講談社学術文庫版 『方丈記』 覚書

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講談社学術文庫版 『方丈記』 覚書

 『考察』で眺めたような、現代語訳の名を借りた、安っぽい二次創作によるつたない作文は、この翻訳の至るところにあふれ出し、冒頭などはむしろ遙かにマシな方である。しかし全体が弊害に満ちているため、詳細を究めればこちらの精神が参ってしまう。ほんのいくつかの例を、赴くままにピックアップして、今は行き過ぎることしよう。まずはこの部分。

[原文]
 人のすまひは、世々を経(へ)て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋(たづ)ぬれば、昔(むか)しありし家(いへ)は稀(まれ)なり。

 分かりやすくするために直前部分の「高き・卑(いや)しき」は外す。これを現代語にすればただ、

「人の住みかは、時代を経過しても尽きないものであるが、このことを真実であるかと尋ねれば、むかしからある家は稀である」

ということになる。もし、解説を好む人物であれば、なお改変して、

「人の住みかは、時代を経過しても尽きないように見えるが、本当に同じように存在しているのかと尋ねれば、むかしから変わらない家は稀である」

くらいにはなるかもしれない。それをこの「講談社学術文庫」版は、

「人の住居は、時代時代を経過しながらなくなってしまわないものであるが、その都の中の家々を、なくならないのがほんとうかと探ってみると、昔あったままの家はきわめて少ないものである。」

 そもそもこれは、まともな作文能力を持った人間の文章であろうか。そもそも時の流れを記すのに、「時代時代を経過しながら」なんてごつごつした表現が、現代日本語において自然になされるだろうか。「世々を経て」は「時代を経て」と等価なのであり、「世」が二つ重なっているからといって、「時代」をふたつ並べたのでは、児戯にも等しい、あまりにも非作文的な発想ではないだろうか。すなわち文脈としての整った言語感覚を無視して、局所的に言葉の粘土をこね回すような、子供のいたずらにも思えてくるといった不始末だ。

 この部分は、多少説明調が勝ったとしても、「時代を経過しても」くらいが限度であり、しかもこの説明調は当然ながら文体の一貫性として、

「時代を経過しても尽きることはないが」
「時代を経過しても変わることがないが」
あるいは説明調が勝った者であれば、
「時代が経過しても不変であるが」

などの表現を継続すべきところを、急に小学生低学年の口吻(こうふん)みたいな、

「なくなってしまわない」

なんて脈絡のない口調を挟み込む。その結果、解説なのか、子供の落書きなのか、何がなにやらさっぱり分からないだらけた文章が呈示されることとなった。

時代時代を経過しながらなくなってしまわないものであるが

 翻訳とは、ある母国語を使用する、または現代語を使用する我々の為に、我々の現在使用する社会的言語(教科書的言語ではない)に、該当作品を移し替える作業である。つまりは生きた我々の言語によってなされるべきであり、そうでなければ、我々は該当作品を感得することも適わず、したがって該当作品を紹介したことにはならないのではないだろうか。

 いったい、現代日本人の誰がこんないびつな言葉を使用するだろう。例えばこんな問いがある。
「ねえ芸術ってなんだろう」
これに対して、いったい何ものが、
「時代時代を経過しながらなくなってしまわないものである」
なんて無様な説明を加えるだろうか、普通の会話なら、
「時代が過ぎても変わらないものだよ」
仮に説明を好む客体文章であったとしても、
「芸術とはなにか」
「時代を経過しながら価値の尽きないものである」
などと答えるだろう。それが通常の言語感覚である。いったいどのような立派な人物が、その答えに対して、
「時代時代を経過しながらなくなってしまわないものである」
なんてへんてこな日本語で答えるだろうか。

 しかもなお偉大なことに、この翻訳者は、このつたない表現をそっくり繰り返して、
「なくならないのがほんとうかと探ってみると」
などと改めて語り直すのだからやりきれない。

「おまんじゅうがなくなってしまわなかったのは本当だけど、お皿の上を、なくなってしまわなかったのが本当かと眺めてみると」

と語るようなもので、この手のくどくどしさは、まだ言語の十分に発達しない幼児が、表現の短縮こそが要点の集約に結びつくことまでたどり着けず、自己確認を繰り返しながら行うときの、特有のたどたどしさをもった表現であり、多少なりとも言語野に発達を加えれば、たとえ「なくなってしまわなかった」のひと言が稚拙に過ぎるにしても、

「おまんじゅうがなくなってしまわなかったのは本当だけど、それが本当かどうかお皿の上を眺めてみたんだ」

くらいの表現は、小学生の中学年くらいなら、おおよそ到達できるのではないだろうか。つまりは一度行った説明を、くどくどしくも繰り返すことによって、全体が不明瞭に陥るという弊害から逃れる事、それは幼児を逃れるに際して悟れるくらいの文章構成法には違いない。もう少し成長すれば、
「念のためにお皿の上を調べてみたんだ」
といった、別の表現を加えていくことをさえ知るだろう。言うまでもなく鴨長明も、それを知っているからこそ、

「世々を経て尽きせぬものなれど、尽きせぬことをまことかと尋(たづ)ぬれば」

などとはせず、

「世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋(たづ)ぬれば」

と次の文脈へと橋渡している訳である。

 それではこの現代語訳者は、わざわざきわめて幼稚なものへ向けた、まるで絵本の言葉のように改編して、これを執筆しているとでもいうのだろうか。現実はぜんぜん違っている。これが普通一般の、ある程度の読解力を有した読者に向けられたものであることは、全体から見て明らかである。それでいて、お粗末な現代語訳とやらが、梅雨空を覆い尽くしている。

 例えば、安元の火事の冒頭を眺めてみよう。

[原文]
「世の不思議を見ること、やゝたび/\になりぬ」

とあるが、この部分に、

「世間の思いも及ばぬ奇妙な事実を見ることが、次第に回数がふえて来た」

なんて珍文を翻訳と称して送り出してくる。そもそも「世の不思議」はせいぜい「世の中の不可思議」くらいで、「世間の思いも及ばぬ奇妙な事実」などは、意訳にすらなっていない。ほとんど捏造である。なぜならば、鴨長明は通常でない災害のことを、あえて抽象化させて「世の不思議」として表現しているからであり、それは例えば、数多くの政治的贈賄に手を染めた大物のなお政界に君臨するのを眺めて、
「世の不思議を見ること」
と表現するのと同じである。こうして「世の不思議」と抽象化することによって、「世間の思いも及ばないほどの奇妙な事実であります」などとくどくどしい罵りを加えるより、はるかに効果的に、あきれ果てたおもむきを表現することが出来るという、いわば修辞法の一種を鴨長明も行っているのであって、だからこそこの部分の翻訳は、「世の不思議」とか「世の中の不思議」でなければ意味をなさない。このような効率的な修辞と短縮された語り口調、それがもたらすリズムを奪い取ったならば、それはもはや『方丈記』そのものではなく、『方丈記』を自らの赴くままに延々と解説し続ける誰かの、完全な二次創作へと変じてしまうには違いないのだ。(そのようにして、あまたのいつわりの現代語訳とやらが、『方丈記』を貶め続けていることは、諸君の知るとおりである)

 これだけでも噴飯(ふんぱん)であるものを、次の部分、
「次第に回数がふえて来た」
これはいったい何のポンチであろうか。わざわざ鴨長明自身が、
「数を増やしぬ」
というような直接説明する表現をさけて、極めて婉曲的に、
「ややたびたびになってきた」
「次第にしきりになってきた」
といった表現を模索したというのに、それを初歩的な説明書きに逆戻りさせて「次第に回数がふえて来た」とは。また鴨長明の修辞を蔑ろにして、原文を貶めてしまった。

 しかもこのような説明過剰の典型的な現代文を記して置きながら、

「世間の思いも及ばぬ奇妙な事実を見ることが、次第に回数がふえて来た」

「思いも及ばぬ」などという古語調を混入させている。なぜ「思いも及ばない」と記さないのだろうか。古語調を使用して効果的な場合は多々存在するが、この場合は「次第に回数がふえて来た」といった冗長な説明的口調が、すべて現代語の表現を指向している。そのなかに無頓着に「及ばぬ」などと加えたものだから、まるで口臭老人が、うっかり不必要な部分に『古き言葉』を混入させて、読者から失笑を買うような失態へと陥ってしまった。もしこのような駄文を彼が思考したのだとすれば、

「世の常、思いも寄らない不可解、次第に数を増(ま)しぬ」

とでも記したに違いない。そうしてなぜ「寄らぬ」と記さなかったのかと、誰かに突っ込みを入れられるには違いないのだ。



 また、すぐ直後にも不可解な日本語が登場を見せる。すなわち原文において、

「風に堪(た)へず、吹き切られたる焔(ほのほ)、飛ぶがごとくして、一二町を越えつゝ移りゆく」

とあるところである。これを多少の説明を加えて現代語にすれば、

「風に耐えられずに、吹き切られた炎が、飛ぶようにして、一二町を越えながら燃え移っていく」

と言ったまでのこと。しかも、鴨長明の語順に従って、意味を忠実に記したこの状態が、もっとも自然であり、現代語としても必要十分条件を満たしている、すなわち通常の現代語そのものであるものを、それをどうにかして愚弄しようと画策するように、

「風の吹く勢いにこらえきれずに、吹きちぎられた焔が、空を飛ぶようにして、一、二町を飛び越え飛び越えしては、飛び火してゆく」

などと二次創作を重ねている。ここでも「なくなってしまわない」と同様、学生レベルの文章構成法をさえ弁えず、くどくどしくも繰り返された言葉による冗長が、きびきびとした原文のテンポを台無しにしているのは言うまでもない。

「風の勢いにこらえきれずに、吹きちぎられた」

と書けば十分すぎるところに、「風の吹く」と「吹きちぎられた」を重ねて、原文の体裁を損ねる様は、さながら蛇足を欲しいままにしたムカデのようなものであるが、もっと酷いのは謎の、

「空を飛ぶようにして」

である。いったいどれほどの低学年が、

「風に吹きちぎられた炎が、飛ぶようにして燃え移っていく」

と書かれた文章を読解できずに、

「風に吹きちぎられた炎が、空を飛ぶようにして燃え移っていく」

などという不要な説明を要するだろうか。しかもこの火災の描写は、風の勢いが激しいため、まるで飛び移るように広まっていく炎を描写しているのであって、実際に「空を飛ぶように」、つまり炎の固まりが人魂(ひとだま)のように、空を飛び交っている様を表現しようとしたものでは無いことは明らかである。簡単に述べれば、燃えのぼった資材が炎のままに空を飛ぶようにして燃え移ることも、飛び移るように炎が資材から資材へと燃え写すさまも、すべてを内包した表現として、「飛ぶがごとくして」と比喩しているのであって、実際に「お空を飛び交って」いることを表したわけではない。そうであればこそ、この、

「空を飛ぶようにして」

は明らかに不要な表現過剰であり、いわば蛇足のムカデの足の一本には他ならない。これによって、要点をのみ述べ、効果的な比喩を配した、把握しやすいはずの原文が、すっかり要点をぼかされてしまう。それだけでも悲惨な上に、極めつけに、

「飛び越え飛び越えしては、飛び火してゆく」

なる驚異的な表現をさえ模索する。これはいったいなんの冗談であろうか。やはり原作に対する愚弄を極めたものであろうか。

 そもそも「飛び越え飛び越えして」などという表現は、幼稚園の先生が園児に対して、あるいは母親が坊やに対して、

「もっと、もぐもぐもぐもぐして、よく噛んで食べなさい」

とか、

「立っち立っちしてこっちにおいで」

などと表現するための幼児言語の様相が濃厚である。決して詩的効果を狙って、

「さやさやさやと柳のたなびく」

とするような表現とは一致しない。なぜと言うに、「飛び越える」という表現が単純に動作を説明したものであり、それを繰り返すのは、一度伝えただけでは分からない相手に、あえて繰り返したような印象を濃くするからで、つまりは、
「物がたり物がたりして」とか、
「走り出し走り出しして」
などという表現が不自然なのと同様である。この例文が使用されるような場合は、恐らくは幼児のための絵本で、うさぎなどが、
「飛び越え飛び越え」
しながら逃げていくような場合であり、これを、自らの老年を観念するほどの鴨長明の『方丈記』の文体に持ち込むのは、よほどの悪意がなければ出来ることではない。しかも二度「飛び越え」しただけでは気が済まず、さらに奮発して、
「飛び火して」
などと加えるものだから、三度も飛びまくって、醜態を究めることとなった。

 そもそも該当箇所は、同じ表現の繰り返しによる戯れで、文章の停滞をさそうようには記されていない。鴨長明はむしろ、同種の表現を避けるようにして、急速なテンポで話を進めていく。これによって表現が引き締まり、炎の描写の危機感が演出されるような執筆態度である。だからこそ、「移り行く」の繰り返しはともかくとして、例えば「吹く」の表現に関してみれば、火事の章以後、

「吹きて」「吹き迷ふ」「吹きつけたり」「吹き立てたれば」「吹き切られたる」

と、ただの一度も同じ表現は使用されていない。すなわちこれが彼の構想である。単純な焔(ほのお)という言葉でさえも、

「焔を地に吹きつけたり」「吹き切られたる焔」「焔にまぐれて」

など、出来るだけ言い換えようとする傾向が見られるくらい。すなわち、反復を回避して、事件の描写に切迫感を与えるようなテンポを創出することが、彼の目的で在ったことさえ見抜ければ、

「飛び越え飛び越えしては、飛び火してゆく」

などというお粗末な表現は、良心的なたましいの、どこからも湧いてこないには違いない。そうしてそのくらいの読解力は、文系志望の大学生の入学を判定する程度のものには違いないのだ。



 この乏しい表現は、たちまち再現され、すぐ直後にも、

「煙にのどがつまって倒れて横たわり」

などと記されている、せっかく原文が「煙にむせびて」と表現しているものを、なぜ「煙にむせって」と表現しないのか。火事で煙に巻き込まれた時の表現としては、その方がどれほど自然で、効果的であろうか。なぜなら「むせる」という言葉が、「のどがつまったようになること」を意味していたとしても、気体である煙はじっさいにのどには詰まらないものである。つまり煙がまるで「つまったようになる」表現として、不自然でないように存在させたところの言葉が、「むせる」という表現であると言える。それは一般人に理解できる程度の表現であり、「むせる」を使う方が効果的でもあり、さらには原文にも近いものを、まるでかみ砕けばかみ砕くほど(この繰り返しは「飛び火」の繰り返しとは違う。暇な人は、その効果を読み解いてみるのも一興だろう)立派な説明を果たしたかのような気分になって、

「煙にのどがつまって倒れて横たわり」

などと表現するため、鴨長明がきわめてつたない表現を駆使しているような、悪意に満ちた翻訳へと陥ってしまう。とどめは、火事の描写の最後の部分、

[原文]
すぐれてあぢきなくぞ侍る

である。
 方丈記においてこの「侍る」は、改まったような表現として使用され、読者にさまざまな災害を提示するに際して、効果的に使用されている特徴的な言葉であるが、それは「給ふ」のように敬語として使用されている訳ではない。むしろ、「すぐれてあぢきなし」というような表現を、

「すぐれてあぢきない、そのようなものである」
「すぐれてあぢきない、そのように思われたものである」

のように、言い改めて、客体に包括するような効果として使用されているのであって、何も高圧的に語っていた口調を改めて、急に相手にこびるみたいに、そこだけ「ですます調」に移り変わったものではない。それをこの訳者は、平気で、

「無益なことと思われます」

なんて締めくくるのである。それも直前まで、
「その限度もわからない」とか「迷ってすることであるが」などと、自意識に任せて断定的に語っていた人物が、急に情緒不安定にでも陥ったか、相手の顔色が変わったのに驚きでもしたかのように、あわてて、
「思われます」
なんて言い出すのだから大変だ。文体がまるで挙動不審に陥ってしまった。

 そもそも文体には、一貫性が求められるのが当然であり、
「馬鹿野郎、お前のような奴がいるから、世の中は悪くなるんでございます」
のような文体は、きわめてぎこちない表現であり、語り手の情緒性の定まらない、精神分裂症のように聞こえることは明白である。つまりは、我々の言語生活に置いて、
「馬鹿野郎」
と叫ぶときは、怒りの感情を持ったときであり、口調も丁寧でなくなる時の表現であり、それが急に「ございます」なんて結んだら、語り手の感情がさっぱり分からなくなってしまう。だからこそ、そのような文章を読まされると、きわめていらだつことになる訳だ。

 極めて当然のことだが、ある古文の執筆された時代には、その時代の社会の営みにおける言語生活(もちろんさまざまなレベルを含むものであることは、今日の言語生活でも同様である)があって、古文はその社会言語の営みに身をゆだねた作者によって書かれたものである。何が言いたいかというと、「侍り」にしろ「給ふ」にしろ、その言語社会内におけるニュアンスがあり、他の表現との相関関係のうちに、一つの文体を生みなしているのであって、それを敬語だからといって、そこだけ「ですます」調にするような、お勉強事始めの小学生みたいな翻訳をしても、生きた現代語が再現される訳ではないのである。



 このような支離滅裂な傾向もまた、現代語訳の全体を覆い尽くしている。例しに続く辻風の章を見てみよう。さっそく、
「六条大路の辺まで吹いたことがありました」
と「ですます調」に記した次の文章を
「破壊されないものはない」
と締めくくったり、
「悲嘆をひきおこした」
と言い切っておいて、最後の文章だけ
「などと思いまどいました」
なんて締めくくっている。つまりは、

「様子がおかしい。すぐに気がついた。わたしにはすべてが偽りに見えた。何かが隠されているには違いないのだ。それを解き明かすのが使命だと思われました」

といった、水を差すような口調の不一致により、盛り上がり掛けた文脈を大根切りにぶった切るような挙動不審さを、この
「などと思いまどいました」
は持っている。これによって呈示される鴨長明像は、きわめて分裂症的な傾向を持った、疾患者であるかのように、現代語訳の読者には感じられるには違いない。だから純粋な感受性を持ったものほど、まだ古文への接点に乏しい学生などは、たちまちに作品を軽蔑し始める結果ともなるわけだ。これだけ悲惨な日本語を読まされれば、それももっともの事と思われる。



 もちろん辻風の他の部分も、さまざまな不体裁が満載だ。
「さながら平(ひら)に倒れたるもあり」
という原文を、事もあろうに、
「そっくりペシャンコに倒れたものもあるし」
なんて、初老の執筆者の精神から乖離した、おこちゃま言語的に改悪したものもある。(この「ぺしゃんこ」なる表現は、角川ソフィア文庫版には「ペッチャンコ」とあり、ビギナーズ・クラシックス版には「ぺしゃんこ」とあるが、「平たく潰れた」ならともかく、このような改悪にも満ちた表現が、偶然に三人一致してなされるものであろうか。前任者の現代語訳を何の思慮もなく、引用したような気配が濃厚であるが、それがなにゆえ「ぺしゃんこ」においてなされなければならないのか、きわめて不可解である)

さらに、
「すべて目も見えず」
という原文を、
「目がものを見ることができず」
などと、驚くべき説明を繰り出した所もある。これではまるで、「目も見えない」という、それこそ誰にでも理解できる表現を、日本語初心者である外国人のために、
「目も見えないということは、目がものを見ることが出来ないことです」
と説明したようなもので、文脈の連続性を阻害するほどの、過剰説明であることは明白である。このようなものを読まされて、鴨長明はどれほどの愚かな執筆者であろうかなどと、結論づけられた時、この現代語訳執筆者は、どのように責任を取るというのであろうか。やったもの勝ちであり、後のことは知ったことではないのだろうか。ただひたすらに、原作者を貶めるためにのみ、彼は邁進しているように思われてくる。

 精神分裂の傾向は、「遷都の章」に移って、ますます荒れ狂ってくる。
「突然、遷都がありました。たいへん、意外な事であった。」
もはや一人の人間の語り口調を保てないような表現を、次々にたたき込んでくるからである。極めつけは「養和の飢饉の章」で、ここではもはや精神崩壊は決定づけられ、
「手段もわからぬので」
と老人じみた古語調を使ってみたり、
「賀茂の河原なんかでは」
と非知識階級じみた言葉つきを真似てみたり、
「けしからんことには」
などとオヤジ言葉を持ち出してきたあげくに、また、
「見たことでした」
と丁寧語に陥ったと思ったら、ついに続く部分では、
「また、大変気の毒なこともございました」
などという「ございまする」まで始めてしまう。そうかと思えば、直後には「死んでしまう」と断定口調に逆戻り。

 このような途方もない語りの破壊実験を、『方丈記』を愚弄しながら突き詰めただけでは気が済まず、さらに突き進んで、

「母の命が尽きたことも知らず、幼い子供のまだ乳を吸いながら臥せっていることさえあった」

と記せば足りる部分において、

「乳を吸い吸いして、横たわっているものなどもあった」

という、章のクライマックスを台無しにするような、幼稚文体を邁進する醜態をさえ極めるのだった。さながら分裂症の執筆者をでも演出するように、故意にあらゆる口調を次々に移し替えて、鴨長明を「生まれてきてごめんなさい」状態へでも引き落とすかのように、執筆者はこれらの作業をし続けるのである。なんのために?

 強いて言うならば、わたしには作品を愚弄するために、作品を貶めるために、読者に原文の価値のたとえ0,1%でさえも、悟らせないようにするために、つまりは日本文学界から、『方丈記』を抹消するために、悪意をもってやっているとしか思えない。そうでなければ、これほど文章のセンスのない人間に、どうして現代語訳など執筆をさせることなど出来ようか。養和の飢饉は、
「世にもまれな、ひどいことであった」
という翻訳で締めくくられているが、それこそまさに、わたしの感慨に他ならなかった。(もっともこんなつたない表現では記さないだろう)



 そろそろ限界である。駄文は後半に至ってもさらなる混迷を加え、
「口の災いをつつしむことが出来る」
「口の災いを納めることが出来る」
くらいで十分伝わるものを、
「口で話す行いを正しくととのえることができる」
といった、何を言っているのかよく分からなくしている文章があるかと思えば、
「ものの数にも入らないような亡くなった人々について、どうしてそれを知り尽くすことが出来ようか」
くらいで説明のつく所を、
「何々という、ものの数にも入らない類の亡くなった人は、全部が全部、知り尽くすことはできない」
ときわめてぎこちない表現に貶めたものもある。さらには何を血迷ったか、
「なりふりに気がひけて感じて」
などという、現代人にすら意味が不明瞭な、不可解な表現をさえ発明し始めるのだった。いったいこれをどのような時に使用すればいいのか、わたしにはまるで分からない。この一文の入った会話文を、その会話が不自然でないように、二百字以内で記せ。あるいはこれは、超難題の課題ではないだろうか。

 もちろんこれまでに見てきたような、

「水にあきあきすることがない。その魚でなければ、水にあきあきしない気持ちはわかりはしない」

といったお得意の繰り返しも絶えることはないし、最後に至るまで、
「そうたずねたとき、わが心は、全然、答えようとしない」
などと、クライマックスを台無しにするような叙述を極め続けるのであった。



 今はただ、「地震の章」の冒頭を提示して、この恐るべき現代語訳から逃れることとしよう。もし、これを口に出して読んで、むしろ不愉快に思わない人がいるとしたら、あなたは、鴨長明の『方丈記』を読んだところで、何を得ることもないだろう。『方丈記』は語りの北限に位置する、言葉のリズムの結晶体である。最低限度の日本語に対する感性をすら持ち合わせていないものに、どうしてそれが悟れようか。

 けれどもより多くの、普通の言語能力を持った人々は、これを口に出して読んでは呆れ返り、あるいは大笑いするには違いない。けれどもわたしには笑えないのである。このような駄文が束になって、至るところの古文を紹介するならば、かつての私がそうであったように、読者は古文を軽蔑して、そこから立ち去ってしまうには違いないのだ。

 古典は伝統的な遺産として文化を彩っている訳ではない、そこにたぐいまれなる価値があり、それが現在でも生き続けるが故にこそ、その古典には作品としての価値が、現在においてもあるというまでのこと。『方丈記』はあの時代にしては優れていた訳でもなく、今の時代には相応しくない訳でもない、その価値は大衆的ではなく、けれども近付く努力をさえ怠らなければ、かけがえのない価値が、そこにあるのに気づかされる。そのような立派な作品が、嘲笑的な現代語訳によって、殺されていく姿を、わたしは笑えない。

「また、同じころのことであろうか、ものすごく、大地が振動することがございました。その状況は、世間なみの地震の程度ではない。」

 まるでポンチである。おおよそ文学に関係する人間は、学者であろうと、執筆屋であろうと、最低限度の良識的な言語感覚と解析力を持っていなければならない。それさえないものに、そもそも文学を研究するべき価値などないのである。なぜならどれほど突き詰めても、その文学を解釈するという、もっとも大切な部分において、その人物は、平気でとんちんかんな誤りを犯し、その誤りを人々に吹聴して、文学を貶めかねないからである。紹介するべき立場にあるような人間が、作品への嘲弄(ちょうろう)を欲しいままにするような、浅はかな失態を繰り返すことになるからである。

    平成二十四年十月三十日(月) 
         時乃永礼(ときのながれ)これを了す

2012/10/30

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