幸田露伴「観画談」

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観画談(かんがだん) (幸田露伴)

[朗読1]

 ずっと前の事であるが、或《ある》人から気味合《きみあい》[おもむき・心持ち/おもむきのある/異性へ関心を寄せること]の妙《みょう》な談《はなし》を聞いたことがある。そしてその話を今だに忘れていないが、人名や地名は今は既に林間《りんかん》の焚火《たきび》の煙のように、何処《どこ》か知らぬところに逸《いっ》し去っている。

 話をしてくれた人の友達に某甲《なにがし》という男があった。その男は極めて普通人|型《がた》の出来の好い方《ほう》で、晩学ではあったが大学も二年生まで漕ぎ付けた。というものはその男が最初|甚《はなは》だしい貧家に生れたので、思うように師を得て学に就くという訳《わけ》には出来なかったので、田舎《いなか》の小学を卒《おえ》ると、やがて自活生活に入って、小学の教師の手伝《てつだい》をしたり、村役場《むらやくば》の小役人みたようなことをしたり、いろいろ困苦[こんく・困りかつ苦しむこと]勤勉の雛型《ひながた》その物の如き月日を送りながらに、自分の勉強をすること幾年であった結果、学問も段※[#二の字点、1-2-22]進んで来るし人にも段※[#二の字点、1-2-22]認められて来たので、いくらか手蔓《てづる》[すがるべき頼りや助けのこと]も出来て、終《つい》に上京して、やはり立志篇《りっしへん》[こころざしを立てる篇(へん)、すなわち物語全体のこころざしを立てるところを描いた部分]的の苦辛《くしん》[「苦心」はなし遂げるためにこころを悩ます苦労だが、「苦辛」は苦しみつらい思いをすることくらい]の日を重ねつつ、大学にも入ることを得るに至ったので、それで同窓《どうそう》中では最年長者――どころではない、五ツも六ツも年上であったのである。蟻《あり》が塔《とう》を造るような遅※[#二の字点、1-2-22]たる行動を生真面目《きまじめ》に取って来たのであるから、浮世の応酬《おうしゅう》に疲れた皺《しわ》をもう額《ひたい》に畳んで、心の中にも他の学生にはまだ出来ておらぬ細かい襞※[#「ころもへん+責」、第3水準1-91-87]《ひだ》が出来ているのであった。しかし大学にある間だけの費用を支えるだけの貯金は、恐ろしい倹約と勤勉とで作り上げていたので、当人は初めて真の学生になり得たような気がして、実に清浄純粋な、いじらしい愉悦[ゆえつ・たのしみ喜ぶこと]矜持《きょうじ》[プライド。自己の能力を信じて抱く誇り。慣用的に「きんじ」とも読む]とを抱いて、余念もなしに碩学《せきがく》[学問の深く広い人・大学者]の講義を聴いたり、豊富な図書館に入ったり、雑事に侵《おか》されない朝夕《ちょうせき》の時間の中に身を置いて十分に勉強することの出来るのを何よりも嬉《うれ》しいことに思いながら、いわゆる「勉学の佳趣《かしゅ》」[佳趣は良き趣味くらいの意味。良い酒を表す佳酒(かしゅ)と掛け合わせたもの?]に浸《ひた》り得ることを満足に感じていた。そして他の若い無邪気な同窓生から大噐晩成《たいきばんせい》[中国の『老子』に由来。大きな器は完成するまでには時間を要するものだくらいの意味から、歳月を掛けてようやく高みに達する人をこう呼ぶ]先生などという諢名《あだな》、それは年齢の相違と年寄《としより》じみた態度とから与えられた諢名を、臆病臭い微笑でもって甘受しつつ、平然として独自一個の地歩を占めつつ在学した。実際大噐晩成先生の在学態度は、その同窓間の無邪気な、言い換《かえ》れば低級でかつ無意味な飲食の交際や、活溌な、言い換れば青年的勇気の漏洩《ろうえい》に過ぎぬ運動遊戯の交際に外れることを除けば、何人《なんぴと》にも非難さるべきところのない立派なものであった。で、自然と同窓生もこの人を仲間はずれにはしながらも内※[#二の字点、1-2-22]は尊敬するようになって、甚だしい茶目吉《ちゃめきち》一、二人のほかは、無言の同情を寄せるに吝《やぶさか》[ケチなこと。あれこれと惜しんでしぶること]ではなかった。

 ところが晩成先生は、多年の勤苦が酬《むく》いられて前途の平坦|光明《こうみょう》が望見《ぼうけん》[遠くからのぞみ見ること]せらるるようになった気の弛《ゆる》みのためか、あるいは少し度の過ぎた勉学のためか何か知らぬが気の毒にも不明の病気に襲われた。その頃は世間に神経衰弱という病名が甫《はじ》めて知られ出した時分であったのだが、真にいわゆる神経衰弱であったか、あるいは真に漫性胃病であったか、とにかく医博士《いはかせ》たちの診断も朦朧《もうろう》で、人によって異《ことな》る不明の病《やまい》に襲われて段※[#二の字点、1-2-22]衰弱した。切詰《きりつ》めた予算だけしか有しておらぬことであるから、当人は人一倍|困悶《こんもん》[苦しみ悶えるさま]したが、どうも病気には勝てぬことであるから、暫《しばら》く学事を抛擲《ほうてき》[放り出すこと。なげうつこと]して心身の保養に力《つと》めるが宜《よ》いとの勧告に従って、そこで山水清閑の地に活気の充ちた天地の※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32]気《こうき》[気(こうき)。天の明るく済んだ気、天上の広がり渡った様子。くらいの意味のようだ。中原中也の『秋の消息』に「けざやけき気」というフレーズが、宮沢賢治の「春と修羅」第二集の『空明と傷痍』に「気の海の青びかりする底に立ち」というフレーズがある]を吸うべく東京の塵埃《じんあい》[ちりとほこり。汚れていて煩わしいもの]を背後《うしろ》にした。

 伊豆や相模《さがみ》の歓楽郷兼保養地に遊ぶほどの余裕のある身分ではないから、房総《ぼうそう》海岸を最初は撰《えら》んだが、海岸はどうも騒雑《そうざつ》[雑騒(ざっそう)。雑音の騒騒しいくらいのところか]の気味があるので晩成先生の心に染《そ》まなかった。さればとて故郷の平蕪《へいぶ》[雑草の覆い茂った野原]の村落に病躯《びょうく》[病気にかかった体]を持帰《もちかえ》るのも厭《いと》わしかったと見えて、野州《やしゅう》上州《じょうしゅう》の山地や温泉地に一日二日あるいは三日五日と、それこそ白雲《はくうん》の風に漂い、秋葉《しゅうよう》の空に飄《ひるがえ》るが如く[なにか出典ありや?]に、ぶらりぶらりとした身の中に、もだもだする心[もだえ悩むような心]を抱きながら、毛繻子《けじゅす》[毛糸による繻子織/朱子織(しゅすおり)]の大洋傘《おおこうもり》に色の褪《あ》せた制服、丈夫|一点張《いってんば》りのボックスの靴という扮装《いでたち》で、五里七里歩く日もあれば、また汽車で十里二十里歩く日もある、取止《とりと》めのない漫遊[まんゆう。目的もなく気ままに各地をまわって遊ぶこと]の旅を続けた。

 憫《あわれ》むべし晩成先生、|嚢中自有[#レ]銭《のうちゅうおのずからせんあり》[盛唐の詩人、賀知章(がちしょう)の題袁氏別業(えんしのべつぎょうにだいす)という詩の一節]という身分ではないから、随分切詰めた懐《ふところ》でもって、物価の高くない地方、贅沢《ぜいたく》気味のない宿屋※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]を渡りあるいて、また機会や因縁《いんねん》があれば、客を愛する豪家や心置《こころおき》ない山寺なぞをも手頼《たよ》って、遂に福島県宮城県も出抜けて奥州《おうしゅう》の或|辺僻《へんぺき》の山中へ入ってしまった。先生|極《ごく》真面目な男なので、俳句なぞは薄生意気《うすなまいき》な不良老年の玩物《おもちゃ》だと思っており、小説|稗史《はいし》[正史に対して民間の歴史書。また、小説風に書かれた言い伝えや歴史など]などを読むことは罪悪の如く考えており、徒然草《つれづれぐさ》をさえ、余り良いものじゃない、と評したというほどだから、随分退屈な旅だったろうが、それでもまだしも仕合せな事には少しばかり漢詩を作るので、それを唯一の旅中の楽《たのしみ》にして、※[#「足+禹」、第3水準1-92-38]※[#二の字点、1-2-22]然《くくぜん》[栩栩然(くくぜん)と同一か。よろこぶさま。よろこび遊ぶさま]として夕陽《せきよう》の山路や暁風《ぎょうふう》[明け方に吹く風]の草径《そうけい》をあるき廻ったのである。

 秋は早い奥州の或|山間《さんかん》、何でも南部《なんぶ》領とかで、大街道《おおかいどう》とは二日路《ふつかじ》も三日路《みっかじ》も横へ折れ込んだ途方もない僻村《へきそん》の或《ある》寺を心ざして、その男は鶴の如くに※[#「やまいだれ+瞿」、第3水準1-88-62]《や》せた病躯を運んだ。それは旅中で知合《しりあい》になった遊歴者、その時分は折節そういう人があったもので、律詩《りっし》[唐代に完成した中国の近体詩。一句5字の五言律詩と7字の七言律詩がある]の一、二章も座上で作ることが出来て、ちょっと米法山水《べいほうさんすい》[中国の北宋画家である、米ふつ(本当は漢字)・米友仁親子が開始したとされる、輪郭線を隠しかつ墨による点を効果的に用いる山水画の技法]懐素《かいそ》[中国、唐代の書家。(725-785)]くさい草書《そうしょ》[楷書(かいしょ)を崩した行書(ぎょうしょ)をさらに崩して、点画を省略したもの]で白《しろ》ぶすまを汚《よご》せる位の器用さを持ったのを資本《もとで》に、旅から旅を先生顔で渡りあるく人物に教えられたからである。君はそういう訳で歩いているなら、これこれの処にこういう寺がある、由緒は良くても今は貧乏寺だが、その寺の境内《けいだい》に小さな滝があって、その滝の水は無類の霊泉である。養老[老人をいたわり養うこと。あるいは、老後を平安に過ごすこと]の霊泉は知らぬが、随分響き渡ったもので、二十里三十里をわざわざその滝へかかりに行くものもあり、また滝へ直接《じか》にかかれぬものは、寺の傍《そば》の民家に頼んでその水を汲んで湯を立ててもらって浴《よく》する者もあるが、不思議に長病が治ったり、特《こと》に医者に分らぬ正体の不明な病気などは治るということであって、語り伝えた現の証拠はいくらでもある。君の病気は東京の名医たちが遊んでいたら治るといい、君もまた遊び気分で飛んでもない田舎などをノソノソと歩いている位だから、とてもの事に其処《そこ》へ遊んで見たまえ。住持《じゅうじ》[お寺の住職・つまり寺のトップであるところの僧/仏法を護り続けること]といっても木綿《もめん》の法衣《ころも》に襷《たすき》を掛けて芋畑《いもばたけ》麦畑で肥柄杓《こえびしゃく》を振廻すような気の置けない奴《やつ》、それとその弟子の二歳坊主《にさいぼうず》[青二才の二才と一緒で、若年で未熟な坊主くらいの意味]がおるきりだから、日に二十銭か三十銭も出したら寺へ泊めてもくれるだろう。古びて歪《ゆが》んではいるが、座敷なんぞはさすがに悪くないから、そこへ陣取って、毎日風呂を立てさせて遊んでいたら妙だろう。景色もこれという事はないが、幽邃《ゆうすい》[景観などが物静かであり奥深い様子]でなかなか佳《よ》いところだ。という委細[いさい・細かく詳しいこと]の談《はなし》を聞いて、何となく気が進んだので、考えて見る段になれば随分|頓興《とんきょう》[だしぬけで調子外れな様子。間が抜けて調子外れな様子。突拍子もない様子。強調して「素頓狂(すっとんきょう)」という。転じて「非常識な」といった意味も]で物好《ものずき》なことだが、わざわざ教えられたその寺を心当《こころあて》に山の中へ入り込んだのである。

 路はかなりの大《おおき》さの渓《たに》に沿って上《のぼ》って行くのであった。両岸の山は或時は右が遠ざかったり左が遠ざかったり、また或時は右が迫って来たり左が迫って来たり、時に両方が迫って来て、一水|遥《はるか》に遠く巨巌の下に白泡《しらあわ》を立てて沸《たぎ》り[滾る・水などが激しく沸き返る、流れる/煮え立つ/感情が激しく起こる]流れたりした。或|場処《ばしょ》は路が対岸に移るようになっているために、危《あやう》い略※[#「彳+勺」、52-12]《まるきばし》が目の眩《くるめ》くような急流に架《かか》っているのを渡ったり、また少時《しばらく》して同じようなのを渡り反《かえ》ったりして進んだ。恐ろしい大きな高い巌《いわ》が前途《ゆくて》に横たわっていて、あのさきへ行くのか知らんと疑われるような覚束《おぼつか》ない路を辿《たど》って行くと、辛《かろ》うじてその岩岨《いわそば》[岨(そば)は、崖のそそり立って険しいところ。絶壁のこと]に線《いと》のような道が付いていて、是非なくも蟻《あり》の如く蟹《かに》の如くになりながら通り過ぎてはホッと息を吐《つ》くこともあって、何だってこんな人にも行会《ゆきあ》わぬいわゆる僻地窮境《へきちきゅうきょう》[僻地(都会から離れた、辺境の地。かたいなか)+窮境(行き詰まったような境地)]に来たことかと、聊《いささ》か後悔する気味にもならざるを得ないで、薄暗いほどに茂った大樹《たいじゅ》の蔭に憩いながら明るくない心持の沈黙を続けていると、ヒーッ、頭の上から名を知らぬ禽《とり》が意味の分らぬ歌を投げ落したりした。

 路が漸《ようや》く緩《なる》くなる[緩し・なるし、穏やかである。やり方が生ぬるい]と、対岸は馬鹿※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]しく高い巌壁《がんぺき》になっているその下を川が流れて、こちらは山が自然に開けて、少しばかり山畠《やまばたけ》が段※[#二の字点、1-2-22]を成して見え、粟《あわ》や黍《きび》が穂を垂れているかとおもえば、兎《うさぎ》に荒されたらしいいたって不景気な豆畠に、もう葉を失って枯れ黒んだ豆がショボショボと泣きそうな姿をして立っていたりして、その彼方《むこう》に古ぼけた勾配の急な茅屋《かやや》が二軒三軒と飛び飛びに物悲しく見えた。[このあたり、結構描写のファインプレーが光っている。以下、雨が降り出して、「何だナ」と声が導入されるまでの描写の見事さと、動的な様には記憶に留め置くべき巧みさが込められていると思われる]天《そら》は先刻《さっき》から薄暗くなっていたが、サーッというやや寒い風が下《おろ》して来たかと見る間《ま》に、楢《なら》や槲《かしわ》の黄色な葉が空からばらついて降って来ると同時に、木《こ》の葉の雨ばかりではなく、ほん物の雨もはらはらと遣《や》って来た。渓《たに》の上手《かみて》の方を見あげると、薄白い雲がずんずんと押して来て、瞬く間に峯巒《ほうらん》[山の峰のこと]を蝕《むしば》み、巌を蝕み、松を蝕み、忽《たちま》ちもう対岸の高い巌壁をも絵心《えごころ》に蝕んで、好い景色を見せてくれるのは好かったが、その雲が今開いてさしかざした蝙蝠傘《こうもり》の上にまで蔽いかぶさったかと思うほど低く這下《はいさが》って来ると、堪《たま》らない、ザアッという本降《ほんぶ》りになって、林木《りんぼく》も声を合せて、何の事はないこの山中に入って来た他国者《たこくもの》をいじめでもするように襲った。晩成先生もさすがに慌《あわ》て心《ごころ》になって少し駆け出したが、[ここから先、声が導入されるまでの、accelerando(アッチェレランド・だんだんはやく)の指向性は見事である]幸い取付《とりつ》きの農家は直《すぐ》に間近《まぢか》だったから、トットットッと走り着いて、農家の常の土間へ飛び込むと、傘が触って入口の檐《のき》に竿を横たえて懸け吊《つる》してあった玉蜀黍《とうもろこし》の一把《いちわ》をバタリと落した途端に、土間の隅の臼《うす》のあたりにかがんでいたらしい白い庭鳥《にわとり》が二、三羽キャキャッと驚いた声を出して走り出した。

 何だナ、

と鈍《にぶ》い声をして、土間の左側の茶の間から首を出したのは、六十か七十か知れぬ白髪《しらが》の油気《あぶらけ》のない、火を付けたら心よく燃えそうに乱れ立ったモヤモヤ頭な婆さんで、皺《しわ》だらけの黄色い顔の婆さんだった。[一度ここで緊迫感を高めて情景を盛り上げておいて、それでいて実は住職ではなく、ただの婆さんに落ち着けておいて、あらためて弛緩したテンポから、後に「頼む」を四回挟んだ寺の坊主の登場へと導く。いわば語り物における基本技法に過ぎないのであるが、熟練の味を感じさせるものであえる]キマリが悪くて、傘を搾《すぼ》めながらちょっと会釈して、寺の在処《ありか》を尋ねた晩成先生の頭上から、じたじた水の垂れる傘のさきまでを見た婆さんは、それでもこの辺には見慣れぬ金釦《きんボタン》の黒い洋服に尊敬を表《あらわ》して、何一つ咎立《とがめだて》がましいこともいわずに、

 上へ上へと行げば、じねんに[おのずから、ひとりでに]お寺の前へ出ます、此処《ここ》はいわば門前村《もんぜんむら》ですから、人家さえ出抜ければ、すぐお寺で。

 礼をいって大噐|氏《し》はその家を出た。雨はいよいよ甚《ひど》くなった。傘を拡げながら振返って見ると、木彫《きぼり》のような顔をした婆さんはまだこちらを見ていたが、妙にその顔が眼にしみ付いた。

 [朗読2] 間遠《まどお》に立っている七、八軒の家の前を過ぎた。どの家も人がいないように岑閑《しんかん》[岑(しん・みね)で峰の意味なので、深閑(しんかん)と掛け合わせたくらいの意味か?]としていた。そこを出抜けるとなるほど寺の門が見えた。瓦《かわら》に草が生えている、それが今雨に湿《ぬ》れているので甚《ひど》く古びて重そうに見えるが、とにかくかなりその昔の立派さが偲《しの》ばれると同時に今の甲斐《かい》なさが明らかに現われているのであった。門を入ると寺内は思いのほかに廓落《からり》[廓落(かくらく)、心ががらんとしていて、わだかまりのないこと]と濶《ひろ》くて、松だか杉だか知らぬが恐ろしい大きな木があったのを今より何年か前に斫《き》ったと見えて、大きな切株の跡の上を、今降りつつある雨がおとずれて其処《そこ》にそういうもののあることを見せていた。右手に鐘楼《しょうろう》があって、小高い基礎《いしずえ》の周囲には風が吹寄せた木の葉が黄色くまたは赭《あか》く湿《ぬ》れ色《いろ》を見せており、中ぐらいな大《おおき》さの鐘が、漸《ようや》く逼《せま》る暮色の中に、裾は緑青《ろくしょう》緑青[銅の表面が湿った状態で酸化して出来る青緑色の独特の錆のこと。内部の腐食を防ぐ働きもあり、毒性はない]の吹いた明るさと、竜頭《りゅうず》[鐘を紐によって梁に繋ぐために設けられた一番上の部分]の方は薄暗さの中に入っている一種の物※[#二の字点、1-2-22]《ものもの》しさを示して寂寞《じゃくまく》[淋しくてひっそりとしている様子。せきばく]と懸《かか》っていた。これだけの寺だから屋《や》の棟《むね》の高い本堂が見えそうなものだが、それは回禄《かいろく》[もともとは中国の火の神。そこから、火事をも指すようになった]したのかどうか知らぬが眼に入らなくて、小高い処に庫裡様《くりよう》[寺の台所的な様式]の建物があった。それを目ざして進むと、丁度《ちょうど》本堂仏殿のありそうな位置のところに礎石《そせき》が幾箇《いくつ》ともなく見えて、親切な雨が降る度《たび》に訪問するのであろう今もその訪問に接して感謝の嬉《うれ》し涙を溢《あふ》らせているように、柱の根入《ねい》りの竅《あな》に水を湛《たた》えているのが能《よ》く見えた。境内の変にからりとしている訳もこれで合点《がてん》が行って、あるべきものが亡《う》せているのだなと思いながら、庫裡へと入った。正面はぴったりと大きな雨戸が鎖《とざ》されていたから、台所口のような処が明いていたまま入ると、馬鹿にだだ濶い土間で、土間の向う隅には大きな土竈《へっつい》が見え、つい入口近くには土だらけの腐ったような草履《ぞうり》が二足ばかり、古い下駄《げた》が二、三足、特《こと》に歯の抜けた下駄の一ツがひっくり返って腹を出して死んだようにころがっていたのが、晩成先生のわびしい思《おもい》を誘った。

 頼む、

と余り大きくはない声でいったのだが、がらんとした広土間《ひろどま》に響いた。しかしそのために塵一ツ動きもせず、何の音もなく静《しずか》であった。外にはサアッと雨が降っている。

 頼む、

と再び呼んだ。声は響いた。答はない。サアッと雨が降っている。

 頼む、

と三たび呼んだ。声は呼んだその人の耳へ反《かえ》って響いた。しかし答は何処《どこ》からも起らなかった。外はただサアッと雨が降っている。

 頼む。

[四回おなじ言葉を繰り返すのは、ルーズに陥る危険性があるので、あまり一般には行われないと思われる。ここでは「サアッと雨が降っている」という言葉と二重リズムを形成していて、さらに四回目の「頼む」の後は、引き延ばされた後に、「雨がサアッと降っている」に変化するところが、絶妙のタイミングで、見事である。しかもこれが、後の「ザアッ」という雨の音へと、移り変わるべき構図を秘めている]

 また呼んだ。例の如くややしばし音沙汰《おとさた》がなかった。少し焦《じ》れ気味になって、また呼ぼうとした時、鼬《いたち》か大鼠《おおねずみ》かが何処《どこ》かで動いたような音がした。するとやがて人の気はいがして、左方の上《あが》り段の上に閉じられていた間延《まの》びのした大きな障子が、がたがたと開かれて、鼠木綿が斑汚《むらよご》れ[「斑(むら)」は染め色が一様ではなく、濃淡のあること。まだら。「作業にむらがある」などはそれから転じた用法。ここでは濃淡のある「むら染め」の鼠木綿の意味ではなく、まだらに汚れたくらいの意味かと思われる]した着附《きつけ》に、白が鼠になった帯をぐるぐるといわゆる坊主巻《ぼうずまき》に巻いた、五分苅《ごぶがり》ではない五分|生《ば》えに生えた頭の十八か九の書生のような僮僕《どうぼく》[召使いの子供、少年]のような若僧が出て来た。晩成先生も大分《だいぶ》遊歴に慣れて来たので、此処《ここ》で宿泊謝絶などを食わせられては堪《たま》らぬと思うので、ずんずんと来意を要領よく話して、白紙に包んだ多少銭《なにがし》かを押付けるように渡してしまった。若僧はそれでも坊主らしく、

 しばらく、

と、しかつめらしく挨拶を保留して置いて奥へ入った。奥は大分深いかして何の音も聞えて来ぬ、シーンとしている。外では雨がサアッと降っている。

 土間の中の異《ことな》った方で音がしたと思うと、若僧は別の口から土間へ下りて、小盥《こだらい》へ水を汲んで持って来た。

 マ、とにかく御すすぎをなさって御上《おあが》りなさいまし。

 しめたと思って晩成先生|泥靴《どろぐつ》を脱ぎ足を洗って導かるるままに通った。入口の室《へや》は茶の間と見えて大きな炉《ろ》が切ってある十五、六畳の室であった。そこを通り抜けて、一畳|幅《はば》に五畳か六畳を長く敷いた入側《いりかわ》見たような薄暗い部屋を通ったが、茶の間でもその部屋でも処※[#二の字点、1-2-22]《しょしょ》で、足踏《あしぶみ》につれてポコポコと弛《ゆる》んで浮いている根太板《ねだいた》[根太とは、床板を受けるための横木のこと。その上に張る板だから、すなわち床板を差す]のヘンな音がした。

 通されたのは十畳位の室で、そこには大きな矮《ひく》い机を横にしてこちらへ向直《むきなお》っていた四十ばかりの日に焦《や》けて赭《あか》い顔の丈夫そうなズク入《にゅう》[僧や坊主、また坊主頭をののしって言う言葉。「みみずく入道」や「俗入道」あたりに由来があるとされている]が、赤や紫の見える可笑《おか》しいほど華美《はで》ではあるがしかしもう古びかえった馬鹿に大きくて厚い蒲団《ふとん》の上に、小さな円《まる》い眼を出来るだけ※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]開《そうかい》[目を見開くこと]してムンズと坐り込んでいた。麦藁帽子を冠《かぶ》らせたら頂上《てっぺん》で踊《おどり》を踊りそうなビリケン頭《あたま》[ビリケンとは1908年のシカゴ美術展覧会に出展された、頭の尖った人物像が、幸運を呼び起こす福の神として、人々に慕われて、流行してしまったもののようだ。転じて、頭の尖ったような形の人]に能《よ》く実《み》が入っていて、これも一分苅ではない一分生えの髪に、厚皮《あつかわ》らしい赭い地《じ》が透いて見えた。そしてその割合に小さくて素敵に堅そうな首を、発達の好い丸※[#二の字点、1-2-22]《まるまる》と肥《ふと》った豚のような濶《ひろ》い肩の上にシッカリすげ込んだようにして、ヒョロヒョロと風の柳のように室へ入り込んだ大噐氏に対《むか》って、一刀《いっとう》をピタリと片身《かたみ》青眼《せいがん》[訪れた人を歓迎するような目つき。対義語に白眼(はくがん)がある]に擬《つ》けたという工合に手丈夫《てじょうぶ》[しっかりしていること。手堅いこと]な視線を投げかけた。晩成先生|聊《いささ》かたじろいだが、元来正直な君子《くんし》で仁者《じんしゃ》敵なしであるから驚くこともない、平然として坐って、来意を手短に述べて、それから此処《ここ》を教えてくれた遊歴者の噂をした。和尚《おしょう》はその姓名を聞くと、合点が行ったのかして、急にくつろいだ様子になって、

 アア、あの風吹烏《かざふきがらす》[浮浪者などや、遊里の冷やかし客などを呼んだ言葉。風来坊。]から聞いておいでなさったかい。宜《よ》うござる、いつまででもおいでなさい。何室《どこ》でも明いている部屋に勝手に陣取らっしゃい、その代り雨は少し漏《も》るかも知れんよ。夜具はいくらもある、綿は堅いがナ。馳走はせん、主客《しゅかく》平等と思わっしゃい。蔵海《ぞうかい》、(仮設し置く)[会話中の文章的に無意味。ちょっと遊んでみたくなったか。漱石にも、わざと悪戯したような、不要な割り込みなどが、まれに見られることがある]風呂は門前の弥平爺《やへいじい》にいいつけての、明日《あす》から毎日立てさせろ。無銭《ただ》ではわるい、一日に三銭も遣《つか》わさるように計らえ。疲れてだろう、脚を伸ばして休息せらるるようにしてあげろ。

 蔵海は障子を開けて庭へ面した縁へ出て導いた。後《あと》に跟《つ》いて縁側を折曲《おれまが》って行くと、同じ庭に面して三ツ四ツの装飾も何もない空室《あきま》があって、縁の戸は光線を通ずるためばかりに三|寸《ずん》か四寸位ずつすかしてあるに過ぎぬので、中はもう大《おおい》に暗かった。此室《ここ》が宜《よ》かろうという蔵海の言《ことば》のままその室の前に立っていると、蔵海は其処《そこ》だけ雨戸を繰《く》った。庭の樹※[#二の字点、1-2-22]《きぎ》は皆雨に悩んでいた。雨は前にも増して恐しい量で降って、老朽《おいく》ちてジグザグになった板廂《いたびさし》からは雨水がしどろに[しどろ、で、秩序もなく乱れた様子。取り留めもない様子]流れ落ちる、見ると簷《のき》[=軒]の端に生えている瓦葦《しのぶぐさ》[シダ植物のシノブ、またはノキシノブの別名]雨にたたかれて、あやまった、あやまったというように叩頭《おじぎ》しているのが見えたり隠れたりしている。空は雨に鎖《とざ》されて、たださえ暗いのに、夜はもう逼《せま》って来る。なかなか広い庭の向うの方はもう暗くなってボンヤリとしている。ただもう雨の音ばかりザアッ[雨はいつしかサアッからザアッへ変わっている]として、空虚にちかい晩成先生の心を一ぱいに埋《う》め尽しているが、ふと気が付くとそのザアッという音のほかに、また別にザアッという音が聞えるようだ。気を留めて聞くと慥《たしか》に別の音がある。ハテナ、あの辺か知らんと、その別の音のする方の雨煙|濛※[#二の字点、1-2-22]《もうもう》たる見当《けんとう》へ首を向けて眼を遣《や》ると、もう心安げになった蔵海がちょっと肩に触って、

 あの音のするのが滝ですよ、貴方《あなた》が風呂に立てて入ろうとなさる水の落ちる……

といいさして、少し間《ま》を置いて、

 雨が甚《ひど》いので今は能《よ》く見えませんが、晴れていればこの庭の景色の一ツになって見えるのです。

といった。なるほど庭の左の方の隅は山嘴《さんし》[山のでばな。山の端]が張り出していて、その樹木の鬱蒼《うっそう》たる中から一条[ひと筋]の水が落ちているのらしく思えた。

 [朗読3] 夜に入った。茶の間に引かれて、和尚と晩成先生と蔵海とは食事を共にした。なるほど御馳走はなかった。冷《つめた》い挽割飯《ひきわりめし》[挽割とは大麦を荒く引いたもので、それと米とを混ぜた飯]と、大根《だいこ》ッ葉《ぱ》の味噌汁と、塩辛《しおから》く煮た車輪麩《くるまぶ》[「麩」とは、小麦粉から取ったグルテンと呼ばれるタンパク質の一種で作られた乾物である。くるま麩は、ちくわのように、あるいは土管のように、筒になった麩のこと]と、何だか正体の分らぬ山草の塩漬《しおづけ》の香《こう》の物《もの》ときりで、膳こそは創《きず》だらけにせよ黒塗《くろぬり》の宗和膳《そうわぜん》[漆塗りなどを施した四つ足の低い膳台。懐石用だが、江戸時代には巷でも本膳に使用された]とかいう奴で、御客あしらいではあるが、箸《はし》は黄色な下等の漆《うるし》ぬりの竹箸で、気持の悪いものであった。蔵海は世間に接触する機会の少いこの様な山中にいる若い者なので、新来の客から何らかの耳新らしい談を得たいようであるが、和尚は人に求められれば是非ないからわが有《も》っている者を吝《おし》みはしないが、人からは何をも求めまいというような態度で、別に雑話《ぞうわ》を聞きたくも聞かせたくも思っておらぬ風《ふう》で、食事が済んで後、少時《しばらく》三人が茶を喫《きっ》している際でも、別に会話をはずませる如きことはせぬので、晩成先生はただ僅《わずか》に、この寺が昔時《むかし》は立派な寺であったこと、寺の庭のずっと先は渓川《たにがわ》で、その渓の向うは高い巌壁になっていること、庭の左方も山になっていること、寺及び門前の村家のある辺一帯は一大盆地を為している事位の地勢の概略[「がいりゃく」おおざっぱなあらまし。だいたいの用件。すなわち「大要」]を聞き得たに過ぎなかったが、蔵海も和尚も、時※[#二の字点、1-2-22]風の工合でザアッという大雨の音が聞えると、ちょっと暗い顔をしては眼を見合せるのが心に留まった。

 大噐氏は定められた室へ引取った。堅い綿の夜具は与えられた。所在なさの身を直《すぐ》にその中に横たえて、枕許《まくらもと》の洋燈《ランプ》の心《しん》を小さくして寝たが、何となく寐つき兼ねた。茶の間の広いところに薄暗い洋燈《ランプ》、何だか銘※[#二の字点、1-2-22]《めいめい》の影法師が顧視《かえりみ》らるる様な心地のする寂しい室内の雨音の聞える中で寒素《かんそ》[貧しくて質素なさま]な食事を黙※[#二の字点、1-2-22]として取った光景が眼に浮んで来て、自分が何だか今までの自分でない、別の世界の別の自分になったような気がして、まさかに死んで別の天地に入ったのだとは思わないが、どうも今までに覚えぬ妙な気がした。しかし、何の、下《くだ》らないと思い返して眠ろうとしたけれども、やはり眠《ねむり》に落ちない。雨は恐ろしく降っている。あたかも太古から尽未来際《じんみらいざい》[「未来際」で世のあらん限りなので、あらん限りの世の尽きる時]まで大きな河の流《ながれ》が流れ通しているように雨は降り通していて、自分の生涯の中《うち》の或日に雨が降っているのではなくて、常住不断《じょうじゅうふだん》[絶えることなく常に続いていくこと]の雨が降り通している中に自分の短い生涯がちょっと挿《はさ》まれているものででもあるように降っている。で、それがまた気になって睡《ねむ》れぬ。鼠が騒いでくれたり狗《いぬ》が吠えてくれたりでもしたらば嬉しかろうと思うほど、他には何の音もない。住持も若僧もいないように静かだ。イヤ全くわが五官の領する世界にはいないのだ。世界という者は広大なものだと日頃は思っていたが、今はどうだ、世界はただこれ

 ザアッ

というものに過ぎないと思ったり、また思い反《かえ》して、このザアッというのが即ちこれ世界なのだナと思ったりしている中《うち》に、自分の生れた時に初めて拳げたオギャアオギャアの声も他人の※[#「囗<力」、64-6]地《ぎゃっと》いった一声も、それから自分が書《ほん》を読んだり、他の童子《こども》が書《ほん》を読んだり、唱歌をしたり、嬉しがって笑ったり、怒って怒鳴《どな》ったり、キャアキャアガンガンブンブングズグズシクシク、いろいろな事をして騒ぎ廻ったりした一切の音声《おんじょう》も、それから馬が鳴き牛が吼《ほ》え、車ががたつき、※[#「さんずい+氣」、第4水準2-79-6]車が轟き、※[#「さんずい+氣」、第4水準2-79-6]船が浪を蹴開《けひら》く一切の音声も、板の間へ一本の針が落ちた幽《かす》かな音も、皆残らず一緒になってあのザアッという音の中に入っているのだナ、というような気がしたりして、そして静かに諦聴《たいちょう》[「ていちょう」のこと。くわしく聞き入ること]すると分明《ぶんみょう》[「ぶんめい」のこと。他との区別がはっきりしていること]にその一ツのザアッという音にいろいろのそれらの音が確実に存している[「そんしている」は幸田露伴の文章内で比較的多用されているようだ。(だったらどうした?)]ことを認めて、アアそうだったかナ、なんぞと思う中《うち》に、何時《いつ》か知らずザアッという音も聞えなくなり、聞く者も性《しょう》が抜けて、そして眠《ねむり》に落ちた。

 俄然《がぜん》[急に。にわかに。突然に。]として睡眠は破られた。晩成先生は眼を開くと世界は紅《あか》い光や黄色い光に充たされていると思ったが、それは自分の薄暗いと思っていたのに相異して、室《へや》の中が洋燈《ランプ》も明るくされていれば、またその外《ほか》に提灯《ちょうちん》などもわが枕辺《まくらべ》に照されていて、眠《ねむり》に就いた時と大《おおい》に異なっていたのが寝惚眼《ねぼけまなこ》に映ったからの感じであった事が解った。が、見れば和尚も若僧もわが枕辺にいる。何事が起ったのか、その意味は分らなかった。けげんな心持がするので、頓《とみ》には言葉も出ずに起直《おきなお》ったまま二人を見ると、若僧が先ず口をきった。

 御やすみになっているところを御起しして済みませんが、夜前《やぜん》からの雨があの通り甚《ひど》くなりまして、渓《たに》が俄《にわか》に膨《ふく》れてまいりました。御承知でしょうが奥山の出水《でみず》は馬鹿に疾《はや》いものでして、もう境内にさえ水が見え出して参りました。勿論《もちろん》水が出たとて大事にはなりますまいが、此地《ここ》の渓川の奥入《おくいり》は恐ろしい広い緩傾斜《かんけいしゃ》の高原なのです。むかしはそれが密林だったので何事も少かったのですが、十余年|前《ぜん》に悉《ことごと》く伐採したため禿《は》げた大野《おおの》になってしまって、一[#(ト)]夕立《ゆうだち》しても相当に渓川が怒《いか》るのでして、既に当寺の仏殿は最初の洪水の時、流下《りゅうか》して来た巨材の衝突によって一角《いっかく》が壊《やぶ》れたため遂に破壊してしまったのです。その後は上流に巨材などはありませんから、水は度※[#二の字点、1-2-22]《たびたび》出ても大したこともなく、出るのが早い代りに退《ひ》くのも早くて、直《じき》に翌日《あくるひ》は何の事もなくなるのです。それで昨日《きのう》からの雨で渓川はもう開きましたが、水はどの位で止まるか予想は出来ません。しかし私どもは慣れてもおりますし、此処《ここ》を守る身ですから逃げる気もありませんが、貴方《あなた》には少くとも危険――はありますまいが余計な御心配はさせたくありません。幸《さいわい》なことにはこの庭の左方《ひだり》の高みの、あの小さな滝の落ちる小山の上は絶対に安全地で、そこに当寺の隠居所の草庵があります。そこへ今の内に移っていて頂きたいのです。わたくしが直《すぐ》に御案内致します、手早く御支度《おしたく》をなすって頂きます。

ト末[「と、末の方は」を飾ったものらしい。後にも「ト蔵海先生実に頼もしい」などの用法がある]の方はもはや命令的に、早口に能弁《のうべん》にまくし立てた。その後《あと》について和尚は例の小さな円い眼に力を入れて※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]開《そうかい》しながら、

 膝まで水が来るようだと歩けんからノ、早く御身繕《おみづくろ》いなすって。

と追立てるように警告した。大噐晩成先生は一[#(ト)]たまりもなく浮腰《うきごし》になってしまった。

 ハイ、ハイ、御親切に、有難うございます。

ト少しドギマギして、顫《ふる》えていはしまいかと自分でも気が引けるような弱い返辞をしながら、慌《あわ》てて衣を着けて支度をした。勿論少し大きな肩から掛ける鞄《カバン》と、風呂敷包《ふろしきづつみ》一ツ、蝙蝠傘《こうもり》一本、帽子、それだけなのだから直《すぐ》に支度は出来た。若僧は提灯を持って先に立った。この時になって初めてその服装《みなり》を見ると、依然として先刻《さっき》の鼠の衣だったが、例の土間のところへ来ると、そこには蓑笠《みのかさ》が揃えてあった。若僧は先ず自《みずか》ら尻を高く端折《はしょ》って蓑を甲斐※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]《かいがい》しく手早く着けて、そして大噐氏にも手伝って一ツの蓑を着けさせ、竹の皮笠《かわがさ》を被《かぶ》せ、その紐《ひも》を緊《きび》しく結んでくれた。余り緊しく結ばれたので口を開くことも出来ぬ位で、随分痛かったが、黙って堪えると、若僧は自分も笠を被《かぶ》って、

 サア、

と先へ立った。提灯の火はガランとした黒い大きな台所に憐れに小さな威光を弱※[#二の字点、1-2-22]と振った。外は真暗《まっくら》で、雨の音は例の如くザアッとしている。

 気をつけてあげろ、ナ。

と和尚は親切だ。[朗読4]高※[#二の字点、1-2-22]《たかだか》とズボンを捲《まく》り上げて、古草鞋《ふるわらじ》を着けさせられた晩成|子《し》は、何処《どこ》へ行くのだか分らない真黒暗《まっくらやみ》の雨の中を、若僧に随《したが》って出た。外へ出ると驚いた。雨は横振《よこぶ》りになっている、風も出ている。川鳴《かわなり》の音だろう、何だか物凄《ものすご》い不明の音がしている。庭の方へ廻ったようだと思ったが、建物を少し離れると、なるほどもう水が来ている。足の裏が馬鹿に冷《つめた》い。親指が没する、踝《くるぶし》が没する、脚首《あしくび》が全部没する、ふくら脛《はぎ》あたりまで没すると、もうなかなか渓《たに》の方から流れる水の流れ勢《ぜい》が分明にこたえる。空気も大層冷たくなって、夜雨《やう》の威がひしひしと身に浸みる。足は恐ろしく冷い。足の裏は痛い。胴ぶるいが出て来て止まらない。何か知らん痛いものに脚の指を突掛《つっか》けて、危く大噐氏は顛倒しそうになって若僧に捉《つか》まると、その途端に提灯はガクリと揺《ゆら》めき動いて、蓑の毛に流れている雨の滴《しずく》の光りをキラリと照らし出したかと思うと、雨が入ったか滴がかかったかであろう、チュッといって消えてしまった。風の音、雨の音、川鳴の音、樹木の音、ただもう天地はザーッと、黒漆《こくしつ》のように黒い闇の中に音を立てているばかりだ。晩成先生は泣きたくなった。

 ようございます、今更帰れもせず、提灯を点火《つけ》ることも出来ませんから、どうせ差しているのではないその蝙蝠傘《こうもり》をお出しなさい。そうそう。わたくしがこちらを持つ、貴方《あなた》はそちらを握って、決して離してはいけませんよ。闇でもわたしは行けるから、恐れることはありません。

ト蔵海先生|実《じつ》に頼もしい。平常は一[#(ト)]通りの意地がなくもない晩成先生も、ここに至って他力宗《たりきしゅう》になってしまって、ただもう世界に力とするものは蝙蝠傘《こうもり》一本、その蝙蝠傘《こうもり》のこっちは自分が握っているが、むこうは真の親切者が握っているのだか狐狸《こり》[狐と狸。そこから、悪事をはたらくものを喩えた言葉。(動物愛護協会から訴えられて、2100年頃には、放送禁止用語になっていることだろう)]が握っているのだか、妖怪変化、悪魔の類《たぐい》が握っているのだか、何だか彼《か》だかサッパり分らない黒闇※[#二の字点、1-2-22]《こくあんあん》の中を、とにかく後生《ごしょう》大事にそれに縋《すが》って随《したが》って歩いた。

 水は段※[#二の字点、1-2-22]足に触れなくなって来た。爪先上《つまさきあが》りになって来たようだ。やがて段※[#二の字点、1-2-22]|勾配《こうばい》が急になって来た。坂道にかかったことは明らかになって来た。雨の中にも滝の音は耳近く聞えた。

 もうここを上《のぼ》りさえすれば好いのです。細い路ですからね、わたくしも路でないところへ踏込《ふんご》むかも知れませんが、転びさえしなければ草や樹で擦りむく位ですから驚くことはありません。ころんではいけませんよ、そろそろ歩いてあげますからね。

 ハハイ、有り難う。

ト全く顫《ふる》え声だ。どうしてなかなか足が前へ出るものではない。

 こうなると人間に眼のあったのは全く余り有り難くありませんね、盲目《めくら》の方がよほど重宝《ちょうほう》です、アッハハハハ。わたくしも大分小さな樹の枝で擦剥《すりむ》き疵《きず》をこしらえましたよ。アッハハハハ。

ト蔵海め、さすがに仏の飯で三度の埒《らち》を明けて来た奴だけに大禅師《だいぜんじ》らしいことをいったが、晩成先生はただもうビクビクワナワナで、批評の余地などは、よほど喉元《のどもと》過ぎて怖《こわ》いことが糞《くそ》になった時分まではあり得《え》はしなかった。

 路は一[#(ト)]しきり大《おおい》に急になりかつまた窄《せま》くなったので、胸を突くような感じがして、晩成先生は遂に左の手こそは傘をつかまえているが、右の手は痛むのも汚れるのも厭《いと》ってなどいられないから、一歩一歩に地面を探るようにして、まるで四足獣が三|足《ぞく》で歩くような体《てい》になって歩いた。随分長い時間を歩いたような気がしたが、苦労には時間を長く感じるものだから実際はさほどでもなかったろう。しかし一|町余《ちょうよ》は上《のぼ》ったに違いない。漸《ようや》くだらだら坂《ざか》になって、上りきったナと思うと、

 サア来ました。

ト蔵海がいった。そして途端に持っていた蝙蝠傘《こうもり》の一端《いったん》を放した。で、大噐氏は全く不知案内《ふちあんない》の暗中の孤立者になったから、黙然《もくねん》として石の地蔵のように身じろぎもしないで、雨に打たれながらポカンと立っていて、次の脈搏、次の脈搏を数えるが如き心持になりつつ、次の脈が搏《う》つ時に展開し来《きた》る事情をば全くアテもなく待つのであった。

 若僧はそこらに何かしているのだろう、しばらくは消息も絶えたが、やがてガタガタいう音をさせた。雨戸を開けたに相違ない。それから少し経《たっ》て、チッチッという音がすると、パッと火が現われて、彼は一ツの建物の中の土間に踞《うずくま》っていて、マッチを擦って提灯の蝋燭《ろうそく》に火を点じようとしているのであった。四、五本のマッチを無駄にして、やっと火は点《つ》いた。荊棘《いばら》か山椒《さんしょう》の樹のようなもので引爬《ひっか》いたのであろう、雨にぬれた頬から血が出て、それが散っている、そこへ蝋燭の光の映ったさまは甚《はなは》だ不気味だった。漸く其処《そこ》へ歩み寄った晩成先生は、

 怪我《けが》をしましたね、御気の毒でした。

というと、若僧は手拭《てぬぐい》を出して、此処《ここ》でしょう、といいながら顔を拭《ふ》いた。蚯蚓脹《みみずば》れの少し大きいの位で、大した事ではなかった。

 急いでいるからであろう、若僧は直《すぐ》にその手拭で泥足をあらましに拭いて、提灯を持ったまま、ずんずんと上《あが》り込んだ。四畳半の茶の間には一尺二寸位の小炉《しょうろ》が切ってあって、竹の自在鍵《じざい》[自在鍵(じざいかぎ)のこと。囲炉裏の上で鍋や鉄釜などを吊しておく装置。つり下げるための引っ掛け。五徳を使う場合も多いので、必ずあるとは限らない]の煤《すす》びたのに小さな茶釜《ちゃがま》が黒光りして懸《かか》っているのが見えたかと思うと、若僧は身を屈して敬虔の態度にはなったが、直《すぐ》と区劃《しきり》になっている襖《ふすま》を明けてその次の室《ま》へ、いわば闖入《ちんにゅう》[ことわりもなく突然入り込むこと。「闖入者」など使用……って、現在はあまり言わないか]せんとした。土間からオズオズ覗《のぞ》いて見ている大噐氏の眼には、六畳敷位の部屋に厚い坐蒲団《ざぶとん》を敷いて死せるが如く枯坐《こざ》[もの淋しげにひとり座っていること]していた老僧が見えた。着色の塑像[「そぞう」粘土による像だが、ここでは特に奈良時代に流行した仏像彫刻のスタイルを継承したものを指す。すなわち、芯となる木に藁縄などを巻き付けて、荒い土から細かい土へと粘土で仕上げていく像。テラコッタのように焼き固めたりはしない]の如くで、生きているものとも思えぬ位であった。銀のような髪が五分ばかり生えて、細長い輪郭の正しい顔の七十位の痩《や》せ枯《から》びた人ではあったが、突然の闖入に対して身じろぎもせず、少しも驚く様子もなく落《おち》つき払った態度で、あたかも今まで起きてでもいた者のようであった。特《こと》に晩成先生の驚いたのは、蔵海がその老人に対して何もいわぬことであった。そしてその老僧の坐辺《ざへん》の洋燈《ランプ》を点火すると、蔵海は立返って大噐氏を上へ引《ひき》ずり上げようとした。大噐氏は慌《あわ》てて足を拭《ぬぐ》って上ると、老僧はジーッと細い眼を据えてその顔を見詰めた。晩成先生は急に挨拶の言葉も出ずに、何か知らず叮嚀《ていねい》に叩頭《おじぎ》をさせられてしまった。そして頭《かしら》を挙げた時には、蔵海は頻《しき》りに手を動かして麓《ふもと》の方の闇を指したり何かしていた。老僧は点頭《うなず》いていたが、一語をも発しない。

 蔵海はいろいろに指を動かした。真言宗《しんごんしゅう》の坊主の印《いん》を結ぶのを極めて疾《はや》くするようなので、晩成先生は呆気《あっけ》に取られて眼ばかりパチクリさせていた。老僧は極めて徐《しず》かに軽く点頭《うなず》いた。すると蔵海は晩成先生に対《むか》って、

 このかたは耳が全く聞えません。しかし慈悲の深い方ですから御安心なさい。ではわたくしは帰りますから。

トいって置いて、初《はじめ》の無遠慮な態度とはスッカリ違って叮嚀《ていねい》に老僧に一礼した。老僧は軽く点頭《うなず》いた。大噐氏にちょっと会釈するや否や、若僧は落付いた、しかしテキパキした態度で、かの提灯を持って土間へ下り、蓑笠《みのがさ》するや否や忽《たちま》ち戸外《そと》へ出て、物静かに戸を引寄せ、そして飛ぶが如くに行ってしまった。

 大噐氏は実に稀有《けう》[めったにないこと。不思議なこと。奇異なこと]な思《おもい》がした。この老僧は起きていたのか眠っていたのか、夜中《やちゅう》真黒《まっくら》な中に坐禅ということをしていたのか、坐りながら眠っていたのか、眠りながら坐っていたのか、今夜だけ偶然にこういう態《てい》であったのか、始終こうなのか、と怪《あやし》み惑《まど》うた。もとより真の已達《いたつ》[まだ達していないことを示す「未達(みたつ)」の対、すでに達したこと]境界《きょうがい》[境遇をしめす「境涯」よりは仏教めいた、さまざまの意味を持つが、割愛]には死生の間《かん》にすら関所がなくなっている、まして覚めているということも睡《ねむ》っているということもない、坐っているということと起きているということとは一枚になっているので、比丘《びく》[仏門に帰依したもの、修行僧]たる者は決して無記《むき》[仏教用語。説明のなされない、判断されないもの。と書くと短絡的に陥るか……]の睡《ねむり》に落ちるべきではないこと、仏説離睡経《ぶっせつりすいきょう》に説いてある通りだということも知っていなかった。またいくらも近い頃の人にも、死の時のほかには脇を下に着け身を横たえて臥《ふ》さぬ人のあることをも知らなかったのだから、吃驚《びっくり》したのは無理でもなかった。

 老僧は晩成先生が何を思っていようとも一切無関心であった。

 □□さん、サア洋燈《ランプ》を持ってあちらへ行って勝手に休まっしゃい。押入《おしいれ》の中に何かあろうから引出して纏《まと》いなさい、まだ三時過ぎ位のものであろうから。

ト老僧は奥を指さして極めて物静《ものしずか》に優しくいってくれた。大噐氏は自然に叩頭《おじぎ》をさせられて、その言葉通りになるよりほかはなかった。洋燈《ランプ》を手にしてオズオズ立上《たちあが》った。あとはまた真黒闇《まっくらやみ》になるのだが、そんな事をとかくいうことはかえって余計な失礼の事のように思えたので、そのままに坐を立って、襖《ふすま》を明けて奥へ入った。やはり其処《そこ》は六畳敷位の狭さであった。間《あい》の襖を締切《しめき》って、そこにあった小さな机の上に洋燈《ランプ》を置き、同じくそこにあった小坐蒲団《こざぶとん》の上に身を置くと、初めて安堵《あんど》して我に返ったような気がした。同時に寒さが甚《ひど》く身に染《し》みて胴顫《どうぶるい》[寒気や悪寒、恐怖などで全身が震えること]がした。そして何だかがっかりしたが、漸《ようや》く落《おち》ついて来ると、□□さんと自分の苗字をいわれたのが甚《ひど》く気になった。若僧も告げなければ自分も名乗らなかったのであるのに、特《こと》に全くの聾《つんぼ》になっているらしいのに、どうして知っていたろうと思ったからである。しかしそれは蔵海が指頭《ゆびさき》で談《かた》り聞かせたからであろうと解釈して、先ず解釈は済ませてしまった。寝ようか、このままに老僧の真似をして暁《あかつき》に達してしまおうかと、何かあろうといってくれた押入らしいものを見ながらちょっと考えたが、気がついて時計を出して見た。時計の針は三時少し過ぎであることを示していた。三時少し過ぎているから、三時少し過ぎているのだ。驚くことは何もないのだが、大噐氏はまた驚いた。ジッと時計の文字盤を見詰めたが、遂に時計を引出して、洋燈《ランプ》の下、小机の上に置いた。秒針はチ、チ、チ、チと音を立てた。音がするのだから、音が聞えるのだ。驚くことは何もないのだが、大噐氏はまた驚いた。そして何だか知らずにハッと思った。すると戸外《そと》の雨の音はザアッと続いていた。時計の音は忽《たちま》ち消えた。眼が見ている秒針の動きは止まりはしなかった、確実な歩調で動いていた。

 [朗読5] 何となく妙な心持になって頭を動かして室内を見廻わした。洋燈《ランプ》の光がボーッと上を照らしているところに、煤《すす》びた額《がく》が掛っているのが眼に入った。間抜《まぬけ》な字体で何の語かが書いてある。一字ずつ心を留めて読んで見ると、

 橋流水不流

とあった。橋流れて水流れず、橋流れて水流れず、ハテナ、橋流れて水流れず、と口の中で扱い、胸の中で咬《か》んでいると、忽《たちま》ち昼間渡った仮《かり》そめの橋がきょうきょう洶※[#二の字点、1-2-22]《きょうきょう》[水の音のさわがしいさま]と流れる渓川《たにがわ》の上に架渡《かけわた》されていた景色が眼に浮んだ。水はどうどうと流れる、橋は心細く架渡《かけわた》されている。橋流れて水流れず。サテ何だか解らない。シーンと考え込んでいると、忽《たちま》ち誰だか知らないが、途方もない大きな声で

 橋流れて水流れず

と自分の耳の側《はた》で怒鳴《どな》りつけた奴があって、ガーンとなった。

 フト大噐氏は自《みずか》ら嘲《あざけ》った。ナンダ[このあたり、カタカナ使用が多くなる]こんな事、とかくこんな変な文句が額なんぞには書いてあるものだ、と放下《ほうげ》[禅宗で心身ともに一切の失着を捨てること/投げ捨てること、突き放すこと]してしまって、またそこらを見ると、床《とこ》の間《ま》ではない、一方の七、八尺ばかりの広い壁になっているところに、その壁をいくらも余さない位な大きな古びた画《え》の軸《じく》がピタリと懸っている。何だか細かい線で描《か》いてある横物《よこもの》で、打見たところはモヤモヤと煙っているようなばかりだ。紅《あか》や緑や青や種※[#二の字点、1-2-22]《いろいろ》の彩色《さいしき》が使ってあるようだが、図が何だとはサッパリ読めない。多分ありがちな涅槃像《ねはんぞう》[釈迦の入滅、つまり亡くなったときの姿をあらわした像]か何かだろうと思った。が、看《み》るともなしに薄い洋燈《ランプ》の光に朦朧《もうろう》としているその画面に眼を遣《や》っていると、何だか非常に綿密に楼閣だの民家だの樹だの水だの遠山だの人物だのが描《か》いてあるようなので、とうとう立上《たちあが》って近くへ行って観《み》た。するとこれは古くなって処※[#二の字点、1-2-22]《ところどころ》汚れたり損じたりしてはいるが、なかなか叮嚀《ていねい》に描《か》かれたもので、巧拙は分らぬけれども、かつて仇十州《きゅうじっしゅう》[=仇十洲は号で、仇英(きゅうえい)という。明代の画家で16世紀前半に活躍]の画だとか教えられて看たことのあるものに肖《に》た画風で、何だか知らぬが大層な骨折から出来ているものであることは一目《ひとめ》に明らかであった。そこで特《ことさら》に洋燈《ランプ》を取って左の手にしてその図に近※[#二の字点、1-2-22]《ちかぢか》と臨んで、洋燈《ランプ》を動かしては光りの強いところを観ようとする部分※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]に移しながら看た。そうしなければ極めて繊細な画が古び煤けているのだから、ややもすれば看て取ることが出来なかったのである。

 画は美《うる》わしい大江《たいこう》に臨んだ富麗《ふれい》の都の一部を描いたものであった。図の上半部を成している江《え》の彼方《むこう》には翠色《すいしょく》[=緑色]悦ぶべき遠山が見えている、その手前には丘陵が起伏している、その間に層塔《そうとう》もあれば高閤《こうこう》こうこうもあり、黒ずんだ欝樹《うつじゅ》が蔽《おお》うた岨《そば》[崖のそそり立って険しいところ]もあれば、明るい花に埋《うず》められた谷もあって、それからずっと岸の方は平らに開けて、酒楼《しゅろう》の綺麗なのも幾戸《いくこ》かあり、士女老幼、騎馬の人、閑歩《かんぽ》[ぶらぶら歩くこと]の人、生計にいそしんでいる負販《ふはん》の人、種※[#二の字点、1-2-22]雑多の人※[#二の字点、1-2-22]が蟻ほどに小さく見えている。筆はただ心持で動いているだけで、勿論その委曲[くわしく細かなこと]が画《か》けている訳ではないが、それでもおのずからに各人の姿態や心情が想い知られる。酒楼の下の岸には画舫《がほう》[絵や彩色を施した中国の遊覧船。そこから、飾り立てた遊覧船の意味]もある、舫中の人などは胡麻《ごま》半粒ほどであるが、やはり様子が分明に見える。大江の上には帆走《ほばし》っているやや大きい船もあれば、篠《ささ》の葉形の漁舟《ぎょしゅう》もあって、漁人の釣《つり》しているらしい様子も分る。光を移してこちらの岸を見ると、こちらの右の方には大きな宮殿|様《よう》の建物があって、玉樹※[#「王+其」、第3水準1-88-8]花《ぎょくじゅきか》とでもいいたい美しい樹や花が点綴《てんてい》[ひとつひとつを綴り合わせてまとめること・あちこちにほどよく散らばってまとまりをなしていること]してあり、殿下の庭|様《よう》のところには朱欄曲※[#二の字点、1-2-22]《しゅらんきょくきょく》と地を劃《かく》して[「朱色の欄(手すり・囲い)が曲がりくねって地面を分かちて」くらいの意味]、欄中には奇石もあれば立派な園花《えんか》もあり、人の愛観を待つさまざまの美しい禽《とり》などもいる。段※[#二の字点、1-2-22]と左へ燈光《ともしび》を移すと、大中小それぞれの民家があり、老人《としより》や若いものや、蔬菜《そさい》[野菜のこと。また野菜になる植物のこと。草花の意味である花卉(かき)がもっぱら専門用語化しているのと同様、今日もっぱら農業関係者などの間で使用されるようだ。草本(そうほん)のものを指し、花卉園芸・果樹園芸・蔬菜園芸が3大園芸分野なんだそうだ。]を荷《にな》っているものもあれば、蓋《かさ》を張らせて威張《いば》って馬に騎《の》っている官人《かんじん》のようなものもあり、跣足《はだし》で柳条《りゅうじょう》[柳の木の枝のこと]に魚の鰓《あぎと》[あごのこと/魚のえらのこと]穿《うが》った[ここでは、穴を開ける、貫くの意味]奴をぶらさげて川から上《あが》って来たらしい漁夫もあり、柳がところどころに翠烟《すいえん》[翠=緑。緑色のこと。また、緑色の深緑などを表す言葉。よって、柳の深緑の煙めく様子を表した言葉。]を罩《こ》めている美しい道路を、士農工商|樵漁《しょうぎょ》[樵(しょう)は木を切ること。木を切る人。漁は魚を捕ること。魚を捕る人。つまり木こりと漁師のこと]、あらゆる階級の人※[#二の字点、1-2-22]が右徃左徃《うおうさおう》している。綺錦《ききん》[錦綺(きんき)、錦(にしき織り)と綺(あやぎぬ)、すなわち綾織りの絹、高貴の服装をたとえたもの]の人もあれば襤褸《らんる》[=ぼろ。破れたり、ぼろ切れた服装をたとえたもの]の人もある、冠《かぶ》りものをしているのもあれば露頂《ろちょう》[頂、つまり頭が露出している]のものもある。これは面白い、春江《しゅんこう》の景色に併せて描いた風俗画だナと思って、また段※[#二の字点、1-2-22]に燈《ともしび》を移して左の方へ行くと、江岸がなだらになって川柳が扶疎《ふそ》[枝葉の茂っている様子]としており、雑樹《ぞうき》がもさもさとなっているその末には蘆荻《ろてき》[蘆=芦(あし)と、荻(おぎ)のこと。荻は、ススキに似た植物で、萩とは漢字が似ているが、まったく別のものである]が茂っている。柳の枝や蘆荻の中には風が柔らかに吹いている。蘆《あし》のきれ目には春の水が光っていて、そこに一|艘《そう》の小舟が揺れながら浮いている。船は※[#「竹かんむり/遽」、80-1]※[#「竹かんむり/除」、80-1]《あじろ》[魚を捕るために竹などを編んだもの]を編んで日除《ひよけ》兼|雨除《あまよけ》というようなものを胴《どう》の間《ま》にしつらってある。何やら火爐《こんろ》だの槃※[#「石+喋のつくり」、第4水準2-82-46]《さら》[? なんだべ。円盤みたいな盥みたいなものらしい]だのの家具も少し見えている。船頭の老夫《じいさん》は艫《とも》の方に立上《たちあが》って、※[#「爿+戈」、第4水準2-12-83]※[#「爿+可」、80-3]《かしぐい》[調べるの疲れた]に片手をかけて今や舟を出そうとしていながら、片手を挙げて、乗らないか乗らないかといって人を呼んでいる。その顔がハッキリ分らないから、大噐氏は燈火《ともしび》を段※[#二の字点、1-2-22]と近づけた。遠いところから段※[#二の字点、1-2-22]と歩み近づいて行くと段※[#二の字点、1-2-22]と人顔《ひとがお》が分って来るように、朦朧《もうろう》たる船頭の顔は段※[#二の字点、1-2-22]と分って来た。膝ッ節《ぷし》も肘《ひじ》もムキ出しになっている絆纏《はんてん》みたようなものを着て、極※[#二の字点、1-2-22]《ごくごく》小さな笠を冠《かぶ》って、やや仰いでいる様子は何ともいえない無邪気なもので、寒山《かんざん》か拾得《じっとく》[(ウィキペディアより)寒山(かんざん、生没年不詳)は、中国で唐代に浙江省にある天台山の国清寺に居たとされる伝説的な風狂の僧の名である。『寒山子詩』の作者とされる。後世、拾得と共に有髪の姿で禅画の画題とされる。]の叔父さんにでも当る者に無学文盲のこの男があったのではあるまいかと思われた。オーイッと呼《よば》わって船頭さんは大きな口をあいた。晩成先生は莞爾《かんじ》[にっこりとほほえむさま。にこやかな様子]とした。今行くよーッと思わず返辞をしようとした。途端に隙間を漏《も》って吹込んで来た冷たい風に燈火《ともしび》はゆらめいた。船も船頭も遠くから近くへ飄《ひょう》として来たが、また近くから遠くへ飄として去った。唯《ただ》これ一瞬の事で前後はなかった。

 屋外《そと》は雨の音、ザアッ。



 大噐晩成先生はこれだけの談《はなし》を親しい友人に告げた。病気はすべて治った。が、再び学窓にその人は見《あら》われなかった。山間水涯《さんかんすいがい》[水涯は水辺、水のほとりの意味]に姓名を埋《うず》めて、平凡人となり了《おお》するつもりに料簡をつけたのであろう。或《ある》人は某地にその人が日に焦《や》けきったただの農夫となっているのを見たということであった。大噐|不成《ふせい》なのか、大噐|既成《きせい》なのか、そんな事は先生の問題ではなくなったのであろう。

[#地から1字上げ](大正十四年七月)

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 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)一[#(ト)]夕立

青空文庫データ

底本:「幻談・観画談 他三篇」岩波文庫、岩波書店
   1990(平成2)年11月16日第1刷発行
   1994(平成6)年5月15日第6刷発行
底本の親本:「露伴全集 第四巻」岩波書店
   1953(昭和28)年3月刊
入力:土屋隆
校正:オーシャンズ3
2008年1月15日作成
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2010/11/10-12/20

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