新古今集のなかの万葉集 その一

[Topへ]

新古今集のなかの万葉集 その一

 『古今集』の古歌は、万葉集以外の古歌と、一昔前の六歌仙時代の和歌が担って、今歌は四人の選者たちの作品に代表されましたが、その名称を新たに掲げた『新古今集』の場合は、古歌は万葉集に収められた作品から、ひと時代前の作品まで、その裾は幅広く、同時代の今歌に関しては、かつてこれほど優れた歌人たちが、同時代にひしめいたことがあっただろうか、という豪華な顔ぶれが揃っています。

 そんな中にあって、万葉集から選抜された作品は、他の勅撰和歌集に掲載されていないことが条件ではありますが、技巧的な今風のスタイルとは異なる美意識で詠まれた作品として、しかも今風のスタイルと並べてもひけの取らない作品ばかりを採用した、きわめて質の高い選択がなされているものですから、ここで『新古今集』の中から短歌を取り出して、万葉集の紹介をすることは、どちらの集の優れた作品を、紹介することにも繋がります。しかも、あまりにも膨大で、取っつきにくい二つのアンソロジーの、それぞれの集での足がかり、はじめの階段を登るのにも、きわめて有用です。

 ただし、あくまでも『万葉集による間奏曲』ですから、どちらかというと、万葉集の作品寄りに、話が進行するのは避けられませんが、かならず『新古今集』を眺めた時にも、ああこの短歌か、と想い出される事もあるかと思いますので、さっそく「春歌」から眺めてみることにしましょう。

春歌

風まぜに
  雪は降りつゝ しかすがに
 霞たなびき 春は来にけり
          よみ人しらず 新古今集8

風にまざって
   雪は降り続いていますが そうはいっても
  霞はたなびいて 待ちわびた春が来たようです

風交じり
  雪は降りつゝ しかすがに
 霞たなびき 春さりにけり
          よみ人しらず 万葉集10巻1836

 原文の漢文には「風交」とありますから、別に改変した訳では無く、当時にはそのように読まれていたのに過ぎません。実際は「風交じり」も一説に過ぎませんから、「風交じへ」「風まぜに」いずれの詠み方も可能です。「しかすがに」は「そうは言うものの」「さすがに」といった副詞ですから、前半に冬の厳しさを提示しながら、三句を基点に「そうはいっても」春の訪れを対比させて、希望に結ぶという、分かりやすい構図になっています。

時はいまは 春になりぬと
  み雪ふる とほき山べに
 かすみたなびく
          よみ人しらず 新古今集9

時は今こそ 春になったと
  まだ雪の降っている 遠くの山のあたりに
 かすみがたなびいています

時は今は 春になりぬと
   み雪降る 遠き山辺に/遠山の辺(へ)に
 霞たなびく
          中臣武良自(なかとみのむらじ) 万葉集8巻1439

 先ほどの対比に対して、こちらは始めに[春になった]と心情を込めた概説を述べて、三句目以下がその具体的な説明になっている。同種のことを並置していますが、先ほどと同じように、冬の気配を織り込んで、春の初めを丁寧に描いています。

あすからは
  若菜つまむと しめし野に
    きのふもけふも
   雪は降りつゝ
          山部赤人 新古今集11

明日からは
  若菜摘みをしようと思って しるしをつけておいた野原には
 春への期待を拒むように
    昨日も今日も 雪が降り続いています

明日よりは
  春菜(はるな)摘まむと 標(し)めし野に
    昨日も今日も 雪は降りつゝ
          山部赤人 万葉集8巻1427

 この「若菜」と「春菜」の違いなども、原文の漢字に「春菜」とあるのを、どう読むかの問題に過ぎず、上のものは(小学館)の読みですが、(講談社文庫)のものは「春菜(わかな)」とルビが振られています。「しめし野」は、印を付けておいた野原の意味ですが、恐らく狩猟区域を設定したもので、あるいは天皇の御狩場として一般の狩猟が禁止されている、「禁野(きんや)/標野(しめの)」を指しているのかも知れません。

 暦に関連して、昨日今日などを並べるのも、定番のパターンですが、明日から若菜を摘もうと思って、印をして置いたら、翌日には雪が降って、若菜摘みが延期になっているのか、あらかじめ印を付けておいた、明日からの若菜摘みのための野原に、昨日も今日も雪が降り続いているのか、解釈の幅があるところに、(下卑た言い方をすれば、わざとすっとぼけた所が原因となって、)いつまでも推し量りきれない、それでいて悩んでも浮かんで来るのは自然描写ばかりなので、不愉快ではない後味のようなもの、つまりは余情(よじょう)が籠もるようです。

まきもくの
  檜原(ひばら)のいまだ くもらねば
 小松が原に あは雪ぞふる
          大伴家持 新古今集20

巻向(まきむく)の
  檜原(ひばら)はいまだ 曇ってさえいないのに
 小松が原には 淡雪が降っています

巻向の(まきむくの)
  檜原(ひばら)もいまだ 雲居ねば
 小松が末(うれ)ゆ 淡雪流る
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集10巻2314

 こちらは少し内容が違っています。万葉集のものでは、天気雨のような様相で、雪雲も覆っていないのに、すぐ近くの小松のあたりに淡雪が流れてきたという、デリケートな表現になっていますが、かえって新古今集の方では、場所と場所とを対比している感じて、スケールは大きくなりましたが、幾分理屈っぽくなってしまいました。万葉集のような豊かな情景描写はあまり心に浮かんできません。

 その理由は、天気雨や天気雪を配するものとして、小松が原という表現が広大に過ぎるからです。たとえそれが事実であったとしても、「晴れなのにうちの庭に雪が降ってきた」と言われるとリアルな感じがするのに、「この町に」と置かれると、ちょっとわざとらしく響くのは、日常的な言語感覚に基づくものに過ぎません。それで、「この町に台風が吹き荒れた」と言えば何でもないものを、「うちの庭に台風が吹き荒れた」と言われると、事実を述べていても、ちょっと不自然に感じてしまう。わざとそんな表現を持ち込んだような気がしてしまう。それとおなじ事です。

 その結果、新古今集のものは、檜原という土地と、小松が原という土地を対比して、こちらはまだ曇っていないが、あちらは雪が降っているという内容に聞こえてしまいますから、松と檜(ひのき)の智恵による対比くらいしか、必然性のない組み合わせになって、幾分理屈っぽくなってしまったという訳です。

今さらに 雪ふらめやも
  かげろふの もゆる春日(はるひ)に
 なりにしものを
          よみ人しらず 新古今集21

今さら 雪が降ったりするでしょうか
  かげろうが 燃え立つような春の日に
 なったというのに

今さらに 雪降らめやも
  かぎろひの 燃ゆる春へと
 なりにしものを
          よみ人しらず 万葉集10巻1835

 万葉集の「春へ」は「春頃」で、わずかに印象が異なります。初めの二句で、思いの核心を述べて、後からその説明を加えるという、いわゆる今日説明するところの倒置法を使用した、これもまた多用される定型を使用しています。それだけに、安心して聞いていられますが、「かぎろい」は「かげろふ」の古い形なので、三句目は同じ内容を述べています。

あづさ弓
   はる山ちかく 家ゐして
 たえず聞きつる うぐひすの声
          山部赤人 新古今集29

「あづさ弓を張る」なんて枕詞にされるような
    春の山近くの家に住みながら
  絶えず聞いているのです
     うぐいすの鳴く声を

梓弓(あづさゆみ)
 春山近く 家居(いへを)らば/居れば
  継ぎて聞くらむ うぐひすの声
          よみ人しらず 万葉集10巻1829

「梓弓」はここでは、「春」に掛かる枕詞ですが、この例は万葉集ではこれにしか見られず、後になってから一般になった用法のようです。上句で自らの場所をしめし、下句で状況を表わすという簡単な構図ですが、冒頭に枕詞を使用して、倒置法により喜びのピークである「うぐひすの声」を結句に持ち込んだ。もちろん『新古今集』で好まれた、体言止めになっている訳です。

 ちょっと面白いのは、万葉集では推量の「らむ」を使用して、「絶えず聞いているだろうなあ」というニュアンスを表現した四句目を、「聞きつる」と現在完了の表現にしている点です。これによって新古今の方は、「うぐいすの声」にすっかり心を奪われて、その声が聞こえている期間は、ずっと「春山近くに家居して」ひたすら「うぐいすの声」を聞いていたような印象が生まれました。

 それに対して、万葉集のものは三句目に「家居らば」と合せて、自分があまりゆとりが無くって、「もし家に居られたらうぐいすの声が聞けるのに」と嘆いているとか、「家に居るならずっとうぐいすの声を聞いていられるのでしょうね」と相手をうらやましがっているような、聞きたいという思いを宿した和歌になっています。

 つまりこの例に関しては、新古今集の方が積極的であり、充実において増さり、万葉集のものは願望が込められていると言うことが出来るでしょう。どちらが現実的かというのは、また難しい問題ですが、新古今集は、わざと春山に出向くような、美的生活への関心が見られ、万葉集のものは、日常のなかでうぐいすの声をうらやむような、日常生活への束縛が見られるように思われます。

 では、どちらの方が優れた作品であるのか。
  それはあるいは、答えられない問いなのではないでしょうか。
   次にまいりましょう。

梅が枝に
   鳴きてうつろふ うぐひすの
 羽根しろたへに あは雪ぞふる
          よみ人しらず 新古今集30

梅の枝々に
  鳴きながら飛び移っている うぐいすの
 羽根さえ白くするように 春の淡雪は降るのでした

梅が枝に
   鳴きて移ろふ うぐひすの
  羽根白妙に 淡雪そ降る
          よみ人しらず 万葉集10巻1840

「移ろふ」は「移る」が継続している表現で、「移り変る」「変化する」の意味ですが、自らの望んだ状態から変わってしまうようなニュアンスで、使用されることの多い言葉です。あるいはこの短歌も、「梅が枝にいて鳴いてくれる春の喜び」が、うぐいすは移動しようとするし、冬を呼び返そうとして淡雪が降ってくるのが、理想世界からの変化のように思われて、「移ろふ」という表現を用いているのかも知れません。

 もちろん、一方では「梅と鶯」に淡雪が降るという取り合わせに詩情を感じた、詠み手の美意識が働いていることも事実で、実際には「うぐいすの羽根に、白妙に淡雪が降る」という描写であるものを、「羽根白妙に」と続けて詠むことで、まるでウグイスが粉雪をかぶったような印象を、込めることに成功しています。

 もちろん全体の情景描写が自然であればこそ、詠み手の思いが増さったような小さな虚構、詠み手が場景のなかで膨らませてしまった空想的な部分が、心情として捕らえられるのであって、はなから自らの意図ばかりを込めまくった虚偽を提出しようという、品評会の提出物とは、その本質において異なっています。

岩そゝく
  垂水(たるみ)のうへの さわらびの
    もえいずる春に
  なりにけるかな
          志貴皇子 新古今集32

岩にしぶき落ちる滝の
  ほとりに生える ワラビの芽が
    いっせいに芽吹くような 春になったものですね

     「志貴皇子のよろこびの御歌一首」
岩走(いはゞし)る
  垂水(たるみ)の上の さわらびの
    萌えいずる春に
  なりにけるかも
          志貴皇子 万葉集8巻1418

 冒頭の読みは「岩そそく」という説もあるようです。「垂水(たるみ)」は垂れる水、すなわち流れ落ちる滝のことで、「さわらび」は今日の「わらび」ではなく、「ゼンマイ」であるというのが、近ごろ有力になりつつある説のようです。理解出来るかと思われますのでそれに従います。

 知られた名歌で、恐らく万葉集読者アンケートでもすれば、常時トップテンには入るものと思われます。激しい動きの渓流から始まって、焦点を「さわらび」にまでクローズアップさせながら、句切れなく心情へ返す手際は見事です。

 この二句と三句の「の」連続が、動きのあるものを「上の」で視点を留めて、さらに「さわらび」へとクローズアップするように、フォーカスの意識を明白に持って使用されていると、言葉のリズムと内容が結びついて、このようなすばらしい表現になりますが、それをただの言葉のリズム遊びに解して、
     「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上」
などとしても、目的意識を持たない「の」の連続が、かえって鼻について、考え抜いた作品であるという、空しい事実ばかりが、聞き手のこころに残されるような事にもなりかねません。それによって、志貴皇子の短歌は、心から春を喜ぶ気持ちが言葉となってあふれ出たように感じられ、佐々木信綱の短歌は、心の底から「塔の上の雲」に感動したとはとても感じられない。異なる結末を迎えることになりました。

もゝしきの
  大宮人(おほみやびと)は いとまあれや
 さくらかざして けふも暮らしつ
          山部赤人 新古今集104

(ももしきの)
    宮中の人たちは ゆとりがあるのですね
  さくらを髪にかざしたりして 今日も暮らしています

もゝしきの
  大宮人(おほみやひと)は いとまあれや
    桜かざして こゝに集(つど)へる
          よみ人しらず 万葉集10巻1883

 万葉集の結句だと、これから集まって宴会でも開く感じで、「ここに」という指示語が明確な意図を持って使用されています。余所から眺めたと言うよりも、詠み手のその一員で、あるいは宴の席で歌われても、魅力的な短歌になりそうです。それに対して、新古今集のものは、そのみやびな場景を、ちょっと客観的に写し取ったような傾向に増さりますから、万葉集のものは現場の臨場感に増さり、古今集のものは名画の感興に耽るような喜びが籠もります。

 このような、結句の表現により、印象が変化する効果は、実際に短歌を作る際に、有用な知識ですから、覚えておかれると良いと思います。

春雨は いたくな降りそ
  さくら花 まだ見ぬ人に
 散らまくも惜し
          山部赤人 新古今集110

春雨よ あまり降らないで欲しい
  桜の花を まだ見ない人のために
    散ってしまうのは 惜しいものだから

春雨は いたくな降りそ
  さくら花 いまだ見なくに
 散らまく惜しも
          よみ人しらず 万葉集10巻1870

「な降りそ」は、「な+動詞+そ」のイディオムで、「~しないで欲しい」と願望を込めた禁止。「散らまく」というのは、「散らむ」つまり「散るであろう」をク語法で名詞化したもので、「散るであろう事」が惜しいと述べています。「も」は強意くらいに捉えておいて良いと思いますが、万葉集と新古今集で位置が違っているのは、わざとというより、万葉集の原文読解のせいに過ぎません。

 それを言ったら、三句目も同様かとも思えますが、純粋に紹介した言葉同士を比べれば、万葉集のものは自分がまだよく見ていないという、直接の心情を表明したもので、新古今集の方は、まだ見ていない人のために推し量った内容になります。

 ここでも、ちょっとした言葉の違いが、詩の内容を変えてしまうことをこそ、学び取って欲しいと思いますが、新古今集の方は、誰かにゆだねつつも、詠み手の惜しむ気持ちも込められていて、より繊細な心情が込められていると見ることが出来るかと思います。その代わり、婉曲(えんきょく)な表現によって、心底惜しんでいる、個人の心情表明としては、万葉集の方が勝ります。
 そこで、問題です。
  はたしてどちらの方が、
   優れた短歌になっているでしょうか。
  次に参りたいと思います。

     「曲水宴をよめる」
からびとの
   船を浮かべて 遊ぶてふ
 けふぞわが脊古(せこ) 花かづらせよ
          新古今集151 大伴家持

     「曲水の宴に」
唐(もろこし)の人なら
   船を浮かべて 遊ぶという
 今日は親愛なる皆さん 花で髪をお飾りください
     曲水の宴をいたしましょう

     「三日に、館(たち)にして宴する歌」
漢人(からひと)も
  筏(いかだ)浮かべて 遊ぶといふ
    今日そわが脊古(せこ)
  花かづらせよ/せな
          大伴家持 万葉集19巻4153

「漢人(からひと)」はもともとは、朝鮮半島の人をさす言葉ですが、大陸の人くらいで、中国人を指す場合もありました。「曲水の宴」は中国の行事として、さかづきを流すような祝宴の行事があったのが、奈良時代に宮中行事として一般化したもののようで、平安時代には三月三日に、さかづきを水に流しながら、次の人の所に流れ着くまでに和歌を詠むような、雅な行事へと洗練されていったようです。

 この和歌、大陸人の生活を並べたところが、和歌世界に対して異質な豪快さがあると思われたせいでしょうか、藤原定家が記した『定家十体(ていかじってい)』という、和歌の特徴ごとに分類されたアンソロジーにおいて、「鬼拉体(きらつてい)」という、特別な詠み方をした和歌に分類されています。この鬼拉体というのは、「鬼を拉(ひし)ぐ」(鬼を押し伏せる)ような、壮大な力強い、あるいは荒くて強引なところのある表現をしている和歌のことです。

夏歌

かはづ鳴く
  かみなび川に 影見えて
 今か咲くらむ やまぶきの花
          厚見王(あつみのおおきみ) 新古今集161

蛙の鳴く
  神南備(かむなび/かみなび)川に 影を映して
    今こそ咲いているのだろう 山吹の花よ

かはづ鳴く
   神南備川(かむなびかは)に 影見えて
 今か咲くらむ 山吹の花
          厚見王 万葉集8巻1435

「かわず」は万葉集では、「かじか蛙」の美しい音色を詠み込んでいる場合が多いのですが、特に山吹の花と取り合わされるのは、「梅」と「うぐいす」ほどではありませんが、和歌の定番のスタイルにすらなっているようです。神南備川は別に川の名称ではなく、「神のおわします川」聖なる川の表現です。

などと説明すると、お決まりの取り合わせを使用した、無難な作品のように思われるかも知れませんが、かならずしもそうではありません。この和歌の注目すべき魅力は二つあります。
 一つ目は、清らかなイメージを持たせた上で、蛙を鳴かせますから、印象としては透き通った川底を眺めて、蛙がどこにいるのかを確かめるような冒頭ですが、その確かめようとしたところに、咲いている山吹の花が映される。つまり実体としての山吹の花ではなく、聖なる川という鏡面を利用して、山吹の花を描き出している点が見事です。

 二つ目は、すでにお気づきのことかも知れませんが、それを「今こそ咲き誇っている」と眺めた情景として描き出すのではなく、きっとそのように咲き誇っているのだろうと、推測にゆだねている点があげられます。

 つまり、なかなか凝った描写をしながら、それを空想へと返してしまいますから、それでは実景はどれほどすばらしい情景なのだろうかと、聞いている方も、詠み手の期待感(露骨に言えば詠み手の妄想でしょうか)から来る感興に、引き込まれるような仕組みになっているようです。

春すぎて 夏来にけらし
   白たへの ころもほすてふ
 天の香具山(あまのかぐやま)
          持統天皇 新古今集175

春が過ぎて 夏が来たようです
   真っ白な 衣を干すという
      天(あめ)よりくだりし香具山に
   衣が干されてなびいています

春過ぎて 夏来たるらし
   白栲(しろたへ)の 衣干したり
  天(あめ)の香具山
          持統天皇 万葉集1巻28

『小倉百人一首』にも取られた有名な短歌です。万葉集では「干したり」つまり「干してる」という実景を眺めて、「夏が来たようだなあ」という冒頭の心情を表現したのに対して、新古今集の方では、「白たえのころもを干すと言われる」天の香具山に夏が来たようだ、と述べています。実景として衣が干してあることを直接表明せず、ただ「夏になったら衣を干すという山に夏が来た」と述べて、言葉の外に「だから衣は干されている」という事実を間接的に表現しますから、含みのような余韻が残されます。その分、明快な印象は遠ざかりますから、どちらもそれぞれに味わいがあると言えるでしょう。

 さらにその「白妙の衣」が何を指すかについても、諸説あるようですが、ここでは推察を加えずに、先に逃れようかと思います。人はそれを、ずらかるなどと表現するようです。

さつき山
  卯の花月夜(つきよ) ほとゝぎす
 聞けどもあかず また鳴かむかも
          よみ人しらず 新古今集193

 五月になった山では、卯の花があまり白いので、まるで地表にまで降りてきたような月夜です。そうしてほととぎすの声がするのです。どんなに聞いていても聞き足りません。また鳴いてくれないかしら。

五月山(さつきやま)
  卯の花月夜(づくよ/つくよ) ほとゝぎす
 聞けども飽かず また鳴かぬかも
          よみ人しらず 万葉集10巻1953

 面白いことに、上句が名詞の羅列になっていますから、それぞれで句点を設けることが可能です。さらに、「五月」「卯の花」「ほとゝぎす」のそれぞれが、俳句で言うところの季語になっていますから、

目には青葉 山ほとゝぎす 初がつを
          山口素堂(やまぐちそどう)

 この知られた江戸時代の俳句を思い起こさせるような、列挙法(れっきょほう)が使用されています。それで素堂のは俳句らしく、十七字で文を全うできるように、「目には」と導入しながら、視覚・聴覚・味覚を並べ、和歌世界の雅(みやび)に対して、結句に俗な「初鰹」で締めくくる。もちろん意味としては三つを並べたものではなく、述べたかった思いの中心はこの「初鰹」にある訳です。このような智恵の面白さと、心情とを兼ね揃えたところに、俳句の精神はあるのかも知れませんが、その分、叙情性などは取って付けたようなもので、自然に豊かな青葉とほととぎすの声が、心に浮かび上がってくるようなものではありません。

 それに対して、万葉集あるいは新古今集の短歌は、上の句は場所を定め、時間帯を定め、そこに卯の花とほとゝぎすを起きますが、それが月夜に照らされて、白い印象と鳴き声とがこだましますから、自然に情景が心に浮かんできます。

 その代わり、この上の句だけでは、もちろん場面を定めただけで、山口素堂のように完結した心情を表明しきってはいません。そこが、三十一字のゆとりのあるところで、ここからのびのびと、下の句を使って、俳句であれば結句に登場させたところの「ほととぎす」にスポットを定めて、どれほど聞いても聞き足りない。もう一度鳴くまではと、先ほどの情景の中で待ちわびる、詠み手の心情が描き込まれる訳です。

秋歌

この夕べ 降りつる雨は
  ひこ星の とわたる舟の
 櫂(かい)のしづくか
          山部赤人 新古今集314

七夕の夕べ 降ったこの雨は
  あるいは彦星が 天の川を渡る舟の
 櫂のしずくであろうか

この夕(ゆふ)へ 降りくる雨は
  彦星(ひこほし/ひこぼし)の はや漕ぐ舟の
    櫂の散りかも
          よみ人しらず 万葉集10巻2052

 ここでは四句目の違いが、二つの短歌の印象をそれぞれ違ったものに見せています。それに合せて、全体のニュアンスも若干変更されていますが、それが参考資料の差異によるものなのか、故意に変更しているのかは私には分かりません。ただ、いつものパターンで、万葉集のものは、「降り来る」と今の雨を提示して、「はや漕ぐ舟」というのも、まさに現在、織り姫に逢いたくて、急いで漕いでいるような印象ですから、降り来る雨の現場で詠われた、生の声のような、即興性に増さります。雨粒を「櫂の散り」とした結句も、波しぶきが乱れたまま雨になったような印象で、「どれだけ懸命に漕いでいるのだ」とほほ笑ましいような臨場感が籠もります。

 それに対して、新古今集のものは、「降りつる雨」と完了の助動詞を使用していますから、降った雨を回想する感じで、川門(かわと)を渡るという印象も、「櫂のしづくか」という表現も、雨の中で彦星を間近に感じた万葉集のものよりは、ずっと遠くから眺めたような、幻想画的な傾向に勝ります。

 それでは、やはり生の臨場感を得られる万葉集の方が優れているかというと、それほど簡単な問題ではありません。なぜなら、万葉集のものは、ただ懸命に漕いでいる印象は浮かんで来ますが、雨が降っている最中の事ですから、先のことは不明です。それに対して、新古今集は、わざと雨を過去に置くことによって、「先ほどの雨は、彦星の櫂のしずくであったのか、するとそれが止んだということは、今頃彦星は、織り姫と一緒になれたのだな」という心情が、言葉の外に推し量られることになりますから、深い余韻が残されることになります。

 このようなものは、中世になって、余情(よじょう)と讃えられる、新古今集時代の和歌の特徴ですが、自分たちの和歌だけでなく、万葉集の和歌にまでその心を持ち込むとは、さすが和歌史のピークを形成する、新古今集の撰者たちですね。

秋萩の
  咲き散る野辺の 夕露に
 濡れつゝきませ 夜は更けぬとも
          柿本人麻呂 新古今集333

秋萩が
  咲いたり散ったりしている 野原の夕露に
    濡れながらでもいらっしゃい
  たとえ夜が更けてしまってからでも

     「露に寄する」
秋萩の
  咲き散る野辺(のへ)の 夕露に
    濡れつゝ来ませ 夜は更けぬとも
          よみ人しらず 万葉集10巻2252

 心情を詠ったものですが、「遅くなってもいらっしゃいな」くらいの軽いものですから、かえって夜更けに、秋萩の野辺を露に濡れならが恋人のもとへ向かう、男の印象の方が、風景画となって浮かんで来るようで、抒情詩の体裁を借りた、叙景詩のような傾向が籠もるようです。そこが魅力です。
 ところで、この和歌、

露霜(つゆしも)に ころも手(で)濡れて
  今だにも 妹がり行かな
    夜は更けぬとも
          よみ人しらず 万葉集10巻2257

露や霜で 着物を濡らして
  今すぐにでも 恋人のところに行こう
    夜は更けてしまっても

 あるいはこの短歌とも、
  関わりのありそうな『古今集』の、

萩が花
  散るらむ小野の 露霜(つゆじも)に
    濡れてを行かむ さ夜は更(ふ)くとも
          よみ人しらず 古今集224(秋歌上)

などと、呼応関係にあるように思えます。もともとは問答のような関係にあったのでしょうか。それとも後から名歌に習って、別の人が詠んだものでしょうか。

さを鹿の
   朝たつ野べの 秋萩に
 たまと見るまで おけるしら露
          大伴家持 新古今集334

牡鹿が
  朝に立ち去った 野原の秋萩に
 まるで宝石の玉のように 置かれた白露よ

     『秋の歌』
さを鹿の
   朝立つ野辺(のへ)の 秋萩に
  玉と見るまで 置ける白露
          大伴家持 万葉集8巻1598

 「朝立つ」が「朝になって立っている」のか、「朝になって立ち去る」のかは分かりませんが、わざわざ「朝立つ」とあるからには、立つ前の状況が意識されていたと見るべきです。また秋の牡鹿は、恋愛と結びついて表現されることの多い対象物ではありますし、白露が涙にゆだねられがちなのも初歩的な修辞に過ぎません。

 その上で、和歌の中心は「秋萩に置かれた白露」に心情をゆだねることにありますから、その目的に集中するなら、牡鹿が立ち去った後に残された、宝石のような白露は、あるいは誰かのなみだであろうか。のような、恋愛と結びついた詠み方をするのが、ナチュラルなのではないかと思われます。

 つまりこの和歌を、もっとも豊かに読み取るためには、鹿は立っているではなく、立ち去る必要があり、夫に去られて誰が泣いているのであろうか、秋萩に宝石のような美しい、白露が置かれているよ。と登場人物を退場させて、情景へと返す必要があります。

 後はそれが詠み手の狙いだったかという問題ですが、詩を作る人って、それを読み解く人の十倍くらいは、表現の効果について考えるものですから、もっとも効果的に読み取れる解釈くらいは、詠み手は当たり前にするものではあります。今はそれまで。

さを鹿の
   いる野のすゝき はつを花
 いつしか妹が 手枕(たまくら)にせむ
          柿本人麻呂 新古今集346

牡鹿の入るという
  入野(いるの)の薄(すすき)の
    初めての穂のような初々しい……
 いつかそんなあの子の
   手を枕に眠れたらいいのに

さ雄鹿の
  入野(いりの)のすゝき 初尾花(はつをばな)
 いつしか妹が 手を枕(まくら)かむ
   (いづれの時か 妹が手まかむ)
          よみ人しらず 万葉集10巻2277

 初尾花は、はじめて穂の出たススキのことで、冒頭の「さをしかの」は「入野」に掛かる枕詞。入野は特定の地名か、山間に入り込んだ野の意味に過ぎないのか、不明です。上の句は、初々しい娘の譬えになっていて、思いの中心である下句に掛かるのは、序詞を使用したものと同じ方針だと言えるでしょう。もちろん印象としては、「牡鹿」に自分を重ねてもいる訳です。

秋田守(も)る
  かり庵(いほ)つくり わがをれば
 ころも手さむし 露ぞおきける
          よみ人しらず 新古今集454

稲を刈るために
  秋の田を守る 仮りの庵を造って
    そのなかに 見張りをしていると
   ふところにした手が 寒くてたまらない
      露が降りたのだ

秋田刈る
   仮庵(かりほ/かりいほ)を作り 我(あ/わ)がをれば
 衣手寒く 露そ/ぞ置きにける
          よみ人しらず 万葉集10巻2174

 万葉集の「秋田刈る」ですと、実景の印象に勝りますが、「秋田守る」ですと、何かを守る比喩を込めたような印象が、わずかなものですがしてきます。それは「刈る」よりも「守る」の方が、心情的な表現だからであるに過ぎませんが、このような言葉の違いで、印象が変わることも、自身の作詩に生かせたら良いのではないでしょうか。ちなみにこの短歌、

秋の田の
  仮庵(かりほ)の庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ
    わが衣手(ころもで)は 露にぬれつゝ
           天智天皇 後撰集302/小倉百人一首1

の原形ではないかともされています。

今よりは
  秋風さむく なりぬべし
    いかでかひとり 長き夜を寝む
          大伴家持 新古今集457

これからは
  ますます秋風が 寒くなっていくでしょう
    いったいどうやって長い夜を
  ひとりで寝たらよいのでしょう

     「亡妾(ばうせふ)を悲傷(かな)しびて作る歌」
今よりは
  秋風寒く 吹きなむを
    いかにかひとり 長き夜を寝む
          大伴家持 万葉集3巻462

 あるいは、大伴家持が大伴坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ/だいじょう)を正妻とする前の、妻であったかともされる女性が、亡くなった時の和歌です。万葉集の「吹きなむを」は「吹くであろうに」という推量で、個人的な心情表明に近いですが、「なりぬべし」とした新古今の方は、「きっと吹くであろうと」より強調したような表現で、ジェスチャーが大きくなった分だけ、わずかに対外意識に勝ります。もちろんそれは、様式的価値を高めたという側面もありますが、極端な言い方をすれば、万葉集のものは隣の友人の言葉のように、新古今集のものはドラマの台詞のように聞こえるかも知れません。

さを鹿の
  妻どふ山の 岡べなる
    早生田(わさだ)は刈らじ 霜はおくとも
          柿本人麻呂 新古今集459

牡鹿が
  妻を求めるという山の 岡のあたりに植えた
    早取りの稲は刈らないでおこう
  たとえ露が降りたとしても

さ雄鹿の
  妻呼ぶ山の 岡辺(をかへ)なる/にある
    早生田(わさだ)は刈らじ 霜は降るとも
          よみ人しらず 万葉集10巻2220

 刈り取るのが遅れても、鹿たちが愛を確かめ合うところを、邪魔したりしないように、という趣旨かと思われますが、(講談社文庫)では、鹿の餌にはならないはずだと心配しておられます。なるほど、万葉集の精神なら、餌を心配した短歌でもおかしくないかも知れません。それはさておき……

 もちろんこれは、実際に刈らないようにした訳ではなく、眺めたら早稲田(わさだ)がまだ刈られていなかったので、鹿のために刈らないでおこうよ、と詩興にゆだねたものに過ぎません。けれども場面描写のおかげで、山では牡鹿が妻を求めて鳴く頃、恐らくもう少し平野の方の早稲田はすでに刈られて、ちょうど岡のあたりの稲刈りが始まる直前の、早くしないと霜が降る可能性のある時節を、きめ細やかに描写していることになりますから、ちょっとした空想の見立てのように感じられながら、なかなかに豊かな情景が浮かんで来ます。

 その上、山の岡の早稲田の手前にいる、詠み手の立ち位置まで浮かんで来るようで、後に藤原定家が、自らの『定家十体(ていかじってい)』のなかで、幽玄体(ゆうげんてい)の例に挙げていますが、この描写の広大でなかなかに深いところを、受け取ったものかも知れません。

秋されば おくしら露に
  わが宿の 浅茅(あさぢ)がうは葉
    色づきにけり
          柿本人麻呂 新古今集464

秋になって 霜が降りましたから
  わたしの家の 浅茅(あさぢ)の上葉のあたりが
    色づき始めました

秋されば 置く白露に
  我(わ)が門(かど)の 浅茅(あさぢ)が末葉(うらば)
    色づきにけり
          よみ人しらず 万葉集10巻2186

 茅葺き(かやぶき)などの言葉で知られる「茅(かや)」には、イネ科ススキ属のススキも、イネ科チガヤ属のチガヤも含まれ、見た目も似ていますから、「茅(かや)」と言われたときは、その総称と捉えてよいのですが、植物としては別のものです。もともと、屋根を葺く材料としての名称のようで、カヤツリグサ科スゲ属を広く指す「菅(すげ)」なども、「茅(かや)」に分類されています。

 ただ「浅茅(あさぢ)」と言われた場合は、ススキより背が低く、またススキより早く穂を出す、チガヤを指すようで、その紅葉はススキなどよりも、鑑賞価値が高い、きれいな色に染まるものですから、露が降りて、いよいよ葉先の方が色づいてきたと、浅茅が染まるのを期待して、このように詠まれたという短歌です。

 ついでの雑学として、チガヤよりも、ススキとオギの方が、もっと見分けが付かないかと思いますが、二つの見分け方は、

     『ススキとオギ』
・オギは湿地を好む
・ススキは一か所からまとまって、オギは等間隔に生える
・ススキの葉は根元から、オギはそれより上から伸びる
・ススキの穂には、だらしなく伸びた細い「芒(のぎ)」が付いている
・そのため、漢字が「芒(すすき)」と当てられている

といったもののようです。
 以上、和歌を眺めていると、
  時々登場する植物たちですから、
   ここで軽くまとめておきました。

垣(かき)ほなる 荻(をぎ)の葉そよぎ
  秋風の 吹くなるなへに
    雁ぞ鳴くなる
          柿本人麻呂 新古今集497

垣のあたりに 荻の葉がそよぎ
 秋風が 吹くのにあわせて
  雁の声がしてきます

蘆辺(あしへ)なる/にある 荻(をぎ)の葉さやぎ
  秋風の 吹き来(く)るなへに
    雁鳴き渡る
          よみ人しらず 万葉集10巻2134

 さっそく「オギ」の登場です。ちなみに、初心者向けの注意として、「オギ(荻)」と「ハギ(萩)」は漢字が似ているので、間違えないようにしましょう。堂々と草冠のしたに季節の「秋」を掲げているのが、秋の代表的な花である「ハギ」で、詠み間違えると全然違う情景になってしまいますから、ご注意願います。

 その荻ですが、湿地や川辺を好む植生から、ここでも蘆辺(あしべ)に置かれています。和歌については、解釈の問題からか、あるいは意識的にかは分かりませんが、新古今集の方は、

垣ほなる 荻の葉そよぎ
  秋風の 吹くなるなへに
    雁ぞ鳴くなる

と、「なる」を執ように繰り返してしまっています。今なら「です」のくり返しのように捉えても構いませんが、このようなリズム遊びは、効果的に配されていると口調の面白さが生きてくるのですが、この場合はそこに囚われたために、かえって万葉集の短歌の持つ、生きたリリシズムを遠ざけてしまっているような嫌いがあります。頓知主義者なら大喜びするかも知れませんが、あまり見事なものとは言えません。

あき風に
   山とびこゆる 雁がねの
  いや遠ざかり 雲がくれつゝ
          柿本人麻呂 新古今集498

秋風に乗って
  山のかなたへ飛んでゆく 雁の声が
 いよいよ遠ざかって 雲にまぎれていくようです

秋風に
  山飛びこゆる 雁がねの
 声遠ざかる 雲隠(くもがく)るらし
          よみ人しらず 万葉集10巻2136

 推定の助動詞で「雲に隠れたらしいな」と閉ざす万葉集のものは、四句までの内容から、推察した心情をまとめたものですから、一度四句で切れて、改めて推察を加えた、受けとめられやすい構図で、情景と詠み手の心情の関係が単純明快です。そうして完全に文が閉ざされています。

 それに対して、新古今集の場合は、わざと描写と心情の区別を曖昧にして、つまりは句切れを無くして、その上で「雲がくれつつ」と継続の接続助詞で閉ざす、すなわち「つつ止め」になっています。これによって、「遠ざかって雲に隠れながら……」と未完了の情景に感じ入っている途中の詠み手が、その先にまだ言いたいことがあったような含みを、ため息のうちに心に留めてしまったような印象が籠もりますから、ずっと心情表現が複雑で、しかも余情(よじょう)というものが意識されています。

 かならずしも、そのような表現こそがすばらしいというものではありませんが、こんな何気ない改編にも、万葉集以後の和歌の歩んできた、一つの表現の極みのようなものが、あるいは垣間見られるのかも知れませんね。

あすか川 もみぢ葉ながる
   かづらきの やまの秋風
  吹きぞしくらし
          柿本人麻呂 新古今集541

飛鳥川には もみじ葉が流れています
   葛城(かつらぎ)には 山から秋風が
 しきりに吹いているのでしょう

明日香川 もみぢ葉流る
   葛城(かづらき)の 山の木の葉は
 今し散るらし/らむ
          よみ人しらず 万葉集10巻2210

 葛城は、今日の正式名称を大和葛城山(やまとかつらぎさん)という、奈良県と大阪府の境にある山です。それで明日香川が奈良盆地を流れる、大和(やまと)の明日香川とは別の、河内(かわち)にある同名の川ではないかともされています。あるいは葛城に特別な思いがあって、あえて大和の明日香川を見ながら詠まれたともされますが、そんなこと、永遠に分かりっこないような気もしてきますから、ここでは黙殺。

 ただ万葉集のものだと、二句の「もみぢ葉流る」に対応して、上流の木の葉を「今こそ散っているのだろうなあ」と推察した感じですから、葛城山の下流に明日香川が来なければ、かなりこじつけがましい解釈になってしまいそうです。

 あるいは、新古今集で結句を「吹きぞしくらし」(さぞ吹いているのだろうなあ)とおいたのは、明日香川と葛城の取り合わせに、不満を感じたためでしょうか。これだと、「今こそ散っている」というよりは、ずっと上句との関係を薄くできますから、二つの異なる地点を、それぞれ推し量ったものとしても、なんとか解釈がつきそうな、きわどいところをすり抜けています。

 さすが、新古今集の巧みな表現者たちのなせるワザですね。ところで、「吹きぞしくらし」という表現は、「吹きしく」(しきりに吹く)に推定の「らし」を加えたもので、「吹いているようだ」という意味になります。それでは「ぞ」は何かと言いますと、これは強意を表わすために、文の途中に入れられた「係助詞(かかりじょし)」と言われるものです。

 係助詞などと聞くと、「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」などと、呪文のように覚えさせられて、トラウマとなっている方もあるかも知れませんが、今は別に、ただ文中の強意くらいで、軽やかに過ぎ去りますのでご安心を。

冬歌

しぐれの雨 まなくし降れば
   真木(まき)の葉も あらそひかねて
     色づきにけり
          柿本人麻呂 新古今集582

時雨が たえまなく降るので
  つねに緑であるべき真木の葉も
 あらがうことが出来なくて
   冬らしく色あせてきました

しぐれの雨 間なくし降れば
   真木(まき)の葉も 争ひかねて
     色づきにけり
          よみ人しらず 万葉集10巻2196

「真木(まき)」は、本来「優れた木」の意味ですが、杉や檜(ひのき)などの常緑の針葉樹を指す言葉です。短歌の外に、黄葉(もみじ)が色づいたのはもちろんのことという思いがあり、その上で時雨によって、真木の色さえ変わり始めて、いよいよ冬が近づいたような内容になっています。「争ひかねて」という擬人法の見立てが、あらがえない冬の訪れを導くような印象が込められて、ただ「色づいた」というより、ずっと心情の込められた表現に移しかえられている。

 このように、どこか魅力のある表現を込めると、短歌全体の魅力が増すもので、逆にどこか傷のある表現が残ると、短歌全体の魅力が半減しますから、自分で詠む場合には、動くところを無くして、表現の不手際をなくすこと。それと同時に、こだわりの表現を見いだすことを、心にとめておくと良いでしょう。

 特に全体が整いかけている時に動く場所というのは、そこさえ生かせれば、後は動きようもなく定まっているという事ですから、逆にもっとも魅力的な表現を持ち込むべき、チャンスであると捉えることも可能です。しばらく時間を犠牲にしても、その言葉の場所で、表現と格闘してみるのも、良い結果を残す秘訣であると言えるでしょう。

うばたまの 夜のふけゆけば
   ひさぎおふる きよき川原に
  千鳥鳴くなり
          山部赤人 新古今集641

(うばたまの) 夜が更けて行くと
   楸(ひさぎ)の生い茂る 清らかな川辺には
     千鳥が鳴いているのでした

ぬばたまの 夜の更けゆけば
 久木(ひさぎ/ひさき)生ふる 清き川原に
  千鳥しば鳴く
          山部赤人 万葉集6巻925

「久木(ひさぎ)」は、楸(ひさぎ)のことで「キササゲ」または「アカメガシワ」の古名とされますが、万葉集で詠まれた「ひさぎ」がそのどちらかを指すかは、疑問が残るようです。万葉集の短歌は、吉野の離宮を讃える長歌の反歌になっていて、吉野川の清らかな川原に、千鳥がしきりに鳴いていることを歌っています。

吉野なる
   夏実(なつみ)の川の 川淀(かはよど)に
 鴨(かも)ぞ鳴くなる 山かげにして
          湯原王(ゆはらのおおきみ) 新古今集654

吉野にある
  夏実(なつみ)の川の 滞っている淀みには
 鴨が鳴いています 山の陰になっているところで

     『吉野にして作る歌一首』
吉野なる/にある
   夏実(なつみ)の川の 川淀(かはよど)に
 鴨そ/ぞ鳴くなる 山影にして
          湯原王(ゆはらのおおきみ) 万葉集3巻375

「夏実(なつみ)の川」は、現在の吉野町菜摘(なつみ)という地名のあたりを流れる吉野川を、呼び変えた名称です。ここでも定番のズームインが使用されていて、吉野から菜摘という地名へ、その川へ、その川の淀みへと、連続的に近づいて、最後に鴨を登場させる。そこまでなら、ありきたりの方針ですが、そこで鳴き声という音声を導いて言葉を切り、改めて「山の影で」と新たな印象を込めて短歌を閉ざしているのが見事です。

 これによって、四句目の「鴨ぞ鳴くなる」の「なる」は伝聞推量ですから、わざわざ最後に改めて「山影である」と言ったからには、山影で見えないけれど、と付け加えることによって、鴨の声だけが聞こえてくる、ユニークな心情を表明したものだという解釈が成り立ちます。

 けれども一方で、そうではなく結句もまた「夏実の川」の吉野という秘境を印象づけるために、「山の影」という情景を定めるための、最後の切り札を出したものと考えることも出来るでしょう。そうであるなら、「鴨ぞ鳴くなる」の「なる」は確かに鴨の声を聞いたからこそ、そのように述べたものではありますが、詠み手の視界には鴨も捕らえられていて、その上で声の印象だけを、改めて推し量ったようにも思われます。

 あるいはそのような浮かび来る情景に、
  解釈の幅があるからこそ、
   そうしてそのどちらにしても、
    愉快な心情に響いて来るからこそ、
   尽きない魅力が込められている。
  そう述べることも出来るかも知れませんね。

矢田の野に あさぢ色づく
  あらち山 みねのあは雪
    寒くぞあるらし
          柿本人麻呂 新古今集657

矢田(やた)の野には 浅茅が色づいています
  有乳山(あらちやま)には 峰に淡雪が降って
    ずいぶん寒いことでしょう

八田(やた)の野の 浅茅(あさぢ)色づく
    あらち山 峰の淡雪
  寒く降るらし
          よみ人しらず 万葉集10巻2331

「八田の野」は奈良県大和郡にあり、当時の都である平城京の西側です。それに対して「愛発山(有乳山)(あらちやま)」というのは、福井県敦賀市(つるがし)の南方に位置する山ですから、まるで場所が違います。先に紹介した、明日香川の場合は、分かりにくい所がありましたが、この場合は、明快に都付近の黄葉(もみじ)と、遠い愛発山の雪を対比していますから明快です。

 当時はまだ、「愛発の関(あらちのせき)」という関所が機能していましたから、あるいはその関所に関連して、旅ゆく人でも思いはかったものでしょうか。この関と、三重県にあった「鈴鹿の関(すずかのせき)」、岐阜県不破郡にあった「不破の関(ふわのせき)」は、畿内(きない)を守るかなめとして、奈良時代には有名な三関だったようです。いずれも789年に廃止されています。

田子の浦(たごのうら)に
  うち出でゝみれば しろたへの
 富士のたか嶺(ね)に 雪は降りつゝ
          山部赤人 新古今集675

田子の浦から
   うち出て眺めると 白妙のような
 富士山の高峰に 雪が降っているのでした

田子の浦ゆ
  うち出でゝみれば ま白にそ/ぞ
 富士の高嶺(たかね)に 雪は降りける
          山部赤人 万葉集3巻318

 田子の浦(たごのうら)というと、現在なら静岡県富士市にある田子の浦の港あたりを指しますが、当時はもっと西の、由比(ゆい)のあたり一帯を指していたようです。「うち出(い)でて」とあるのは、遮られたところから、広い空間へ逃れ出るような表現です。

 それで着想としては、海岸に出て、富士を眺めれば雪が降っているという、壮大な構想ですが、二句目の「うち出て見れば」がきわめて効果的な表現になっていて、これによって海岸に逃れなければ、富士を眺められなかったような印象が籠もりますから、ぱっと開けたところから、遠望する効果は見事です。

 しかも冒頭は、さも浜へ出て見れば、広大な海に、真っ白な波が立っていると詠うように、自らの意志で海岸に逃れて置きながら、実は富士を眺めたかったのかという気づかせるような方針。そして、波に対して、引けを取らなずに相対しているような、海と反対側にある富士山という構図。そして、その高い峰のところに、今まさに雪が降っているという、明快な情景描写と即時性。それらが混ざり合って、後の勅撰和歌集の名作のような、ちょっと絵画のような見立てとはまた違った、臨場感のある幻想光景のように、私たちに錯覚させるのに成功しているようです。

 それに対して万葉集で「田子の浦ゆ」とあるのは、「田子の浦に」とは意味が違ってきます。この「ゆ」は経由しての意味になりますから、「田子の浦」を経由してどこかへ出たことになりますから、たった一字には過ぎませんが、「新古今集」のものとは、大きく印象が異なってきます。さらに、万葉集では、実際は富士山を眺めた長歌の反歌になっているのですが、長歌の方では、直接富士山を眺めた印象を歌い継いでいるのですが、最後に加えられた反歌で、はじめて眺めたシチュエーションが述べられていて、全体の構成が見事です。

               (その二へ つゞく)

2016/06/25

[上層へ] [Topへ]