梁塵秘抄 四句神歌雑二の朗読

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梁塵秘抄、巻第二 四句神歌の朗読

四句神歌 雑その二

くすはのみまきの どきつくり
  どきはつくれど むすめのかほぞよき
 あなうつくしやな
  あれを みくるまの よくるまの
   あい行(ぎやう)てぐるまに うちのせて
  受領(ずりやう)の きたのかたと いはせばや (376)

[楠葉にある、みかどのための牧場あたり
あの楠葉の土器造りたちのうちの一人
その土器造りは、土器造りではありながら
娘の顔がすぐれている
(ああ、まったく、美しい顔だなあ)
あの子を、三車(みくるま)も四車も連ねた
愛行手車(=婚礼の台車)で運ばせて
受領の奥さんにでもして
北の方なんて呼ばせたい]

あまはかくこそ さぶらへど
  大安寺の一万法師(いちまんほふし)も をぢぞかし
 をひもあり
  東大寺にも修学(しゆがく)して こもゝたり
   あまけのさぶらへば
    ものもきで まゐりけり (377)

[この尼はこのような姿ではありますが
大安寺の一万法師だって伯父に持つのです
甥だっているのです
東大寺にだって修学して
今では子供さえある身です
ただ雨が降りそうなばかりに
よい着物も着ないままで
こうして参ったばかりなのです
(そんな憐れみの目で見るのは
どうか止めてください)]

いけのすめばこそ
 そらなる月かげも やどるらめ
  おきより こなみのたちきて うてばこそ
 きしも うはなりうたんとて くづるらめ (378)

[池の水が澄むからこそ
空にある月のひかりも
水面に宿るのだろう
沖の方から小波の立ち来て
打ち付けるからこそ
岸も、気にくわない後妻を
なぶり者にしようとばかりに
ぶち当たっては崩れるのだろう]

[「後妻打ち(うわなりうち)」は、正妻や前妻が、後妻や妾に対して徒党を集って、相手の家などを襲撃して家財を破壊したりする行為。後には予告の上におこなう、一種の行事のようなものになっていったようだが、この当時からそうであったものか、我は知らず]

月かげ ゆかしくは
 みなみおもてに いけをほれ
  さてぞ みる
 きんの ことのね きゝたくは
  きたの おかの うゑに
   まつを うゑよ (379)

[月の様子を知りたければ
屋敷のみなみ正面に池を掘れ
その池の水面より月を見る
「琴(きん)の琴」の響きを
聞きたければ
北にある丘の上に
松を植えるがいい]

[「月影」に「黄金」を掛けて、お宝を埋蔵した場所を解き明かすような、ちょっと怪しい気配の漂うような歌]

あそびのこのむもの
 雑芸(ざふげい) つゞみ こはしぶね
  おほがさかざし ともとりめ
   をとこの あいゝのる 百大夫(ひやくだいふ) (380)

[遊女(あそび)の愛好するもの
今様などのさまざまな芸
その拍子を取る鼓
さてその鼓を手にとって
宴の舟へと出向かうのは小端舟
その舟に遊女を乗せて向かうとき
大傘をかざす女は大傘翳(かざし)だし
小舟の舵を取るのは艫取女(ともとりめ)
そうして向かう遊女はと言えば
男の愛の変わらないようにと
百大夫の神に祈っているよ]

[「遊女(あそび)」どもは、拠点の街に並べられた川の大船に、客を求めて小舟に乗って三人一組で出向く存在だった様子で、初めの「雑芸」「鼓」「小端舟」が必需品であると述べておいて、続いてその三人の役割と様相を述べた歌である。元来は貴人にのみ許されている「おほがさ」を翳(かざ)すのは老女の役割だったらしい。ならば舵を取るのは見習いか、それは知らず。歌において、物と人とが多少対応を意識されていると考えるならば、「小端舟」のようにゆらゆら揺れる心を持って、男の愛を百大夫に祈っている遊女、という解釈も成り立つか。百大夫は、道祖神(どうそしん)とも重ね合わせられるが、遊女や傀儡子の信奉する神で、木像などをそれぞれ刻んで、拝むたぐいのものらしく、男根と関わりの深い神であるとされる]

もろこし たうなる たうのたけ
 よきふし ふたふし きりこめて
  よろづの れうらに まきこめて
 一宮(いちのみや)にぞ たてまつる (381)

[もろこしと呼ばれる唐(とう)、その唐の竹
その優れた節を、二節ばかり切っては笛として
さまざまな綾羅(りょうら)に巻結んで
一宮の神社にこそたてまつろう]

[「綾羅」は綾織(あやおり)をした綾絹(あやぎぬ)や、薄絹(うすぎぬ)といった絹物の総称。一宮は第一神社くらいの意味なれど、あるいは具体的な神社をさすか。時の皇子とする説もあり]

ふしの やうがるは
 きのふし かやのふし
  わさびの たでのふし
   みねには やまぶし
    たにゝは かのこふし
   をきなの
    びんでう まりえぬ
     ひとりぶし (382)

[「節」の中でも風変わりなのは
木の節、萱(かや)の節
いやいや山葵の、あるいは蓼(たで)の節
(いやいやそんなのちっとも風変わりじゃないよ)
そうさ、峰には山伏(やまぶし)が居るし
谷には鹿の子供(鹿の子)が臥しているし
爺さんなんか
美女(びんじょう)と結婚できずに
一人で臥しているのさ
(たいした風変わりな「ふし」じゃないの)]

すいたの みゆのしだいは
 一官(いちかん) 二丁(にちやう)
  三 安楽寺(あんらくじ)
   四には四王寺(しわうじ)
    五 さぶらひ
   六 ぜんふ
  七九八丈 九けん丈
 十には こくぶんの むさしでら
よるは 過去の 諸衆生(しよしゆじやう) (383)

[次田(すいた)温泉のお湯の次第(=順)は
一に官人、二は丁の人
三は安楽寺の坊さんたち
それから四に四天王寺の僧
五には武士ども
六には膳を整え終えた膳夫(ぜんふ)たち
七と八は飛ばして、その変わり
七九八丈なんて語呂合わせしながら
九は太宰府を護衛した{丈(けんじょう)たち
十にようやく国分寺である武蔵寺の僧たち
そうして深夜になれば
むかしの諸々の人たちが
お化けとなって入っているよ]

[次田は、現在の福岡県筑紫野市にある二日市温泉の古名。安楽寺は太宰府の天満宮と共に当地の中心的寺院だった。つまりこの数え歌は太宰府あたりで、温泉に入る順番と言えば、といったところ。数のすっ飛ばしと最後に落ちを付けた、数え歌の系譜のはしりだが、あるいは童歌などの数え歌を今様化したものか。]

娑婆にゆゝしく にくきもの
 法師の あせる あがりうまにのりて
  かぜふけば くちあきて
 かしらしろかる をきなどもの
  わかめごのみ
   しうとめの あまぎみの
    ものねたみ (384)

[この世で忌まわしくも憎たらしいもの
坊さんの焦(あ)せり狂う荒馬に乗って
風を切るときは口なんかぽかんと開けて
かと思えば頭の白くなった老人どもが
若い女ばかり好むありさま
しゅうとめは尼にもなったというのに
息子の妻をねたんでは虐めていやがるよ]

にしやまどほりに くるきこり
 をせをならべて さぞわたる
  かつらがは
 しりなるきこりは しんきこりな
  なみにおられて しりづゑすてゝ
   かいもとるめり (385)

[西山通りに来る樵夫(きこり)
を背なか並べてさあ渡るぞ
桂川(かつらがわ)を
舟尻に居る樵夫は新しい樵夫だな
波に揺られながら
坐るための尻杖なんか捨て去って
懸命に櫂を取っているようだ]

からすはみるよに いろくろし
 さぎは としはふれども なほしろし
  かものくびをば みじかしとて つぐものか
 つるのあしをば ながしとて きるものか (386)

[からすは見る世に変わらず色が黒い
サギは歳を取ってもなお白い
カモの首が短いからって
だれが継ぎ足すものか
ツルの足が長いからといって
だれが切ったりするものか
(自然なあり方を変えようとするな
ありのままでいいじゃないか)]

[小学館の『日本古典文学全集42』の解説より引用すれば、「儒家の仁義の思想に反対して、人間本来の自然のあり方を主張する『荘子』の比喩二つを巧みに合成し、和訳したもの」とある]

ことりのやうがるは
 四十からめ ひはどり つばくらめ
  三十二相たらうたる てらつゝき
   をし かも そひ にほどり
  川にあそぶ (387)

[小鳥のうちで興味深いものは
身近には四十雀、鶸(ひわ)、つばめ
山に行けば、寺に続くみたいな名前だから
仏の三十二相さえ足りているものかキツツキ
鴛鴦(おしどり)、鴨(かも)
ソニドリ(=カワセミ)
鳰鳥(におどり)(=カイツブリ)は
川に遊ぶ鳥さ]

[「しじゅうからめ」の「め」は「つばめ」の「め」と同じで、鳥に付く接尾語だそう。三十二相は仏の体に備わっているとされる三十二の特徴、体が黄金に輝くとか、四十の歯を持つとか三十二の外的特徴。福耳や眉が長いなどの微細な特徴である八十種好(はちじゅっしゅこう)と合わせて三十二相八十種好という。]

にしの京ゆけば
 すゞめ つばくらめ つゝどりや
  さこそきけ
 いろごのみの おほかるよなれば
  人はとよむとも
   まろだに とよまずは (388)

[西の京(右京)へ行けば
スズメやら、ツバメやら、ツツドリやら
騒がしいくらいに囀ってるって聞くよ
色ごのみの多い世の中だからって
みんなで囀りたわむれているけれど
自分さえ囀りたわむれなかったら……
(いや、ちょっと危ういかな)]

[鳥の名は、ある種の女どもの例えか。「筒鳥(つつどり)」はカッコウ目のカッコウに似た鳥]

きんだちすざかは きのいち
 おほはら しづはら
  ながたに いはくら やせの人
   あつまりて
    きやみす ゝみやめす
  たらひぶね しなよしや
   ぼうしにきね かへたべ 京の人 (389)

[公達(きんだち)の路みたいだね
大通りの朱雀通りは、木の市ともなれば
大原、静原、長谷、岩倉、八瀬の人たち
集まってきては、木を見たり
炭を召しては抱えたりしているよ
「たらいぶねの品質がいいねえ」
「帽子と杵(きね)を交換してよ京の人」
なんて言いながら]

[最後の行は、「法師に巫(きね)換えたべ」などと読まれたりする。ただしそれだと、はなはだしくも意味不明である。「帽子に杵」も変なれど、学術的ならざる朗読版なれば許されたし]

あはぢのとわたる ことひこそ
  つのをならべて わたるなれ
 しりなるめうしの うむことひ
   せまだら こめうしは いまぞゆく (390)

[淡路の海峡を渡る特産の牛(=ことひ)こそ
角を並べて海峡を渡っていくよ
最後に行く雌牛の生んだ特牛(ことひ)
背まだらの子雌牛は、今こそ行くよ]

[(385)の樵夫の詩と似ているが、樵夫の方は最後に控えた新樵夫にスポットがあたるのに対して、こちらは最後に控えた雌牛が生んだ子牛にスポットがあたるゆえに、焦点が尻の雌牛から前に戻って、先をゆく子供たちへと当てられるのが、ちょっと凝っているか。淡路の特産の力強い牛だからこそ、海峡だって自ずから連なって渡っていくのだというデフォルメを込めているようだ。もっとも雌牛の生んだ子雌牛だと知っていることを捉えて、飼っていた牛たちが運ばれていくよと、悲しみをわずかに込めた解釈も成り立つ。これだとちょっとドナドナの心境になるか。]

をかしくかゞまる ものはたゞ
 えびよ くびちよ めうしのつのとかや
  むかしかぶりの こじとかや
 をきなの つゑついたる こしとかや (391)

[面白い様子に曲がっているものは
エビだよ、獣を捕らえる罠のクビチだよ
雌牛の角の格好とかだよ、それから
むかしかぶったという、冠の突き出た部分
すなわち巾子(こじ)とかだよ
それから、爺さんの杖をついている
その腰とかだよ]

うばらこぎの したにこそ
 いたちがふえふき さるかなで
  かいかなで
   いなごまろめで 拍子(はうし)つく
  さて きり/”\すは
   鉦ご(しやうご)の /\ よき上手 (392)

[茨(いばら)の小木(=小枝)の下にこそ
イタチは横笛を吹いて、猿は舞を奏(かな)で
その腕(かひな)を舞奏で
イナゴ麻呂ははやして拍子を打つ
さてこおろぎはと言えば
鉦鼓の、そうさ鉦鼓の達人さ]

[イナゴ麻呂はイナゴのことではなく、ショウリョウバッタのこと。細長い棒の様子で勢いよくジャンプする姿を、笏(しゃく)で拍子を打つことに見立てたか。きりぎりすも、今日のコオロギにあたり、鉦鼓は雅楽で使用する、金属板を叩いて慣らすドラのようなもの]

あしこにたてるは なに人(びと)ぞ
 いなりの しものみやの大夫(たいふ) みむすこか
  真実(しんじち)の太郎なや
にはかに あかつきの兵士(ひやうじ)に ついさゝれて
 のこりの衆生(しゆじやう)たちを
  平あんにまもれとて (393)

[あそこに立っているのはどこの誰だ
ああ、稲荷は下宮の神官の息子さんか
本当に立派な跡取り息子(=太郎)だなあ
にわかに明け方の兵士として付き指されて
つまりは指名されて
残された生ける人々を
平安に守れと言われて
(ああして、あそこに立っているのだから
本当に立派な跡取り息子だなあ)]

女のさかりなるは
 十四五六さい 廿三四とか
  三十四五にし なりぬれば
 もみぢのしたばに ことならず (394)

[女性のさかりは
十四、五、六歳から、二十三、四歳だとか
三十四、五にもなったなら
紅葉の下葉と変わらないってね]

えびすい とねりは いづくへぞ
 さいすい とねりがり ゆくぞかし
  このえに えびなし おりられよ
   あのえに ざこうの ちらぬまに (395)

[海老をすくい取る舎人はどこへ行くのさ
小魚(さい)取りの舎人の所へ行くんだって
(そうしたらこう言われたのさ)
この江には海老なんかいない、あっちの江に降りろよ
あっちの江にいる雑魚どもが散っていなくなる前にさ
(でもなんか変だよね
小魚取り自身が降りないんだからね)]

[舎人(とねり)は貴人の近習で雑役などをおこなう者]

いざたべ となりどの
 おほつのにしのうらへ ざこすきに
  このえにえびなし あのえへいませ
 えびまじりの ざこやあると (396)

[(395番からの続きと考えるなら、海老すい舎人があっちの江とやらに降りたところが、そこにはまた別の雑魚すい舎人だかなんだかが控えていて、海老すい舎人に語りかけるには)
さあさあ参りなさいよお隣さん
大津の西浦へ雑魚どもをすくい取りに
ここの江には海老なんかいませんよ
あの大津の西浦の江へ参りなさい
海老のまじった雑魚どもが取れますから
(海老だって取れるに違いありませんよ)]

[なんだが、自分の狩り場を得られず、騙くらかされて、あちらこちらをふらふらと徘徊する海老すい舎人の様相を、戯画的に描いたように思われて来る]

みるに心のすむものは
 やしろこぼれて ねぎもなく
  はふりなき
 のなかのだうの またやぶれたる
  こうまぬしきぶの おいのはて (397)

[見るに心の澄みわたるような侘びしさは
神社のやしろの壊れ朽ちて
もはや禰宜(ねぎ)(=神官職)も居らず
禰宜に仕えるべき祝(はふり)(=神官職)も居ない
野中にある堂の、同じように破れ朽ちたもの
そのような所に住んでいるという
子を産まなかったという、かの式部の
老いの果ての姿こそ…… (398)]

[ある特定の式部の伝説をかように歌ったものかも知れず]

をとこを じせぬひと
 かもひめ いよひめ かづさひめ
  はしにあかせる ゆめなみのずしの人
 むろまちわたりの あこほと (399)

[男を拒めない人はと言えば
賀茂の姫君、伊予の姫君、上総(かずさ)の姫君
端(はし)の方で飽(あ)かせる、つまりは
満足させてくれるという、あの
夢なみの辻子(ずし)(=小路)の人
それから、室町あたりの「あこほと」]

[もと三行目「はししあかてるゆめなみのすしの人」は解読困難の部分。最後の「あこほと」も何を指すか不明だが、あるいは遊女や売春婦などの一種を指すか。賀茂、伊予、上総の姫君も恐らくはその手の女性を指すと思われる。初めの「をとこをじせぬひと」も「男を辞せぬ人」(断れない人)と「男怖じせぬひと」(恐れない人)の解釈があり、解釈がすっぱりと下せない詩だが、謎の「ゆめなみのすしの人」によって忘れがたい作品となっているのも事実である。ちなみに最後の部分、「吾子(あこ)」「陰(ほと)」という芸名とする解釈もあるそうだが、もしその字を当てはめるなら、「吾子のような陰(ほと)」をもった女ども、すなわち少女趣味的な売春宿か何かの表現かと思われる]

[後述。はじめ「橋に明かせる」と解釈したが、全体の意味を推し量れば、そのようなメルヘンチックな詩ではないと思われる。しかも「男を恐れない」は少しうがちすぎかと思われる。この歌は男を辞さない女性を列挙したものである。その極めつけが「あこほと」となる。よって改訂致したる。]

きこりはおそろしや
 あらけきすがたに かまをもち
  よきをさげ
 うしろにしばき まいのぼるとかやな
  まへには やまもりよせじとて
   つゑをさげ (399)

[木こりは怖ろしいや
荒々しい姿に鎌を持ち
腰には手斧(よき)をさげて
うしろ側には芝木を巻のぼらせて
背負っているそうじゃないか
前には山の番人を寄せまいとして
またまた、杖なんかぶら下げやがって]

[最後の部分、まっとうに杖をつくと解釈すると、わざわざ「前」と断る所も、「鎌を持ち」つつ杖を持つところも、また「さげ」と表現するところも幾分ちぐはぐになるが、これはいはゆる象徴的な杖の事を指して、「立派な杖なんかぶら下げやがって、そりゃあ山守を寄せないためかね」、と卑猥な冗談めかした解釈を当てはめる方が、歌詞としては格段に面白く、興が勝っているかと思われる。]

うみにおかしき うたまくら
 いそべのまつばら きんをひき
  しらめつゝ
 おきのなみは いそにきて
  つゞみうてば
   みさご はまちどり
  まひこだれて あそぶなり (400)

[海で面白そうな歌の題材はといえば
磯辺の松原は風に吹かれてまるで
琴(きん)を奏でるように
響き合っているのだし
沖の波は磯へ打ち付けて
つづみを打つものだから
雎鳩(みさご)も浜千鳥(はまちどり)も
舞っては傾むくみたいな格好で
響きと遊んでいるよ]

こゆりさんの なぎさには
 かねのまさごぞ ゆられくる
  せんだん かうずの はやしには
 ふぞくのたねこそ ながれけれ (401)

[こゆり山のふもとの渚には
黄金の砂(=まさご)が波に揺られて
打ち寄せるよ
栴檀の香る樹(=香樹・こうじゅ)の林には
附属の種こそ流れているよ]

[「こゆりさん」は恐らくなにがしかの山の名前を差す。「栴檀(せんだん)」は香木の一種で、「香樹(かうず=こうじゅ)」を付けて「栴檀の香る木の」という意味。「付嘱(ふぞく)」は弟子に教えを授けて後世に引き継がせることを表す仏教用語。仏教的な秘境か何かの歌か不明だが、最後の部分、今ひとつ釈然とせず。]

となりのおほいこが まつる神は
 かしらの しゞけがみ
  ますがみ ひたひがみ
 ゆびのさきなる てづゝがみ
あしのうらなる あるきがみ (402)

[となりの長女がまつる神は
頭の上のちぢれ髪
能の十寸髪(ますがみ)のような
乱れた髪
ひたいで別れて長く垂れて
頬を隠すような額髪(ひたいがみ)
指の先に付いたてづつ神
これはすなわち不器用の神
足の裏にはふらふらと
歩きまわるよ、あるき神]

[「てづつ」は不器用とか下手の意味。指の先であるからには化粧が下手と罵ったものか。「ますがみ」は増す髪と解釈すれば、付け髪のようなものを指すが、歌の全体を単なる物尽くしではなく、ある特定の女性を罵ったような歌とするならば、乱れた髪と解釈すると、筋が通りやすい。すなわち、「となりの長女は、縮れて乱れた髪をひたいで左右に分けるように長く垂れて、化粧は下手でふらふらとほっつき歩っている」というべき所を、歌謡的抽象化を果たした上で、間接的に罵ったという訳]

さゝらかうしはにくきもの
きしいぬかうなきをひわかはねこそのものねかひ
うゑさゑんたる
ともすれはものとかめ大しとか
おもとのものとひにはしるうしろてや (403)

[解釈困難というより不可能に近い。取りあえず朗読に堪える程度に取りつくろってみる。もとより学術的なものにあらず。ただ一つ言えることは、どのような解釈にせよ、現代的に筋道の通らないような駄歌は、梁塵秘抄にはまずないと考えるべきである。]

さゝらか売りは 憎きもの
 雉、犬、巫(かうなぎ)
  甥は金こその もの願ひ
   飢ゑ騒(さゑ)んだる
  ともすれば物咎め 大しとか
 御許のもの問ひに走る うしろ手や (403 改)

[ささらか売りはみっともない物だ
まるで雉の声だ、犬の吠えだ、巫女の騒ぎだ
甥はお金が欲しいと物をせがんでは
飢えたみたいに騒いでいるのだし
場合によっては品を咎めては
あたいが大きいとか言ったりして
それで女房が交渉に走りだす時の
懸命なうしろ姿といったら
(まったくみっともないものじゃないか)]

たきは おほかれど
 うれしや とぞおもふ
  なる たきのみづ
 ひは てるとも
  たえで とふたへ
   やれことつとう (404)

[滝は多いけれど
うれしいなと思う
鳴り響くこの滝の水
日は照りつけても
絶えず訪れよ
ことつことつと
やれことつとう]

[原文「たへてとふたり」とあり、横に「とう切句」とあり。「訪ふたり」「問ふたり」の変化したものか。平家物語には「日は照るとも、たえずとうたへ」というこれらしい歌詞が載っている]

わしのもとじろを
 くわうたいぐうの のにはぎて
  みやのおまへを おしひらき
 ぶだう いさせんとぞおもふ (405)

[鷲の羽根の元白の矢羽根を
皇大神宮の竹でもって
箆(の)に矧いで
宮のとびらを押し開いて
道理をわきまえない無道者を
射させようとこそ思う]

[「箆」は「矢の竹で出来た枝の部分」。「矧ぐ」は「竹と羽根を合わせて弓矢を作る」の意味。原文「くわうたいくわう」未確定。「ふとういさせんとそおもふ」も不確定]

さぶらひ 藤五ぎみ
 めしゝゆだめは などゝはぬ
  ゆだめも のだめも ゝちながら
 さぬきの まつやまへ いりにしは (406)

[さむらいの藤五君よ
召し与えられた弓矯(ゆだめ)は
どうしたのだなどとは問わないよ
弓矯も箆矯(のだめ)も持ったままで
讃岐の松山へ入ってしまった以上は]

[弓矯は弓を矯正したり補強したりする道具で、箆矯(のだめ)は矢を矯正したり補強したりする道具らしい。藤五君は、保元の乱(1156年)により、まず讃岐へ流された崇徳院に付きしたがった北面の武士ではないかという説がある。]

だいたうみかどは ゆゝしとか
 こがねのまさごは かずしらず
  ねやにはこがねの てふあそぶ
 まんごういはほと かけはしと (407)

[大唐時代の唐の朝廷は
きわめてすばらしいとか聞くよ
黄金の砂(=真砂)は数えきれず
寝どころには黄金の蝶があちこちに
遊ぶみたいに飾られているよ
庭には万劫変わらない巌と
架け橋なんかが架けられて]

[原文「みかとはゆしもり」「まてこくいはほとかけはして」など、不確定]

まへ/\ かたつぶり
 まはぬものならば
  むまのこや うしのこに
   くゑさせてん ふみわらせてん
  まことに うつくしく まうたらば
 はなのそのまで あそばせん (408)

[舞え舞え、かたつむり
舞わないものならば
馬の子や、牛の子に
蹴らせてしまうぞ
踏み割らせてしまうぞ
でも、本当にかわいらしく舞えたなら
花の園まで連れていって
遊ばせてあげるからね]

[諸本「まふたらば」と記さないのは、原文に寄り添ったものか。ここも「まうたらば」に従うべし。]

かゞみ くもりては
 わがみこそ やつれける
  わがみ やつれては
 をとこ のけひく (409)

[鏡が曇ったならば
そこに映ったわたしの姿も
さぞかしやつれて見えるでしょう
わたしの姿がやつれたからには
おとこも遠ざかっていくでしょう]

[もし鏡が曇って映ったわたしがやつれたならば、といった軽い冗談のようにも、実際に鏡を眺めて我が身を嘆く歎息にも、鏡を曇らせるような手入れの行きとどかない者は、身もやつれ、おとこは離れていくものだ、といった教訓のようにも聞こえるが、率直なかたり口調のため、教訓にしても嫌みは生じない]

かうべにあそぶは かしらじらみ
 おなじのくぼをぞ きめてくふ
  くしのはより あまくだる
   をごけのふたにて めいおはる (410)

[頭(こうべ)で遊んでいるのは
頭虱(かしらじらみ)だよ
うなじのくぼみに狙いを決めて
食いつきやがるのさ
それで髪を梳(す)いたりすれば
櫛の歯からこぼれて天下りさ
最後には紡いだ麻を入れておく
麻小笥(おごけ)の蓋のところで
潰されちゃって命も果てるのさ]

おほみや権現(ごんげん)は
 おもへばけうすの 釈迦ぞかし
  いちどもこのちを ふむ人は
 霊山(りやうぜん)かいゑの ともとせん (411)

[大宮権現は
考えれば教主であられるという
釈迦如来には違いないのだ
一度でもこの地を踏む人は
霊鷲山で行われたという釈迦の説法
すなわち霊山界会の一員である]

[大宮権現とは、日吉大社の西大宮のこと。その本地は釈迦如来である。ついでに、本地とは、人々の前に姿を表す仮の姿、すなわち垂迹(すいじゃく)に対して、おおもとの姿を指す。霊鷲山はインドにある、釈迦が法華経を説いたとされる山のこと。]

[『日吉山王利生記』の霊験説話に慶増僧都の作として載せられている。今様の作者が知られているのは、きわめて珍しい。]

仏法きう文殊とか
 たもん まかゝらてん
  さんわうきう 伝教大師(でんげうだいし)
   じかく げん如来 (412)

[仏法、及び(=きう)文殊とか
多聞天(たもんてん)、魔訶伽羅天(まかからてん)
山王(=被吉山王社)、及び伝教大師
慈覚大師、すべては如来へと還元されるもの]

[比叡山の慈慧大師(じえだいし)良源(りょうげん)(912-185)の作った略頌(りゃくしょう)、すなわち名称を覚えさせるために短詩としたものにもとづく。]

くまのゝ権現は
 なぐさのはまにぞ をりたまふ
  あまのおぶねに のりたまひ
 慈悲のそでをぞ たれたまふ (413)

[熊野の権現は
紀三井寺(きみいでら)近くの
名草の浜にこそ降臨なされた
漁師(あま)の小舟にお乗りになって
我らに慈悲の袖をこそ
垂(た)らしてくださることだ]

すゞはさやふる 藤太みこ
 めよりかみにぞ すゞはふる
  ゆら/\と ふりあげて
 めよりしもにて すゞふれば
  けたいなりとて かみはらだちたまふ (414)

[鈴はそうやって振るんだ
巫(みこ)の藤太よ
目より上にこそ 鈴は振るもんだ
そうそう ゆらゆらと振り上げて
目より下などに 鈴を振ったならば
懈怠(けたい)であると言われて
神はお怒りになられることだ
(どんな罰が下るか
分かったものではないぞ)]

[324番に既出だが、ここには「ゆゆし」の言葉を欠く]

これより北には こしのくに
 なつふゆともなき ゆきぞふる
  するがのくになる ふじのたかねにこそ
 よるひるともなく けぶりたて (415)

[これより北は 越の国である
夏冬の区切りもなく 雪は降っている
駿河の国にある 富士の高嶺にこそ
夜昼の区切りもなく 煙を立てるように
(そのように雪は降り続くのだ)]

[越(こし)は北陸のこと。福井、石川、富山、新潟あたり。この歌、単に異境の地を、北には常に雪降る越の国、東には駿河の富士の煙があるよ、と紹介したものと読み解く方が無難かと思われるが、始めに「これより北には」とある言葉を重んじれば、下半分は譬喩として、「あの富士の煙が常に立ちのぼるように」と読み解くことも出来る。もっとも「駿河の国なる」と「越」に掛け合わせて言い直しているから、単なる並列の方が尋常かと思われるが、ここは現代的な詩として興の乗るほどに咀嚼しておくことにしよう。]

なん宮(ぐ)のおまへに あさひさし
 ちごのおまへに ゆふひさし
  まつばら如来の おまへには
 つかさまさりの しきなみぞたつ (416)

[浜に近い広田神社の南宮
その社の前には朝日が差し込み
稚児社の前には夕陽が差し込み
そして松原如来のおやしろには
官位の勝(まさ)ってゆくという
重波(しきなみが)つぎつぎに
打ち寄せてくるよ]

[南宮は、本社から南の海浜付近にある広田神社(兵庫県西宮市)の摂社(せっしゃ)。摂社とは、本社に属し、縁故の深い神を奉った神社のこと。格式において本社>摂社>末社の関係にあるとか。浜の南宮と呼ばれ、現在、えびす神社の総本山である西宮神社の境内にある南宮社がそれであるとされ、現在も広田神社の摂社であるが、後に建てられた西宮神社の方がいつしか有名になっていったようだ。えびす信仰ももともとは南宮に行われていたという説もある。児宮社(ちごのみやしゃ)も、松原社(まつばらしゃ)もその南宮の社域に収められた末社である。昇進祝いか、その願掛けの歌かと思われる。]

おほみや霊鷲山
 ひむがしのふもとは 菩提樹下(ぼだいじゅげ)とか
  両所三所(りやうしよさんじよ)は 釈迦薬師
 きやくは王子は 観世音(くわんぜおん) (417)

[日吉大社の西本宮である大宮
こは釈迦の説法した霊鷲山なのさ
それから比叡山の東の麓は
ここは釈迦が悟りを開いた
菩提樹の下であるというんだ
それから西本宮と東本宮の両所
本当は宇佐宮も加えて
三所なんて呼ばれるんだけど
この両所の神さまの元の姿は
釈迦と薬師に違いないよ
それで客人社(まろうどしゃ)と八王子は
観世音菩薩が姿を変えたものなのさ]

よしだのに神まつる
 てまはやはたに くぼてさし ひらでとり
  かものみたらしに 精進(そうじ)して
 さらにはかせこそ さいどがほどはとれ (418)

[今日は、吉田神社に神を奉る祭日だ
仏法を妨げるという天魔(てま)でさえ
八幡(やはた)の神に葉椀(くぼて)を差し供え
葉盤(ひらで)のうつわを設けて
賀茂の御手洗川(みたらしがわ)に
精進してその身を清め
それから葉椀、葉盤の皿(さら)には
石陰子(かせ)、つまり海胆をこそ
西土(さいど)で取れるくらいに
取ってよそりなさいよ]

[原文最後の行、「そらにはかせこそさいとかほとはとれ」解読困難部分。例によって朗読用に改変いたすべし]

いづれか ゝづらがはへ まいる道
 せんとう ななわた くづれざか
  大石 あつか すぎのはら
   さんわうの おまへをゆくは
    たきがはのみず (419)

[いずれが葛川(かずらがわ)寺へ
お参りする道かというと
せんとう、七曲(ななわた)、崩れ坂
大石、あつか、杉の原を抜けて
寺について山王(さんのう)の権現の
前を流れるのは
滝川の水さ
(ああ水の響きが心地よいねえ)]

[原文解釈にゆらぎあり。詳細は割愛]

帰命頂礼(くゐみやうちやうらい)大権現(だいごんげん)
 けふよりわれらを すてずして
  生々(しやうじやう)世々(せぜ)に おうごして
 あのく菩提(ぼだい) なしたまへ (420)

[ああ、帰命頂礼、帰命頂礼
山王の大権現さまよ
ただ今、今日よりわたくしたちを
お見捨てになることなく
現世にも来世にも擁護(おうご)なさって
仏さまのすぐれた智恵にお導きください]

[『山王和讃』の一部を今様化したもの。「帰命頂礼」は、命を投げ出し帰依し、頂を足にすりつけて礼をする、の意味から深く仏教に帰依する、その情を示すこと。神仏への唱え文句としての、常套句。「あのく菩提」は「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」の略。サンスクリット語を漢字で音写したもの。すべてを悟りきった最上の智恵。]

われらがすみかは はなのその
 うまれは[立心偏+刀]利天(たうりてん)
  ちゝを ばくはんこくのわうや 金包太子(こんはうたいし)なり
 われらがすみかは 華のうへ (421)

[我らの住みかは花の園
生まれたのはあの[立心偏+刀]利天(とうりてん)
父は、ばくはん国の王である
すなわちわたしは金包太子である
そうであればこそ
我らの住みかは花の上にあるのだ]

[[立心偏+刀]利天とは、世界の中心である須弥山の頂。中央に善見城(喜見城)があり、帝釈天(たいしゃくてん)が居住しているという。周囲四方に八づつの城があり、善見城と合わせて、三十三天と呼ばれる。開始と末尾の「我らの住みかは」を誰の言葉と見るかによってさまざまな解釈が生まれようが、ここでは単純に、二行と三行を以て釈迦を指すものとして、釈迦が生まれて悟りを開いたからこそ、我ら衆生も悟りさえすれば、その住みかは花の上にあるのだ、つまり「今生きている我々」の発言と考えておく]

2012/

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