はじめての万葉集 その五

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はじめての万葉集 その五

巻第十三

 もともと『万葉集』は、巻第十六までをひとまとまりにしていた時期があったようで、「巻第十三」からは、これまで以外の和歌を、それぞれ特徴のあるまとまりに、巻分けしてまとめたようなものになっています。その中で「巻第十三」は、おおよそ作者不明の長歌(ちょうか)(もちろん反歌としたの短歌形式のものを含む)を集めたものとして、それを「雑歌」「相聞」「挽歌」「問答」「比喩歌」に区分したものになっています。

 ただ長歌の特徴として、実際に歌われそうな、歌謡的な歌詞を持ったものが多く、あるいは「歌謡集」のくくりではなかったかと、思うくらい魅力的な、格式ばらない長歌も多いのです。

 ここではその中から、二つだけ紹介して、
   次に移ろうかと思います。

みもろの 神(かむ)なび山ゆ
  との曇り 雨は降り来ぬ
 天霧(あまぎ)らひ 風さへ吹きぬ
   おほくちの 真神(まかみ)の原ゆ
  思ひつゝ 帰りにし人
    家に至りきや
          よみ人しらず 万葉集13巻3268

三諸の 神奈備山から
 かき曇って 雨は降り込める
   空は霧に覆われ 風まで吹きだす
 (大口の)真神の原から
 もの思いをしながら
   帰っていった人は
     もう家に着いただろうか

     「反歌」
帰りにし 人を思ふと
  ぬばたまの その夜はわれも
    眠(い)も寝(ね)かねてき
          よみ人しらず 万葉集13巻3269

帰って行った 人を思うと
   真っ暗な その夜はわたしも
 眠ることが出来なかった

 はじめて完全に紹介しますが、
  「長歌(ちょうか)」とはこのように、
   [五⇒七]を何度もくり返しながら、
 最後に[五⇒七⇒七]で閉ざすような和歌を指します。さらに、長歌の内容をまとめたり、新たな思いを加えるために、長歌の後に短歌が置かれることが多いのですが、これは多くの場合「反歌(はんか)」と呼ばれます。また長歌によっては「短歌(たんか)」と呼ばれることもあります。

 それに対して、今わたしが形式の名称として使用している「短歌」という表現は、三十一字の形式として、後から呼ばれるようになったもので、『万葉集』ではただ「一首」などと記すほか、定義された名称は存在しません。また勅撰和歌集の時代になると、もう長歌もあまり作られなくなりますから、「和歌」と述べさえすれば、「短歌」を表現したものとして、通じるようになります。

 ところで、ややこしいことに、この「和歌」という表現は、『万葉集』においては、「和する歌」つまり応答する歌という、特定の歌を指す名称に過ぎませんでした。後の「和歌」を意味する言葉は「倭歌(やまとうた)」と表現されていました。
 ちょっと、脱線コラムでした。

  和歌の内容を見てみましょう。
 「三諸」も「神奈備」も、「神の居ます」、つまり神の鎮座する所を表わす言葉です。「天霧(あまぎ)らひ」というのは、慣れないと引っかかりますが、「霧(き)る」というのは「霧になる」「霧が立つ」という動詞です。紅葉(もみじ)なども「黄葉(もみ)づ」という動詞がありますので、今日使用してみても面白いかも知れません。もし、誰もが当たり前に使うようになれば、それは正しい表現へと移り変わってしまう。言葉とはそんなものには違いありませんから。

 脱線しました。
「真神の原」は地名で、「おおぐちの」はその枕詞ですから、これで長歌の意味はつかめるのではないでしょうか。「雨と霧と風のなかを帰って行ったあの人は、家に帰り着いただろうか」そう心配しているのです。さらに反歌から、暗いなかを帰って行った事が分りますから、なおさら殺風景な情景が浮かんで来ます。

 それと同時に、
冒頭の表現や、真神の原という名称、繰り返される五七の様式化された言葉から、非日常的な、厳粛なおもむきが加えられますから、ただの帰宅を心配したのではなく、何か特別な所を特別な人が、何らかの事情で帰ってゆくような感じがしてきます。それで、反歌の方もまた、まるで重大なことがあって、相手を危ぶんでいるように感じられてくる。眠れずに暗闇で、相手を心配する、詠み手の闇の感じが、強く印象づけられることになります。

 形式的にも、長歌では相手のことを詠い、反歌では対してわたしのことを歌っていますから、フォーカスの幅も大きくなり、これも内容をドラマチックなものにするのに、一役買っているようです。

大君(おほきみ)の 命畏(みことかしこ)み
 蜻蛉島(あきづしま) 大和(やまと)を過ぎて
  大伴(おほとも)の 三津(みつ)の浜辺(はまへ)ゆ
   大船(おほぶね)に ま楫(かぢ)しゞ貫き
    朝なぎに 水手(かこ)の声しつゝ
     夕なぎに 楫の音しつゝ
    行(ゆ)きし君 いつ来まさむと
   占置(うらお)きて 斎(いは)ひわたるに
  たはことか 人の言ひつる
 我(あ/わ)が心 筑紫(つくし)の山の
もみぢ葉の 散り過ぎにきと/散りて過ぎぬと
 君が直香(たゞか)を
          よみ人しらず 万葉集13巻3333

大君のみことを 謹んでお受けし
 あきづ島と言われる 大和を過ぎて
  大伴の 三津の浜辺から
   大船に 楫をたくさん備え付け
    朝なぎの中を 漕ぎ手らが掛け声を揃え
     夕なぎの中を 楫の音を響かせながら
    旅だったあなたが いつ帰って来るかと
   占いをして 祈願を続けていると
  世迷いごとを 誰が言ったものか
    「(わがこころ) 筑紫の山の
       黄葉のように 散り果ててしまった」と
    あなたの身の上を……

     「反歌」
たはことか
   人の言ひつる 玉の緒の
  長くと君は 言ひてしものを           よみ人しらず 万葉集13巻3334

世迷いごとを、
  誰かが言ったのではないだろうか。
   玉の緒のように、長い間とあなたは、
  わたしにおっしゃっていたのに。

 さて「大君の命畏み」というのは、「大君」つまり天皇の名を恐れ慎むようにお受けして、という仕える人たちの使う常套句です。「秋津島」は大和につく枕詞で、その後は浜辺の名称ですから、後は訳を眺めれば、大体の意味は伝わると思います。たた最後の「直香(ただか)」というのが、なんだか人の名前みたいに聞こえますが、これは「その人の持つ独特の香り」を差し、そこから固有の「その人」の事も表わす言葉です。

 順風満帆の船出を、
  誇らしくも語っていた前半は、
 夫(おっと)にフォーカスを当てた描写で、威勢良くなんの淀みもありません。それが「行きし君」でわたしの回想であったことが知れ、不安を消すように占いや祈りを捧げていることが語られますから、華々しく讃えられた船出の様相が、遠路の重大用件のように思われて、待ち人の不安を、聞き手のこころに引きつけます。

 すると、たちどころに、
  誰かが、狂ったような出鱈目を述べたのか、として、
   「筑紫の山の紅葉のように散ってしまった」
と夫の死を直接ではなく、ほのめかすように伝えますと、すぐに「あなたのことを」と長歌を閉ざしますから、聞いている方も詠み手と同じく、あまりの急転直下に、しかも確定的でない表現で、ちょっとあっけに取られるような、呆然とする感覚にとらわれる。

 あるいは、そこまで感情移入しなくても、
  これで終りなのかという感覚が、
   次の反歌への呼び水となります。

 その、まだ先がありそうな切れ間こそ、妻が夫の死を聞かされて、しばらく呆然としていた状態であり、反歌はようやく気を持ち直して、妻の気持ちを詠み始めます。しかし、ようやく口にした反歌は、当然のことながら、「誰かがでたらめを述べたのではないか。ずっとしょだと約束したのに」と、現実を受け入れられないまま幕を下ろす。

 長歌のうちでフォーカスが、夫から妻へと移り、状況の提示を終えて、しばし呆然とした後、妻の内面を持って反歌を閉ざしますから、構成に隙がありません。そうしてドラマチックであり、全体のまとまりも良く、誠の心情も込められている。短くて分りやすいような長歌ですが、なかなか、長歌のお手本のように作詩されているようです。

巻第十四

 この巻は「東歌(あづまうた)」が収められています。まずはややこしく定義せずに、方言を使用した地方色豊かな、つまり「都ぶり」とは異なった、田舎くささを楽しむための、和歌を集めたものだとしてきましょう。

筑波嶺(つくはね)の
  岩もとゞろに 落つる水
    よにもたゆらに
  我が思はなくに
          よみ人しらず 万葉集14巻3392

筑波山の嶺を
  岩を響かせて落ちる水が
    絶えるだなんて決して
    /ゆらぐだなんて決して
  わたしは思っていないよ

 「よにもたゆらに」というのは、「よにも」が「決して」というような打ち消しで、「たゆらに」というのは揺れ動いて安定しないことを表現するとも、別の説では「絶えるように」であるともされています。学説が別れていることを、わたしが解釈出来っこないのですが、どちらでもくみ取れますから、両説合わせて書いておきましょう。

 この短歌を提出したのは、
  そのような解釈の定まらない領域が、
   『万葉集』には沢山あるということの紹介と、
  上の句のちょっと無骨な喩えを、
 東歌の軽いもの(意味が分りやすいもの)として、
  味わっていただこうとしただけのことです。
   方言がきつくなってくると、次のようになってきますから。

小筑波(をづくは)の
   嶺(ね)ろに月立(つくた)し あひだ夜は
 さはだに/さはだなりぬを また寝てむかも
          よみ人しらず 万葉集14巻3395

筑波の嶺に 月が立ってからの あいだの夜は
  逢わなくなってから 沢山になったが
    また あいつと寝たいなあ

  まず十回唱えてみましょう。
   なんとなく、どこかの方言の気配が、
  自然に沸いてくると思います。
 たとえば「嶺(ね)ろ」というのは「嶺(ね)(みね)」の方言ですし、「月立(つくた)し」というのは「月立(つきた)ち」つまり月が新月にかわり、暦が新たになったことを表現しています。逢えない夜を、「間のあいた夜」と表現するのも洗練されていませんし、それを「あいだ夜」なんて表現するのも、田舎じみている。「さはだ」は多いことを意味していますから、四句目はなんだか呪文みたいですが、「多くなったが」という内容です。

伊香保(いかほ)ろの
   夜左可(やさか)のゐでに 立つ虹(のじ)の
 あらはろまでも さ寝(ね)をさ寝(ね)てば
          よみ人しらず 万葉集14巻3414

伊香保の 夜左可の井手に 立つ虹が
   現われるほど 寝まくってやったぜ

  また早口ことばみたいなのが来ました。
 とりあえず、伊香保の夜左可は地名として、井手は水をせき止めてあるところです。そこの虹が現われるほどというのは、単に皆に見られてしまうという意味なのか、もっと違う意味が込められているかは分りませんが、むしろこの変な言葉つきを、口に出して、唱えて楽しんでみてください。
 これがすなわち「東歌(あずまうた)」です。

佐野山(さのやま)に
  打つや斧音(をのと)の 遠(とほ)かども
    寝(ね)もとか子ろが
  面(おも)に見えつる
          よみ人しらず 万葉集14巻3473

佐野山で 打つ斧の音のように 遠くにいるのに
  あいつが 寝たいと願ってるせいか
    俺のこころに 浮かんできやがる

 上の句が「遠かども」に掛かる序詞になっている訳ですが、自分が寝たくて浮かべている相手を、「あいつさ俺と寝たくて、俺の中に現われやがって。えへへ」みたいな、下卑た様相を呈しています。

 それにしても、東歌を眺めた第一印象は、田舎人や粗野な者どもの詠んだ和歌というよりは、それを気取って、知識人が詠んだ和歌のような印象がしてきます。あるいは、和歌を作るような知識階級では、農民じみた、下卑た和歌がなかなか詠めないのを、「東歌」であることを言い訳にして、あるいは採取したサンプルもあったかもしれませんが、詠みまくっているような気がしなくもありません。(というよりそんな気分ばかり湧いてきます。)
 まあ私たちは、
  とりあえずは、面白ければ良しとしましょうか。

麻苧(あさを)らを
   麻笥(をす)にふすさに 績(う)まずとも
 明日着せさめや いざせ小床(をどこ)に
          よみ人しらず 万葉集14巻3484

蒸した麻を
  麻入れにたっぷり 績(う)まなくても
    どうせ 明日着る服には 出来ないんだ
  さあさあ 寝床に 寝床に

  麻布を作るために、
 麻糸を紡ぐ前の状態のものを、麻苧というようで、「ふすさに」は「沢山」の意味で、「績む」とは繊維を寄り合わせて糸紐にしていくことを言います。ですから、

麻の縒り糸をそんなに作らなくてもいいでしょう。
  どうせ明日着る服にまでは、出来っこないんだから。
    それより早く寝ようよ。

といった内容です。男がもういい加減こっち来いよ、と歌っているようにも、あるいは女が「今日はおしまい」と自分に言い聞かせて、寝床に誘っているようにも聞こえ、また、そのように仕組まれた作品のようにも感じられます。ちょっと「を」のリズムで遊んでいる気配もします。

子持山(こもちやま) 若かへるての もみつまで
  寝もと我(わ)は思(も)ふ 汝(な)はあどか思(も)ふ
          よみ人しらず 万葉集14巻3494

子供授かれ子持山
   そこの若葉のカエデが、紅葉するまで
 寝まくってやろうと俺は思うぜ
    お前はどう思う?

  ……あんたって馬鹿ね。

 ほんと馬鹿ね。
  子持山は群馬県の山ですが、前に紹介した茨城県の筑波山もあり、当時の人々にイメージされる東国は、関東圏、あるいはその少し先くらいまでを指したようです。次はちょっと情けないやつをどうぞ。

汝(な)が母に 嘖(こ)られ我(あ)は行く
  青雲(あをくも)の いで来(こ)わぎも子
    あひ見て行かむ
          よみ人しらず 万葉集14巻3519

お前の母に 怒られてわたしは去っていく
  (あおくもの) 出てこい恋人よ
     ひと目見て帰ろう

「青雲(あおくも)の」は「出(い)づ」あるいは「白」に掛かる枕詞です。そのもとの意味は、青空を流れる雲とも、空の青の透けて見える雲とも、雲そのものではなく青空の喩えであるとも、ようよう意見が定まらないようですが、そんなことよりも……

 三句目に取って付けたように、枕詞のような抽象的な言葉を置いたために、なんだかヘンテコなことになりました。つまり、「恋人の母に怒られて引き下がる」という情けない内容が、ちょっとだけ短歌っつぽく詠まれることになりましたから、まるで、本人ばかりはいさぎよく立ち去る、格好いい男を演出したつもりで、
   「青空の出てきておくれ恋人よ、せめてひと目」
と台詞を述べているのですが、それが第三者からしてみれば、お母さんに叱られて、だらしなく逃げ帰る男であるという。そのコミカルな情景。この真ん中の枕詞には、なかなかコミカルな効果が秘められているようです。それが計算なのか、偶然なのかは、誰にも分らないけれど……
……どうも計算っぽい気がしてなりません。

人の子の 愛(かな)しけ時(しだ)は
   浜洲鳥(はますどり) 足悩(あなゆ)む駒(こま)の
  惜しけくもなし
          よみ人しらず 万葉集14巻3533

あいつが 愛おしいとなったら
   浜州鳥みたいな 足取りの馬だって
  これで駄目になっても 惜しくもないぜ

 枕詞シリーズ第二弾、
  という訳でもありませんが、
 「浜州鳥」というのが、比喩にしては唐突で、
「足悩む」に掛かる枕詞である、ということになっているようです。「足悩む駒」というのは、足をもたつかせて、つまり何らかの障害を負って、しっかり歩けない馬のことですが、非常に貴重な馬が怪我を負っても、愛しいあの子のためなら、馬の一頭や二頭、どうなっても構わない。と無理矢理馬を走らせているような印象です。なぞの枕詞については、千鳥足のような喩えでしょうか、ちょっと不明です。

 あと二つほど、
  解説は無しで、
   短歌だけ紹介しながら、
    十四巻を離れましょうか。

あすか川
  下濁れるを 知らずして
    背なゝと二人 さ寝て悔しも
          よみ人しらず 万葉集14巻3544

あすか川の底が濁っている
   そんな、下に濁った心があるとも知らないで
  あの人と二人して
     寝てしまったのが悔しい

妹が寝(ぬ)る 床(とこ)のあたりに
  岩ぐくる 水にもがもよ
    入りて寝(ね)まくも
          よみ人しらず 万葉集14巻3554

あの子が寝る 寝床のあたりに
  岩間を漏れくぐる 水にでもなって
    入って寝たいもんだ

巻第十五

 この巻もまたユニークで、「歌物語」のルーツのようにも思えるくらいですが、歌物語や歌日記が、言葉の合間に和歌を挟み込むのに対して、ここに収められた二つの作品は、和歌自体がストーリーを担っている。どちらも創作されたものではなく、初めのものは朝鮮半島の新羅(しらぎ)に派遣された「遣新羅使(けんしらぎし)」の一行が、旅先で詠んだ和歌を、おそらく編纂してまとめたもの。もう一つは、流罪になった中臣宅守(なかとみのやかもり)と、都に残された妻、狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)との継続的な和歌の贈答。おそらくは連作和歌という、特別なものとして、この巻第十五に収められたものです。

 特に初めのものは、長大で、この巻のメインコンテンツになっていますが、実際に派遣された役人たちの和歌ですから、同じようなことを詠んでいても、各自に指向性やら旨い下手があり、それがなかなか飽きないように、(結果として、)配備されていて、佳作ぞろいではまるでありませんが、なかなか面白い作品になっています。どのくらい面白いかは、説明せず、私が原文の散文の代わりに挟んだ、現代語によるストーリーで、実際に読んでいただくのが、手っ取り早いかと思います。

 ちなみにこの遣新羅使、日本からの使いは拒絶され、大使の阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)は帰途亡くなって、大判官の壬生使主宇太麻呂(みぶのおみうだまろ)に率いられて、翌年朝廷に報告に行っています。つまりは大失敗の使節になってしまいました。

遣新羅使和歌

 ストーリーは、天平八年(736年)六月、新羅(しらぎ)に使わされた役人たちが、まずは船に乗る前に、別れを偲んで短歌の贈答を行うところから始まります。上級の人しか名称が記されていないため、よみ人しらずの和歌が沢山ありますが、多くは船上の役人達と思ってよいでしょう。それより見てください、あちらの方では、どうやら、夫婦どうしで別れを述べ合っているようです。

別れなば うら悲しけむ
  我(あ)がころも 下にを着ませ
 たゞに逢ふまでに
          よみ人しらず 万葉集15巻3584

別れたら 悲しくなりますから
  この着物を 肌着にしてください
 実際に逢うときまでの わたしだと思って……

わぎも子が
   下にも着よと 贈りたる
 衣(ころも)の紐を 我(あ)れ解かめやも
          よみ人しらず 万葉集15巻3585

愛しいお前が
  下に身につけるように 贈ってくれた
   着物の紐を わたしは決して解かないよ

 もとより、紐をほどかないというのは、
   他の女と寝たりしないという意味合いです。
  あちらの方では、別の女性が、
    見送りの和歌を贈っているようです。

たくぶすま
   新羅(しらき)へいます 君が目を
 今日(けふ)か明日(あす)かと 斎(いは)ひて待たむ
          よみ人しらず 万葉集15巻3587

(たくぶすま)
   新羅へ行きます あなたの目を
     ふたたび 見つめ合えるまで
   今日か明日かと 祈りして待ちましょう

 けれども今は船に乗り、
   出発の瞬間の到来です。

大伴(おほとも)の
  三津(みつ)に船乗り 漕ぎ出(で)ては
    いづれの島に
  いほりせむ我(われ)
          よみ人しらず 万葉集15巻3593

大伴の 三津の港で
  船に乗り 漕ぎ出しては、
   いったいどこの島で
  私は宿りをするのだろうか

 やがて船は港を離れます、
    見送りの人影さえも、
   だんだん遠く消えてゆきます。

潮待つと
  ありける船を 知らずして
 悔しく妹を 別れ来にけり
          よみ人しらず 万葉集15巻3594

潮を待って
  留まっていた 船とも知らず
 別れの挨拶も ろくにしないで飛び乗って
   妻と別れたことが 残念でならない

 向こうの方には、
  遠くに島かげが見えて、
   むろの木[ヒノキ科の杜松(ねず)]が、
  離れて一本立ち尽くしているのでした。

しましくも
   ひとりありうる ものにあれや
  島のむろの木 離れてあるらむ
          よみ人しらず 万葉集15巻3601

しばらくの間でも
   ひとりで 居られるものなのか
 島のむろの木が
    離れて立ち尽くしている……

 そんな風に、船の上にあって、
   日にちばかりが過ぎていけば、
  恋しい気持ちに駆られるのも、
    仕方のないことかも知れません。

妹が袖
  別れて久(ひさ)に なりぬれど
    ひと日も妹を
  忘れて思へや
          よみ人しらず 万葉集15巻3604

妻の袖から離れて
  ずいぶん経ちますが
    いち日たりとも あの人のことを
  忘れたことなどありません

 船はようやく、
   備後国(びんごのくに)の、
  長井の浦(広島県東部)につきました。
    港に宿る夜には、大判官(だいじょうかん)が、
   まずは代表して和歌を詠んでいます。
     どうもお偉いさんは、いつの世も同じで、
    なんと形式ばった、旋頭歌(せどうか)であるようです。

あをによし
  奈良の都(みやこ)に 行く人もがも
    くさまくら
      旅ゆく船の 泊まり告げむに
          壬生使主宇太麻呂(みぶのおみうたまろ) 万葉集15巻3612

(あおによし)
   奈良のみやこに 行く人があればよいが
    (くさまくら)
       旅をゆく船の 停泊地を伝えたいから

 下級の役人は、
   そんなに威勢良くしていられません。
  ひと息つくと、すぐに妻のことを思い出します。
 けれども「わたつみの」、
  つまり海神の真珠を拾っていこうなんて、
   まだ、心にゆとりがあるようです。

帰るさに 妹に見せむに
  わたつみの 沖つしら玉
    拾ひて行かな
          よみ人しらず 万葉集15巻3614

帰る時には 妻に見せるために
   大海原の 沖に寄せる真珠をでも
 拾って行きたいものです

 船はようやく、安芸国(あきのくに)[広島県西部]の、
  長門島(ながとのしま)につきました。
   磯辺に船を寄せて宿泊です。

わが命(いのち)を
   長門(ながと)の島の 小松原(こまつばら)
 幾代(いくよ)を経てか 神(かむ)さび渡る           よみ人しらず 万葉集15巻3621

(我がいのちを)
   長門の島の 小松原は
     幾代を過ごして これほど神々(こうごう)しいのか

 どうやら宿泊地を褒めることによって、
  旅の安全を祈願しているようです。
   月明かりを頼りに、また旅だった船は、
  周防国(すおうのくに)[山口県東部]の、
 麻里布(まりふ)の浦を過ぎてゆく。

ま楫(かぢ)貫き 船し行かずは
   見れど飽かぬ 麻里布(まりふ)の浦に
      宿りせましを
          よみ人しらず 万葉集15巻3630

楫を操って 急ぐ船旅でなければ
  見飽きることのない この麻里布の浦で
    泊まることも出来ように

 これもまた浦を讃えて、
   海路の祈願を兼ねているようです。
  また別の人は、

妹が家道(いへぢ) 近くありせば
   見れど飽(あ)かぬ 麻里布の浦を
 見せましものを
          よみ人しらず 万葉集15巻3635

妻の家路の 近くにあったなら
  見ても飽きない この麻里布の浦を
 見せてやれるのになあ

 こちらはどうも、
   素直な感想のようであります。
  船は早くも、大島(おおしま)の鳴門(なると)を渡ります。
    渦潮で知られた鳴門海峡ですが、
      漁師が藻を刈っているよなんて、
     のんきに詠うしゃれ者もいましたが、
       夕暮れにはまた、寂しさがまさってくるようです。

波のうへに
   浮き寝せし夕(よひ) あど思(も)へか
  心悲(がな)しく 夢(いめ)に見えつる
          よみ人しらず 万葉集15巻3639

宿りもなくて
   波の上に 浮き寝をした晩には
 どれほど思っているだろう
    切なくなるくらい 妻が夢に見てるのでした

 夢に現われたなら、
   それは相手が思ってくれている証。
     そう思って推し量っては見るものの、
   本当に逢いたいのは自分なのでした。
 あるいはまた別の時には、
   熊毛(くまげ)の浦に泊まり、
     [山口県熊毛群あたり]

沖辺(おきへ)より
  船人(ふなびと)のぼる 呼びよせて
 いざ告げやらむ 旅の宿りを
          よみ人しらず 万葉集15巻3643

沖の方から 都へのぼる船が来た
  呼び寄せて さあ伝えよう
    私たちがどこに宿泊しているかを

 ところが激しい逆風に見舞われました。
  大波に揉まれるように漂流して、
   一夜を風に翻弄され、
  ようやく順風を得て、
 豊前国(ぶぜんのくに)の分間の浦に到着です。
   [大分県中津市付近]
  恐ろしい体験を、さっそく和歌にしています。

ひさかたの
   天照る月は 見つれども
 我が思ふ妹に 逢はぬころかも
          よみ人しらず 万葉集15巻3650

(ひさかさたの)
   天空を照らす月は 何度見ても
     愛するあの人には 逢えないこの頃よ

……なんだか、ちっとも危機感がありませんが、
 まあ良いでしょう。
  この人の和歌を持って過ぎ去りましょう。
   船はようやく、海外へ出航するための、
  筑前国(ちくぜんのくに)に来たようです。
    例の大宰府の置かれている、
      福岡県の北西部です。

秋風は 日に異(け)に吹きぬ
   わぎも子は いつとか我を
  いはひ待つらむ
      阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)の次男 万葉集15巻3659

秋風は 日ごとに強く吹いている
  愛しい妻は いつ私が帰ると思って
 祈りながら待っているだろう

 館での公事は疾うに済み、
   皆で浜に出て、月見をしているときの歌です。
  どうも大使の次男である割に、
    ありきたり過ぎて切れがありません。
   寂しくて気が乗らないのでしょうか、
     かと思えば他の者たちも、

天の原(あまのはら)
  振(ふ)り放(さ)け見れば 夜ぞ更けにける
 よしゑやし
   ひとり寝(ぬ)る夜は 明けば明けぬとも
          よみ人しらず 万葉集15巻3662

     「旋頭歌」
天空を 振り仰げば
   すっかり夜も更けてきた
  それならそれでいい
     ひとりで寝るよなど 勝手に明ければいい

夕されば 秋風寒し
  わぎも子が 解(と)き洗(あら)ひごろも
    行きてはや着む
          よみ人しらず 万葉集15巻3666

夕暮れは 秋風が冷たい
  愛する妻が 仕立て直してくれた着物を
    帰ってはやく着たい……

 どうも皆さまこれから先の、
  荒海を渡って他国へ向かうことの、
   困難さばかりが思われて、月を眺めても、
  なんの興も湧かずに、都を恋しがるような愚痴ばかりを、
 和歌にゆだねているようです。
  このような心情の時は、
   どうしても同じような和歌ばかりになってしまいます。
    韓亭(からとまり)に移っても、
      [糸島半島先端付近]

大君(おほきみ)の
  遠(とほ)の朝廷(みかど)と 思へれど
    日長(けなが)くしあれば 恋ひにけるかも
      阿倍継麻呂(あべのつぐまろ) 万葉集15巻3668

大君の 遠の朝廷と賞される
  大宰府まで使わされ これから他国へ向かう
 その栄光を思っても 旅の日数が重なるうちには
   家が恋しくなってたまらない

 帝(みかど)の命を掲(かか)げるべき、
   大使でさえもこの有様ですから、

旅にあれど
   夜(よる)は火ともし 居(を)るわれを
  闇にや妹が 恋ひつゝあるらむ
      壬生使主宇太麻呂(みぶのおみうだまろ)  万葉集15巻3669

旅先ではあっても
  夜にはこうして 火をともしている私のことを
 闇の中で妻は 恋しがっているのであろうか

 部下がだらしなくなるのも、
   仕方のないことかもしれません。
  停泊地が移っても、

天飛(あまと)ぶや
   雁をつかひに 得てしかも
  奈良の都に 言告(ことつ)げやらむ
          よみ人しらず 万葉集15巻3676

空を飛ぶ
   雁を使いに 出来たらいい
  奈良の都に 伝言を頼みたいから

帰り来て
   見むと思ひし 我が宿の
  秋萩すゝき 散りにけむかも
          秦田麻呂(はだのたまろ) 万葉集15巻3681

みやこに帰ってから 見ようと思っていた
  わたしの家の 秋萩や芒(すすき)は
    もう散ってしまったろうか

 すっかりだらしなくなっています。
  それでも船は旅立ちます。
   松浦(まつうら)から離れれば、
  壱岐島(いきのしま)はもう外国への、
   はじめの一歩を踏み出して、
    もう後へは戻れません。
     それなのに不安を煽(あお)るように、
      とうとう急な病による、
       死者が出てしまいました。

     『挽歌』
新羅(しらき)へか
  家にか帰る 壱岐(ゆき)の島
 行かむたどきも 思ひかねつも
          六鯖(むさば) 万葉集15巻3696

     「死者への追悼歌」
新羅へ向かうか それとも家に帰ろうか
  「行きの島」の名称通り 行かなければならない
 でもその方針さえも もはや思い切れなくなってしまった

 沢山の人が和歌を詠みました。
  あるいは霊をなだめて、
   旅の安全を祈願する意味も、
    あったのかもしれませんが、
   旅の途中で亡くなるということが、
  もう故郷には戻れないかも知れないということが、
 はじめてリアルな実感として、
  皆のこころに浮かんで来たようです。
   それでも対馬へ向かいます。
    それが大君の命令です。

もゝ船(ふね)の
  泊(は)つる対馬(つしま)の あさぢ山
 しぐれの雨に もみたひにけり
          よみ人しらず 万葉集15巻3697

沢山の船が
  停泊する対馬の 浅茅山は
    時雨に打たれて すっかり色づきました

 とうとう対馬まで来てしまいました。
  ここまで来たら太宰府に戻るより、
   朝鮮半島に渡った方が近いくらいです。
    対馬の美津島(みつしま)、竹敷(たかしき)の浦では、
   それぞれに和歌が詠まれていますが、
    ここを過ぎれば異邦の地であることを、
     それぞれに思い描いていたからかもしれません。

竹敷(たかしき)の 浦廻(うらみ)のもみぢ
  われ行きて 帰り来るまで
    散りこすなゆめ
      壬生使主宇太麻呂(みぶのおみうだまろ) 万葉集15巻3702

竹敷(たかしき)の 浦の紅葉(もみじ)よ
  わたしが旅だって 戻ってくるまで
    散るのではないぞ 決して

 それに答えるように、島の女性が、
   和歌などを贈ってくれるのでした。

もみち葉の
   散(ち)らふ山辺(やまへ)ゆ 漕ぐ船の
 にほひにめでゝ 出でゝ来にけり
          対馬の娘子、玉槻(たまつき) 万葉集15巻3704

紅葉の散り乱れる 山辺を漕ぐ船の
   あざやかな色に誘われて こうしてやって参りました

竹敷(たかしき)の
   たま藻(も)なびかし 漕ぎ出(で)なむ
  君がみ船を いつとか待たむ
          対馬の娘子、玉槻(たまつき) 万葉集15巻3705

竹敷(たかしき)の
  取りついた海草をなびかせて
    さっそうと漕ぎ出していく
  あなた方の船を いつかと思ってお待ちしましょう

 それですこし盛り上がって、
   宴なども行われたのかも知れませんが、
  もうすぐ出発と思うとまた、
    それぞれに郷愁ばかり湧いてくるのでした。

家づとに 貝を拾ふと
   沖辺(おきへ)より 寄せ来る波に
  ころも手濡れぬ
          よみ人しらず 万葉集15巻3709

家のお土産に 貝を拾おうとして
   沖の方から 寄せてくる波に
  袖を濡らしました

 実は波のせいではなく、
   めそめそ泣いた涙です。

わが袖は
   手(た)もと通りて 濡れぬとも
 恋わすれ貝 取らずは行かじ
          よみ人しらず 万葉集15巻3711

わたしの袖が
  手首から全部濡れてしまっても
    恋を忘れるというわすれ貝は
  取らないで行きはすまい

 しばらくでも、胸の苦しさを忘れられるように、
  とうとう貝殻に頼ろうとし始めてしまいます。

ひとりのみ
   着寝(きぬ)るころもの 紐(ひも)解かば
 誰れかも結(ゆ)はむ 家遠くして
          よみ人しらず 万葉集15巻3715

ひとりで 着て寝る服の 紐をほどいたなら
  誰が結んでくれるというのだろう
    こんなに家が遠くて……

 もはや、自分で服も着れない有様です。
  こんなだらしない一行で、
   果たして大丈夫なのでしょうか。
    大いに不安を感じますが、
   残念ながら、和歌の旅行記はこれでおしまい。
  新羅での歌は残されてはいないのでした。

 そして、連作の最後の部分には、
   新羅から帰って、播磨国(はりまのくに)まで戻ってから、
       [兵庫県南西部]      みやこへ戻る直前の和歌を五つ加えて、
       事後談のように閉じています。

ぬばたまの
   夜明かしも船は 漕ぎ行かな
  三津(みつ)の浜松 待ち恋ひぬらむ
          よみ人しらず 万葉集15巻3721

(ぬばたまの)
   夜を明かしてでも船を 漕ぎ続けて行こう
  あの日旅だった 三津の浜松も
    きっと待ち焦れているだろうから

大伴(おほとも)の
  三津(みつ)の泊(と)まりに 船泊(は)てゝ
 竜田(たつた)の山を いつか越え行かむ
          よみ人しらず 万葉集15巻3722

大伴の 三津の泊(とまり)に 船を泊めて
   竜田の山を 早く越えて行きたい

 あるいはこの和歌群は、大和から離れるに際して、大和への郷愁を込め、それをもって旅の祈願に見立てた、膨大な長歌の代わりに、連作の和歌を置いたものででもあるのでしょうか。そうして帰省直前の、添えられた和歌がまるでその、反歌のように思えてくる。
 なんだか不思議な構造物なのでした。

中臣宅守と狭野弟上娘子の往復書簡集

 何の罪かは分かりませんが、越前国(えちぜんのくに)[福井県東部あたり]に流罪(るざい)となった中臣朝大臣宅守(なかとみのあそみやかもり)と、都に残された妻、狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)の、短歌の贈答が繰り返され、最後に中臣朝大臣宅守の、花鳥にゆだねる和歌でまとめるという趣向です。狭野弟上娘子の別れ際の短歌から始まりますが、ここではその後の、すでに越前国にいる宅守(やかもり)の短歌から。

思ひつゝ
   寝(ぬ)ればかもとな ぬばたまの
 ひと夜もおちず 夢(いめ)にし見ゆる
          中臣朝大臣宅守 万葉集15巻3738

思いながら 眠るからでしょうか
   (ぬばたまの) ひと夜も欠かさず
  あなたが 夢に見えるのは

かくばかり
   恋ひむとかねて 知らませば
  妹をば見ずそ あるべくありける
          中臣朝大臣宅守 万葉集15巻3739

これほどに
  恋しいとあらかじめ 知っていたら
    あなたに逢わないで いたらよかった

逢はむ日を
   その日と知らず 常闇(とこやみ)に
 いづれの日まで 我(あ)れ恋ひをらむ
          中臣朝大臣宅守 万葉集15巻3742

会える日が
  いつであるとも分らずに 常に闇のなかで
    いったいいつまで 私は恋しがらなければならないのか

 わざと過剰に使用した、「逢はむ日」「その日」「いづれの日」の「日」は、ここでは、言葉のリズムのためというより、押さえきれない心情を、表明したように思われます。それに対する、都からの狭野弟上娘子の短歌。

人の植(う)うる
   田は植ゑまさず 今さらに
 国別(くにわか)れして 我(あれ/われ)はいかにせむ
          狭野弟上娘子 万葉集15巻3746

田植えをする時期なのに 田植えもなさらないよう
   そんな風に 今すべきことを投げ出すみたいに
  他の国へ別れて行ってしまって
     わたしはどうしたらいいのです
   (今すべきことをどうするつもりです……)

[結婚をしたら、稔りのためにすべき事があるのに、結婚した今更に、国を隔てて分かれるなんて、いったい私はどうすれば良いのよ。という意味かと思われます。読み解くキーワードは「いまさらに」にあるかと思われますが、結句の思いに対して、かつて田植えをしたなどという解釈は、いくら何でもピントがずれているかと思われます。]

我が宿の
   まつの葉見つゝ 我(あ/わ)れ待たむ
 はや帰りませ 恋ひ死なぬとに
          狭野弟上娘子 万葉集15巻3747

わたしの家の 庭の松の葉を
   待つにゆだねて 眺めながら
  わたしは あなたを待ちましょう
 はやく帰ってきてください
  恋しくて死んでしまう前に

 なかなかに熱いカップルです。
  答えて、宅守(やかもり)の歌。

向かひゐて
   ひと日も落ちず 見しかども
  いとはぬ妹を 月渡るまで
          中臣朝大臣宅守 万葉集15巻3756

向かい合って 一日も欠かさず
   眺めていても 飽きないあなたを
  もう月が変わるまで……

さ寝(ぬ)る夜は 多くあれども
   もの思(も)はず やすく寝(ぬ)る夜は
  さねなきものを
          中臣朝大臣宅守 万葉集15巻3760

寝る夜は 沢山ありますが
  物思いもなく 安らかに眠る夜は
 まったくありません

 これに対して、
   また娘子(をとめ)。

帰り来(け)る
  人来たれりと 言ひしかば
    ほと/\死にき
  君かと思ひて
          狭野弟上娘子 万葉集15巻3772

(恩赦によって罪を許され)
  帰ってきた人が 到着したと聞いたので
    あやうく死ぬところでした
  あなたかと思った ぬかよろこびで

君がむた 行かましものを
   おなじこと 後(おく)れて居(を)れど
     良きこともなし
          狭野弟上娘子 万葉集15巻3773

あなたと一緒に行ければよかったのに。
   あなたの気持ちと一緒です。
  みやこに残されていても、
     なにも良いことはありません。

[「~がむた」は「~と共に」の意味、現在の表現から乖離しているので、突っかかりやすい言葉は、逆に覚えてしまう方が便利。とはいえ、そんなにはお目に掛からないか。]

 再度、宅守(やかもり)。

今日もかも
   みやこなりせば 見まく欲(ほ)り
 西のみ馬屋(まや)の 外(と)に立てらまし
          中臣朝大臣宅守 万葉集15巻3776

今日もしていたでしょう、
  もしみやこに居たなら……
    あなたが見たいばかりに、
  西の馬屋の外に、立っていたことでしょう。

[「見まく欲り」というのも、奇妙な表現に感じるかもしれませんが、「見ることを欲する」ということで、今は「見たい」くらいの意味であると、とどめておけば良いでしょう。]

 続けて娘子(おとめ)の返事を挟んで、
  最後に宅守(やかもり)。
   『花鳥に寄せ思ひを陳べる歌』七首の最後の短歌。

ほとゝぎす
   あひだしまし置け 汝(な)が鳴けば
 我(あ)が思(も)ふこゝろ いたもすべなし
          中臣朝大臣宅守 万葉集15巻3785

ほととぎすよ しばらく間をあけてくれ
   お前が鳴くと わたしの恋心が
 どうにもやりきれなくなってしまうから

 これで巻第十五は終了ですが、「遣新羅使」のものと同様、最後の短歌群がまるで反歌のように、置かれているのが特徴です。なにしろユニークで、恋人たちの感情が、主情主義であるのも私たちに、却って伝わりやすいのではないでしょうか。

巻第十六

 この巻は、言ってみれば付録のような巻です。しかも、付録だと言うことを言い訳にして、様々な遊び歌、宴会芸のような短歌、勅撰和歌集では「物名(もののな)」と呼ばれる、内容とは関係のない言葉を折り込んだ歌。果てには、何を言っているのだか分からない短歌など、様々なものが収められています。かと思えば、「竹取物語」のお爺さんが主人公である、「竹取の翁(たけとりのおきな)」の長歌とそれに答える娘らの歌があったり、最後はお化けの短歌?
……かどうかは知りませんが、
 人魂(ひとだま)を持って巻を閉ざすという、
  まさに豪華な番外編になっているのです。

 別にいじわるではありませんが、
  そんな面白い歌も、今回はちょっとだけかじって、
   さくさくと次へ参ります。
  何しろ紹介が、あまりにも膨大になってきましたから。

     「黒き色を笑ふ歌一首」
ぬばたまの
  斐太(ひだ)の大黒(おほぐろ) 見るごとに
    巨勢(こせ)の小黒(をぐろ)し 思ほゆるかも
          志婢麻呂(しびまろ)こと、土師宿禰水通(はにしのすくねみみち) 万葉集16巻3844

ぬばたまの 闇の黒とでも言えようか
   斐太の大黒よ お前を見るたびに私は
      巨勢の小黒のことまで一緒に
   思い浮かべてしまうのだ

 やれやれ、
  何の事やらさっぱりです。
   とうとうご乱心ですか。
  そう思った方もおられるでしょうか……

 状況を説明します。
  巨勢朝臣豊人(こせのあそみとよひと)という人がいます。
 彼が歌に詠まれる、小黒(おぐろ)というあだ名です。他にも巨勢斐太朝臣島村という人がいます。この人のあだ名が大黒(おおぐろ)です。二人とも顔が真っ黒です。それで大黒、小黒です。

 この和歌はその大黒を、斐太(ひだ)名産の黒馬に掛けて、「ぬばたまの斐太の大黒」とたとえながら、その斐太の黒馬を見ていると、小黒の事も思いだすぞ、とからかったのです。あるいは大黒と一緒に仕事でもしているので、一緒にいない小黒の方に、短歌を送りつけたのかもしれません。もちろん小黒の方が、短歌で復讐を計ります。

     「答ふる歌一首」
駒(こま)つくる
  土師(はじ)の志婢麻呂(しびまろ) 白くあれば
    うべ欲しからむ/欲しくあらむ その黒き色を
          小黒こと、巨勢朝臣豊人(こせのあそみとよひと) 万葉集16巻3845

埴輪の駒を作るのが仕事の
   土師(はじ)のしびまろは、白い顔だから
  まったく欲しがるのも無理はない
    その俺たちのすばらしい黒さをな

これまた、説明を要します。
 土師氏(はじうじ、はじし)はもともと古墳を作り、葬儀を執り行う一族で、特に古墳に使用する埴輪(はにわ)作りで知られていました。もちろんこれは、短歌の送り主である土師宿禰水通(あざなを志婢麻呂という)の事を指して入る訳です。それで、言わんとすることは、

「お前なんかもともと、斐太産の馬どころか、
  偽物の埴輪の馬を作っていたのだろう。
   おまけに顔が白いものだから、
  本物の黒さにあこがれるんだろう」

と、落書きしながら、ふと思ったことですが、実は土師宿禰水通という人の顔も、かなり黒かったのではないでしょうか。そんな黒い奴が、相手の黒さを、しかも大黒の付属物みたいに、小黒と貶めて言ったので、何だとこの野郎、「お前みたいな白くて、偽物の馬の一族なら、俺たちの黒さにあこがれるんだろう」と切り返したのかもしれません。つまり黒い奴ら同士の冗談として……
 もちろん、何の根拠もありません。

 ところで、説明を要しなければ分からない滑稽なんて、
  滑稽じゃないと思うかも知れませんが、
 そもそもこの短歌の応酬は、『万葉集』からして、説明書きがあってはじめて、他の人が納得できるような、当人たちだけの分かりうる諧謔性、簡単に言えば、冗談の贈答歌になっています。編纂者は、それと知っていて、あえて巻第十六に収めているのです。このあたり、付録の面白さというか、当時はこんな当人たちだけにしか分からないような、いたずらの応酬があったのかと、初めて知ることが出来る。

 まさか、そんな当たり前の応酬が行なわれていた日常が、いつか消えてしまう未来のために、生きた和歌社会そのものを残そうとしたと言うほど、ロマンチストではありませんが……

 その和歌の生のおかしさなどもはや分からず、
  ただ諧謔めいた和歌が残されている事に、
   ありがたくてちょっと襟を正してしまうような……
  詠んだ当人からしてみれば、もっとも滑稽なのは、
 今の私たちなのかも知れませんね。

飯食(いひは)めど うまくもあらず
  ゆき行けど 安くもあらず
    あかねさす 君がこゝろし
  忘れかねつも
          (侍従の女) 万葉集16巻3857

ご飯を食べても 美味しくないし
  どこに行っても 安らかでないし
    きれいな色した あなたの心が
  忘れられないでいるのです

  こちらも、『万葉集』には状況が説明されています。
 簡単に述べると、お仕えが忙し過ぎて夫に会えない妻が、わあわあ泣きながらこの歌を歌うので、お偉いさんが、仕事を許して逢わせてやったというものです。きわめて分かりやすい、「短歌ではない和歌」になっているのでは無いでしょうか。

 ところで「長歌」というと、柿本人麻呂のような、長大なものを仕立てなければならないと考えがちですが、このくらいの、ほんのちょっと多めに「五七」を続けるだけでも、もう長歌なのですから、皆さまもそろそろ、短歌だけを作ることから、ステップアップして、今度は長歌も作ってみましょう。いろいろな詩形がある今日となっては、たったひとつの詩形にこだわるなんて、いくら世界に誇る島国根性だからって、あまりにもちっちゃ過ぎますから。俳句に小宇宙を見る人などは、わたしは小宇宙に失礼なように感じるくらいです。

まとめ 中歌(ちゅうか・なかうた)

 折角ですから、先ほど眺めたような、いくつか「五⇒七」を繰り返して、「五⇒七⇒七」で閉ざすものを、仮に中歌(ちゅうか・なかうた)と命名しましょう。そうして、今まで短歌を作ってきたのと同じように、いくつか作ってみるのが愉快です。文章が伸びただけ、描きたいことも自由に描けますから、ちょっとした物語だって、描けるところが便利です。

 もちろんそれを解体して、散文詩にしたってよいのです。ただ実際に作られている方は、そろそろお気づきかも知れませんが、あえて定まった詩型に落とし込むことによって、かえってそれが散文の落書きではない、詩としての必然性のようなものが感じられてくる。定型詩には、そのような魅力があるものですから、韻文詩(いんぶんし)にこだわることも、十分に意義はあるのです。

 これまで短歌を作ってきたのと同じです。
  ただ[五⇒七]と繰り返される所を、短歌なら二回で最後の[七]を加えますが、それを三回四回と伸ばしていけば良いのです。気が乗ってきたら、五回六回とくり返し、長くなったらそれはもはや、「長歌(ちょうか)」と呼ばれる作品には違いありません。

 こんなことをお奨めするのも、皆さまには短歌だけが詩のジャンルであるなどと、凝り固まって欲しくないからです。たとえ短歌が好きになったら、それを中心に添えて構わない。でも一つの詩型に固執(こしゅう・こしつ)しないで、いろいろな表現を渡り歩くような、自由な詩的生活を、目指してくださったらと願っているものですから。

 それでは、どうぞ、
   何でもまずはやってみましょう。
     詩型が馴染まないと違和感があるかも知れませんが、
   次第に着こなせるものには過ぎません。
 慣れてきたら、きっと面白いと思います。

暴れても 答えは出ねえ
  わめいても 助けちゃくれねえ
    がんばれや 自分の足で
  歩けこのやろ
          子守歌 いつもの彼方

     「どこが子守歌?」
クラクション 鳴らして止めて
  待たせたね 気障なしぐさで
    着こなした 振りしても駄目
 本当は だらしないから
   未来まで 守ってあげます
     お気に入りあなた
          六行詩 時乃遥

     「折檻歌では?」
鉢植えの バジルつついて
  あきらめて 逃げる小鳥の
    道連れに かおりは風に
  潮風のする 初夏の青空
          四行詩 時乃旅人

さようなら
  これでおわかれ この章は
    いたずら好きの 終りして
      いよいよ次は 家持の
    十七巻で 逢いましょう
  また会う日まで おやすみなさい
      たとえばこんな形式も
         時にはあってもいいのです。
     それじゃあさよなら。

               (つゞく)

2016/04/30
2016/06/08 改訂

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