正岡子規、一茶の俳句を評す

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一茶の俳句を評す (正岡子規)

 天明以後俳諧壇上に立ちて、特色を現はしたる者を、奥の乙二、信の一茶とす。一茶最も奇警(きけい)を以て著(あらわ)る。俳句の実質に於ける一茶の特色は、主として滑稽(こっけい)、諷刺(ふうし)、慈愛の三点にあり。中にも滑稽は一茶の独擅(どくせん)[思うがままに振る舞うこと]に属し、しかもその軽妙なること俳句界数百年間、僅(わずか)に似たる者をだに見ず。例句

春雨や喰はれ残りの鴨がなく

下谷(したや)一番の顔して更衣(ころもがえ)

大根引大根で道を教えけり

寒念仏さては貴殿でありしよな

 滑稽の方便として、一茶は多く擬人法を用ゐたり。集中擬人法の句の多き、真に驚くべし。例句

庵の雪下手な消えやうしたりけり

あさら井や小魚と遊ぶ心太(ところてん)

罷(まか)り出でたるは此藪の蟇(ひき)にて候

名月の御覧の通り屑家かな

其分にならぬ/\と蟷螂(とうろう)かな

行く秋を尾花がさらば/\かな

 この外滑稽ならぬ意匠の句にも、なほ多少の滑稽を帯びたるは、その滑稽に深きがためなるべし。例句

陽炎(かげろう)や手に下駄はいて善光寺(ぜんこうじ)

春日野の鹿に嗅(か)がるゝ袷かな

朝顔や人の顔にはそつがある

一文に一つ鉦(かね)打つ寒さかな

 一茶は不平多かりし人なり。苛政(かせい)[過酷な政治、苛烈な政治政策]を悪(にく)み、酷吏(こくり)[酷使する類の官人、役人]を悪み、無慈悲なる人を悪み、俗気多き人を悪む。俗世間の事見るもの聞くもの、尽(ことごと)く不平の種ならぬは無く、従つてその句また人を刺(そし)り世を嘲(あざけ)りし者あり。此等(これら)の句その人を知るに足る者あれど、俳句としては見るに足らず。

 一茶は熱血の人なり。一方に於て人を罵ると共に、また一方に於て極めて人を愛す。その妻の不幸にも心卑しき者なりしかば、後世より一大俳家として尊敬せらるべき夫を厭(いと)ひて自ら出て去りぬ。一茶の愛情はその孤児に集まりたり。孤児を托したる某(なにがし)は腹あしくして、乳をさへ飲ましめず、あはれ痩せ衰へて死に瀕(ひん)せりと聞きし時の一茶の心は如何(いか)にありけん。彼は初より現世を罪悪の競走場と見たりし者、しかも眼前この悪魔に逢ひては忍ぶ能(あた)はざるべく、況(ま)してその悪魔の手に捕へられたる無垢清浄、蓮の露の如き愛児に思ひ及びては、腸裂け心乱れ、殆(ほとん)ど狂せんとしたるなるべし。罪悪を以て満たされし世の中に、一茶の同情を惹(ひ)きしものは、無邪気なる小児(しょうに)のみにやありけん。彼の句に小児の可憐なる有様を述べたる者極めて多し。ただ俳句として見るべきもの少なきは、情勝つて筆これに随(したが)はざりしか。小児の事としいへば、情激し心躍りて、句作にも推敲を費さゞりしものと覚ゆ。その慈愛心は動物にも及べり。彼は雀の子の覚束なげに飛ぶを見ても、蛍の人に取られんとするを見ても、なほ心を動かせり。俳句は之を証す。

雀子や川の中にて親を呼ぶ

竹にいざ梅にいざとや親雀

行け蛍とく/\人の呼ぶ内に

やれ打な蠅が手をする足をする

  「小金原」
母馬が番して飲ます清水かな

 俳句の形式に於ける一茶の特色は、俗語を用ゐたると多少の新潮を為したるとに在り。俗語を用ゐたるは最も著き点にて、その滑稽と俗調とは、相待つて用を為したるなり。例句

傘(からかさ)にべたりとつきし桜かな

昼の蚊やだまりこくつて後から

稲妻やうつかりひよんとした顔へ

梟(ふくろう)よのほゝん所か年の暮

 新潮とは七五五調及び他の十七字の変調等なり。例句

桜/\と唄はれし老木かな

目ざす敵は鶏頭よ初時雨

きり/\しやんとして咲く桔梗哉

下谷(したや)一番の顔して更衣

 この外真面目なる句には佳作多し。例句

霞む日やしんかんとして大座敷

茶も摘みぬ杉もつくりぬ岡の家

大蛍ゆらり/\と通りけり

大寺は留守の体なり夏木立

大寺の片戸さしけり夕紅葉

有明や浅間の霧が膳を這ふ

木瓜(ぼけ)の株刈り尽されて帰り花

夕月や御煤(おすす)の過ぎし善光寺

 世俗一茶の名句として伝ふる者多くは浅薄なる者のみ。殊(こと)に

三日月の頃より待ちし今宵かな

などいへる無趣味の句を以て、一茶一代の秀逸となすに至りては、一茶を誣(し)ふるの甚しき者と謂(い)ふべし。

2011/12/14

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