万葉集 巻別秀歌五

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万葉集 巻別秀歌五

巻第十七

天漢(あまのがわ)を仰ぐ歌

     『天平十年七月七日、ひとり天の川を仰いで、思いを述べる歌』
織女(たなばた)し 舟乗りすらし
  まそかゞみ 清き月夜(つくよ)に
    雲立ちわたる
          大伴家持 万葉集17巻3900

たなばたが 舟に乗ったようだ
  (まそ鏡) 清らかな月夜に
     雲が立ち渡っている

雪掻きの宴にて

新(あらた)しき 年のはじめに
  豊(とよ)の稔(とし) しるすとならし
    雪の降れるは
          葛井諸会(ふじいのもろあい) 万葉集17巻3925

新しい 年の初めに
  豊かな稔(みの)りを 予兆するのでしょう
    雪が降るのは

越中守歓迎の宴

ぬばたまの 夜は更けぬらし
  たまくしげ 二上山(ふたかみやま)に 月かたぶきぬ
          土師道良(はにしのみちよし) 万葉集17巻3955

(ぬばたまの) 夜も更けたようだ
   (たまくしげ) 二上山に 月が傾いている

病中、池主に送る歌より

うぐひすの
  鳴き散らすらむ 春の花
    いつしか君と 手折(たを)りかざゝむ
          大伴家持 万葉集17巻3966

うぐいすが
  鳴き散らしているようです 春の花を
    いつしかあなたと 折って髪に飾りたいもの

病後、池主に送る歌より

     『短歌二首のうち一首』
吹けりとも
   知らずしあらば 黙(もだ)もあらむ
 この山吹を 見せつゝもとな
          大伴家持 万葉集17巻3976

咲いていても
  知らずにあれば 黙ってもいられたのに
    こんな山吹を 見せるだなんて

鷹に逃げられ歌より

矢形尾(やかたを)の 鷹を手に据(す)ゑ
  三島野(みしまの)に 猟(か)らぬ日まねく
    月そ経にける
          大伴家持 万葉集17巻4012

矢の形の尾をした 鷹を手に据えて
  三島野で 狩りをする日も多くなって
    月が過ぎてしまった

あゆの風

あゆの風 いたく吹くらし
  奈呉(なご)の海人(あま)の 釣りする小舟(をぶね)
    漕ぎ隠る見ゆ
          大伴家持 万葉集17巻4017

この地の東風である「あゆの風」が
  ずいぶん吹いているようです
    奈呉の漁師たちの 釣をする小舟が
  波に漕ぎ隠れながら見えています

港風(みなとかぜ) 寒く吹くらし
  奈呉(なご)の江に 妻呼びかはし
    鶴(たづ)さはに鳴く
          大伴家持 万葉集17巻4018

河口の風は 寒く吹くようだ
  奈呉の入り江で 夫婦を呼び合って
    鶴が盛んに鳴いている

婦負川(ひめがは)の歌

     「鵜を潜(かづ)くる人を見て作る歌一首」
婦負川(ひめがは)の
  早き瀬ごとに かゞりさし
    八十伴(やそとも)の男(を)は 鵜川(うかは)立ちけり
          大伴家持 万葉集17巻4023

婦負川の
  早い瀬ごとに 篝火を焚いて
    多くの鵜飼いたちが 鵜漁(うかり)をしている

珠洲の海

     「珠洲(ずゞ)の郡(こほり)より舟を発(いだ)し、太沼の郡にかへる時に、
     長浜の浦に泊り、月の光を仰ぎ見て作る歌一首」
珠洲の海に
   朝びらきして 漕ぎ来れば
 長浜の浦に 月照りにけり
          大伴家持 万葉集4029

珠洲の海から
   朝から舟を出して 漕いで来れば
  長浜の浦に付く頃には 月が照っていたよ

巻第十八

とよの宴(あかり)したまふ時

たちばなの
   とをのたちばな 八つ代(やつよ)にも
 我は忘れじ このたちばなを
          元正太上天皇(げんしょうだいじょうてんのう) 万葉集18巻4058

橘の 枝のたわんだ橘 八代までも
  私は忘れない この橘を

都へ戻る僧へ

ひと本(もと)の
  なでしこ植ゑし そのこゝろ
    誰れに見せむと 思ひそめけむ
          大伴家持 万葉集18巻4070

ひと株の
   なでしこを植えた その心は
  いったい誰に見せようとして
     思い立ったものだと言うのでしょう

さ百合花の歌

ともし火の
   光に見ゆる さ百合花(さゆりばな)
  ゆりも逢はむと 思ひそめてき
          内蔵縄麻呂(くらのつなまろ/なわまろ) 万葉集18巻4087

ともし火の
  光に見えている 百合の花のよう
    後(ゆり)も逢おうと
  思い始めているのです

陸奥国に金を出だす歌より

     『反歌三首のうち二首』
大伴の
  遠つ神祖(かむおや)の 奥城(おくつき)は
    しるく標(しめ)立て 人の知るべく
          大伴家持 万葉集18巻4096

大伴の
  遠い先祖をまつる 墓地には
    しるしをはっきりと立てよ
  誰もが分かるように

天皇(すめろき)の
  御代(みよ)栄えむと あづまなる
    みちのく山に くがね花咲く
          大伴家持 万葉集18巻4097

天皇の
  御代が栄えるようにと 東方の
    陸奥(みちのく)の山に 黄金の花が咲いた

雪月花の初め歌

     「宴席に雪月梅花(せつげつばいくわ)を詠む歌一首」
雪の上に 照れる月夜(つくよ)に
  梅の花 折りて贈らむ
    はしき子もがも
          大伴家持 万葉集18巻4134

雪の上を 月が照らす夜に
  梅の花を 折り取って贈るような
    愛おしい恋人がいたらよいのに

巻第十九

春苑桃李(しゅんえんとうり)の歌二首

春の園(その)
  くれなゐにほふ もゝの花
    した照(で)る道に 出で立つをとめ
          大伴家持 万葉集19巻4139

春の園に
  くれない色に 映える桃の花が
    下を照らすような道に
  立ち現われた少女よ

我が園の すもゝの花か
  庭に散る はだれのいまだ
    残りたるかも/残りてあるかも
          大伴家持 万葉集19巻4140

私の園の 李(すもも)の花だろうか
  それとも庭に散った はだれ雪がいまだに
    残されているのだろうか

飛び翔(かけ)る鴫を見て

春まけて もの悲(がな)しきに
  さ夜更けて 羽(は)ふき/羽ぶき鳴く鴫(しぎ)
    誰(た)が田にか棲(す)む
          大伴家持 万葉集19巻4141

春となって もの悲しい頃
  夜も更けて 羽ばたき鳴く鴫は
    誰の田んぼに住んでいるのだろうか

かたかごの花の歌

     「かたかごの花をよぢ折る歌一首」
ものゝふの
  八十娘子(やそをとめ)らが 汲(く)みまがふ
    寺井(てらゐ)の上の かたかごの花
          大伴家持 万葉集19巻4143

(もののふの)
    沢山の娘らが 汲み交わしている
   寺の井のほとりの かたくりの花

帰雁を見る歌

つばめ来る 時になりぬと
   雁がねは 国しのひつゝ
      雲隠(くもがく)り鳴く
          大伴家持 万葉集19巻4144

つばめの来る 時期になったと
   雁たちは 故郷を偲びながら
  雲に隠れて鳴いています

夜に千鳥の鳴くを聞く歌

夜ぐたちに 寝覚めてをれば
  川瀬とめ こゝろもしのに
    鳴く千鳥かも
          大伴家持 万葉集19巻4146

夜も更けて 寝られずにいると
  川瀬を求め 胸が締め付けられるように
    鳴いている千鳥です

あかときに鳴く雉の歌二首

杉の野に さ躍(をど)る雉(きゞし)
  いちしろく 音(ね)にしも泣かむ
    隠り妻かも
          大伴家持 万葉集19巻4148

杉の野で 踊る雉は
  はっきりと 声をあげまくって鳴いている
    隠り妻だろうか などとはとても思えないくらいに

あしひきの
  八つ峰(やつを)の雉 鳴き響(とよ)む
    朝明(あさけ)のかすみ 見れば悲しも
          大伴家持 万葉集19巻4149

(あしひきの)
   八つ峰の雉が 鳴き声を響かせている
     夜明けの霞を 見れば悲しい気分にさせられる

舟人の唄

     「川をさかのぼる舟人の唄をはるかに聞く歌一首」
朝床(あさとこ)に
  聞けば遥(はる)けし 射水川(いみづかは)
    朝漕ぎしつゝ 歌ふ舟人
          大伴家持 万葉集19巻4150

朝の寝床で
  聞いていると遙かな 射水川に
    朝船を漕ぎながら 歌っている船頭の声

三月三日の宴

唐人(からひと)も
   いかだ浮かべて 遊ぶといふ
 今日そわが背子 花かづらせよ/な
          大伴家持 万葉集19巻4153

唐人も
  いかだを浮かべて 遊ぶという
 今日ですよ皆さん 花かづらをかざしましょう

鵜を潜くる歌

     「鵜(う)を潜(かづ)くる歌一首 あはせて短歌」
あらたまの 年行きかへり/かはり
  春されば 花のみにほふ
    あしひきの 山した響み
  落ち激(たぎ)ち 流る辟田(さきた)の
    川の瀬に 鮎子(あゆこ)さ走(ばし)る
      島つ鳥 鵜養(うかひ)ともなへ
    篝(かゞり)さし なづさひ行けば
      我妹子が 形見がてらと
        くれなゐの 八(や)しほに染めて
      おこせたる ころもの裾も
        通りて濡れぬ
          大伴家持 万葉集19巻4156

(あらたまの) 年が巡りかえって
   春になれば 花ばかりが咲き誇る
     (あしひきの) 山裾にまで響いて
   滾(たぎ)り落ち 流れる辟田の
     川の瀬には 小鮎が泳ぐよ
       (島つ鳥) 鵜飼いを伴い
     篝火を焚き さかのぼって行けば
       愛する妻が 形見の品と
         くれない色の 重ね染めして
       贈ってくれた 着物の袖も
         すっかり濡れてしまった

くれなゐの
  ころもにほはし 辟田川(さきたがは)
    絶ゆることなく 我(われ)かへり見む
          大伴家持 万葉集19巻4157

くれない色に
  着物を染めては 辟田川
    絶えることなく 繰り返し訪れよう

年のはに
  鮎し走らば 辟田川
    鵜八(うや)つ潜(かづ)けて 川瀬たづねむ
          大伴家持 万葉集19巻4158

年ごとに
  鮎が泳げば 辟田川に
    鵜飼いを従えて 川瀬を尋ねよう

勇士賛同の歌

     「勇士の名を振るはむことを願ふ歌 あはせて短歌」
ちゝの実の 父の命(みこと)
  はゝそ葉(ば)の 母の命
    おほろかに こゝろ尽くして
      思ふらむ その子なれやも
  ますらをや 空しくあるべき
    あづさゆみ 末(すゑ)振り起こし
      投矢持(なげやも)ち 千尋射(ちひろい)わたし
        剣大刀(つるぎたち) 腰に取り佩(は)き
    あしひきの 八つ峰踏み越え
      さしまくる こゝろさやらず
        後の世の かたり継ぐべく
          名を立つべしも
          大伴家持 万葉集19巻4164

(ちちの実の) 父親も
  (ははそ葉の) 母親も
     おろそかに 心をやって
       思うような その子ではないものを
   ますらおが 空しくあって良いものか
     あづさ弓の 先を振り起こして
       投槍を持って 遠くまで射渡し
         刀を 腰に取り備え
     (あしひひきの) 峰々を踏み越えて
       命をくだされた 心のままに
         後世に 語り継がれるような
           名を立てるべきである

ますらをは 名をし立つべし
   後の世に 聞き継ぐ人も
      語り継ぐがね
          大伴家持 万葉集19巻4165

ますらおは 名を立てるべきだ
  後の代に 伝え聞く人も
    語り継いでくれるように

梅の宴に加わる歌

     「筑紫の大宰(ださい)の時の、
       春苑梅歌(しゆんゑんばいか)に追和(ついわ)する一首」
春のうちの 楽しき終(をへ)は
   梅の花 手折(たを)り招(を)きつゝ 遊ぶにあるべし
          大伴家持 万葉集19巻4174

春のあいだの 楽しい過ごし方は
   梅の花を 折って皆を招待して 遊ぶことではないでしょうか

ほとゝぎすと藤の花

桃の花 くれなゐ色に
 にほひたる 面輪(おもわ)のうちに
  青柳の 細き眉根(まよね)を
   笑(ゑ)み曲(ま)がり 朝影見つゝ
  娘子(をとめ)らが 手に取持てる
 まそ鏡 二上山(ふたがみやま)に
  木(こ)の暗(くれ)の しげき谷辺(たにへ)を
   呼びとよめ 朝飛び渡り
    夕月夜 かそけき野辺(のへ)に
   はろ/\に 鳴くほとゝぎす
  立ち潜(く)くと 羽ぶれに/羽ぶりに散らす
 藤波の 花なつかしみ
  引きよぢて 袖に扱入(こき)れつ
   染(し)まば染むとも
          大伴家持 万葉集19巻4192

桃の花の くれない色に
 放つような 表情のうちに
  青柳のような 細い眉毛を
   にこりと曲げて 朝の自分を見る
  乙女たちが 手に取り持っている鏡のような
 (まそ鏡) 二上山に
 木の下を暗くして 茂った谷のあたりを
  鳴き響かせて 朝は飛び渡り
   夕べの月夜には 薄暗い野辺に
    遥か彼方に 鳴くほととぎすが
   飛び潜って 羽根を触れ揺らす
  藤波の 花が惜しいものだから
 引き寄せて 袖に折り入れた
  色が移るなら移るがいいと思いながら

ほとゝぎす
  鳴く羽触れ/羽触りにも 散りにけり
    さかり過ぐらし 藤波の花
          大伴家持 万葉集19巻4193

ほととぎすの
  鳴く時の羽根の触れでも 散ってしまう
    盛りを過ぎたようです 藤波の花

妻の代作

妹に似る 草と見しより
  我が標(し)めし 野辺(のへ)の山吹
    誰(たれ)か手折(てを)りし
          大伴家持 万葉集19巻4197

あなたに似た 草だと見てから
  私がしるしを付けておいた 野辺の山吹を
    いったい誰が折ってしまったのでしょう

たこの浦の藤波

たこの浦の
  底さへにほふ 藤波を
    かざして行かむ 見ぬ人のため
          内蔵縄麻呂(くらのなわまろ) 万葉集19巻4200

たこの浦に
  映し出された底まで照り映えるような
    すばらしい藤波を
  髪にかざしてゆこう
見られなかった人のために

ほとゝぎすの鳴かぬのを恨む歌

家に行きて なにを語らむ
  あしひきの 山ほとゝぎす ひと声も鳴け
          久米広縄(くめのひろつな) 万葉集19巻4203

家に戻って 何を話したらよいだろう
  (あしひきの) 山のほととぎすよ 一声くらい鳴いておくれ

京の丹比家(たじひけ)に贈る

東風(あゆ)をいたみ
  奈呉(なご)の浦廻(うらみ)に 寄する波
    いや千重(ちへ)しきに 恋ひわたるかも
          大伴家持 万葉集19巻4213

東からの風が激しくて
  奈呉の浦に 寄せる波のように
    幾重にも 幾重にも 恋しさばかり募ります

長雨(ながめ)の晴れぬる日に

卯の花を
  腐(くた)す霖雨(ながめ)の 始水(はなみづ)に
 寄るこつみなす 寄らむ子もがも
          大伴家持 万葉集19巻4217

卯の花を
  駄目にする長雨の 流れ出しの水に
 寄る木屑のように 寄ってくる恋人がいればなあ

秦石竹(はたのいわたけ)を餞(せん)する時

あしひきの
  山の黄葉に しづくあひて
    散らむ山道を 君が越えまく
          大伴家持 万葉集19巻4225

(あしひきの)
   山の黄葉が 雫にあって
     散るだろう山路を あなたは越えて行くのか

都に別れのぼる時の歌

あらたまの
  年の緒長く 相見てし
    そのこゝろ引き 忘らえめやも
          大伴家持 万葉集19巻4248

(あらたまの)
   長い年月を 共に見てきた
     その心づくしは
   忘れることはありません

石瀬野(いはせの)に
  秋萩しのぎ 馬なめて
    初鳥猟(はつとがり)だに せずや別れむ
          大伴家持 万葉集19巻4249

石瀬野で
  秋萩を踏みつけて 馬を並べての
    初の鷹狩りすらも せずに別れようとは

餞別の宴にて

しなざかる
  越(こし)に五年(いつとせ) 住み/\て
    立ち別れまく 惜しき宵かも
          大伴家持 万葉集19巻4250

(しなざかる)
   越中に五年も 住み続けて
     立ち別れるのが 惜しい今宵です

橘諸兄の宴にて

松かげの
  清き浜辺(はまへ)に 玉敷かば
    君来まさむか 清き浜辺に
          藤原八束 万葉集19巻4271

松の影の
  清らかな浜辺に 玉を敷き詰めたら
    あなたはおいでになられるでしょうか
  この清らかな浜辺に

天地(あめつち)と 久しきまでに
  よろづ代(よ)に 仕へまつらむ 黒酒白酒(くろきしろき)を
          文屋真人(ふみやのまひと) 万葉集19巻4275

天地と共に 久しく長い間
  万代までも お捧げしましょう 黒酒白酒を

袖垂れて いざ我が園に
  うぐひすの 木伝ひ散らす
    梅の花見に
          藤原永手(ふじわらのながて) 万葉集19巻4277

袖を垂らして 気兼ねなく
  さあ私の園に うぐいすの
    枝を移っては散らす 梅の花を見に行きましょう

石川宅嗣(いそのかみのやかつぐ)の宴

梅の花
   咲けるがなかに ふゝめるは
  恋か/恋や隠(こも)れる 雪を待つとか
          茨田王(まむたのおおきみ) 万葉集19巻4283

梅の花が
  咲いている中に つぼみでいるのは
    恋のせいで引きこもっているのでしょうか
  あるいは戻りの雪に備えるのでしょうか

雪に思いを述べる歌

御園生(みそのふ)の 竹(たけ)の林に
  うぐひすは しき/しば鳴きにしを
    雪は降りつゝ
          大伴家持 万葉集19巻4286

宮中の 竹の林に
  うぐいすは しきりに鳴くのに
    雪はまだ降っている

橘家の宴に青柳を見て

青柳の
  ほつ枝よぢ取り かづらくは
    君がやどにし 千歳寿(ちとせほ)くとそ
          大伴家持 万葉集19巻4289

青柳の 上の枝を折り取り 髪にかざすのは
  あなたの宿でこそ 千代を祝いたかったからです

春愁(しゅんしゅう)三首

春の野に 霞たなびき
  うら悲(がな)し この夕影に
    うぐひす鳴くも
          大伴家持 万葉集19巻4290

春の野に 霞がたなびいて
  もの悲しい この夕暮の光に
    うぐいすが鳴いている

我が宿の
  いさゝ群竹(むらたけ) 吹く風の
    音のかそけき この夕へかも
          大伴家持 万葉集19巻4291

私の家の
  わずかな群竹に 吹く風の
 音さえかすかな この夕べです

うら/\に
  照れる春日(はるひ)に ひばり上がり
    こゝろ悲しも ひとりし思へば
          大伴家持 万葉集19巻4292

うららかに
  照る春の日に ヒバリは上がり
    こころ悲しいもの
  ひとりもの思いをしていると

巻第二十

山づとの歌

あしひきの 山行きしかば
  山びとの 我に得しめし 山づとぞこれ
          (元正太上天皇唱える) 万葉集20巻4293

(あしひきの) 山に行ったなら
  山人が 私に与えた 山土産だぞこれは

ひとり天の川を見て

     『ひとり天の川を仰(あふ)ぎて作る』
青波(あをなみ)に
  袖さへ濡れて 漕ぐ舟の
    かし振るほどに さ夜更けなむか
          大伴家持 万葉集20巻4313

青い波に
  袖さえ濡らして 漕いできた舟の
    食いを打ち付ける間にも
  夜が更けてしまうのではないか

防人歌

我が妻は いたく恋ひらし
  飲む水に 影(かご)さへ見えて
    よに忘られず
          若倭部身麻呂(わかやまとべのみまろ) 万葉集20巻4322

愛しい妻は 強く恋慕っているらしい
  飲む水に その姿さえ映し出されて……
    なおさら忘れられない

我が妻も
   絵に描き取らむ いとまもが
  旅ゆく我(あれ)は 見つゝ偲はむ
          物部古麻呂(ものゝべのこまろ) 万葉集20巻4327

俺の妻を
  絵に描き写す 時間があればなあ
    旅行く俺は 見ながら偲んだのに

父母が
  頭掻(かしらか)き撫(な)で 幸(さき)くあれて
    言ひし言葉ぜ 忘れかねつる
          丈部稲麻呂(はせべのいなまろ) 万葉集20巻4346

父母が
  頭を掻き撫でながら 無事でいろと
    言った言葉が 忘れられない

白波の
  寄(よ)そる浜辺(はまへ)に 別れなば
    いともすべなみ 八度(やたび)袖振る
          大舎人部禰麻呂(おおとねりべのねまろ) 万葉集20巻4379

白波が
  寄せる浜辺で 別れたら
    たまらなくなって 何度も袖を振ります

     『防人(さきもり)の歌』
からころも
  裾(すそ)に取り付き 泣く子らを
    置きてそ来(き)ぬや 母(おも)なしにして
          他田大島(おさたのおおしま) 万葉集20巻4401

唐風(からふう)の衣(ころも)の
  裾に取り付いて 泣く子どもたちを
    残して来ました 母もいないのに

ちはやふる
  神のみ坂に 幣(ぬさ)まつり
    斎(いは)ふいのちは 母父(おもちゝ)がため
          神人部子忍男(みわひとべのこおしお) 万葉集20巻4402

(ちはやふる)
  御坂峠(みさかとうげ)に 幣を祀って
    祈願するいのちは 母と父のためにこそ

防人(さきもり)に
  行くは誰(た)が背(せ)と 問ふ人を
    見るがともしさ 物思(ものも)もせず
          (前年の防人の秀歌) 万葉集20巻4425

防人に
  行くのは誰の夫ですと 尋ねる人を
    見ているとうらやましい
  物思いもしないで……

たまばゝきの歌

     『玉箒(たまばゝき)をたまひての宴の時』
初春(はつはる)の
  初子(はつね)の今日の たまばゝき
    手に取るからに 揺(ゆ)らく玉の緒
          大伴家持 万葉集20巻4493

初春を迎えて
  初子の日である今日の 玉箒は
    手に取る途端に 玉が鳴り揺れます

中臣清麻呂の宴にて

八千草(やちくさ)の 花はうつろふ
  ときはなる 松のさ枝を 我は結ばな
          大伴家持 万葉集20巻4501

様々な 花は移ろってしまいます
  ですから変わらない 松の枝をこそ
    私は結ぼうと思います

     『島山を築いた庭園を見て』
池水に
  影さへ見えて 咲きにほふ
    馬酔木の花を 袖にこき入れな
          大伴家持 万葉集20巻4512

池の水に
  影さえ映して 咲き誇っている
    アセビの花を 袖に折り入れよう

因幡守として別れの宴にて

秋風の
  末(すゑ)吹きなびく 萩の花
    ともにかざゝず 相か別れむ
          大伴家持 万葉集20巻4515

秋風に
  吹かれてなびく 萩の花を
    一緒に髪に飾ることもなく
  互いに別れて行こう

おさめ歌

     『天平宝字三年春、正月一日に、因幡国の庁(ちやう)にして、
        饗(あへ)を、国郡の司(つかさ)らにたまふ宴の歌一首』
新(あらた)しき
  年の初めの 初春(はつはる)の
    今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)
          大伴家持 万葉集20巻4516

新しい
  年の初めの 初春の
    今日降る雪の
  しきりに積もれ 良きことよ

2016/08/25

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