ふたたびの万葉集 その三

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ふたたびの万葉集 その三

巻第五

 すべて「雑歌」ですが、これまでの巻とは明らかに違っています。山上憶良(やまのうえのおくら)(660年頃~733年頃)による、和歌を含まない、長大な漢詩文『沈痾自哀文(ぢんあじあいぶん)』が収められているように、全体に漢詩文の占める割合が高く、同時に大伴旅人と山上憶良がメインになっていることから、二人が大宰府で出会った事による、「漢詩と和歌の融合の試み」、しばしば筑紫歌壇(つくしかだん)と呼ばれるものの、アンソロジーではないかとも考えられ、二人のうちいずれか、あるいは両方が編纂に関わっているのではないかともされます。

 したがって大伴家持が編纂するまでもなく、すでに整っていたものを、万葉集に取り込んだという感じになるでしょうか。それでは、前半のクライマックスである、例の「梅の宴」から、また短歌をいくつかピックアップして、眺めてみることにいたします。

梅花(ばいか)の宴

梅の花 散らまく惜しみ
 わが園の 竹の林に うぐひす鳴くも
          阿氏奥島(あじ/あしのおきしま) 万葉集5巻824

梅の花が 散るのが惜しいといって
  わたしの園の 竹の林で
    うぐいすが鳴いています

「散らまく」は「~く」「~まく」を加えて「~すること」と名詞化するク語法。「惜しみ」は「~み」を加えて、「~(な)ので」と理由を表わすミ語法。「散らまく惜しみ」で「散ることが惜しいので」となります。同時に使用されているものですから、この短歌を覚えておくと、用法を覚えるのに手っ取り早いかもしれません。

 実は採用したのも、それが理由なくらいで、梅の花とうぐいすを我が園に配置しただけで、十分な構図になるところを、「竹の林」という余計な情景を加えて、かえって全体を散漫にしているようにも感じられますが、二句目と結句の「散るのを惜しんでうぐいすが鳴く」という枠が明快ですから、それほどくずれた印象はありません。四句が無駄で、動くものの、ぎりぎり及第(きゅうだい)扱いでよろしいのではないでしょうか。

人ごとに 折りかざしつゝ
  遊べども いやめづらしき
    梅の花かも
          丹麻呂(たんじのまろ) 万葉集5巻828

それぞれに
   折ってかざしては 遊んでいますが
  本当に心引かれる 梅の花ではありませんか

  試しにまた、
   「はじめての万葉集」から、
 梅の宴の短歌を掲載してみましょう。

梅の花
  折りてかざせる 諸人(もろひと)は
    今日のあひだは
  楽しくあるべし
          荒氏稲布(こうじ/あらうじのいなしき) 万葉集5巻832

 確かに詠み手の思いは伝わりますが、ただ眺めた情景を記して、それに対して感想を述べたものに過ぎません。折ってかざしている人たちが、現状を楽しんでいるのであれば、あえて加えられた下句は、(今日に含みがあるとしても、)わずかに蛇足(だそく)の気配がこもりますから、不要に間延びした表現のようにも感じられます。第一段階としては、素直な表現で好かったのですが、欲を言うなら、もう少しだけ、凝った短歌にすれば、聞き手を言葉に引きつけられます。引きつけられれば、かえって心情を、表明したことにもなるはずです。それでは、今回紹介した短歌はどうでしょうか。

人ごとに 折りかざしつゝ
  遊べども いやめづらしき
    梅の花かも
          丹麻呂(たんじのまろ) 万葉集5巻828

 一見同じように、情景を描いて、それに対して感想を述べたようにも思えますが、必ずしも同一精神ではありません。先ほどの短歌は、要約すれば「皆さまは楽しくあるべきだ」と言っているだけで、梅の花は、宴会の代名詞としての、修飾にしか過ぎませんでした。それに対して、丹麻呂(たんじのまろ)の短歌は、上の句では詠み手の注意は、梅の花にではなく、皆さんが遊んでいる姿に存在します。そうして「梅の花を折りかざしながら」というのは、遊んでいる皆さまの、宴会の代名詞としての、修飾になっています。つまり先ほどの短歌と同一です。

 ところが丹麻呂(たんじのまろ)は 、短歌の途中でふと視点を移します。人々への関心が、下句へ移ると同時に、梅の花へと移され、
     「本当にすばらしい梅の花だなあ」
と感動している。遊んでいた人々は背景へ沈み、真のターゲットにたどり着いた様相です。つまり「今日の間は楽しくあるべし」の方は一枚のスナップのように情景を眺めた時の、同時的な感想を述べたに過ぎませんが、こちらの短歌は、詠み手の視点がうつされて、始めて感慨が生まれた。という経過が盛り込まれている。その分、スナップを眺めるときよりはリアルに、詠み手の情緒が伝わってくる。それでこそ「ふたたび」の価値もある訳ですが……

 このように、ただ体裁を整えるのではなく、本当に述べたいことを、より相手に伝えたいがために、目的を持って行うものこそ、推敲や修辞の本質であると、定義することが出来るかと思います。

 次のも梅の鳥の対置ではありますが、
  その表明は、決して平坦な感想ではありません。

梅の花 今盛りなり
  百鳥(もゝとり/もゝどり)の 声の恋(こほ)しき
    春来たるらし
          田氏肥人(でんじのこまひと) 万葉集5巻834

梅の花は 今こそ真っ盛り
  いろんな鳥たちの 声が恋しい春が
    ようやく来たらしい

 一方では視覚的な梅の花と、鳥たちの聴覚的な鳴き声を対比させながら、梅の花は現実の情景として「今盛りである」、それに対して鳥たちの方は恋しいという、将来の期待に委ねています。そうして視覚も聴覚も、現在も将来も、すべてひっくるめて、結句の「春が来たようだ」にゆだねますから、簡単な表現であるにも関わらず、お腹いっぱいな気分になる。
  そんな時は、
    春眠するのが幸せです。

梅の花 折りかざしつゝ
  もろ人(ひと)の 遊ぶを見れば
    みやこしぞ思(も)ふ
          土師氏御道(はにしうじのみみち) 万葉集5巻843

梅の花を 折りかざしながら
  皆それぞれに 遊ぶのを見ていると
    みやこのことを思いだすよ

 こちらは、内容としてはスナップ的です。あとは感慨次第と云うことになりますが、同じように遊んでも、もっと華やかで、もっとみやびであろう、懐かしい都のことを思うことによって、楽しい情景に寂しい心情がミックスされますから、今度はその心情の幅によって、私たち聞き手のこころも、より動かされやすくなる。つまりは、より引きつけられるという仕組みです。

残りたる
  雪にまじれる 梅の花
 早くな散りそ
   雪は消(け)ぬとも
          (あるいは旅人か、憶良か) 万葉集5巻849

消え残りの
   雪にまじって 咲いている梅の花よ
  早くは散らないで欲しい
    雪は消えてしまっても

   これまで見てきた、宴での梅の短歌と比べて、
  急に複雑になった印象ですが、
 それは表現、つまり姿が複雑になったのではなく、着想が複雑になったからです。改めて、「ふたたびの万葉集」の開始部分での定義に従って、眺めてみましょう。

 するとまず、短歌の心的指向性の元となる「心情」として、「残りの雪が消えても梅よ散るな」くらいの「感情と状況が結びついたものが言語化された」出発点が存在します。それをなるべく、当たり前の語りかけで、日常的散文で短歌にしましょう。というのが、「はじめての万葉集」の課題でした。

残された
   雪が溶けても 梅の花
 一緒に散らずに 咲いていて欲しい

くらいの表現になるでしょうか。
 今度は心情をもとに、どのようにまとめたらよいか、
  考察を加えて、着想にまとめます。つまりは、

「梅と雪とを、見分けの付かないもののように見せながら、冬の名残である雪には消えて欲しい。一方で、春の喜びに結びつき、春めく美しさを表明している梅の花には、散って欲しくない」

くらいの内容を、うまくまとめて、
  短歌には出来ないだろうかと思いつき、

「残された雪とまじりあった梅の花よ、
   どうか雪がすぐに消えたとしても、
  いっしょに散らないで欲しいよ」

と短歌のアウトラインを定めたものが、
  「着想」と呼ばれるものです。
 さらにこれを短歌にまとめるに際して、

「残された雪とまじりあった梅の花よ、
   すぐに消えたりしないで欲しい、
     雪の方は溶けてしまうとしても。

と倒置法を利用して、暖かくて早く消えるであろう「雪」の方に、必然的に置かれた「すぐに消える」という表現を、「梅の花」を惜しむ気持ちに移し替えて、「すぐに消えないで欲しい」と「梅の花」への呼びかけに利用する。

残りたる
  雪にまじれる 梅の花
 早くな散りそ
   雪は消(け)ぬとも

 このようにして、
   最終的な短歌の姿を整えることを、
 「様式化(ようしきか)」と呼ぶ訳です。

 けれども、これだけの構想が練られていても、常に相手に自然な語りかけであることを意識していますから、完成された作品は、詠み手の創作の裏が感じられるどころか、たまたま思いついたことを、ため息のようにつぶやいた様にすら聞こえてしまう。

 それだけに、品評会の皆さまからは、めくるめく頓知もなければ、沸き立つような自我も認められない、物足りない表現のようにも思われがちですが、普通の感性を持った皆さまにしてみれば、そのような嫌みが無いからこそ、普通に詩として楽しむことが出来る。楽しむことが出来るからこそ、自ら進んでその短歌の中に足を踏み入れて、いろいろと考察を加えてみたくなってくる。そうして加えてみると、なかなかあなどれない表現が、あちらこちらになされていて、噛めば噛むほど味わいが出て来る。ようやくすばらしい表現だったと悟る頃には、もうその短歌が、忘れられない、魅力的なもののように思われる。それが秀歌というものです。

 これに対して、ファーストインパクトを追い求めるような作品は、例えば加工食品を中心とした食生活によく似ています。刺激の強い味に慣らされて、デフォルメされた味覚でないと、感じなくなっているのを、自分ではどうしても、悟ることなど出来ないという仕組みです。

 それでは、これからしばらくは、
   すぐれた着想ということを中心にして、
  詩を眺めていくことにしましょう。

松浦川の歌

     「のちの人の追和(ついわ)する詩(うた)三首」師老(そちらう)
松浦川(まつらがは) 川の瀬はやみ
  くれなゐの 裳(も)のすそ濡れて
    鮎か釣るらむ
          大伴旅人 万葉集5巻861

松浦川は 川瀬が速いので
   紅色の 藻の裾を濡らしながら
  鮎を釣っているのだろうか

 詞書きの意味は、参加していなかった人が、後から詠んだ歌ということで、師老とあるのは大伴旅人のことです。ここでわざわざ、師老と敬称で呼んでいるからには、「松浦川」の全体の作者は、参加していなかった旅人ではなく、山上憶良ではないか。あるいは他にも証拠があるのでしょうか、小学館の「万葉集」編者はそう考えているようです。

 さて、着想に注目すると、参加していない情景への短歌ですから、率直に浮かんでくる心情としては、「うらやましい」「行きたかった」くらいのもので、それをどう表現するかは、すべて着想ということも出来るくらいですが……

 旅人もやはり、その「わたしもそこに居たかった」という心情をベースに、短歌を詠んでいます。ただそれをストレートに述べれば、心情に寄り添った、はじめての人が見習うべき和歌になりますが、ここでは聞いた話をもとに、(つまりは作品としての「松浦川の歌」をもとに、)もっとも印象的な情景を浮かべて、その情景を推量にゆだねることにより、その情景を眺めたかったという思いを織り込む、という戦略が練られています。

 すると当然、和歌の贈答の相手であり、作品のヒロインでもある、「鮎を釣る娘たち」の様子を浮かべてみるのが、現場にいた人たちの感興にもっとも近いものですから、それを推察することこそ、自分が参加したかったという願望を、もっとも効果的に表明できる。そうであるならば、現場にいた人の和歌に、応答するのが効果的だ。そこで、

松浦川
  川の瀬ひかり 鮎釣ると
 立たせる妹が 裳のすそ濡れぬ
          (一行の誰か) 万葉集5巻855

松浦川は 川の瀬が光り輝き
   鮎を釣るために 立っている彼女らの
  裳のすそが濡れています

この和歌に答えることにしました。
 それにもちゃんと理由があります。なぜなら、せっかくその場にいた筈の人たちは、鮎を釣る娘さんに夢中になり、「高貴な家の出ですか」とか「ねえちゃん家どこ」とか「あなたの腕にまかれたい」などと群がるばかりで、その情景の美しさを描写した短歌は、この一首しかなかったからです。
 なんともはや……

 次に着想ですが、現場で詠まれた「裳のすそが濡れている」という和歌に対して、「裳の裾を濡らして鮎を釣っているのだろうなあ」と推量を加える。きわめて簡単なもの……だといいのですが、なかなかどうして、深い意味がありそうです。

 説明ばかりで先に進みませんので、
  理由付けはすっとばします。
 おそらく旅人の短歌の着想は、裏に「わたしならこう表現しますよ」という含みがあるかと思われます。もう少し丁寧に言えば、「せっかく現場にいるのに、なぜもっと豊かに表現できないの?」と返していると言えるでしょうか。もちろん嫌みではありません。こんな風にすれば良いのにと、年配者が優しく諭すような軽みです。

松浦川
  川の瀬ひかり 鮎釣ると
 立たせる妹が 裳のすそ濡れぬ

 これだと、
  せっかく鮎を釣りながら裳を濡らしている娘さんを、
   たまたま気がついた情景から順番に、
  スケッチしていったに過ぎません。

「松浦川があるな、
  ええと川の瀬がきらきら光っているな。
    鮎を釣っているのか。
 なんだ、立っている娘さんの藻の裾が、
   濡れているじゃないか」

 二十世紀を迎えること、俳句や短歌で「写生(しゃせい)」という事がさかんに言われましたが、なるほど、この短歌などは、いい加減にぼんやり眺める代わりに、積極的によく現実を観察して、それを写し取っていく、写生の精神そのもの、つまりスケッチを、そのまま短歌にしたものに過ぎません。

 ですがもし、もっとも述べたい結句に、焦点を定めて、全体の描写を整えていったらどうでしょう。つまり、裳の裾が濡れるのであれば、せっかく冒頭に配した松浦川の水は、跳ね飛ぶように利用したいし、濡れる裳を、印象的に表現すれば、もっと情景は豊かに、生き生きと表現される。そこで、

松浦川  川の瀬はやみ
  (鮎を釣る) (妹らのくれないの)
     裳のすそ濡れぬ

とすれば、川の瀬はただきらきらしているだけでなく、裳のすそを濡らすしぶきを上げるでしょうし、娘らはただ鮎を釣るために立っているのではなく、まさに鮎を釣っている描写に移り変ります。さらには、もとの短歌にはなかった、「くれないの」という表現によって、娘らの裳の色彩が、鮮やかに描き出される。

 これくらいでも、十分改編の価値はあると思うのに、旅人はそこで止めません。はたしてこれが本当に、もっとも効果的に情景を描き出したものなのだろうか。さらに推敲を重ねます。すると、「鮎を釣りながら、くれないの裳の裾を濡らしている」とまとめるよりも、それを倒置させて、「くれないの藻を濡らしながら、鮎を釣っている」という、娘さんの行為の核心を結句に表明し、「くれないの藻を濡らしながら」を、きわめて印象深い脚色の方にまわした方が、短歌全体がダイナミックな動きのうちにまとめられ、その結果、聞き手の印象はずっと鮮明になり、結局は脚色にまわしたはずの「くれないの藻を濡らしながら」というイメージも、より強烈に焼き付けられる。という方針にたどり着きます。

  もちろんそれだけでは、終わりません。
 旅人は自分ではその情景を見ていないので、そこに居たかったのに、という心情を詠み込まなければなりません。けれども、ここまで情景を鮮明に描き出せたなら、もう大丈夫です。後は、それをそのまま、推量にゆだねてしまえば、

松浦川(まつらがは) 川の瀬はやみ
  くれなゐの 裳(も)のすそ濡れて
    鮎か釣るらむ
          大伴旅人 万葉集5巻861

 これによって、私も参加したかったのにという思いと、後輩への添削を、見事に果たして、しかも何気なく詠んだだけでは、そのような含みは、悟れないくらい流ちょうで、詩情ばかりがわき上がって来るようです。

  そればかりではありません。
 旅人が後から詠んだ短歌は、全部で三つあるのですが、他の二首を見ると、今度は娘さんのことばかりを讃えていた、他の人の短歌に寄り添って、娘さんに会いたいという短歌を描いている。そして三首のバランスは、もとの「松浦川の歌」の和歌の比重に合せるように、情景が一首、娘さんを慕う短歌が二首になっているのです。この時、大伴旅人は、すでに60歳を過ぎています。
  熟練の巧みというのは、
    なんだか、恐ろしいくらいですね。

 だからもし、これが山上憶良の作ったものに、後から旅人が短歌を加えたものでなくて、もしこの全体を、彼が創作したとすれば、ちょっと異常なくらいです。近代どころか、現代に至るまで、そこまで周到な計算の元に、しかも理屈倒れに終わることなく、すべてを叙情性に帰らせて、連作短歌を構築したような詩人は、どこにも存在しませんから。

 ところで、ここで旅人がやりましたように、追和にせよ問答にせよ、後から歌う側が、相手の和歌の表現をもとにして返答を返すというのは、和歌において、基本中の基本の戦術には過ぎないものです。しかし、ここでは、ただ本歌を踏まえたというよりは、本歌の内容をベースにして、新たな意味まで加え、さらなる優れた短歌を表現していますから、『新古今集』の時代に特にはやった「本歌取り(ほんかどり)」と、同じものであると言えそうです。

山上憶良(やまのうえのおくら)


     『最々後(いといとのち)の追和』
海原(うなはら)の 沖行く船を 帰れとか
   ひれ振らしけむ 松浦佐用姫(まつらさよひめ)
          (山上憶良か) 万葉集5巻874

海原の 沖へ向かっていく船に
  帰ってきて欲しいと
    領巾(ひれ)を振るのだろうか
  松浦佐用姫よ

 今度は鮎の娘ではありません。
  松浦佐用姫という女性が、朝鮮半島へ渡る夫と、もう逢えなくなるかも知れないというので、山から船に向かって領巾(ひれ)、面倒ですから今はマフラーとでも思ってください、それを振りまくったら、いつしかその山は「ヒレフル嶺(みね)」と呼ばれるようになった。そんな伝説を、山上憶良が詠んだ和歌への、後から加えられた追和(ついわ)になっています。

 ただその追和が、「後(のち)の追和」「最後(いとのち)の追和」「最々後(いといとのち)の追和」などと、わざとらしく順番に並んでいるものですから、あるいは全部、山上憶良が作ったもので、それを人工的に、別の人が追和したように、仕組んだのではないか。とも考えられています。

 そうだとすると、あるいは松浦川の連作も、仕掛け人はむしろ、山上憶良であって、大伴旅人は、それに協力しただけなのかも知れませんが、これについては、いつか考察してみたいと思います。

 それでこの短歌は、連作の最後にあたる追和「二首のうち一首」なのですが、序文の内容で、すでにはっきりと明言された、領巾を振る理由を、わざと時間軸を領巾を振っている瞬間へと戻して、詠み手が実際に眺めているような設定で、あらためて「彼女はあの船に戻って気欲しいのだろうか」と、疑問を呈することによって、彼女の気持ちに寄り添う。というのがこの短歌の着想になるかと思います。

 さて、それはそれで好いとして、
  せっかくですから、連作や長篇の全体構成について、
   ちょっとだけ眺めておきましょうか。

 巻第五全体の傾向ですが、漢文と和歌の結びついた、それぞれの作品は、どれも完成された、ひとつの構造物のようになっていて、先ほどの旅人の同様、一つの短歌を眺めた時の、解釈というものが、あまり意味をなさなくなっています。

 松浦佐用姫の作品においても、漢文が、山の名の由来譚(ゆらいたん)を語りながら、話を終えたのを受けて、この短歌が詠まれるまでの、前の三句とも山の名との関わりで、むしろ知的解釈として、松浦佐用姫を詠んでいるに過ぎません。それがこの、最後の二首[=最々後の人の追和]に来て、由来とは関わりなく、純粋に松浦佐用姫の境遇に寄り添った和歌が登場しますから、ここに来て、詠み手の心情が、ぱっと花開いたような印象がしてきます。その心情を述べた二首のうちに、「松浦佐用姫の歌」を閉ざしますから、長篇のエンディングに相応しいものになっている。

 またそのような効果を期待するからこそ、普通なら、心情を表明したものとして、真っ先に置かれがちな、松浦佐用姫に対する詠み手の感慨を、最後まで取っておいて、表明して見せるのです。

 もちろん、このような構成的な作品に置いても、個々の作品は、個々の心情を持った、個々の着想に基づく短歌には違いありませんし、そのように取り出して、解釈をすることも有意義ですが、同時に、全体のプロットに合せて、個々の作品がコントロールされていますから、それを眺めるためには、また別の観点が必要になってきます。そのことを、覚えておいて欲しいと思います。いつかもし、自分で連作ものをやる日が来たなら、きっと役に立つこともあるでしょうから。
 ただし、今は、
   このあたりでお暇(いとま)しましょうか。

ひと世には
   ふたゝび見えぬ 父母を
  置きてや長く 我(あ)が別れなむ
          山上憶良 万葉集5巻891

一生に二度とは 逢えない父母を
  残したまま永久(とわ)に
    わたしは別れ行く

 さて「はじめての万葉集」のところで、
   「役人の従者を仰せつかった青年が、
     旅の途中で亡くなったのに対して詠まれた和歌」
を紹介しました。
 ページを戻るのも面倒でしょうから、
  改めて掲載しておきます。

家にありて
   母が取り見ば なぐさむる
  心はあらまし 死なば死ぬとも
          山上憶良 万葉集5巻889

家にあって
  母親が看取(みと)ったなら 慰めになる
    思いもあっただろうに
  おなじ死ぬのであっても

 この青年は「大伴熊凝(おおとものくまごり)」と言い、九州の人で、そのため山上憶良とも知り合ったのでしょう。相撲使(すまいのつかい)をつとめる国司に従って奈良に向かう途中、わずか十八歳で亡くなった。731年のことです。これに対して山上憶良が、漢文による序文と長歌および短歌を作詩したのですが、前回拝見したのも、今回眺めるものも、その短歌の一つです。

  内容については省略しましょう。
 ただこの作品もまた、前に眺めたように、収められた全体を眺めないと、作品の価値は完全には分からない。分からないからといって、単独で聞かされても、心情は伝わってくる。いつか関心がありましたら、全体を眺めてみるのも愉快です。今は、、熊凝君の冥福(めいふく)を祈りつつ、もう一首だけ、山上憶良の作品を眺めることにしましょう。熊凝君、君は実にすばらしい青年であった。さっそく、酒の準備です。

すべもなく
  苦しくあれば 出(い)で走り
    去(い)なゝと思へど こらに障(さや)りぬ
          山上憶良 万葉集5巻899

なすすべもなく
   苦しさのあまり 飛び出して
 逃げ去りたいと思うけれど
    こいつらのことを思うと……

 長歌一首に短歌六首の作品で、題には、
   「年老いた身に、病も重なり、
     長年苦しむ上に、子どもらを思う歌」
という趣旨が書かれています。これも単独の作品ではありませんが、今は内容のままでよいでしょう。巻第五はこの作品や、『沈痾自哀文(ちん/ぢんあじあいぶん)』のような老いの悲しみを歌ったもの、あるいは『貧窮問答(びんぐううもんどう)の歌』などの社会風刺の作品がメインとなって、『万葉集』全体でも、きわめて異色の巻になっている点、得難いものがあるようです。

 それにしても、間延びしました。
   何時になったら、終わる事やら分かりません。
  ここらで、ひと息入れましょう。
    またフリーで、ノートを開いて、
      短歌でも落書きしてみましょうか。


     「品評会向作品」
風の唄
  忘れ今宵に 鯉跳ねて
   うち水しぶき 岩に染み入る
          時乃旅人

 なんだか、作っていたら、
   あたまがぼやけてきました。
     「風さえ歌うのを忘れた、暑い宵に、
       跳ねた鯉の水しぶきは、打ち水にもならなくて、
        岩に染み入って消えてしまった」
   というのが、着想かと思われます。はい。
 何がいけないのか、今の皆さまには恐らく、
   十分理解が出来ていることと思われます。

     「おら、口直しだ」
分かったか
   まっしぐらした フレーズで
 駆け巡るから ロックなんだぜ
          いつもの彼方

     「じゃあわたしも軽いのを」
猫二匹
  屋根に寄り添う 昼下がり
 運動会の 予行演習
          軽歌 時乃遥

     「ありがと」
蓄音機
  時代錯誤の レトロして
    君の手を取り モダンダンスを
          自由歌 時乃旅人

巻第六

  この巻もすべて「雑歌」です。
 巻第五が特殊なので、関連性が途切れているような錯覚にもとらわれるのですが、どうやら、巻第五巻第六は、巻第三巻第四の次の時代のものをメインに。ただしもはや「雑歌」「相聞」「挽歌」の区別は捨てて、すべてを「雑歌」として示したもの。と捉えておけば、大枠としては踏み外していないかと思われます。そうして前に述べたとおり、

 冒頭に笠金村(かさのかなむら)、車持千年(くるまもちのちとせ)、山部赤人(やまべのあかひと)の長歌をしばらく掲載し、巻末には田辺福麻呂(たなべのさきまろ)の長歌をいくつか掲載して、それらにサンドイッチされるように、他の和歌が並べられていること

を念頭に、眺めてみるのがよいでしょう。

島隠(しまがく)り
  わが漕ぎ来れば ともしかも
    大和へのぼる ま熊野の船
          山部赤人 万葉集6巻944

島の陰から
  わたしが漕いで来たら うらやましい
    大和へのぼる 熊野の船です

 冒頭に並べられた赤人の長歌のうちから、反歌だけの掲載です。「ともし」とあるのは、「うらやましい」という意味で「かも」は詠嘆(えいたん)[分かりにくければ、こころを動かされてため息をはくような「ああ」という一人言]。着想を表わせば、「島陰から漕ぎ出せば、大和に向かう船だ、うらやましい」くらいになるでしょうか、心情としては「大和行きの船か、うらやましいなあ」という、故郷を慕う気持ちなのですが、それを島陰から漕ぎ出して、不意に見かけたものとする着想が見事です。叙し方としては、船を見かけた瞬間に、まず「うらやましいなあ」と思わず感情が先走ってから、下の句で状況を説明している、その三句目の「ともしかも」が見事です。

隼人(はやひと)の 瀬戸(せと)の巌(いはほ)も
   鮎走(あゆはし)る 吉野の滝に
  なほしかずけり
          大伴旅人 万葉集6巻960

隼人の 瀬戸の巌なんて言っても
   鮎が跳ね泳ぐ 吉野の滝には
 及びません 及びません

 薩摩隼人(さつまはやと)という言葉があるように、隼人(はやと)は九州南部の、大和人である大伴旅人などとは、別の人種と思われていました。そんな異国的な奴らの観光名所(あくまでも今日の観点です)である「隼人の瀬戸の巌」も、吉野の滝には適いませんと言っています。もちろん、みやこ人の見栄ではありません。ただ故郷が恋しくなって、吉野の滝を思いだしているという趣向です。

 構成は、定型スタイルで、はじめの二句と次の二句を対比させて、結句でまとめるという方針です。ありがちなスタイルなのに、不思議と瑞々しく感じるのは、対比された内容が壮大なのと、隼人が走る瀬戸の巌よりも、人ではない鮎が走る吉野の滝の方が、すばらしいという観点にあります。それによって、同じ観点に立って、激流比べをしているのではなく、吉野の滝の風情を讃えていることが分かりますから、なるほどわたしたちも、旅人の説に頷きたくなってしまう。極端な話をすれば、人海戦術で切り開いた運河と、桜満開の隅田川を比べるような、ちょっと卑怯な方針ですが、じつに見事に機能していると思われます。
 ただそれくらいの、秀歌です。

     『月の歌三首のうち一首』
猟高(かりたか)の
  高円山(たかまとやま)を 高みかも
 出(い)で来る月の 遅く照るらむ
          大伴坂上郎女 万葉集6巻981

猟高の高円山が 高いからですか
  出て来る月が 遅れて照るようです

 高円山は奈良市南西部の山で、猟高(かりたか)もその付近の名称です。山が高いせいでしょうか、月が遅く照らし出すのは。和歌慣れした人なら、またそのパターン化と、思う人もあるかも知れませんが……

 昨日の月から判断しても、暦からの判断でも構いませんが、ほとんど明かりもない世界で、昇るべき月が昇らない。なぜこんなに暗いのかしらと、ふと見れば高い山に遮られて、ようやく今昇ってきた。つまりは日常茶飯事に感じる出来事だからこそ、しょっちゅう詠まれる訳です。しかも、今更気がついたように詠むということは、あるいは昨日は違うところにいたのだろうか、などと自然に推察してしまう。そのくらい当時は、自然なことだったのではないでしょうか。それはさておき……

 ありがちなシチュエーションというのは、定番の快楽を誘います。(マンネリズムのコントや、お定まりの刑事ドラマと一緒です。)その表現がしょっちゅう繰り返されることが、その表現の正当性や、勝利を裏付けてしまうのです。時間が足りませんので、これについての詳細は省きます。(完全にタイムオーバーです。)それを「高(たか)」を三回繰り返す言葉のリズムで、上の句を整えてしまった時点で、大伴坂上郎女のこの短歌は、優れた作品になることを約束されてしまった。
  今はそれくらいで、
    次へと参りましょうか。

     『聖武天皇の行幸の時』
住吉(すみのえ)の
  粉浜(こはま)のしゞみ 開けもみず
    隠(こも)りてのみや 恋ひわたりなむ
          よみ人しらず 万葉集6巻997

住吉の
  粉浜のシジミのように 開こうとはせず
    籠ってばかりだけれど
  恋し続けましょう

  粉浜の正確な場所は不明です。
   万葉集唯一のシジミです。
  味噌汁の美味しい季節です。
 そのかたくな、閉ざした様子を、隠れた恋に喩えて詠まれた和歌ですから、冒頭の二句は序詞なのですが、その小さな貝殻のけなげさが、真実味を伴って、可愛らしい短歌となっています。もちろん冒頭に「住吉」と置いたからには、ただ名産の地名を述べたのではなく、その恋を神に誓うような、神々しいイメージも、ほんのわずかに込められているのかも知れません。おそらくこの短歌は、縄文時代から食べられていた日常的なシジミを利用して、それほど小さいのにかたくなな、伝えられない恋があると、着想を思いついた時点で、『万葉集』に採用されることを、約束されていたのではないでしょうか。(というのは、ちょっと誇大広告ですか。)
 チャーミングで、
   かわいらしい小品です。

一昨日(おとつひ)も
   昨日(きのふ)も 今日(けふ)も 見つれども
      明日(あす)さへ見まく
   欲しき君かも
          橘文成(たちばなのあやなり) 万葉集6巻1014

一昨日も
  昨日も 今日も 見ましたが
    明日も見たいと 思うあなたです

 この手の和歌が、心情に乏しく感じるのは、あまりにも明確な着想の影響には違いありません。ここでも「ずっと見たいと思うあなた」という心情よりも、ひらめいた思いつきとしての、「日にち遊び」が先に立ちますから、どうしても冗談が先に立ちます。ですから本気で愛する人に、思いを伝えるものとしては、失敗の危険が勝りますが、逆に慣れた関係にあり、あるいは人々のいるような、パーティーの席では、陽気で屈託もない、軽やかな言葉遊びなのではないでしょうか。軽いものではありますが、表現としてこの短歌は、この趣旨を表明するものとしては、動かしようのない、完成されたものと言えるでしょう。何しろ四日分込めてしまいましたから。
 ただし、軽やかですが、
  見たい気持ちが嘘という訳ではありません。
   円満な恋人同士だったら、喜んでくれると思いますよ、きっと。

一つ松 幾代(いくよ)か経ぬる
  吹く風の 声/音の清きは
    年深みかも
          市原王(いちはらのおおきみ) 万葉集6巻1042

一本松よ 幾つになったのだ
  吹き抜ける風の 声/音が清らかなのは
    その歳月を讃えてのことなのだろう

 これは一本松の下で集って飲んだ時の和歌。
  居酒屋で下卑た話に盛り上がるより、どれほど素敵かとも思いますが、勝手に松まで参加させて、一緒に飲めよとでも、言っているような気配がします。それでいて、なびく葉音に耳をすませて、ふと我にかえって、宴から離れたしんみりと、松に語りかけてもいるようで、さわやかな風が吹きます。

 着想としては、どれほどの歳月を経た松だろうという感慨を、「風の清らかなのはお前の年のためだろう」と表現する。しかも、語りかけを持ってする。くらいのもので、あるいはその場でふと気づいた、単純な思いつきとも取れそうですが、逆にその場の状況がなければ、なかなか浮かびそうにありません。そのような意味で、現実というものは、表現力の豊かな宝庫だと言えるでしょう。だからこそ、初心者には写生が勧められるのも、もっともな話です。

写生

「写生(しゃせい)」という言葉は、もともとは中国の絵画論の言葉で、日本では特に江戸時代に入るとよく使用されていたようですが、もっぱら今日では、明治維新後の西洋絵画のスケッチ、デッサンの意味で用いられています。しかし、詩作においては、スケッチのように対象物を写し取ることなどは不可能ですから、もちろん比喩には過ぎません。

 それで、皆さまにとって、見習って欲しいのは、そのスケッチのように対象物を写し取るという所で、例えばぼんやりと朝日を眺めて、すがすがしい、と思ったくらいで歌を詠むことを止めにして、改めてよく、朝日のことを観察してみるわけです。すると、漠然とした朝日かと思われたものが、日頃よりなぜか大きく見えるとか、色合いがぼやけているなど、その対象物から、様々な詳細なデータが取り出せます。

 すると「朝日がさわやかです。春になりました」という、ありきたりでありながら、根拠が不十分な、主観的な感想ではなく、「ぼんやりした朝日は、大気のせいかもしれない。春が来たようだ」と、しっかりした根拠を持って、よりユニークな(といってもこの場合は大したものではありませんが)感慨を述べることも出来るようになります。

 さらに絵画のスケッチとは違って、周囲の景色やら、雲の様子やら、反対の空の様子やら、鳥の声やら、隣の玄関を開く音やら、観察している対象の周囲のこともまた、同時に観察されますから、それらと朝日を掛け合わせて、やはりよりユニークな短歌を詠みなすことも可能になります。

 このように、情景を積極的に眺め、観察することによって、ぼんやり見ていたときには気がつかなかった、様々な状況が確認出来るようになります。しかも観察されたことは、現実世界の実景に過ぎませんから、たとえユニークなことを描いたとしても、第三者が聞いても、現実世界の実景に還元されますから、詩が虚偽に陥ることはありません。それどころか、よくそんな着眼点で詠めたものだと、関心を得ることさえ可能です。

 もっとも、それ以前の効果として、特に初心者であればあるほど、何を描いて良いか、素材そのものが見つけ出せない、という傾向が存在しますが、よく観察された実景というものは、それだけで、素材の宝庫である。という、写生を勧める、根本的な理由も存在します。

 ですから、皆さまには、まず短歌を詠もうとして、テーブルの前に向かうよりも、観察手帳でも用意して、わざと暇を作って、自然の対象物であれ、町中の人々であれ、あるいはショーウィンドウの様子であれ、改めて足をとどめて、それをよく観察して、得られた内容を、詩にする必要はありません。箇条書きにして、どんどん書き出していく。これがまさに、絵画のスケッチに相当する、作詩上の写生に他なりません。

 それで、書かれた内容を元に、短歌を詠めば良い訳ですが、「写生主義(しゃせいしゅぎ)」のように、眺めたままを詠みきって、詩を形成する必要はまったくありません。スケッチやデッサンを生かして、そこからは主観を織り込めるなり、客観的に記しきるなり、詠み手の赴くままに、短歌を完成させればよいのです。

 なぜなら写生は、スケッチに過ぎませんから、それをもって絵画を完成させることがあれば、それを素材に利用する場合も当然あります。そうして何よりも、私たちにとっては、短歌をよりよく詠みなすための、基本練習の名称でもある訳です。そんなものを主義として掲げるよりも、それを利用して、様々なことを表現するのが、むしろ普通なのでは無いでしょうか。

 さらに応用として、自分の心情を積極的に眺め、観察することによって、より詳細な状況を描き出すことも、心的なスケッチと定義することが出来るかも知れません。この場合、主観の内部を眺めるようなものですから、カントみたいなことになってしまいそうですが、別に詩作のアシストに過ぎませんから、厳密な定義など必要ありません。ただ主観的に思ったことを、第三者の立場で観察するつもりになって、あらためて眺めてみる。するとただ「あいつに負けてくやしい」と思っていた心情に、見栄やら、自分への憤慨やら、応援してくれた皆の声援に、動かされたときのこころの動きやら、様々なものが織り込まれているのを発見することも可能になる。そのくらいの意味での、心的なスケッチには他なりません。

くれなゐに
  深く染みにし こゝろかも
    奈良のみやこに 年の経ぬべき
          よみ人しらず 万葉集6巻1044

紅(くれない)に
  深く染まったような 気持ちがします
    これから奈良のみやこで
  どうして暮らしていけるでしょうか

 詞書きに、奈良の都が荒れたのを悲しんでとある、「よみ人知らず」の三首のうち初めのものです。なぜ平城京が荒れているかというと、聖武天皇が都を恭仁京(くにきょう)[現在の京都府木津川市(きづがわし)あたり]に移してしまい、宮中の建物などを解体して運んでしまいましたから、あちらこちらが、廃墟のようになってしまった訳です。「紅(くれない)」は、紅花(べにばな)そのものと、そこから染められた「くれない色」を指す場合があります。染まった心とあるからは、紅色のことになります。

 それで、恐らくは、平城京に住んでいる誰かが、栄えていた都市が急に廃墟へと移り変る様を嘆いて、これからどうやって暮らしていけるだろう、と詠んだ短歌になっています。ただ分からないのが、「くれなゐに深く染みにしこゝろかも」の具体的な心情です。「紅色の深い色に染めるように、みやこに馴染んだ心」とか、「華やかなみやこの色に馴染んだ心」などと、説明されていますが、どうも解釈仕切れないような、割り切れなさが残ります。

 かといって、この短歌、スルメのような味わいがあって、繰り返すほどに、紹介を外す気にはなれなくなります。そこで、あまり使いたくはないのですが、今回は短歌の意味については、「保留」という、卑怯な選択肢を持って、閉ざさせていただこうかと思います。

夜を逃げて詠いが酒の川原かな
          狂句 時乃旅人

    溺れ/\て 来ずやひこ星
             付狂句 時乃遥

巻第七

 詳細はややこしいので、おおざっぱにまとめますが、これまでの巻第六までは、年代順的配列を意図したもので、それに対して巻第七から巻第十二までは、各種歌集や知られた歌などから、集められた万葉時代の和歌を、
     巻第七 ⇒よみ人しらずの「雑歌」「相聞(比喩歌)」「挽歌」
     巻第八 ⇒よみ人ありの「四季」
     巻第九 ⇒よみ人ありの「雑歌」「相聞」「挽歌」
     巻第十 ⇒よみ人しらずの「四季」
     巻第十一・十二 ⇒よみ人しらずの「相聞」

と分類したものだと、捉えると分かりやすいかもしれません。つまり巻第六までがヒストリカルで、次が秀歌集に相当します。その後、それ以外の和歌が収められて、最後の十六巻は付録。それが第一部を形成して、十六巻からの第二部は、「家持歌集」という形になります。それで、巻第七の内容については、前回の見取り図が分かりやすいでしょう。

見取り図としては、
    雑歌 ……前半「~を詠む」シリーズ
         中半少しだけ「~にして作る」
         後半ずっと「羈旅にして作る」
         最後に「旋頭歌」を置く
    比喩歌……「~に寄せる」シリーズ
    挽歌 ……実際は最後にちょっとだけ
だいたいこんな感じになります。

雑歌

     『月を詠む』
海原(うなはら)の 道遠みかも
   つくよみの
 光少なき 夜は更けにつゝ/夜はくたちつゝ
          よみ人しらず 万葉集7巻1075

海原の 道が遠いからでしょうか
  月神の 照らす光も少ない
     夜が 更けて行きます

 道が遠いというのは、擬人化された月、すなわち「ツクヨミ」が海を渡ってから昇るための、道がはるかであるから、光も少ないという意味とも解釈されています。ツクヨミは、イザナギの神が、妻であるイザナミを黄泉の国から救い出すのに失敗して、地上に戻ったときに生まれた神で、「アマテラスオオミカミ」「スサノオノミコト」の兄弟にあたりますが、神話中は出番のない神として知られています。

     「月明かりが乏しい夜が更けていく」
くらいの心情を、月の光をツクヨミにゆだね、神の通う道が遠いとした着想と、海原から始めた初句によって、海の中にあるぽつんとした光のとぼしさが強調され、寂しさよりも、ある種の闇の美しさのようなものに、引かれるような短歌になっています。

 それで、市が栄えた[おとぎ話を閉じる「めでたしめでたし」と同じような表現]としたいところですが、何か引っかかります。確かに「光の少ない月が登ってくる」なら、「登ってくる」ための、ツクヨミの渡る道が遠いと解釈しても構いませんが、下句の内容の中心が「光の少ない夜が更けていく」という事にあるのですから、「海原の道遠みかも」という比喩は、ちょっと唐突の気がしなくもありません。

 あるいは船路の距離を推し量って、何日も掛かるものですから、あれほど豊かだった月の光も、今では欠けて、すっかり少なくなってしまった。そんな夜が更けていきます。という殺風景に描き出された、か細く照らす遅い月の方が、更けゆく夜をずっと眺めているのに相応しい、臨場感を持っていて、幻想的ではあるものの虚構の増さった「海渡るツクヨミ」よりも、かえって詩情において増さるような気もしますが……

 皆さまは、いつもの通り、
  お好きな解釈をそれぞれのポケットに、
   収めてくださったら良いでしょう。

     『雲を詠む』
穴師川(あなしがは) 川波立ちぬ
   巻向(まきむく/まきもく)の 弓月(ゆつき)が岳(たけ)に
 雲居(くもゐ)立てるらし
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集7巻1087

穴師川の 川波が騒がしい
  巻向の 弓月岳に
    雲が立ち昇っているだろう

 奈良県桜井市にある巻向山の、高い方(ただし未確定)の頂を「弓月(ゆつき)が岳」と呼びます。穴師川(あなしがわ)は巻向川とも言われ、山のふもとを流れていきますが、山を見晴らすことは出来ない場所にいたのでしょう。水量が増して荒れてきたので、山に雲が立って上流では雨が降っているのか、と推察した歌になっています。

 「川が荒れてきたな、上流は雨か」くらいの心情を、具体的な名称を加えながら取りまとめるものですが、実際には川にも岳にも掛かる「巻向の」という、全体の地名を加えたのと、川波が立つ、雲が立つと同じ表現にしたことにより、三句目の「巻向の」が上句と下句に渡り、二句目と結句に統一性を与え、さらには「川」と「波」、「岳」と「雲」のイメージの対比が見事です。つまりは構成に隙がありません。

 それで詠み方としては、
  「弓月が岳では雲でも立っているのだろうか」
と開始することも出来たでしょうが、「川波が立ってきた」という事実から推測へ返しつつ、実景から想像へ、近景から遠景へ移す、広がるような効果を踏まえると、やはりこの表現こそが相応しいように思われ、つまりは一言も動かしようがない、ということになる訳です。

     『川を詠む』
泊瀬川(はつせがは)
  白木綿花(しらゆふばな)に 落ちたぎつ
    瀬をさやけみと
  見に来し我を
          よみ人しらず 万葉集7巻1107

初瀨川を
  白木綿(しらゆう)で作った花のように はげしく流れ落ちる
    川瀬はすがすがしいだろう
  そう思って見に来た通りだ……

 これもまた桜井市を流れる、
  今度は初瀨川を詠んだ短歌。
「白木綿花(しらゆう)」というのは白い「木綿(ゆう)」[ワタから作るものでなく、コウゾの皮から作る布。幣などに使用]を花に見立てたものとも、実際にそんな造花が作られていたともされますが、急流が白く泡立つのを、そう見立てたものに過ぎません。ただし、ユニークなのは、それが実際の川瀬の様子ではなく、詠み手がすでに頭に思い描いた比喩に過ぎないという所です。

 そのくらいの期待を込めて、来て見れば、
     「そう思って見に来たわたしを……」
と、結句では続くべき言葉が途切れ、ただ川瀬に見とれているような絶句で果てていますから、聞いている方は、詠まれた比喩以上のすばらしい光景、言葉を失うようなすばらしい光景を前にする、詠み手の心情に共感が溢れてきて、なんだかすぐに電車に飛び乗って、見に行かなければならないような、気分にさえさせられます。そこまで引きつけられたら、もう詩の価値は、保証されたと言えるでしょう。

 このようにすぐれた和歌というものは、言葉の無駄や弱みがないばかりではなく、使える言葉のすべてを動員して、着想を様式化するために、相応しい表現を見いだすものですから、なるほど本来なら、わずか三十一字のうちに、不要な言葉が入る余地など、ある筈が無いと言えるでしょう。それが割り込むのは、結局は訴えたい内容自体が、もの足りていない証拠なのです。

     『蘿(こけ)を詠む』
み吉野の
  青根(あをね)が嶺(みね)/岳(たけ)の 蘿(こけ)むしろ
    誰れか織りけむ 経緯(たてぬき)なしに
          よみ人しらず 万葉集7巻1120

み吉野の
  青根が嶺の 苔のむしろは
    いったい誰が織ったのだろう
  縦糸も横糸も使わずに

 青根ヶ峰(あおねがみね)は、吉野山最南端に位置する峰。「苔筵(こけむしろ)」は苔がまるで筵(むしろ)、つまり敷物のように広がっているのを喩えたもの。「経緯(たてぬき)」は織物の縦糸と横糸の意味になります。今日の短歌であれば「まるで神が織ったような苔の絨毯だ」くらいでも、ちょっと嘘くさい気もしてしまいますが、神々が傍(かたえ)に御座(おわ)しますような、当時の人々にとっては、
     「これは神が織った絨毯だ」
という感慨が、素直に湧いてきたのかも知れません。ただ、そのまま述べたのでは恐れ多いものですから、(あるいは今日でしたら浅はかに響くものですから、)「いったい誰が織ったのだろう、糸もないのに」と神の名は出さずに、わざと驚いて見せた。

 さらに大げさにして、
   「誰が織ったのか」
などと冒頭から始めてしまうと、仰々しく感じられるかも知れませんが、この場合は着想をそのまま、余計なレトリックを使用せずに、素直に語っています。それがかえって、私たちにはわざとらしくなくて、好印象なのではないでしょうか。

     『故郷(ふるさと)を思(しの)ふ』
清き瀬に 千鳥妻呼び
   山の間に 霞立つらむ
      神(かむ)なびの里
          よみ人しらず 万葉集7巻1125

清らかな川瀬に 千鳥は妻を呼び
  山の合間には かすみが立つだろう
    故郷の神なびの里には

 この故郷は明日香の宮のことで、「神なびの里」というのは飛鳥の地にあった、おそらく当時の人々には知られた里なのでしょう。諸説あって定かではありません。ただ「神の御座(おわ)します里」の意味ですから、短歌のイメージは、ある程度定まるのではないでしょうか。

  「故郷の千鳥や霞を想い出す」
くらいの心情を元にして、「川瀬では千鳥が鳴き、山には霞が立ち上り」と対句にまとめようというのが着想です。ただし様式を整えて、短歌にするに際して、ただの瀬ではなく「清き瀬」と初め、擬人法を利用して「千鳥が妻を呼ぶ」とし、結句の「神なびの里」という、神聖な感じのする言葉で締めくくったものですから、慕わしくも特別な場所のように響きます。さらには全体構成が、「川瀬の千鳥」から「山の霞」の対比へと広がりを見せ、里全体へとまとめますから、その里を見渡したような気分になれる、その効果も見逃せません。

フォーカスの移行

 では、比較的簡単な視点の移動ですから、
  ノートを取り出して、私たちも真似てみることにしましょう。
   一番簡単なのは、大きいところから、小さいところへ、
    遠いところから、身近なところへ、
   つまりは詠み手の位置へと、
  視点を移動させるような方針です。

清水を⇒汲んだポットより⇒コップに水を
九州に向かい⇒福岡に入り⇒大宰府でお祈り
釣った魚を⇒離した淀み⇒川を下り⇒海へ帰れよ

 なんでも構いません。
  大枠が[大小][遠近][壮大矮小]など
   順次別の方へと移り変れば、それでよいでしょう。
  練習ですので、あまり考えすぎずに作りましょう。
 優れた作品にしようと考えると、
  なかなかに、難しいことになりますから。
   思いついた着想のままに、
    まずは三十一字にまとめてみましょう。


     「誰のいたずらだコラ」
破いたら
  袋破いて また袋
    また袋かよ 馬鹿のひと文字
         いつもの彼方

     「わたしはしません」
夕焼けの
   海の道より 渡り鳥
 浜辺に降りて いつのうた唄う
          課題歌 時乃旅人

     「それはどうかな?」
この星の
  どこかの国の どこかの町
    どこかのあなたに やっと出会えて
          課題歌 時乃遥

 やれやれ、遊んでいる場合ではありません。
  間延びする一方ですから、
   少しテンポを上げましょう。

     『山背(やましろ)にして作る』
宇治川に 生ふる菅藻(すがも)を
   川早(はや)み 採らず来にけり
  つとにせましを
          よみ人しらず 万葉集7巻1136

宇治川に 生えている菅藻(すがも)を
  川が早いので 採らずに来ました
    お土産にしたかったのに

 『万葉集』謎の植物シーリズ。
という訳でもありませんが、淡水の食用藻とも言われますが、「菅藻(すがも)」がなんであるかは、はっきりは分かっていません。ともかく、謎の水生植物を「お土産」(つと)にしたかったのに、川の流れが速くて断念した。そんな簡単な短歌になっています。

  変えようとすれば、
 四句などが動きますが、着想自体が日常のなさりげない表現に過ぎない場合、あえて和歌の作品的価値を高めようなどとせず、日常のさりげない表現を生かして、さらりと詠み流した方が、かえって嫌らしくなくて、うまくいく場合が多いのも事実です。推敲を重ねれば、すべてが良くなるものでもありません。

 つまりこの短歌は、着想自体が、この程度の表現にもっともマッチしている、それで着想自体から見直す気が無いのであれば、「つとにせましを」を結句に置いた、倒置法くらいの修辞で十分として、提出するのが理想です。この詠み手も、おそらくこれで十分と考えて、日常語的な表現に委ねたものと思われます。

     『羈旅にして作る』
家離(いへざか/いへさか)り 旅にしあれば
  秋風の 寒き夕(ゆふ)へに
    雁鳴き渡る
          よみ人しらず 万葉集7巻1161

家を離れて 旅をしていると
    秋風が 寒く吹く夕方
  雁が 鳴き渡っていく

 これも、凝らない方がよい例。
  冒頭を「家を離れ」とあえて置いたくらいで、後は雁の夕べの光景を叙したような、素朴な表現ですが、その情景に浸って、日常的な感興に耽っているような場合には、その場で感じたことを、「はじめての万葉集」で眺めたように、素直に記すのは効果的な方針です。

とは言っても、
 冒頭の「家離り」というのは、具体的な説明と言うよりも、様式化された枕詞のように響きますから、二句目の「旅にしあれば」を含めて、日常語というよりは詩的な表現に思えてきます。その上で、残り三句の内容は「秋風が寒い」「夕べ」「雁が鳴いて渡る」と十分過ぎるくらいの密度を持っています。つまり短歌全体に込められているものは、実際はかなり多いのですが、叙し方があまりさりげないために、なんでもないように感じられる。おそらく下手に推敲などを加えると、かえってしくじって、嫌みが現われてくるかと思われます。

     『羈旅にして作る』
足代(あて)過ぎて 糸鹿(いとか)の山の さくら花
  散らずもあらなむ 帰り来るまで
          よみ人しらず 万葉集7巻1212

足代を過ぎて
   糸鹿の山に咲く さくら花よ
  散らないでいて欲しい
    帰ってくるまで

「糸鹿山」というのは、和歌山県有田市の南東にある「糸我山(いとがやま)」のことですが、これもまた「桜花よ散るな」くらいの心情を、「桜の花よ戻ってくるまで散らないで欲しい」とした程度のストレートな着想に、場所を加えたくらいで、日常の語りの領域かと思います。ただし、これまでの短歌のいずれも、

「千鳥妻呼び」の擬人法に見立てた着想、
「川早(はや)み」の「ミ語法」による印象の籠もる表現、
「家離り旅にしあれば」という改まった言い回し

 一ヶ所、こだわった表現を加えることによって、「はじめての万葉集」で見たような、わずかな緩みをなくしている。見方を変えれば、率直な詠み方をした時に、ちょっと物足りない、まだ動きそうな部分を、小さな着想やすぐれた言い回しによって、逆に特別な表現へ移し替えることによって、全体を魅力的なものへと、移し替えていると言えなくもありません。

 この短歌の場合も同様で、冒頭を「~にある糸鹿山」とは置かずに、「足代(あて)過ぎて」と提示したことにより、実際に詠み手が、旅の途中で美しい桜に出会って、感興を催して詠まれたような臨場感が湧いてきますから、初句の効果だけで、なかば勝利を収めたようなことになっている訳です。

 つまり逆を返せば、「はじめての万葉集」の作品たちも、ほんの少し言葉を換えるだけで、すばらしい表現力を宿した、特別な作品にも、昇華(しょうか)出来る可能性を持っていた。なぜなら、ほんの少し何かが足りない程度で、全体の構成は整えられたものばかりだったからです。秀歌になるための条件が、このような効果的な表現の使用にもあるということを、ぜひ覚えておいて欲しいと思います。そうして、実は動きそうな言葉のあるところが、往々にしてそこを、優れた表現に差し替えるために、用意された場所であるという事も……

     『羈旅にして作る』
風早(かざはや)の 三穂(みほ)の浦廻(うらみ)を 漕ぐ舟の
  舟人(ふなびと)騒(さわ)く 波立つらしも
          よみ人しらず 万葉集7巻1228

風の早い
  三穂の浦を 漕ぐ船の
    舟人たちが騒がしい
  波が立ってきたようだ

 以前「三穂の石室(いわや)」を眺めましたが、それと同じ和歌山県日高郡美浜町三尾の海を指します。「風早の」というのが効果的ですが、あるいは三穂は風が強いということで、「枕詞」のように、常に「風早の三穂」と詠まれたものかも知れません。

 さて「はじめての万葉集」で、

風をいたみ
   沖つ白波 高くあらし
 海人(あま)の釣舟 浜に帰りぬ
          角麻呂(つののまろ) 万葉集3巻294

という短歌を見ました。なるほど、遠景と近景の対比など、構図は整っていますが、描写としては一枚のスナップを眺めているようで、海人の釣り船さえ、あまり動きが感じられません。それで感慨も、何気なく気づいたことを述べただけのような、「浜に帰って来た」で終わってしまいましたが、

「風の早い中を、
   漕いでいる船人たちが騒いでいる」

と詠まれると、動的な傾向に増さり、二次元から三次元になったような臨場感が湧いてきますから、最後に提示される「波が立つようだ」も、ただの推察というよりは、現場を眺めながら、再認識したような気配がこもります。つまりは角麻呂のものよりは、荒れた海の危機感が伝わってくる。
 それで「ふたたび」に置かれているのです。

     『羈旅にして作る』
ぬばたまの
   黒髪山(くろかみやま)を 朝越えて
 山した露に 濡れにけるかも
          (古集) 万葉集7巻1241

(ぬばたまの) 黒髪山を
   朝越えて来たので
  山路の下露に 濡れてしまったよ

  黒髪山は所在が不明です。
 そこを朝のうちに越えたら、露で濡れたというのは、黒髪の恋人から離れたら、悲しみに濡れることを連想したものでしょうか。作者名に(古集)とあるのは、『柿本人麻呂歌集』と同じように、『古集(こしゅう)』と呼ばれた先行資料があって、そこからの和歌であるということです。ただ「越える」のではなく「朝越え」であることを述べて、山路の露に流したところが目に付くくらいですが、枕詞を掲げた山の名称が魅力的なものですから、全体が忘れがたいものになっているようです。

     『行路(こうろ)』
遠くありて
   雲居(くもゐ)に見ゆる 妹が家に
 早くいたらむ あゆめ黒駒(くろこま)
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集7巻1271

遠くにあって
   雲のかなたに見える あの人の家に
 早くたどり着きたい
    さあ歩め 黒馬よ

  ただ「あゆめ黒駒」の台詞に引かれただけですが……
 このように、短歌の中に、実際の台詞を持ち込むと、その場で声を出している臨場感が高まりますから、詠み手の心情も、受け取りやすくなり、聞き手の共感を得られます。もちろんその台詞が、短歌全体の内容に、相応しいものであることが必要なのは、言うまでもありません。

     『旋頭歌(せどうか)』
海(わた)の底
   沖つ玉藻(たまも)の なのりその花
  妹と我(あれ)と
     こゝにありしと なのりその花
          よみ人しらず 万葉集7巻1290

(わたのそこ)
    沖の玉藻の なのりその花よ
  彼女と私が
     ここにいるとは 名乗らないでねその花

「なのりその花」というのは、今日「ホンダワラ」と呼ばれる海草だろうとされています。その言葉に「な告りそ」つまり「告げないで」という意味があるために、その語呂合わせで使用されることが多い海草で、『日本書紀』に収められた衣通郎姫(そとおしのいらつめ)の逸話にも、「な告りそ」(告げるなよ)と天皇が言ったことから、この海草の名称が生まれたと残されているくらいです。

 ここでは旋頭歌の特徴を利用して、上句は海草への呼びかけを、下の句では海草への願いを、それぞれ行いながら、ともに「なのりその花」で閉じることによって、統一性を持たせている。内容も恋人同士でいるときの冗談くらいな、可愛らしい和歌になっています。なんだか、実際にフレーズにして、詠ってみたいような短歌です。

比喩歌

     『衣(きぬ)に寄する』
つるはみの/つるばみの
  解き洗ひ衣(きぬ/ぎぬ)の あやしくも
    ことに着欲しき この夕(ゆふ)へかも
          よみ人しらず 万葉集7巻1314

つるばみ染(ぞ)めした
    仕立て直しの服を 不思議なくらい
  特に着たいと思うような
     この夕方です

   橡(つるばみ)はクヌギの古名です。
  クヌギと言えばドングリです。
 それを使用した染め物は、時代と共に変化しますが、もとは庶民のものだったようです。それで「高級でもない仕立て直したような服なのに、不思議なくらいに着たくなるような夕べだ」と詠んでいますが、比喩歌なので、裏に、
     「散々着慣れたような妻なのに、不思議なくらい、
       特に肌に触れたくなる、今日の夕暮」
といった意味になります。わざわざ「解き洗い衣」と言うからには、以前の女などではなく、「いつもの妻だけど、今日は不思議と」と解釈する方が、相応しいのではないでしょうか。現在とは意味が異なりますが、それでも「あやしくも」と常ならぬ感覚を表わした三句目が、この短歌の胆になっているようです。

     『花に寄する』
春日野に 咲きたる萩は
  かた枝(えだ)は いまだふゝめり
    言(こと)な絶えそね
          よみ人しらず 万葉集7巻1363

春日野に 咲いた萩は
   片方の枝は まだつぼみです
  言葉を絶やさないでね

 萩は、もう咲き頃ではあるけれど、まだ一方の枝にはつぼみがあるので、言葉を絶やさずに見守っていてください。言葉を掛けるというのは、注意をして育てることにもつながりますが、あるいは本当に声を掛けることが、花を咲かせると思われていたのかも知れません。それで比喩歌ですから、裏の意味が存在します。

 つまりはもうすぐ女性として花開く頃ではあるけれど、まだ少し早いから、これまで通り、言葉を掛けてあげてくださいね、というのが裏の意味になります。その内容から、本人ではなく母親が、「手紙を絶やしては駄目ですよ」と注意したものと解釈するような、深読みをする向きもありますが、この短歌だけを持って、判断することは不可能です。

 もっとも、不可能で困るのは学者方で、私たちには、判断できないだけ、好きなように解釈がつきますから、詩としてはありがたいくらいです。かえって、この和歌は、大伴坂上大嬢の例のように、まだ十代前半くらいの娘が、早熟に詠んだものとしても、何の不自然もないかと思われます。

 その場合、あるいは和歌のやり取りをするようになった段階が、片枝だけ咲いた状態で、まだ完全な恋愛に至っていない、と読み解いても良いでしょう。その際、言葉を絶やさないでという表現は、まだしばらくは一緒になれないけど、興味を失ってはなりません。くらいの心情として、受け止められるかと思います。
 もちろん逆に、母親の大伴坂上郎女が、家持に送りつけたようなシチュエーションでも、解釈が可能なことは言うまでもありません。

     『神に寄する』
木綿(ゆふ)かけて
  斎(いは)ふこの社(もり) 越えぬべく
    思ほゆるかも 恋のしげきに
          よみ人しらず 万葉集7巻1378

木綿(ゆう)しでを垂らして
   祭るこの神社だって 踏み越えてやる
     そんなことまで考えてしまう
   あまりの恋の激しさに

 比喩歌として「神に寄せる」のは、あるいは恋人そのものでしょうか。普通の比喩歌は、全体が他のことを述べて、別の意味を暗示するのですが、ここでは下の句ですでに、恋が露呈してしまっています。神が恋人だとすると、あの人がたとえ、結界に守られて神聖不可侵の神であったとしても、踏み越えてやろうと思うよ。という内容になるかと思います。あるいはよほど、身分の高い女性なのでしょうか。最後はちょっと、愉快な旋頭歌を。

     『旋頭歌』
み幣(ぬさ)取り
   三輪のはふりが 斎(いは)ふ杉原
      薪(たきぎ)伐(こ)り
   ほと/\しくに 手斧(てをの)取らえぬ
          よみ人しらず 万葉集7巻1403

幣を手にとって
  三輪の神官らが 奉る杉原で
    薪を取ろうとして
      すんでのところで
    手斧を取られるところだった

  詳細は割愛。
 危険だと分かっていながら女に近づいたら、案の定見つかってしまい、あやうく手斧を折られるところであった。手斧に裏の意味があるのかは、分かりませんが、あっても差し支えなさそうです。いずれ、退散する男の、「ほとほと参ったよ」とでも言いそうな滑稽が愉快な和歌になっています。そして、わざわざ旋頭歌を撰んだ意義が生きています。(あるいは短歌では収まりが付かなかっただけかもしれませんが。)

 実際は、次に「挽歌」がほんの少し加えられて、
  「巻第七」が終了しますが、
    ここでは挽歌は取らずに、
  わたしたちは、巻第八へと参りましょう。

               (つゞく)

2016/05/08
2016/06/13 改訂

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