続く、特殊性を排除した表現に置き換えられている。その上でまた、藤原定家が『定家十体』で幽玄様(ゆうげんよう/ゆうげんのさま)に上げているようです。

秋萩の
  枝もとをゝに おく露の
    けさ消えぬとも 色にいでめや
          大伴家持 新古今集1025

秋萩の
  枝もたわむほどに 置かれた露のように
    今朝消えてしまったとしても
  恋をおもてに現わしたりはするものか

秋萩の
  枝もとをゝに 置く露の
    消(け)なば消(け)ぬとも 色に出でめやも
          大伴像見(かたみ) 万葉集8巻1595

 上句が四句目の「消ぬ」に掛かる序詞として、「秋萩の枝のたわむほどに置かれた露が消えるのであれば」消えるとしても、それと同じように自分が消えてしまっても、恋心を表わしたりはしないと詠んでいます。もちろん表わさないのには理由があって、身分や人妻など様々な事情があるから、表わさないのですが、お決まりのスタイルでもありますから、中世ヨーロッパの騎士道精神の詩ではありませんが、実際に現わさなかったかどうかは不明です。

み狩りする
  狩場(かりば)の小野(おの)の なら柴の
    なれはまさらで 恋ぞまされる
          柿本人麻呂 新古今集1050

天皇が狩をなさる
   狩り場の野原の 楢の木ではないが
 あの人が慣れてくれることは増さらず
    わたしの恋しさばかりが増さるようだ

     『木に寄せる恋』
み狩りする
   雁羽(かりは)の小野の なら柴の
 なれはまさらず 恋こそまされ
          よみ人しらず 万葉集12巻3048

 万葉集の「雁羽の小野」は所在未詳。柴はこの場合、低木雑木や小枝の事ではなく、ただ「楢の木」と言ったものと同じ。「なら」と「慣れ」の語呂合わせで、四句目の「慣れ」に掛かる序詞で、あなたはちっとも慣れてくれずに、恋しさばかり募ります。という意味と解されています。今ひとつ、釈然としないところが残りますが、それが何か分からないので、今はこれに従います。

ころも手に
   山おろし吹きて さむき夜を
 君きまさずは ひとりかも寝む
          柿本人麻呂 新古今集1208

着物の袖に
   山おろしの風が吹いて 寒い夜を
 あなたが来てくれないのなら
    わたしは一人で寝なければならないのだろうか

衣手に
  山おろし吹きて/嵐の吹きて 寒き夜を
    君来まさずは ひとりかも寝む
          よみ人しらず 万葉集13巻3282

 実際は、夫に逢えないことを歌った長歌と二つの反歌のうち、一つ目の反歌になっています。構成は、長歌で夫を待つ思いを中心に歌い、叶わないならせめて夢だけでもと閉じます。それを受けて、この一つ目の反歌は、これから寝るときのやるせない思いを、つづく二つ目の反歌は、もう逢えないならせめて夢の中だけでもと、寝た後へのわずかな希望をもって、和歌を閉ざしています。

 けれども同時に、最後の和歌は、もう逢うことは出来ないというあきらめを表明していて、全体のトーンはこの「衣手に」の短歌と一致していますから、単独で眺めてもあまりずれは生じません。二句目は諸説ありますが、いずれもすきま風くらいでなく、激しい風をそのまま吹き抜けさせるところに、詠み手のわびしさが強調されて結句を導き出す。心情のまことの優る短歌です。

妹が袖 わかれし日より
  しろたへの ころもかた敷き
    恋ひつゝぞ寝(ぬ)る
          よみ人しらず 新古今集1359

妻の袖と 別れた日から
 (しろたえの) 衣を片方に敷いて
   恋しく思いながら寝るのです

妹が袖 別れし日より
  白妙の ころも片敷き
    恋ひつゝぞ寝(ぬ)る
          よみ人しらず 万葉集11巻2608

「衣片敷(ころもかたし)き」というのは、ひとり寝の慣用句です。その意味は、片方の袖だけ脱いで、敷くようになどと説明されたりしますが、この状態であれば、初めから脱がなければよい気がしますので、ちょっとぴんと来ません。むしろ上着を脱いで、それを恋人が居ないので、片方に、つまりひとり分だけ敷いて寝たような気配もしますが、こういう事は学者の知識がないと、読書感想文と一緒で、あまり意味を持ちませんから、今は無念と過ぎ去ります。

 内容は明快かと思われます。あるいは旅先でしょうか、妻と逢えないものですから、恋しがってひとりで寝ている。表現も素朴なものですが、安易に逢えないからではなく、「妹が袖別れし日より」としたところが効果的です。

君があたり
   見つゝをゝらむ いこま山
 雲なかくしそ 雨は降るとも
          よみ人しらず 新古今集1369

あなたのいるあたりを
   ずっと見ていましょう 生駒山に
  雲よたなびかないで 雨が降ったとしても

     『雲に寄せる恋』
君があたり
   見つゝも居らむ 生駒山
  雲なたなびき 雨は降るとも
          よみ人しらず 万葉集12巻3032

 これについては、『伊勢物語』との関連で眺めました。恋人同士であれば、雨が降れば恋人は来ないと考えるのが普通ですから、四句目の「雲なたなびき」は余計です。生駒山に雲が掛かろうと、掛かるまいと、恋人が来ないことに変りはありませんから不自然です。不自然だからこそ、それを解消することによって、その部分がもっとも生かされた、自然な解釈が生まれてくる。するともはやその部分が、不自然だとは思われず、もっとも魅力的な表現のように思えて来る。これが名歌の条件です。

 この場合も、相手が来なくても、生駒山をずっと眺めていたいから、雨は降ってもその姿を隠さないで欲しいという所に、今は逢えなくても、あなたの方角を、あるいはあなたの代理としての生駒山を、消すことだけはしないで欲しいという思いが込められていると悟るとき、この和歌は、きわめて魅力的な作品へと、聞き手の中で変貌を遂げることになる訳です。

 それに対して、不自然だからこそ、それを解消しようとするのですが、それを解消してもなおかつ、自然な解釈は生まれてこない。あるいは解釈するのに、興ざめをするような智恵の力を動員しなければならない。するともはやその部分が、自然だとは思われず、もっとも嫌味な表現のように思われて来る。これが下手歌の条件です。

夏野ゆく
  雄鹿の角の つかの間も
    忘れず思へ 妹がこゝろを
          柿本人麻呂 新古今集1374

夏野をゆく
  牡鹿のまだ短い角のような つかの間の時でさえ
    忘れずに思う いとしいあの人を

夏野行く
   小鹿(おしか)の角の つかの間も
 妹が心を 忘れて思へや
          柿本人麻呂 万葉集4巻502

 万葉集の「忘れて思へや」の「や」は反語になっていて、「恋人の心を忘れて思うなんてことがどうして出来ようか」という意味になります。冒頭の二句は「つかの間」に掛かる序詞になっていて、ま牡鹿の角は春に生え替わって、夏にはまだ短いのを、短い時間に掛け合わせていますから、実際はかなり強引な、無心の序詞、つまり和歌の本意に対しては、比喩になっていない序詞に過ぎません。

 ところが、人間という詠み手に対しては確かにそうなのですが、「夏野を向かう牡鹿」が恋人の心を忘れずにいても、差し支えはないどころか、鹿の気持ちだとすれば、角を持ち出したことすら効果的な比喩になってしまいますから、詠み手が自分を牡鹿にゆだねたものとしては、あながちに無心の序詞にはなっていない。

 はじめて聞くと、なんだか下句の心情に対して、強引に加えたような序詞に聞こえるのですが、くり返し唱えるほどに、なんだか魅力的な表現に思われて来て、最後にはそうでなければならないのだと、確信をする程までになってしまうのは、

夏野行く小鹿(おしか)
  角のつかの間も、妹が心を忘れて思うだろうか

という、ナチュラルな比喩に基づいているからに他なりません。ただし、これは優れた序詞であるからで、万葉集のすべての序詞が、このようにしっくりと解釈出来るものでもなく、強引だと思って眺めていると、やっぱり強引だったというものも、もちろん存在する訳です。

夏草の
  露わけごろも 着もせぬに
    などわが袖の かわく時なき
          柿本人麻呂 新古今集1375

夏草のあいだを
  露を分けて歩んだ 着物を着ている訳ではないのに
    どうしてか袖が 乾くことがありません

     「露に寄する」
夏草の
  露分け衣(ごろも) つけなくに
    わが衣手の 乾(ふ)る時もなき
          よみ人しらず 万葉集10巻1994

 これも分かりやすい表現です。
  もちろん分かりやすい表現が選ばれているのには、新古今集時代の最先端の技巧的な作品に対して、いにしえの時代の歌風を提示しているからであって、この勅撰和歌集の名称が、まさに「新しい古今和歌集」として、「古今集」の精神を引き継いだものであるとすれば、当然と言えば当然です。ただ、分かりやすくはありますが、これまで眺めてきたように、きわめて魅力的な作品ばかりが選出されているのも事実で、掲載された和歌だけでなく、和歌を選び出す選者ということについても、あるいは和歌時代のピークを迎えた感があります。

 ところでこの短歌、夏草を分けて行くような衣を付けている訳では無いのに、というのを強めに捉えて、女性の詠んだ和歌だと定める解釈もあるようですが、そのあたりは皆さまの自由で、よろしいかと思われます。

     「中納言家持につかはしける」
あし辺より
   満ちくる潮の いやましに
 思ふか君を 忘れかねつる
          山口女王(やまぐちのおおきみ) 新古今集1378

蘆辺から
   満ちてくる潮が ますます増してくるように
 あなたへの恋があふれて 忘れることが出来ません

     『大伴家持に贈る歌五首より一首』
蘆辺(あしへ)より
  満ち来る潮の いや増しに
 思へか君が 忘れかねつる
          山口女王 万葉集4巻617

 これも『伊勢物語』で確認しました。補足するなら、万葉集の巻第四の後半は、まるで大伴家持の恋の遍歴を収めたようになっていて、この山口女王の五つの短歌も、それぞれ恋の歌を奏でています。残念ながら、彼女が何ものなのかは分かっていませんが、和歌だけから恋愛関係を判断するのには、危険が伴うのも事実ですから、ここでは何ももうしません。「断説の雀」という諺もあるようですから。

我がよはひ おとろへゆけば
  しろたへの 袖のなれにし
    君をしぞ思ふ
          よみ人しらず 新古今集1427

わたしも年を取り 衰えてゆくばかりなので
  (しろたへの) 袖さえずっと慣れ親しんできた
    お前のことこそ愛おしいよ

わが命(いのち)し/おのが齢(よ)の 衰へぬれば
  しろたへの 袖のなれにし
    君をしそ/ぞ思ふ
          よみ人しらず 万葉集12巻2952

 意味は、年を取るにしたがって、着慣れた服のような、あなたばかりが慕わしいという内容で、通常なら「君を」とあるので女性から男性に詠まれたものと考えられます。別に若いうちは遊んでいたがというニュアンスは感じられませんが、ずっと円満だった訳でもないような印象が、しないわけでもありません。なんだか、歯切れの悪いのが続くようですが、内容自体は明白ですから、わたしの感慨は放って置いて先へと参りましょう。

今よりは
   逢はじとすれや しろたへの
 我がころも手の かわく時なき
          よみ人しらず 新古今集1428

あなたがこれからは
  もう逢わないとするからでしょうか
    (白妙の) わたしの着物の袖は
  なみだで乾く時がありません

今よりは
   逢はじとすれや 白妙の
 わが衣手の 乾(ふ)る時もなき
          よみ人しらず 万葉集12巻2954

  歯切れの悪い第三弾。
 しかももっとも根本的な、表現解釈にまつわる短歌です。それは二句目の「逢はじとすれや」の「や」が単なる疑問で、「逢うまいとするからでしょうか」と、泣き濡れる原因をしめしているのか、「や」には反語の意味が込められていて、「逢うまいとするだろうか、いやそうではないのだが」と、つまりは逢わないわけではないのに泣き濡れているのか、二つの説に分かれている上に、文法解釈上は、どちらも成り立つものですから、詠み手の意図が分からないという所に存在します。

 なるほど、解釈の幅が短歌の魅力にもつながる場合も多いのですが、この場合は「逢えなくなるので泣いている」のと「逢えるのに泣いている」のでは、心理状態としても食い違いますから、かえって解釈仕切れないのは、消化しきれない不満が残ります。ただ、これまで眺めてきたように、解釈がつきにくい所や、ちょっと不自然に思われる所にこそ、詠み手の思いが込められているのも事実ですから、もう少しだけ、この短歌にアプローチを続けてみることにしましょう。

 まず結句に注目すると、「乾く時もない」と詠んでいます。これは継続的な表現で、しかも袖が乾かないことで恋愛上の悲しみを詠む場合、それは今日のうちは、昨日今日はくらいではなく、もっと長い期間、泣き濡れている方が一般です。これに対して、「今よりはあはじ」というのは、「今以降は逢わない」と表明しています。特に「今より」と断わった以上は、詠み手が和歌を詠んでいる瞬間から先を指しているのか、そうでなければ「今よりはあはじ」と相手が過去に言ったと考えるのが自然ですが、相手の言葉であるとすれば「とすれや」という表現にはならないかと思います。これは「今からは逢わないとする」と、あくまでも詠み手の内部の言葉として、一つのことを述べているに過ぎません。

 すると、もし詠み手の現時点である、今以降は逢えないという理由で、つまり「今よりは」逢えないという理由で、詠み手が継続的に何日間も泣いていた、そして現在が存在するというのは、きわめて不自然で、もしそのような状況であれば、このような詠まれ方はしない筈です。つまりは冒頭に「今よりは」とわざわざ置く必要はないばかりか、かえって文を分かりにくくするばかりですから、優れた詩的表現を全うできません。

 それにも関わらず、解釈が解けきれない状態でも、この短歌が詩的表現において疎漏(そろう)を致しているようには、感じられません。むしろ優れた表現のように思えます。それははたして錯覚でしょうか、けれども私たちの日常生活における言語経験から、そのような感覚がある時には、その表現は実際に正しい場合が、多いように思われます。それであらためて考えると、なるほど、もう一つの案がクローズアップされてくるようです。

 なるほど、「逢えなくなる」という条件が、ずっと前にあって泣いているはずの人間が、「今からは逢えなくなる」と歌うのは不自然ですが、それが「今後逢えなくなる訳でもないのに」というニュアンスで、詠み手が短歌を詠んだのであれば、「逢える」という状態は、ずっと前にもあって、今現在にもあって、これからも存在しますから、「これまでも逢えていたのに」継続的に泣いていた、つまり袖の乾くことのなかった詠み手が、まさに和歌を詠んでいる今現在の気持ちとして、「これから逢えなくなる訳でもないのに」と詠んだとしても、過去も現在も未来も内包する状態であればこそ、なんの不自然も存在しません。むしろ「今から逢えなくなるから泣く」のが普通のところを、「今から逢えなくなる訳でもないのに泣く」と置き換えた、デリケートな心理状態を表現しますから、きわめて魅力的な表現かと思われます。

 つまりこの短歌の意義は、どちらでも良いなどという適当なものではなく、詠み手の心情としては明確に「逢わなくなる訳でもないのに」という心情を込めて、「今よりは逢はじとすれや」と詠っていて、それに相応しい表現を、最後まで全うしている。それを読み取れなかったのは、解釈の幅などの問題ではなく、聞き手川の疎漏(そろう)[手落ち、ぬかりのある事]には過ぎなかったという訳です。
 つまりこの和歌の、正しい現代語訳は、

これからは 逢わないという訳でもないのに
  (白妙の) わたしの着物の袖は
     なみだで乾く時がありません

……と済ませてしまえれば楽なのですが、
   なるほど、確かに筋は通っていますが、
  皆さまは納得されたでしょうか。
 むしろ、やっぱり「逢えないから泣いているように」感じる人も居るのでは無いでしょうか。確かに、初句と結句を眺めると、今のような結論になるのですが、まだ問題は残されているようです。それは、果たして逢えないわけでもないのに、袖が乾く時もないほど、泣きまくっているというシチュエーション自体が、あまりにも唐突で、ちょっと受け入れにくいという問題です。詞書でもあれば違って来ますが、この文脈だとどうしても単純に、
     [原因]⇒[泣き濡れている]
という状況を表わしたようにしか思えませんから、自然な解釈としては[逢えないから]⇒[泣き濡れている]という構図が、私たちの日常の言語生活自体から導き出されて来ます。つまりは半ば自動的に、そのように感じてしまう傾向がある訳です。

 同時に、もし「逢えないわけでもないけれど」という表現を込めようとしたのであれば、二句目でいきなり反語を持ち込むようなことをするだろうか、三句目の「白妙の」などという、ちょっと場つなぎ的な傾向の籠もる枕詞など使用せず、より明快な表現で、四句目を導き出したのではないか。という疑問が残ります。あえて三句目を「白妙の」からはじめたと言うことは、やはり文脈の内容は、単純に、
     [逢えないという理由で]⇒[泣き濡れている状況にある]
と捉えた方が、短歌全体としてははるかに自然です。

 そう思ってみると、確かに「今から逢えないせいで毎日鳴いている」くらいの表現は、正確に正しくなくても日常語としては十分に認められるものの範疇であるならば、先ほどの推論そのものが誤りであり、二つ目の推論の方が正しいようにも思えて、結局振り出しに戻ったような結末を迎えてしまいました。

 結局以上の事から導き出されるのは、私がどう感じようと、あるいは他の解説者がいかなる自説を述べようと、この短歌の内容自体から、一方を正解とするということは不可能である。という結論なのではないでしょうか。そして結論が出れば、詠み手の意図はどちらでも可能となりますから、もどかしがる事もなく、どちらかお好みの方針に、従うことも出来るような気がします。

 ところで、それなら最初から、どちらでも良いくらいで構わないのではないかと思うかも知れませんが、必ずしもそうではありません。なるほど、ちょっと分かりにくい表現や、つじつまが合わないとき、私たちはしばしば適当な言葉で誤魔化して、次へと逃れてしまいがちです。けれども人の言葉に対して、そのような態度を取る人は、必ず自らの言葉に対しても、同じような態度で接します。ですから、その表現は突き詰められず、いい加減なまま、作品として提出され、後世の失笑を仰ぎます。ユニークな表現や、お化粧まみれの着飾った言葉遊びに明け暮れるのは個人の自由ですが、もしあなたが本当の表現とは何か、あなたなりに極めたいと考えるのであれば、それはこのような、地味に言葉の内容を推し量ることを、ひたすらに繰り返した先にしか見い出せないものであることを、ここで落書がてらに、表明しておくのも無駄ではありません。

 わたしがいつもこのような考察に、
  無駄なスペースを割いているのもまた、
   そのことを分かって欲しいという、
    願いを兼ねたものなのですから。
   そして、このような行為を繰り返さない限り、
  品評会のいびつなオブジェと詩との違いが、
 分からないことを知っているものですから。
  つまりは、脱線ではなく、このような所にこそ、
   わたしのコンテンツの意義は存在しているのだと、
    まとめることも可能です。
   そろそろ次へと参りましょう。
  いつも通り、大分間延びしてきましたから。

たまくしげ
  明けまくをしき あたら夜を
 ころも手離(か)れて ひとりかも寝む
          よみ人しらず 新古今集1429

(たまくしげ)
   明けるのが惜しい すばらしい夜を
  あなたとの袖さえ離れたまま
    ひとりで寝なければならないとは

玉櫛笥(たまくしげ)
   明けまく惜しき あたら夜を
  衣手離(ころもで)れて ひとりかも寝む
          よみ人しらず 万葉集9巻1693

「玉櫛笥」は化粧箱くらいですが、「開ける」意味から「夜が明ける」に掛かる枕詞になっています。「あたら」は「惜しい」「もったいない」の意味で名詞に掛かりますから、「あたら夜」は「過ぎるのが惜しいような素敵な夜」といったニュアンスです。もちろんどんな素敵な夜だかは、聞き手が勝手に判断すべき裁量にゆだねられていますが、そんな素敵な夜を、衣を寄せ合う恋人も居なくて、一人で寝なければならないのかと、感慨を漏らしている。「玉櫛笥」も「あたら夜」も恋人と一緒にあるのが慕わしいようなフレーズですから、恋人が存在しないというよりも、せっかくのこの夜に、恋人と逢えないことを詠っているような気配です。)

秋の田の
   穂向(ほむ)けの風の かたよりに
 われはもの思ふ つれなきものを
          よみ人しらず 新古今集1431

秋の田に
   穂をなびかせる風が 一方から吹くように
  わたしはあなたのことを思う
     冷たくあしらわれると知りながら

秋の田の
   穂向(ほむ)きの寄れる 片寄(かたよ)りに
  我(あれ/われ)はもの思ふ つれなきものを
          よみ人しらず 万葉集10巻2247

 都会っ子だと、大したことのない序詞に感じそうですが、稲穂がすべて一方に寄っている情景に親しんだ人なら、こんなに懸命に一方的に、全体が相手の方になびいているのに、相手はつれなくしているのかと、詠み手の心情と、それがどうしたのと気にもせずあぜ道を行く娘さんの姿でも浮かんできて、なかなか効果的な序詞になっているようです。

 逆にそのように考えられるということは、私たちの多くが、ちょっと首をかしげるような、不可解な序詞も、あるいは当時の人々にとっては、「そうそうその通り」と納得するような、すばらしい序詞だったのかも知れませんね。そろそろ恋を抜けましょう。

雑歌

     『紀伊国に行幸時』
しら波の
   浜松が枝の 手向けぐさ
  いく代までにか 年の経ぬらむ
          河島皇子(かわしまのみこ) 新古今集1588

白波の寄せる
   浜松の枝に掛けられた 道神に捧げる手向けの幣(ぬさ)は
 どれほど長い間 こうして掛けられて来たのだろう

白波の
  浜松が枝(え)の 手向けくさ
    幾代(いくよ)までにか 年の経ぬらむ
       (一に云ふ「年は経にけむ」)
          川島皇子(かわしまのみこ) or 山上憶良 万葉集1巻34

  『歌経標式』で見ました。
(小学館)の解説では、実際の作者が山上憶良で、川島皇子の和歌として発表されたのではないかと推察されています。あるいは天皇や皇子の作品を詠む、ゴーストライターのようなものかも知れません。

山城の
  石田(いはた)の小野の はゝそ原
    見つゝや君が 山路越ゆらむ
          藤原宇合(うまかい) 新古今集1589

山城の
  岩田の小野の 柞原(ははそはら)を
 見ながらあなたは 今頃山路を越えているだろうか

山科(やましな)の
  石田(いはた)の小野の はゝそ原
    見つゝか君が 山道越ゆらむ
          藤原宇合(うまかい)? 万葉集9巻1730

 上の句は、京都市伏見区の岩田神社のあたりにある「ははそ原」つまり、「コナラ(小楢)(ホウソ)」のある原の意味です。コナラといっても、大楢(おおなら)(ミズナラ)に対する名称に過ぎず、十メートルにも達する落葉樹ですが、その林を眺めながら、あなたは山路を越えてゆくのだろうか。「君が」と呼びかける、残された妻の和歌になっています。

 ところが、詠み手は藤原宇合(ふじわらのうまかい)(694-737)という男です。しかも並の男ではありません。長屋王の館を取り囲んで死に追いやった、例の藤原四兄弟の一人ですから、皇族もひねり殺せる、立派な(?)男です。それで、藤原宇合の三首の短歌のうちの一つなのですが、もう一つ後ろに、この和歌に答えたような男の和歌が続きますので、あるいはそちらが宇合のもので、これは恋人や妻の和歌が、一緒に割り込んだのではないかともされています。

 もちろん、一人芝居と解釈することも可能ですが、どうも眺めてみると、一人芝居にしては、あまりにもありきたりすぎる贈答歌のペアに過ぎないものですから、あえて一人で創作する必然性に乏しいように思われます。それでこの作品は、妻の作品か、あるいは既存の古歌が、贈答の形でまぎれ込んだように思えます。もちろんこれは、純粋な感想に過ぎません。

 ところでこの和歌、『定家十体』のなかで、有一節様(ひとふしあるさま)の例になっています。一節はもともとは短歌のなかに一フレーズくらい、趣向の籠もる表現があるものを差したようですが、ここではむしろ「一つくらい趣向の籠もる」作品を差すようです。あるいは全体としては、きわめてありがちのパターンの短歌に、岩田神社付近の「ははそ原」を持ち込んだユニークが買われたものでしょうか。それとも「見ながら」越えてゆくところでしょうか。残念ながらそこまでは、私には分かりかねます。

志賀(しか)の海人(あま)の
    潮焼くけぶり 風をいたみ
 立ちはのぼらで 山にたなびく
          よみ人しらず 新古今集1592

志賀島(しかのしま)で猟師たちが
   塩を作るために焼いている煙は 風が激しいために
 上には昇らずに 山の方へたなびいていく

志賀(しか)の海人(あま)の
  潮焼(しほや)くけぶり 風をいたみ
    立ちはのぼらず 山にたなびく
          (古歌集) 万葉集7巻1246

 さて、以前『古今集のなかの万葉集』において、

須磨(すま)のあまの
   塩焼くけぶり 風をいたみ
 おもはぬかたに たなびきにけり
          よみ人しらず 古今集708

に関連して紹介したこの和歌は、『伊勢物語』に『古今集』のものが採用され、今度は『新古今集』に『万葉集』のものが採用されるという、不思議な「愛され和歌」になっているのが興味深いところです。これだけ愛されているなら、私たちも暗記して、唱えてしまった方が手っ取り早いのではないでしょうか。

ものゝふの
  八十宇治川(やそうぢがは)の 網代木(あじろぎ)に
    いざよふ波の ゆくへ知らずも
          柿本人麻呂 新古今集1650

「もののふの八十宇治川」
   などと称えられる 宇治川の網代(あじろ)の木に
  留められては漂っている 波の行方は分からない

ものゝふの
  八十宇治川(やそうぢかは/がは)の 網代木(あじろき/ぎ)に
    いさよふ波の ゆくへ知らずも
          柿本人麻呂 万葉集3巻264

 有名な短歌ですが、八十宇治川というのは宇治川の支流乱れた様子を挿し、「もののふの」はその枕詞だとされています。「もののふ」と言うと、後は武人を差すようになりますが、詠まれた頃の意味は、武官と文官を合せた朝廷の官僚そのものを差し、官僚制が整備され多くの氏(うじ)が定められた事から、「八十氏(やそうじ)」に掛かっている、それが置き換わって「宇治川」を導き出すという趣向です。

 網代(あじろ)は、川に網代木(あじろぎ)と呼ばれる杭を並べて、流れを堰き止めないまでも、魚がすり抜けられないようにして、魚を捕らえる漁法で、もっぱら秋から冬に行なわれていました。それで、この短歌の意味は解けるかと思います。

 つまり、「もののふ」と呼ばれる沢山の武官文官の、沢山の氏のような、沢山の流れを持つ宇治川の、沢山打たれた網代の木に、それぞれが半ば留められて、それぞれの杭のところから発生するような、波同士は複雑に絡まり合って、どこに向かっているのやらさっぱり分からない。というのがその内容になります。

 ここまで周到に、波の行方が分からない様子を描かれたら、なるほど名歌になるのももっともかも知れませんが、目の前の情景を描写したようでありながら、定まらないような、自らの心情を宿したようにも感じられるところが、最大の魅力なのかも知れませんね。

秋されば
   狩人越ゆる たつた川
  立ちてもゐても ゝのをしぞ思ふ
          柿本人麻呂 新古今集1688

秋が来れば
   狩り人が越えていく 竜田川の立つ
  そんな風に立っていても あるいは座っていても
     思い悩んでいるばかりです

     「山に寄する」
秋されば
  雁飛び越ゆる 竜田川
    立ちても居ても 君をしそ/ぞ思ふ
          よみ人しらず 万葉集10巻2294

 さて、上の句は「たつた山」によって「立ちても」の「立つ」に掛かる序詞になっていますが、下句の心情に結びつけようとしても、こじつけにしかならないし、逆に雁を中心にして眺めてみても、つじつまが合いません。つまりは、正真正銘の、和歌の本意に関わりのない「無心の序詞」になっています。

 しいて言うなら、雁が留まっていても、渡る時でも、たえず君を思って鳴くようにくらいに解釈するでしょうか。それでも結局、「竜田山立ちても」のゴロ合せに負けて、詭弁のようにしか響きません。

 これこそ、内的なものの存在しない、外的な、つまり言葉による面白さだけで結びついた、「無心の序詞」の代表として、あるいは捉える事が出来るのではないでしょうか。面白いことに、この下句、

     『雲に寄せる恋』
春やなぎ
   葛城山に 立つ雲の
  立ちても居ても 妹をしそ思ふ
          よみ人しらず 万葉集11巻2453

     『鳥に寄せる恋』
遠つ人
  猟路(かりぢ)の池に 住む鳥の
    立ちても居ても 君をしそ思ふ
          よみ人しらず 万葉集12巻3089

 万葉集のお気に入りの表現として、上の句の序詞だけを変えて使用されているのですが、いずれも無心の序詞で、無理につじつまを合わせても空しいくらい、「無心の序」になっているようです。普通なら、ここまで脈絡がないと、空しく果てる場合も多いのですが、不思議と捨て去れない、表現的な魅力が籠もるようです。ただし新古今集のものは、誤読かもしれませんが、改悪であまりよろしいものではありません。

さゞ波の
  ひら山風の 海吹けば
 釣りする海人の 袖かへる見ゆ
          よみ人しらず 新古今集1702

(さざ波の)
   比良山(ひらやま)からの風が 琵琶湖に吹きおろすと
  釣りをしている猟師の袖が ひるがえるのが見える

さゝ波の
  比良山風(ひらやまかぜ)の 海吹けば
    釣りする海人の 袖かへる見ゆ
          槐本(つきのもと?/かきのもと?/えのもと?) 万葉集9巻1715

 比良山(ひらやま)は滋賀県の琵琶湖の西南部に連なる比良山地のことで、その風が琵琶湖に吹き下ろすと、釣りをしている猟師たちの袖が、ひるがえっているのが見えるという叙景詩になっています。見ているのは恐らく湖岸になる思いますので、背中から吹き抜けた風が、そのまま遠方の視界へと誘うように、猟師たちの舟に焦点を定め、その上で袖をかえすのが見事です。

 このように着想に取りどころがあると、聞き手も感興に至りやすいので、自然な叙景も魅力ですが、ワンポイント凝った舞台装置を組み入れると、優れた作品になりやすいという、手本になっているのではないでしょうか。もっとも、安易にそのようなことを考えると、例の謎の陳列物のようにも、陥る可能性もありますから、あくまでも心情へと返されることが条件です。

本歌取りされた和歌 (一部)

 最後に、万葉集の和歌を改変ではなく、本格的に本歌取りした作品を幾つか紹介して、二つの歌集の違いを眺めてみるのも悪くはありません。まずは『新古今集』を完成させるかなめ的存在だった、後鳥羽院(ごとばいん)の和歌から。

ほの/”\と
  春こそ空に 来にけらし
 天(あま)の香具山(かぐやま) かすみたなびく
          後鳥羽院 新古今集2

ほんのりと
   まず空にこそ春は 来たようです
  天の香具山に 霞がたなびいています

ひさかたの 天(あめ/あま)の香具山
   この夕(ゆふへ/ふゆべ) かすみたなびく
  春立つらしも
          よみ人しらず 万葉集10巻1812

(ひさかたの) 天の香具山に
   この夕べに かすみがたなびいている
  春になったようだ

 万葉集のものは、「夕ぐれに霞がたなびいているな、春が来たようだ」という明快な感慨です。ただ冒頭に枕詞を置いて、神話的要素の濃い「天の香具山」を導きだし、そこに霞を棚引かせることによって、情景に神秘性を持ち込んでいます。さらに「この夕べ」と置いたことによって、「今日の夕ぐれ」であることを悟らせていますが、指示語を使用したことによって、詠み手の生の感慨であるように思わせることに成功しています。

 これに対して、後鳥羽院のものは、万葉集にあった時間的臨場感「この夕べ」は捨て去ります。代りにクローズアップされるのは、この内容であればもっとも重要なこと、「霞がたなびく」「春が来た」という二点です。そのため「春が来た」という心情を結句にではなく、まず霞を眺めた時の喜びを、「春が来た」と上句に置くのですが、同時に霞に対しては「ほのぼのと空に」ただよう印象を持たせますから、自らが霞のなかにあって、上を見上げての感慨であるように思われて来る。

 つまり夕ぐれという時間的臨場感を捨て去る代りに、万葉集では遠くから眺めたような、曖昧だった詠み手の立ち位置を、ずっと明確に霞のうちへ込めることに成功しています。その上で、ただ「春が来たようだ」なら、率直な代りにありきたりの感慨に過ぎませんが、その霞のなかにあって、「空にまずは春が来たんだ」と述べますから、まだ霞以外は冬の印象と、春を待ちわびる気持ちが混じり合った、繊細な詠み手の心情が表明されています。

 このように、かすみと春に焦点を定めて、対象のなかでの表現を高めた上で、その霞の棚引きを、結句にまとめますから、ただ「霞が棚引いている。春が来たようだ」という日常的感慨からは得られないような、特別な霞を紹介されたような気持ちになり、つまりは詠み手の心情へ深く共鳴することが出来る。

 もちろんその分だけ、人工的な表現になるという、ある種の弊害も存在しますから、ちょっと通りかかって、「ああ霞だ、春だ」という、その場でふと思いついたような、生の感情ではなくなります。ですから、二つに優劣を付けるのはなかなか難しい問題で、まずは美意識が異なっている。という前提に立って、突き詰めて行かなければならないでしょう。

 もっとも、歌合ではありませんから、
  ここでは決着にはこだわらず、
   次の紹介へと移りたいと思います。

おのが妻 恋ひつゝ鳴くや
  さつき闇 かむなび山の
 山ほとゝぎす
          よみ人しらず 新古今集194

みずからの妻を 恋したって鳴くのだろうか
   雲に閉ざされた五月の闇夜に 神のおわします山の
 山ほととぎすの声が響いて来る

旅にして
  妻恋すらし ほとゝぎす
    かむなび山に 小夜更けて鳴く
          (古歌集) 万葉集10巻1938

旅にあって
  妻を恋しがるようだ ほととぎすが
    かむなび山で 夜更けになって鳴いている

 新古今集のものは、「よみ人しらず」とありますが、実際は後鳥羽院が、元歌が「後撰集」に収められていることに気がついて、後から本歌取りして、おなじところに差し込んだ和歌のようです。デフォルメ法とでも言うのでしょうか、万葉集の元歌でさえ、夜更けに無くほととぎすの声に、暗い幻想性が籠もりますが、それを梅雨の雲に閉ざしたうえに、「自分の妻が恋しくて鳴いているのか」と冒頭に語りかけますから、そう感じている詠み手の孤独や、誰かを恋するような心情まで強く沸き起こって、詠み手とほととぎすが闇の幻想のなかで同化しているようにさえ、聞き手には響いて来るようです。

 これと比べると、暗い幻想性とはいっても、万葉集のものは日常的情景を、日常的感慨で捉えたものが、情景として夜の幻想性を感じさせるようなもので、それを積極的に、写実とは異なった色彩で、描き出そうとする意識はありません。つまりは美意識そのものが違っているようにも思えるくらいです。

立ち濡るゝ
  山のしづくも 音絶えて
 真木の下葉に 垂氷(たるひ)しにけり
          守覚法親王(しゅかくほっしんのう) 新古今集630

立っていれば濡れてしまうような
   山の木々からこぼれる雫さえも 音をなくしてしまった
 常緑の真木の下葉には すでにつららが垂れ下がっている

あしひきの
  山のしづくに 妹(いも)待つと
    我(あれ/わが)立ち濡れぬ/し 山のしづくに
          大津皇子 万葉集2巻107

(あしひきの)
   山のしずくのなかで あなたを待っていると
  わたしは立ち濡れてしまったよ 山のしずくのために

 先の二つは、元歌の内容は踏襲して、そこに新しい価値観を加えるような本歌取りでしたが、今回のものは内容自体を変更したものです。もちろん、本歌が何であるか悟れなくても、なんの問題もなく完結した作品になっていますが、「立ち濡れるる」という表現をわざわざ残して、本歌を悟れるようにしていますから、本歌が分かると、万葉集の和歌のように誰かが立ち濡れていた山も、今は人も音も絶えて、ただ真木の下葉につららが垂れるばかり。という時期を進めた内容を詠んでいることが理解され、より一層和歌を楽しめるという仕組みになっています。
 これによって、

あしひきの
  山のしづくに 妹待つと
    我立ち濡れし 山のしづくも
  今はや音絶えて 真木の下葉に
      垂氷(たるひ)しにけり

という、三十一字では到底詠み込むことが不可能である内容が、すっぽりと収められているというのが、この「本歌取り」の最大の利点であると思われます。もちろん純粋に、新しい意図を込めて表現する後鳥羽院の例のような和歌も、本歌と比べることによる面白さ、というものは生きているのではないでしょうか。

 また後鳥羽院の例もそうでしたが、今二つの短歌をつなげたものからも、万葉集のものは大枠の情景を描き出そうとする、すなわちどちらかというと叙事的(あくまでも比較すればの話です)であるのに対して、古今集のものは細かな情景の綾を描き出そうとする、それによって詠み手の繊細な心情をつまびらかにしようとする、すなわちより抒情的傾向を持っていると、言うことは出来るのではないでしょうか。

 他にも新古今集の和歌で、万葉集の短歌を利用したものは取り出せますが、ここでは万葉集の和歌で新古今集に収められたものを紹介するのが本来の目的ですから、このあたりで終わりにしたいと思います。それにしても、これだけの万葉集の優れた短歌を、今風の歌に対する古歌として配する『新古今和歌集』というのは、やはり結晶化されたアンソロジーとしては、抜きんでたものがあるようです。またいつの日か、そこに帰れたらいいとも思いますが、今はともかく、万葉集の話を進めて行くことにしましょう。次回は『拾遺和歌集』に収められた万葉集の短歌で、秀歌アンソロジーを掲載して、まとめに代えたいと思います。

               (つゞく)

2016/06/28

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