正岡子規 『俳諧大要』

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俳諧大要 (書生注)

 正岡子規の著、初心より熟練に至るまで、俳諧の極意なるのみならず、俳諧連歌まで著したる名著なれども、その文体に退却せんもの跡を絶たず。余輩、僅かに朗読の弁を図り、君を助けむとにはあらざれど、専ら己が勤勉に、全文掲載を志す者なり。大要を請ひ願ふ者、此に便乗すべし。

俳諧大要 (正岡子規)

[朗読1]
ここに花山(かざん)といへる盲目の俳士あり。望一(もういち)[杉山望一(15861643)宗武以後の伊勢俳壇の中心人物]の流れを汲(く)むとにはあらで、ただ発句をなん詠み出でける。やうやうにこのわざを試みてより半年に足らぬ程に、その声鏗鏘(こうそう)[金や石などの鳴り響く音の様。こうしょう/楽器の美しい響き]として聞く者耳を欹(そばだ)つ。一夜、我が仮住居(かりずまい)をおとづれて、共に蟲(むし)の音(ね)を愛(め)づるついでに、「我も発句といふものを詠まんとはすれど、たよるべきすぢもなし、君わがために、心得となるべきくだりくだりを書きてんや」とせつに請(こ)ふ。答へて、「君が言(げん)好し。昔は目なしどち[「どち」は「仲間、同士」とか「同類」といった意味]目なしどち後について来ませとか聞きぬ。我、さるひじりを學ぶとはなけれど、覚えたる限りはひが言(ごと)[道理や事実と異なった事柄、あやまった事]まじりに伝へん。なかなかに耳にもつぱらなるこそ正覚(しょうがく)[迷いを断ち切った正しい悟り(仏教用語)]のたよりなるべけれ。いざいざ」と筆をはしらし、僅(わず)かにその綱目ばかりを挙げて、これを松風會(しょうふうかい)[子規の故郷の松山にある俳句結社]諸子にいたす。諸子幸ひに之を花山子に伝えてよ。

第一 俳句の標準

一、俳句は文学の一部なり。文学は美術の一部なり。故に美の標準は文学の標準なり。文学の標準は俳句の標準なり。すなわち絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説も、みな同一の標準をもって評論し得べし。

一、美は比較的なり。絶対的にあらず。故に一首の詩、一幅(いっぷく)の画を取て美不美を言ふべからず。もしこれを言ふ時は、胸裡(きょうり)[胸のうち、心中]に記憶したる幾多の詩画を取て、暗々(あんあん)[暗いさま、密かなさま]に比較して言ふのみ。

一、美の標準は各個の感情に存す。各個の感情は各個別なり。故に美の標準もまた各個別なり。また同一の人にして、時に従つて感情相異(あいこと)なるあり。故に同一の人、また時に従つて美の標準を異にす。

一、美の標準をもって各個の感情に存すとせば、先天的に存在する美の標準なるものあるなし。もし先天的に存在する美の標準(あるいは正鵠[「せいこく」弓のまと。その中心の黒星/物事の要点、急所]を得たる美の標準)ありとするも、其標準の如何(いかん)は知るべからず。従つて各個の標準と如何の同異あるか知るべからず。すなわち先天的標準なるものは、吾人(ごじん)[(自称)わたくし、僕、われわれ]の美術と何等の関係を有せざるなり。

一、各個の美の標準を比較すれば、大同の中に小異なるあり、大異の中に小同なるありといへども、種々の事実より帰納すれば、全体の上において、永久の上において、ほぼ同一方向に進むを見る。譬(たと)へば、船舶の南半球より北半球に向ふ者、一は北東に向ひ、一は北西に向ひ、時ありて正東正西に向ひ、時ありて南に向ふもあれど、その結果を概括(がいかつ)[ひっくるめてまとめること、要点をまとめること]して見れば、皆南より北に向ふが如し。この方向を指して、先天的美の標準と名づけ得(う)べくばすなわち名づくべし。今仮りに概括的美の標準と名づく。

一、同一の人にして、時に従ひ美の標準を異にすれば、一般に後時の標準は概括的標準に近似する者なり。同時代の人にして、各個美の標準を異にすれば、一般に學問智識ある者の標準は、概括的標準に近似する者なり。ただし、特別の場合には必ずしも此(かく)の如くならず。

第二 俳句と他の文学

一、俳句と他の文学との区別はその音調の異なる処にあり。他の文学には一定せる音調あるもあり、なきもあり。しかして俳句には、一定せる音調あり。その音調は普通に五音七音五音の三句を以て一首と為(な)すといへども、あるいは六音七音五音なるあり、あるいは五音八音五音なるあり、あるいは六音八音五音なるあり、その他無数の小異あり。故に俳句と他の文学とは厳密に区別すべからず。

一、俳句と他の文学との音調を比較して優劣あるなし。ただ風詠(ふうえい)[詩歌を作ること、詩歌を吟じること]する事物に因(よ)りて音調の適否あるのみ。例へば複雑せる事物は、小説または長編の韻文に適し、単純なる事物は、俳句和歌または短篇の韻文に適す。簡樸(かんぼく)[簡単で、素朴であること]なるは漢土の詩の長所なり、精緻(せいち)なるは欧米の詩の長所なり、優柔なるは和歌の長所なり、軽妙なるは俳句の長所なり。しかれども俳句全く簡樸、精緻、優柔を欠くに非ず、他の文学また然(しか)り。

一、美の標準は美の感情にあり。故に美の感情以外の事物は美の標準に影響せず。多数の人が賞美する者、必ずしも美ならず、上等社会に行はるる者、必ずしも美ならず、上世(じょうせい)[おおむかし。上代(じょうだい)]に作為せし者、必ずしも美ならず。故に俳句は一般に弄(もてあそ)ばるるが故に美ならず、下等社会に行はるるが故に不美ならず。自己の作なるが故に美ならず、今人(こんじん)の作なるが故に不美ならず。

一、一般に俳句と他の文学とを比して優劣あるなし。漢詩を作る者は漢詩を以て最上の文学と為し、和歌を作る者は和歌を以て最上の文学と為し、戯曲小説を好む者は戯曲小説を以て最上の文学と為す。しかれどもこれ一家言(いっかげん)[その人独自の意見、主張/ひとかどの見識のある意見]のみ。俳句を以て最上の文学と為す者は、同じく一家言といへども、俳句もまた文学の一部を占めて敢(あえ)て他の文学に劣るなし。これ概括的標準に照(てら)して自(おのずか)ら然(しか)るを覚ゆ。

第三 俳句の種類

一、俳句の種類は文学の種類とほぼ相同じ。

一、俳句の種類は種々(しゅじゅ)なる点より類別し得べし。

一、俳句を分ちて意匠(いしょう)[工夫を凝らして制作すること。趣向/美術や工芸、あるいは各種商品に応用するための考案。デザイン]及び言語(古人のいはゆる心、及び姿)とす。意匠に巧拙(こうせつ)[上手と下手]あり、言語に巧拙あり。一に巧にして他に拙なる者あり。両者共に巧なる者あり。両者共に拙なる者あり。

一、意匠と言語とを比較して優劣先後(ゆうれつせんご)あるなし。ただ意匠の美を以て勝(まさ)る者あり、言語の美を以て勝る者あり。

一、意匠に勁健(けいけん)[強くてすこやかなこと。強健]なるあり、優柔なるあり、壮大なるあり、細繊(さいせん)[=繊細]なるあり、雅樸(がぼく)[みやびさと質朴、つまり飾り気のなさ]なるあり、婉麗(えんれい)[しとやかであり美しいこと。艶やかで美しい意味の「艶麗(えんれい)」とは異なる]なるあり、幽遠(ゆうえん)なるあり、平易なるあり、荘重(そうちょう)なるあり、軽快なるあり、奇警(きけい)[すぐれて賢いこと/思いもよらないような、しかも的を得たこと。奇抜]なるあり、淡泊なるあり、複雑なるあり、単純なるあり、真面目なるあり、滑稽突梯(こっけいとってい)[世俗に従い、世の流れに任せるさま]なるあり、その他、区別し来(きた)れば千種万様(せんしゅばんよう)あるべし。

一、言語に区別あるは意匠に区別あるが如し。勁健なる意匠には勁健なる言語を用ゐざるべからず。優柔なる意匠には優柔なる言語を用ゐざるべからず。雅樸なる言語は雅樸なる意匠に適し、平易なる言語は平易なる意匠に適す。その他、皆然り。

一、意匠に主観的なるあり、客観的なるあり。主観的とは心中の状況を詠じ、客観的とは心象に写り来りし客観的の事物をそのままに詠ずるなり。

一、意匠に天然的なるあり。人事的なるあり。人事的とは人間万般(ばんぱん)[すべての物事]の事物を詠じ、天然的とは天文、地理、生物、礦物(こうぶつ)等、総(すべ)て人事以外の事物を詠ずるなり。

一、以上各種の区別、皆、優劣あるなし。

一、以上各種の区別、皆、比較的の区別のみ。故に厳密にその区域を限るべからず。

一、一人にして各種の変化を為す者あり。一人にして一種に長ずる者あり。

第四 俳句と四季

一、俳句には多く四季の題目を詠ず。四季の題目なきものを雑(ぞう)と言ふ。

一、俳句における四季の題目は、和歌より出でて更にその区域を広くしたり。和歌にありては題目の数僅々(きんきん)[ごく僅かであるさま]一百に上(のぼ)らず。俳句にありては数百の多きに及べり。

一、俳句における四季の題目は和歌より出でて更にその意味を深くしたり。例へば「涼(すず)し」と言へる語は和歌には夏にも用ゐ、また秋涼(しゅうりょう)にも多く用ゐたるを、俳句には全く夏に限りたる語とし、秋涼の意には初涼(しょりょう)、新涼(しんりょう)[どちらも初秋の涼しさ]等の語を用ゐしが、今は漸(ようや)くにその語も廃(すた)れ、涼の字はただ夏季専用の者と為れり。即ち一題の区域は縮小したると共に、その意味は深長と為りたるなり。

一、単にと称すれば和歌にては雑となるべし。俳句にては秋季となるなり。時雨(しぐれ)は和歌にては晩秋、初冬、共にこれを用う。殊(こと)に時雨を以て木葉(このは)を染むるの意に用う。俳句にては時雨は初冬に限れり。従ひて木葉を染むるの意に用うる者、殆(ほと)んどこれなし。霜(しも)は和歌にては晩秋よりこれを用ゐ、また紅葉(こうよう)を促すの一原因とす。俳句にては霜は三冬に通じて用うれど晩秋にはこれを用ゐず。従ひて紅葉を促すの一原因となさず。俳句季寄(きよせ)の書[俳諧における季語を集め、例句と共に羅列したもの。歳時記]には、秋霜(しゅうそう)の題を設くといへども、その作例は殆ど見るなし。

一、梧桐(ごどう)[アオギリの漢名。夏の季語]一葉落(いちようおつ)の意を詠じなば和歌にても秋季と為るべし。俳句にては、桐一葉(きりひとは)を秋季に用うるのみならず、ただ桐と言ふ一語にて秋季に用うる事あり。鷹狩(たかがり)は和歌にても冬季なり。俳句にては鷹狩を冬季に用うるのみならず、ただ鷹と言ふ一語も冬季に用うるなり。

一、四季の題目にて花木(かぼく)、花草(かそう)、木実(このみ)、草実(くさのみ)等は、その花実(かじつ)のもっとも多き時を以て為すべし。藤花(とうか)、牡丹(ぼたん)は春晩夏初を以て開く故に、春晩夏初を以て季と為すべし。必ずしも藤を春とし牡丹を夏とするの要なし。梨、西瓜(すいか)等、また必ずしも秋季に属せずして可なり。

一、古来季寄になき者も、ほぼ季候の一定せる者は季に用ゐ得べし。例へば紀元節(きげんせつ)[神武天皇即位の日(紀元前660年2月11日)を太陽暦に換算して明治になって生まれた祝日。二月十一日がそれにあたる]神武天皇祭(じんむてんのうさい)[神武天皇の崩御された日を祝うもの。四月三日がそれにあたる]等、時日(じじつ)一定せる者は論を俟(ま)たず、氷店(こおりみせ)を夏とし、焼芋を冬とするも可なり。また、の如き、の如き、定めて夏季と為す、あるいは可ならんか。

一、四季の題目中、虚(きょ)(抽象的)なる者は人為的にその区域を制限するを要す。これを大にしては四季の区別の如きこれなり。春は立春立夏の間を限り、夏は立夏立秋の間を限り、秋は立秋立冬の間を限り、冬は立冬立夏の間を限る。即ち、立冬一日後、敢(あえ)て秋風と詠ずべからず、立夏一日後、敢て春月と詠ずべからず。

一、長閑(のどか)、暖(あたたか)、麗(うららか)、日永(ひなが)、朧(おぼろ)は春季と定め、短夜(みじかよ)、涼(すずし)、熱(あつし)は夏季と定め、冷(ひややか)、凄(すさまじ)、朝寒(あささむ)、夜寒(よさむ)、坐寒(そぞろさむ)、漸寒(ややさむ)、肌寒(はだざむ)、身に入(みにしむ)、夜長(よなが)は秋季と定め、寒(さむし)、つめたしは冬季と定む。日のもっとも永きは夏至前後なり、しかれども俳句にては日永(ひなが)を春とす。夜のもっとも長きは冬至前後なり。しかれども俳句にては長夜(ちょうや)を秋とす。これは理窟より出でずして、感情に本(もと)づきたるの致す所なり。かく一定せし上は、日永夜長は必ず春秋(しゅんじゅう)に用うるべし。他季に混ずべからず。

一、その外、霞(かすみ)、陽炎(かげろう)、東風(こち)の春における、薫風(くんぷう)、雲峰(くものみね)の夏における、露、霧、天河(あまのがわ)、月、野分(のわき)、星月夜(ほしづくよ)の秋における、雪、霰(あられ)、氷の冬におけるが如きも、また皆、一定する所なれば一定し置くを可とす。しかれども夏季に配合して夏の霞を詠じ、秋季に配合して秋の雲峰を詠ずるの類は、もとより妨(さまた)ぐる所あらず。

一、四季の題目を見れば、即(すなわ)ちその時候の聯想(れんそう)を起すべし。例えば蝶といへば、翩々(へんぺん)[ひるがえるさま、軽やかなさま/才気みなぎるさま、風流なさま]たる小羽虫(しょううちゅう)の飛び去り、飛び来る、一個の小景を現すのみならず、春暖(しゅんだん)漸く催し、草木僅(わず)かに萌芽(ほうが)を放ち、菜黄麦緑(さいこうばくりょく)の間に、三々五々(さんさんごご)[ここかしこに散在するようす。まばらなようす]士女(しじょ)[紳士と淑女。男と女]嬉遊(きゆう)[よろこび遊ぶこと]するが如き光景をも聯想せしむるなり。この聯想ありて、始めて十七字の天地に無限の趣味を生ず。故に四季の聯想を解せざる者は、終(つい)に俳句を解せざる者なり。この聯想なき者、俳句を見て浅薄(せんぱく)なりと言ふ、また宜(むべ)なり[当然だ、もっともだ]

一、雑の句は四季の聯想なきを以て、その意味浅薄にして吟誦(ぎんしょう)に堪(た)えざる者多し。ただ雄壮高大なる者に至りては必ずしも四季の変化を待たず。故に間々(まま)、この種の雑の句を見る。古来作る所の雑の句、極めて少きが中に、過半は富士を詠じたる者なり。しかしてその吟誦すべき者、また富士の句なり。

一、ある人問うて曰(いわ)く、時間を人為的に限りて、これに命名し、以て題目と為すことは既に説を聞けり。空間は何故(なにゆえ)に、制限してこれに命名せざるか。答へて曰く、時間は、年々同一の変化を、同一の順序に従ひて反覆(はんぷく)するが故に、これを制限して以て命名すべし。しかれども、空間の変化は、毫(ごう)も順序なる者あらずして不規則なる者なり。例えば、山嶽(さんがく)、河海(かかい)、郊原(こうげん)、田野(でんや)、一も順序ある者なし。故にこれに命名せんと欲せば、人間の見聞し得る所の処一々に命名せざるべからず。地名これなり。地名は時間の区別に比して更に明瞭なる区別なれば、俳句に地名を用うるはもっとも簡単なる語を以て、もっとも錯雑(さくざつ)[いろいろなものが秩序なく混じっていること]なる形象を現はすの一良法なりといへども、奈何(いかん)せん一人にして地球上の地名とその光景とを尽(ことごと)く知るを得ず。かつその区別明瞭なるが故に、これを用うるの区域、甚(はなは)だ狭隘(きょうあい)[面積、度量が狭いこと]を感ずるなり。他語以てこれをいへば、四季の名称に対する者は地名なりといへども、地名は区域明瞭に過ぎて狭隘に失し、かつその地を知らざる者には何らの感情をも起さしむる事かたし。即ち四季の変化は何人(なんびと)も能(よ)くこれを知るといへども、東京の名所は西京(さいきょう)の人これおを知らざる者多く、西京の名所は東京の人これを知らざる者多きが如きなり。

第五 修学第一期

[朗読2]
一、俳句をものせん[「ものする」で、ある動作をすることを婉曲して言う表現]と思はば思ふままをものすべし。功を求むる莫(なか)れ、拙(せつ)を蔽(おほ)ふ莫れ、他人に恥かしがる莫れ。

一、俳句をものせんと思ひ立ちしその瞬間に、半句にても一句にても、ものし置くべし。初心の者は、とかくに思ひつきたる趣向を、十七字に綴(つづ)り得ぬとて思ひ棄つるぞ多き、太(はなは)だ損なり。十七字にならねば、十五字、十八字、十九字、乃至(ないし)二十二、三字、一向に差支(さしつかえ)なし。また、みやびたる、しやれたる言葉を知らずとて、趣向を棄つるも誤れり。雅語(がご)、俗語、漢語、仏語(ぶつご)、何にても構はず、無理に一首の韻文となし置くべし。

一、初めより切字(きれじ)、四季の題目、仮名遣(かなづかい)等を質問する人あり。万事を知るは善(よ)けれど、知りたりとて俳句を能くし得べきにあらず。文法知らぬ人が、上手な歌を作りて人を驚かす事は世に例多し。俳句は殊(こと)に言語、文法、切字、仮名遣など、一切なき者と心得て可なり。しかし、知りたき人は、漸次(ぜんじ)[だんだん]に知り置くべし。

一、俳句をものしたる時は、その道の先輩に示して教(おしえ)を乞ふも善し。初心の者の恥かしがるは、かへつてわろし。なかなかに初心の時の句は、俗気をはなれてよろしく、少し巧になりし後は、なまなか[どちらともつかず、中途半端]に俗に陥(おちい)る事多し。

一、初心の恥かしがりて、ものし得べき句をものせぬはわろけれど、恥かしがる心底(しんてい)はどうがなしてどうがな[なんとか、どうにか]して善き句を得たしとの望(のぞみ)なれば、いと殊勝(しゅしょう)[ことに優れていること/感心なこと]なり。この心は後々までも持ち続きたし。

一、自ら多く俳句をものして人に見せぬ者あり。教を乞ふべき人なしと思はば、見せずとも可なり。多くものする内には、自然と発明する事あり。先輩に聞けば一口にして知り得べき者を、数月数年の苦辛(くしん)を経て漸く発明するが如きは、やや迂(う)に似たれども、なかなかに迂ならず。此(かく)の如く苦辛して得たる者は、脳中に染み込む事深ければ、再び忘るる事なく(一)、句をものする上に応用しやすく(二)、かつ他日また発明するの端緒(たんしょ)[物事の手がかり、糸ぐち]となるべし(三)。

一、自らものしたる句は、紙片に書き記し置くべし。時々繰り返して、己の句を吟じ見るも善し、その間に、前に言ひ得ざりし事を言ひ得るもあらん。また、己の進歩を知るたよりともなりて、一はひとり面白く、一は更に一段の進歩を促す事あるべし。

一、四季の題目は、一句中に一つづつある者と心得て詠みこむを可とす。但(ただ)し、あながちになくてはならぬとには非ず。

一、なるべくその時候の景物を詠ずる事、聯想が早く、感情が深くしてものしやすし。尤(もっと)も、春にゐて秋を思ひ、夏にゐて冬を思ふ事も、全く欠くべからず。ただ興の至るに任せて勝手たるべし。

一、自ら俳句をものする側に古今(ここん)の俳句を読む事は最(もっとも)必要なり。かつものし、かつ読む間には、著しき進歩を為すべし。己の句に並べて他人の名句を見るときは、他人の意匠惨憺(さんたん)[さまざまと心悩ますこと。苦心惨憺/なげかわしく悲しむこと]たる処を発見せん。他人の名句を読みて後、自ら句をものする時は、趣向流出し句調自在になりて、名人の己に乗り遷(うつ)りたらんが如き感あるべし。

一、自ら著く進歩しつつあるが如く感じたる時、あるいは何とはなけれどただ無闇(むやみ)に趣向の溢(あふ)れ出るが如く感じたる時は、その機を透(す)かさず[間髪を入れず]幾何(いくばく)にても出来るだけものし見るべし。かかる時は、たしかに一段落をなして進歩すべき時機にして、仏教の大悟徹底(たいごてってい)[悟りきって真理と一体になること]、基督教(キリストきょう)の降神(こうしん)とその趣(おもむき)を同じくし、心中に一種微妙の愉快を感ぜん。但しかかる事は、俳句修学の上に幾度もある事なり。一度ありたりとて自ら已(すで)に大悟徹底したるが如く思はば、野狐禅(やこぜん)[仏教で、悟らずのうちに、悟ったとうぬぼれること]に堕(お)ちて、五百生(ごひゃくしょう)の間輪廻(りんね)[仏教で、車輪の回転のように、生き死にを繰り返し、悟れずの迷いの世界に留まり続けること]を免れざるべし。志(こころざし)は大にすべき事なり。

一、古人の俳句を読まんとならば、総じて元禄(げんろく)、明和(めいわ)、安永(あんえい)、天明(てんめい)の俳書を可とす。就中(なかんずく)『俳諧七部集』『続七部集』『蕪村七部集』『三傑集』など善し。家集にては『芭蕉句集』(何本にても善けれど玉石混淆しをる故注意すべし)、『去来発句集(きょらいほっくしゅう)』『丈草(じょうそう)発句集』『蕪村句集』などを読むべし。但し、いづれも多少は悪句あるを免れず。中にも最も悪句少きは『猿蓑(さるみの)』(俳諧七部集の内)、『蕪村七部集』『蕪村句集』位(ぐらい)なるべし。(『故人五百題』は普通に坊間[「ぼうかん」町中。市中。世間]に行はれて初学には便利なり)

一、古俳書など読むも善し、あるいはこれを写すも善し、あるいは自ら好む所を抜萃(ばっすい)[=抜粋]するも善し、あるいは一の題目の下に類別するも善し。

一、古句を半分位窃(ぬす)み用うるとも、半分だけ新しくば苦しからず。時には古句中の好材料を取り来りて自家の用に供すべし。あるいは古句の調に擬(ぎ)して、調子の変化をも悟るべし。

一、月並風(つきなみふう)に学ぶ人は、多く初めより巧者を求め、婉曲(えんきょく)[遠回しの表現で、角を立てずに表すさま]を主とす。宗匠(そうしょう)また此方より導く故に、終(つい)に小細工に落ちて活眼(かつがん)[物事を見抜く眼]を開く時なし。初心の句は、独活(うど)の大木(たいぼく)の如きを貴(とうと)ぶ。独活は庭木にもならずとて、宗匠たちは無理にひねくりたる松などを好むめり。尤(もっと)も箱庭の中にて俳句をものせんとならば、それにても好し。しかり、宗匠の俳句は箱庭的なり。しかし俳句界はかかる窮屈なる者に非ず。

一、初心の人、古句に己の言はんと欲する者あるを見て、古人已に俳句を言ひ尽せりやと疑ふ。これ平等を見て差別を見ざるのみ。試みに今一歩を進めよ。古人は何故(なぜ)にこの好題目を遺(のこ)して乃公(だいこう)[(男子の自称)目上より目下に、あるいは尊大に「我」「我が輩」といった意味]に付与したるかと怪むに至るべし。

一、初心の人、天の川の題を得て、句をものせんとす。心頭(しんとう)[こころの中、念頭]先(ま)ず浮び来る者は

あら海や佐渡に横たふ天の川 芭蕉

真夜中やふりかはりたる天の川 嵐雪(らんせつ)

更(ふ)け行くや水田(みずた)の上の天の川 惟然(いぜん)

などなるべし。この時、千思万考(せんしばんこう)[いろいろに考えを巡らすこと。千思万慮(せんしばんりょ)]佳句を探るに、天の川の趣は終(つい)に右三句に言ひ尽されて、寸分の余地だもなき心地す。乃(すなわ)ち筆を抛(なげうっ)て大息(たいそく)して曰く、已(や)みなん已(や)みなんと。已(やみ)にして古俳書を繙(ひもと)く、天の川の句、頻りに目に触るるを覚ゆ。たとひ上乗(じょうじょう)[仏教用語の大乗のこと/もっとも優れていること]にあらざるも、皆一種の句調と趣向とを備へて、必ずしも陳腐ならず。例へば

一僕(いちぼく)を雨に流すな天の川 浪化(ろうか)
[「一僕」はひとりの下男、使用人くらいの意味]

打ち叩く駒のかしらや天の川 去来

引はるや空に一つの天の川 乙州(おとくに)

西風の南に勝つや天の川 史邦(ふみくに)

よひ/\に馴(な)れしか此夜天の川 白雄(しらお)

天の川星より上に見ゆるかな 同

江に沿(そ)ふて流るゝ影や天の川 暁台(きょうたい)

天の川飛びこす程に見ゆるかな 士朗(しろう)

天の川糺(ただす)の涼み過ぎにけり 同

天の川田守(たもり)とはなす真上かな 乙二(おつに)

てゝれ干す竿(さお)のはづれや天の川 嵐外(らんがい)

  巨鼇山(きょごうやま)
山風や樫(かし)も檜(ひのき)も天の川 同
[「巨鼇山」は、徳島県にある山で、四国八十八箇所巡りの一つ雲辺寺(うんぺんじ)がある]

などものしたる。あるいは滑稽に、あるいは壮大に、あるいは真率(しんそつ)[ありのままで包み隠さないこと、正直でかざらないこと]に、あるいは奇抜に、あるいは人事的に、十人十色なるを思へば、初めの我思案こそ拙(つたな)かりけれ。天の川を、ただ大きく天にひろがりたるものとばかり見し故に、趣向は浮ばざりしなり。なるほど、七夕星を人間と見て、それが恋のために裾(すそ)引つからげて天の川を渡る処など思ひなば、可笑(おか)しき事もありなん。日暮れて馬上に銀河を見上げたる処、山上樹木鬱葱(うっそう)たる上に銀河の白くかかりたる処、途上に人と咄(はな)しながらふと仰向けば、銀河の我首筋に落ちかかる処、天の川を大きく見ず、かへつて二、三尺ほどの溝川(みぞがわ)の如く見立てたる処、あるいは七夕に手向(たむ)けたる犢鼻褌(とくびこん)[ふんどし、さるまた]の、銀漢(ぎんかん)[=天の川]をかざしてひらひらと翻(ひるがえ)る処、見様によれば、ただ一筋の天の川は、幾様にも変り得べき者なりしを合点(がてん)するなるべし。

一、なまじひ[ここでは、「中途半端に、うかつに、深いこころもなく」といった意味]に他人の句を二、三句ばかり見聞きたる時は、外に趣向なき心地す。十句二十句百句と多く見聞く時は、かへつて無数の趣向を得べし。古人が既に己の意匠を言ひをらん事を恐れて、古句を見るを嫌ふが如きは、耳を掩(おお)ふて鈴を盗む[もと「呂氏春秋」より「耳を掩いて鐘を盗む」音を聞かれないように自分の耳を塞いで鐘を盗み出す。こころに反する行為をしながら、考えないようにすること。あるいは逆に、人に知られないように努める悪事の、人に知られていること]よりもなほ可笑(おか)しきわざなり。

一、一題一句づつ、多くの題につきて句を試むるも善し。あるいは一題十句、一題百句などの如く、一題にて出来るだけの変化を試むるも善し。

一、一題百句などをものせんとする時は、初めの四、五句を得るに非常の苦吟を感ずべし。その後はやや容易にものし得て、二、三十句に達したる後は、百句たちどころに弁ずべく、なほ百句位は出来べき心地すべし。

一,運座(うんざ)[俳諧において一同が一定の題について句作し、互いの句を選じあうような会合]点取(てんとり)[点取俳諧。句を批評して点数を付け、それを競い合うもの]など、人と競争するも善し。秀逸の賞品を得るが如きは野卑にして、君子の為すべき所に非ず。俳句の下巻、または巻を取るは苦しからず。時宜(じぎ)[時がちょうどよいこと/その時の状況]に由(よ)りて俳書を賞品と為すも善かるべし。

一、三笠附(みかさづけ)[冠付(かむりづけ)の一つで、三つの上句五字を出されたものに対して、それぞれが中下句を付けて、優劣を競い合うもの]、懸賞発句募集、その外、博奕(ばくえき)[博打(ばくち)、賭博(とばく)のこと]に類し私利に関する事には、たづさはるべからず。

一、一時間に幾十百句をものするも善し、数日を費(ついや)して一句を推敲(すいこう)するも善し。早くものすれば、放胆(ほうたん)[思いきりよく大胆なこと]の方(かた)に養ふ所あり、苦しみてものすれば、小心[気の小さいこと/細心なこと、慎み深いこと]の方に得る所あり。

一、俳句の中に、言語または材料の解する能はざる者あらば、索引書(さくいんしょ)または学者につきてこれを問ひ糺(ただ)すべし。言語、材料、尽く分明(ぶんめい・ぶんみょう)[あきらかなこと、はっきり区別のつくこと]に解し得ながら、一句の意味に解する能はざる所あらば、自ら熟思(じゅくし)[深く考えること]すべし。熟思して得ざれば、則(すなわ)ち学者に問へ。

一、初学の人、俳句を解するに、作者の理想を探らんとする者多し。しかれども俳句は理想的の者極めて稀(まれ)に、事物をありのままに詠みたる者最も多し。しかして趣味は、かえって後者に多く存す。例へば

古池や蛙(かわず)飛びこむ水の音 芭蕉

といふ句を見て、作者の理想は閑寂(かんじゃく)を現すにあらんか、禅学上悟道の句ならんか、あるいはその外何処(いずく)にかあらんなどと穿鑿(せんさく)[穴を掘ること/深く考える、あるいは調べること]する人あれども、それはただそのままの、理想も何もなき句と見るべし。古池に蛙が飛び込んでギャブンとしたのを聞きて、芭蕉がしかく[「然く」つまり「そのように」といった意味]詠みしものなり。

  稲妻やきのふは東けふは西

といふは諸行無常(しょぎょうむじょう)的の理想を含めたるものにて、俗人はこれを佳句の如く思ひもてはやせども、文学としては一文の価値なきものなり。

一、初学の人にして譬喩(ひゆ)、難題、冠附(かむりづけ)[上五字が出されたものに、十二字を加えて一句となすもの]冠履(かんり)[冠とくつの意味。上位と下位。あるいは、冠履顛倒(かんりてんとう)「上下の順序が乱れること」を踏まえて、句の上下を替えて作ったりするものを指すのか? 不明]回文(かいぶん)[後ろから詠んでも同じ発音というやつ。いわゆる「たけやぶやけた」]盲附俳句(めくらづけはいく)[これも不明。空いたところを埋めるものだろうか?]、時事雑詠等の俳句をものせんとする人、間々あり。しかれどもこれらの条件は皆、文学以外の分子にして、言はば文学以外の事に文学の皮を被(き)せたる者なり。故に普通に言ひおほせたりとて、俳句にはならぬなり。もし此(かく)の如き題をものして、しかも多少の文学的風韻(ふういん)[おもむきのあること。雅致(がち)]あらしめんとするは老熟の上の戯(たわむ)れなり。初学の企て及ぶ所にあらず。

一、学識なき者は雅俗の趣味を区別すること難く、学識ある者は理想に偏(へん)して文学の範囲外にさまよふこと多し。しかれども終局において学識ある者は、学識なき者にまさること万々(ばんばん)なり。

一、文章を作る者、詩を作る者、小説を作る者、俄(にわ)かに俳句をものせんとして、その語句の簡単に過ぐるを覚ゆ。曰く、俳句は終(つい)に何らの思想をも現はす能(あた)はずと。しかれどもこれ、聯想の習慣の異なるよりして来る者にして、複雑なる者を取て尽(ことごと)くこれを十七字中に収めんとする故に成し得ぬなり。俳句に適したる簡単なる思想を取り来らば、何の苦もなく十七字に収め得べし。よしまた複雑なる者なりとも、その中より最(もっとも)文学的、俳句的なる一要素を抜き来りて、これを十七字中に収めなば俳句となるべし。初学の人は議論するより作る方こそ肝心なめれ。

一、俳句の古調を擬(ぎ)する者あれば「古し」「焼直しなり」などとて、宗匠輩(そうしょうはい)は擯斥(ひんせき)[のけものにすること。しりぞけること]何ぞ知らん、自己が新奇(しんき)[目新しく、変わっていること]として喜ぶ所の者、尽く天保(てんぽう)以後の焼直し過ぎず。同じくこれ焼直しなりとも、金と鉛とは自(おのずか)ら価値に大差あり。初学者、惑(まど)う莫(なか)れ。

一、古俳書なりとも、俳諧の理窟を説きたる者は、初学者の見るべき者に非ず。蕉門(しょうもん)の著書といへども十中八、九は誤謬(ごびゅう)[あやまり、間違い]なり。その精神は必ずしも誤謬ならざるも、その字句はその精神を写す能はずして、後生(こうせい)[後から生まれた者、後から学んだ者]の惑(まどい)を来す者、比々(ひひ)[物事の連なるさま、あるいはどれも同じような状態にある様子]皆これなり。もし仮名遣、手爾波(てには)などを学ばんと思はば、俳書に就かずして普通の和書に就け。『古言梯(こげんてい)』『詞(ことば)の八千衢(やちまた)』『詞の玉の緒』[前から順に、楫取魚彦(かとりなひこ)、本居春庭(もとおりはるにわ)、本居宣長(もとおりのりなが)による編]など、幾何もあるべし。

一、俳諧は滑稽なりとて、滑稽ならざるは俳句にあらずといふ人あり。局量(きょくりょう)[こころの広さ、人を入れる度量]の小なる一笑するに堪(た)えたり。これ、己れたまたま滑稽よりして俳諧に入りしかば、しか言ふのみ。濁酒を好む馬士(まご)の、清酒を飲んで酒に非ずといひたらんが如し。

一、初学の人にして、自己の標準立たずとて苦にする者あり。尤(もっと)もの事なれど、苦にするに及ばず。多くものし多く読むうちには、おのづと標準の確立するに至らん。

一、俳句はただ己れに面白からんやうにものすべし。己れに面白からずとも人に面白かれと思ふは、宗匠門下の景物連(けいぶつれん)の心がけなり。縮緬(ちりめん)一匹[縮緬の単位は、巻ごとなら「匹(むら)」と数え、長さなら「匹(ひき)」と数えるようだ]、金時計一個を目あてにして作りたる者は、縮緬と時計とを取り外したるあとにて見るべし。我ながら、拙(つたな)し、卑(いや)しと驚くほどの句なるべし。

一、[=間]ある時に是非とも俳句をものせんとあがくも宜(よろ)しからず。忙しき時に無理に俳句をものせんとなやむも宜しからず。出づる時は出づるに任せ、出ぬ時は出ぬに任すべし。閒なる時一句をも得ずして、忙しき時に数句をたちどころに得る事あり。最もおもしろし。

一、俳句のために邪念を忘れたるは善し、ゆめ本職を忘るべからず。しかれども、熱心ならざれば道に進まず。熱心なれば本職を忘るるに至る。その程度を知るは、その人にあり。

一、俳句の題は、普通に四季の景物を用う。しかれども題は、季の景物に限るべからず。季以外の雑題を取り、季に結んでものすべし。両者並び試みざれば、終に狭隘(きょうあい)[面積、度量が狭いこと]を免れざらん。

一、俳句の題は必ずしも、その題を主としてものするを要せず。ただその題を詠みこまば、それにて十分なり。例えば頭巾(ずきん)といふ題を得たる時に、頭巾を主としてものすれば、俗に陥りやすく陳腐に傾きやすし。故に時々、この題を軽く詠みこみて、他へそらすことも忘るべからず。

    始めて東武に下る時
頭巾取り襟(えり)つくろふや富士の晴れ  湖春(こしゅん)

といふが如き、富士を主としたるものをものするも差支なし。此の如くならざれば、尽く陳腐に流れて、しかも変化すべき区域狭くなるべし。故に俳句の題は、和歌の如く題に叶う叶わぬを、やかましく穿鑿(せんさく)[穴を掘ること/深く考える、あるいは調べること]するに及ばず。

一、俳句の題を得たる時は、それを主とせずして可なるのみならず、その題を全く空想中の物となして、実在せしめざるもまた可なり。例えば、蔦(つた)といふ秋季の題を得たる時

野の宮の鳥居に蔦もなかりけり  涼菟(りょうと)

の如く、蔦といふ実物を、句中に現在せしめざるも差支なし。これにてやはり秋季と為るなり。

一、月並者流の題に、文字結(もじむすび)と言ふ事あり。例えば雪の題にて結字(むすびじ)「後」と定められたる時は、雪の句の中に「後」の字をも詠みこむなり。これは単に雪の題ならば、俗俳家が古人の雪の句を剽窃(ひょうせつ)[他人の詩歌や文章をかすめ取って自らのものとして発表すること]し来り、または自己の古き持句を幾度(いくたび)も出さんとする者多き故に、これを予防するの策なり。いやしくも徳義(とくぎ)[道徳上における義理、義務]を解し、廉恥(れんち)[恥を知るこころを持っていること。また、そのこころ]を知る人に対して為すべきに非ず。いはんや文字結なる者は、到底佳句を得る能はざるをや。

一、他人が悪しと言ふ句も、己が善しと思はば、人に構はずその種類をものすべし。もしその種の句にして果たして悪き者ならば、長くものし、多くものする間には、自然と厭嫌(えんけん)[(=厭倦か?)そうであるならば、「飽きて嫌になること」]を生ずべし。

一、初学の人、古人の俳句を見て、毫も解する能はざる者多しとす。これ畢竟(ひっきょう)[つまるところ、要するに]古句を見る事の少きがためなり。古句解すべからずとて、俳句は学びがたしと為すに及ばず。能(よ)く解し得る者よりして道に進むべし。

一、あるいは、解しがたきの句をものするを以て、高尚(こうしょう)なりと思惟(しい)するが如きは、俗人の僻見(へきけん)[偏った見方、偏見(へんけん)、びゃっけん]のみ。佶屈(きっくつ)[詰まっていて、かがまっている(腰などが曲がる、かがむ)様子/文章などが難しくて理解し難いこと]なる句は貴からず、平凡なる句はなかなかに貴し。

一、俳句の妙味は終に解釈すべからざるを以て、各人の自悟(じご)[みずから悟ること]を待つより外なしといへども、字句の解釈に至りては、もとより容易に説明し得べし。故に初学者のために古句の解釈を与え、併(あわ)せて多少の批評を為すべし。

《修学第一期中に列ねたる条項は思ひつくままに記したるを以て、前後錯綜(さくそう)[複雑に入り組むこと、入り交じること]重複(ちょうふく)あるを免れず、読者請(こ)ふ、これを諒(りょう)せよ》

[朗読3]
一、  朝顔に釣瓶(つるべ)取られてもらひ水  千代(ちよ)

朝顔の蔓(つる)が釣瓶に巻きつきて、その蔦を切りちぎるに非ざれば、釣瓶を取る能わず。それを、朝顔に釣瓶を「取られた」といひたるなり。釣瓶を取られたる故に、余所(よそ)へ行きて水をもらひたるといふ意なり。この「もらひ水」といふ趣向、俗極まりて蛇足(だそく)なり。朝顔に釣瓶を取られたとばかりにてかへつて善し。それも「取られて」とは最(もっとも)俗なり。ただ朝顔が釣瓶にまとひ付きたるさまを、おとなしくものするを可とす。この句は人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)[「膾」(なます)と「炙(あぶ)りもの」の意味から、広く人々に好まれ言いはやされて、よく知られていること]する句なれども、俗気多くして俳句とはいふべからず。

一、  井戸端(おどばた)の桜あぶなし酒の酔(えい)  秋色(しゅうしき)

これは秋色(しゅうしき)といふ女が、十三歳の時ものして上野の桜に結びつけたりとて、その桜を秋色桜と名付け、今も清水堂の裏手に囲ひたる老樹なり。井戸もその側に残りあり。(されども考証家の説に拠れば、真の秋色桜の位置は此処にあらずして、擂鉢山(すりばちやま)[上野の清水堂の北側の小丘のこと。天神山]に近き方なりと)この意は、井戸端に桜の咲きたるを見んとて、酔どれし人の何の気もなくその木の下に近よるにぞ、もし過(あやま)つて井の中に落ちもやせんと気遣ひたるなり。「あぶなし」といふ語の主格は酔人(すいじん)にして桜にあらず。しかもその酔人といふ語はなく、ただ「酒の酔」と虚にいひたるのみなれば、普通の文章のやうに解しては解しがたきわけなり。さてこの句も、千代の朝顔の句と同じく、俗にして見るに堪(た)へず。ただ、千代のに比すれば俗気少からんか。

一、  蚊にこまる蚊もまたこまる団扇(うちわ)かな  失名

誰の句とは知らねど、俗間(ぞっかん)[世俗の間。世間]に伝承する句なり。意義は解釈するまでもなし。この句の如きは俗のまた俗なるものにして、前二句に比するもまた数等の下にあり。ただ俗間、此(かく)の如きものを発句と称(とな)へをる者多き故に、その妄(もう)[つつしみのないこと、みだりなこと]を弁ずるのみ。

一、  何事ぞ花見る人の長刀(なががたな)  去来

意は長刀さしたる人の、花見に出掛けたるを咎(とが)めたるなり。花見とならば、いかめしき長刀をさして、群衆の中へ出るでもあるまじきに、その無風流は何事ぞ、と嘲(あざけ)りたるなり。これらは多少の理想を含みをる故に、俗間(ぞっかん)[世間、世間のあいだ]に伝はり称せらるれども、名句と言ふは必ずしもこの種の句に限らざるなり。否、この種の句は最も卑俗(ひぞく)[いやしく俗っぽいこと、下品なこと]なりやすきものと知るべし。この句は、此の如く理想を含みたる句の上にては上乗(じょうじょう)[(仏教用語)最も優れている教え、大乗/もっとも優れていること]とすべき名句なれども、初学者のこの種の句を学ぶは最も危(あやう)し。

一、  蒲団(ふとん)着て寝たる姿や東山  嵐雪

これは実景(じっけい)[実際の景色]を知らぬ人は、その味(あじわい)を解しがたし。試みに京都に行きて、つくづくと東山を見るべし。低き山の近くにありて、しかも頂(いただき)の少しづつ高低ある処、あたかも人が蒲団をかぶりて寝たるに似たり。さればこそ、この譬喩的の吟ありたるなれ。この句は品の善き句にあらねども、滑稽と軽妙とを以て勝りたるものにして、容易に模倣し得べきに非ず。しかしてこの句につきて俗人は勿論(もちろん)、普通の文学者にも解しがたき、俳句上の特色あり。そは「冬の季」といふことなり。蒲団は冬季にして、この句は蒲団を譬喩に用ゐたれども、他に季とすべき者なければ、やはり冬季と為るなり。俗人の解するが如く、この句を単に東山の譬喩とするのみならば、ちよつとをかしきばかりにて何の趣(おもむき)もなき訳なれども、冬季になる故に趣を生ずるなり。さすがの都(みやこ)も冬枯れて、見るもの淋しく寒きが中に、かの東山を見れば、これも春の頃のなまめきたる様子を棄てて、ただひつそりと寒さうに横(よこた)はる処、如何(いか)にも蒲団うちかぶりて寝たると見れば、淋しさの中に多少のをかしみもありて、何となく面白う感ぜらるるなり。人もしこれを疑はば、夏の東山を見てこの句を味ひ、更に冬の東山を見てこの句を味ひ、以てその趣の多少を比較すべし。必ず発明する所あらん。

一、  我雪(わがゆき)とおもへば軽(かろ)し笠(かさ)の上  其角

普通には「我がものと思へば軽し笠の雪」として伝はれり。されど「我もの」としては甚だ俗なり、「我雪」の方に従ふべし。意味は解釈するまでもなし。こは端唄(はうた)[江戸時代に流行した三味線小唄]などに入りたるため、多少艶体(えんたい)[なまめかしい態度。動作。嬌態(きょうたい)]に近き感を生じ、俗人は有難がれど、これ即(すなわ)ちこの句の俗なる所以(ゆえん)なり。其角の句としては、斬新を以て賞すべし。もしこれを模倣(もほう)する者あらば、直ちに邪路(じゃろ)[間違った方向、よくない道、邪道]に陥ること必定(ひつじょう)[必ずそうであることが定められていること/きっと、かならず]なり。

一、  しばらくは花の上なる月夜かな  芭蕉

芭蕉、吉野にての吟なり。これは吉野の鼻の多きことを言へるものにして、そこら一面の花なれば、月もしばらくは花の上を立ち去らずとの意なり。此処にて「しばらく」といふは、やや久しきことを言へり。これは素人好(しろうとずき)のする句なれども、深き味のなき句なり。けだし実景を写さずして理想に趨(はし)りたるがためならん。

一、  わが事と泥鰌(どじょう)の逃げし根芹(ねぜり)かな  丈草

芹(せり)[セリ科の多年草。「根芹」は芹の別称で、根を食用にするので命名とか]は春のはじめなり。芹摘(つ)みにと手を出したれば、芹のあたりにゐたる泥鰌の、捕へられんとや恐れけん、あちらに逃げ隠れたりといふ意にして、泥鰌を擬人法にして軽くおどけたる処、丈草の独擅(どくせん)[自分の思うがままに振る舞うこと、思い通りにすること]なり。上品に非ざるも、なほ名句たるを失はず。

一、  門前の小家(こいえ)もあそぶ冬至かな  凡兆

冬至とは日の短き極端にして、一陽来復(いちようらいふく)[陰が極まって陽へと転じるの意から冬至を指す他、陰暦の十一月を指すこともあり、冬が極まって春が訪れることを指すこともある]の日なり。しかれどもここにては、右の如き意味に用ゐたるに非ず。けだし冬至は禅宗において供養の定日(じょうじつ)[定められた日、「ていじつ」]なるを以て、寺の門前に住みたる小家も、お寺の縁によりこの日は遊び暮らすとなり。門前とは、普通の家の門前ならずして、寺の門前なることは一句の上にて明かなり。また門前の小家といふこと、何のための家とは分らねど、前後の趣より察すれば、いずれ直接か間接か、この寺のために生活しをる小家とは知れるなり。こは元禄の句なるが、当時にありて門前といふが如き、言ひなれぬ漢語を用うることは少きに、これはかへつて後世蕪村の調にも似たるは如何(いかん・いかに)といふに、山門前の意味なれば漢語にて門前と読ませたるなり。山門に限らず仏語(ぶつご)には漢音の用語多し。さて、この句の値(あたい)を論ぜんに、もとより余韻ある句にあらねど、一句のしまりてたるみなき処、名人の作たるに相違なく、はた[「将(はた)」ここでは肯定の意味をあらわすものとして、「やはり」「はたして」くらいの意味]冬至の句としては上乗の部に入るべし。澹泊(たんぱく)[=淡泊]に何気なく言ひ出したる処、かへつて冬至の趣ありて味ひあり。

一、  里人の渡り候(そうろう)か橋の霜  宗因(そういん)

句意は橋上(きょうじょう)の霜に足跡あるを見て、大方里人のはや渡りたらんか、と想像したるまでなり。されどこの句は檀林(だんりん)[西山宗因(1605-1682)を中心にして栄えた俳諧の一派。あるいは潮流である談林派(だんりんは)のこと]の開祖宗因の作にして、一句の目当(めあて)は趣にあらず、かへつて言葉の上の口あひ[互いの話がよくあうこと/上方語で地口(じぐち)、すなわちシャレのこと]にあること檀林の特色なり。この句も候(そうろう)などの字をつかひたるは、謡曲の文句を用ゐたるなれども、そればかりにては、いまだ口あひにならず。けだし謡曲の中には「里人の渡り候か」といふ言葉あるべし。(今、何の中にありと記憶せねども)その謡曲の意は、この辺に里人はおぢやるか、と尋ねたるものなるを、この俳句にては「渡(わたり)」の字の意義を転用して、おぢやるといふ事には用ゐず、橋を渡るの渡る意に用ゐ、以て口あひとしたるなり。檀林風の句多くはこの種なり。さてこの種の句は、俳諧史の上には著(いちじるし)き功績ありたれども、今日より評せんには、一文の価値もなかるべし。いはゆる、趣味余韻の如きは、毫もこれを有せざるがためのみ。

一、  世の中は三日見ぬ間に桜かな  蓼太(りょうた)

名高き句にて、世の人大方は知れり。句意は、世の中の有為転変(ういてんぺん)[〔仏〕この世は因縁によって仮にできており、移り変わってしばらくも一定の状態にないこと。世事の移り変わりやすいこと。有為無常。(広辞苑より)]なるは、桜花の少しの間に咲き満ちたると同じとなり。誰にも能(よ)く分る句にて、しかも理想を含みたれば、世人(せじん)[世の中の人]には賞翫(しょうがん)[その良さを味わい愛でること、珍重すること/尊重すること、賞賛すること]せらるるものと覚えたり。されども理想を含みたる者、必ずしも善(よ)からざるは前にも言ひたる如し。いはんや、この句の如き格調の下品なる者は、俳句とも言ひがたき位なり。されどもはじめての作としては、保存するも可なり。ゆめ[ここでは「決して」の意味]、模倣すべからざるものなり。俗には「三日見ぬ間の」と伝へたれども、やはり「見ぬ間に」と「に」の字の方よろし。「の」とすれば全く譬喩となりて味少く、「に」とすれば「桜」が主となり実景となる故に、多少の趣を生ずべし。

一、  朝顔や紺(こん)に染めても強からず 也有(やゆう)

糸などを紺に染むれば、糸が強く丈夫になるとは俗に言ふ所なり。されど朝顔の花は紺色のも、やはりその朝限りの命にて、強くもあらずとおどけ興じたるなり。也有の句、概(おおむ)ねこの類(たぐい)なり。これらもちよつとをかしみあれど、初学の模倣すべきものにはあらず。

一、  御手討(おてうち)の夫婦(めおと)なりしを衣がへ  蕪村

善く昔の小説にある筋を詠みたるなり。某の男、おのが主人の娘、または腰元(こしもと)[腰のまわり、身の回り/貴人のそばに仕えて雑用をこなす女]などに馴れ初(そ)めし[はじめて恋仲になる]が、いつしかその事主人の耳に入り、不義は御家の御法度(ごはっと)なりとて御手討になるべき処を、側の者が申しなだめて、二人の命を乞(こ)ひたるならん。その後二人は夫婦となりて、安楽に暮らしをるさまを、かくはつづりしなめり。「衣がへ」は「更衣」とも書きて、夏の初めに綿入(わたいれ)[裏布との間に綿を詰めた衣類のこと]を脱ぎ、袷(あわせ)[表裏の布を合わせて作った裏地つきの衣類]に着かふることをいふ。特にこの句に更衣を用ゐたるは、今は二人の者が世帯を持ちて平穏に暮らしをる事を現さんがためにして、これらの言廻し、取り合わせなど、総(すべ)て老練の極なり。人世(じんせい)[人の世の中]の複雑なる事実を取り来りて、かくまでに詠みこなすこと、蕪村が一大俳家として芭蕉以外に一旗幟(きし)[旗とのぼり。はたじるし/はっきりした態度]を立てたる所以(ゆえん)なり。因(ちな)みにいふ、この趣向は小説の上にはありふれたりといへども、蕪村時代には、また箇様(かよう)な小説はなかりしものなり。蕪村は慥(たし)かに小説的思想を有したり。

一、  おちぶれて関寺(せきでら)うたふ頭巾かな  几董

頭巾は冬季なり。関寺とは「関寺小町(せきでらこまち)」といふ謡曲の名にして、小町[和歌で知られる小野小町のこと]がおちぶれし後の事を綴(つづ)りたるなり。昔はさるべき人[「然るべき人」の意味で「そうあるべき事が当然な人」といった意味だが、ようするに「ふさわしい身分の人」つまり「立派な人」くらいの意味]の今はおちぶれて関寺小町などを謡ひをるさまを詠めり。零落(れいらく)[草木が枯れ落ちること/落ちぶれること、貧しくなること]せし人故に、特に関寺小町を取り合わせたるなり。頭巾とは、おちぶれし人の頭巾着てをるをいふなり。「うたふ頭巾かな」といふ続きにて、頭巾着た人が謡ふとなること、俳句において通例の句法なり。また、頭巾といふ季を結びたるは、冬なれば人の零落したる趣に善く副(そ)ひ、また頭巾を冠(かぶ)りて侘(わ)びたる様子も見ゆる故なり。

一、  うちそむき木を割る桃の主(あるじ)かな  白雄

桃とは桃花のことにて春季なり。桃の主とは、前後の模様にて考ふれば樵夫(きこり)か百姓などの類(たぐい)なるべし。木を割るとは、薪(まき)を割るなり。「うちそむき」とは、桃の花を背にして木を割る、といふ意なり。即景そのままにして、多少の野趣(やしゅ)[野山や田舎などの自然のままの趣、ひなびた味わい]あり。

[朗読4]

一、  時鳥(ほととぎす)鳴くや蓴菜(ぬなわ)の薄加減  暁台(きょうたい)

「蓴菜」は俗にいふ「じゅんさい」にして、此処にては「ぬなは」と読む。薄加減は、じゅん菜の料理のことにして、塩の利かぬやうにする事ならん。さて、時鳥と蓴菜との関係は如何といふに、関係といふほどのものなく、ただ時候の取り合わせと見て可なり。必ずしも、蓴菜を喰ひをる時に時鳥の啼き過ぎたる者とするにも及ばず。ただ蓴菜の薄加減に出来し時と、時鳥のなく時と、ほぼおなじ時候なるを以て、この二物によりこの時候を現はしたるなり。しかも二物とも夏にして、時鳥の音の清らなる、蓴菜の味の澹泊(たんぱく)なる処、能(よ)く夏の始(はじめ)の清涼なる候を想像せしむるに足る。これらの句は、取り合わせの巧拙によりて、ほぼその句の品格を定む。

一、  初雪やくばり足らいで比枝許(ひえばか)り  蝶夢(ちょうむ)

初雪が降ることは降つたが、余り少量故何処(どこ)も彼(か)も降るといふわけには行かず、ただ比叡山の上ばかりに降つたといふことなり。配り足らぬとは、初雪を擬人法にしてさういふなり。巧者(こうしゃ)な句といふべし。

一、  砂川や枕のほしき夕涼み  蘭更(らんこう)

砂川に出で涼みてをれば、涼しくもあり、かつは余り砂川の清らさらに、枕(まくら)をかりてこの河原表(かわらおもて)の砂の上に寐転(ねころ)びたしとの意にて、軽妙なる句なり。

一、  追々に塔の雫(しずく)や春の雪  二柳(じりゅう)

春の雪は早く解けるものなり。されど五重の塔の屋根には日向(ひなた)と日陰といろいろある故に、先(ま)づ一処(ひとところ)より解け初(そ)むると思へば、次第々々に此処彼処(ここかしこ)と解けて、果てはどこもかも雫が落つるやうになりたり、といふ意なり。これは巧者な句なり。

一、  菊の香(か)や奈良には古き仏たち  芭蕉

この句において、菊と仏とは場所の関係なし。必ずしも仏の前に菊を供へたるにもあらず。必ずしも仏堂の側に菊の咲きたるにもあらず。強(し)ひて場所の関係を言はば、菊も古仏も共に奈良にあるまでの事なり。作者の奈良に遊びし時、あたかも菊の咲く頃なりしなるべく、従つてこの句を以て、奈良を現はしたるなるべしといへども、しかも菊花と古仏との取り合せは共にさび尽したる処、少しも動かぬやうに観(み)ゆ。ここ、作者の活眼(かつがん)[生きた眼。物事の道理を見抜く眼]と知るべし。

一、  秋風や白木(しらき)の弓に弦(つる)張らん  去来

夏時(かじ)、白木の弓に弦を張れば膠(にかわ)が剥(は)げるとて、秋冷の候を待ちてするなり。故に秋風やと置けり。されども、そればかりにては理窟の句にて、些(いささか)の趣味なし。けだし弓は昔時(せきじ)にあつては神聖なる武器にして、戦場に用ゐらるるは言ふまでもなく、蟇目(ひきめ)[「響き目」の略。射た時に鋭い音を鳴らす鏑矢(かぶらや)の一種。邪を退治する目的で祭事などに使用]などとて妖魔を壤(はら)ふの儀式もある位なれば、金気(きんき)[五行説において秋は金であることから。秋の気配。秋気(しゅうき)]粛殺(しゅくさつ)[秋の気が草木を枯らすこと]たるに取り合せて、自(おのずか)ら無限の趣味を生ずるを見る。いはんやその弓は白木の弓なるをや。白色には神聖の感あり、粛殺の感あり、故に秋の色は白とす。この句、無造作に詠み出でて男らしき処を失はず。有り難き佳句なり。

一、  時鳥鳴くや雲雀(ひばり)の十文字  去来

時鳥は夏にして雲雀は春なり。されども、時鳥は春に鳴かずして雲雀は夏もをる故、この句は夏季となるなり。この意は、時鳥は横一文字に飛ぶものにして、雲雀は下より上へ真直(まっすぐ)に上る者なり。故に丁度雲雀の上る処を時鳥が横ぎりて、あたかも十文字の如くなりたるをいふなり。最も巧妙なる句なり。

一、  卯の花の絶間(たえま)敲(たた)かん闇の門(かど)  去来

闇夜に人の門を叩かんとするに、一寸先は闇(くろ)うして、いづくを門とも定めがたし。ただそこらの垣(かき)一面に咲ける卯の花は、闇にも白く見ゆるにぞ。その中に、少しばかり卯の花の絶えたる処こそ門ならめ、と推量したるなり。夜景綺麗なれば、素人の劇賞(げきしょう)[=激賞]する句なり。この句悪(わろ)しとにはあらねど、素人の好くほどに善き句にあらず。(但し千代の朝顔の句、秋色の桜の句などに比すれば、この句の高きこと数等なり)もし絶間といふ語を改めなば、今一段の佳句となるべし。

一、  生娘(きむすめ)の袖(そで)誰が引いて雉の声  也有(やゆう)

雉(きじ)はやさしき姿ながら、おそろしき声を出すもの故、あたかもたはれ男(お)[好色な男。放蕩の男子]袖引かれたる生娘が、覚えず高声を発したるにも似たりとなり。この句は生娘の声を雉に譬(たと)へたりとするも、または雉の声を生娘に譬へたりとするも妨げなし。

一、  むつとして戻れば庭に柳かな  蓼太(りょうた)

「むつとして帰れば門(かど)に青柳(あおやぎ)の」と端唄(はうた)にも謡はれたれば、世の人は善く知りたらん。句意は、余所(よそ)で腹の立つ事ありてむつとしながら内に帰れば、庭に柳のおとなしく垂(た)れたるを見て、この柳の如く風にもさからはず、ただ柔和(にゅうわ)[やさしくて温和しいこと。穏やかでもの柔らかなこと]にしてこそ世の中も渡るべけれと悟りたるなり。箇様(かよう)な理想を含む故に端唄にもはひりたれど、俗気十分にして月並調の本色(ほんしょく)[本来の色/もちまえの性質]を現はせり。千代の朝顔の句よりもなほ厭(いや)な心地す。

一、  妻にもと幾人(いくたり)思ふ花見かな  破笠(はりつ)

花見の中に交(まじ)りて行けば、美人が綺羅(きら)[(「あやぎぬ」と「うすぎぬ」の意味)美しい衣服/華やかであること/栄華を極めること]を着飾りて沢山出で来る故に、あのやうな女を我妻にしたい、このやうな娘も我妻にしたいと思ふ、といふことなり。綺麗雑沓(ざっとう)[騒がしくて混み合うこと]して都会の花見の盛(さかん)なるさまは、裏面に現はれたり。

一、  見ぐるしき馬にのりけり雲の峰  斗入(とにゅう)

雲の峰は夏季にして夏雲多奇峰(かうんきほうおおし)[夏の雲には(入道雲のような)珍しいかたちの峰のようなものが多い]の意なり。この雲が出て来ると熱くなる故、雲の峰には夏の空の晴れて熱き心を言へるが例なり。この句は旅人のから尻(からじり)[(軽尻・空尻)人と荷物を乗せる本馬(ほんま)に対して、人と軽い手に持つ位を乗せる交通馬のこと]などに乗りて行く様を言ひしものなれば、綺麗なる馬に非(あらざ)るは勿論(もちろん)なれど、特に見ぐるしきと言ふ上は、通常のよりもよほど見ぐるしとの意なり。けだし[まさしく、ほんとうに/ひょっとしたら]炎天に人を載せて歩むこと故、馬もいたく疲れて道はかどらず、毛は汗によごれて如何にも見苦しきさまを言へるなり。一句吟じ畢(おわ)れば、炎天に人馬の疲労せしさま見るが如し。

一、初学の人、道に進むはいづれの方向よりするも勝手なれども、普通の学生などの俳句をものするは、多く漢語を用ゐ漢詩を応用する者を実際上多しとす。例へば「水村山郭酒旗風(すいそんさんかくしゅきのかぜ)」といふ杜牧(とぼく)[(803-853)晩唐の詩人。杜甫の老杜に対して小杜と呼ばれたりする。]の成句を取りて、これに秋季の景物を添へ

[参考までに]
江南春(こうなんのはる)  絶句  杜牧
千里鶯啼緑映紅(千里に鶯鳴いて、緑は紅に映ず)
水村山郭酒旗風(水村山郭、酒旗の風)
南朝四百八十寺(南朝、四百八十寺)
多少樓臺烟雨中(多少の楼台、煙雨の中)

沙魚釣(はぜつる)や水村山郭酒旗風  嵐雪

といふが如き、これにても俳句なり。この辺より悟入(ごにゅう)[(仏語)悟りを開き真理に至ること]するも可なり。また成句を用ゐざるも、ただ目前の景物を取りて、一列に並べたるばかりにても俳句にならぬ事はあらじ。

奈良七重(ななえ)七堂伽藍(しちどうがらん)八重桜  芭蕉

藪寺(やぶでら)や筍月夜(たけのこづきよ)時鳥  成美(せいび)

浦山や有明霞(ありあけがすみ)遅桜  羽人(うじん)

などの作例もあるなり。この三句の中にて、成美の句、最(もっとも)佳なりとす。

一、和歌を学びたる人の俳句に入るは、詩人の俳句に入るよりも難し。これ、和歌の性質の然(しか)るにあらずして、今日普通の和歌と称する者の文学的ならざればなり。『万葉集』の歌は文学的に作為せしものに非ざれども、穉気(ちき)[(=稚気)子供っぽい様子]ありて俗気なき処、かへつて文学的なる者多し。『新古今集』には間々佳篇(かへん)[詩や歌などの優れた作品]あり。『金槐和歌集(きんかいわかしゅう)』には千古(せんこ)[大昔/永久、とこしえ]の絶唱十首ばかりあるべし。徳川氏の末に至りては、繊巧(せんこう)なる方(かた)のみ、やや文学的とはなれり。これらの歌より進む者は、もとより俳句に入り得べく、しかも詩人の俳句に入るよりも入りやすきこと論を俟(ま)たず。されども『古今集』の如き言語ありて意匠なき歌より進み来らば、俳道に入ること甚(はなは)だ困難なるべし。けだし俳句の上にては、優長なる調子を容れず、むしろ切迫なる方に傾くが故なり。試みに俳句的の和歌を挙げなば

ものゝふの矢なみつくろふこての上に
霰(あられ)たばしる那須の篠原
    源実朝(みなもとのさねとも)

の如きを然りとす。この外『新古今』の「入日(いりひ)をあらふ沖つ白浪」「葉広かしはに霰ふるなり」など、または真淵(まぶち)の鷲の嵐、粟津(あわづ)の夕立の歌などの如きは、和歌の尤物(ゆうぶつ)[多くの中で特に優れたもの/すぐれた美女]にして、俳句にもなり得べき意匠なり。

[参考までに]
なごの海の霞の間よりながむれば
入日(いるひ)をあらふ沖つ白波
    (新古今和歌集)
    徳大寺実定(とくだいじさねさだ)
ねやのうへに片枝さしおほひそともなる
葉広がしはに霰ふるなり
    (新古今和歌集)
    藤原忠通(ふじわらのただみち)
信濃なるすがの荒野を飛ぶ鷲の
つばさもたわに吹く嵐かな
    賀茂真淵(かものまぶち)
大比叡や小比叡(おびえ)の雲のめぐり来て
夕立すなり粟津野の原
    賀茂真淵

一、前には初学者のために多少古句の解釈など試みたれど、そは標準とすべき者を挙げたるにはあらず。故に今ここに標準とすべき者十数句を挙げて、第一期の結尾となすべし。但し俳句に入る人、繊巧より、佶屈より、疎大より、滑稽より、おのおの道を選びて進むこと勿論なれども、平易より進む方、最も普通にしてしかも正路(せいろ)なりと思ふが故に、ここに平易なる句を抜萃(ばっすい)せり。分け登る道はいづれなりとも、その極に至れば、同じ雲井(くもい)[雲のあるところ、雲/遥かに離れていること/宮中のこと]に一輪の大月(たいげつ)を見るの外はあらじ。

五六本よりてしだるゝ柳かな  去来

永き日や大仏殿の普請声  李由(りゆう)

凩(こがらし)や刈田(かりた)のあとの鉄気水(かなけみず)  惟然(いぜん)
[「鉄気水」は、金属の気、鉄分のある水のこと]

清水の上から出たり春の月  許六(きょりく)

声かけて鵜縄(うなわ)をさばく早瀬かな  涼と(りょうと)

鎌倉の街道をのす燕(つばめ)かな  尚白(しょうはく)

春の日の念仏ゆるき野寺かな  同

静かさは栗の葉沈む清水かな  柳蔭(りょくいん)

よろ/\と撫子(なでしこ)残る枯野かな  尚白

藁積んで広く淋しき枯野かな  同

道ばたに多賀の鳥居の寒さかな  同

夕立や川追ひあぐる裸馬  正秀(まさひで)

山松のあはひ/\や花の雲  その

市中はものゝ匂ひや夏の月  凡兆(ぼんちょう)

百舌鳥(もず)鳴くや入日(いりひ)さしこむ女松原(めまつばら)  同

なが/\と川一筋や雪の原  同

旅人の見て行く門(かど)の柳かな  樗良(ちょら)

春雨や松に鶴鳴く和歌の浦  同

我庵(わがいお)は榎許(えのきばか)りの落葉かな  同

以上の句は、皆口調の功を求めず、ただありのままの事物をありのままにつらねたるまでなれば、誠に平易にして、誰にも分るなるべし。しかしてその句の価値を問へば、即(すなわ)ち多くはこれ第一流の句にして、俳句界中有数の佳作なり。

第六 修学第二期

[朗読5]
一、利根(りこん)[(仏語)修業をして教えを受ける者の性質が優れていること]のある学生、俳句をものすること五千首に及ばば、直ちに第二期に入るべし。普通の人にても、多少の学問ある者、俳句をものすること一万首以上に至らば、必ず第二期に入り来らん。

一、句数五千一万の多きに至らずとも、才能ある人は数年の星霜(せいそう)[年月。歳月]を経(ふ)る間には自然と発達して、何時(いつ)の間にか、第二期に入(い)りをる事多し。けだし、自ら多くものせずとも、多年の間には他人の句を見、説を聞くこと多きがためなり。

一、第一期、第二期の限界は、判然たるものに非ず。しかれども、俳句をものする人は、初めは五里霧中(ごりむちゅう)[今の状態が分からず、見通しの全く立たないこと]に迷うが如く、他人任せに句を作るが如き感あり。ただ句数と歳月とを積むこと多ければ、ほぼ一句のこなしつき、古人の句を見ても自分の句を見ても、あらましの評論も出来、何となく自己心中に頼む所あるが如く感ずるに至らん。この辺より上を、先ず第二期と定めん。

一、第二期に入り来る人といへども、その人の稟性(ひんせい)[天から稟(う)けた性質、天性、稟質(ひんしつ)]において、進歩の方法・順序において相異あるがために、発達する部分に程度の相異あるを免れず。例へば、甲は意匠の点において発達したるも言語これに副(そ)はず、乙は言語の点において発達したるも意匠これに副はず、丙は雅趣(がしゅ)を解して繊巧(せんこう)[繊細で巧緻(こうち)なこと]を解せず、丁は繊巧を解して壮大を解せざるが如きこれなり。

一、古雅に長じて他に拙なる者、繊細に長じて他に拙なる者、疎豪(そごう)[荒く猛々しいさま]に長じて他に拙なる者、等の如きは、如何の方針を取てか進むべき。応(こた)へて曰く。一定の方針、あるべき理なし。一は自己の長ずる所をして、ますます長ぜしめよ。他は自己の及ばざる所に向つて研覈(けんかく)[事実を調査して明らかにすること。研究]せよ。両者もし並び行ひ得べくんば、並び行へ。

一、自己の長ずる一方に向つて専攻するの方針を取るも、なほ多少の変化を知るを要す。変化を知るは、勉めて自己の句の変化を試むるにあり。勉めて古今の句を多く読むにあり。古人、または一時代の格調を模倣するも可なり。

一、人あり。古俳人某の俳句の格調、他に異なるを見て、厭(いと)ふべきものありとす。一度自らその句を摸して、やや真を得るに及んで、忽(たちま)ちその格調の新奇を愛するに至ることあり。故に博(ひろ)く学び、多く作るを要す。

一、諸種の変化を要する中にも、最も壮大雄渾(そうだいゆうこん)[雄大で勢いのあること]の句あるを善しとす。壮大雄渾の趣(おもむき)は説きがたしといへども、これを形体の上について言はんに、空間の広き者は壮大なり。湖海(こかい)の渺茫(びょうぼう)[水などの果てしなく広がるさま]たる、山嶽(さんがく)の巍峨(ぎが)[山や建物などが高くそびえるさま]たる、大空の無限なる、あるいは千軍万馬の曠野(こうや)に羅列せる、あるいは河漢(かかん)[天の川]星辰(せいしん)[星、星座]の地平に垂接せるが如き、皆壮大ならざるはなし。勢カの多き者は雄渾なり。大風(たいふう)の颯々(さっさつ)[風の吹くさま/さっそうと、さらりとしたさま]たる、怒濤(どとう)の澎湃(ほうはい)[水のみなぎり逆巻くさま/勢力の盛んなたとえ]たる、飛瀑(ひばく)のかくかく[「かくかく」正しくは漢字]たる、あるいは洪水天に滔(とう)して[はびこって、みなぎって]邑里(ゆうり)[村里くらいの意味]蕩流(とうりゅう)[ゆらゆらと流れるさま]し、あるいは両軍相接して弾丸雨注(うちゅう)[雨のように降り注ぐこと]し、艨艟(もうどう)[中国古代の戦艦、いくさ船]相交りて水雷海を湧(わ)かすが如き、皆雄渾ならざるはなし。

一、一些事(いちさじ)一微物(いちびぶつ)につきても、なほ比較的に壮大雄渾なる者あり。例へば牡丹を見る者、牡丹数輸の花を把(と)り来ると、ただ一輪の牡丹を把り来るとを比較すれば、一輸牡丹の方、花の大きなるやう感ずべし。これ花の特別に大なるに非ず。一輪なれば比較すべき者なきがためなり。あるいは庭園中の牡丹を詠ずると、場所を指定せずして、ただ一株の牡丹をのみ詠ずるとを比較すれば、後者の方大なるを感ず。これまた牡丹の大なるに非ず、比較すべき者なきがためなり。(近く見れば大に、遠く見れば小なるの理もあり)例へば

押し出して花一輸の牡丹かな  春来(しゅんらい)

四五輸に陰日南(かげひなた)ある牡丹かな  梅室(ばいしつ)

の二句を比較せば、前者の花大にして後者の花小なるを感ずべし。

蝋燭(ろうそく)に静まりかへる牡丹かな  許六(きょりく)

どや/\と牡丹つりこむ屏(へい)の内  士朗(しろう)

の二句を比較せば、前者の牝舟大にして、後者の牡丹小なるを感ずべし。これを壮大といふは文字穏当ならずといへども、小に対して大といふは即(すなわ)ち可ならん。

一、壮大雄渾なるものも繊細精緻(せいち)なるものも、普通の美術上の価値において差異なきは、初(はじめ)に述べたる如し。しかして今ここに特に壮大雄渾を挙ぐる者は、この種の句最も少きを以て、一層渇望(かつぼう)に堪へざるがためなり。何故(なぜ)にこの種の句少きかと問へば、第一に、世間この種の句の趣味を解する者少きこと。第二に、世間この種の天然的人事的大観(たいかん)[壮大な景色/全体を広く眺め回すこと。大局を判断すること]少きこと。第三、俳句の字数少くしてこの種の大観を見(あら)はすに苦しきことこれなり。

一、美術の標準は吾人(ごじん)の主観中に一定して動くものにあらずといへども、客観的にこれを見れば、同一の美術品にして時と場合により、価値に差異を生ずることあり。即ち吾人の標準中には、斬新(ざんしん)を美とし陳腐を不美とするの一箇条あるがために、客観的に変鋤するを免れざるなり。例へば昔は面白き絵画なりと評せられしその意匠も、今日にありてこれを模倣せば、人皆陳腐としてこれを斥(しりぞ)けん。あるいは今日にありて斬新なりとてもてはやさるる詩文小説も、後世に至り同様の意匠を為す者多からば、終(つい)には陳腐とし厭嫌(えんけん)[(=嫌厭・けんえん)嫌っていやがること]せられんが如き類(たぐい)なり。(元禄時代にいはゆる不易流行なる語は、ややこの意に近しといへども、かの時代には推理的の頭脳を欠きし故曖昧を免れず)

一、壮大雄渾なる句は少きを以て、この種の句を作(な)す者は、これを渇望しをる人より歓迎賞美せらるべし。しかれども壮大雄渾なる事物は、その種類甚(はなは)だ少く目撃する事も稀(まれ)なるが故に、とかく陳腐に陥りやすし。また十七、八字の間に壮大雄渾の事物を包含(ほうがん)[その中に含み持つこと]せしむることは、甚だ至難(しなん)なるを以て、試みにある大観を取て詠ずるも、何らの景色なるか、何等の人事なるか、茫漠(ぼうばく)[だだっ広くてとりとめのないさま]として読者に知れがたき者多し。多少俳句に心得ある人、徒(いたず)らに大観の趣味を解したるまねしてこの種の句を為す者、往々陳腐に陥り、または茫漠解すべからざるに至る。鑑(かんが)みる所あるべし。

一、古来、壮大雄渾の句を為す者、極めて稀なり。試に我(わが)心頭(しんとう)に記億し来る者を記さば

あら海や佐渡に横(よこた)ふ天の河  芭蕉

猪(いのしし)も共に吹かるゝ野分かな  同

湖の水まさりけり五月雨(さつきあめ)  去来

稲妻や海のおもてをひらめかす  史邦(ふみくに)

初汐(はつしお)や鳴門の波の飛脚船  凡兆

嵐吹く草の中より今日の月  樗良

五月雨(さみだれ)や大河を前に家二軒  蕪村

湖の水傾けて田植かな  几董(きとう)

蟻の道雲の峰より続きけり  一茶

蝉なくや天にひつゝく筑摩川(ちくまがわ)  一茶

とう/\と滝の落ちこむ茂りかな  士朗

の類(たぐい)なり。(芭蕉の句には、なほ数首の壮大雄渾なる者あれども、そは芭蕉雑談に論じたるを以てここに言はず。この外にも比較的に壮大雄渾なるものは、枚挙に暇(いとま)あらず)

一、繊細精緻なる句、また学ばざるべからず。生来美術心に乏しき人、または漢学風の疎大(そだい)[(=粗大)あらくて大まかなこと、かたちや規模が大きいこと]に失する人は、往々にしてこの種の趣味を解せざる者あり。しかれども世上いはゆる美術家、文学家なる者の八、九分は皆この一方に偏する者なり。ただ繊細精緻の極に達する人は、八、九分の内更(さら)に一分を止めざるべし。天然を講究(こうきゅう)[物事を深く調べ、その真理を解き明かすこと。研究]する人、一草一木の微(び)を知り、人事を観察する人、一些事一微物の真面目(しんめんぼく)[(しんめんもく)本来の姿、そこから真理/まじめ]を識(し)り、人間心中間一髪(かんいっぱつ)の動機を観る者は、絶無にして僅有(きんゆう)[ほんの少ししか存在しないこと。「僅有絶無」で「ほとんど存在しないこと」]なり。俳句にては、人事を講究すること小説家の如く精細なるを要せずといへども、天然を講究する事はなるべく精細なるを要す。けだし精細なる人事は、これを十七字中に包含せしむる能はずといへども、繊細なる天然は包含せしめ得べき者多ければなり。

一、繊細精緻なる句は、一々に引例に及ばざるべしといへども、当りたる者数首を取りて左に列記せん。

蒲公英(ばんぽぽ)や葉を下草に咲て居る  秋瓜(しゅうか)

草刈りて菫選(すみれよ)り出す童(わらべ)かな  鴎歩(おうほ)

白魚をふるひよせたる四つ子かな  其角

鶯(うぐいす)の身をさかさまに初音(はつね)かな  同

杜若(かきつばた)しばむ下から開きけり  自友(じゆう)

愛らしう撫子(なでしこ)の花つぼみけり  平十

萩の花追々こけてさかりかな  孤舟

草の葉や足の折れたるきり\゛/す  荷兮(かけい)

臼(うす)起す小春の草のほのかなり  吟江(ぎんこう)

埋火(うずみび)に年よる膝の小さゝよ  咫尺(しせき)

はこべ草枯野の上にしがみつく  蓮之(れんし)

一、壮大なる事物は少く、繊細なる事物は多し。数個の繊細なる事物を合すれば、一個の壮大なる事物となるべく、一個の壮大なる事物を分てば、数個の繊細なる事物となるべし。

一、壮大を見る者、繊細を見得ざるが如く、繊細を見る者、また壮大を見得ざるが多し。注意せざるべからず。

一、壮大にも雅俗あり、繊細にも雅俗あり。壮大を好む者、単に壮大を見て、雅俗を判するを知らず。繊細を好む者、単に繊細を見て、雅俗を判ずるを知らず。今の宗匠者流は、繊細に偏してしかも雅致(がち)[風雅なおもむき。上品なようす。雅趣]を解せず、俗趣を主とす。故にその句俗陋(ぞくろう)[俗でいやしいこと]なり。今の書生者流は、壮大に偏してしかも熟練を欠く、故に陳腐に陥らざれば必ず疎豪(そごう)にして、趣味の解すべからざる句を為す。他人の句を評するも、またこれを標準とす。繊細なる者は胆(たん)を大にすべし。壮大なる者は心を小にすべし。

一、題目已(すで)に壮大なるあり、題目已に繊細なるあり。四季の題目を以てこれを例せんに

夏山 夏野 夏木立(なつこだち) 青嵐 五月雨(さみだれ) 雲の峰 秋風 野分(のわき) 霧 稲妻(いなづま) 天の河  星月夜(ほしづきよ・ほしづくよ) 刈田(かりた) 凩(こがらし) 冬枯(ふゆがれ) 冬木立 枯野 雪 時雨(しぐれ) 鯨(くじら)

等はその壮大なる者なり。また

東風(こち) 董(すみれ) 蝶 虻(あぶ) 蜂 孑孑(ぼうふら) 蝸牛(かたつむり) 水馬(みずすまし) 鼓虫(まいまいむし) 蜘子(くものこ) 蚤(のみ) 蚊 撫子(なでしこ) 扇 燈籠 草花 火鉢 足袋(たび) 冬の蝿(はえ) 埋火(うずみび)

等はその繊細なる者なり。壮大を壮大とし、繊細を繊細とするのは普通なれども、時としては壮大なる題目を把(とっ)て比較的繊細に作するの技倆(ぎりょう)もなかるべからず。例へば、五月雨を詠ずるに

雲濡れて温泉(ゆ)を吐く川や皐月雨(さつきあめ)  春来

山陰(やまかげ)に湖暗し五月雨(さつきあめ)  吟江

と大きく深くのみものせず、かえつて

五月雨(さみだれ)に蛙(かわず)のおよぐ戸口かな  杉風(さんぷう)

三味線や寐衣(ねまき)にくるむ五月雨  其角

などと、やや繊細にものするが如し。またこれと同じく、繊細なる題目も時として比較的壮大に作するの技倆なかるべからず。例へば胡蝶の題にて

寐る胡蝶羽に墨つけん縁の先  坡仄(はそく)

飛びかふて初手(しょて)の蝶々紛れけり  嘯山(しょうざん)

とやさしく美しく趣向をつけるももとより善けれど、そはありうちの事なり。これを少し考へ変へて

ある程の蝶の数見るつむじかな  一排

真直(まっすぐ)に矢走(やばせ)を渡る胡蝶(こちょう)かな  木導(もくどう)

など、一は強く一は大きくものしたるも、珍(めず)らかに面白かるべし。

一、雅樸(がぼく)[みやびさと質朴、つまり飾り気のなさ]を好む者、婉麗(えんれい)[しとやかであり美しいこと。艶やかで美しい意味の「艶麗(えんれい)」とは異なる]を嫌ひ、婉麗を好む者、雅樸を嫌ふの癖(へき)あり。これを今日の実際に見るに、昔めきたる老人は雅撲の一方に偏し、婉麗なる者を俗猥(ぞくわい)[俗にみだれ交じるの意味]の極としてこれを斥く。また今様(いまよう)の美術文学家は往々婉麗の一方に偏し、雅撲なる者を取て卑野(ひや)として、不美術的としてこれを斥く。共に偏頗(へんぱ・へんば)[偏って不公平なこと]の論なり。

一、雅樸の中にも雅俗あり、婉麗の中にも雅俗あり。雅樸に偏する者は、百姓と言ひ鍬(くわ)と言へば則(すなわ)ち以て直ちに是(ぜ)とし、また他を脚みず。これ他の卑野と目する所以(ゆえん)なり。婉麗に偏する者は、少女(おとめ)と言ひ金屏(きんびょう)と言へば則ち以て直ちに是とし、また他を顧みず。これ他の俗猥と目する所以なり。

[朗読6]
日に焦(こ)げたる老翁(ろうおう)、鍬を肩にし一枝(いっし)の桃花を折りて田畝(でんぽ)[田と畑]より帰り、老婆浣衣(かんい)[衣服を洗うこと]し終りて柴門(さいもん)[柴(しば)で作った門/またそのような侘びしい住まいのこと]の辺(あたり)に佇(たたず)み暗(あん)にこれを迎ふれば、飢雀(きじゃく)その間を窺(うかが)ひ井戸端の乾飯(ほしいい)を啄(ついば)む。これ雅樸にして美術的なる趣向ならん。十数畳の大広間、片側に金屏風を繞(めぐ)らし、十四、五の少女一枝の牡丹を伐り来りて、これを花瓶に挿(はさ)まんとすれば、頻(しき)りにその名を研ぶ者あり。少女驚いて耳を欹(そばだ)つれば[(そばだてる)そびえ立たせる、一方を高く傾ける/注意を集中させる]、をかしや簷頭(えんとう)[軒先、軒端]の鸚鵡(おうむ)永日(えいじつ)に倦(う)んでこの戯(たわむれ)を為すなり。これ婉麗にして美術的なる趣向ならん。雅撲と婉麗と共にこれを美術的にせんと欲せば、物の雅撲と物の婉麗とを選択するの必要あるのみならず、これを美術的に配合するの必要あるなり。しかれれども配合の美術的なると否とは、理論の上にて説明するは難(かた)し。実際の上に論評するを善しとす。

一、幽邃深静(ゆうすいしんせい)[「幽邃」で(風景などが)奥深くて物静かなこと、さらに深く静かを加えたもの]を好んで、繁華熱鬧(はんかねっとう)[多く人が集まって、賑やかなこと。騒がしいこと]を厭(いと)ふは、普通詩人たるものの感情なり。前者の雅にして後者の俗なるは言ふまでもなけれど、さりとて繁華熱鬧必ずしも文学的の分子を含まざるに非ず。いはんや如何なる俗事物も、これを冷眼に視(み)る時は、そのこれを冷眼に視る処において、多少の雅趣を生ずるをや。「内眼看他世上人(はくがんたをみるせじょうのひと)」と言へば「世上人」は極めて俗なる者なれども、「白眼看(はくがんみる)」の三字を添へて無上の雅致を生ずるが如し。(前項、雅撲婉麗の条をも参照すべし)

一、理屈は理屈にして文学に非ず。されども理屈の上に文学の皮を被(き)せて十七字の理屈をものするも、また文学の応用なれば、時にこれを試むるも善し。ただ理屈のために文学を没却(ぼっきゃく)[なくすること。無視すること]せらるること莫(なか)れ。理屈に合せんとすれば文学に遠く、文学に適せんとすれば理屈を離るること、もと両者全くその性を異にするより来る者故、是非(ぜひ)もなき事なり。両者を合してやや調和したる者をものするは、非常の辛苦(しんく)を要しながら、存外に喝采(かっさい)を博すること能はざれば、その覚悟なかるべからず。けだし普通文学者は辛苦の処を察せず、単にその理屈的なるの点においてこれを擯斥(ひんせき)[退ける、のけものにする]す。また俗人は、それよりもなほ卑俗に暴露的にものせざれば、承知せざるべし。

一、理屈といふには非るも送別、留別(りゅうべつ)[旅立つ人が留まる人に挨拶を告げること。「送別」は留まる人が旅立ちの人を見送ること]、題画、慶弔(けいちょう)[吉事を祝うことと、凶事を弔うこと]、翻訳などもややこれに類せり。例へば

生きて世に人の年忌や初茄子(はつなすび)  几董(きとう)

と言へる句の如き、陳腐に似て陳腐ならず、卑俗にして卑俗ならず。奇を求めず、巧を弄(ろう)せざる間に、無限の妙味を持たせながら、常人は何とも感ぜざるべし。否、何とも感ぜぬのみならず、これにては承知せざるべし。年忌(ねんき)[命日のこと]の法会(ほうえ)などならば、その人を思ひ出すとか、今に幻に見ゆるとか、年月の立つのは早いものとか、彼人が死(しん)でから外に友がないとか、涙ながら霊を祭るとかいふ陳腐なる考えを有り難がるも、常人ならば詮方(せんかた)[なすべき方法。しかた。手段]なきも、文学者たらん者は今少し考へあるべし。この几董の句にても「生きて世に」と屈折したる詞(ことば)の働きより「人の年忌や」とよそよそしくものしたる最後に「初茄子」と何心なく置きたるが如くにて、その実心中無限の感情を隠し、言語の上に意匠惨澹(さんたん)[嘆かわしくて悲しいこと/心悩ますこと]たる処は慥(たし)かに見ゆるなり。要するにこの種の句は、作るにも熟練を要し、見るにも熟練を要するなり。

一、初心の人はもとより何事をも知らざれども、少し俳句に入りたる人は理屈的の句、または前書附の句は、むつかしきを悟るべし。しかして後、やや熟練を経、辛うじてこの種の句をものするに至れば、独り心に嬉しく、ただその言ひおほせたるを喜んで、かへつてその句の雅俗優劣を判する能はざることあり。常に自(みずか)ら省(かえりみ)るを要す。

一、天保(てんぽう)以後の句は、おおむね卑俗陳腐にして見るに堪へず。称して月並調といふ。しかれどもこの種の句も多少はこれを見るを要す。例へば俳諧の堂に入りたる人、往々にして月並調の句を賞し、あるいは自らものすることあり。けだしこの人、月並調を見る事多からざるを以て、その中の一体、やや正調に近き者を取てかく評するなり。焉(いずく)んぞ知らん、この種の句は月並家者流において陳腐を極めたるものなるを。恥を掻(か)かざらんと欲する者は、月並調も少しは見るべし。

一、学生時にあるいは月並調を模し、自ら新奇と称す。これ彼(か)れ自身には新奇なるものならん。しかれどもその文学、社会に陳腐なること久し。無学、笑ふに堪へたり。

一、俳句に貞徳(ていとく)風あり、檀林(だんりん)風あり、芭蕉風あり、其角風あり、美濃(みの)風あり、伊丹(いたみ)風あり、蕪村風あり、暁台(きょうたい)風あり、一茶(いっさ)風あり、乙二(おつに)風あり、蒼(そう)きゅう風あり、しかれどもこれ、歴史上の結果なり。甲派を信ずる者、乙派を排し、丙流を学ぶ者、丁流を誹(そし)らざるべからざるの理なし。その何風と何派たるとに拘(かかわ)らず、美なる者は之を取れ、美ならざる者はこれを捨てよ。

一、世上(せじょう)蕉風を信ずる者多し。我れことさらに奇を好んで檀林を奉ぜんと。これいはゆる負惜みの痩(やせ)我慢なり。しかして痩我慢より割り出したる俳句は、毫も文学に非るなり。我れ其角派の系統を継げり、故に其角派の俳句をものせんと。此(かく)の如く系統より割山したる俳句は文学に非るなり。

一、梅に鶯(うぐいす)、柳に風、時烏に月、名月に雲、名所には富士、嵐山、吉野山、これらの趣向の陳腐なるは何人もこれを知る。しかれども春雨(はるさめ)に傘、暮春に女、卯花(うのはな)に尼、五月雨(さみだれ)に馬、紅葉(もみじ)に滝、暮秋(ぼしゅう)に牛、雪に燈火(ともしび)、凩(こがらし)に鴉(からす)、名所には京、嵯峨、御室(おむろ)、大原、比叡、三井寺、瀬田、須磨(すま)、奈良、宇津、これらの趣向の陳腐なるは、深く俳句に入る者に非れば知る能はず。

一、趣向はなるべく斬新なるを要すれども、時にはこれらの陳套(ちんとう)[古くさいこと、古めかしいこと]を翻案して、腐を新となし死を活となすの技倆あるを要す。

一、日本画ぱかり見たらん人の、俄(にわ)かに西洋画の一、二枚を見たらんには、余りその懸隔(けんかく)[ふたつが大きく隔たっていること]せるに驚きて、暫(しばら)くは巧拙を判定する能はざるべし。西洋画ばかり見たらん人の、日本画を見たるもまた同じ。それと同じく俳句にても、全く斬新なる趣向に至りては、見る者その巧拙を定むる能はず。あるいはこれを以て美の極とし、あるいはこれを以て拙の極と為すに至る。しかして幾多の日月(ひつき・じつげつ)を経て反覆この句を吟誦(ぎんしょう)し、かつこれを模倣する者も多くなりて後、静かに初(はじめ)の句を味へば、先に美の極と公言したる人も、その褒め過ぎたるを悔い、先に拙の極と公言したる人もそ考の浅薄(せんぱく)なりしを恥づるなるベし。故に斬新なる句を見る人は、熟吟熟考して後に褒貶(ほうへん)[褒めることと貶すこと。批評すること]すべし。これ大家(たいか)の上にも免れざる一弊なりとす。

一、趣向の上に動、く動かぬと言ふ事あり。即ち配合する事物の調和適応すると否とを言ふなり。例へば、上十二文字または下十二文字を得て、いまだ外(ほか)の五文字を得ざる時、色々に置きかへ見るべし。その置きかへるは即ち動くがためなり。

○○○○○雪積む上の夜の雨  凡兆

といふ下十二文字を得て後、上の句をさまざまに置きかへんには「町中や」「凍てつくや」「薄月(うすづき)や」「淋しさや」「音淋し」「藁(わら)屋根や」「静かさや」「帰るさや」「枯蘆(かれあし)や」など如何やうにもあるべきを、芭蕉は終(つい)に「下京や」の五文字、動かすべからずといひしとぞ。一字一句の推敲(すいこう)も、ゆるがせにすべからざることなり。

一、何といふ語句を置くべきかといふ場合に推敲するは普通の事なり。しかれども、何かは知らず已(すで)に十七字を成したる後、その句につきて一々動く動かぬを検(けみ)する[あらためみる。調べる]は、学生諸子の多く為さざる所なり。自ら名句を得たりとて、得意人に示す時、その人、この語は如何と質問すれば、なるほどそれは不穏なりき、何々の語の方(かた)善かりしものを、など気のつく事多かるべし。生前にこれを発見すれば、一時の恥ばかりにて済む事なれども、死んで後は人の非難を如何(いかん)ともする能はざるべし。

一、四季の題目につきて動きやすき者を挙ぐれば

春風ト秋風 暮春ト晩秋 五月雨ト時雨 桜ト紅葉 夕立ト時雨 夏野ト枯野 夏木立ト冬木立

等、数ふるに堪へざるべし。ちよつとこの題ぱかり見れば、余り懸隔しをる故、そを置き違へるとは受取れぬ様なれど、実際俳句をものする上に、上手下手を問はず絶えずある事なり。ただ熟練しをる者は、常にこれを省(かえり)み、初学血気の士は、全く不注意に経過するの差のみ。

一、俳句を学んで堂に入る者は、意匠と言語と並び達せんことこそ、最も願はしけれ。誰でも先づ両者相伴ふて進歩する者なれど、それはある一部分の事にて全体の上にあらず。例へば雅撲なる句をものするには、甚だ句調の和合(わごう)[ふたつ以上のものが結合し、溶け合うこと/結婚すること]に長じながら、婉麗なる句をものするには、句調全く和合せざる事あり。能く能く注意研究を要す。

一、言語の上に、「たるむ」「たるまぬ」といふ事あり。「たるまぬ」とは語々緊密にして、一字も動かすべからざるをいふ。「たるむ」とは一句の聞え自(おのずか)ら緩みて、しまらぬ心地するをいふ。譬(たと)へば琴の糸のしまりをるとしまりをらぬとは、素人が聞きても自ら差違あるが如し。一句たるみあるやうに感ずる時は、一々之を吟味すべし。必ず此語は不用なりとか、この語は最少(もすこ)し短くしても事足りぬべきにとか、此語と彼語と位置を顛倒(てんとう)すれば「てには」の接続に無理を生ぜぬとか、何とかいふやうな事あるべし。趣向は老練の上にも拙なるあり。素人の上にも上手なるあり。ただ句調のたるまぬ処は、必ず老練の上の沙汰(さた)なり。古人の名句などに気をとめて見るべし。

一、句調のたるむこと一概には言ひ尽されねど、普通に分りたる例を挙ぐれば、虚字の多き者はたるみやすく、名詞の多き者はしまりやすし。虚字とは、第一に「てには」なり。第二に「副詞」なり。第三に、「動詞」なり。故にたるみを少くせんと思はば、なるべく「てには」を滅ずるを要す。試みに天保以後の俳句を検せよ。不必要なる処に「てには」を用ゐて一句を為す故に、句調たるみて聞くべからず。またこれに次ぎて、副詞はたるみを生じ、動詞もまたたるみやすし。但し副詞、動詞などは、その使ひやうによるべし。今、たるみたる句の例を挙げんに

ものたらぬ月や枯野を照るばかり 蒼キュウ
   [「そうきゅう」ただしくは漢字]

といふ句の中に、必要なるものは月と枯野との二語あるのみ。「月や枯野を照るぱかり」といへば「ものたらぬ」の意は自(おのずか)らその中に含まれ、「ものたらぬ月の枯野」といへば「照るばかり」の意は自らその中に含まれたり。否、両方ともに実は無用の語のみ。この句は単に「月の枯野」とか、または「枯野の月」とかいふばかりにて十分なりとす。同じ事を幾やうにも繰り返さねばその意の現はれぬ如き心地するは、初学者及び局外者の浅薄なる考より来るなり。今この句の外に、枯野の月を詠ずる者を挙げんに

月も今土より出づる枯野かな  雨什(うじゅう)

松明(たいまつ)は月の所に枯野かな  大甲(たいこう)

昼中に月吹き出して枯野かな  金塢(きんう)

三句おのおの巧拙ありといへども、蒼キュウの句に比すれば、皆数等の上にあり。けだしこれらは「ものたらぬ」とも「照るばかり」ともいはで、その意を言外に含むのみならず、かへつてそれより外の趣向を取り交ぜて、一句を面白くしたるなり。ただ枯野の月とばかりにては単純に過ぎて俳句になり難(がた)きがためなり。しかし単純に枯野の月を詠じたる句もなきにはあらず。

三日月の本情見する枯野かな  甘棠(かんとう)

といへるが如きこれなり。この句もとより幼稚なりといへども、しかも三日月を捻出(ねんしゅつ)[ひねり出すこと。苦労して考え出すこと]し、かつ一気呵成(いっきかせい)にものしたる処、遙かに蒼キュウの上にあり。しかして記憶せよ、雨什(うじゅう)以下三人は、皆天明以前の人にして、甘棠は元禄の人なることを。ここに至り彼(かれ)蒼キュウが天保流の元祖にして、当時の名家なるを思はば、誰かその面に唾(だ・つば)するを欲せざらんや。しかも蒼キュウの句中たまたまこの悪句あるに非ず、彼が全集は尽(ことごと)くこの種の塵芥(じんかい)[ちりとあくた。全く価値のないゴミのたとえ]を以て埋めらるる者なり。しかしてこの派を称して芭蕉の正風(しょうふう)[正しい姿/俳諧における正統の流派、特に芭蕉の流派を指すことが多い]なりといふに至りては、真に芭蕉の罪人なり。

一、「たるみ」にも程度あり。もし前の如き議論を極論すれば、名詞ばかり並べたる句が一番の名句となるわけなり。しかし「たるみ」もある程度まではたるみたるも善し。ただその程度は、一々実際に就いていふより外はあらじ。またたるみ様にも、全体たるみたると一部分たるみたるとあり。全体たるみたるは、最美かもしくは最不美なり。大方はしまりたるが如くにて一部たるみたるは必ず悪し。

一、句調の最もしまりたるは安永、天明の頃なりとす。故に同時代の句は概(おおむ)ね善し。元禄の句は、これに比すればややたるみたり。しかれども、たるみ様全体にたるみて、しかもその程らひ善ければ、元禄の佳句に至りては天明の及ぶ所にあらず。つまり、元禄の佳句には蘊蓄(うんちく)[十分に積み蓄えのあること/学問などの知識の蓄えが研鑽の上十分にあること]、天明には少し。天保以後は総たるみにて、一句の採るべきなし。和歌は『万葉』はたるみてもたるみ方(かた)善し。『古今集』はたるみて悪し。『新古今』はややしまりたり。足利時代は総たるみにて、俳句の天保時代と相似たり。漢詩にては漢魏六朝(かんぎりくちょう)は万葉時代と同じくたるみても善し。唐時代はたるみも少く、またたるみても悪しからず。俳句の元禄時代に似たり。宋時代は総たるみといふて可ならんか。明清(みんしん)に至り、大いにしまりたる傾きあり。俳句の安永、天明に似たり。(しかれども人によりて、たるみたるも少からず)

[参考までに]
元禄(1688-1703)
  五代将軍、徳川綱吉
    (1646-将軍在位1680-1709)の時代
安永(1772-1780)
天明(1781-1788)
  次の時代は寛政(かんせい)
  将軍は十代徳川家治(とくがわいえはる)
    (1737-将軍在位1760-1786)
  十一代徳川家斉(とくがわいえなり)
    (1773-将軍在位1787-1837-1841)
天保(1830-1873)
  将軍は十一代徳川家斉
  十二代徳川家慶(とくがわいえよし)
    (1793-将軍在位1837-1853)

一、試みに、句のたるみし有様を比鮫せんがために、元禄と天明と天保との三句を列挙すベし。

立ち並ぶ木も古びたり梅の花  舎羅(しゃら)

二(ふた)もとの梅に遅速を愛すかな  蕪村

すくなきは庵(いお)の常なり梅の花  蒼キュウ

句の巧拙はしばらく論ぜず、その句調の上についていはんに、元禄(舎羅)の句は、ありのままのけしきを飾らずたくまず[(巧まず)工夫をめぐらす/たくらむ]裸にて押し出したる気味あり。天明(蕪村)の句は、とかくにゆるみ勝なるものを少しもゆるめじとて締めつけ締めつけて、一分も動かさじと締めつけたらんが如し。天保(蒼キュウ)の句は、ゆるみ勝なるものを、なほゆるめたらん心持あり。要するに、元禄は天然なる処において取るべく、天明は工夫を費す処において取るべし。独り天保に至りては。元禄を模(も)したるつもりにて元禄にも何にもならぬ者、即ち工夫を凝(こ)らさぬふりしてその実工夫を凝(こ)らしたる者、何の取所(とりどころ)もなきことなり。少くともこの三体における句法の変化を精細に知らざれば、俳句の堂に上りたりといふを得ず。世上往々天保流の句を評して、蕪村調などと評する者あり。笑ふに堪へたり。

一、元禄と天明とは各長所あり、いづれに従ふも善し。また元禄にして天明に似、天明にして元禄に似たる者も多し。これ、天工人工その極処に至りて相一致する所以(ゆえん)なり。

一、佐藤一斎(さとういっさい)にかありけん、聖人は赤合羽(あかがっぱ)の如し、胸に一つのしまりだにあれば、全体はただふわふわとしながら終(つい)に体を離れずと申せしとか。元禄調のしまり具合は、先(ま)づこんなものなるべし。天明調はどこまでも引しめて、五分(ごぶ)もすかぬやうに折目正しく着物着たらんが如く、天保調はのろまが袴(はかま)を横に穿(うが)ちて[ここでは、「着物などを身につける」といった意味]、祭礼の銭、集めに廻るが如し。また建築に譬(い)はば、元禄は丸木の柱、萱(かや)の屋根に、庭木は有り合せの松にても杉にてもそのままにしたらんが如く、天明は柱を四角に鑽(き)り、床違(とこちが)へ棚(だな)を附け、欄間(らんま)の飾りより天井板まで美を尽して、しかも俗ならぬやうに家は楔(くさび)を打ちて動かぬやうに建てたらんが如く、天保は床脇(とこわき)の柱だけ丸木を用ゐ、無理に丸窓一つを穿(うが)ち、手水鉢(ちょうずばち)の腕木(うでぎ)も自然木を用ゐ、門眉(もんび)[(「び」ただしくは「木」+「眉」)門の上に渡されている梁(はり)のこと]扁額(へんがく)[門や室内にかかげる横長の額のこと]は必ず腐木(ふぼく)を用ゐ、しかして家の内は小細工したる机硯(すづり)土瓶(どびん)茶碗などの俗野なる者を用ゐたらんが如し。またこれを談話にたとはば、元禄の人は面白くてもつまらなくても、真実をありのままに話し、天明の人は上手に面白く嘘をつき、天保の人はありうち[ありがち、世の中によくあること]のつまらぬ話を真実らしく話して、その実はそれも嘘なりけんが如し。

[朗読7]
一、四季の感情は、少しく天然に目を注ぐ人の、ほぼ同様に感じをる所なり。しかれども俳句詩歌等に深き人は、四季の風情(ふぜい)も自然に精密に発達しをるは論を俟(ま)たず。面白くも感ぜざる山川草木(さんせんそうもく)を材料として幾千俳句をものしたりとて、俳句になり得べくもあらず。山川草木の美を感じて、しかして後始めて山川草木を詠ずべし。美を感ずること深けれぱ、句もまた随(したが)つて美なるべし。山川草木を識(し)ること深ければ、時間における山川草木の変化、即ち四時(しじ)[一年の四時は春夏秋冬、合わせて四季なるべし]の感を起すこと深かるべし。初学の人、山川草木を目のさきにちよつと浮べたるのみにて已(すで)に句を為す、故にその句は平凡に非ざれば疎豪(そごう)[あらあらしくて強いこと]なり。さるから[「然るから」そうだから]に、天然を研究して深き者が深思熟慮したる句を示すとも、初学の人は一向にその句の美を感ぜざるべし。けだし彼は、天然の上にかかる美の分子あることを知らざればなり。

一、世人曰(いわ)く、俳人京に行かんには春を可とす、奈良に行かんには秋を可とす、しかして後始めて名句を得べしと。その言真(しん)に然(しか)り。しかれども秋時京に行きたりとも、春時奈良に行きたりとも、全くその趣味欠くに非ず。否、京も秋ならざるべからざる所あり、奈良も春ならざるべからざる所あり。その他、夏または冬ならざるべらざる所あり。しかして夏冬二時の感は、世人全くこれを知らざるなり。例へば、奈良一箇処(かしょ)につきていはんに、春日社(かすがしゃ)、廻廊の燈籠、若草山、南大門、興福寺、衣掛柳(きぬかけやなぎ)、二月堂、等は最も春に適し、三笠山のつづき、または春日社より手向山(たむけやま)近辺の木立(こだち)、または木立の間に神社の見ゆる処等、総て奥深く茂りたる処は最も夏に適し、古郁の感、古仏の感、七大寺(しちだいじ)の零落(れいらく)[枯れ散り落ちること/おちぶれること/死ぬこと]したる処、町の淋しき処、鹿の声等最も秋に適し、秋に適する処は皆冬にも適し、しかも冬は秋に比してなほ油のぬけたる処あり。古人の奈良四季の句を挙ぐれば

奈良阪や畑(はた)打つ山の八重桜  旦藁(たんこう)

蚊帳(かや)を出て奈良を立ち行く若葉かな  蕪村

菊の香や余良には古き仏たち  芭蕉

奈良七夜(ななよ)ふるや時雨(しぐれ)の七大寺  樗堂(ちょどう)

の如し。これを概言(がいげん)[大要を述べること]すれば、春は美しく面白く、夏は大きく清らかに、秋は古ぴてもの淋しく、冬はさびてからびたる[乾いて水気がなくなる/生気の失せる/華やかさに変わってワビサビの様になる]感あり。

一、俳句四季の題目の中に、人事に属し、しかも普(あまね)く世人に知られざるものには、季の感甚だ薄きを常とす。例へば筑摩(つくま)の鍋祭(なべまつり)の如き、夏季に属すといへどもこれを詠ずる人、またその句を読む人、多くは夏の感を有せず。いはんや、その四月なるか五月なるかの差違に至りては、殆(ほと)どこれを知らず。故にこの題を詠ずる者は甚だ苦吟し、はた古来これを詠じたる句も、無味淡泊を免れず。これ時候の聯想なきがためなり。

君が代や筑摩祭も鍋一つ  越人(えつじん)

は筑摩祭の唯一の句として伝へられたる者、一誦(いっしょう)するの値ありといへども、その趣味は毫も時候の感と関係せず。むしろ雑(ぞう)の句を読むの感あり。しかれども、これ吾人が筑摩祭を知らざるの罪のみ。吾人をして、もしこの祭を見聞するに慣れしめば、何ぞ季の感を起さざらん。季の感已に起らば、何ぞ名句を得るに苦(くるし)まんや。その他、大師講(だいしこう)[天台宗の仏事]の如き、吾人はその冬季たるの感最(もっとも)薄しといへども、身天台(てんだい)の寺にありて親しくこれを見し者は、必ずや冬季における幾多の聯想を起すべきなり。これを要するに、我見聞すること少き人事を詠ずるは、雑の句を詠ずると同様の感ありて、無味を免れざるなり。

一、蛙(かわず)といへる題目は、和歌以来春季に属すといへども、吾人はとかくに春季の感を起さず。かへつて夏季の感を起す傾きあり。春季と定むること、これ恐らくは吾人普通の感情に逆らひしものにあらざるを得んや。殊(こと)に

古池や蛙飛びこむ水の音  芭蕉

の句に歪りては、殆ど春季の感なし。さりとて夏季の感をも起さず。 この句はただこれ雑(ぞう)の句と同一の感あるのみ。

一、第一期は何人(なんびと)にても修し得べく、第二期はやや専門に属す。ここを以て、天才ある者は殆ど第一期を通過せずして、初めより第二期に入ることあり。しかれども、第二期は幾多の修業学問を要するを以て、もはや天才ある者もなき者も、遅々として順序を追ひ、階級を踏まざるべからず。この点に至りては、天才ある者かへつて、なき者に劣ることあり。けだし天才は常に誇揚自負(こようじふ)のために漸次(ぜんじ)抹殺(まっさつ)せらるる者なればなり。

一、古俳書を読むには歴史的、個人的の研究を要す。甲派亡びて乙派興り、丙流衰へて丁流隆(さかん)なるの順序と、その各派の相違と変遷の原因とは、歴史的研究の主なる者なり。各俳人の特色と、その創開せし流派と、模古(もこ)[後世、古仏の作風を模して作られた像/古きを模するの意味]せし程度と、師弟の関係とは個人的研究の主なる者なり。同時代に数派の流行せし事を知らずして、無理に各派一系の伝統を立てんとする者は、歴史研究家の弊なり。同時に同様の流行ありしこと、即ち時代一般の特色ありしことを知らずして、その特色を一俳人の専有(せんゆう)に帰せんとする者は、個人研究家の弊なり。あるいは俳諧を研究する者、和歌、漢詩、西詩(せいし)[西欧の詩]を知らず、たまたま某歌詩人の家集を読んで曰く、この人某俳人に似たりと。しかして彼は、和歌、漢詩、西詩の特色を以て、この一人に帰せしが如きことなきにあらず。文学者は学問なかるべからざるなり。

一、俳句をものするには空想に倚(よ)ると、写実に倚るとの二種あり。初学の人、概(おおむ)ね空想に倚るを常とす。空想尽くる時は、写実に倚らざるべからず。写実には人事と天然とあり、偶然と故為(こい)とあり。人事の写実は難(かた)く、天然の写実は易(やす)し。偶然の写実は材料少く、故為の写実は材料多し。故に写実の目的を以て天然の風光を探ること、最も俳句に適せり。数十日の行脚(あんぎゃ)を為し得べくんば太(はなは)だ可なり。公務あるものは、土曜日曜をかけて田舎廻りを為すも可なり。半日の[(=間)]を偸(ぬす)みて郊外に散歩するも可なり。已(や)むなくんぱ晩餐(ばんさん)後の運動に、上野、墨堤(ぼくてい)[隅田川の土手のこと]逍遙(しょうよう)[そこらへんをぶらぶらと歩くこと、散歩]するも、豈(あに)[(反語として)なんで、どうして/(打消語と共に)決して~ない]二、三の佳句を得るに難(かた)からんや。花晨(かしん)[(晨はあした、朝、夜明け、などの意味)花の朝]可なり、月夕(げっせき)[月の明るい夕べ/十五夜]可なり、午烟(ごえん)可なり、夜雨(やう)可なり、いずれの処か俳句ならざらん。山寺(さんじ)可なり、漁村可なり、広野可なり、谿流(けいりゅう)[(=渓流)]可なり、いずれの処か俳句ならざらん。

一、写実の目的を以て旅行するとも、汽車ならば何の役にも立つまじ。ただ心を静め気の散らぬやうに歩む方、最も宜し。靴下駄よりも草鞋(わらじの方可なり。洋服、蝙蝠傘(こうもりがさ)よりも菅笠脚絆(すげがさきゃはん)の方宜し。連なき一人旅、殊(こと)に善し。されど行手を急き、路程(ろてい)を貪(むさぼ)り、体力の尽くるまで歩むは、かへつて俳句を得難し。たまたま知らぬ地に踏み迷ひ、足を引きずりてやうやうに夜山を越え、山下(さんか)に宿を乞ひたるなどは、この限(かぎり)にあらず。

一、普通に旅行する時は、名勝(めいしょう)[景色の優れた所]旧跡を探るを常とす。名勝旧跡必ずしも美術的の風光(ふうこう)[景色、眺め]ならずといへども、しかも歴史的の聯想あるがために俳句をものするには最も宜し。しかし名勝旧跡の外(ほか)にして、普通尋常の景色に、無数の美を含みをる事を忘るべからず。名勝旧跡はその数少く、人多くこれを識るが故に、陳腐なりやすし。普通尋常の場処は無数にして、変化も多く、かつ陳腐ならず。故に名勝旧跡を目的地として、途々(みちみち)天然の美を探るべし。鳥声草花、我を迎ふるが如く、雲影月色、我を慰むるが如く感ずべし。

一、芭蕉は自白して、我に富士、吉野の句無しといふ。真なり。しかして彼また、松島においても一句を得ざりしなり。世の文人墨客(ぶんじんぼっかく)[詩文をよくする人、と書画をよくする人。そこから風雅の人]、多くこれらの地に到り、佳句を得ざるを嘆(たん)ずる者比々(ひひ)これなり。これけだし美術文学を解せざるの致す所か。富士山の形は、一般の場合において美術的ならず。ただその日本第一の高山たると、種々の詩歌(しいか)伝説とは、これをして能く神聖ならしめたるも、その神聖なる点は種々に言ひ尽して、今は已に陳腐に属したり。吉野、松島の如きは、その占有する所の空間広くして、一見なほ幾多の時間を費す者、これ天然の美ありとするも美術的ならざるなり。(即ち美術に為し得べからざるなり)たとひ美術的なるも俳句には適せざるなり。ただこの光景を破砕(はさい)[破りくだくこと]して、幾多の俳句と為さば為し得べきも、一部の光景はその地全体の特色を帯びざるが故に、世人は承知せざるなり。しかして芭蕉の如きもなほ、不可能的の景色を取(とっ)て俳句となさんと務(つと)むるに似たり。豈(あに)、無理なる注文ならずや。いはんや松島の如きは、甚だ天然の美において欠くる所多きをや。世人は奇を以て美となす、故に松島の奇景を以て日本第一の美となす。誤れるの甚しきなり。古来松島の名詩歌なくその名画なき、もとよりその処なり。もし松島の詩歌俳句等にして秀俊(しゅうしゅん)なる者あらば、そは必ず松島の真景(しんけい)[実際の景色。実景]に非ざるなり。(吉野は我これを知らず、故に茲[ここ]に論ぜず)

一、今試みに山林郊野(こうや)[郊外の野原]を散歩してその材料を得んか。先(ま)づ木立深き処に枯木常磐木(ときわぎ)[松や杉のように一年中葉を緑に保つ木のこと、常緑樹]を吹き鳴す木枯(こがらし)の風。とろとろ阪の曲り曲りに吹き溜められし落葉の、またはらはらと動きたる。岡の辺(べ)の田圃(たんぼ)に続く処、斜(なな)めに冬木立の連なりて、その上に烏居ぱかりの少しく見えたる。冬田の水はかれがれに錆(さ)びて、刈株(かりかぶ)にひつじ穂(ぼ)[(ただしくは漢字)刈った後から生える稲。その実]を見せたる。田の中の小道を行けば、冬の溝川水少く、草は大方枯れ尽したる中に、蓼(たで)[路傍や水辺に生える草木。狭くはヤナギタデのこと]ばかりの赤(あこ)う残りたる。とある処に古池の蓮(はちす)枯れて、雁鴨(がんかも)の蘆間(あしま)がくれに噪(さわ)ぎたる。空は小春日和の晴れて高く鳶(とび)の舞ひ静まりし彼方(かなた)には、五重の塔聳(そび)えて、その傍(かたわら)に富土の白く小さく見えたる。やがて日暮るるほどに、はらはらと時雨のふり来る音に怪(あやし)みて木の間(このま)を見れば、ただ物凄(ものすご)く出でたる十日ごろの片われ月。覚えず身振ひして、維も美はここなりと合点(がてん)すべし。寒さもまさり来るに、急き家に帰れば、崩れかかりたる火桶(ひおけ)もなつかしく、風呂吹(ふろふき)に納豆汁(なっとうじる)の御馳走(ごちそう)は、時に取りての醍醐味(だいごみ)、風流はいづくにもあるべし。

一、空想より得たる句は、最美(さいび)ならざれば最拙(さいせつ)なり。しかして最美なるは極めて稀なり。作りし時こそ自ら最美と思へ、半年一年も過ぎて見たらんには、嘔吐(おうと)を催すべきほどいやみなる句ぞ多き。実景(じっけい)を写しても最美なるはなほ得難けれど、第二流位の句は最も得やすし。かつ写実的のものは、何年経て後も、多少の味を存する者多し。

一、はじめのほどは、空想ならでは作り得ぬを常とす。やがて実景を写さんとするに、つかまへ処なき心地して、何事も句にならず。度々経験の上、写実も少し出来得るに至れば、写実ほど面白く作りやすきはなかるべし。空想の陳腐を悟り、写実の斬新を悟る、またこの時にあり。油絵師牛伴と語る事あり。牛伴曰く、画においても空想を以て競争せんには、老熟の者必ず勝ち、少年の者必ず負く。しかれども写生を以てせんか、少年の者の画く所の者、また老熟者を驚かすに足ると。真なるかな。

一、空想によりて俳句を得んとするには、兀坐(ごつざ)[動かず座り続けること]瞑目(めいもく)[目を閉じること/死ぬこと]して天上の理想界を画(えが)き出すも可なり。机頭(きとう)手炉(しゅろ)[手をあぶるための小火鉢]を擁(よう)して、過去の実験を想ひ起すも可なり。古俳書を繙(ひもと)きて他人の句中より新思想を得来る、また可なり。数人相会して運座、競吟、探題などするも可なり。

一、課題を得て空想上より俳句を得んとする時に、その課題もし難題なれば作者は苦吟のあまり見るに堪へざる拙句を為すこと、老練の人といへども往々免れざる所なり。『俳諧問答』なる書に、詐六(きょりく)の「自得発明弁(じとくはつめいのべん)」といふ文あり。その初(はじめ)に題詠の心得を記したり。曰く

一、師の云、発句(ほっく)案ずる事、諸門弟題号の中より案じいだす、是(ぜ)なきものなり。余所(よそ)より尋(たずね)来れば、さてさて沢山成事(なること)なりと云へり。予が云、我『あら野』『猿蓑(さるみの)』にてこの事を見出したり。予が案じ様、たとへば題を箱に入れてその箱の上にあがりて箱をふまへ立ちあがつて乾坤(けんこん)を尋ねるといへり、云々(うんぬん)

と、けだしこれ題詠の秘訣(ひけつ)なり。

一、作者もし空想に偏すれば、陳腐に墜(お)ちやすく自然を得難し。もし写実に偏すれば、平凡に陥りやすく奇闢(きへき)[奇、すなわち珍しいものを開くこと]なりがたし。空想に偏する者は、目前の山河郊野に無数の好題目あるを忘れて、徒(いたず)らに暗中を摸索するの傾向あり。写実に偏する者は、古代の革物、隔地の景色に無二の新意匠あるを忘れて、目前の小天地に跼蹐(きょくせき)[「跼天蹐地(きょくてんせきち)」の略。中国の故事。天に触れるのを恐れ背をかがめ歩き、地が落ち込むのを恐れて抜き足で歩く。肩身の狭い思いをすること。世をはばかって生活すること]するの弊害あり。

一、空想にあらず、写実にあらず、なかば空想に属し、なかば写実に属する一種の作法あり。即ち小説、演劇、謡曲等より俳句の題目を探り来り、あるいは絵画の意匠を取り、あるいは他国の文学を翻訳する等これなり。この手段、甚だ狡獪(こうかい)[悪賢くてずるいこと。狡猾]なるを以て、往々力を費さずして佳句を得ることありといへども、老熟せざる者は拙劣(せつれつ)[技術などが劣っているさま]の句をものして、失敗を取ること多し。けだし絵画、小説の長所は時に俳句の短所に属し、支那文学、欧米文学の長所は、必ずしも俳句の長所ならざればなり。

[朗読8]
一、壮大を好む者、総ての物に大の字を附して無理に壮大ならしめんとするは、往々徒為(とい)[無駄なこと]に属す。その物已に小ならば、大の字を附して大ならしむべし。大牡丹、大幟(おおのぼり)、大船、大家等の如し。しかれどもその物已に大ならば、これに大の字を附するは、能くこれをして大ならしめざるのみならず、かへつてその物に区域あるが如き感を起さしめ、かへつて小ならしむることあり。大空、大海、大山、大川、広野等の如し。

一、滑稽もまた文学に属す。しかれども俳句の滑稽と川柳の滑稽とは自らその程度を異にす。川柳の滑稽は人をして抱腹絶倒(ほうふくぜっとう)[倒れ転げるほどに腹を抱えて大笑いすること]せしむるにあり。俳句の滑稽はその間に雅味(がみ)[品があって風流であるおもむき]あるを要す。故に俳句にして川柳に近きは俳句の拙なる者、もしこれを川柳とし見れば更に拙なり。川柳にして俳句に近きは川柳の拙なる者、もしこれを俳句とし見れば更に拙なり。

一、狂体(きょうたい)[滑稽味といったくらいではなく、滑稽・諧謔などを駆使して俗詩の全面に出たような形態]を好む者あり、狂体また文学に属す。しかれども意匠の狂と言語の狂と相伴ふを要す。意匠狂して言語狂せざる者あり、狂人の時として真面目なるが如し。意匠狂せずして言語狂する者あり、常人の時として狂せるまねするが如し。共に文学的ならず。

一、熟練の人にして俳句の二句目の終りにある「や」の字を嫌う人多し。例へば

鶏(にわとり)の片足づつや冬籠(ふゆごもり)  丈草

呼び出しに来てはうかすや猫の声  去来

紙燭(しそく)して廊下過ぐるや五月雨  蕪村

家見えて春の朝寐や塩の山  嵐外(らんがい)

等の如し。そは一理なきにはあらず。初学の人この種の「や」を用うる時は、全句にたるみを生ずる者多きが故なり。さりとてあながちにこれを嫌ふは、いはれなき事なり。上に挙ぐる所の句の如き、各首趣味もあり、音調も具(そな)はりて、「や」の字のためにたるみを生ぜざるなり。ひたすらにたるみを嫌ふより出づるの一弊なり。鳴雪翁(めいせつおう)曰く、二句目の「や」はとかくたるむものなれど、下(しも)の五文字、名詞のみならずして動詞、形容詞などを交へたらんには、多少の調和を得べし。例へば

鶯(うぐいす)のあちこちとするや小家がち  蕪村

といふ句の如きも「がち」の語あるが為に「や」の字さほどにたるまずと。この言真なり。

一、俳句に熟達する人すら、なほ解しがたき古句あり。その句もし古事古語等にたよりたるものならんには、思ひよりの書籍を探るべし。しかれどもその語句は普通のものにして、全首の意見通じがたきは熟々(つらつら)[よくよく、念入りに]思案すべし。ただこの一句を解する能はざるの恥なるのみならず、己(おのれ)いまだ俳句のある部分において、至らざる所あるを証する者なり。ありもせぬ意味をこしらへて、句に勿体(もったい)[重々しいさま/尊大なようす]をつけるは、古(いにしえ)の注釈家の弊なり。含有する意味をもよくは探らで、難解の句を放擲(ほうてき)[投げ出すこと、放置すること]するは、今の学生の弊なり。

一、第二期に入る人、もとより普通の俳句を解するに苦まずといへども、用意の周到なる、針線(しんせん)[針と糸の意味。そこから、縫い物]の緻密(ちみつ)なるものに至りては、これを解する能はず。大家苦心の句を把(とっ)て、平凡と目するに至ることあり。今、古句数首を引て、俳家の用意周到なる所を指摘し、併(あわ)せて多少の評論を費すべし。

一、禅寺の松の落葉や神無月(かんなづき)  凡兆(ぼんちょう)

此句を解する者曰く、ただ神無月の寂寞たる有様を現はしたるのみ。しかも禅寺の松葉と見つけたる処、神韻(しんいん)[詩文や芸術、人格などにおける特に優れたおもむきのこと]あり、云々と。果して解者(かいしゃ)の言ふが如く、禅寺の松葉を以て十月頃の淋しさを現はさんとならば、神無月と言はずして霜月(しもつき)といはんに如(し)かず。けだし霜月は神無月に比して更に静かなればなり。解者また曰く、霜月も神無月も大体同じ事なり、ただ句調の都合にて神無月と為りたるのみと。これ凡兆を知らざる者なり。元禄の大家にして、神無月は霜月に動くと知りながら、なほ字数の都合にて神無月と置くが如き一時の間に合せを為すべしとも覚えず。いはんや用意周到を以て勝(まさ)りたる凡兆においてをや。凡兆の俳句緊密にして一字も動かすべからざる、『猿蓑(さるみの)』を見て知るべく、この点においてあくまで強情なることは、『去来抄(きょらいしょう)』にも見えたり。さればこの句に神無月と置きたる者、豈(あに)[(反語として)なんで、どうして/(打消語と共に)決して~ない]一時の間に合わせならんや。凡兆深くここに考ふる所ありしや必せり。けだし十月は多くの木の葉の落つる時なれば、俳諧において落葉を十月の季とし、松の落葉の如き常磐木(ときわぎ)[松や杉など、年中葉が緑色をしている樹木。常緑樹。→常磐木落葉(ときわぎおちば)、初夏の季語。松、杉、樫(かし)、椎(しい)、樟(くす)など新緑の生まれて古葉を落とすこと]の落葉は総て夏季に属す。しかれども松の落葉の如きは、四時(しじ)[一年の四時は春夏秋冬、合わせて四季なるべし]絶えざること論を俟(ま)たず。さればこの句意は、神無月の頃は到る処に木の葉落ち重なりて下駄(げた)・草履(ぞうり)にも音ある程なるに、独(ひと)りこの禅寺は松の古葉の少しこぽれたるぱかりなるぞ、清らかに淋しく禅寺の本意(ほい)なるべき、と口ずさみたる者ならん。更に言ひ換(か)へなば、いづくも落葉だらけになりていとむさくろしき[むさくるしい]に、この禅寺は松ぱかり植え列(つら)ねて他の木をも交ぜねば、この落葉の頃さへ普通の落葉はなく、ただ松葉ばかりこばれて禅寺めきたりとなるベし。(この句恐らくは南禅寺より思ひつきたらんか)是(ここ)においてか神無月の語は一歩も動かざるを見るべし。もし霜月としなば、已(すで)に落葉の時候も過ぎたるからに、たとひ落葉せし処も吹き散らし掃(は)き除けたるかも測(はか)るべからず。さありては松の木ばかりの禅寺といふ意を現はすに足らざるなり。

一、  鐘楼(しょうろう)へは懲(こ)りてはひらぬ燕かな   也有

也有は狂文を以て名高し。故にその作句数千、十中の八九は狂体もしくはシャレ滑稽に属するものなり。しかれども、この句の如く諧謔のはなはだしきものは他に多く類を見ず。この句の精神は「懲(ちょう)」の、一字にあり。しかして人の解する能はざる所、またこの語にあり。故にこの句の意を探らんとならば、燕が何故に鐘楼に這入(はい)ることに懲(こ)りたるかを知るにあり。けだし燕は真一文字に飛ぶ者なれば、ある時何の気もなく鐘撞堂(かねつきどう)の中を目がけて飛ひこみたれば、思はずも釣鐘(つりがね)に頭を打ちつけて痛き目を見つるならん。さらば鐘楼に這入らばまたもや痛き目を見んかとて懲りて這入らぬなり。此(かく)の如き事は、突際にあり得べしとも思はねど、燕の向ふ見ずに飛ふ処より聯想し来りて、也有はこの諧謔の句をものしたりとおぽし。世人(せじん)あるいはこの解駅を以て牽強(けんきょう)[道理に合わないことでも無理に合わせようとすること。「牽強付会(けんきょうふかい)」で、都合のいいように無理に理屈をつけること]に過ぎたりとし、この外に幾様(いくよう)の解釈を為すものあるべし。しかれどもその解釈と、ここに挙げたる解釈とを比較して、いずれか善く懲の意に適するか、いずれか最も善く燕の特性を現はすかを見よ。しかして後、この解釈の牽強ならぬを知るベし。但(ただ)しこの句は諧謔に過ぎて、品位最(もっとも)低し。決して佳句と称すべからず。世人(せじん)またこの種の諧謔のやや川柳調に近きを疑ひ、俳人にして川柳調を為すの信ずべからざるを説く者あらん。しかれども也有の全集を見る者、誰か也有の諧謔に過ぎたるを知らざらん。例へば

折られぬを合点(がてん)で垂れる柳かな

鍬と足三本洗ふ田打(たうち)かな

足柄(あしがら)の山に手を出す蕨(わらび)かな

もの申(もう)の声に物着る暑さかな

片耳に片側町の虫の声

邪魔が来て門叩(かどたた)きけり薬喰(くすりくい)

の如き、巧拙は異なれども、その意匠の総て滑稽に傾き、頓知(とんち)による処、尽(ことごと)く相似たり。以て全豹(ぜんびょう)[全体のありさま。全貌(ぜんぼう)]を推(お)すベし。

一、  飛ひ入りの力者(りきしゃ)怪(あや)しき角力(すもう)かな  蕪村

俳句に人る事深く、自ら俳句を作りて幾多の秀句を為す人、なほかつこの句を捨てて、平凡取るに足らずと為し、毫も顧みず。しかししてその解釈を問へば、則(すなわ)ち浅薄(せんぱく)にして殆(ほとん)ど月並者流の句を解するが如く然り。蕪村をしてこれを聞かしめば、果して如何(いかん)とか言はん。この句もとより『蕪村集』中の傑作に非ず、むしろ下位にある者なり。しかれども大家の技倆は往々悪句によりて評定せらるる事あり。この句恐らくは、蕪村の技倆を知るに足らんか。けだしこの一句の精神は「怪」の一字にあり。人の誤解する所、またこの一字にあるなり。国語に「あやし」といふ語、幾様の意味に用ふるや能く究(くぁ)めずといへども、昔は見苦しき賎(しず)が家(や)を「あやしげなる家」など言ひたるは少からず。されどそは此処(ここ)に用ふべきにあらず。普通には「あやし」といふ語を、漢字の「怪」の意に用ふ。「怪」とは奇怪、妖怪、怪カ、神怪(しんかい)[あやしいこと、不思議なこと]、鬼怪などとて、総て人問わざならぬ事に用う。この一句の意味を探るに左の如し。ある処にて秋のはじめつかた、毎夜村の若衆など打ち寄りて辻角力(つじづもう)を催すに、力自慢の誰彼(たれかれ)自ら集まりて、かりそめながら大関関脇を気取りて威張りに威張りつ、面白き夜を篝火(かがりび)の側に更(ふか)しける。さるほどにある夜の事、今までは見なれぬ一人の男、のつとこの角力場に来りて「我も力競(くら)べん」といふ。男盛りの若者ども血気にはやりて、「これ位の男、何程の事かあらん」といきなりに取てかかれば、無造作にぞ投げられける。次なる若者、敵(かたき)討たんと組みつけば、これも物の見事にぞ投げられける。その外、幾人となく取てかかる者この有様なれば、終(つい)には大関某(なにがし)、自ら大勢の恥辱を雪(そそ)がん[(=濯ぐ)「そそぐ」「すすぐ」と同じ意味]と、のさりと歩み出づ。皆々この勝負こそはと片唾(かたず)を呑んで眺めおれば、二人は立ち上り「エイ」と組み「オオ」と引き、左をさし右をはづし、眸(ひとみ)を凝(こ)らして睨(にら)み合ひたるその途端に如何(いかが)したりけん、彼(かの)男、のつと寄るよと見えしままに、さすがの大関も難なく土俵の真中へ叩きつけられぬ。見物はあつけに取られたり。やがてさまざまの評判こそ、口からロヘささやかれけれ。「さるにても彼の飛入の男は誰ならん、この村には見馴れぬ顔の男なり。」北村の人に聞けども北村の人も知らず。南村の人に聞けども南村の人も知らず。さりとて、本場を踏める関角力といふ風采(ふうさい)にもあらねば、通り掛りの武者修行といふ打扮(いでたち)にもあらざりけり。疑惑は疑惑に重りぬ。私語はいよいよ、かしましく[やかましく]なりぬ。中に一人の年よりたる行司(ぎょうじ)の、しはぶき[咳(せき)、咳払い]して小声にていふやう、「皆の衆、静かにせよ。彼こそは、かしこの山の頂に住めるといふ、天狗様(てんぐさま)にこそはあるらめ。今宵の振舞を見るに、ただ人(びと)とは覚えず。思ふに、我らの力わざに耽(ふけ)りて、いと誇りがほなるを片腹痛しとて、かくは懲らしめ給ひたるものにぞあるらめ」といへば、皆々顔見合して襟元寒しと身振ひなどすめり。蕪村は実に、この一場の事実を取り来りて、十七字の中には包含せしめたり。しかしてその骨子は、「怪」の一字に外ならず。角力は難題なり、人事なり。この錯雑(さくざつ)[いろいろなものが無秩序に入り交じっていること、込み入っていること]せる俗人事を、表面より直言せば、もとより俗に堕(お)ちん。裏面より如何(いか)なる文学的人事を探り得たりとも、千両幟(せんりょうのぼり)は終(つい)に俳句の材料とは為らざるなり。しかれども蕪村が、この俗境(ぞっきょう)[俗人の世界、俗世間/無風流な場所]の中より、多少の趣味を具するこの詩境を探り出だし、しかもそれを「怪」の一字に籠(こ)めたる彼の筆力に至りては、俳句三百年間、誰一人その塁を摩する(るいをまする)[(中国の故事より)敵陣の近くに迫る/技量、地位などがほぼ同等になる]者かあるべき。世人(せじん)またこの解釈を不当として、種々に解釈を試むる者あるべし。然れども恐らくは、その解釈は「怪」の一字を解し得ざるべく、しからざれば一字一句金鉄(きんてつ)の如く緻密(ちみつ)に、泰山(たいざん)の如く動かざる蕪村の筆力を知らざる者の囈語(げいご)[寝言、うわごと、たわごと]のみ。

一、言ひがたきを言ふは老練の上の事なれど、そは多く俗事物を詠じてなるべく雅ならしむる者のみ。その事物、如何(いか)に雅致(がち)ある者なりとも、十七字に余りぬべき程の多量の意匠を十七字の中につづめんことは、殆(ほとん)ど為し得べからざる者なれば、古来の俳人も皆これを試みざりしに似たり。しかれども、一、二、この種の句なくして可ならんや。池西言水(いけにしごんすい)(1650-1722)はその作者なり。

一、ここに一の意匠あり。その意匠は、極めて古き代の事を、当時自身が事に当りしことの如くに詠ずるなり。昔は、老年になりてものの役に立たぬ人を、無残にも山谷(三国)に捨てし地方もありきとぞ。信州の姨捨山(おばすてやま)はその遺跡となん問えし。その頃の事にして、時は冬の夜の寒く晴れわたり満天糠星(ぬかぼし)[夜空にちらばる無数の星々のこと。星屑]のこぽれんばかりに輝ける中を、今より姨捨てに行かなんとて、湯婆(たんぽ)[「湯たんぽ」のことなり]を暖めよと命ずるなり。これだけの趣向が、いかで十七字にはつづまるべきと誰しも思はんを、さて詠みたりや。

姨捨てん湯婆(たんぽ)に燗(かん)せ星月夜  言水
 [正しくは「燗」の左は「火」でなく「酉」]

情景写し出だして少しも窮する所を見ず。真にこれ破天荒(はてんこう)と謂(いい)つべし。(但しこの句につきては、我いまだ全く解せざる処あり。湯婆に燗せとは果して何のためにするにや。ただ寒き故に、自ら手足を暖めんとにや、または他に意味あるにや。大方の教を俟つ)

一、これらの句は言水においても他に多くの例を見ず。

黒塚や局女(つぼねおんな)のわく火鉢  言水

の一句、僅かに前の湯婆の句と種類を同じうするのみ。この句の意は、黒塚の鬼女[黒塚とは福島県二本松市にある鬼婆の墓。安達ヶ原の鬼婆(おにばば)ともいうが、伝説については割愛]が局女を捕へて、その肉か子ごもり[胎内に子をはらむこと。ここでは、そのはらんだ子]を截(き)り取り、これを火鉢の上にて炙(あぶ)りなどしをる処なるべし。前の句も冬季としたる為に凄(すご)みを添へ、この句もまた冬季なるを以て一(ひと)きは恐ろしき心地す。

一、身の内の道を覚ゆる清水かな  麦翅(ばくし)

もとより品高き句にはあらぬを、能(よ)くもかかる事まで俳句にはしたるよと思はしむる処、作者のはたらきなり。句意は三伏(さんぷく)[夏至を過ぎて訪れる第三庚(かのえ)を初伏、第四庚を中伏、さらに立秋を経て初めての庚を末伏といい、合わせて三伏という。ここから、酷暑の頃の時候の挨拶などに使用]の暑き天気に、かわきたる咽元(のどもと)を濡(うるお)さんと冷たき水を飲めば、その水が食道を通過する際も、胸中ひややかに感ずる所を詠みたるなり。

一、  人之性善
  折つて後もらふ声あり垣の梅  沾徳(せんとく)

といふ句は、意匠卑俗にして取るに足らずといへども、中七字のはたらきは俳句修学者の注意せざるべからざる所なり。余所(よそ)の垣根の梅を折つて今や帰らんとする時、貰ひますよと一言の捨言葉を残したるを「もらふ声あり」と手短かに言ひたる。さすがに老熟と見えたり。但(ただ)しこの句の価値をいはば一文にもあたらず。

一、絶頂の城たのもしき若葉かな  蕪村

句意は聞えたるまでなり。あるいは絶頂(ぜっちょう)といふ漢語あるを見て、窮策(きゅうさく)[窮して苦し紛れに考え出した策]に出でたりといひ、あるいはことさらに奇を好みたりといふ者あらん。しかれども蕪村は奇を好まず、また窮策をも取らざるなり。特にここに「いただき」とはいはずして絶頂といひし所以(ゆえん)の者は、「ぜつちやう」といふ語調の強きがために山いよく嶮(けん)なる[山などが切り立ってけわしい]を覚え、随つて「たのもしき」といふ意ますます力を得て全句活動すべし。また若葉の候と定めたるも、初夏草木の青々茂りて半ば城楼(じょうろう)を埋めたる処は、最も城の竪固なるを感ずべし。もし冬季を以て城楼に結ぱぱ、空城古城の感を増すを以て、「たのもしき」といふ語は不適当となるべし。

一、学生、俳句に多くの漢語を用ゐて自ら得たりと為すも、佶屈(きっくつ)に過ぎて趣味を損する者多し。漢語を用ふるは左の場合に限るべし。

漢語ならでは言ひ得ざる場合
漢土の成語を用うる場合
漢語を用うれば調子よくなる場合

一、現時の新事物は俳句に用ゐて可なり。但し新事物には俗野なる者多ければ、選択に注意せざるべからず。

第七 修学第三期

[朗読9]
一、修学は第三期を以て終る。

一、第二期にある者、已(すで)に俳家の列に入るべし。名を一世に挙ぐるが如き、また難(がた)きにあらず。第三期は俳諧の大家たらんと欲する者のみ、これに入ることを得べし。一世の名誉に区々たる者の如きは、終(つい)にこの期に入るを許さざるなり。

一、第三期は卒業の期なし。入る事浅ければ、百年の大家なるべく、入る事深ければ、万世(ばんせい)の大家たるべし。

一、第二期は天稟(てんぴん)[生まれつきの才能、性質]の文才ある者、能く業余(ぎょうよ)[本来の仕事の他]を以てこれを為すべし。第三期は文学専門の人に非ざれば、入ること能(あた)わず。

一、第二期は浅学(せんがく)なる者、懶惰(らんだ)[なまけ怠ること]なる者、なほ能くこれを修むべし。第三期はれいせい励精(れいせい)[精を出して励み務めること、精励(せいれい)]なる者、篤学(とくがく)[勉強によく務めるもの]なる者に非ざれば、入る能わず。

一、第二期は知らず知らずの間に入りをることあり。第三期は自ら入らんと決心する者に非ざれば入るべからず。

一、文学専門の人といへども、自ら誇り他を侮(あなど)り研究琢磨(たくま)の意なき者は、第二期を出づる能はず。

一、一読を値する俳書は得るに随つて一読すべし。読み去るに際して、その書の長所と短所とを見るを要す。

一、俳句につきて陳腐と新奇とを知るは最も必要なり。陳腐と新奇とを判ずるは、修学の程度によりてその範囲を異にす。俳句を見る事いよいよ多ければ、その陳腐を感ずること随って多かるベし。第二期にある者、初学の俳句を見れば、ただその陳腐なるを見る。第三期にありて第二期を見る、また此(かく)の如きのみ。しかして、能(よ)く新陳両者の区別を知るには、多く俳書を読むに如かず。

一、業余(ぎょうよ)[本来の仕事の他]を以て俳句を修する者、自己の句と古句の暗合[期せずして互いに一致すること]するあるも妨げず。ただ、第三期にある者は、暗合を以てその陳腐を抹殺し得べきに非ず。たまたま以て、自己の浅学を証するのみ。

一、空想よりする者、写実よりする者、共に熟練せざるべからず。非文学的なる者をして、なるべく文学的ならしむるの技量も具備せざるべからず。

一、空想と写実と合同して、一種非空非実の大文学を製出(せいしゅつ)[つくり出すこと]せざるべからず。空想に偏僻(へんぺき)[こころが偏ってひがむこと/かたいなか]し写実に拘泥する者は、もとよりその至る者に非るなり。

一、俳句の諸体に通ぜざるべからず。自己の特色なかるべからず。

一、俳書を読むを以て満足せば、古人の糟粕(そうはく)を嘗(な)むるに過ぎざるべし。古句以外に新材料を探討(たんとう)[探りたずねること、探求]せざるべからず。新材料を得べき歴史地理書等これを読むべし。もし能(あた)ふべくんぱ満天下を周遊して新材料を造化(ぞうか)[万物を創造すること/創り出されたすべてのもの(自然、天地など)]より直接に取り来れ。

一、俳句以外の文学にも、大体通暁(つうぎょう)[夜を通って暁にいたること/くわしく知ること]せざるべからず。第一和歌、第二和文、第三小説、謡曲、演劇類、第四支那文学、第五欧米文学等なるべし。

一、文学を作為するは専門家に非れば能はず。和歌を能くして俳句を能くせず、国文を能くして漢文を能くせざるが如き、強(あなが)ち咎(とが)むべきに非ず。しかれども文学の標準は各体において、各地において相異あるべからず。故に和歌の標準を知りて俳何の標準を知らずといふ者は、和歌の標準をも知らざる者なり。俳句の標準を知りて小説の標準を知らずといふ者は、俳句の標準をも知らざる者なり。標準は文学全般に通じて同一なるを要するは論を俟(ま)たず。

一、文学に通暁せざるべからざるのみならず、美術一般に通暁せざるべからず。文学の標準は絵画にも適用すべく、彫刻にも適用すべく、建築にも適用すべく、音楽にも適用すベし。

一、俳句の標準を得る者、和歌を解釈し得ざれば、その美不美を断ずべからず。漢詩欧詩を解釈し得ざれば、その美不美を断ずべからず。絵画、彫刻、建築、音楽を解釈し得ざれば、その美不美を断ずべからず。故に俳人は、深く入ると共に博(ひろ)く通ぜざるべからず。

一、文学に通暁し美術に通暁す、いまだだ以て足れりとすべからず。天下万般の学に通じ、事に暁(さと)らざるべからず。しかれども、一生の間に自ら実験し得べき事物は極めて少数なり。故に多く学び博く識(し)らんと欲せば、書籍によるをも最(もっとも)良しとす。歴史は材料を与ふべし、地理書は材料を与ふべし。その他雑書皆、多少の好材料を与へざるはなし。

一、極美の文学を作りていまだ足れりとすべからず。極美の文学を作る、ますます多からんことを欲す。

一、一俳句のみ力を用ふること此の如くならば、則(すなわ)ち俳句あり、俳句あり、則ち日本文学あり。

第八 俳諧連歌

[朗読10]
一、易(えき)、源氏(げんじ)、七十二候など、その外、種々の名称あれども多くは空名に過ぎず。実際に行はるる者は歌仙(かせん)を最も多しとし、百韻(ひゃくいん)これに次ぐ。

一、歌仙は三十六句を以て成り、百韻は百句を以て成る。長句、短句にかかはらずこれを一句といふ。発句(ほっく)と最後の一句を除きて外は各句両用なるを以て、歌仙には三十五首の歌(則ち長句短句合わしたる者)あり、百韻には九十九首の歌あるわけなり。

一、歌仙は長に過ぎず、短に過ぎず、変化度に適せり。故に芭蕉以後は歌仙最も多く行はれたり。初学の人、連句を学ぶ、また歌仙よりすべし。

一、連句(れんく)は変化を貴ぶ故に、その打越(うちこし)(一句置いて前の句)に似るを嫌ふ。即ち第三の句は第二句に附くこと言ふまでもなく、しかして第一句とはなるべく懸隔(けんかく)[かけ離れていること]せるを要す。けだし第一句、第三句共に第二句に附く故に、両句動(やや)もすれば同一の趣向となり、あるいは正反対の趣向(黒と白、男と女、戦争と平和等の如し)となるを免れず。同一の趣向の変化せざるは勿論(もちろん)にして、正反対の趣向もまた変化せざるものなり。

一、「二句去り」、「三句去り」などといふことあり。「何句去り」とは、何句の間その物を泳みこむを禁ずといふことなり。例へば「竹は木に二句去りなり」といへば、木を詠み込し句より後二句の中には、竹を詠まれぬが如し。これらの法則は余りうるさきやうなれども、つまり法則的に変化せしめんとの意より出でたる者にして、愚人に連歌(れんが)、連句(れんく)を教へんがためなり。いやしくも変化の本意を知る者は、かかる人為の法則に拘泥するに及ぱず。ただ我が思ふままに馳駆(ちく)[馬を走らすこと/走り回ること]して可なり。試みに芭蕉一派の連句を披(ひら)き見よ。その古格(こかく)[古くからの格式、古いしきたり]を破りて縦横に思想を吐き散らせし処、常にその妙を見(あら)はすを。

一、古来定め来りし「去り(さり)」「嫌ひ(きらい)」は、やや寛(かん)に過ぐるを憂(うれ)ふ。二句去り、三句去りといふもの、多くは五句も六句も去らざれば変化少かるべし。

一、歌仙は分ちて表六句、裏十二句、名残(なごり)の表十二句、名残の裏六句となす。

一、「月花の定座(じょうざ)」なる者あり。そは月と花とを詠みこまざるべからざる句をいふ。即ち「月の定座」は表の第五句、裏の第七句、名残の表の第十一句とし、「花の定座」は裏の第十一句、名残の裏の第五句とす。但しこの句と固定せるにはあらず。時に応じて種々に動くべし。

一、表六句(百絢は八句)には神祗(しんぎ)、釈教(しゃっきょう)[釈迦の教え、より仏教のこと]、恋、無常、述懐(じゅっかい)[こころの思いを述べること/愚痴を言うこと]、人名、地名、疾病(しっぺい)等を禁ず。窮屈なるやうなれども一理なきにあらず、従ふべし。元来歌仙全体を一つの物と見る時は、表は詩の起句の如し、故に此処(ここ)はなるべくすらりとして苦の無きやうに致し、以て後段に変化の地を残し置くなり。二の表は、更に変化を要する所なりとぞ。

一、脇(第二句)には字止(じどめ)といふ定めあり。字止は名詞止なり。第三には「て止」といふ定めあり。これら、あながち固守すべきにもあらねど、また一理なきにもあらず。初学は古法に従ふべし。

一、春秋二季は三句乃至(ないし)五句続き、夏冬二季は一句乃至三句続くを定めとす。時の宜しきに従ふべし。

一、月といふ者、必ずしも秋月なるを要せず。殊(こと)に裏の月は秋月ならぬ方、かへつて宜しからん。

一、花といふ者、必ず桜花なるを要せず。梅、桃、李(すもも)、杏(あんず)、もとより可なり。他季の花を用うる、また可なり。花と言はずして桜といふ、もとより可なり。各人の適宜(てきぎ)[ぴったりと合っていること、適当]に任すべし。

一、恋を一句にて棄てずといふ定めあり。従ふに及ばず。

一、百韻は初折(しょおり)表八句裏十四句、二の折表十四句裏十四句、三の折表十四句裏十四句、四の折表十四句裏八句なり。

一、百韻の月の定座は、表の終(おわり)より二句目、裏(名残の裏を除く)の九句目なり。花は、裏の終より二句目なり。百韻にては殊に月花の定座に拘泥すべからず。

一、百韻は長き故に、ともすれば同一の趣向に陥りやすし。全体の変化に注意すること、最も肝心なり。一句々々の附具合(つけぐあい)も、歌仙に比すれば親句(しんく)(ぴつたりと附きたる句)多かるべし。しからざれば窮屈なる百韻 となりをはらん。

一、規則、附様(つけよう)等、一々に説明しがたし。古書について見るべし。

一、俳諧連歌における各句の接続は、多く不即不離(ふそくふり)[付かず離れず]の間にあり。密着せる句、多くは佳ならず、一見無関係なるが如き句、必ずしも悪(あ)しからず。切なる関係なしとは見えながら、また前何と連続せざるにもあらざる処に、多く妙味を存するなり。初学のために一例を挙げて解釈すべし。

一、左に録する俳諧連歌は十八句より成り、召波(しょうは)十三回の迫悼会に催せし者と知らる。脇起(わきおこし)とは、その座にをらぬ人の俳句を竪句(第一句)として作る者にて、追善(ついぜん)の場合に亡き人の句を竪句とすること普通の例なり。これもまたしかなり。

一、  冬ごもり五車(ごしゃ)の反古(ほうご)のあるじかな  召波

「五車の書」といふ支那の故事を転じて反古となし、反古の多きことを言へる者にして、冬ごもりの書斎、狼籍(ろうぜき)[乱暴なさま/理不尽に他を犯すこと]たる様なるべし。

一、  ひとり寒夜(かんや)にホトギうつ月  維駒
  [「ホトギ」は[缶+瓦]の漢字一文字]

維駒(これこま)は召波の子なれば脇を着けたるなり。発句冬季なればこの句も冬季にて受けたり。ホトギ[缶+瓦]は缶の意にて「ほとぎ」と読ましむる者か。缶(ほとぎ)は瓦器にして酒を盛る者なるを、秦(しん)人はこれを撃て楽器となすとかや。五車の書[(中国の故事)五台の車に満ちるほどの多くの書物。蔵書の多いこと]といふこと支那の故事を引きたれば、脇もまた缶(ほとぎ)といふ支那の楽器を引用したるなり。但しここは支那の楽器を持出して撃つといふにはあらず、有り合せの瓶(びん)などを叩きたることをいへるなり。前句との附様(つけよう)は、冬籠りの中にある月あかき夜、酒うち飲みて、酔ひたるままに瓶など打ち叩きたる、といふ趣向なり。

   郊外何焚(たく)やらん煙して  鉄僧(てっそう)

 初(しょ)五文字、何と読むやらん。「かうぐわい」と四音に読むにや、または「郊外に」とあるべきを字の脱けたるにや。あるいは外に読みやうあるべきか知らず。前句との附様(つけよう)は、前の缶(ほとぎ)打つ月といへるを、町はづれなどの侘住居(わびずまい)と見たる故に、郊外の景色を見るがままに述べたるならん。この句、雑の句なり。冬季は二句続くが普通の例なり。

   流れの末の水は二筋  臥央(がおう)

 これはただ前句を受けて郊外の景色を更に述べ添へたるまでなり。

   枝伐(きっ)て一のまぶしを定むらし  蕪村

 「まぶし」とは猟師(りょうし)が木の枝などを地に刺し、その陰に隠れて鉄砲を放つものなりとぞ。「一のまぶし」とは、まぶしいくつもあるうちに、第一に射撃すべき処をいふにやあらん。この附様は、前句の「流れの末の水は二筋」といふを山中の谷川の景色と見て、さて箇様(かよう)に獣猟(じゅうりょう)の様をばいひて、郊外の景色を転じたるなり。この句、普通には月の定座なれども、脇に月を置きたる故に、ここには置かれぬ定めなり。

   甥(おい)の太郎が先づ口をきく  百池(ひゃくち)

 附様は、前の山猟に鹿など来るやと身を隠し、息を殺して待ちをる処に、甥の太郎が先づ物を首ひたるとなり。この口をきくとは、何事を言ひたるや。そは定かならねども、大方は漉の来るを見つけて「来た来た」などと口走りたるならんか。

   新宅の夏を住みよき柱組  也好(やこう)

 この句は全く趣向を転じたり。附様は、新築成りてその祝ひに(祝ひならずともよし)幾人か集まりゐたる処に、甥の太郎が一番に口をききたり、といふことにしたるなり。

   水打ちそゝぐ進物の鯛  春坡(しゅんぱ)

 この句は、前の薪築の祝ひに鯛を遣(つか)はしたるなり。水打ちそそぐとは、鯛の腐りかけたるを防ぐなるべし。この句、夏季にはあらねど、水打ちそそぐといふは夏季に最も適切なり。

   裂(さ)けやすき糸の乱れの古袴(ふるばかま)  正巴(せいは)

 これは前句祝宴なる故に、祝宴の時に古袴ひきつくろひたるさまを叙したるなり。前の腐れ鯛に対して、ここには古袴の破れて糸のほつれたるを附けたる、作者用意の処なり。

   妻(め)を奪ひ行く夜半(よわ)の暗きに  之兮(しけい)

 妻は「め」と読むなり。この附様は全く転じたり。さるべき恋の執心(しゅうしん)[ある事柄、あるいは異性の相手にこころ引かれて、そこから逃れられないこと]より人の妻を奪ひ行く、その身なりもしどろ[秩序もなく乱れたさま]に袴など裂けたるさまなり。前句の「糸の乱れの」といへるさま恋歌の言葉にて、如何にも主(あるじ)の心までも乱れたらんやうに見ゆるからに、この句は恋となしたるなり。但し袴といふによりて、この恋は門地ある人の恋と知るべし。(ここにては前句の袴を女の袴と見たるにや)

   ちら/\と雪降る竹の伏見道(ふしみみち)  道立(どうりゅう)

 これは前句の、妻を奪ひ行く夜道のさまを述べたるものにて、恋の句にはあらず。前の恋は、都の位ある人のしわざと見つけて、さては伏見と置きたるなり。伏見より竹を思ひ、竹より雪を思ふ。この清麗(せいれい)[清らかで美しいこと]なる雪中の竹逕(ちくけい)[ちくけい]を以て、前の上等社会の恋に副(そ)ふ、また用意周到の処なり。

   小荷駄(にだ)返して馬嘶(いば)ふらん  我則(がそく)

 この句は、ただ伏見郊外の景色なり。小荷駄返してといふ意、何の箏事にや。荷主に荷を返すことをいふか。

泣く/\も棺(ひつぎ)を出だす暮の月  自笑(じしょう)

 前句をただタ暮の淋しき最気と見て、この附ありたるならんか。但し田舎にては、夕暮に棺を出す処多し。この句、月を入れて秋季なり。

  よからぬ酒に胸を病む秋  佳棠(かとう)

 句の表は、悪(わろ)き酒を飲みて胸わるくなりたりといふまでなり。されどその裏面には、さらでも[「然らでも」と書き、そうでなくても、といった意味]人を失ひたる悲みに胸つかへたる頃を、焼け酒飲み過ぎてなほ胸苦しさよと、かこちたる[「託つ(かこつ)」他のもののせいにする/自分の境涯などで恨みごと、不平を言うこと]さまをも見せたり。前秋季なれば、この句も秋季にて受けたり。

   小商(こあきな)ひ露のいく野の旅なれや  湖柳(こりゅう)

 この句は小商人(こあきんど)の旅にて、わろき酒など飲みて鬱(うつ)を晴さんとするに、なかなか胸につかえたりといふなり。いづれも秋の淋しき処より案じ出だせるなり。この句、露とある故秋季なり。

   燕来る日の長閑(のどか)なりけり  湖嵓(こがん)

 この句は、ただ旅路のさまをいひたるなり。前句は秋季にて、この句は春季なり。これを「季移り」といふ。この場合には、前句を春季の句と見なして、この句を附くるなり。露は秋季なれども、春にも露あること勿論(もちろん)なれば、春と見なしても差支(さしつかえ)なきわけなり。

反古(ほご)ならぬ五車(ごしゃ)の主(あるじ)よ花の時  几董

 反古ならぬ五車の書の主といふ事なるべきを、発句に照応して反古ならぬとは言ひたり。箇様に発句に照応せしむること、定則(ていそく)にはあらず、便宜の沙汰(さた)なり。この句、花の定座にして花あり。

   春や昔の山吹の庵(いお)  田鶴(でんかく)

 これはただ五車の主の佳居を山吹など咲きたらんと見立てたるなり。「春や昔」と懐旧(かいきゅう)[昔あったことをなつかしく思い出すこと]の意にものしたるは、これも追善[死者の冥福を祈るための会、年忌の仏事など]の意を含ませたるなり。

一、この連句にて、各句の附具合はそれぞれに味ひありて面白し。ただ一句として面白き句は

水うちそゝぐ進物の鯛

裂けやすき糸の乱れや古袴

妻を奪い行く夜半の暗きに

ちら\/と雪降る竹の伏見道

なく\/も棺(ひつぎ)を出だす春の月

など、などなるべし。



(明治二十八年十月二十二-十二月三十一目)

テキストについて

一、原文を岩波文庫の『俳諧大要』に定め、句読点、カギ括弧、改行などは時乃志憐による改編を行う。漢字の変更や平仮名への変更も場合によりて同様に行う。

一、言葉の意味を補うに際し、その単語をこのように青色にて示し、その後に[言葉の意味を記す]ものとする。その外、注目文節などを適時「青色」「茶色」にしたが、原文における強調とは一致しない。

2011/3/6-4/16

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