源氏物語、あらすじその1

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光源氏の誕生

 宮を時めく天皇さまは桐壺帝(きりつぼのみかど)の代。彼はそれほど身分高くない桐壺更衣(きりつぼのこうい)を愛(め)でて子を産ませた。後の源氏(げんじ)の君であるが、ここでは最初から源氏と呼ぶことにしよう。桐壺帝の皇后である弘徽殿女御(こきでんのにょうご)を筆頭に、あまたの妻達はその一途な寵愛ぶりに憎しみを覚え、桐壺更衣に散々な虐めを繰り広げたのである。特に右大臣の娘であった弘徽殿女御は、自らの息子を東宮(とうぐう・皇太子的立場)に付けていたが、あまり桐壺帝が桐壺更衣ばかり愛でるので、非常な危機感を感じていたのである。この東宮は源氏の腹違いの兄であり、次の帝(みかど)、朱雀帝(すざくてい)となられるご立派なお子様であったのだ。

 御弱りになられた桐壺更衣は実家に戻り、やがてお亡くなりた。源氏三歳のことである。桐壺更衣の母であった北の方(きたのかた)も源氏六歳で亡くなり、源氏は桐壺帝の元に引き取られ、七歳から学問芸能の本格教育を受け始めた。極めて優秀なので期待を掛けられたが、占いによって源氏(げんじ)の姓を与えて、皇族ではなく臣下として活躍させることにした。その光輝くほどの容貌より光源氏(ひかるげんじ)と慕われることになった。一方桐壺帝は、桐壺更衣にそっくりの藤壺(ふじつぼ)をそばに置くが、この娘さんも輝かしい容姿なので、「輝く日の宮」と呼ばれるのである。この母親に似るという藤壺に光源氏は密かに引かれつつあった。(これを光相求むるの法則とは言わない。)しかし12歳となり元服した彼は、4歳年上の左大臣の娘である葵の上(あおいのうえ)の婿となるのであった。この妻は、源氏の親友である頭中将(とうのちゅうじょう・役職名)と兄弟である。

 源氏は大内裏(政治中枢であり天皇の住まいである所)の自分の場所を、亡き母の居た桐壷(きりつぼ)と定め、母の実家を改築、これは後の二条院(にじょういん)となる。彼は自宅と宮中を自由に渡る権利を得て、いよいよ物語の幕が開けるのである。[1.桐壺(きりつぼ)]

17歳の色気という

 17歳になるまでにすでにやんちゃに目覚めた?光源氏。とうとう母親似の藤壺と行くところまで行ってしまい、さらに藤壺と並ぶ年上のお姉さん六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)も陥落させたが、朝顔の斎院(あさがおのさいいん)には敗退した。添い寝させてくれなかったのである。[「輝く日の宮」という失われた帳に書かれていたともされるが不明]

 五月雨(さみだれ)の頃には、宮中での宿直中に、親友の頭中将ら仲間達と「雨夜の品定め(あまよのしなさだめ)」と呼ばれる女性談義に花を咲かせるしまつ。この中で頭中将は、常夏(とこなつ)という妻があったが、本妻に虐められて消えてしまった話しをするが、この常夏こそ後に出てくる源氏のお相手のひとり、夕顔である。翌日には伊予介(いよのすけ)の若き妻である空蝉(うつせみ)までも陥落させる。さらに彼女の弟を手下に、さらなる添い寝を所望いたし、空蝉を苦しめる憎たらしさ。[2.帚木(ははきぎ)]

 とうとう夜中に忍び込むと、空蝉は衣だけを置き去りに逃れてしまった。源氏は勘違いして軒端の荻(のきばのおぎ)をもみもみして、ようやく途中で気が付いたが、ここで止めてもとお思いになられて、さすがは源氏の君、軒端の荻も決して悪い女ではないと知っていたから、最後までいっちゃったのである。翌朝心の晴れない光源氏は、空蝉の衣を抱きつつお帰り遊ばすと、さっそく手紙を書いたのだが、空蝉の答えは「No」であった。彼女はノーと言える日本人だったのである。(・・・意味が分からん。)[3.空蝉(うつせみ)]

 しかし、とうとう修羅場が訪れた。今度は夕顔(ゆうがお)という五条付近の女性を抱き留めれば、これは親友の頭中将(とうのちゅうじょう・役職名)の元妻(上に出た常夏)であっただけでなく、嫉妬に燃えた六条御息所が生き霊となって宙に舞い、ぷかぷかと漂って夕顔を呪い殺してしまったのである。源氏茫然自失。ここまで17歳のうちの出来事であった。[4.夕顔(ゆうがお)]

やんちゃ道

 明けて春が来れば、療養のため北山に向かった光源氏。祖母の尼君を訪れると、藤壺の姪であるという少女に出会う。運命の出会い、やるせない想い燃え上がったか源氏の君は、引き取って育てたいと願い出たが、すげなくお断りされてしまった。であるならば、もう一度藤壺本人と添い寝など致すまで。病気で宮中から降っていた藤壺のもとへ、侍女の手を借りてお近づき、プレイボーイを満喫してしまったのである。(・・・また変な表現を。)しかしとばっちりを受けて、藤壺は見事に妊娠してしまった。実はこの子は後に天皇になってしまう。すなわち後の冷泉帝(れいぜいてい)である。へこたれない源氏の君は、例の少女を強引に自分の元に引き取ってしまう。少女の名は若紫(わかむらさき)、「源氏物語」で一番のヒロインとも讃えられる、後の紫の上(むらさきのうえ)その人であった。源氏はこれを理想の女性に仕立てようという、まかり間違えば三流小説にでも落ち入りそうなことを夢に抱くのであった。[5.若紫(わかむらさき)]

 源氏の君のやんちゃは今が旬である。今度は頭中将と競い合って、まぼろしの美女を陥落させようと、常陸宮の姫君(ひたちのみやのひめぎみ)争奪合戦を繰り広げることとなった。常陸宮亡き後、荒れた屋敷で琴を弾いているというのである。魅惑の女性お宝発見の欲望が高まってきた。当然光源氏が勝利を収めた。やることをやってみたら、鼻先が紅花の赤さを持つまるで美しくない女性だったので、末摘花(すえつむはな)とあだ名を付けて置いた。はたしてどちらが勝ったものやら。しかしこの女性は、後にいっそう貧困状態に到ってもひたすらに源氏を思い続け、あまりの一途さに源氏は彼女を妻のひとりにしているのである。たんなるプレイボーイ失敗談義に終わらせないきめ細かい配慮が源氏物語を、比類無き傑作に仕立てている一例と云えるかもしれない。[6.末摘花(すえつむはな)]

 桐壺帝が上皇(前の帝)の長寿を祝い紅葉賀(もみじのが)という催事を開催。藤壺懐妊を喜びこの祝いを兼ねた盛大な行事にしようと張り切っている。光源氏は、式典に出られない藤壺のために開かれたリハーサルで見事な舞いを舞って、人々の注目の的となる。舞の相手は親友の頭中将だ。巡って春には藤壺が光源氏の子(後の冷泉帝)を出産するが、もちろん桐壺帝は自分の子だと思いこむ。何となく罪悪感。源氏は19歳となっていた。しかしやんちゃ道に反省は不用である。今度は宮廷の女役人でもう50歳を過ぎていた源典侍(げんのないしのすけ)が、好色未だ冷めやらずなことを聞きつけて、頭中将と一緒にからかい、さらに逢い引きまで致してみると、頭中将が悪戯で逢い引き現場に踏み込んで、しょうもないどたばた劇などを演じて、翌日二人で笑ったりしている。少女から、お年寄りまで?、こよなく愛せる?源氏の君であった。[7.紅葉賀(もみじのが)]

 さらに翌年の春、観桜の宴が催され、相変わらずの光源氏は、さらなる女性陥落にいそしんだ。酔って藤壺に逢おうとするが駄目だったので、偶然出会った名も知らぬ女と、一夜のアバンチュールを楽しみまくったのである。しかし後の宴会の席で、この女性は政敵である右大臣の娘であり、さらにもうすぐ腹違いの兄(後の朱雀帝)の妻となる朧月夜の君(おぼろづきよのきみ)であったのである。[8.花宴(はなのえん)]

危機と須磨(すま)逃れ

 それから二年が過ぎた。桐壺帝は譲位(じょうい・帝の位を譲る)し、自らの兄が朱雀帝として即位。東宮(とうぐう・つまり皇太子)にはなんと源氏と藤壺の息子が選ばれてしまった。しかも後見役に源氏が選ばれて複雑な心境だ。そんな中、賀茂祭(かものまつり)が行われれば、六条御息所と妊娠中の葵の上が場所取りで争い、これがために葵の上は、光源氏の息子である夕霧(ゆうぎり)を出産した後、六条御息所の生き霊攻撃の犠牲第二号となって、呪い殺されてしまったのであった。(ただしこの生き霊、呪術的な儀式で呪い殺す訳でもなく、悩みや苦しみが高じて、当人の希望に関わらず、勝手に生き霊となって呪い殺してしまうと云う、なかなかにたちの悪い怨霊だったのである。「気が付けば怨霊」なかなか良いキャッチコピーじゃないか。)正妻の死の悲しみ。そんななかでとうとう光源氏は、引き取った紫の上を、ああやっぱりやってしまった。とうとう我が物としてしまったのである。以後彼女が正妻的立場となり、「紫の上」と呼ばれるようになっていく。[9.葵(あおい)]

 自らの生き霊ぶりにおののいた六条御息所は伊勢に下り、源氏は別れを惜しむ。桐壺旧帝はお亡くなりて、藤壺までも何時までも詰め寄ってくる光源氏との関係に煩悶して出家してしまう。今の朱雀帝の外戚である右大臣が政権を握り、これは光源氏の政敵であったから、彼の立場は際どいものとなっていく。こうして立場を悪くし、一人ひとりと愛人が去っていく心持ちの光源氏は、それでもへこたれずに朱雀帝の妻であるはずの朧月夜との密会を楽しんでいた。しかしある雷雨の夜明けに大変なことになった。父の右大臣に発見されてしまった。当然話は右大臣の娘であり朱雀帝の母親でもある弘徽殿女御に伝わる。憎きは源氏。奴の母親は我から桐壷帝の心を奪い、源氏も我が妹たち紫の上を妻としただけでは飽きたらず、朧月夜にまで手を掛けるとは。もはやこれを口実に菅原道真もびっくりの大失脚に陥れてやるしかない。怒りは千里を燃え上がるのであった。ついに自らの地位にもピンチが訪れた光源氏であったのだ。[10.賢木(さかき)]

 桐壺帝の女御だった麗景殿女御(れいけいでんのにょうご)のもとを訪れ、その妹である花散里(はなちるさと)と再開する。前の関係は物語にはないが、かつての逢い引き女性の一人だったようである。彼女や麗景殿女御と語り合う束の間の平穏が訪れる。[11.花散里(はなちるさと)]

 さて花散里は後に妻のひとりとなるのだが、とにかく今は政敵から廃除されかねないピンチの時である。さっそく須磨(すま)(摂津国)へ隠居することにし、愛すべき女性の皆さんとのお別れとなる。26歳の淋しさであった。京のきらびやかさを思えば侘びしさ募り、都の女性の皆さんと文通などして気を紛らわせる源氏だった。頭中将なども見舞いに訪れたりしてくれたが、そこへ隣国の明石入道(あかしのにゅうどう)という奴が、自分の娘を源氏の妻としようと打って出る。源氏が運命を切り開く禊(みそ)ぎを始めると、浜辺は雷鳴豪雨の一大異常気象を呈し、人々が世紀末を叫ぶ中、源氏は不思議な夢を見る。[12.須磨(すま)]

 その頃京でも政務が滞るほどの異常気象に見舞われていたが、源氏の館ではついに愛欲の仏罰が源氏に降り注いだ。源氏が落雷で電光石火になってしまったからである・・・というのは嘘で、源氏の館の一部が落雷で焼けるほどだったが、眠る源氏のもとに亡き桐壷帝が現れ、須磨の浦を離れるようにお告げを与えた。翌朝、明石入道が夢のお告げに従って迎えに来たという。夢の内容が一致するので、源氏は明石(あかし)の入道の館へと向かうことにした。勢いづいた入道は娘である明石の君(あかしのきみ)をあなたの妻にして欲しいと切り出すが、源氏は気がのらない。さすがに京を落ちて、紫の上の姿ばかり目に浮かぶ様子である。それでも何とか娘さんを抱かせることに成功した。さっそく妊娠してみせる。

 京では朱雀帝が夢の中で「なんで無実の源氏を追いやるのじゃ、このトンチキめが!」と桐壺帝に叱られて、しょんぼりして源氏を京に呼び戻すこととなった。眼を患ってしまったからである。さて、源氏が京に戻るというので、明石家は総がっかりである。源氏の方では入道の娘をやがて京に呼び寄せようと考え、一時の別れを惜しむのだった。別れを惜しんだ後は、もっとうれしい再開である。都へのぼり懐かしの愛すべき女性の皆さんに再会の訪問を楽しんだ。[13.明石(あかし)]

栄華への道

 そこは源氏、さくっと政界に返り咲くとその翌年、朱雀帝はここに位を退き、源氏と藤壺の子が、もちろん桐壺帝の息子として、冷泉帝(れいぜいてい)として即位した。これによって源氏は内大臣(ないだいじん)となり、源氏一門がリードする政権交代がなされたのである。明石の君(あかしのきみ)は娘を生むが、住吉神社のお参りの際、あまりの高貴な身分である源氏の一行を見かけた明石の君は、声も掛けられずに帰って行ってしまった。源氏はこれを知って慰める。

 六条御息所と彼女の娘である斎宮(さいぐう)が京に戻るが、まもなく六条御息所は病で亡くなった。光源氏は御息所の遺言にあるように斎宮を自らの養女とし、これを冷泉帝に入内させようと考えた。[14.澪標(みおつくし)]

 あまりの末摘花の一途の心と触れ合い、彼女を妻として二条院(にじょういん)に迎えたり[15.蓬生(よもぎう)]、かつて源氏の手を逃れた空蝉が京に戻ったが、源氏の手紙に心揺すぶられつつ夫の死後出家してしまったり[15.関屋(せきや)]する間に、冷泉帝の女御となっていた斎宮(斎宮女御)(梅壷女御)(秋好中宮・あきこのむちゅうぐう)と、権中納言の姫君(弘徽殿女御)が宮中の絵合(えあわせ)で争うこととなった。権中納言とは源氏の親友のかつての頭中将のことである。出世して職名が変わっているのであるが、彼の長女もやはり冷泉帝に入内していたのであった。同時に弘徽殿女御の名称も、弘徽殿に住まう女御の意味であるから、ややこしいが前に出て来た弘徽殿女御とは別人な訳である。改めて説明し直せば、冷泉帝の二人の妻、源氏の養女と頭中将(今では権中納言)の娘が、絵合で争うということだ。しかし、頭中将はもっぱら源氏の引き立て役の受け持ちであるから、もちろん源氏の控える斎宮が最後の際どいところで勝利する。[17.絵合(えあわせ)]

 二条の源氏の館に花散里(はなちるさと)が迎え入れられ、一方明石の君は身分の差が不安で、娘である明石の姫君(あかしのひめぎみ)を連れて京の近くに住み始めた。お父上の明石の入道は寂しさ堪えて娘らを見送った。やがて源氏が明石の君のもとを訪れ、自らの娘(明石の姫君)を引き取り、二条院で成長させるのが一番好いと想いつつ、なかなか切り出せない。(源氏の悩みが次第にプレイボーイから父親になっているところも面白い。)最愛の妻である紫の上にそのことを切り出した。彼女は明石の君のことで内心葛藤している。[18.松風(まつかぜ)]

 ついに明石の君に養女の件を打ち明け、彼女も最後には納得し、明石の姫君は二条院に引き取られ、紫の上のもとで育てられることとなった。子供好きの紫の上との関係が次第に好くなると、源氏はかえって明石の君の所へ出かけ易くなる始末だった。

 しかし源氏32歳の春に哀しい事件があった。「お袋のおもかげ」あるいは「いとしのお姉さん」こと藤壺が、お亡くなりてしまったのである。もはや源氏泣きまくり状態であることは言うまでもない。さらに事件が起きた。冷泉帝が、自分の出生が藤壺と源氏の子であることを知ってしまったのだ。帝はもう自分は退位して、あなたを帝にするんだいと駄々っ子状態に落ち入り(嘘)、源氏はこれを宥(なだ)めるのであった。

 ある秋雨(あきさめ)の頃、絵袷に勝利したあの斎宮女御が、二条院に下がり来たるので、源氏は二人で春と秋の優劣などを話し合う。この時、斎宮が秋を好むと答えたので、彼女は後に「秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)」とも呼ばれることとなった。[19.薄雲(うすぐも)]

 添い寝させてくれなかった憧れの女性こと、「朝顔の斎院」が斎院を退いて自宅に戻っているというので、さっそく女性獲得に乗り出した光源氏。熱烈な手紙を送りまくり世間の噂に上るほどだったので、妻の紫の上も落ち着かない。しかし朝顔はあなたに深入りすれば六条御息所のように不幸になるからと、最後まで頷かなかったのである。彼女はやがて誰とも結婚せずに出家してしまうことになる。並大抵の男子ではない源氏は、熱愛は戯れだと取り繕って、自分の射止めた女達の人物批評を妻に語り出す途方もない行動に打ってでた。源氏の君、君はまったく変わっちゃいない。そう思ったかどうだか、亡き藤壺が夢の中に登場しなさって、「霊界でもこんなに苦しんでいるのよ。どうするつもりよ!」と脅すので、つい声を上げてしまったら、横で寝ていた紫の上が不安に彼を見つめている。あう。源氏は藤壺の供養を行うことにした。[20.朝顔(あさがお)]

 紫の上と自分の子である夕霧(ゆうぎり)が元服した。源氏は息子を四位(しい)に出来る特権を採用せず、あえて六位(ろくい)の身分で大学に入学させ、学問に邁進させようとするが、息子はこの身分を恥じたりしている様子。源氏の教育論の中に学問をもとにしてこそ大和魂(やまとだましい)も十分にいかせるというような話しが織り込まれているが、この大和魂という言葉は後に太平洋戦争中に散々悪用されてしまった。

 この年、斎宮女御が正式に中宮(ちゅうぐう)となり帝の皇后(世間に知らしめす所の正式の正妻)的立場を獲得した。源氏は33歳にして太政大臣に上り詰める。親友兼ライバル?の(旧)頭中将は、前の権中納言から右大将(うだいしょう)を経て、やはりこの年内大臣(ないだいじん)(もと右大臣・左大臣に替わり政権を担当できる領外の官)となる。

 さて、この内大臣(旧頭中将)の娘に雲居の雁(くもいのかり)という美しい娘さんが居た。夕霧は亡き母親、葵の上の母親である大宮(おおみや)のもとで育てられていたのだが、この雲居の雁もやはり彼女のもとで成長し、つまりは大の幼なじみであった。お決まりのパターンで雲居の雁に恋心を抱き始める夕霧。しかし恋心を知ったお父っつんが大爆発なさって、彼女を自分の屋敷に引き取ってしまったのである。内大臣もかねてより随分自分を可愛がってくれたはずなのに、何の人の世の非常なるか。夕霧はすっかり落胆してしまった。実は斎宮が中宮(秋好中宮・あきこのむちゅうぐう)として冷泉帝の皇后となったため、長女の弘徽殿女御が敗れ去った穴埋めに、この雲居の雁を東宮(皇太子)の皇后にしようと、内大臣は画策していたのである。

 夕霧はもんもんとした?毎日を送るが、次の年の秋になると彼は一応五位(ごい)に昇進した。そしてその次の年の夏。源氏はついに究極の豪邸こと「六条院(ろくじょういん)」を完成させる。春夏秋冬に分けられた区画に、紫の上を筆頭に、妻達を配属して大喜びであった。明石の君まで移り住み、また里に下っていた中宮もいらっしゃるのである。[21.少女(おとめ)]

玉鬘十帖(たまかずらじゅっちょう)

 さて、若き日の源氏が、束の間愛を確かめ合った夕顔は、旧頭中将(とうのちゅうじょう)、つまり今の内大臣の妾であった。玉鬘(たまかずら)という娘も生まれたのだが、本妻が怖ろしくて頭中将の館から逃げ出していたところを、源氏と知り合ったことは前に見た。その娘である玉鬘は乳母(めのと)に引き取られ筑紫の国(北九州)で成長したが、乳母の夫が亡くなると、美貌すぎたる求婚の嵐を逃れて、京へ向かうことになった。不思議な縁で源氏のもとへ辿り着けば、源氏によって養女として引き取られることとなった。[22.玉鬘(たまかずら)]

 源氏は六条院、二条院の新春の妻巡りである。年賀の挨拶の合間に好きなところに泊まり込む。[23.初音(はつね)]三月には水舟浮かべての宴が催され、玉鬘が宴デビュー?を果たし、一同の注目を浴びる。たちまち恋文が山のように舞い込んだ。夕霧の親友である、内大臣の長男、柏木(かしわぎ)までも手紙を送り付けてくるのを、源氏は親の立場で意見など致していたが、内心自分も玉鬘にいかれちまっていることを玉鬘に見抜かれ嫌悪され、紫の上からも不快の目で見られる不始末だった。[24.胡蝶(こちょう)]

 源氏の弟、兵部卿宮(ひょうぶのきょうのみや)が玉鬘を慕って訪れたので、源氏は五月雨の晩に玉鬘のもとに蛍を沢山放ってやった。蛍の光にのみ照らし出される魅惑の女性。兵部卿宮はぞっこんいかれちまって帰っていく。(彼はこの逸話から蛍兵部卿宮と呼ばれる)源氏の文学論が語られ、また明石の姫君の教育に熱をそそぎ、自分の過ちを繰り返させないために、夕霧を紫の上と会わせないように注意したりしている。そんな中、内大臣が娘達の嫁入り計画がうまくいかず、かつての常夏の娘である、つまり玉鬘を捜し始め出した。[25.蛍(ほたる)]

 「鮎料理すごっくいい」とお楽しみの源氏のもとに、内大臣の息子らがやってくる。内大臣が最近引き取った自分の娘「近江の君(おうみのきみ)」が無趣味散々の女であると噂され、夕霧と雲居の雁の恋を認めなかったこともあり、源氏は腹立たしく皮肉った。しかしこの娘、内大臣が玉鬘を見つけ出そうとして、替わりに見つけてしまったのだから、玉鬘をこっそり引き取ってしまった源氏も、なかなかに後ろめたいはずである。源氏の皮肉発言を後で聞かされた内大臣は、またしても大爆発。その娘、近江の君は長女の弘徽殿女御のもとへ送ることにした。近江の君のしちゃかめちゃかの和歌が炸裂して、宮中を恐怖のどん底に叩き落とす。(何か違うな。)[26.常夏(とこなつ)]

 世間様から大爆笑される近江の君(おうみのきみ)の話を聞いて、源氏のもとに引き取られてラッキーかなと思い始めている玉鬘。源氏は相変わらず琴を教えると称しては、のこのこ部屋にやってくる。大分うち解けた玉鬘と源氏は、琴を枕にして寝転んだりしている。かがり火が揺れ、源氏は恋心を託して和歌を贈り、玉鬘がこれに答える。向こうの方では夕霧と柏木らが管弦に興じ、腹違いの兄であることを聞かされて知っている玉鬘は、これに聞きいる。[27.篝火(かがりび)]

 野分(のわき)が吹き荒れて夕霧は台風見舞いに六条院を訪れる。そこでつい紫の上を垣間見てしまい、心の臓がどきどきしてしまうのであった。源氏はこの恋心を年長者の感で察知する。源氏は夕霧と共に玉鬘のもとを訪れ、源氏と玉鬘の尋常生らざる仲の良さに、夕霧は年少者の感で訝(いぶか)しげに思う。そして玉鬘のあまりの美しさに、心の臓は張り裂けそうになってしまうのであった。それにも関わらず、夕霧は雲居の雁に手紙など書いたりしている。まったく多感なやつである。[28.野分(のわき)]

 大原野(おおはらの)へ天皇の行幸(みゆき)があり、玉鬘らも見物に出かける。冷泉帝(れいぜいてい)のお姿に好意を示し、源氏の進める入内(じゅだい・大内裏入りを果たし天皇の妻となる)もいいかなと考える玉鬘であったが、その一行の中には源氏物語のダースベーダーとも恐れられる(・・・。)髭黒の大将(ひげぐろのだいしょう・ひげくろのたいしょう)も控えていたのであった。

 さっそく裳着(もぎ)という女性の成人儀式が計画され、玉鬘の素性を明らかにすることになるので、今こそはと、大分敵対関係に落ち入っている内大臣に、真相を話すべく対面を果たす。二人は昔を想い出し、旧交に花を咲かせるが、別れると再び相手の心に探りを入れるのであった。そして玉鬘の裳着が開かれる。[29.行幸(みゆき)]

 入内の前にその心を射止めようと、求婚者は大量に押しかけ、源氏までますますはっするするし、玉鬘は一人で悩んでいる。夕霧も、藤袴(ふじばかま・花の名前)を差し出し精一杯の想いを彼女に伝えるのだった。夕霧が源氏を追求し、源氏は潔白を内大臣に説明した方がよいかと考えたりする。玉鬘は沢山の懸想文(けそうぶみ)の中で、蛍兵部卿宮(ほたるひょうぶきょうのみや)ただ一人に、返事をさし上げてみた。[30.藤袴(ふじばかま)]

 ダースベーダーがすべてを台無しにする。(物語まで台無しという意見もあるとか無いとか。)既婚の髭黒の大将(ひげぐろのだいしょう)が侍女の手引きによって玉鬘を我がものとしてしまったのである。玉鬘大ショック。源氏も帝も大いに困惑落胆。


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しかし髭黒に好意を持っていた内大臣は、かえって源氏に感謝したりしている。

 髭黒は錯乱気味の正妻北の方に玉鬘を引き取ることを認めさせようとして、高炉の灰を投げつけられて屋敷から逃げ出す不始末。どたばたの果てに北の方の父が、北の方と孫娘の真木柱(まきばしら)を引き取り、玉鬘と共に生活する黒髪だったが、あんまりしょんぼりしている妻に、帝がいまだお望みだという宮入りを許すことにした。

 許すことにはしたが、冷泉帝が玉鬘の部屋を訪れたと知るやいなや、暗黒の嫉妬に?さいなまれ、黒髪は玉鬘を自宅に連れ戻す。前妻の息子たちが玉鬘になつく頃には、玉鬘もまた男の子を出産し、肝っ玉母さんとしての第二の人生を歩み始めるのだった。[31.真木柱(まきばしら)]

栄華を極め

 源氏の娘である明石の姫君は。間もなく元服する東宮(皇太子的立場)の女御(妻の一人)となり宮中に入ることが決まった。二月初めの紅梅(こうばい)の頃、いろいろなお香の匂いを楽しむ行事、薫物(たきもの)合わせが蛍兵部卿宮(玉鬘の時に蛍を放たれて時めいてしまった人物で、後に真木柱を妻とする)の判定のもとで行われる。その夜は内大臣の息子たちと月の宴。そしていよいよ明石の姫君の裳着(もぎ)、つまり成人式が行われる。[32.梅枝(うめがえ)]

 その頃、一度は邪魔された夕霧と雲居の雁(くもいのかり)との愛は、ついに父親である内大臣に認められ、目出度くも結婚する運びとなった。夕霧と内大臣の仲も回復し、源氏と内大臣の友情もさらに幾分寄りを戻すことになった。

 そしていよいよ明石の姫君が、朱雀帝の息子である東宮のもとに入内。このさい明石の君は8年ぶりに娘と対面し、また始めて紫の上と対面する。冷泉帝は(実の父親である)源氏を准太政大臣(じゅんだじょうだいじん)といたすとし、太政天皇(つまり院、上皇)と同じ待遇を彼に与えることにしたのである。ついでに内大臣が、それまでの源氏のポスト、太政大臣に就任することとなった。源氏が翌年40歳の祝賀を行うことを知ると、11月に冷泉帝は、みずからが六条院に行幸(みゆき)なされるほどだった。朱雀院も招かれて、光源氏はまるで藤原道長のごとく、栄華を極めてしまったのである。[33.藤裏葉(ふじのうらば)]

2008/12/12

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