竹取物語その6

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中納言石上麻呂足

 中納言石上麻呂足(ちゅうなごんいそのかみのまろたり)、家に使はるる自らの従者の男(をのこ)どものもとに、
「燕(つばくらめ)の巣(す)くひたらば、我に告げよ」
とのたまふを承(うけたまわ)りて、男ども、
「何の用にかあらむ」
と申す。答へてのたまふやう、
「燕の持たる子安(こやす)の貝を取らむ料(れう)なり」
とのたまふ。男(をのこ)ども、答へて申す。
「燕を数多(あまた)殺して見るにも、子安貝は彼らの腹(はら)の中に無きものなり。ただ子産(こう)む時、いかでか出だすらむ、はららく」
と申す。
されどもし人だに見ればすぐに消え失せぬ」
と申す。また、人の申すやう。
「大炊寮(おほいづかさ)の飯炊(いひかし)く屋(や)の棟(むね)に、つつの穴ごとに、燕は巣をくひ侍(はべ)る。それに、まめならむ[切実な]男(をのこ)どもを一緒に率(い)てまかりて、あぐら[足場]を結(ゆ)ひあげて、あぐらより窺(うかが)はせむに、そこらの燕、すぐにでも子産まざらむやは。さてこそ、取らしめ給はめ」
と申す。中納言、喜び給ひて、
「をかしき[興味深い]ことにもあるかな。もっとも、我は何もえ知らざりけり。興(きょう)あること[興味深いこと]申したり」
とのたまひて、まめなる男(をのこ)ども廿人(にじふにん・はたたり)ばかり遣はして、あななひ[足場]に上げその場にじっと待機させ据(す)へられけり。

解説

・「はららく」は「散る」の意味だが、これは更訂(こうてい)した者の意見。原本には「はらくる」とあるそうだ。「腹来る」?別の本には「はらかくる」(腹に抱える)とあった。

・「大炊寮の飯炊く屋の棟」の大炊寮は宮内省内にあり飯炊きなどを行う部署。

殿より使ひ暇なく

 中納言、殿(との)より使ひ暇なく給はせて、
「子安の貝取りたるか」
と問はせ給ふ。
「燕も、人の数多(あまた)上(のぼ)り居(ゐ)たるに怖(お)ぢて、巣にも上り来ず。」
かかるよしの返事(かえりこと)を申したれば、中納言の聞き給ひて、「いかがすべき」と思(おぼ)し煩(わづ)らふに、かの大炊寮(つかさ)の官人(くわんにん)、くらつ麻呂(まろ)と申す翁、中納言の困りたるを知りて申すやう、
「子安の貝取らむと思(おぼ)し召(め)さば、たばかり[計略、つまり「策を」]申さむ」
とて御前(おまえ・おほんまえ)に参りたれば、中納言、身分を気にもせず自ら額(ひたい)を合せて向かひ給へり。やはり大したお方だと内心思いながらくらつ麻呂が申すやう、
「この燕の子安貝は、悪しくたばかりて[悪い作戦で]取らせ給ふなり。さては、え取らせ給はじ。[それでは取ることは叶いません。]あななひに、おどろおどろしく、廿人(にじふにん・はたたり)の人の上(のぼ)りて侍(はべ)れば、燕どもの心も荒れて、巣にすらも寄りもうで来ず。ですから中納言の皆にせさせ給ふべきやうは、このあななひを毀(こぼ)ちて[壊して]、人みな退きて、わずか人一人のみを、荒籠(あらこ)に乗せ据(す)えて、綱を構へて待機させ、鳥の子産まむとする間に、綱を張り上げさせて、ふと[さっと]子安貝を取らせ給はむなむ、よかるべき」
と申す。中納言のたまふやう、
「いとよきことなり」
とて、さっそくあななひを毀(こぼ)し、人みな館へと帰りまうで来ぬ。


 中納言、くらつ麻呂にのたまはく、
「燕は、いかなる合図の時にか子産むと知りて、人をば揚(あ)ぐべき」
と問わせたまふ。くらつ麻呂申すやう、
「燕は、子産まむとする時は、尾をささげて[さし上げて]、七度(ななど)巡(めぐ)りてなむ、その後に子を産み落すめる。さて、七度巡らむをりを見計らいて引き揚げて、そのをり、子安貝は取らせ給へ」
と申す。中納言喜び給ひて、万(よろづ)の人にも事情を知らせ給はで、密(みそ)かに寮(つかさ)に付きっきりでいまして、男(をのこ)どもの中にまじはりて、夜を昼になして[夜も昼と同じように、昼も夜も]燕の子安貝を取らしめ給ふ。またくらつ麻呂かく申すを、いといたく喜びてある時のたまふ。
「ここに我が下で使はるる人にもなきに、願ひを叶(かな)ふることの嬉しさ」
とのたまひて、中納言自ら御衣(おほんぞ)脱(ぬ)ぎてこれを褒美として被(かづ)け[「かぶせる」から「着せ与える」といった意味]給ひつ。さらに、
「夜さり[夜になったころ]、この寮(つかさ)にまうで来(こ)今日こそは子安貝を見つけるから
とのたまひて、遣(つか)はしつ。

日暮れぬれば

 日暮れぬれば、かの寮(つかさ)におはしてひたすらに覗き見給ふに、まことに燕(つばくらめ)巣作れり。くらつ麻呂申すやうにしたがいて燕が尾浮(をう)けて[尾を持ち上げて]巡るに、荒籠(あらこ)に人をのぼせて吊り上げさせて、燕の巣に手をさし入れさせて探(さぐ)るに、
「物もなし」
従者どもが申すに、中納言が答えて
「悪しく探れば、無きなり」
と腹立(はらだ)ちて、
「誰(たれ)ばかり子安貝を取れるとは思(おぼ)えむに」
とて、我慢ならず歩み出で、
「我、のぼりて探らむ」
とのたまひて、籠(こ)にのぼりて窺(うかが)ひ給へるに、ちょうど今燕(つばくらめ)、尾をささげて、子を生みはじめる。中納言、今こそはと探り給うに、手にひらめる物[平らなもの]触る時に、
「我、物握りたり。今は降ろしてよ。翁、し得たり。子安貝を手にしたり。
とのたまひて、下を見下ろす時に、従者ども集まりて、
「とく降ろさむ」
とて綱(つな)を引くのであるが、つい引き過ぐして[引きすぎて]、綱絶(つなた)ゆる、すなはちに[同時に]、八島(やしま)の鼎(かなへ)の上に、中納言はのけざま[仰向け]に落ち給へり。

解説

・「八島の鼎」は、大炊寮(おおいづかさ)にある竃神を象徴する鼎(かなえ)、つまりかまのようなもの。鼎は三本足を特徴とする。

人々あさましがりて

 人々あさましがりて[大変驚き]、寄りて抱へ奉(たてまつ)れり。中納言の御眼(おほんめ)は白眼(しらめ)にて力無く伏し給へり。人々、水をすくひこれを中納言の口に入れ奉る。からうじて再び息出で給へるに、また急ぎ、鼎(かなへ)の上より、手取り足取り下げおろし奉る。からうじて[ようやくにして]
「御心地(おほんここち)はいかが思(おぼ)さるる」
と問へば、息の下にて、
ううぅ、も、物はすこし頭の中に覚(おぼ)ゆれど、こ、腰なむ動かれぬ。されど、子安貝をふと[さっと]握り持たれば、嬉しく覚ゆるなり。まづ紙燭(しそく)さして来(こ)。この貝、顔見む」
と御頭(みぐし)もたげて、さも大事そうにそっと御手(おほんて)をひろげ給へるに、なんたることか、燕のまり置ける古糞(ふるくそ)を握り給へるなりけり。


 それを見給ひて、中納言、にわかに意識を遠ざけ
「あな、効無(かひな)のわざや」
とのたまひけるよりぞ、思ふに違(たが)ふことをば、
「かひなし」
と言ひける。
「貝にもあらず」
と見給ひけるに、御心地も期待の折れる前とは違(たが)ひて、まるで唐櫃(からびつ)の蓋(ふた)の入れられ給ふべくもあらず、中納言の御腰(おほんこし)はぽっきりと折れにけり。

解説

・「御頭(みぐし)」は頭のことも髪のことも指す。

・「紙燭(しそく)」は室内の灯火としての小型松明(たいまつ)。松の木を棒状にして、手元に紙を巻き、先端には油を塗って火を付ける。他にも紙や布をひねり棒にしてて、油を塗って火を付けるものもある。

・「唐櫃(からびつ)の蓋(ふた)の入れられ給ふべくもあらず」の唐櫃は足のない和櫃(やまとびつ)に対して、六本の足を持った唐風の大きな入れ物箱。「唐櫃の蓋のぴったりと収まるように収めることが出来なくなってしまい」あるいは「蓋をつかって運ぼうとしてもうまく収められない」といった説がある。この文一つで、今は復元不可能な当時の諺であるようにも想われるのだが・・・。

中納言はわらはげたるわざして

 中納言は、わらはげたる[子供のような、無分別な]わざして病むことを、
「人に聞かせじ」
とし給ひけれど、それを心に煩わせる病(やまひ)にて、いと弱くなり給ひけり。貝をえ取らずなりにけるよりも、人の聞き我が愚行をののしり笑はむことを、日に添(そ)へて思ひ給ひければ、ただに病み死ぬるよりも、自分の死に様がなんと人聞(き)き恥かしく思えることかと、そんなことばかり思(おぼ)え給ふなりけり。


 これを、ついにかくや姫聞きて、とぶらひにやる歌、

年を経(へ)て浪立ち寄らぬ住(すみ)の江(え)の
まつかひなしと聞くはまことか

[年を過ごしても、
浪すらも立ち寄らぬという住の江(大阪市住吉)の松、
まるでその松にされてしまったかのように、
中納言さまの立ち寄らぬという私の住処に、
待っている甲斐(貝)はないとお聞きしました。
まるで貝を待っても浪の寄らぬ住の江の松のように。
このお話しは本当でしょうか。]

とあるを、中納言に読みて聞かす。彼は今ではいと弱き心におなりだけれども、頭(かしら)もたげて、人に紙を持たせて、苦しき心地に、からうじて筆を動かして一筆書き給ふ。

かひはかくありけるものを
侘び果てて死ぬる命を
救ひやはせぬ

[あなたが私に歌を下さったと云うそのことに
思いを託すべき甲斐(貝)があることを知りました
苦しみに呑まれて消えていく我が命を
救い出して下さったのならば
今こそ私はその貝を
見つけ出すことも出来たでしょうに
いや、今はそれも叶わない夢か]

と書き果つると、中納言はその場にて絶え入り給ひぬ。その館からは中納言の死を惜しむ涙がしばらくたえなかったという。これを聞きて、かくや姫、少し哀(あは)れと思(おぼ)しけり。それよりなむ、少し嬉しきことを 「かひあり」とは言ひける。

解説

・かくや姫の歌は、皮肉な見方をすれば、本当に最後の求婚者が敗れ去ったのかどうか、その確認をしたいという意味を見いだすことも可能だ。しかし同時に、この歌は、これまでの歌に対して、ずば抜けて情が込められているので、そこに好意を読み取ることは、正しいことかと思われる。

・「かひはかく」のところ、講談社学術文庫版では「かひはなく」となっている。二つでは意味がまるで異なってしまうだけでなく、中納言が優れた人物が、駄目男にすぎなかったかという、この章の根本に関わってくる一大問題ではある。「かひはなく」で行くと、一番初めの石作皇子に回帰させた(云ってみれば精神的カイアズマス的なもの)ことになり、ただ歌で懇願する情けない男として幕を閉じることになるのだが、「かひはかく」だとまったく彼は、死を惜しまれるにたる人物として、次の帝の登場に話しを繋げてゆくことになるからである。ここは「かひはかく」が上策かと想われる。

・「救ひやはせぬ」は反語的に捉えて、「いや、いまはそれも叶わないこと」という諦めの思いを咀嚼して解釈してみた。それでこそ、かくや姫も「哀れ」を思(おぼ)すというものだ?

・少し妄想を誇大化させれば、中納言は愛すべき女性によって「かひなし」を「かひあり」に転化させて、心救われて死んでいったとも言えるかもしれない。

考察中

むしろ単純には、美の絶頂に消えゆく娘の早き死を抽象化したようにも

2009/01/31

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