万葉集 巻別秀歌四

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万葉集 巻別秀歌四

巻第十一

旋頭歌

泊瀬(はつせ)の
  弓槻(ゆつき)がしたに わが隠せる妻
    あかねさし
  照れる月夜(つくよ)に 人見てむかも
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2353

泊瀬の
  弓槻が岳のふもとに わたしが隠した妻
    あかあかと
  照らす月夜に 誰かが見つけたりしないだろうか

まそ鏡
  見しかと思ふ 妹も逢はぬかも
    玉の緒の
      絶えたる恋の 繁きこのころ
          (古歌集) 万葉集11巻2366

(まそ鏡)
  見たいと思う 恋人は逢ってくれはくれないのか
    (玉の緒の)
  途絶えた恋の しきりに募るこの頃です

正述心緒

恋ひ死なば 恋ひも死ねとや/とか
   たまほこの 道ゆき人(びと)の/道ゆく人(ひと)の
 言告げもなき/言も告らなく/言も告げなく
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2370

恋に死ぬなら 恋に死ねとでも言うのだろうか
  (たまほこの) 道を行く使いの
     伝言さえくださらない

恋するに
  死にするものに あらませば
    我が身は千たび 死にかへらまし
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2390

恋をすれば
  死ななければならない ものならば
    私は千回でも 死にかえることだろう

朝影に 我(あ/わ)が身はなりぬ
  玉(たま)かきる/かぎる ほのかに見えて
    去(い)にし子ゆゑに
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2394

朝早くのおぼろ気な姿に 私はなってしまった
  (たまかきる) わずかに見えて
     消えたあの子のせいで

寄物陳思

春やなぎ
   葛城山(かづらきやま)に 立つ雲の
  立ちても居ても 妹をしそ思ふ
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2453

(春やなぎ)
   葛城山に 立つ雲のように
     立っていても座っていても
   あの娘(こ)のことばかりまた考えてしまう

春やなぎ
   葛城山(かづらきやま)に 立つ雲の
  立ちても居ても 妹をしそ思ふ
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2453

(春やなぎ)
   葛城山に 立つ雲のように
     立っていても座っていても
   あの娘(こ)のことばかりまた考えてしまう

わが背子に 我(あ)が恋ひをれば
  わが宿の 草さへ思ひ うらぶれにけり
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2465

愛するあなたを
  ひとりで恋しがっていれば わたしの家の
    草さえも思い合せて しおれてしまいました

道の辺(へ)の
  いちしの花の いちしろく
    人皆知りぬ 我(あ/わ)が恋妻(こひづま)は
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2480

道ばたに咲く
  いちしの花のよう はっきりと
    皆に知られてしまった
  私の恋する妻のことを

水底(みなそこ)に
  生(お)ふる玉藻(たまも)の うちなびき
    こゝろは寄りて 恋ふるこのころ
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2482

水の底に
  生えている玉藻のように 流れになびいて
    こころを寄せて 恋するこの頃

言霊(ことだま)の 八十(やそ)の衢(ちまた)に 夕占(ゆふけ)問ふ/問ひ
  占(うら)まさに告る 妹相寄らむと/妹は相寄らむ
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2506

言葉の霊の 満ちる道辻(みちつじ)で 夕べ占いをすれば
   占いはまさに告げるよ あの子と寄り添えると

正述心緒

ぬばたまの
  妹が黒髪 今夜(こよひ)もか
 我(あ/わ)がなき床に なびけて寝らむ
          よみ人しらず 万葉集11巻2564

(ぬばたまの)
   妻は黒髪を 今夜もまた
     私の来ない寝床に なびかせて寝ているのだろうか

朝寝髪(あさねがみ/あさいがみ) われは梳(けづ)らじ
  うるはしき 君が手枕(たまくら)
    触れてしものを
          よみ人しらず 万葉集11巻2578

朝の寝起きの髪を わたしは梳(すき)ません
  うるわしい あなたの腕枕に
    触れた髪の毛

しるしなき 恋をもするか
  夕されば 人の手まきて 寝らむ子ゆゑに
          よみ人しらず 万葉集11巻2599

あてもない 恋をするかも
  夕方になれば 誰かの手に巻かれて
    寝ているあの子のために

ぬばたまの
  わが黒髪を ひきぬらし
    乱れてさらに 恋ひわたるかも
          よみ人しらず 万葉集11巻2610

(ぬばたまの)
   この黒髪を 引き解いて
     思い乱れてさらに 恋い慕うでしょう

寄物陳思

あづさ弓
  引きみ緩(ゆる)へみ 来ずは来ず
    来ば来そをなぞ/など 来ずは来ばそを
          よみ人しらず 万葉集11巻2640

梓弓を 張ったり緩めたりするように
  来ないといって来ない 来るといって来る
    それかと思えば 来ないといって来たりまたそれを……

燈火(ともしび)の
  影にかゞよふ うつせみの
    妹が笑(ゑ)まひし 面影(おもかげ)に見ゆ
          よみ人しらず 万葉集11巻2642

ともし火の
  影にちらつく 生きたままの
    あの子の笑顔が 面影となって浮かぶよ

ちはやぶる
  神の斎垣(いがき/いかき)も 越えぬべし
    今はわが名の 惜しけくもなし
          よみ人しらず 万葉集11巻2663

(ちはやぶる)
   神域の垣根も 越えてしまう
     今は自分の名など 惜しくもないから

窓越しに 月おし照りて
  あしひきの あらし吹く夜は
    君をしそ思う
          よみ人しらず 万葉集11巻2679

窓越しに 月が照らして
  (あしひきの) 嵐の吹く夜には
     あなたを思うよ

あしひきの
  山した響(とよ)み ゆく水の
    時ともなくも 恋わたるかも
          よみ人しらず 万葉集11巻2704

(あしひきの)
   山裾に響き渡って 流れゆく水のように
     時をあけることなく 恋しがっているよ

青山(あをやま)の
   岩垣沼(いはかきぬま)の 水隠(みごも)りに
 恋ひやわたらむ 逢ふよしをなみ
          よみ人しらず 万葉集11巻2707

青く茂った山の
  岩に囲まれた沼の 水に隠れるように
    ひっそりと恋し続けます
  逢うすべもないので

波の間ゆ
  見ゆる小島(こしま)の 浜久木(はまひさぎ/き)
    久しくなりぬ 君に逢はずして
          よみ人しらず 万葉集11巻2753

波の間から
  見える小島の 浜のヒサギのよう
    久しくなります
  あなたに逢わないままで

あしひきの
  山鳥の尾の しだり尾の
    長々し夜を ひとりかも寝む
          よみ人しらず 万葉集11巻28022別本

(あしひきの)
   山鳥の尾の しだれた尾のような
     長々しい夜を ひとりで寝るのだろうか

巻第十二

正述心緒

かくばかり
   恋ひむものそと/ぞと 知らませば
  その夜はゆたに あらましものを
          よみ人しらず 万葉集12巻2867

これほどに
  恋しいものだと 知っていたなら
    あの夜はもっとゆっくり
  していればよかったよ

恋ひつゝも 今日はあらめど
  たまくしげ 明けなむ明日を
    いかに暮らさむ
          よみ人しらず 万葉集12巻2884

恋しさに 今日は過ごしました
  (たまくしげ) 明けるであろう明日は
     どうやって暮らしましょう

うつくしと/うるはしと
  思ふ我妹(わぎも)を 夢(いめ)に見て
    起きてさぐるに なきが寂(さぶ)しさ
          よみ人しらず 万葉集12巻2914

可愛らしいと
  思うあの娘(こ)を 夢に見て
    起きて手探りをすると 居ない寂しさ

ふたりして 結びし紐を
  ひとりして 我(あ/わ)れは解きみじ
    たゞに逢ふまでは
          よみ人しらず 万葉集12巻2919

あなたと二人で 結んだ紐を
  一人では わたしはほどきません
    じかに逢うまでは

あらたまの 年月かねて
  ぬばたまの 夢(いめ)に見えけり
    君がすがたは
          よみ人しらず 万葉集12巻2956

(あらたまの) 年月を重ねて
   (ぬばたまの) 夢に見ていました
      あなたの姿は

 

寄物陳思

桃花(つき/もゝ)染(そ)めの
   浅らのころも 浅らかに
  思ひて妹に 逢はむものかも
          よみ人しらず 万葉集12巻2970

薄紅色のトキ染めの
   浅く染めた着物の 浅いこころを
  抱いてあなたに 逢ったりはしません

あづさ弓
  末のたづきは 知らねども
    こゝろは君に 寄りにしものを
          よみ人しらず 万葉集12巻2985別本

(あづさゆみ)
   先のことは なにも分かりませんが
     心はあなたに 寄り添ってしまいましたから

たらちねの
   母が飼ふ蚕(こ)の 繭隠(まよごも)り
  いぶせくもあるか 妹に逢はずして
          よみ人しらず 万葉集12巻2991

(たらちねの)
   母が飼う蚕(かいこ)が 繭にこもるように
     狭くて息が詰まりそうだ あの人に逢わないで

あしひきの
  山より出づる 月待つと
    人には言ひて 妹待つ我(われ)を
          よみ人しらず 万葉集12巻3002

(あしひきの)
   山からのぼる 月を待ちますと
     人には言って
   恋人を待っているわたしなのです

夕月夜(ゆふづくよ)
  あかとき闇の おほゝしく
    見し人ゆゑに 恋わたるかも
          よみ人しらず 万葉集12巻3003

まだ夕方頃の月の夜の
  あかつき近くの闇の おぼろげに
   見た人のせいで 恋しさにさいなまれています

君があたり
   見つゝも居(を)らむ 生駒山(いこまやま)
  雲なたなびき 雨は降るとも
          よみ人しらず 万葉集12巻3032

あなたのあたりを
   ずっと眺めていましょう 生駒山に
  雲よ掛からないでください
    たとえ雨が降ったとしても

夕(ゆふへ)置きて
  朝(あした)は消ぬる 白露の
    消ぬべき恋も 我(あれ/われ)はするかも
          よみ人しらず 万葉集12巻3039

夕方に置かれて
   翌朝には消えてしまう 白露のような
  消え入りそうな恋を 私はしているのです

忘れ草
  垣もしみゝに 植ゑたれど
    しこのしこ草(ぐさ/くさ) なほ恋ひにけり
          よみ人しらず 万葉集12巻3062

忘れ草を
  垣根にいっぱい 植えたのに
    醜(しこ)の駄目草だわこんなの
  やっぱり恋しいもの

浅茅原(あさぢはら)
  小野にしめ結ひ/結ふ 空言(むなこと)も
 逢はむと聞こせ 恋のなぐさに
          よみ人しらず 万葉集12巻3063

浅茅の茂る
   小野にしるしを付けるような いつわりの言葉でもいい
 逢おうと言ってください 恋の慰めに

なか/\に 人とあらずは
  桑子(くはご/くはこ)にも ならましものを
    玉の緒ばかり
          よみ人しらず 万葉集12巻3086

なまじいに 人として恋しさに死ぬくらいなら
  蚕にでも なったほうがマシです
    おなじわずかな命でも

さひのくま
  檜隈川(ひのくまがは)に 馬とゞめ
    馬に水かへ 我れよそに見む
          よみ人しらず 万葉集12巻3097

(さひのくま)
   檜隈川に 馬を休めて
     馬に水を与えなさいな
   わたしは遠くから眺めていますから

問答歌(もんどうか)

むらさきは 灰さすものぞ
  海石榴市(つばきち)の 八十(やそ)の衢(ちまた)に 逢へる子や誰
          よみ人しらず 万葉集12巻3101

むらさき染めには 椿の灰を差すように
  美しい女性には 立派な男性が従うのが道理
    さあ海石榴市の道辻で 出会ってしまったあなたよ
  その名前を告げるがいい
     (意訳)

たらちねの
  母が呼ぶ名を 申さめど
    道ゆく人を 誰と知りてか
          よみ人しらず 万葉集12巻3102

(たらちねの)
   母の呼ぶ名前を 伝えたい気もしますが
     行きずりの人が 誰だか分からないものですから

羈旅発思(きりょはっし)

いで我(あ/わ)が駒(こま)
  早く行きこそ 真土山(まつちやま)
    待つらむ妹を 行きて早見む
          よみ人しらず 万葉集12巻3154

出でよ 我が馬よ
   早く行くのだ 真土山に
 待つであろう恋人を 行って早く見よう

志賀(しか)の海人(あま)の
  釣し灯(とも)せる 漁(いさ)り火の
    ほのかに妹を 見むよしもがも
          よみ人しらず 万葉集12巻3170

志賀(しか)の漁師が
  釣に灯している いさり火のように
    わずかだけでもあの人を
  垣間見ることは出来ないものか

悲別歌(ひべつか)

住吉(すみのえ)の
  岸に向へる 淡路島(あはぢしま)
    あはれと君を 言はぬ日はなし
          よみ人しらず 万葉集12巻3197

住吉(すみよし)の
  岸に向かい合った 淡路島のように
    あなたを目の前に浮かべて
  ああ愛しいと 嘆かない日はありません

巻第十三

雑歌

春さり来れば

冬ごもり 春さり来れば
  朝(あした)には 白露置き
    夕(ゆふへ)には かすみたなびく
 風の吹く 木末(こぬれ)が下に
   うぐひす鳴くも
          よみ人しらず 万葉集13巻3221

(冬ごもり) 春が来たなら
  朝には 白露が置かれ
   夕べには 霞がたなびく
  風の吹く こずえの影で
 うぐいすが鳴いているよ

「風の吹く」のか所、解読難解で、これは一説に過ぎず。

泣く子守る山

みもろは 人の守(も)る山
  本辺(もとへ)は あしび花咲き
    末辺(すゑへ)は つばき花咲く
  うらぐはし山そ 泣く子守る山
          よみ人しらず 万葉集13巻3222

三室山(みむろやま)は 人々の守る山
  ふもとには アセビの花が咲き
    頂の方には 椿が咲いている
 こころを奪われるような山です
   この泣く子をあやすように守る山は

みもろの神の歌

葦原(あしはら)の 瑞穂(みづほ)の国に
  手向(たむけ)すと 天降(あも)りましけむ
    五百万(いほよろづ) 千万神(ちよろづかみ)の
      神代(かみよ)より 言ひ継ぎ来たる
  神(かむ)なびの みもろの山は
    春されば 春かすみ立ち
      秋ゆけば くれなゐにほふ
  神なびの みもろの神の
    帯にせる/帯(お)ばせる 明日香の川の
      水脈(みを)早み 生(む)しため難(がた)き
  石枕(いしまくら/いはまくら) 苔生すまでに
    新夜(あらたよ)の 幸(さき)く通はむ
      事はかり 夢(いめ)に見せこそ
  剣太刀(つるぎたち) 斎(いは)ひ祭れる
    神にしまさば/いませば
          よみ人しらず 万葉集13巻3227

葦原の 瑞穂の国と讃えられる
  我が国を 祀(まつ)ってやろうとして
    天から降ってこられた
      五百万 一千万もの
        神々の代から 言い伝えられている
  神のおわします 三室の山は
    春が来たなら 春霞が立ち
      秋が来れば 黄葉に染まる
  神のおわします 三室の山神が
    帯にされている 明日香の川の
      流れが速いので 生えるのも難しい
  枕のような石に 苔が生すまで
    新たな夜ごとに 無事に通えるような
      企てを 夢にお知らせください
  (剣太刀) 斎(いつ)き祀(まつ)っている
     神であられますからには

     「反歌」
神(かむ)なびの みもろの山に 斎(いは)ふ杉
   思ひ過ぎめや 苔生すまでに
          よみ人しらず 万葉集13巻3228

神のおわします 三室の山に まつる杉の
  思いが過ぎることがあるでしょうか
    苔が生えるまでもずっと

斎串立(いぐした)て みわ据(す)ゑまつる 祝部(はふりへ)が
   うずの玉かげ 見ればともしも
          よみ人しらず 万葉集13巻3229

斎串(いぐし)を立てて
  神酒(みわ)を捧げまつる 神主らの
    髪飾りの装飾は 見るからにゆかしい

相聞

言挙げの長歌その一より

     「反歌」
ひさかたの みやこを置きて
   くさまくら 旅ゆく君を
  いつとか待たむ
          よみ人しらず 万葉集13巻3252

(ひさかたの) みやこを後に
   (くさまくら) 旅ゆくあなたを
      いつと待てばよいのでしょうか

言挙げの長歌その二

     「柿本朝臣人麻呂が歌集の歌に曰(いは)く」
葦原の 瑞穂(みづほ)の国は
 神(かむ)ながら 言挙(ことあ)げせぬ国
  しかれども 言挙(ことあ)げぞ我(あ/わ)がする
   言幸(ことさき)く ま幸くませと
    つゝみなく 幸くいまさば
   荒磯波(ありそなみ) ありても見むと
  百重波(もゝへなみ) 千重波にしき/しきに
 言挙げす我(あれ/われ)は
言挙げす我は
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集13巻3253

葦原の この瑞穂の国は
 神意のままに 言挙げしない国
  しかしあえて 私は口に出して言う
   どうぞご無事で 幸せにいらっしゃいと
    つつがなく 幸せであられたら
   (荒磯波) いつか会えるだろうと
  百重波 千重波のように繰り返し
 言挙げしますわたしは
言挙げしますわたしは

しき島の 大和の国は
   言霊の 助くる国ぞ
  ま幸くありこそ
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集13巻3254

(しき島の) 大和の国は
   言葉の霊力の 助ける国と言います
  ですから「どうぞご無事で」

君に逢はずての歌

小墾田(をはりだ)の 年魚道(あゆぢ)の水を
  間なくそ 人は汲(く)むといふ
    時じくそ 人は飲むといふ
 汲む人の 間なきがごとく
   飲む人の 時じきがごと
     我妹子に 我(あ)が恋ふらくは
       止(や)む時もなし
          よみ人しらず 万葉集3260

小墾田の 年魚道の水を
  絶え間なく 人は汲むといいます
    時を開けず 人は飲むといいます
 汲む人の 絶え間がないように
   飲む人の 時を開けないように
     愛するあなたを わたしが恋慕うことは
        留まることがありません

思ひやる
  すべのたづきも 今はなし
    君に逢はずて 年の経ぬれば
          よみ人しらず 万葉集13巻3261

思いを馳せる
   手立ての糸口も 今はありません
      あなたに逢わないで
   年が過ぎてしまいましたから

心は妹に寄りにけるかも

春されば 花咲きをゝり
  秋づけば 丹(に)のほにもみつ
 うま酒を 神(かむ)なび山の
   帯にせる 明日香の川の
  早き瀬に 生ふる玉藻の
    うちなびく/うちなびき こゝろは寄りて
   朝露の 消(け)なば消(け)ぬべく
     恋しくも しるくも逢へる
       隠り妻(こもりづま)かも
          よみ人しらず 万葉集13巻3266

春になれば 花咲き乱れ
  秋づけば 赤く紅葉する
   (うま酒を) 神なび山が
 帯にする 飛鳥の川の
   早い瀬に 生える玉藻の
     なびくみたいに 私の心も寄って
   (朝露の) 消え入りそうなくらい
      恋い焦がれていた おかげで出逢えた
        ひそかな恋人よ

明日香川
   瀬々の玉藻の うちなびく/き
  こゝろは妹に 寄りにけるかも
          よみ人しらず 万葉集13巻3267

明日香川の 川瀬の玉藻が なびくみたいに
  この心はあなたに なびき寄ってしまいました

待てど来まさずの反歌

ころも手(で)に
  あらしの吹きて 寒き夜を
    君来まさずは ひとりかも寝む
          よみ人しらず 万葉集13巻3282

着物の袖に
  嵐の風が吹いてきて 寒い夜を
    あなたが来ないなら
  ひとりで寝ましょうか

挽歌(ばんか)

うらもなく臥したる君の反歌

浦波の
  来寄する浜に つれもなく
    臥(ふ)したる君が 家道(いへぢ)知らずも
          よみ人しらず 万葉集13巻3343

浦の波が
  寄せる浜辺に 何の関心もなく
    伏せているお前の 家路は分からない

巻第十四

東歌(あづまうた)

夏麻引(なつそび)く
  海上潟(うなかみがた)の 沖つ洲(す)に
    舟はとゞめむ さ夜更けにけり
          上総国(かみつふさのくに)の歌 万葉集14巻3348

(なつそびく)
   海上潟の 沖の州に
     舟を留めよう 夜も更けたから

葛飾(かづしか)の 真間の浦廻(うらみ)を 漕ぐ舟の
  舟人騒く 波立つらしも
          上総国(かみつふさのくに)の歌 万葉集14巻3349

葛飾の 真間の浦内を 漕ぐ船の
  舟人たちが騒いでいる 波が荒れてきたらしい

相聞

さ寝(ぬ)らくは 玉の緒ばかり
   恋(こ)ふらくは 富士の高嶺(たかね)の 鳴沢(なるさは)のごと
          駿河国(するがのくに)の歌 万葉集14巻3358

寝たのは ほんのわずかなのに
  恋しさは 富士の高嶺の 鳴沢の響きのよう

多摩川(たまがは)に
  さらす手作り さら/\に
    なにそこの子の こゝだ愛(かな)しき
          上総国(かみつふさのくに)の歌 万葉集14巻3373

多摩川に
  さらす手作り布の さらさらと
    今さらどうしてこの子は
  こんなにも愛しいのだろう

恋しけば 袖も振らむを
  武蔵野(むざしの)の うけらが花の
    色に出(づ)なゆめ
          武蔵国(むざしのくに)の歌 万葉集14巻3376

恋しくなったなら 袖も振りましょう
  ですから武蔵野の オケラの花のように
    きっと表に出さないようにしてくださいね

にほ鳥(どり)の
  葛飾早稲(かづしかわせ)を にへすとも
    その愛(かな)しきを 外(と)に立てめやも
          下総国(しもつふさのくに)の歌 万葉集14巻3386

(にほ鳥の)
   葛飾の早稲(わせ)を 祭りに捧げる時でも
     愛するあの人を 外に立たせたままで
   神のために ひとりでこもっていられましょうか

信濃道は
  今の墾り道 刈りばねに
    足踏ましなむ/むな 沓はけ我が背
          信濃国(しなののくに)の歌 万葉集14巻3399

信濃道は
  今開いた道 刈り株に
    足を踏みつけないでくださいね
  靴を履いてくださいあなた

信濃なる
  千曲(ちぐま)の川の さゞれ石(し)も
    君し踏みてば 玉と拾(ひろ/ひり)はむ
          信濃国(しなののくに)の歌 万葉集14巻3400

信濃にある
  千曲の川の 小石でさえ
    あなたが踏んだものならば
  玉と思って拾いましょう

国知れずの相聞

稲つけば
   かゝる我(あ)が手を 今夜(こよひ)もか
 殿(との)の若子(わくご)が 取りて嘆かむ
          よみ人しらず 万葉集14巻3459

稲を精米すれば
   あかぎれの私の手を 今夜もかしら
 お屋敷の若旦那が 手に取って嘆かれるのは

山鳥(やまどり)の
  尾(を)ろのはつをに 鏡かけ
    唱(とな)ふべみこそ 汝(な)に寄そりけめ
          よみ人しらず 万葉集14巻3468

山鳥の
  尾ろのはつをに 鏡をかけて
    まじないを唱えたから
      あなたと一緒になれたのよ
         (正訳不明歌)

あせか潟
  潮干のゆたに 思へらば
    うけらが花の 色に出でめやも
          よみ人しらず 万葉集14巻3503

あせか潟の
  潮干のようにゆったりと 思っていられたら
    オケラの花のようにして
  表に現さずにいられるでしょうか

谷狭(たにせば)み
  峰に延(は)ひたる たまかづら
    絶えむのこゝろ 我が思はなくに
          よみ人しらず 万葉集14巻3507

谷が狭いので
  峰に這い上っている つる草のよう
    絶えるなどというこころは
  私にはまったくありません

烏(からす)とふ
  おほおそ鳥(どり/とり)の まさでにも
    来(き)まさぬ君を ころくとぞ鳴く
          よみ人しらず 万葉集14巻3521

カラスという
  大うつけ鳥の奴 しっかりと
    来もしないあなたを
  来たとか鳴きやがって

ま金吹(かねふ)く
  丹生(にふ)のま朱(そほ)の 色に出(で)て
    言はなくのみそ 我(あ)が恋ふらくは
          よみ人しらず 万葉集14巻3560

金を精錬する時の
  丹生の赤土のように おもてに出して
    言わないだけだよ わたしの恋しさは

防人歌(さきもりのうた)

葦の葉に 夕霧立ちて
  鴨が音(ね)の 寒き夕へし
    汝(な)をば偲(しの)はむ
          よみ人しらず 万葉集14巻3570

葦の葉に 夕霧が掛かって
  鴨の声さえ 寒く感じる夕べには
    お前のことを思うよ

巻第十五

遣新羅使の歌

ぬばたまの 夜は明けぬらし
   玉の浦に あさりする鶴(たづ)
     鳴き渡るなり
          よみ人しらず 万葉集15巻3598

(ぬばたまの) 夜は明けたようだ
    玉の浦で 餌を取る鶴が
      鳴き渡って行く

     『古き挽歌のうち反歌』
鶴(たづ)が鳴き
   葦辺(あしへ)をさして 飛び渡る
  あなたづ/”\し ひとりさ寝(ぬ)れば
          丹比大夫(たじひのまえつきみ) 万葉集15巻3626

鶴が心もとなく鳴いて
   葦辺の方へ 飛び渡っていく
 ああ心細い ひとりで寝るのは

志賀(しか)の海人の
  ひと日もおちず 焼く塩の
    からき恋をも 我(あれ)はするかも
          よみ人しらず 万葉集15巻3652

志賀島の漁師が
  一日も欠かさず 焼いている塩のような
    辛い恋さえも 私はするでしょう

恋する往復書簡

あしひきの
   山路越えむと する君を
 こゝろに持ちて 安けくもなし
          狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ) 万葉集15巻3723

(あしひきの)
   山路を越えようと するあなたを
     こころに抱いて 穏やかではいられません

君がゆく
   道の長手(ながて)を 繰(く)りたゝね
 焼き滅ぼさむ 天(あめ)の火もがも
          狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ) 万葉集15巻3724

あなたが行く
  長い道のりを 手繰り重ねて
    焼き滅ぼしてくれる
  神の火があればよい

天地(あめつち)の
   底(そこ)ひのうらに 我(あ)がごとく
  君に恋ふらむ 人はさねあらじ
          狭野弟上娘子 万葉集15巻3750

天地の
  底の裏にだって 私のように
    あなたを恋するだろう 人は決していません

さすだけの
  大宮人(おほみやひと)は 今もかも
    人なぶりのみ 好みたるらむ
          中臣宅守(なかとみのやかもり) 万葉集15巻3758

(さすがけの)
   宮中の人々は 今も変わらず
     他人の中傷ばかりを 好んでいるだろうか

うるはしと 思ひし思はゞ
  した紐(びも)に 結ひつけ持ちて
    やまず偲(しの)はせ
          中臣宅守 万葉集15巻3766

うるわしいと 思い続けているのなら
  下着の紐に 形見のものを結い付けておいて
    絶えず恋偲んで欲しいよ

この頃(ころ)は
  君を思ふと すべもなき
    恋のみしつゝ 音(ね)のみしそ泣く
          狭野弟上娘子 万葉集15巻3768

この頃は
  あなたを思って やるせない
    恋ばかりして 声をあげて泣いています

我がやどの
  花たちばなは いたづらに
    散りか過ぐらむ 見る人なしに
          中臣宅守(なかとみのやかもり) 万葉集15巻3779

我が家の
  花橘はむなしく
    散り過ぎるのだろうか
  見る人もいないままで

巻第十六

由縁(ゆゑ)ある雑歌

桜児(さくらこ)の歌

     『桜児、二人の男の争ふを嘆きて死ぬ時、男らの歌二首』
春さらば
  かざしにせむと 我が思ひし
    さくらの花は 散りゆけるかも
          よみ人しらず 万葉集16巻3786

春が来たなら
  髪に挿そうと 私が思っていた
    さくらの花は 散ってしまった

妹が名に
  かけたるさくら 花咲かば
    つねにや恋ひむ いや年のはに
          よみ人しらず 万葉集16巻3787

愛する人の名に
  掛けたさくらの 花が咲いたなら
    いつまでも恋しがろう 年が巡るたびに

竹取の翁の歌より

死なばこそ 相見ずあらめ
  生きてあらば 白髪(しろかみ)子らに
    生(お)ひずあらめやも
          (竹取の翁) 万葉集16巻3792

死んでしまえば 合うこともありませんが
  生きているのならば 白髪が娘たちにも
    生えないことがあるでしょうか

白髪し 子らに生ひなば
  かくのごと 若(わか)けむ子らに
    罵(の)らえかねめや
          (竹取の翁) 万葉集16巻3793

白髪が あなたたちに生えた時には
  このように 若い人たちに
    罵られずに済むと思うのでしょうか

春の野の
  した草なびき 我れも寄り
    にほひ寄りなむ 友のまに/\
          (娘子らのひとり) 万葉集16巻3802

春の野の
  下草が風になびくように 私も皆さまに寄り添い
    同じ色にこころを染めましょう 友だちと一緒に

手習初めの歌

     『手習ひ歌』
安積山(あさかやま)
  影さへ見ゆる 山の井(ゐ)の
    浅きこゝろを 我が思はなくに
          (陸奥のさきの采女詠む) 万葉集16巻3807

安積山の
  影さえ映しだされる 澄んだ山の井のような
 浅いこころで あなたを思ってはいません

車持(くるまもち)の娘の歌より

     「反歌」
卜部(うらへ)をも
   八十(やそ)の衢(ちまた)も 占問へど
 君を相見む たどき知らずも
          車持の娘子(くるまもちのおとめ) 万葉集16巻3812

占い師に尋ね
  あまたの道の行き交う辻で 夕占(ゆううら)をしても
    あなたと逢える 方法が分からない

琴の弾き語り

夕立の 雨うち降れば
  春日野の 尾花が末(うれ)の
    白露思ほゆ
          小鯛王(おだいのおおきみ) 万葉集16巻3819

夕立の 雨がさっと降れば
  春日野の 尾花の穂先の
    白露のことが思い出される

長意吉麻呂の滑稽歌

     『宴会で、「食器、雑器、狐の声、川の橋」を掛けて歌を詠めと言われて詠む』
さす鍋/さし鍋に
  湯沸(わ)かせ子ども いちひつの
    檜橋(ひばし)より来む きつねに浴(あ)むさむ
          長意吉麻呂(ながのおきまろ) 万葉集16巻3824

注ぎ口のある鍋に
  お湯を沸かせ子どもら いちひつの地の
    檜の橋より「コン」と言って やって来る
  狐に浴びせてやろうぜ

     「双六(すごろく)の頭(さえ)を詠む歌」
一二の目 のみにはあらず
  五六三(ごろくさむ) 四(し)さへありけり
    双六の頭
          長意吉麻呂(ながのおきまろ) 万葉集16巻3829

一二の目 だけじゃないぜ
  五六三 四だってあるんだ
    双六の目は

蓮(はちす)なしの歌

勝間田(かつまた)の 池は我知る 蓮(はちす)なし
  しか言ふ君が 鬚(ひげ)なきごとし
          新田部皇子(にいたべのみこ)の妻 万葉集16巻3835

勝間田の 池は私も知っています
  蓮(はす)なんかありませんよ
    もっともらしく言っているあなたに
  鬚がないのと一緒です

無心所著(むしんしょじゃく)の歌二首

我妹子が
   ひたひに生ふる 双六の
 ことひの牛の 鞍(くら)のうへの瘡(かさ)
          よみ人しらず 万葉集16巻3838

愛する妻の
   額に生えた 双六の
  大きな牛の 鞍の上にある腫れ物よ

我が背子が
   たふさきにする つぶれ石の
  吉野の山に 氷魚(ひを)ぞさがれる
          よみ人しらず 万葉集16巻3839

私の夫が
  ふんどしにする 丸石のような
    吉野の山には 鮎の稚魚がぶら下がるよ

女餓鬼(めがき)まをさく

     「池田朝臣、大神朝臣奥守(おきもり)をわらふ歌一首」
寺々(てら/\)の 女餓鬼申(めがきまを)さく
  大神(おほみわ)の 男餓鬼(をがき)たばりて
    その子産(う)まはむ
          池田朝臣(いけだのあそみ) 万葉集16巻2840

寺々の 女の餓鬼(がき)が申しますには
  大神様のところの 男の餓鬼をいただいて
    その子供が産みたいとか

鰻の歌二首

     「痩人(やせひと)をわらふ歌二首」
石麻呂に 我もの申す
  夏痩せに よしといふものぞ
    鰻(むなぎ)捕りめせ
          よみ人しらず 万葉集16巻3853

石麻呂殿に 我はもの申す
  夏やせなんかして 良いものがあるぞ
    鰻を捕って食べるがいい

痩(や)す/\も 生ければあらむを
  はたやはた 鰻を捕ると 川に流るな
          よみ人しらず 万葉集16巻3854

とはいえ 痩せに痩せても 生きていればこそ
  もし間違って 鰻を捕ろうとして 川に流されるなよ

夫君(せのきみ)に恋ふる歌

飯食めど うまくもあらず
  行き行けど 安くもあらず
    あかねさす 君がこゝろし
  忘れかねつも
          佐為王(さいのおおきみ)の婢(まかだち) 万葉集16巻3857

ご飯を食べても 美味しくありません
  どこへ行っても 穏やかではいられません
    ただうるわしい あの人の心が
  忘れられなくて

豊前(とよのみちのくち)の国のあまの歌

豊国(とよくに)の
   企救(きく)の池なる 菱(ひし)の末(うれ)を
  摘むとや妹が み袖濡れけむ
          よみ人しらず 万葉集16巻3876

豊国の
   企救の池にある 菱(ひし)の先を
  摘もうとしてあの子は み袖を濡らしたのだろうか

豊後(とよのみちのしり)の国のあまの歌

くれなゐに
   染めてしころも 雨降りて
 にほひはすとも うつろはめやも
          よみ人しらず 万葉集16巻3877

紅花で
   染めた着物は たとえ雨が降って
 より栄えることはあっても
    色あせたりすることがあろうか

おそろしきものの歌

人魂(ひとだま)の
  さ青なる君が たゞひとり
    逢へりし雨夜(あまよ)の はびさし思ほゆ
          よみ人しらず 万葉集16巻3889

霊魂の
  真っ青になったあなたが たったひとりで
    現われた雨の夜の はびさしを思う
      (解読困難歌)

2016/08/25

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