梁塵秘抄、巻第一の朗読

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梁塵秘抄、巻第一の朗読

巻第一

長歌十首 古柳卅四首 今様二百六十五首

春十三首 夏七首 秋十五首 冬九首 四季八首
二季八首 祝八首 月九首 恋十四首 思十二首
怨二十首 別四首 雑 上(七十六首)下(六十二首)

長歌(ながうた)十首

  [祝]

そよ 君がよは
  千代(ちよ)に一(ひと)たび ゐるちりの
    しら雲かゝる 山となるまで (1)

[そよ(はやしことば)
君の長く治める世は
千年に一度ばかり積もるという塵の
いつしか白雲のかかる山となるまで
とこしえにあらんことを]

[「後拾遺集」「新撰朗詠集」中古三十六歌仙(三十六歌仙以外)のひとり大江嘉言(よしとき)(?-1009?)の和歌]

  [春]

そよ 春たつと
  いふばかりにや みよしのゝ
 山もかすみて けさはみゆらん (2)

[立春になったと
言うばかりで、春の訪れも聞かないような吉野の
山さえも霞がかって、今朝は見えているようだ]

[「拾遺集」「古今六帖」「前十五番歌合」「金玉集」三十六歌仙のひとり壬生忠岑(みぶのただみね)(860頃-920頃)の和歌]

そよ 我がやどの
  梅のたちえや みえつらん
 思ひのほかに 君がきませる (3)

[わたしの館の
梅のひらいた立木の枝が見えたからだろうか
思いがけずにあなたが来るなんて]

[「拾遺集」「新朗詠集」三十六歌仙のひとり平兼盛(たいらのかねもり)(?-991)の和歌]

  [夏]

そよ 我がやどの
  池の藤なみ 咲きにけり
    山ほとゝぎす いつかきなかん (4)

[わたしの館の
庭池の藤の花が波のように咲き誇っている
山ほととぎすよ
いつになったら来て鳴いてくれるのだろう]

[「古今集」「新撰和歌集」「古今六帖」読み人知らずの和歌]

  [秋]

そよ 秋きぬと
 めにはさやかに みえねども
   風のをとにぞ
      おどろかれぬる (5)

[秋が来たとは
目にははっきりとは見えないけれども
秋らしい風の音にははっとさせられたものだ]

[「古今集」「新撰和歌集」「古今六帖」「和漢朗詠集」三十六歌仙のひとり藤原敏行(としゆき)(?-901or907)の和歌]

  [冬]

そよ ほの/”\と
  有明の月の 月かげに
    もみぢ吹きおろす 山おろしのかぜ (6)

[ほのぼのと、夜の明けゆく頃の
少しく明るみ始めた空の、月のひかりのなかで
紅葉を吹き下ろして、山おろしの風が吹いてくる]

[「信明集」「和漢朗詠集」後に「新古今集」三十六歌仙のひとり源信明(みなもとのむねあきら)(910-970)の和歌]

そよ 神な月
  ふりみふらずみ さだめなき
 時雨(しぐれ)ぞ 冬の はじめなりける (7)

[陰暦十月
降ったり降らなかったりと定まらないような
時雨こそ冬の始まりを告げるものだ]

[「後撰集」「古今六帖」「和漢朗詠集」読み人知らずの和歌]

  [雑]

そよ つのくにの
  ながらのはしも つくるなり
    いまは我身を
   なにゝたとへん (8)

[津の国の
長柄(ながら)の橋もやがては尽きるもの
その尽きるきわにある自分の身を
これから何に喩えたらよいのだろうか
(別説「造るなり」は取らず)]

[「金玉集」「古今集」「古今六帖」三十六歌仙のひとり伊勢(いせ)(938年以降没)の和歌で初句は「難波(なにわ)なる」]

そよ 大原や
  おぼろのしみづ よにすまば
 又もあひみん おもがはりすな (9)

[大原にある朧の清水が澄み渡るように(序詞)
とうとうとして世の中に住んでいると
またいつか会うことも出来るだろう
変わらないでいて欲しい]

[「袖中抄」に引用「新撰朗詠集」に類似有]

そよ むすぶての
  しづくににごる 山の井の
 あかでも人に
   わかれぬるかな (10)

[水をすくい取る手の
しずくで濁ってしまった山の湧き水のように
まだ飽きるほど尽くせなかったあなたに
別れてしまったことだなあ]

[「古今集」「拾遺集」「古今六帖」紀貫之(872?-945)の和歌]

古柳(こやなぎ)卅四首

  [春五首]

そよや こやなぎによな
 下がり 藤の花やな
  さきにをゑけれ ゑりな
 むつれたはぶれや
  うちなびきよな
   あをやなぎのや や
  いとぞ めでたきや
    なにな そよな (11)

[そらさあ 小さな柳の木にさ
垂れ下がってる 藤の花だなあ
咲き匂ってさ 咲き匂ってるよな
やなぎと睦れたわむれてろよ
うちなびけよな
青柳がさあ なあ
とても 結構じゃないか
なんだなあ そうだなあ]

是以下略之

今様(いまよう)二百六十五首

  [春十三首]

新年 はるくれば かどに松こそたてりけれ
   松はいはひのものなれば
 君がいのちぞ ながゝらん (12)

[年が明けて春が来れば、
門(かど)ごとに松が飾られたものです
緑を絶やすことのない松は、祝いのものですから
そのすべての門(かど)を治めている
あなたの命は、長く保たれるでしょう]

春の初の 歌枕(うたまくら)
  霞たなびくよしの山 うぐひす さほひめ をきなくさ
    花をみすてゝ かへるかり (13)

[春の初めに相応しい歌の題は
霞たなびく吉野山、そこに鳴くうぐいす
春の女神、佐保姫のいらっしゃる佐保山
そこに咲くのはおきな草
そんな花を見捨てるように
北へと帰っていく雁どもか]

きくにおかしき 和歌の集は
  後撰 古今 拾遺抄 しんせん 金玉 朗詠集
    六帖(ろくでふ)前後の 十五番 (14)

[聞けば興の起こるような和歌の集は
『後撰集』(勅撰第二)『古今集』(一)『拾遺集』(三)の
天皇勅撰による三代集
紀貫之の私撰である『新撰和歌集』
藤原公任(きんとう)の私撰である『金玉集』
同じく藤原公任の私撰である『和漢朗詠集』
それから『古今和歌六帖』(こきんわかろくじょう)とか、
『前十五番歌合』(さきのじゅうごばんうたあわせ)
『後十五番歌合』(のちのじゅうごばんうたあわせ)]

和歌にすぐれて めでたきは
  人丸 赤人 をのゝこまち
 みつね 貫之 みぶのたゞみね
   遍照 道命 和泉式部 (15)

[和歌に優れて、誉めたくなるような人は
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)(660頃-720頃)
山部赤人(やまべのあかひと)(-736?)
小野小町(おののこまち)(九世紀頃)
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)(859?-925?)
紀貫之(きのつらゆき)(-945?)
壬生忠岑(みぶのただみね)(860頃-920頃)
僧の遍昭(へんじょう)(816-890)
僧の道命(どうみょう)(974-1020)
和泉式部(いずみしきぶ)(978頃-?)]

つねにきえせぬ 雪のしま
 ほたるこそ 消えせぬ 火はともせ
  しとゝゝいへど ぬれぬとりかな
 ひとこゑなれど 千鳥とか…… (16)

[雪ならやがては消えるであろうに
常に消えることのない壱岐(ゆき)の島
でも消えないと言えば蛍のほうがね
濡れても消えないような火をともすよね
かと思えば巫鳥(しとと)なんかは
名前が「しとど」(=濡れる)なのに
水鳥じゃないから濡れもしないんだ
もっとも一声しか鳴かなくても
千鳥なんてやつもいるしね
(まったく嘘ばっかりで困った奴らさ)]

[歌に「早」と書かれた肩書きあり。「早歌(はやうた)」と呼ばれる今様のジャンルをさすものか。「巫鳥(しとど、古くはしとと)」はホオジロやアオジ、クロジ、ノジコといった鳥の総称]

ばくちのこのむもの
  平(ひやう)さい かなさい 四三(しそう)さい
 それをば誰か うちえたる
   文三(もんさん) 刑三(ぎやうさん)
    月/\清次(つきづきせいじ)とか…… (17)

[ローマから中国で改され渡来したという雙六(すごろく)
それを打つばくち達の愛すべきものはと言えば
平骰子、鉄骰子という名のサイコロさ
そして愛すべき目と言ったら
二つのサイコロを転がしては出る
四と三の目だよね
それを誰がうまく打つことが出来たかって?
そりゃあ、例の文三、刑三とかいう奴らさ
でもなんてったってすご腕は
あの月々清次を置いて他にいやしないよ]

[歌に「早」と書かれた肩書きあり。「早歌(はやうた)」と呼ばれる今様のジャンルをさすものか。]

釈迦の月は かくれにき
 じ氏のあさひは まだはるか
  そのほど長夜(ちやうや)の くらきをば
 法華経のみこそ てらいたまへ (18)

[夜を照らすような釈迦の月あかりは
涅槃(ねはん)(=釈迦の入滅)と共に隠れてしまった
でも慈氏(じし)(=弥勒菩薩)の出現は
我々を照らすその朝日はまだはるか遠い
ほとけのいない長い夜の闇をどうか
法華経よ、どうかあなただけが
照らしてくださいますように]

[弥勒菩薩(みろくぼさつ・マイトレーヤ)は、釈迦の入滅後、56億7千年後に仏陀となるとされた菩薩(仏陀になるための修行者)で、兜率天(とそつてん)の内院に修業していると考えられていた。]

[「法華経」について
・釈迦の入滅後数百年後に大衆との関わり、彼らに教理を悟らせようとして生み出された大乗仏教の経典の一つ、「サッダルマ・プンダーリカ・スートラ」(正しき心理としての白蓮の花)]を中国の仏僧である鳩摩羅什(くまらじゅう)(350-409か?)が漢訳したものが、日本に紹介され、天台宗などの教義として、平安時代の仏教信仰の中心的な経典となったもの。鳩摩羅什の訳書から「妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)」とも呼ばれる。天台宗では、『無量義経』を開経とし、『観普賢菩薩行法経』を結経として、これを合わせて『法華三部経』とも呼ぶ。]

仏はさま/\に いませども
  まことは 一仏なりとかや
 薬師も 弥陀(みだ)も 釈迦 みろくも
   さながら 大日とこそきけ (19)

[ほとけは様々な姿でおいでになりますが
本当はたったひとつのほとけなのです
東方にて浄瑠璃世界をつかさどる薬師如来も
西方にて極楽浄土におわします阿弥陀如来も
我々に仏教を授けてくださった釈迦牟尼も
それから兜率天にいらっしゃる弥勒菩薩も
すべては密教でいうところの
大日如来に他なりません]

[「大日如来」とは
・特に、弘法大師空海が唐で修学し、806年に日本に帰国してから開いた真言宗によって広められた密教(みっきょう)の、中心的な如来。宇宙そのものであり、すべての仏はそれの変じたものに過ぎないとされる]

[「密教」とは
・もともとは大衆に向かって言葉による教義を以て教えを広める顕教(けんぎょう)に対して、秘術や儀礼じみた行為をもって悟りや仏教的利益を得ようとする、呪術的な側面を持つ教義で、教団内において秘密裏に特定のものへと伝達されていくというものだが、やはり中国から日本へ至るあいだに、再解釈が行われ、空海の真言宗、後には天台宗も取り入れたところの密教が、日本における密教である]

釈迦牟尼(しやかむに)仏(ほとけ)は さたわうじ
  みろく 文殊は 十二の子
 浄飯王(じやうぼんわう)は さいそのわう
   まやは むかしの 夫人(ぶにん)なり (20)

[無数の仏のひとりであるところの釈迦牟尼仏は
飢えた虎とその七つの子供たちを助けるために
自らを捧げる捨身飼虎(しゃしんしこ)で知られる
薩[土+垂]王子(さたおうじ)の生まれ変わりである
弥勒菩薩と、文殊菩薩は、その王子の兄弟である
摩訶波那羅(まかはらな)、摩訶提婆(まかだいば)の
生まれ変わったすがたである
そして釈迦の父親である浄飯王は、
薩[土+垂]王子の父親(最初の王)の生まれ変わりであり
釈迦の母親である摩耶(まや)はその妻の生まれ変わりである]

釈迦の正覚(しやうがく) なることは
  このたびはじめと おもひしに
 五百塵点劫(ごひやくぢんてんごふ)よりも
   あなたにほとけに なりたまふ (21)

[釈迦が悟りを開き、ほとけとなったのは
その時こそが始めてであろうと思ったのだが
そうではない、五百塵点劫もの長い時をさかのぼって
すでに前世において、ほとけに成られていたのである]

以下、残存下文のみ

 梁塵秘抄と名づくる事、虞公(ぐこう)韓娥(かんが)といひけり。こゑよく妙にして、他人のこゑおよばざりけり。きく者めでかんじて、涙おさへぬばかり也(なり)。うたひけるこゑのひゞきに、うつばりのちりたちて、三日ゐざりければ、うつばりのちりの秘抄とはいふなるべしと、云々(うんぬん)。

[梁塵秘抄と名前を付けること、中国は、虞公・韓娥の古事に由来する。二人の声は妙絶(みょうぜつ)で、他の人の及ぶ所でなかったという。聞くものはこれを愛し、感じ入り、なみだを落とさぬものはなかった。その声の響きには、柱に渡した横木、つまりは梁(うつばり)の上に横たわった塵(ちり)さえも、立ちのぼって三日のあいだ舞を休めなかった。これに由来して、うつばりの塵の秘密を書き納めたものと言うのであろう。]

[この文は、後に書き加えられたもの。第一巻を抄出(みょうしゅつ)した際に記したか。]

2012/05/30
意味2012/06/10

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